
今日はいろいろな方からの【贈り物】に感謝する日となった。
その一
「二十世紀梨」
すでに40年(39年目か?)近くになる、大学浪人時代の鳥取の友人から毎年の定期便のように梨をいただく。
今年は春先の低温がたたってTVでも報道されていたが30パーセントも減産だそうでなおかつ粒もいつもより2割くらい小さく感じる。心待ちにしていたのに残念だが自然のご機嫌に逆らうことができないのが農産物の宿命だ。有難くいただくことにする。
同封されていた農園主からのメッセージがなんとなく「悲しい」。

来年の豊作を期待しよう。
さて大学浪人時代のMこと?森下のことを書いておこうか。
彼と始めてあったのは、1971年の春。大学受験に失敗「矢も尽きて」高田馬場にあった「早稲田予備校」の一室。クラス選別試験で隣り合った。少し訛りのあるのんびりとした話し口調の彼であった。こちらは関東平野のスミッコの東武東上線の終点・寄居から約2時間かけて通っている埼玉の田舎もん。なんとなく話しがあって長い間の付き合いが始まった。
互いに目指すのは都の西北「早稲田大学」彼は法学部、私は商学部。結果は残念なことに彼は「白雲なびく駿河台」の明治法学部、私は運よく目指す早稲田大学商学部に進学が決まった。私は2年あまり自宅通学をしたが、彼は当然賄いつきの下宿生活。ご両親は大変だったろうなぁといまの自分を見て、つくづく他人の親とはいえ「感謝」を思わずにはいられない。高度成長期とはいえ、親は大変だった時代だ。ドルショック、オイルショックもこの時代に起きた。
まあ森下が都内に下宿していたので、夜遅くなったときは救援お泊りがなんとも助かった。面白いところにもイロイロと誘ってもらった。二人とも貧乏学生だったので贅沢というものは経験しなかったが、今でも忘れられないのが渋谷道玄坂のストリップ劇場へ二人で足を踏み入れたことか。実は森下にはお目当ての女がいたのか?相当通っていたらしい。こちとら「初体験」のストリップショー。うぶな私は足が震えたもんです。「でべそ」で二人して見上げていた姿は、今でも夢に出てくる。「ほんとかよ!」

続く・・・【書きかけ】です。。。

「二十世紀梨」


同封されていた農園主からのメッセージがなんとなく「悲しい」。


さて大学浪人時代のMこと?森下のことを書いておこうか。
彼と始めてあったのは、1971年の春。大学受験に失敗「矢も尽きて」高田馬場にあった「早稲田予備校」の一室。クラス選別試験で隣り合った。少し訛りのあるのんびりとした話し口調の彼であった。こちらは関東平野のスミッコの東武東上線の終点・寄居から約2時間かけて通っている埼玉の田舎もん。なんとなく話しがあって長い間の付き合いが始まった。
互いに目指すのは都の西北「早稲田大学」彼は法学部、私は商学部。結果は残念なことに彼は「白雲なびく駿河台」の明治法学部、私は運よく目指す早稲田大学商学部に進学が決まった。私は2年あまり自宅通学をしたが、彼は当然賄いつきの下宿生活。ご両親は大変だったろうなぁといまの自分を見て、つくづく他人の親とはいえ「感謝」を思わずにはいられない。高度成長期とはいえ、親は大変だった時代だ。ドルショック、オイルショックもこの時代に起きた。
まあ森下が都内に下宿していたので、夜遅くなったときは救援お泊りがなんとも助かった。面白いところにもイロイロと誘ってもらった。二人とも貧乏学生だったので贅沢というものは経験しなかったが、今でも忘れられないのが渋谷道玄坂のストリップ劇場へ二人で足を踏み入れたことか。実は森下にはお目当ての女がいたのか?相当通っていたらしい。こちとら「初体験」のストリップショー。うぶな私は足が震えたもんです。「でべそ」で二人して見上げていた姿は、今でも夢に出てくる。「ほんとかよ!」

続く・・・【書きかけ】です。。。
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