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復興カフェ スクラム

東日本大震災の復興支援サイト。

「蒲鉾本舗高政」四代目、高橋正樹さん

2012-02-12 16:20:51 | 日記
◆ 津波で祖父を失いながらも、工場を再生、従業員を新規雇用
    ーー復興に挑む4代目のかまぼこ工場が女川町を救う

     岩瀬大輔が見た被災地の挑戦文:岩瀬 大輔(ライフネット生命副社長)
     「現代ビジネス」2012年01月12日(木)
       http://gendai.ismedia.jp/articles/print/31546

 連休を使って訪れた宮城県女川町にて、事業を通じて復興に取り組む一人の同世代の経営者にお会いしました。女川を代表する特産品、かまぼこを製造販売する創業75年の老舗「蒲鉾本舗高政」。四代目の高橋正樹さんは企画部長を務める1975年生まれの36歳です。

 女川町は約8割の地域が津波に流され、人口1万60人のうち900人強の方々が死亡ないし行方不明になるという、壊滅的な被害を負っています。高橋さん自身、自宅は2階まで浸水し、祖父で先代社長の政一さんを津波で失いました。


 写真撮影筆者 そんななか、同社は奇跡的にも被害を免れました。工場はいくらか損傷を受けたものの、海水は原料が貯蔵された倉庫の数メートル手前で止まり、予定されていた新工場の建設も着工開始が3月15日であったことから生産設備は無事だったそうです。

 震災からしばらくの間は町に物資が届かず、町民は食べるものすらない状況が続きます。しかし、震災前夜の3月10日、この日だけたまたま、高政の冷凍庫にはかまぼこが2万個、タンクには100トンの水が貯蔵されていたそうです。高橋さんたちはこれを皆に歩いて配って回ります。一人一日一個、袋入りの小さなかまぼこしか口にすることはできませんが、それでも人々は大いに救われました。

 しばらくすると物資が届くようになりますが、菓子パンのような甘いものしか届かなかったそうです。しかも、それを二人で一日あたり半分ずつして分け合う、という状況。

 「あったかくて、しょっぱいものが食いてぇ」

 日に日に、弱まっていくお年寄りの姿を見かねた高橋さんは製造機を応急処置で直し、中部電力から緊急電源車両を呼び寄せます。そして地震から9日後には、熱々のかまぼこ10万枚以上を町民に配り始めました。

 「温かいかまぼこを口にして、皆の顔に元気が戻りました。やっぱりかまぼこは、女川のソウルフードなんです」

 あの日から10ヵ月。町はいまだ復興からほど遠く、町内に約40軒あった水産加工場のほとんどが操業できないまま。高橋さんの会社は女川町で唯一、被災前同様の生産量を確保する食品工場として稼働しています。

 支援金や支援物資はずっと続くわけではない。企業が生き続け、雇用を生むことが将来の女川をつくる。そう信じる高橋さんは、仕事がなかった間も従業員を解雇することなく、ずっとお給料を払い続けました。それどころか、震災前に126名だった従業員を178名にまで増やし、2012年3月までにさらに新入社員を10人以上予定しているそうです。

写真撮影筆者「俺、経営者としては失格かも知れませんね。でも、人を1人雇えば、4人を食わせることができますから」

 取り組みは自社の事業運営だけではありません。旧工場を被災企業4社に貸し出し、女川町の産品を販売するサイトを立ち上げ、女川町への観光バスを誘致し、町内産食品の放射能検査をすべて無料で受け付けるなど、復興の先導役になっています。

「おやじには新工場のために借りた16億円は気にするな、俺が一生をかけてでも返すから。いまはすべてを女川町に還元しよう、そう話しています」

 温かい微笑みを見せる一人の同世代の経営者が、人生を懸けて町の復興に取り組んでいる姿に感動するとともに、企業が社会のために果たすべき役割について、深く考えさせられた出会いでした。

 最後に。同社が販売する高級かまぼこはお酒のつまみにぴったりだし、贈り物としても喜ばれること間違いありません。今年は例年よりかまぼこを少しだけ多く食べて、女川町の復興を支援してみませんか? 共感して下さった方は「女川町 高政」でネット検索をして、同社のホームページからかまぼこを取り寄せてみてください。あるいは、一人でも多くの方に高橋さんのことを知って頂けるよう、メディアなどでご紹介ください。

