黒パンダ団 港街支部

掌動などフィギュアのブログです。
旅や酒場放浪記も時々あります。
人生七転八倒。

SHODO仮面ライダー 「wとガラガンダ」& 映画『銀魂』感想

2017-07-19 | 日記


 マウスの調子が悪いので買い換えに行っただけなのに・・・
 都会はコワイところじゃあ




 ということでSHODO仮面ライダーVS6買ってしまいました。
 ですが、夏は無職のワタシ、必要最小限のみ!
 


 ↑ひ、必要・・・



 いや、仮面ライダーWは事情があったのです(ベースはオモチャ箱から発掘)



 ガラガンダは・・・

 ※あまりの暑さに、撮影時には気付きませんでした。
  なんじゃ、この写真は!!!!気付かないっておかしいだろ!!!



 左から「ガチャポンHG」使用ミクロマン改造 今回買ったSHODOガラガンダ ミニソフビ改造
 右手のムチだかシッポだかにまでモールドが入っているのがすごいぞー



 SHODOガラガンダは首が動かないのが唯一のアレなんですが、蛇の眼が睨んでくるヨー



「いやいや、21世紀の今頃、ショッカー怪人がミクロマンサイズで補給されるなんて夢のようだ」
「あの・・・戦闘員は?」
 影も形もありませんでしたー。みんな量産型とか戦闘員とか好きすぎるだろ♪



 正座も出来ます。出来てどうする。正座する。



仮面ライダーW
シリーズ初となる「2人で1人の仮面ライダー」2人が同時に変身ベルトを装着することで1人のライダーへと変身する。
変身するのは桐山漣と菅田将暉で、OPのクレジットでは横並びで表示される。
サイクロンジョーカーは、グリーンの右半身は仮面ライダー新1号、黒色の左半身は仮面ライダーBLACKを意識して設定された



ということで、食玩ミニソフビをミクロマンに貼り付けたウチのW・・・アカンかった~

何がアカンかというとWはスマートな(シンプル)なイメージなのに、貼り付ける改造方法では
特に脚が違う、とずっと「何とかならんか、ならんなぁ」と悩んでいたのです。ところが



SHODO仮面ライダーWは素晴らしい!! となりのHGガチャポン改造と並べると小さめだなぁ



アングルを変えて、と。

・・・・仮面ライダーW関連のミクロマン改造、他にもあったような(記憶力がもう、ね)



 ナスカ・ドーパント 



 R・ナスカドーパント

 どちらもHGガチャポンで出てくれてうれしかった~ どちらかはコンビニで売っていたような記憶。



 で、この夫婦は仲が良かったのか?? ←ちゃんと見てないとバレる



 ガチャポンを改造に使ったミクロマンは、ちょっと小さめになったのが残念。



 食玩ミニソフビはミクロマン改造には便利でしたが。その役目は終わったのかなぁ。




 タブー・ドーパントのイメージで。
 女性の上半身と芋虫のような下半身を持つ赤いドーパント。目元に眼球がなく、下半身の先端に単眼がある。
 名前の「タブー」とは、冴子自身の「目的のためなら手段を選ばない」という行動心理も意味している。



 よくわからん。当時も(今も)てきとーに作っていますので



 かわいらしい顔バージョン。だって、このお姉さんも悪い人ではなかったような・・・



 クレイドール・ドーパントのイメージで。
 左手からは黄色い重力エネルギー弾を連射し、右手からは重力波によって威力を増した重いパンチ。
 また粉々に砕かれても破片が自動的に再結合し、復元される高い再生能力を持ち、この状態では死ぬことはない。



 ということで、家族写真。



 テラー・ドーパント

 頭部のテラークラウンの表面部分から遠隔自動操縦魔竜・テラードラゴン出現させて敵を圧倒する。

 顔の下半分を金色に塗らなきゃ、と思いつつ幾星霜。



「あの家族、ヤバイよね」
「うん、ヤバイヤバイ」
「ヤバイなぁ」

 アホ3人の会話や。



 あれ、思ったより「W」のミクロマンがあってビックリ。

 

 これまでがんばった「W」は改造の素体へ。

 まさか仮面ライダーWが後に新八になろうとは・・・


 以下、映画『銀魂』を見て思ったことです。覚え書き??
 
