parsleyな日々

ちょっくら移ってみました。

取り急ぎ告知

2005年09月23日 | Weblog
 師匠の二枚落ち本発売イベントがあります。なかなか大胆なことしますな。
 この本は下手だけじゃなく上手が読んでも参考になること間違いなし。

 告知では二枚落ち50面指しとありますが、実際は別の駒落ち(もしくは平手)で挑んでもオッケーでしょう。だって、なんにせよ本を買ってもらった方がいいに決まってますから。諸々、詳しいことは上のリンクから将棋連盟に問い合わせてみてください。

 さ、50人がかりで所司七段をボッコボコにしてあげましょう。まあ師匠は嬉しい悲鳴をあげると思いますが(笑)

ひねもすのたり

2005年09月22日 | Weblog
 のたりかなってね。ここ数日はそんな感じでした。でもまあとりあえず振り返りますか。

【18日】
 えーと日曜日ですか。まあ僕にとっての日曜日はスロット屋の設定が悪くなる日という認識しかありません。
 「毎日が日曜日」なんて映画もありますけど、勤め人の方々にとっては桃源郷かもしれませんけど、そんなことになったら僕はちょいと困る。というわけでこの日は自宅で原稿書きしてました。たぶん合ってる。

【19日】
 えー、敬老の日。敬う老人と書いて敬老。年を取っても頑固にならず、周りを敬いつつ謙虚に過ごしましょうという日。
 嘘だと思ったら年配の方に聞いてみてください。そして肯定してくれた方を重点的に敬いましょう。つまりはそういうことなんですよ。
 そもそも中国の漢語によると「老」というのは年をとった人を指す言葉じゃなく、優れた人や尊ぶべき人を指すものだと読んだ記憶があります。その伝でいくと敬老ってダブリ感ありあり。そりゃ僕の記憶中枢は梅雨時のチップスターくらいしけっているんで信用できませんけどね。はてさて真偽のほどや如何に?

【20日】
 いつまでも敬老しているわけにはいかない。
 この日は朝からデジキャスの仕事。朝早かったせいか細かいミスを連発してしまい、担当者の方に迷惑をかけてしまった。本当は朝早いせいじゃなく、いつものことなんだけど。
 僕のこの大雑把すぎる性格はこの仕事に向いてないんじゃないかと思った。右も左もわからない奨励会時代から使ってもらっているし愛着はあるんだけども…
 次の仕事場に移動する間も、代わりにこの仕事任せるとしたら誰がいいかなんて考えつつ電車の車両を端から端まで往復するほど反省した。酔っ払いに絡まれている美女は残念ながら見当たらなかった。
 この仕事は面白いし勉強になるから続けたい。△5三銀右とか△5三銀左の右左さえ間違わなければ僕はやっていけるはず。少なくともミスの9割は減る。引とか上とか寄に関しては、仕方ないので得意のヤマカンで凌いでいこう。うん。
 
 そんな事を考えつつ週刊将棋の編集部にお邪魔して、傾向と対策のリサーチのため過去のレディースオープンの観戦記および自戦記にひととおり目を通した。
 量が量だけに、目皿じゃなく軽く流し読む感じで数時間。速読は得意なほうだと思っていたのだけど妙に目が疲れた。こんなに疲れたのはブルーベリー成分が不足していたせいに決まっているので、ブルーベリージャムを買ってから帰宅した。

【21日】
 22日が朝から仕事なので、勢いをつけるために早起きしようと目覚ましを7時にセット。起きたのは16時。どうやったらこうなりますかね。
 あんまりなダメダメぶりに呆れてしまい、呆れついでに某遊技場で閉店まで遊戯。
 まず新台のエヴァを打った。知らなかったんですけど、これってもしかして5号機ですか?コインもちが気持ち悪いほどいい(千円で80Gも回った)のに、ボーナスが気持ちいいほど遠い。ゲーム性もひどいもんで、5号機がみんなこんなんだったらスロットやめようかと思うほど熱くなれなかった。欲しいのはパッション!
 そこでのやりきれない負債は他の機種(太鼓の達人、ジャグラー、ウィニングポストなど)で立ち回って取り返したけれど、なんだかなぁってモヤモヤ気分。向かいのスーパーでブルーベリージャムを塗るための食パンを買ってから帰った。
 
 で、帰ってきてそのまま起きてて午前5時。寝過ごせないなら寝ない定跡というわけです。
 これから風呂入って風呂から出て電車に乗って、目的地に着いてから仮眠をとることにします。

よし書くぞ!

