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チャーリーブラウンによろしく

2年ほど放置していたブログですが、ヤプログから引っ越してきました。
更に数年を経て、ようやく再開しました。

桜伐る馬鹿梅伐らぬ馬鹿

2017年02月26日 | 小説
表題のことわざの様なものがあると知ったのは、文章を学ぶ学校に通い始めてすぐのことだった。
梅の木について調べていて行き当たった。
梅は生来、樹勢が強いのだろうか、切って間引かないと養分が分散して花が十分につからないらしい。一方、桜は切り口から菌が侵入しやすく、切ると腐ることが多いのだとか。

当時、このことわざを童話のモチーフに使った。
パソコンのデータを見ると2012年の7月末日に書き終えている。

昨日、ヒロコさんとナナと散歩の足を延ばしたら、高津さんの北側にいつの間にやら回り込んでいた。そこでは、満開の梅が公園を飾っていた。寒風の中、春は遠くない、と笑っているように感じた。
源氏物語の当時、歌などに梅とあればそれは白梅をさすのだと習ったなどと話しながら、満開をPHSのデジタルデータに切り取った。


切り取りながら、童話のことを思い出した次第。
読み返すと、拙さに声を出しそうになった。
久しく小説を書いていない。だから、ここに書いたものを載せることもなくなった。
書いてはいないが、恥ならかける。手を入れずそのまま載せることにした。

どうぞ、お時間のある方は目をお進めください。

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お姉ちゃんのうめ

 お正月のおかがみをわるころに、おじいちゃんは、きまってうめの木のえだを切る。はじめて見たとき、ぼくはおじいちゃんの回りでおろおろした。だって、元気にのびている木のえだをバッチン、バッチン切っていくんだもの。
「うめの木がしんじゃうよう」
 ぼくは、さけんだのに、おじいちゃんは、
「よし、いいぞ。ことしもいっぱいみをつけておくれ」
 なんて、切ったところにくすりをぬりながら言った。

 だめだよ、いっぱい切っちゃうと、花がさかないから、みがなるわけがないよ。ぼくはしょんぼりした。
 でもね。いっぱい花がさいたんだ。

 うめの木は、ぼくのお姉ちゃんのみほちゃんが生まれたときに、おじいちゃんがにわにうえたと、お母さんがおしえてくれた。はじめはおじいちゃんのこしの高さくらいだったのに、ぐんぐん大きくなって花がさき、おととしなんて大きなみがいっぱい。お姉ちゃんは、お母さんがこのうめのみでつくるいいにおいのジャムが大すきだって。

 それなのに、きょ年、おじいちゃんはうめを切らなかった。ちがう。切られなかった。
 春に中がくせいになったお姉ちゃんにびょう気が見つかり、それですぐ入いんして、夏がすぎて、秋になってもお姉ちゃんは帰って来なかった。

 木のはっぱがぜんぶなくなって、風がうんとつめたくなったころ、お姉ちゃんは帰って来た。ぼくはすごくうれしかったのに、みんなないている。おじいちゃんは、なみだをぽろぽろこぼして、うめの木を見つめていた。
 おじいちゃんはぼくをなでながら、ふるえる声で
「しょう、みほはしんだんだ」
と言った。ぼくはどうしていいかわからなくて、おじいちゃんの足にくっついた。

 ぼくはしば犬という犬で、お姉ちゃんはぼくが生まれて半としくらいして、ぼくを家につれて帰った。ぼくはお姉ちゃんの友だちの家で生まれて、お姉ちゃんはぼくに「ひとめぼれ」をしたんだって。ぼくに「しょう」というすてきな名前をつけてくれたし、うんとかわいがってくれた。

「いらんえだを切らんと、うめは花をつけん。うめは切られて花がさく。強いんだ」
 ことし、おじいちゃんはこんなことを言いながら、きょ年の分もたくさんえだを切った。そうか。強くて、それにおいしいみがなるから、お姉ちゃんが生まれたとき、おじいちゃんはうめをうえたんだ。ぼくはおじいちゃんのねがいが、今、わかった。

「いのちの強さは、みんなちがう。さだめられたものには、だれもさからえん」
 そう言って、ちょっとわらったおじいちゃんのなみだが、ぽつりとぼくのはなにおちた。
「力いっぱいさいてね」
 ぼくは、ひとこえ、強くほえた。

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下らぬものにお付き合い下さり、どうもありがとうございます。