 この下に画像はいっさいありません、

 思ったことを列挙しているつまんない文字ばっかりですので、ミクロマン好きは違うところへGO!




 映画『銀魂』の感想文 のはずだったんだけどねぇ

なんか、「銀魂」感想を続けて読まされまして。
自分も思っていることいくつかあったんで、
自分のブログなら良かろうと徒然ってみます。


※ワタシは読書感想文反対派です。それも穏健派ではなく強硬派。
 あんなもののせいで読書嫌いが推進されていると常々主張していますが
 「感想文書きたいんや」という人には全力で助力する次第です。
 感想文好きという酔狂な存在は、絶滅危惧種…と思っていたのですが
 どうも、みなさん、感想文を書きたくて仕方ないのかぁ?

 ↑:冒頭から脱線するという読書感想文のダメパターン

さてまずは、ワタシの青春の1ページ。
中学3年生。ある日の放課後でした。
なぜか、教室に残って雑談していた男女数人。
女の子の1人が、なにげなく唐突にワタシに尋ねました。
「将来どんな人生がいいって思ってる?」
しばし悩むワタシ・・・・いや即答だったかも。

「本とバレーボールで御飯が食べられたらいいんだけどなー」

当時はバレー部で青春していましたから。マジでマジで。
ところが、尋ねた女の子の返しが優秀でした。

「へぇ~。ふつう御飯はお箸で食べるんだけどね。」

あ、そうだ、この切り返しが見事すぎて、記憶に残っているんだった。


それから10数年・・・15年だ。
バレーボールの経験があるなら、と急に監督をさせられることに。
(能ある鷹は爪を隠す、っていうのはバレたら仕事が増えるから秘しておけという
 意味ですね。能あるかどうかはともかく、自分の過去を開陳して良いことは少ない
 ですよねー…)

仕事を終えて、真っ暗闇の体育館に入る。非常灯をスイッチオン。
倉庫からボールが詰まったケージを押してバレーコートのラインあたりに立つ。
ネットは張っていないけれど、高さは、まぁ、だいたいわかる。
「15年か・・・」
とつぶやいたかどうかは覚えていないけど身体を半身に構え左手でトスを上げる。
トスの高さや速さを考えたりする間もなかった。
自然に、そう身体が流れるように動いた。
はじっこだけどバレーボーラーだった自分。
当時はバレーボーラーなんて言葉なかったけどね。
1年生の秋からずっとレギュラー。うん、強豪校ではなかった。むしろ弱かった。
でも試合でゼッタイに外したらアカン場面、そこで使っていたドライブサーブ。
ボールが縦に回転することで、アウトギリギリのエンドライン辺りに落ちる、
別名ションベンサーブ(←中学生のネーミングってヒドいなぁ)
そのサーブが、きれいにエンドライン辺りに決まる。
トントントン…と薄暗い体育館の壁に向けてボールが弾み転がっていく。
「えっ? いい感じに入った…」
ボールも良く回っていた。
いやその前の段階、掌の中央に気持ちよくヒットして、掌全体がジンジンする、
懐かしい感触。芯に当たったという満足感。
なんで打てたのだろう??身体が動いたのだろう?
もう一球打ってみよう。あ、また入った・・・。

素直に、そして心の奥底から「人間ってすごいー」と感心しました。
一生懸命に時間をかけて、身体で覚えたことは、身体に染み込んでいると実感。

後に覚えたジャンプしないフローターサーブは身体が思い出すには半年以上かかった

けれど、ドライブサーブとブロックのタイミングだけは身体の奥底からすぐに
浮上してきた。口では説明できないタイミングと身体の動かし方を、自分の身体は
ちゃんと残していた。筋肉はなくなっても身体の記憶は消え去ることはないのか。
人の身体の不思議。

そして自分がほんとーに省力型バレーボーラーだったと納得。

教訓
「三つ子の魂百まで。」(3人そろって生まれてきたら100歳まで長生きする)
「スズメ百まで踊り忘れず」(雀という鳥は鳥類最高クラスの長命なのだよ)