 政治や行政を非難するのではなく、一人一人が自分にできる小さなアクションを取ることで、この国は変わる。私はそう信じています。

 岩瀬大輔(いわせ・だいすけ)
 ライフネット生命保険株式会社代表取締役副社長 1976年埼玉県生まれ。東京大学法学部を卒業。ボストン・コンサルティング・グループ、リップル・ウッドなどを経て、2004年にハーバード・ビジネス・スクールへ留学。日本人としては4人目の「ベイカー・スカラー(上位5%の優等生)」を獲得し、ライフネット生命の創業に関わる。著書に『生命保険のからくり』(文春新書)など。

石巻マルシェ

2012-02-11 17:01:11 | 日記
◆石巻復興プロジェクト ReIshinomaki
http://reishinomaki.net/?tw_p=twt

場所
東京都大田区山王3-1-6 旧鈴木はきもの屋(ウィロード山王商店街)
京浜東北線 「大森駅」西口より徒歩10分

開催日時
毎週土曜日開催
※2012年5月までの期間限定開催
※2011年12月31日はお休み予定

営業時間:10:00~18:00
石巻のつどい(情報交換会):19:00~21:00

どんなことをやっているの?
石巻マルシェには「希望の缶詰」「お味噌」「醤油」「石巻焼きそば」「仙台味噌ホルモン」など、石巻から直送されるたくさんの商品が集められ、東京における石巻への復興支援に関するヒト・モノ・カネ・情報が繋がる拠点になります。
1.ヒトとつながる・・・在京の石巻人、石巻の復興に関心がある方が触れ合う場(石巻のつどいの開催)
2.モノとつながる・・・都内で石巻の商品が買える場(物販+軽飲食)
3.カネでつながる・・・出資者として運営に参加できる場(1口オーナー制度)
4.情報でつながる・・・東京では手に入りにくい石巻の地元誌、フリーペーパー、動画などから情報が得れる場


◆石巻マルシェ  ウィロード山王商店街にオープン
  2011年 11月26日(土)に石巻マルシェが東京大田区大森駅近くにオープンしました。

石巻復興プロジェクトの8割のメンバーが仙台、東京を中心とした石巻市外で日頃は生活をしています。
被災地である石巻を故郷に持っていながら、日常生活において、被災地の生活の厳しさを実感する時間が、あまりにも短い毎日です。

震災の報道が減っていくことからも分かるように、被災地とは直接関係のない人達の関心はどんどん震災から離れていきます。これはどうしようもないことです。
ただ、その様子を知っていながら黙っていることは出来ません。自分たちが声をあげることを止めてしまっては、大勢の人の命を忘れてしまうことになりかねません。残された私たちは、街を元の状態に戻して、更に発展させていかなければなりません。
生まれ育った街が立ち直ろうと頑張っているとき
一緒に生活をしてきた、家族、親戚、友だちが大変なとき
私たちにはいったい何が出来るのだろう?
「後ろめたさ」や「罪滅ぼし」にも似た思いを抱きつつ、今この場、この立場、この状況でしか出来ない、それぞれの復興プロジェクトを実現させていこうと思います。
それぞれの復興プロジェクトは20年以上先まで考えなくてはなりません。
東京には支援の情報が集まります。今、私達が出来ることは、人と人のつがりを作ること、つげたら次は何かの形にして石巻に復興を送ることです。

震災関連ライブラリー(1)

2012-02-11 13:18:23 | 日記
①三陸海岸大津波
 (文春文庫) [文庫]
 吉村 昭


出版社/著者からの内容紹介
明治二十九年、昭和八年、昭和三十五年チリ地震。
人々に悲劇をもたらす大津波はどのようにやってくるのか。前兆、被害、救援の様子を体験者の貴重な証言をもとに再現した震撼の書。

内容(「BOOK」データベースより)
明治29年、昭和8年、そして昭和35年。青森・岩手・宮城の三県にわたる三陸沿岸は三たび大津波に襲われ、人々に悲劇をもたらした。大津波はどのようにやってきたか、生死を分けたのは何だったのか―前兆、被害、救援の様子を体験者の貴重な証言をもとに再現した震撼の著。