お口、否、お目なおしに、歌を紹介します。
先日、上述の、梅すなわち白梅であるということを教えて下さったときに、教授が拾遺集から引いた歌です。

わかやと(わがやど)の梅にならひてみよしのの
                  山の雪をも花とこそ見れ

遠からぬ春を待ちつつ、皆様、急な寒の戻りなどに負けませぬよう、ご自愛のほどを。

しん 拝






おぼろ半月

2016年02月05日 | 小説
文章を学ぶ学校の、今年度最後の課題は「疑惑」または「おしゃれ」で三枚以内というものだ。

講師の時代考証の達人に、過日、あれこれ手紙で質問をすると、本人の名前の印刷された原稿用紙に万年筆で、びっしりと返事を下さった。参考図書、図書館での調べ方、古書店めぐりのことなど、親切に回答くださり、併せて提出した小品についても、厳しい指摘の末尾に、頑張って書き続けるよう励ましの一言が添えられていた。
期せず、宝物を得た。

「疑惑」を選んだ。
これを選ぶ人は、どんでん返しを書いて来る人が多いだろうな、などと勝手に考え、何もひっくり返らない話を書こうと思った。
書いた。
平板な、凡庸なものができたが、書いたものは載せるということを自分に課し、もって書き続ける動機の一つとしている以上、載せないわけにはいかない。

宝物の手紙を撫でて勇気をもらい、載せます。
まぁ、時間もあるし読んだろう、という奇特の方は、どうぞ、目をお進め下さい。

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  「おぼろ半月」

 行灯を吹き消し、佐平は障子を開け放った。
「あ、もう。蚊が入るやんか」
 不平をこぼすよしのの声は、だが、明るい。
「そやから灯を消したんや。それより、まぁ見てみぃや。夏やけど十三夜。満ちる直前や。こうなりたいもんやで、ほんま」
 肘を伸ばした大仰な柏手を二回打ち、佐平は月を拝んだ。
「人の恋路を照らす、いけずなお月さんや」
 よしのの朗らかな声がまぜ返す。
「見とけよ。今に一山当てたるねん」
 男の聞き飽きた口癖を鼻で笑うと、女は、
「何言うてんの。ええ仕事が入ったんやろ。山より家。しっかりおきばり」
 尻を叩いた。

 大工の佐平の腕がいいのは、親方のお墨付きだ。おまけに人もいい。だが、こちらはよすぎる。与太話に飛びついては貯えを失う。これでは、よしのの気持ちが煮え切らぬのも無理はない。前夫が博打に溺れ、行方しれずになって五年。娘のふでは七つになり、父の記憶もおぼろだ。出会って三年の二人にとって機は十分熟しているのだが…。

 秋になり、佐平の足が遠のいた。
 久しぶりに彼が泊まったある晩、よしのがそれとなくわけを尋ねると、「忙しいんや」と答える。佐平の言葉だけによしのは鵜呑みに信じた。が、長屋にはお節介焼きが多い。ある夕暮れだった。
「櫛売りのおはつっていう娘らしいで」
 たまさか内平野町で満面の笑顔の佐平を見かけたと言う近所のおぬいは、その笑顔が向けられた先の娘の名をよしのに告げ、
「あれは出来てると、私はにらんだな」
 耳元で独り合点した。疑惑の宵闇がよしのの心に広がり、乾いた秋風が吹き抜けた。


「櫛売りの娘さんのことやねんけど」
 数日後、佐平が来た晩、よしのは意を決して話を切り出した。佐平を慕うふでが不憫なことにならぬよう、白黒を早くはっきりさせたい。
「なんや早耳やな。上手いこと隠してたつもりやったんやけどな」
 佐平はからりと言うや、持ち上げていた盃を空けて立ち上がり、土間の道具箱から何やら取りだすと、よしのの前にきちんと座り、
「今のところ、これが一番の品や」
と畳の上で、それを押し出した。その指の先には、小さな半月があった。――無垢の櫛だった。椿油で淡く光っている。何より、よしのはその櫛の歯の細かさに息を呑んだ。

「一緒になりたい人には、櫛を贈るもんやって、親方が言うて…。俺、どうせやったら作ろうと思うたんや。けどこれが大変で。道具揃えたり、職人の仕事、見せてもろうたり。やっとええのができるようになって、おはつさんに見せたら、もう立派な櫛挽職人やって言うてくれて。次から買うてくれるそうや。そやから、よしの、俺と…」
 あとの言葉を、よしのの唇が遮った。

(了)

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拙いものにお付き合いくださり、誠にありがとうございます。