2005年09月18日 | Weblog
 軽く油断していたせいか、日記が日常のペースに追いついていきません。時間の流れとの付き合い方がルーズになっているんでしょうね。とりあえず13日から順に振り返っていきます。

【13日】
 昼に竹橋に行き、週将編集部の内田さんと打ち合わせがてらランチをご馳走になりました。
 「渡辺明物語」は連載開始前から期間が決まっていました。僕は僕なりのペースで進めてきたつもりなんですが、いろいろな人に「あのペースで大丈夫?」と心配してもらったので、もう一度きっちりと見直してみた次第でして。はい大丈夫そうです。
 その後、編集部で原稿を書き、資料を集めたりしているうちに時間は過ぎ、下村竜正さんに誘っていただき内田さんと3人で夕食へ。先輩方の話は勉強になるしモチベーションを高める原動力にもなる。こういう機会を作っていただくのは本当にありがたいこと。吸収して消化して力を付けて、早く納得のいく仕事ができるようになりたいですね。竜正さんご馳走様でした。

【14日】
 次の締め切りまで一週間近くあるこの日は、お預けにしていたことをだいたい全部こなしました。友人に会いに行ったり、気になっていた映画をDVDで観たり、古本屋巡りをしたり、溜まっていた情報誌をチェックしたり。やり残したことといえば…ああスロットだ。

【15日】
 というわけで朝からスロット。
 まず新台の夢夢DX的(推定設定4or6)なものを打ち、+3500枚。スロット演出でオールフルーツが出たのにボーナスが入ってなかった(しかも2回!)のでストック切れと見て台移動。ボーナス後10Gほどで席を立ったら隣のオジサンが「やめるの?座っていい?」と声を掛けてきた。僕は「設定は悪くないですけど、カクカクシカジカでやめます。多分次のボーナスまで相当長くなりますけど…」と丁寧に教えてあげたけれどオジサン「はぽ?」な感じで構わず着席。後で見に行ったら台を殴ってました。言わんこっちゃない。
 次に鬼浜の700Gを打ち、5000円投資でビック2レギュラー1。その間スイカが1回も出なかったので低設定と見て台移動。
 続いて吉宗のモードB濃厚780Gを打ち2000円でビッグ。190Gあたりでレギュラーを引っ掛け、天国ループかと思いきやスルー。まあ少しだけ浮き。
 その後も数台打ち、少し勝ち分を減らしたものの大幅プラスで終了。家賃プラスαくらい勝ちました。これが翌日の展開に繋がるわけです。

【16日】
 日中をのんびり過ごした後、夕方に四ツ谷の「将棋ペンクラブ大賞授与式」へ。前日にスロットを勝って気が大きくなっていたみたいです。
 僕はペンクラブ会員じゃないので一般客として参加。お名前は知っていてもお会いしたことがなかった方々とお話できて大収穫。
 浅川書房の浅川さんに初対面の挨拶をさせてもらったときに、突然図面を見せられて「ここでどう指しますか」と聞かれたのには驚きましたねぇ。僕が自信なさげに「▲○○歩ですか?」と答えたら、「プロ棋士に見せたらほとんどの人がそう答えたんですよ」と褒めていただき大恐縮。いや、まぐれですから。
 あと小暮さんと大貧民の話をしたり、有名人の方々を遠くから眺めたりしているうちに閉式の時間に。プロの先生方もたくさん来式されていて、かなりの盛り上がり。和やかでとても楽しい時間を過ごすことができました。式が終わったところで加賀さんに誘っていただき、2次会にも参加。
 隣に偶然バトルロイヤル風間さんが座られたので少しお話させていただいた。バトルさんが僕のことを知っているわけはないので、多分「この人どなた?」な感じだったんでしょうね(笑)でも気さくに接してもらえたので嬉しかったです。

