札幌にいたのは昭和39年(東京オリンピックの年)だった
青函トンネルもなく、青森の埠頭から洞爺丸で函館へ
荒れ狂う海峡、3等座席の畳の上を3つになった次男は
ごろり、ごろりと荷物のように転がっていた。
次の便は欠航、洞爺丸事故のあった年
航空運賃もママならずとうとう一度も東京へは帰れず
この頃は何時も飛行機、始めての青函連絡船
全長53・85キロメートル
海底部・23,30キロメートル
最大水深・140メートル
本州入り口→8分→竜飛駅→5分→最深部→13分→北海道口
全長・26分
青函トンネルに入る
木古内駅から
竜飛海底駅通過
瞬間に写した「竜飛海底駅」観光の時期には止まって降りられるとか
ネットから撮った竜飛海底駅
あっという間に通過!現代の技術に頭が下がる。
あきれた
何処へ行ってるのか家では知らない。
携帯があるから「元気です」と・何時も行き先不明。
あきれた!
いつもそうなの!
だから元気なんだ。
認知症の徘徊じゃなかったんだね!
片足突っ込んだんじゃないかな??
雪で遅れて乗れなくなった新幹線にも、次の次の列車の切符を手に入れて、
ちゃんとご帰還!その日のうちにブログを挙げて・・
まだまだ当分認知症のほうが寄り付きません。