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芦屋プレシャスカラーズ通信

似合うにこだわったスタイリングのこと、
漢方・薬膳のこと、
衣食住の色のお話などなど…

パーソナルカラーの仕事をしよう! <独立編#6>

2005-11-29 | パーソナルカラーの仕事をしよう
【案ずるより生むが易し】


分厚いマニュアル本と格闘しながらのHP作りが始まりました。

まなじりを決して取り掛かったのですが、まさしく案ずるより生むが易し!

大体マニュアル本というのは、私のような超ド素人にも出来るようにやさしく丁寧に説明してあるもの。

取り掛かる前の不安はまったくの杞憂でした。

ひとつひとつクリアしていく度に、どんどん夢中になってのめりこんでいきました。

おかげで連日寝不足、肌はガザガザ、目の下にはべったりとクマがはりついていましたが・・・

こうして、HPを作る作業上の疑問は結局マニュアル本で全部賄えました。


また、サーバーに関する疑問はプロバイダーへメールで質問攻めにして解決しました。

そのメールを送る際、いつ来るか分からない返信を待つのがどうにももどかしかったので、件名のところに

【緊急で質問します!!!】

のように、沢山届くであろうメールの中でも目立たせる工夫と、とても困っているのですぐ返事が欲しい旨を、せつせつと訴えることを忘れませんでした。

そして、メールの文面も相手に親しみを持ってもらえるように、礼儀正さと自分の個性が出る書き方を心がけました。

そのおかげ(?)かどうか分かりませんが、プログラマーの知識がなかったらとても出来ないようなちょっとしたテクニックも懇切丁寧に教えてくださいました。

あの時のプロバイダー担当者さんから教えていただいた貴重なやりとりは今でもプリントアウトしてとってあります。(感謝・・)




こうして、なんだかんだで1ヶ月ほどでカタチだけはなんとか作り上げました。

自分で作ったHPがインターネット上に現れた瞬間は感動しました~~~






パーソナルカラーの仕事をしよう! <独立編#5>

2005-11-27 | パーソナルカラーの仕事をしよう
【いよいよ自分でHP作り!】


当時、まだブログというものは出現しておらず、HP作成というものはそれなりに手間も隙もかかる、というのが一般的な考えでした。

なぜ、活動を始めて4ヶ月もぐずぐずしていたのかというと、自分自身そんな常識にとらわれていて、

「きっと面倒でややこしくて時間もかかるんだろうな~~~」

と先延ばしにしていました。

実際、子供がまだ手のかかる年齢(4歳)だったので、「これ以上やることが増えたら、一体どうなっちゃうんだろう・・・」という不安がありました。

それから、PCといえばメールとネット閲覧しか使ったことがなかったので、そんな自分にHPなんて作れるのだろうか???という不安も山のよう~にありました。



でも、この不安という壁をぶち壊してくれたのは、又しても

「どうしてもプロとして活動を続けたい!」

という情熱。(ホントに情熱さまさまです)



そして、それまで使っていた容量パンパンの小さなノートパソコンから、最新のノートパソコンへ買い替え、HP作成ソフト(IBMホームページビルダー)と分厚いマニュアル本を手に入れて、決死の覚悟で(!?)取り掛かりました。

というのも、当時私の周りにはHPを作ったことのある人や、ましてやPCに詳しい人は皆無。

頼れるのは自分ひとり!みたいな気持ちで一杯だったのです。




パーソナルカラーの仕事をしよう! <独立編#4>

2005-11-26 | パーソナルカラーの仕事をしよう
【お客様がいなくなって決意したこと】


どこかに広告を打つことも、友人知人以外の不特定多数の人に営業をかけることもしていなければ、あっという間にお客様がいなくなってしまうのは当たり前。当然の成り行きです。

でも、実はまったく営業をしていなかったという訳ではなく、当時先生が発行されていたHTML形式のメルマガに時々、

「北海道地区/パーソナルカラー診断キャンペーン!今ご予約をしてくださった方全員に○○をプレゼント!」 (あの頃は札幌に住んでいました)