 四ツ谷の駅でほぼ解散。僕と相崎さんと議長(ぐーてんさん)の3人でこの後どうします的なムードになり、とりあえず新宿あたりに出てから考えますかと歩き出す3人。とりあえず信濃町まで一駅歩き、そこから電車に乗って代々木に出て3次会をしました。手順がおかしいようですが、僕に展開を任せるとたいがいこんな感じになります。
 飲み屋で3時間、カラオケ2時間。飲み屋では僕がいつも通り相崎さんに辛くダメ出しをし(相崎さんより僕の方が学年1つ下なんですけど、偉そうにしているのはいつでも僕。なにしろ生意気盛りですから)、議長さんはまったりと日本酒を飲み続けるという予想通りの展開。ちなみに議長と相崎さんは野球談義に花咲かせていました。相性いいんじゃないのお2人さん(爆)
 カラオケは予想以上にヒートアップ。議長が歌う70年代の曲を僕がほとんど全部一緒に歌ったら、議長ってば「どうしてこんなマイナーな歌知ってるんでしゅか!」と驚きの表情。僕のジュークボックスを侮ってもらっちゃ困りますな。

【17日】
 午前6時に解散して、帰宅後爆烈睡眠。午後5時過ぎに起きたら留守電に仕事の依頼が入っていた。ははぁ、これが俗に言う「果報は寝て待て」ですか。
 ありもので軽く食事をとり、来週火曜締め切りの原稿を半分だけ進めてから、ビールを飲みつつ次の原稿の構想を練る。ミントとかパクチーとか。
 
 

 

不器用なもので

2005年09月14日 | Weblog
 正直言って、ちょっと用事が重なると毎日更新するのが億劫になります。というわけでこうしてまとめ更新になるわけです。
 どうみても僕より忙しい方々が毎日更新しているのを見ると、ああこの人たちは人間のキャパが手合い違いなんだろうなと。まあ性格もあるでしょうけども。

【9日】
 朝9時から10時くらいに自宅に到着。
 人間やればできる。
 歩き疲れて苦しくなったときは、丸山弁護士100キロマラソンに出てきた美人の娘さんのことなどを思い出して頑張った。
 たくさん寝て、風呂に入って本を読み、また寝たら朝だった。

【10日】
 昨日の遅れを取り戻すため作業。オアシが頂ける原稿と、純粋に趣味の原稿、今後のための投資的書き物。
 仕事以外はそこそこ順調に進み、趣味10枚、投資23枚。
 夜、軽く筋肉痛。

【11日】
 この日は渡辺邸で競馬&大貧民。
 某駅で嫁氏、柊氏と待ち合わせて買い物をしてからお宅へ向かう。いつもならタクシーに乗るのだが、天気もいいし歩くことにした。
 僕は両手いっぱい荷物を持ち、嫁氏は荷物より重い柊を抱いて25分。話した内容は、自転車で4時間、居留守、箱根、筋肉、甘いもの、ダイエット、身体年齢31歳、同じく18歳、人類皆いずれ癌、クマバチ(くまんばち)など。

 家に着き、競馬新聞を握り締めている身体年齢31歳氏に歩いてきたことを伝えたら、バカじゃないのって言われた。一緒に歩いてきた身体年齢18歳とともに、むう唸る。柊氏も立ち上がってチョコチョコ歩いて「ダー」。
 昼過ぎに祐介さん夫妻(近所なので自転車)も登場し、すこし競馬をやってから大貧民開始。軽く参加メンバーの棋風を紹介しますか。

・祐介さん…淡々と進めるタイプ。カードが強いときは勝ち、弱いときは
負ける。一度大貧民に落ちると浮上しにくいかも。アルコールが入るまでは、ある程度カードを記憶。

・つくさん…絶対王者。技術、記憶力ともに素晴らしいが、何より勝負根性が絶品。先行抜け出しのシンボリルドルフ型。大貧民からもすぐに復活するため手がつけられない。

・明氏…まだ大貧民経験が浅く、このメンバーではちょっと厳しい。カードの覚え方をマスターすれば一変する可能性あり。

・嫁氏…カードを覚えている様子は微塵もなく、技術的にもまだまだ。それでも戦えているのはゲームセンスのなせる業だろう。得意技は8を出して「ロック!」。

・僕…昔やりこんだので技術はそこそこ。周囲のカードを覚えて後方一気の末脚で勝負するミスターシービー型だが、脚を余してゲーム終了することも多くシンボリルドルフには分が悪い。