例によって、少し調べたことなどをご参考までに記します。
結婚したいと思う女性に男が櫛を贈るのは、「苦死をおくる」という意味が転じて、苦労かけますが、どうぞよろしくということで、本当にあったことらしいです。
夫婦生活で苦労をするのは女性である、というこの国の男にとって肩身の狭い事実は、江戸時代からの伝統ということのようです。
「おぉ、当時からそうやったんや!」と、免罪符の如き事実を得たと感じた次第でございます。










茜空

2015年12月19日 | 小説
文章を学ぶ学校では、昨年まで、受賞経験を持つ二人の小説家のクラスと、小説家兼時代考証のプロのクラスを受けていたが、今年からは、小説家兼時代考証のプロのクラスのみにしている。
音楽を再開できるかもしれないと思っていたことと、作品を書くのに時間を取ってできるだけ応募しようと決意し、一番厳しい先生の授業のみに絞り、しっかり勉強しようと思ったからだった。

だが、受講回数が三分の一になり、実際、時代物の長編を書くぞと意気込んだのに、現代ものの短編二つ、三十枚と五十枚を書いて応募したのみであった。
くだんの時代物の長編は、第二章に入ったところで時代考証のための資料を読んでいるところである。知識のない者にとっては、書くことの他に時間がかかるものだと、今年を振り返ってため息をついている。

そうこうしている間にも、いつもの、文章を学ぶ学校の今年最後の課題が先月出された。
「お世辞」か「夢物語」で、三枚以内というものであった。今日の締め切りにどうにか間に合った。

お世辞を主題に、時代小説の掌編を書いてみた。
いい加減、時代小説の人情物もネタが尽きてきたに違いない、と鋭く予想された方も、今年一年どうにか続けよったな、と温かくも思って下さった方も、今、ちょっと暇があるんだな、偶然、という方も、よかったらどうぞ、目をお進めください。

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  「茜空」

 世渡りが巧くはないことは自覚している。だが、たとえば袖の下を得るために自分の気持ちを偽るくらいなら、以蔵は迷わず懐を閉じる。そうして生きてきた天満同心、十石三人扶持のその日暮らしに、不満は無かった。

 そんな調子だから、四天王寺近くの道場で鍛錬し、圧倒的な技量で直指流の免許を得ても、自分はまだその器にないと、一人立ちすることもしなかった。この自他に厳格な堅物の師範に対し、門弟たちは――以蔵先生は廊下も道も直角に曲がる――などと陰口を叩いた。

 道場主は佐々木延斉といった。彼は門戸を広く開き、道場には商人の子息なども通っていた。一人娘のことねに養子の良縁を望む延斉にとって、道場の評判は重要だった。だが、その日も以蔵は、衆目の中、お城定番の若者にしたたかに打ち込み、涼しい顔で、
「今一度、基礎からやり直しましょう」
と言い渡し、この大切な「お客様」の面目を潰したのであった。
「少しくらい、くすぐればいいものを」 
 延斉は融通の利かぬ弟子を嘆き、稽古の後部屋に来るよう命じた。

 以蔵が師の部屋へ通じる廊下を曲がると、夕焼けに染まり、ことねが庭で床の間に活けるほころび始めた山茶花を選んでいた。
「きれいだ」
 野太い声のする方を見れば、お世辞一つも言えぬと父が嘆く以蔵が、自分を見つめていた。ことねは、真っ直ぐな物言いに耳たぶが熱くなるのを感じた。彼はしばらく佇み、一礼の後、何事もなかったように立ち去った。



 季節が一巡りし、親類がことねにと、縁談を持って来た日のことであった。応接した娘に閃いた憂いを、母は見逃さなかった。
「お前、好きな人がいるのだね」
 ことねは、こくりと、おとがいを引いた。
 すぐに以蔵が呼ばれ、延斉は養子の話を切り出した。同心という不浄役人ではあるが、その剣の腕は得難い。打算が恋心に便乗した。
以蔵に拒む理由などあるはずもない。年明けを待ち、二人の婚礼の日取りが決まった。

「四天王寺を歩きませんか」
 晩秋のある日、稽古を終えた以蔵が許嫁を誘った。五重塔の側にさしかかり、先を歩いていた以蔵が不意に右に並んだのは、さりげなく西日を遮ったのだと、ことねは頬を弛めた。その無言の行為が嬉しかった。

