今回の選挙戦は面白かった。
政治に関してのテレビ報道と、ネット情報の質が見比べられるようになるはずだ。
テレビでは初の女性大統領優位、ネット情報では実業家大統領優位。
アメリカ大手ネットワークチャンネルは明らかに偏向報道をする。支持政党やスポンサーに対して好意的な報道をする。アメリカ人がテレビ報道を真に受けないのはそれを知っていて自分が知りたい情報は自分で入手する。もちろん、テレビ情報を真に受ける日本人の様な人もいる。
日本人が良く口にする『テレビで言ってた』は、先進国では珍しき事態。世界的には『テレビではそう言っていたけど、私はそうは思わない。』が普通だ。
今日は益々、日本の報道の質の低さが露呈した。どちらが勝つのを的中させる、と言う話では無い。
日本のテレビ局は女性大統領になる、と言う『前提』で1年半せっせと番組を作って、過激な発言の大統領になるはずが無いと『思い込み』番組を作っていた。
そして当選が決まった今でも、コメンテーターやリポーターは『どうなるんでしょうか?』とまだ『前提と思い込み』から抜け出せない。
はっきり言って、私はどちらが大統領になろうが構わないし、世界が変わるとは思わない。日米同盟も変わらず、全て変わらずだ。国を動かす政治には継続性が伴う。現実的には大変換は出来ないシステムになっている。
それをするなら新しいアメリカ大統領は『独裁者』の部類に入る。大国ではロシア大統領が『独裁者』だ。
さて、本題に戻ると、人間と言うのはどこの国でもある種、そうなるはず、とか、そうに違いない、はたまた、、そんなはずは無い、と言う『予定調和』で生きていると言うよりは生きられないようだ。
人間と言うのは仏教用語の『無常』。何事もいつまでも同じでは無く移ろい行くものだ~と弛い感覚を持つのが嫌いなようだ。であるから、ビックリ、ガックリするわけだ。
そんな人間が作る情報は話し半分で接していたほうが利口だ。
時期アメリカ大統領も過激な所をまんまと意図的に切り取り編集され公共電波と思われない構成で流され続け、女性大統領誕生に加担していた。そこには公平性は無い。
おい、paikajiよ、お前も差別主義者なのか?と思うか方めたいるかも知れませんが、アメリカって国は憲法で男女平等を保障していない数少ない国なんですよ。そんな国で綺麗事を言ってる演説を聞くのが物足り無かったんですよ。
そう言う意味でアメリカは猛烈な差別国家でしょうな。
それを時期大統領が逆手に取って、メディアを利用していた可能性はあるかも知れない。
どちらにしても、アメリカ国民は審判を下した訳ですから、まあ、他の国がとやかく言う話では無いです。
が、日本のテレビはどうも良くない。携わる人間の質なのか、、観る国民のレベルが低いのか、、
暫くは『どうなるんでしょうか?』は流れ続けるだろな。。
日本在住のアメリカ人コメンテーターは女性大統領は厳しくと発言していたのは的を得てましたね、今となれば。
情報は全て正しくは無い。テレビ、ラジオ、ネットを鵜呑みにするのは危険だ。
日本にテレビが普及し出した頃に、日本人が駄目になる、と嘆いた文化人が居た、どうしても思い出せない。。
とにかく、私はたまにしかテレビを観なくなった。本を益々読むようになった。
空想したり思い浮かべたりする時間が増えた。なにより静かになりましたよ。。
ふと。
Paikaji