 結果はつくさん一人勝ち。強すぎでんがな。僕はやや負けで耐えました。
 午前2時頃、美味しい日本酒を飲みすぎた祐介さんがホリョホリョになっていたため自転車で帰るのが困難に。

祐介さん「よーし帰ろう」
嫁氏  「危ないから朝帰ったほうがいいでしょ」
つくさん「そうさせてもらおうよ」
祐介さん「うーん…じゃあわかった!後藤君とジャンケンして、僕が勝ったら今帰る。後藤君が勝ったら朝帰る」
わたくし「そんなん僕が負けて祐介さんが帰りに何かあったら嫌っすよ」
祐介さん「そうか…じゃあ後藤君とジャンケンして、後藤君が勝ったら今帰る。僕が勝ったら朝…」
つくさん「はいはい、朝帰りましょうね」
祐介さん「うーん…うん」

【12日】
 朝8時くらいに祐介さん夫妻を見送り、僕はしばらく滞在。明氏は翌日対局なので機を見て帰ろうと思ったものの「前日はこうやってのんびりしてるから気にしないでいいよ」。
 結局、昼までのんびりまったり話をして、4人でデニーズでランチした後帰宅。この日はバレーだったけれど自宅作業に手間取り欠席。どうもすみません。
 あまりに苦戦したので、鈴木宗男新党大地代表の美人の娘さんのことなどを思い出して頑張った。

 長くなったので昨日のことは後で書きます。

さらに濃密な、そしてひどく長い

2005年09月10日 | Weblog
 8日。

 昼過ぎに起きてスパゲティを茹で、少しだけ原稿を書いてからシャワーを浴び、一段落したところで三段リーグの経過をを見たら、ちょうど遠山三段が13勝目を挙げキャンセル待ちになったところ。いろいろな感情が湧き上がり、いてもたってもいられなくなって将棋会館に向かった。
 遠山三段とは奨励会入会が同期(女流三人衆が入った年ですね)で、これまで四段になったのは佐々木四段だけ。いま奨励会に残っているのは、高野、遠山、中村裕、伊藤の各三段。
 例会、研究会などでどれだけの局数を指したかわからないくらい指した。対戦成績はそんなに差をつけられなかったと思うけれど、それぞれ急に強くなった時期があり、僕と当たらないところまで一気に上がっただけ。

 新宿で総武線に乗り換えるときにふと、まっつんの「明日は高野君と飲みに行くと思う」という言葉を思い出した。
 高野君はひとつ前の例会で勝ち越しの可能性が無くなり、年齢制限での退会が決まっていた。その日が奨励会だということを忘れていた僕は、急に「高野君決まったらしいよ」と教えられたとき咄嗟には何の話かわからなかった。すぐに気付いたけれど、実感するにはもう少し時間がかかった。
 
 3階の事務室に上がると、机に座って書類を書いている遠山三段の姿。周囲には人だかり。ああ、上がったんだ。少し落ち着いたところで「よかったね、きんちゃん(遠山だから、きんちゃん。ひらがなで書くと変な感じ)」と声を掛けたら、「あ、これはこれは。どうもありがとうございます」。終局直後は大変な騒ぎだったみたいだけど、もういつもの朗らかな彼だった。

 リーグ表を見た。高野君の対局はもう終わっていて、1勝1敗。まっつんに電話してみたものの電波が届かなく繋がらない。とりあえず2階のベンチに座って少しぼんやりしてみた。さて、どうしたもんだろう。
 そこへ駆け足で高崎君が下りてきて、脇目も振らず公衆電話に向かっていった。直後に長岡四段が来て、「これで掛けなよ」と携帯電話を取り出した。公衆電話の前で長岡君の携帯を使って報告の電話をする姿はちょっと滑稽で、でもすごくいい光景。電話が終わったところで話しかけた。
 いつの間にか隣にいた渡辺竜王が高崎新四段に「これからもよろしく」。ちょっと素っ気ない感じもするけれど、これは最高に嬉しい祝辞だろうな思った。