坂田さんが紅桜との戦いの過程で「成長」したのではなく「昔の自分を思い出した」
という場面(声のデカイ人の独白)がありましたが、あのくだりはマンガで初めて
みたときからワタシは膝を打っていたのです。
で、映画でまた見て(←見せられて? 何度目だろう)考えました。
坂田さんは、ある程度は算段があったんじゃあないかな、と。

人間が闘っている過程で急に成長する・・・
そんなことはない、とは言い切りません。(二重否定は肯定ペンギン)
「この試合で技術がぐんと伸びた」「練習では出来なかった力が発揮された」
って経験は自分でもあります。監督として見せられたことは数えきれません。
でもそれって試合前に(戦う前に)計算に入れるべきではないです。
伸びシロの方向性も範囲も未知の領域を考慮して戦いに臨むことは出来ません。
戦う者が「戦闘中にオレは伸びるから」とか思っていたらバカです。
「こいつらは練習よりも試合の方が強い」←アホ指導者。ところが居るんだよなぁ。

自分の手元にあるカードを見て、その手札でどうすれば勝てるか、
もしくは負けずにドローに出来るか 
その見極めが勝負の肝だと思います。それが当たり前にできるのが大人。
(あー早く大人になりたい)

坂田さんは汚れた大人です。(異論はカモン)
坂田さんならば、自分の実力(攘夷戦争の頃をピークと設定か?)をきちんと頭に
描いて

「このあいだは腹をブッ刺されたけれど、やりようによったら戦うことも
 なんとか出来るよな」

くらいは考えていたでしょう。
過大評価ですか?
でも良くも悪くも先が見えてしまう、先を考えてしまうのが大人ですよね。
無心で、とか童心のように、って言葉は、それを行うことがが難しいから、
頻繁に使われるフレーズでしょう。

…坂田さんが『たとえ勝てなくてもオレは行くぜ』とは考え難い。言うマイマイ。

大人は自分の体力の限界も考えずに銀魂展に行ったりはしない。←誰?
財布の限界まで映画館でグッズを買ったりもしない。←誰?

自分の力なら紅桜ともなんとか戦えるだろう。
それでなお、

「でも~出来たら~楽に勝ちたいじゃん。痛いのいやだし。信長の2倍くらい存命したいし」
 ↑名言アル。それでこそ主人公アル。

布団で寝ていたとき「新八と神楽は?」「ちょっとおつかいに」と2人の不在を知ったから、
仕方なく戦いに出向いた万事屋の主。(管理職のカガミ)
・・・でも死ぬつもりはさらさらないハズ。

「あ~最悪でも、逃げ出すことくらいは出来っだろ。勝利条件の1番は2人抱えて
 とんずらコクことだな。次に声のデカイ人を殴りつけて…」

くらいのどんぶり勘定はしてたでしょう。ならやっぱモビルスーツ借りたかったなぁ~


そんな坂田さんの力。その剣術の基本を仕込んでいたのが吉田松陽先生。


ワタクシそういうお仕事をしていた(る?)ため、時々使う言葉があります。

【学校の授業なんて10年も経ったら忘れてしまうもんだ。
 10年経っても残っていることがあったら、それこそが教育だ。】

このあと「教科の授業よりも先生の雑談の方が長く記憶に残ったりするやんかー」
と続くのですが・・・

吉田松陽さんは元ネタから見てもすごい教育者です。
今回の映画の剣劇シーンを見てると、吉田松陽が3人に教えたのは
剣術ではなく「人の殺し方」語弊があれば「人の倒し方」「自分が生き残る方法」
「殺り方」でいいような気もします。

「手元にマシンガンがあるならば、剣よりもアームストロング砲を使え!」

とか教えてそう。あ、真選組に実践者がいるじゃん。


【十代後半、二十歳くらいまでに「自分はこういう風に生きよう」と考えたら
 だいたいそんな人生を生きるみたいだよ。(自分調べ)
 だから、機会があったら「こんな風に生きよう」と考えるのもいいと思う。】

これも、ワタシがときどき使う謎の文章です。


坂田さんと高杉さんと桂さんの3人は「自分は将来…」と考える時間を奪われました。
導く人と学び舎を失いました。未来予想図という甘美な文言を持てなかった人たちです。

若い頃に熱中したことを、年齢を重ねてなお出来る人って素晴らしいです。
職場にワタシより年長なのにいまだにバイクで旅をしているがいます。
素直に尊敬できる人です。ママさんバレーや油絵を続けている人もいます。脱帽です。
(ヅラじゃないカツラだ。)
皆さん「ずっと趣味続けているだけ」って謙遜されますが、うらやましいです。

では
「若い頃に情熱を注いだことから一歩も脱せない人」
は、いかがなものでしょう。
  ああ耳が痛い、痛い~中耳炎かなぁ。バンドエイド白十字持ってきて~
  ↑文字文章を眼で見ているのに耳が痛いって表現するのはなんで?