「取り柄と言えば剣のみ。貧しく不浄で、廊下を直角に曲がる如き男の、一体どこがよかったのでしょう」
 ふと、野太い声が光の中から問いかけた。
「きっかけは、あの日、私をきれいだと言って下さったことでした」
 あぁ、と思わず声を出した以蔵は微笑み、昨年、今日と同じ鮮やかな夕焼けをきれいだと愛でたことを、訂正することにした。
「あなたは、今日も、きれいです」
 佇む二人の顔は、茜色に染まっている。

(了)

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手詰まり感を抱きつつ、ベタな恋物語を書きました。お目汚しをお詫びしつつも、お付き合い下さったことにお礼申し上げます。
どうもありがとうございます。

例によって、ご存知の向きにとっては「釈迦に説法」もどきの説明を少々。
同心は、犯罪辛みで死体を扱ったり、死刑を執行したりするので、不浄役人と呼ばれていたそうです。
おとがい、というのは下あごでございます。









秋冷の夜に

2015年11月10日 | 小説
十月の終りに、小説を書いた。課題は「行列」または「眼鏡」で原稿用紙三枚以内というものであったので、僕は「行列」を選んだ。

せっかく、時代考証のプロが講師なので、書ける限りは時代小説を書いているが、学友は、辛辣な講師相手によく挑むものだと半ばあきれている。
講師は辛辣ではない。
自分の講評と感想を正確に表現しているだけである。
現に、時代考証を誤った場合(疵(きず)、と言うらしい)でも、訂正くださるが非難はされない。指摘も厳しくはないと感じている。

約四半世紀前、コックの修行をしていた頃、腕のいい、正確に言うと腕以外はよくない先輩コックの皆さまの、数々の洗礼と言葉のほとんど無いご指導に比べれば、大変あたたかく、懇切丁寧である。

締め切りは末日だった。
だが、ひどい風邪をひいてしまい、提出に行けなかった。事情を説明して、時代考証だけでも、お願いしようと思っている。

能書きが長くなりました。これより先は掌編の小説です。関心を持たれましたら、どうぞ、目をお進めください。

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 「秋冷の夜に」

 新米の俥夫、源七の気分は近頃、少し高ぶっていた。官軍はめっぽう強いらしい。客から支那で活躍する軍隊の話を聞く度、彼は自分の腕や足が強くなったように感じた。
「俥屋さん。神田明神の近くなんだけど、行ってくれるかい」
 時は晩秋の黄昏。源七が茜に染まる四谷見附橋の近くで客を降ろすと、年配の女性が声をかけてきた。―仕舞い時にもう一稼ぎ出来る。―相づちが弾んだ。婦人が乗り込むや、めっきり冷え込むのでと断りながら、彼が膝掛けをもう一枚掛けると、婦人は気遣いが嬉しいと微笑み、歳はいくつなのかと尋ねた。
「へい。十七です」
 源七の顔もほころんだ。持ち手を握るや、今度は彼が尋ねた。
「お客さん、お急ぎですか」
「いえ、急ぎません。もう暗いですから、気をつけて走って下さいな。でも、どうして」
 婦人の声音が柔らかく問い返した。
「神田までですと、普段はお堀端を走るんですが、今日は通りにくいかもしれません。なんでも、カンテラ行列が来るんだそうで」
「カンテラ行列、ですか」
 一層いぶかる婦人に、慶応の教師や学生がカンテラを掲げて三田山から行列で来るのだと、源七は客から聞いた話を受売りし、
「支那の旅順の砦が陥落したお祝いだそうで。お客さん、お急ぎでないなら、」
 いっそご覧になりますか、と言いかけた。
「混雑を避けるための遠回りなど、無用です。いつも通り、お堀端を行って下さい」
 それきりだった。急に硬くなった女性の物言いに、源七はそっと首をすくめた。
 お城に近づくにつれ、果たして人通りは増え、馬場先門界隈は黒山の人だかりだった。戦勝を祝いに集まった人々は、口々に「勝った」や「めでたい」と言い交わし、あちこちで、万歳の大声が宵の冷気を裂いていた。
 俥はゆっくりと喧噪を過ぎ、ようやく神田橋を過ぎた。辺りには、打って変って静かな秋冷の夜が、いつの間にか拡がっている。
「同じ十七でした」
 静寂を突いて、不意に婦人が口を開いた。
「息子は、丁度今のあなたの歳に死にました。…そう、もう二十六年も前のことです」
 凛と響くその声に、どう応じたものかと彼が窮していると、
「息子は会津の白虎隊でした。隊員は皆、あなたくらいの年でね。主君を守るべく戦い、敗れ、最後は、互いに首を突いたそうです」
 源七は、思わず足を止め、振り返った。
「私には、堀端の皆さんの『勝った』の声が、『殺した』としか聞えなかった。旅順でも、きっと沢山亡くなられたに違いありません」
 ため息を挟んで、老いた母は夜空に問うた。
「その一体、何が、めでたいのでしょう」
 ゆるゆると再び走り出した俥の中、頬の雫が月明かりに仄かに光った。少年はもう、自分の腕や足が強いとは感じられなかった。