東日本大震災の教訓―津波から助かった人の話
  村井 俊治

 [古今書院、単行本] 1800円

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
 昭和14年9月19日生まれ。東京都出身。工学博士。現職、日本測量協会会長。昭和38年東京大学工学部土木工学科卒業。昭和46年東京大学生産技術研究所助教授。昭和58年東京大学生産技術研究所教授。平成12年、東京大学定年退職、東京大学名誉教授。1992年~1996年、国際写真測量・リモートセンシング学会(ISPRS)会長。1992~1995年および1997年~1999年、アジア工科大学(AIT)教授。1997年、タイ国白象褒章勲二等受章。1998年、スイス連邦工科大学(ETH)名誉博士。2006年、「人とわざわい~持続的幸福へのメッセージ」(SBB社発行)編集委員長。特許、「地震・火山噴火予知」(特許番号三七六三一三〇号、2006年、環境地質研究所と共願)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


③ 大震災のなかで 私たちは何をすべきか
  内橋 克人 (編集)
  (岩波新書) [新書}


内容紹介
 この大震災は、何を問いかけているのか。大きな悲しみや苦しみ、喪失感のなかで新しい歩みを始めてゆかねばならない被災者・被災地に、私たちはどう向き合い、これからどんな支援をしていったらよいのだろうか。現地で活動を続ける医師やボランティアをはじめ、作家や学者ら33名がそれぞれの思いと考えをつづる。
内容(「BOOK」データベースより)
二〇一一年三月一一日、東日本を襲った大震災は、何を問いかけているのか。大きな悲しみや喪失感のなかで新しい歩みを始めてゆかねばならない被災者・被災地に、私たちはどう向き合い、どんな支援をしていったらよいのだろうか。現地で活動を続けた医師やボランティアをはじめ、作家や学者ら三三名が震災の意味、復興の形をつづる。



④奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」
 中原一歩 (著) (朝日新書) [新書]  


内容紹介
 震災後、延べ10万人というボランティア受け入れを可能にした石巻。力を結集し、いち早く復旧作業にあたるには、従来の常識を覆し、行政と民間団体が連携して「熱意を形にする」仕組みをつくることが必要だった。それを可能にした熱き人間ドラマを描く。

内容(「BOOK」データベースより)
 災害ボランティア活動は、きれい事だけでは済まない。自治体にとって、ときには志願者が負担になることもある。そんな現実のなかで奇跡的な成功例と評された地域―。それが宮城県・石巻市だ。「石巻モデル」を支えた人たちの「決断」と「行動」を明らかにする!行政、NGO、NPO関係者必読の書。



⑤ 6枚の壁新聞 石巻日日新聞・東日本大震災後7日間の記録
  石巻日日新聞社 (編集) 
  角川SSC新書 (角川SSC新書 130) [新書]
 

内容紹介
 2011年3月11日、東日本大震災が起こり、東北地方を大津波
が襲った。宮城県の地域紙・石巻日日新聞社では、輪転機が一部水没。
創刊99年の新聞発行が危機に立たされる中、「電気がなくても、紙とペンはある」と手書きの壁新聞を決意する。
家族・親族の安否もわからない中、記者たちは最前線で取材を繰り広げた。
避難所などに貼り出された壁新聞は、被災者の貴重な情報源となり、人々を励まし続けた。
「伝える使命」とは何か。震災後7日間の記者の姿を追った。



⑥ 前へ!―東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録
  麻生 幾 (著)
  新潮社(単行本)
 1500円

出版社/著者からの内容紹介
「本日午後10時20分、2号機メルトダウンの予想!」
「全部隊、第一原発から100キロ以上退避準備!」
 悪夢へのカウントダウンを止めるべく、彼らは立ち上がった----。
高レベルの放射線が降り注ぐ中、暑さで曇ったゴーグルとマスクを投げ捨て、原発への放水を成し遂げた自衛隊員がいた。
 ある隊員は「死ぬなら自分のような独身者が」と原発行きを志願した----。
国交省・東北地方整備局率いる決死部隊は、被災地を目指す救助隊の先陣を切り、瓦礫と遺体で埋まる基幹道路と格闘し続けた。
 警視庁機動隊、東京消防庁ハイパーレスキュー隊、災害派遣医療チーム、福島県警察本部......
失態を繰り返す官邸、東電をよそに、命を賭けて黙々と未曾有の危機に対峙した、名もなき戦士たちの壮絶なる記録!