3人は趣味どころか攘夷戦争に命と青春を注ぎ、その後の人生そのものも投げ込みました。
そう3人のうち2人は今もなお攘夷志士です。
あの日あの頃の立ち位置から一歩も前進していません。
倒幕も天人追放(攘夷)も容易ではない。その位置から進めないのは当然です。
ですが、進まないのか、進めないのか。

「あいつはダメだ」「何もかわっていない」2人にそう見られている人だけが、
過去の自分は身体の奥底に残したまま「しゃあないなぁ」と今回の事件に参加しました。
それは仕事として依頼されたから? 涙にほだされたから?

現在進行形の攘夷志士、桂さんも高杉さんも、坂田さんに戻ってきてほしい気持ちが
あるようです。桂さんは明言しました。
高杉さんも「白夜叉」は戦力としては充分カウントするでしょう。
攘夷を完遂するためには必要な存在。
あの日を取り戻す、そして失われた続きをやり直すためには「白夜叉」がいた方がいい
ですが、吉田松陽先生がいなくなったのに、あの日が還ってくるとは2人も考えていないでしょう。
2人もわかっているはずです。攘夷が適っても、あの日々が戻ることはないと。
それでも血の涙を流しながら戦っていたはずです。
あの日は戻って来ないと理解して、「新しい国のため」と戦った桂さん。
ただブッ壊してやる、と考え(ることで自分で思考停止・感情凍結させていた)高杉さん。
攘夷が叶っても、松下村塾が復興しても・・・・あの日は再開しません。
そんなことは2人は気付いている・・・はず。
狂乱の貴公子も黒いけだものだものも攘夷活動と言いつつ、
ただの意趣返し、遣り切れない感情をぶつけているだけ、だったかもしれません。
・・・それも人の行動原理としては正しい、のかもしれません。
復讐しないと感情が壊れる。
まっとうな精神の持ち主ならば、自分が壊れないように「他者」を壊すしかない

そんな破壊活動中の2人から見れば、
坂田さんは攘夷の心を失い、易きに流れた堕したサムライ。
坂田さんから見れば2人は、破壊の限りを尽くすサムライ。
2人はほっとくしかない・・・ほっとけねえなぁ、あのバカたち。

高杉はこの映画で坂田さんの横に居る2人に気付きます。

桂さんは知っていました。坂田さんが子供の相手をしていることを。
自分が憧れた吉田松陽。先生。あの教科書。教えてくれた存在。
彼が行っていた教育=後進を導く を今現在行っている…万事屋の中心。

並んでいる新八と神楽の2人に高杉さんが放った言葉
「…銀時は、お前らみたいな子供を・・・」
自分の知らなかった坂田さんに高杉さんは気付きました。
「…アイツは何をやってんだ。こんな子供を集めて…」
子供集めて遊んでいる?
その姿は、子供たちの中心にいる吉田松陽と重なる。
「銀時が…!」
高杉さんが抜刀したのは新八と神楽を斬ろうとしたよりも、その後ろで
鼻をほじってる幻を叩っ斬るつもりだったとワタシには見えました。
「お前が先生の真似をするのは10万年早い!」
高杉さんが新八や神楽を本気で斬るとは思えないんだなぁ。
斬りたいのは坂田さんでしょう。

紅桜編の前後、高杉さんより先に「それ」に気付いた桂さんは穏健派となり
攘夷志士たちを守る側になりました。「護るもの」が増えていきます。
桂さんは神楽のことをてらいもなくリーダーと呼んでます。
自分が松下村塾にいた頃と変わらない立ち位置だったと気付いたからでしょう。
桂さんは高杉さんにエリーかぶり物をを斬られた後新八と神楽に

