顔の白い毛の形から「やまちゃん」とヒロコさんは名付けた。
やまちゃんが初めて車庫の車の下で寛いだのはいつだったのだろう。2021年の6月には、僕が隣の家との間に佇みこちらをうかがう写真を撮っている。警戒心の強いやまちゃんが逃げずにこちらを見ているということは、もう、僕らが安全な存在であると認めていることの証だろう。

「あ、やまちゃん」などという僕らの声掛けに慣れるのにおそらくは1年くらいはかかったであろうから、2020年のどこかで出会ったのだと思う。
ヒロコさんを見つける度にご飯をねだる甘い声をガレージに響かせて、車庫をベースキャンプに据えたのも多分このころからだったと思う。
ほどなく、車庫の奥の棚の一部にヒロコさんが寝床をしつらえると、彼はそこで眠るようになった。ヒロコさんは電源を引いて給水ポンプを置いた。冬には寝床の毛布の下に使い捨てカイロを敷いてやった。
チュールを手から食べるようになった。好き嫌いをするようになったと、食餌を買いながらヒロコさんは笑った。

昨年末にやまちゃんは衰弱し、汚れた顔で車の背後に出てきた。壁にへばりつくようにもたれ後進する車をかわしながら、弱い声を上げる姿がドアミラーに映り、僕は車を停めた。
近づいたヒロコさんがそのまましばらく寄り添った。
やがて、ヒロコさんは、水を飲もうとしても飲めなくて鳴くのだと言い、動物病院に電話を入れた。12月30日の年内最終診察日の最後に診てもらい、そのまま入院することになった。
重篤な風邪ですい臓が弱り、黄疸もある。口腔の炎症が化膿し痛みで水も食餌も満足に採れていない、とのことだった。
数日前から、引き籠っていることにヒロコさんは気付いていたが、薄暗い車庫の奥の段ボールの中、詳細までは観察できなかったし、眠りを邪魔したくもなかった。わずか数日のことだったので、病気を疑いもしなかった。
野生する動物は弱みを見せない。徐々に弱り、どうしようもなく引き籠り、どうしようもなく出てきて、どうしようもなくさらけ出した。
口腔手術をすることに同意した。僕らはできる限りの手を尽くしてほしいと願った。病院は応えてくれた。
年が明けて、病状の安定を待って手術をした。
全身麻酔から還らぬリスクもあったが、やまちゃんは帰還し、ヒロコさんにあの甘えた声をかけた。
医師の提案を受けて、血液の状況改善を期待して飼い猫のジジの血を輸血した。

輸血後に面会に行くと、向こう向きのやまちゃんは立ち上がり、ヒロコさんの方を向いた。退院して一緒に暮らそうと、ヒロコさんは繰り返した。
1月29日、やまちゃんは退院した。できる手当、考えられる可能な処置はすべてしたが、依然厳しい状態だと告げられた。
帰ろう、一緒に暮らそうと、僕らは明るく言った。医師に気遣いは無用、とうに覚悟はしていると示したかった。僕らの楽観を否定もせず、シリンジの使い方などを説明してくれた院長の気遣いが、今も嬉しい。

僕らはリビングに大きなケージの病室をしつらえて、やまちゃんはそこで眠った。
帰ってきた。いや、この日彼は初めて飼い猫になった。
1月30日の朝4時過ぎ、目を覚ますと、やまちゃんを小さな寝床ごと膝に載せたヒロコさんがソファに座っていた。
しばらくして、懸命に頭をもたげたやまちゃんは、小さくいつものあの甘えた声で鳴いた。か細くもう一度鳴いたのが最期だった。
ヒロコさんのたなごころに頭をあずけ、去勢された地域猫のしるしの桜耳を上にして、やまちゃんは静かに安からかに空へと旅立った。
一昨年、やまちゃんを束の間追い出し、我が家のガレージをベースにした猫がいた。
近所の陽だまりで気持ちよさそうに眠っている薄汚れた猫を見かけ、僕らは会うたびに話しかけた。眠るときを含め、しょっちゅう舌先が口元からこぼれていたのでペロと名付けた。弱っていた。
ある日、ペロは僕らの車の前で寝そべるようになり、やがてヒロコさんから食餌をもらうようになり、水を飲むようになり、かなり回復した。
生まれて間もなく親とはぐれマンションの植込みで鳴いていたところを保護され我が家に来た黒猫のジジは、外に出るのが好きなので、僕らはガレージの小窓の柵の一つを外して彼の出入り口にいるのだが、ペロは一度、その出入り口から我が家に入った。
ほとんど水だけの吐しゃ物を家の階段で見つけて探すと、ペロは一階の僕の事務所の机の下に居た。
声をかけたが、彼はゆっくりとガレージの小窓に戻り、外に出た。
その数か月後、彼はガレージに吐しゃ物を残し、消えた。
間もなく、近くの駐車場として使われている空き地の真ん中のそこだけが丸く敷石で飾られた。車はその上には止まらない。
かつてペロが日向ぼっこをしていたところのすぐ裏だ。ペロはそこにむくろを置いて空に旅立ち、誰かがそこに埋葬した。僕らはそう考えている。
ペロは僕らに飼われ、看取られることを望まなかった。
彼なりのかかわり方とその終え方を見て、僕はそう思っている。
やまちゃんは、違った。
長い月日をかけ、ヒロコさんと関係を築いたのに、弱ったペロに追い出される気弱なやまちゃんは、決してジジのいる家には入らなかった。
病に倒れ、初めて、食餌以外をヒロコさんに求め、ヒロコさんは応えた。
―ずっと家族になりたかった―
そう言っているに違いないと僕らは思った。
人であれ人以外の動物であれ、現代医療は常に、ややもすると終末を苦しいものにする。
生きたい、生きていてほしい、という気持ちに医療は応えざるを得ないからだ。
畢竟、回復しなければ苦しい終末を結果する。
やまちゃんを苦しめるのではないかという思いを抱え、僕らは医療を選択し、入院させ手術を受けさせ、カテーテルを入れさせ、彼は耐えに耐え還ってきて一日だけ、共に生きてくれた。
深夜、やまちゃんの小さなおでこを撫でながら、僕は謝り続け、幼児のように現実から逃げ、泣き寝入りした。目覚めて間もなく、ヒロコさんに抱かれて彼は旅立った。
ヒロコさんは、ナナの最期と同じように、ありったけのドライフラワーでやまちゃんを包んだ。
僕らは、うろたえた。またしてもうろたえた。苦しめた。水を飲めなくなったやまちゃんの生命を、現代医療に賭けた。やまちゃんは、僕らを責めることなくすべてを受け入れ、一か月闘病して旅立った。
彼の魂の安らかなることをひたすら願っている。運命に抗わせたことを謝りながら、願っている。
願う以外を僕らは知らない。