表題のことわざの様なものがあると知ったのは、文章を学ぶ学校に通い始めてすぐのことだった。
梅の木について調べていて行き当たった。
梅は生来、樹勢が強いのだろうか、切って間引かないと養分が分散して花が十分につからないらしい。一方、桜は切り口から菌が侵入しやすく、切ると腐ることが多いのだとか。
当時、このことわざを童話のモチーフに使った。
パソコンのデータを見ると2012年の7月末日に書き終えている。
昨日、ヒロコさんとナナと散歩の足を延ばしたら、高津さんの北側にいつの間にやら回り込んでいた。そこでは、満開の梅が公園を飾っていた。寒風の中、春は遠くない、と笑っているように感じた。
源氏物語の当時、歌などに梅とあればそれは白梅をさすのだと習ったなどと話しながら、満開をPHSのデジタルデータに切り取った。

切り取りながら、童話のことを思い出した次第。
読み返すと、拙さに声を出しそうになった。
久しく小説を書いていない。だから、ここに書いたものを載せることもなくなった。
書いてはいないが、恥ならかける。手を入れずそのまま載せることにした。
どうぞ、お時間のある方は目をお進めください。
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お姉ちゃんのうめ
お正月のおかがみをわるころに、おじいちゃんは、きまってうめの木のえだを切る。はじめて見たとき、ぼくはおじいちゃんの回りでおろおろした。だって、元気にのびている木のえだをバッチン、バッチン切っていくんだもの。
「うめの木がしんじゃうよう」
ぼくは、さけんだのに、おじいちゃんは、
「よし、いいぞ。ことしもいっぱいみをつけておくれ」
なんて、切ったところにくすりをぬりながら言った。
だめだよ、いっぱい切っちゃうと、花がさかないから、みがなるわけがないよ。ぼくはしょんぼりした。
でもね。いっぱい花がさいたんだ。
うめの木は、ぼくのお姉ちゃんのみほちゃんが生まれたときに、おじいちゃんがにわにうえたと、お母さんがおしえてくれた。はじめはおじいちゃんのこしの高さくらいだったのに、ぐんぐん大きくなって花がさき、おととしなんて大きなみがいっぱい。お姉ちゃんは、お母さんがこのうめのみでつくるいいにおいのジャムが大すきだって。
それなのに、きょ年、おじいちゃんはうめを切らなかった。ちがう。切られなかった。
春に中がくせいになったお姉ちゃんにびょう気が見つかり、それですぐ入いんして、夏がすぎて、秋になってもお姉ちゃんは帰って来なかった。
木のはっぱがぜんぶなくなって、風がうんとつめたくなったころ、お姉ちゃんは帰って来た。ぼくはすごくうれしかったのに、みんなないている。おじいちゃんは、なみだをぽろぽろこぼして、うめの木を見つめていた。
おじいちゃんはぼくをなでながら、ふるえる声で
「しょう、みほはしんだんだ」
と言った。ぼくはどうしていいかわからなくて、おじいちゃんの足にくっついた。
ぼくはしば犬という犬で、お姉ちゃんはぼくが生まれて半としくらいして、ぼくを家につれて帰った。ぼくはお姉ちゃんの友だちの家で生まれて、お姉ちゃんはぼくに「ひとめぼれ」をしたんだって。ぼくに「しょう」というすてきな名前をつけてくれたし、うんとかわいがってくれた。
「いらんえだを切らんと、うめは花をつけん。うめは切られて花がさく。強いんだ」
ことし、おじいちゃんはこんなことを言いながら、きょ年の分もたくさんえだを切った。そうか。強くて、それにおいしいみがなるから、お姉ちゃんが生まれたとき、おじいちゃんはうめをうえたんだ。ぼくはおじいちゃんのねがいが、今、わかった。
「いのちの強さは、みんなちがう。さだめられたものには、だれもさからえん」
そう言って、ちょっとわらったおじいちゃんのなみだが、ぽつりとぼくのはなにおちた。
「力いっぱいさいてね」
ぼくは、ひとこえ、強くほえた。
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下らぬものにお付き合い下さり、どうもありがとうございます。
お口、否、お目なおしに、歌を紹介します。
先日、上述の、梅すなわち白梅であるということを教えて下さったときに、教授が拾遺集から引いた歌です。
わかやと(わがやど)の梅にならひてみよしのの
山の雪をも花とこそ見れ
遠からぬ春を待ちつつ、皆様、急な寒の戻りなどに負けませぬよう、ご自愛のほどを。