内容(「BOOK」データベースより)
 放射線が降り注ぐ中、暑さで曇ったゴーグルとマスクを投げ捨て、原発への放水を成し遂げた自衛隊員がいた。ある隊員は「死ぬなら自分のような独身者が」と原発行きを志願した―。国交省・東北地方整備局の決死部隊は、被災地を目指す救助隊のため、ガレキと遺体で埋まる基幹道路と格闘し続けた。警視庁機動隊、ハイパーレスキュー隊、災害派遣医療チーム(DMAT)…未曾有の危機に命をかけて対峙した、名もなき戦士たちの知られざる記録。

音楽の力

2012-02-10 11:08:54 | 日記
東日本大震災音の絆チャリティ・コンサート
バッハの後継者、支援活動のため来日
J.ヴォルフ作曲「東北レクエム」初演!

3/2(金)pm7:00
ホーリネス淀橋教会
JR総武線:大久保駅1分

オルガン演奏:ユルゲン・ヴォルフ…バッハ:オルガントッカータ ニ短調
ヴァイオリン演奏:斎藤アンジュ玉藻…バッハ:シャコンヌ、G線上のアリア
J.ヴォルフ:東北レクイエム(初演)

合 唱:グレイス合唱団…ユルゲン・ヴォルフ氏の指揮で歌います!

#1. クリスマスオラトリオのNo5.コラール
#2.マタイ受難曲の終曲
#3. カンタータ147番No10
#4. カンタータ80番 No1


 東日本大震災復興支援へのチャリチィーのために、ドイツ・ライプチィヒの聖ニコライ教会カントール(バッハから17代目)ユルゲン・ヴォルフが《東北レクイエム》を作曲、献呈されたヴァイオリニスト斎藤アンジュ玉藻が初演する。彼女はドイツをはじめヨーロッパで高く評価され、大活躍中の逸材だ。その二人から「グレイス合唱団と共演したい。是非、バッハの音楽を歌って欲しい」と、日ごろの公演趣旨に賛同して出演の申し出があったという。

 グレイス合唱団は1999年4月に、2000年祝祭「メサイアを歌う会」として発足した。その後の活動は、下記のHPでご覧いただけるが、「昨年9月に、ドイツからの新進気鋭の合奏団と共催した《日独修好150周年記念・チャリチィー・コンサート》を終えて、今後はじっくりと、バッハの大曲《クリスマス・オラトリオ》に取り組もうと念じていた矢先、今回のコンサートへの出演招聘を受けました」と園山繁俊団長。 

 斎藤アンジュ玉藻は、2004年ドイツライプツィヒ「インターナショナルゾリステンシリースに最年少で抜櫂。大型新人としてヨーロッパの一流オーケストラとの共演、各地でのリサイタル、テレビ、ラジオ出演を始める。日本人ヴァイオリニストとして初めてドイツのバッハフェストに招聘され、確固たる地位を築いた。ザルツプルグ音楽祭 フランスのブルゴーニュ音楽祭、 ドイツコンチェルトツアー、オーストリア・スロバキアコンチェルトツアー、テレビ ラジオ出演、エジプトピラミッド前の国際交流コンサートなど、各国での文化交流に貢献している。

 今回の共演は昨年6月ライプツィヒで行われたバッハフェストで「ヴォルフさんと共演させていただいたのがきっかけで、彼が東北の事を大変心配してくれました。京都から預かってきた比叡山の声明を見せると、この声明を元にレクイエムを作曲しよう、という話になりました」