 結局、職員の方に誘っていただいて打ち上げに参加。僕が座ったのは中川、中座両幹事、職員の方お2人、週将の内田記者というテーブル。
 中川七段によると、高野君は2局とも時間いっぱい使って指したそうだ。三段リーグ通算成績は99勝101敗。最後の1局は指し分けに戻せるかどうかが懸かっていて、これを落とした高野君は相当口惜しがったらしい。
 「彼なら何をやってもうまくいく」確信と祈りが混ざったような表情の中川七段は、そう言い終えたとき口を真一文字に結んでいるように見えた。

 だいぶ時間が経ち、トイレから戻ってきたらこちらのテーブルに読売新聞の西條記者が、しばらくすると米長会長が席を移って来られた。そういえば至近距離で米長会長のお話を聞くのは初めてかも。お弟子さんの昇段が本当に嬉しそうで、饒舌に熱心にこれからの将棋界のことを語られていた。あっと驚くようなアイディア、発想の転換。いくつ実現されるか楽しみです。

 代々木で2次会。高崎新四段は帰ったので、ここからは遠山新四段のお祝いといった感じ。ラストオーダーが済んだところで、きんちゃんが来て「時間あまりないけど席替わってもらえる?」。
 移動した先の対面はNHK将棋講座の小暮さん。なるほど、きんちゃんは小暮さんと話せるようにしてくれたのか。
 時間が無かったので少しだけだったけれど、「若いうちは色々やってみた方がいいよ」とアドバイスを頂いた。一応肩書きがフリーライターなのだから本当なら売り込みの大チャンス。でもライターとしてのスタンスを模索している現状では、とてもとてもそんな事は言えない。(いろいろと未熟なもので。スタンスについては近いうちに時間があったら書きます)。そういうのとは別にして、ゆっくりお話を聞かせてもらえる機会があったら嬉しいですね。

 3次会は新宿。高野君と飲んでいた松尾五段、佐々木四段らも合流。高野君は先に帰ったそうだ。
 店に入った時点でほとんど終電が無くなっっているせいか、皆しみじみまったりと昇段おめでとうオーラを出しつつ飲み続けている感じ。僕も隣の行方七段と中村一義のデビューアルバム「金字塔」の話なんかをしながら、まったりまったり飲む。行方さんは酔いつぶれそうで酔いつぶれない達人らしく、高野五段いわく「ナメちゃんはここから先が深い」そうです。師匠の大山十五世名人ばりの粘り腰ですか。僕が「犬と猫」を初めて聴いたときの衝撃を熱く語っていたら、ボソボソと「ぼくとしてぼーくはゆーく」と歌ってくれました(笑)。

 しばらくして解散になり、タクシーで帰る方々を見送ったあと同期の出世頭佐々木と新宿の街を散歩。少しして中村亮四段、奨励会員2人と合流し、さてどうしようかと午前3時の井戸端会議。もう少し飲んでから帰るという4人。わずかに最年長の僕は寄る年波に勝てず、歩いていけるところに住んでいる友人宅に行くことにした。

 友人宅に向かって歩く。生暖かい夜風でもそれなりに気持ちよく、このままどこまでも歩いていけるような気がした。聞いた話だと、飲みの席でも高野君はいつも通りしっかりした感じだったらしい。彼はもともとそういうタイプだし、先が心配ということもあまりない。でも、せめて今日くらいはグデングデンになってるといいなと思ってた。よくわからないけど。
 友人に、やっぱり今日は行かないとメールを送り、スニーカーの紐を結びなおして歩き出した。
 
 

濃厚な一日

2005年09月10日 | Weblog
 7日の話。
 
 原宿でデジキャスの仕事をした後、そういえば今日は新人王戦準決勝の渡辺-伊奈戦があったようなと呟きつつ将棋会館へ。
 2階の自販機前で、階段を降りてくる阿久津五段に遭遇。

ぱ「あ、こんにちは」
阿「どうも。今日は仕事っすか?」
ぱ「いやいや、先生の将棋を見に来ました」
阿「またまたー」
ぱ「で、今日は対局だったの?」

 こういうふざけた挨拶は親しい人にしかできませんね。腹減った飯食いに行こうと唸る阿久津五段をなだめ、2階の研修室テレビで新人王戦を観戦。しばらく阿久津講座を拝聴していると、松尾、宮田両先生の所司門下コンビが登場して宮田作詰将棋の余詰め検討を開始。

