(寂光院山門)
南山城の三寺と洛北大原の訪問記。
「八百年(やつももとせ)後に生くれど御鎮まり給へと合わす掌(て)大原陵かな(新作)」
(後鳥羽天皇大原御陵)
「身罷りし際(きわ)に五色の糸を引く女院の力いかにかそけき(新作)」
(寂光院本堂)
「苔生ゆる庵の跡に零るる陽灌頂巻(かんぢょうのまき)浮かぶもあわれ(新作)」
(建礼門院御庵屋跡)
(大原西陵(建礼門院御陵))
(花の道の「朧の清水」)
大原行きの目的は、偏愛?する後鳥羽天皇ゆえ。
後鳥羽帝の即位は三種の神器なきまま。なぜなら、壇之浦で異母兄の安徳天皇ともに海に沈んだからだ。
そして、寂光院は、安徳帝の実母建礼門院徳子の隠遁の地。平家物語の最終・灌頂巻を読んでから出掛けたので惻惻(そくそく)たる思い。
よって、三千院は、付けたし(!)である。されど、往生極楽院の観世音・勢至の両菩薩の「大和座り」には、こちらが恐縮してしまう。
(050922-24)
おわり
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