「お前ら傷つけたり失ったりすれば銀時に…本気で殺られる」

と言いましたが「酢昆布1年分」で「スマン、ここは任せる」ってあっさり。
桂さんもまだまだガキということです。うん、神楽をリーダーって呼んでなさい。
ガキがガキを追いかけて・・・ガキがガキを眺めてました。

「桂ぁ、あれ見ろよ。銀時が紅桜とやりあってやがる」

高杉さんは2人の子供を見たあと、自分の周囲を省みたのかもしれません。
伸びしろのない大人たちがただ集まっている。
そんな集まりの中心である自分の行為は焼き畑農業でしかない・・・
賢明な高杉さんはトウに気付いていたでしょう。
ですが、坂田さんの連れて来た子供、それは松下村塾の頃の自分のような2人、
を眼のあたりにして
「ここは自分の居場所ではない」
と改めて突きつけられた気分になったと思います。思え。
いつまで、破壊活動でしかない攘夷活動しているんだ、と桂さんも言葉にします。
それに対して、高杉さんは「自分は壊し続けるしか出来ない」と言い切ります。
もう次の土地へ流れていくしかない。次の土地で、違う世界で、壊して、壊して
壊し続ける。自分も含めて全て焼き尽くしてやる。
全てを破壊する、土を焼く薪にしよう・・・再生の前の破壊。
天人と手を組む、なんてさらさら考えてはいない。
倒幕というウソの旗印を掲げ、天人の懐に入り込んで、一緒に燃え尽きる。
「高杉ぃ、貴様、アマントと手を組んだのか!!」
桂さんは、まだまだガキです。


「しゃあねえ、あいつバカだけど友達だからなぁ。一発ガツンとやらないと。」
 
 
ダダをこねた子供には拳骨落とすしかない。
一番ゲンコツもらった人は知ってます。
はい、ガツンとパイルドライバーを落として見ましたあああぁ。

物理でやられた高杉さんもへらず口で返します。
「お前オレにトドメ刺せるの?」

自分でも押さえられない感情と行動とそれを快刀乱麻してくれるかもという期待。
それをキチンとされたらされたで腹立たしいしなんでアイツにそんないい役を。

あーめんどくさいなぁ。でもヅラのバカは今ひとつワカッテいないみたいだし。
っていうか、オレもよく考えずに戦って、コイツの前に辿り着いただけなんだけどね。

銀時と高杉が戦っているが、まぁアイツラならケガもしないだろうし、ケガしても
すぐに治るだろうから、まぁ、すきなだけ戦わせてやろう。

で、パイルドライバー。

彼らのつながり。同士?同志?友達?
そんな軽い言葉では説明できっこない深く絡み合った混じり合った人間関係。
(原作の神楽編では「家族」って言葉が多用されていますが。うーむ。家族かぁ?)


岡田さんが「今、あの人の横に居るのは俺たちだ」
また子さんの高杉さんへの慕情も「1人は寂しい」か。
フェミの人はわからん。
他の攘夷志士たちの孤独を癒す存在に高杉さんはなるのか。なれるのか。

近藤さんを中心に真選組が集まっているのも結局は「1人は寂しい」

桂さんがエリーや心変わりした攘夷志士たちと楽しく集まって騒いでいるのも。

「1人は寂しい」

そんなあちこちの「寂しい」を寄り集める中心、真ん中にいるのは。
「あいつが一番…」と桂さんが語ったように、彼も寂しい1人のハズ。

新しい、大きくなった松下村塾にいるのは…必要なのは、
大黒柱じゃない、看板でもない、塾頭でもない…もちろん先生ではさらさらない。
…用務員さん? 

学び舎のない松下村塾の用務員さんは、今日も死んだ魚の目で

「あー、楽して生きたい。って子供の頃から思っているのになぁ…」

と鼻をほじっている。


うん、映画の感想は何処に行った??


 文体とか、ですます調とかの推敲は「めんどくせー」(マダオ風に)
 ので、ここで終わります。

 
 最後まで読んだ方、なんで読み続けたの??






 福田組って仲がいいようで、銀魂にぴったりですね。
 第四の壁を壊し慣れているってことで銀魂と相性よかった。





 

 

 












 











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