阿「さっきこの詰将棋見た某先生が『危ないねー。多分余詰だよ』って言ってたよ」
宮「本当に?どの筋?」
阿「こうやってこうやって…」
宮「それにはこう受けて、難しいけど逃れてると思うんだけど」
阿「でも相当危ないね」
宮「うん、まったく自信ない。」
阿「この筋以外にも、あそこでこういう…」
松「ちょっと待って。さっきの局面もう少し考えさせて」
阿「難しすぎてわからない」
宮「コンピューターに解いてもらいたい(笑)」

 新人王戦を見ながら3時間ほど俊英3人が検討した結論は「どうにか逃れてる。逃れてることが奇跡的」。でも作意に小さな傷があるので、このままどこかに投稿する予定はないらしい。せっかくの名作だし、うまく修正して発表してくれればいいな。

 新人王戦は伊奈五段が優勢だったけれど、急所で判断ミスがあったようで渡辺竜王の逆転勝ち。3人の検討をみっちり聞くことができ(なんちゃって観戦記を書けるくらい濃厚な内容)、久しぶりに将棋を堪能。面白いですね、やっぱり。

 モニターの将棋が終わったのを一区切りに4人で夕食。さっきの新人王戦や詰将棋、数年前の竜王戦本戦の藤井-松尾(相振り飛車)、その年のランキング6組決勝の宮田-阿久津戦の話などをした。その中で印象に残っている話をひとつ。

ぱ「宮田君って一分将棋多いよね」
宮「うん」
阿「でも全然間違えないからすごい」
松「これまで一分将棋で勝ち将棋を負けにしたことある?」
宮「うーん、悪い将棋を大悪手でさらにひどくしたことはあるけど…」
ぱ「秒読みが理由で逆転されたことはないのかー。ほえー」
宮「うーん、うーん」
ぱ「思い出さなきゃ出てこないってだけですごいっしょ」
松「たしかに」
ぱ「普通はたくさんありすぎて絞りきれないもんね」
阿「あ、私のことでしょうか(笑)」
 さすが自称芸人の阿久津号。絶妙なタイミングで一同大爆笑でございました。

 将棋会館に戻り4階の控え室へ。村山四段と中村亮四段の検討を眺めたり談笑していると、感想戦を終えた両対局者が一緒に入ってきた。渡辺竜王は部屋の左端で、村山四段が並べている研究会での将棋を見学。伊奈五段は右端で膝を抱えて座り、格闘技が行われているテレビを眺めている。僕もなんとなく隣に座り、膝を抱えてテレビを眺める。
 数十分後、渡辺竜王は周囲に挨拶してから部屋を出て行った。祐介さんはテレビ画面を見たままで、小さくため息ついて、
「大きい将棋負けちゃったよ後藤君」
「途中はだいぶ良かったですよね」
「うん、優勢だった。あーあ」
 格闘技が終わったところで、能さん、祐介さん、まっつんと一緒に会館を後にした。家が近いお三方は地元で軽く飲むらしい。誘ってもらったけれど、一人だけ家が遠い僕に気を使ってもらったら申し訳ないなと思い冷静に帰宅しました。
 でも優秀メンツ飲みを逃したのはやっぱり痛恨。早めに引っ越ししなきゃ勿体ないですね。
 



気の緩みってば

2005年09月05日 | Weblog
 ここ数日はほとんど仕事もせずに寝てばかりいました。もしくは新しい携帯の機能をひと通り試したり、日がな携帯ゲームの大富豪をやったりしていました。
 そんな調子で急に気が向いて原稿を書いてみても、ほんと全く全然ビタ一文皆目進まないんですね。ジャンルはなんにせよ、日頃の鍛錬を怠ってはいけないんだなあと思いました。なんとか苦労して書き上げたものの、内容的にどうにも納得できない。どうしたものかと悩んでいたら、近所で雷が落ちて停電食ってデータがオール吹っ飛び。いやまあ踏ん切りがついて好都合ではあったんですけど。いやはやすっげ雨でした。四国の水不足は解消されたんですかね。