(了)

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拙いものにお付き合いくださり、誠にありがとうございます。

今の政府に対する反感を基に書きました。
立憲主義をあざ笑い、木で鼻を括るこの国の首相は捻じ曲がった憲法解釈で、自ら提出した悪法を通してしまいました。今も、佐賀では地元の反対を受けてオスプレイの着陸を引っ込めながら、辺野古では暴挙の限りを尽くしています。

集団的自衛権などについて考えるより以前に、第二次大戦だけでなく数々の戦争について、検証と反省をするべきだと思っています。










叫風一過 9(最終回)

2015年11月06日 | 小説
 明幸は、あたふたと流しに立ち、コーヒーを注いだ二つのカップを両の手に持ったが、思い直して小さな盆にそれらを載せ、そろそろと運んだ。そのペアのカップを見て、洋子は思わず微笑んだ。一口飲んで、彼女は毅然と言った。
「許しません」
(前回ここ迄)
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「えっ?」
「確かに、あなたが逃げたのは間違いです。でも、佳乃も思いっ切り間違えた。まだ賠償がどうこう言う以前の、謝ってもない内から、あの娘は自分らの結婚のことばっかり心配して…ホンマに情けない。私たちが、何をおいても今心配せなあかんのは、被害に遭われた方たちのことです」
 明幸は、背骨がひとりでに起きあがるのを感じた。次いで洋子は、
「明幸君、ごめんなさい。私、あなたのこと試させてもらいました。実は、話はもう夕べに、佳乃から全部聴いてます」
と言い、狼狽する明幸に机に手をついて詫びた。
「もし、君が佳乃の望んだように、ことのおこりを二人だけの秘密にして、私らにも嘘をついて済まそうとしたら、私らは、それこそ婚約を解消してもらうつもりでした。二人とも、あまりにも未熟で身勝手や、という理由で」
 洋子はそう言って、明幸を見つめた。見つめたまま彼女は、さっきは間違いだと言ったが、実際、逃げたのは仕方がないと、自説を改めた。更に、自分だって、その立場に立てば逃げたかも知れないと事態を自らに引き寄せ、佳乃も事故を知るや現実から逃げたのだと、再度指摘した。そして、「誰でも」と強く言い、とっさの時には、冷静になれず間違えることもある、と考えを述べ、
「だからこそ、逃げた後が肝心やと思う。その後、ホンマに逃げるんか、踏ん張るか…。君は踏ん張った。佳乃の誘惑に負けずに、ね」
と言った。明幸の顔が明るくなった。その目を見て洋子は、
「だから、婚約の解消を許しません。二人で償い、二人で乗り越えなさい。その先にしか二人の幸せは無い」
と断じ、
「佳乃はものすごく反省してます。明幸君、ゆるしてあげて」
 やわらかく結んだ。
「ゆるすも何も、俺がこんな迷惑をかけてしもうたから…」
明幸は、涙交じりに戸惑いを口にした。
 洋子はそれには答えず、
「正直に良心に従い、損得抜きに生きる人を応援することは、たぶん誰にとっても勇気づけられて、気持ちの温かくなることやと思う。少なくとも私らはそうです。だから、頑張って」
と言い、包みを取り出し、サンドイッチだと微笑んだ。
「佳乃が浪速警察署の前で待ってる。これ食べて、行きなさい」
 明幸は、次々と頬張り、やっと自分が事故以後、何も食べていなかったことに気づいた。恋人をこれ以上待たせたくない彼は、急いで食べ終え、コーヒーを飲み干し、鞄を掴み、もどかしく靴を履き、母に、
「行ってきます」
と言うやドアを開け、光の中へ飛び出した。廊下を進む彼を、
「明幸君、忘れ物」
と洋子の声が追いかけた。振り返り、手渡してもらい、じっと見つめた後、明幸はそれをいつものように目深にかぶった。

(了)
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拙いものにお付き合いくださり、どうもありがとうございます。
所詮、没作品でございます。お気軽に、批判、批評、その他感想などございましたら、忌憚ないところをお聞かせ下さい。戴きました言葉は、叱咤激励として前向きに受け止める所存でございます。