しん 拝
梅の木について調べていて行き当たった。
梅は生来、樹勢が強いのだろうか、切って間引かないと養分が分散して花が十分につからないらしい。一方、桜は切り口から菌が侵入しやすく、切ると腐ることが多いのだとか。
当時、このことわざを童話のモチーフに使った。
パソコンのデータを見ると2012年の7月末日に書き終えている。
昨日、ヒロコさんとナナと散歩の足を延ばしたら、高津さんの北側にいつの間にやら回り込んでいた。そこでは、満開の梅が公園を飾っていた。寒風の中、春は遠くない、と笑っているように感じた。
源氏物語の当時、歌などに梅とあればそれは白梅をさすのだと習ったなどと話しながら、満開をPHSのデジタルデータに切り取った。


切り取りながら、童話のことを思い出した次第。
読み返すと、拙さに声を出しそうになった。
久しく小説を書いていない。だから、ここに書いたものを載せることもなくなった。
書いてはいないが、恥ならかける。手を入れずそのまま載せることにした。
どうぞ、お時間のある方は目をお進めください。
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お姉ちゃんのうめ
お正月のおかがみをわるころに、おじいちゃんは、きまってうめの木のえだを切る。はじめて見たとき、ぼくはおじいちゃんの回りでおろおろした。だって、元気にのびている木のえだをバッチン、バッチン切っていくんだもの。
「うめの木がしんじゃうよう」
ぼくは、さけんだのに、おじいちゃんは、
「よし、いいぞ。ことしもいっぱいみをつけておくれ」
なんて、切ったところにくすりをぬりながら言った。
だめだよ、いっぱい切っちゃうと、花がさかないから、みがなるわけがないよ。ぼくはしょんぼりした。
でもね。いっぱい花がさいたんだ。
うめの木は、ぼくのお姉ちゃんのみほちゃんが生まれたときに、おじいちゃんがにわにうえたと、お母さんがおしえてくれた。はじめはおじいちゃんのこしの高さくらいだったのに、ぐんぐん大きくなって花がさき、おととしなんて大きなみがいっぱい。お姉ちゃんは、お母さんがこのうめのみでつくるいいにおいのジャムが大すきだって。
それなのに、きょ年、おじいちゃんはうめを切らなかった。ちがう。切られなかった。
春に中がくせいになったお姉ちゃんにびょう気が見つかり、それですぐ入いんして、夏がすぎて、秋になってもお姉ちゃんは帰って来なかった。
木のはっぱがぜんぶなくなって、風がうんとつめたくなったころ、お姉ちゃんは帰って来た。ぼくはすごくうれしかったのに、みんなないている。おじいちゃんは、なみだをぽろぽろこぼして、うめの木を見つめていた。
おじいちゃんはぼくをなでながら、ふるえる声で
「しょう、みほはしんだんだ」
と言った。ぼくはどうしていいかわからなくて、おじいちゃんの足にくっついた。
ぼくはしば犬という犬で、お姉ちゃんはぼくが生まれて半としくらいして、ぼくを家につれて帰った。ぼくはお姉ちゃんの友だちの家で生まれて、お姉ちゃんはぼくに「ひとめぼれ」をしたんだって。ぼくに「しょう」というすてきな名前をつけてくれたし、うんとかわいがってくれた。
「いらんえだを切らんと、うめは花をつけん。うめは切られて花がさく。強いんだ」
ことし、おじいちゃんはこんなことを言いながら、きょ年の分もたくさんえだを切った。そうか。強くて、それにおいしいみがなるから、お姉ちゃんが生まれたとき、おじいちゃんはうめをうえたんだ。ぼくはおじいちゃんのねがいが、今、わかった。
「いのちの強さは、みんなちがう。さだめられたものには、だれもさからえん」
そう言って、ちょっとわらったおじいちゃんのなみだが、ぽつりとぼくのはなにおちた。
「力いっぱいさいてね」
ぼくは、ひとこえ、強くほえた。
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下らぬものにお付き合い下さり、どうもありがとうございます。
お口、否、お目なおしに、歌を紹介します。
先日、上述の、梅すなわち白梅であるということを教えて下さったときに、教授が拾遺集から引いた歌です。
わかやと(わがやど)の梅にならひてみよしのの
山の雪をも花とこそ見れ
遠からぬ春を待ちつつ、皆様、急な寒の戻りなどに負けませぬよう、ご自愛のほどを。
しん 拝