 そうそう、さっき例のアンケートを書きました。将棋世界の連載のやつです。いろいろと偉そうなことを書いてしまったので記名付き。しかも早々に謝罪付き(笑)
 ああいうアンケートは送ったもの勝ちというか、たとえ考えがまとまらなくても感じたことを書けば反映される可能性があるわけだし、今のちょっと違うなと思えば2度3度送っても構わないんです。だから気軽にチャッチャと書いて、どんどん送信ボタンをクリックしましょう。
 でもあのアンケートは無料のやつだと上限があったような気もするなぁ。ま、いざとなったら有料バージョンに切り替えればいいんだし、やっぱ気にせずビシビシ送信ボタン連打が吉です。(ちなみに答え漏れがあると送信できないので、そこんとこは気をつけましょう)。
 
 
 

中央は新しい携帯さん

2005年09月04日 | Weblog
 これまで使っていた携帯さんの充電器を無くしたので、いやだいやだと思いつつも機種変更に行ってきました。
 これまでの携帯さんはギリギリ総天然色の4年もの。写メールもテレビもラジオもありません。昇竜将棋だってできやしません。
 新しい携帯さんはなぜかキンピカ。これしか色が残ってなかったんです。夜のお仕事仕様みたい。
 4年間のなんちゃらポイントが貯まりに貯まっていたので最新の3Gかんたらも無料。でも分不相応なのでそこそこのやつで我慢しておきました。だってわからんですもん。
 それでも写メール、ビデオ、テレビ(録画可)、FMラジオなどこれまでの携帯さんには無かった機能が付いており、知らず知らずのうちにお金が吸い取られるシステムの車輪になることは間違いなさそうです。

28日のこと

2005年09月03日 | Weblog
 28日の朝、寝てたらなにやら重量感。目を開けたら柊氏と目が合った。もーうとか言いつつ床に置いたら高速ハイハイでおもちゃのとこまで移動し、バスをガーガー走らせ出した。
 明夫妻が前日に「朝はバスで起こされる」と言っていた意味がよくわかりました。でも気合で二度寝。

 数時間後に目を覚ましたらすぐ近くで柊氏と明氏が遊んでいた。ほんとこの2人は仲がいい。そしてうるさい。寝てられないのでボハヨウ言って起きた。

 シャワーを借り、嫁氏に茹でてもらったそうめんを美味しく頂き、明氏と一緒に水道橋へ。
 この日は柳田明さんの結婚お祝い会。時間があったので後楽園ウィンズで新潟記念の馬券を買い、途中で会った上野裕和さんと一緒に会場入り。新郎新婦の気さくな人柄そのままアットホームな雰囲気で、僕も昔お世話になった方にたくさんお会いできて嬉しかったです。
 気さく過ぎて会場の隅で大貧民をしてしまったのはご愛嬌。新婦さんも参加してくれたのでオッケーでしょうかね(笑)
 その大貧民を見ていた柳田さんが「トランプ将棋やりましょう」と言い出し、突然トランプリレー将棋が始まりました。僕は明氏とチーム「所司先生LOVE」を組み、相手は上野さんとドベ橋さんチーム。上野さんが「王手は掛けずに不成が基本だから!」と力説しつつ対局開始。
 我が所司LOVEチームは(そういえば以前、ぱせり氏と明氏は本当に所司先生が好きなんだねーと某氏に言われたことがあった。いろんな意味で否定できません)5一玉、5二桂、4二金型から▲6二香不成(持ち駒に飛車)と詰めろを掛けたものの、その後のヒキが弱く逆転負け。上野さんかなり嬉しそう。
 我々の所司先生への愛を退けた上野ビシ橋チームは、続く新郎新婦チームとの対戦も大逆転勝ちしやがってました。おいおい(笑)チーム名は「空気ヨメネーズ」に決定。
 
 2次会は松尾夫妻や猫君も参加して大盛況。将棋世界の角編集長や詰パラの水上編集長も駆けつけ愛溢れる祝辞。
 でも新郎の「自分が故郷に…」発言のインパクトが強く、もう全部オイシイとこ持っていかれ、女性陣からは悲鳴が上がり、男性陣は開いた口がふさがらないほどの破壊力。和気藹々で楽しい会でした。どうぞ棺入るまでお幸せに☆