頭にしかと入れておかねばならないのは、新しい秩序を打ち立てるといことくらいむずかしい事業はないということである。(中略)なぜなら実行者は、現体制かで甘い汁を吸っていた人々全てを敵に回すだけでなく、新体制になればトクをするであろう人々からも、生ぬるい支持しか期待できないものだからである。この生ぬるさは、ふたつの原因から生まれる。第一は、現体制を謳歌している人々に対する恐怖感であり、第二は異例の新しき事への不信感によるものだ。
マキアヴェッリ語録 塩野七生:著 「君主論」より
なにごとにも最初はある。従来との決別があるさなかを、指導すべき存在は期待半分、様子見半分で値踏みを格下の存在からも生意気にも強いられる。その刹那に全体を俯瞰(ふかん)で「見極める」裁量を、自分に付与できる人は稀でしょう。
それだけに事前にこうした事例溢れる歴史史観からの警告に耳を貸すべきです。「既に利得を得た者」の執着は、「なくなるかもしれない」という恐怖の裏打ちから逃れられない。新規の輩からは積極的な助力が請えない上に、「生ぬるい支持」しか期待できないそうである。まずここまでなら、事前に肚に据えておける項目ではないか。
生ぬるさの発生は、「新しい秩序」が来たせいで発生したのであり、因果関係がある。平易に切り捨てたり、見過ごしてたりすると、上述のように「既得権益の喪失」に実体以上の怨恨を囲いかねない事実に、市井の心情は簡単に参ってしまう事を、この言葉たちから肚(はら)に入れておくべきだ。
頭にではない。肚の方にだ。理屈で覚えておくのは良くない。