のようなカタチでメルマガ誌上に広告を出させていただいていました。

メルマガ読者の方たちに向けてのミニ広告です。

それから、先生が運営されているイメージマネジメントのHPに顔写真つきでTOPページに載せていただいていました。同期で卒業したスクール仲間とともに。

そのサイトへのアクセス数は大変な数でしたので、かなりの営業効果があったと思います。

でも当時、北海道でカラー診断に興味を持って申し込んでくれる人は、首都圏に比べまだまだ少なかったのが実情でした。

「自分でもHPを立ち上げなければ!」

(HPを立ち上げれば先生のように沢山の人が見に来てくれると、当時の私は単純にもそう信じていました。)

スクール期間中にインターネットを使って活動していこうと決めていながら、ぐずぐずと先生のサイトやメルマガにおんぶに抱っこ状態だった私は、この頃になってやっとHP作成に取り掛かろうとしていました。

プロ活動を始めてからもうすでに4ヶ月が過ぎていました。






パーソナルカラーの仕事をしよう! <独立編#3>

2005-11-25 | パーソナルカラーの仕事をしよう
【特別な準備は何もナシ!】


自宅のリビングでインテリアも何も変えずに開業したので、開業にあたり掛かった費用はゼロでした。

もっとも、診断道具はスクール前に調達し、ダイニングテーブルの上に置く鏡や簡単なメイク道具もスクール中に揃えてありました。

これらを教材費として考えれば、まさしくゼロ円スタートだったのです。

スーツのようないわゆる「仕事着」も新しく調達しませんでした。



お金を頂いた最初の仕事を終えたときは感動しました。

「あれもこれも揃えてから始める必要はぜんぜんないんだ!私にもできたっ!」



できることから始める。今できる方法を考える。

このことを一番最初に教えてくれた先生にとても感謝しています。

何回か診断しているうちに「あった方がいいもの」も分かってきます。

最低限の道具と場所があれば、後は少しずつ揃えればいいのです。

その為にも、気心に知れた家族や友人に最初のお客様になってもらうことは、非常に意味があるのです。

私もあの時診断をさせてくれた家族や友人たちに、今でも心から感謝しています。

本当にありがたいと思っています。



さて、一通り家族や友人たちを診断しました。

・・・次は?

ここで早くも立ち止まってしまいました。

そうです。

友人以外への営業活動も広告も何もしていなかったので、お客様がいなくなってしまったのです。








パーソナルカラーの仕事をしよう! <独立編#2>

2005-11-22 | パーソナルカラーの仕事をしよう
【親しい人から診断料をいただく壁】


私の仕事デビューは自宅のリビングで行いました。

といっても、最初のお客様は親しい友人ばかり。

いつも集まってお茶を飲んでいたリビングでいつもの仲間を診断するのですから、カラーアナリストのオフィスらしく特別に何かを飾ったり、家具を移動して広いスペースを確保したりといったことは一切なし。

子供のおもちゃ箱が置いてある傍で、ダイニングテーブルに鏡を置いて診断しました。

そんなお気軽スタイルのデビューでしたが、親しい友人からでもちゃんと自分で決めた正規の料金をいただいていました。

本当に最初の数人は「練習させてね。」と私からお願いしてモデルになってもらったので無料でしましたが、その後はママ友の集まりでおしゃべりのついでに営業して「じゃ、今度診断してね。」と約束を取り付け、料金をいただきました。


デビューしたての頃は、親しい人からなかなかお金をいいただけないものです。

(私はそうでした)

金額を伝えるのも抵抗感でいっぱいです。なんだか悪いことをしているような気持ち・・・

今思えば、自分で自分のサービスに値段をつけるなんてそれまで一度もしたことがなかったし、まだその金額に見合った技術を自分が持っているかという自信もなかったからでしょう。


でも、お金をいただくのがプロとアマチュアの違いですし、きちんとお金をいただくことによって、それ相当(それ以上)の仕事を提供するという責任をしっかりと感じることが次の成長につながると、私の先生に教えていただきました。

そして、この「親しい人から報酬をいただく壁」を乗り越えられたのは、

「この仕事でプロとして活動を続けたい!」

という非常に強い気持ちでした。