 アンジュ玉藻さんが小学生の時に愛する父親を失った時、深い悲しみと絶望の中から救ってくれたのは周りの多くの人々を通して素晴しい音楽と出会ったことだった。…音楽によって、奇跡的に生きるエネルギーを与えられたという。そして昨年の東日本大震災。「一瞬にして、お父さん、お母さん、兄弟姉妹、友人…を奪われて、未来への希望も夢も全てを一瞬にして失ってしまった多くの悲しむ子供たち。それを見て、今度は自分が生きる勇気と希望を、この子供たちに与えてあげる番だと思いました。私はこの子たちが大人になるまで、今後10年は音楽で支援を続けていきたい」と力強く語った。

《東北レクイエム》は無伴奏のヴァオリン独奏曲で、以下の5つの曲からなる。
1.永遠の緑の大地のために
2.入り江の岩たちのざわめき
3.さまよえる魂のために
4.子を残して去った悲しみの親の魂のために
5.世界各国からの慈愛の眼差し

 「大変美しい曲で,京都の比叡山でも3月7日奉納されます。仏教の声明から始まり、キリスト教形式のレクイエムに繋がる、正に宗教を超えて鎮魂を願うという曲です」

主催:音の絆 実行委員会 共催 東北チャリティーコンサート実行委員会
協力:アンジュを支援する会 ピュアーアイズ スタジオTO2音楽院
http://www.studio-to2.com 
後援:ウェスレアン・ホーリネス教団 淀橋教会 ユーロピアノ株式会社       
問合せ・申込み:東北チャリティーコンサート実行委員会 Tel:03-3399-0184
 3,000円    studio-to2@nifty.com 


震災孤児支援

2012-02-09 10:53:16 | 日記
生きていく:震災遺児は今 
ノルウェーの海運会社、石巻市に奨学金寄贈 
7年間、中3・高3の遺児対象 /宮城

  毎日新聞 2月8日(水)11時48分配信
  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120208-00000060-mailo-l04


 世界最大級の海運会社、ノルウェーのギアバルク社のクリスチャン・イシブセン会長が7日、石巻市教育委員会を訪れ、東日本大震災で親を亡くした遺児や孤児となった市立中高生の進学や就職を支援する奨学金の寄贈調印式を行った。
 奨学金には同社の創設者の名を冠にして創設されたKGJ基金を活用。同社の船が長年、日本製紙石巻工場の製紙用パルプ海上輸送で石巻工業港に入港してきた縁で、同港の荷役業者を介して同市に支援を申し入れた。
 この日、KGJ基金の理事長も務めるイシブセン会長は境直彦教育長と奨学金寄贈の覚書に調印したほか、市立石巻小と同住吉小の2校に電子黒板各6台を寄贈した。
 奨学金の対象は市立中学3年と高校3年の遺児ら。進学や就職、大学進学準備のための給付金として1人30万円が贈られる。給付は新年度から7年間の予定で、市教委によると初年度の対象者は中学3年生22人、市立高3年生は5人。【石川忠雄】


希望新聞:東日本大震災 まごころ奨学金 
 将来を切り開く糧に NPO、寄付募る
 毎日新聞 2012年2月7日 東京朝刊


 親元を離れて春に新生活を始める被災地の子どもたちを応援しようと、復興支援を続けるNPO法人遠野まごころネット(岩手県遠野市)が、「まごころサンタ基金奨学金」を創設した。同NPOは「被災地の子どもたちに将来への道をひらいてほしい」と基金への寄付を求めている。

 奨学金は、昨年12月に実施した「サンタが100人やってきた!」プロジェクトで寄せられた寄付の余り411万円が原資。現在は小規模な基金であるため、最初の奨学生は活動でゆかりの深い岩手県大槌町在住者に限り、大学や短大、専門学校などに進学する40人を募集する。1人10万円を支援し、返還義務はない。今後、基金への寄付の集まり具合にあわせて、対象地域や金額を拡大していく。

 被災地では、経済的な理由で進学をあきらめたり学業に専念できないケースが少なくない。同NPOのメンバーは、仮設住宅に住む女子高生から、「春から働きながら埼玉県内の学校に通う。同級生は2割くらいが進路をあきらめなければいけなくなっている」と聞いたという。

 基金への寄付は、岩手銀行遠野支店、普通2046338、口座名「トクヒ)トオノマゴコロネット」まで。奨学金への応募や問い合わせは同NPO電話0198・62・1001。【稲田佳代】