
桜の花は既に散って新緑が眩しく輝きはじめています。
写真は薄い緑色の御衣黄桜です。桜も気を付けて見ると沢山の種類がありますね。
先日「北の国から」の再放送を見ていました。
当時の私は大学生で、世の中はバブル景気に沸いていた1987年に放送されたお話でした。あの時でさえ初見でも懐かしさを感じる物語は30年以上経過した今では更に追い打ちをかけるように郷愁の塊となって私の心と思い出にぶつかって来るのでした。シリーズ最後の作品が2002年なので今の若者にとってはもはや時代劇みたいな感覚なのではないかしら?と思ったりもしました。
若い思いあう二人が直接言葉を交わすことなく別れるなんて、今風の言葉で言うならばエモいんですよ。この上なくエモい。
圧倒的に美しく雄大で厳しい自然と共に、そこで生きる不器用で実直な家族と取り巻く人達の心情が実に丁寧に描かれていて、いつどんな時に見ても懐かしさを感じる事が出来るようで、長いシリーズの中でどこかで自分自身を投影出来る状況があるのではないかと思いました。
私は黒板五郎さんが子供達を思う真っ直ぐすぎる姿に亡くなった父を重ねていました。いつでも、どんな時でも子供達の味方で温かく見守ってくれるのは父も同じだったな。
父さんに感動していた。
父さん、あなたは素敵です。
という純君のナレーションがあって、いっぱいいっぱい伝えてはいたけれど、もっともっと私が父を思う気持ちを伝えておけば良かったかな、と。お墓参りにも行けてないし、父は夢にも出て来てくれないし、なんだか父に会いたくて寂しくなってしまいました。
年月が流れた今、親目線での新しい視点でも物語を味わっていました。親の幸せと子供の幸せがイコールにならないもどかしさがあるのだけれど。
私自身は日常の何気ない些細な事でも「きっと父なら私にこうしてくれただろう」と思うように子供達に接するようにして来ました。同時に「母にされてとても嫌だった理不尽な事」は子供達にしないように気を付けて来ました。
五郎さんが孫を可愛がる姿も、もうそのまま父の姿のようでした。
私の妊娠が分かった頃に近所にトイザらスが出来る事がニュースになっていました。父は孫が産まれたら一緒にトイザらスへ行って、その店で一番大きなおもちゃを買ってあげるんだ、と楽しそうに話していました。
実際に子供達と一緒にトイザらスへ行った父は本当に一番大きなおもちゃを買いました。店舗から送る事も出来たのに喜ぶ顔が見たいからとレンタカーを借りて巨大なおもちゃを自ら運んでくれました。
娘が産まれた当時、父は50歳でした。まだ若いので「おじいちゃん」とは呼ばれたくないな~、なんて呼んでもらおうかな~とこちらも楽しみに色々と考えていたようです。娘が産まれて病院に駆け付けた父は初孫を抱きながら言いました。
「おじいちゃんだよ~~~」
おじいちゃんって呼ばせないって言っていた父が開口一番泣きながら「おじいちゃん」って言ったのでみんなが笑顔になったのも覚えています。
父が最後に東京に来たのは息子の学園祭のライブを見に来た時でした。中学高校と校風に馴染めずに悩みながら通学していた息子の事を父はとても心配していました。大学のサークルで友人達と楽しそうに笑顔で過ごしている息子の姿を見てとても嬉しそうにしていました。
「良かったな~楽しそうで。本当に良かったな~安心したよ、おじいちゃんも嬉しいな。RYOのギターが一番上手だったね!」
車椅子に乗った父はランチの中華料理を食べながら満足そうでした。
父を安心させてくれた息子には今でも感謝しています。
お父さん、私がお父さんに会えなくなって4年と少しが経ちました。世界は今、大変な事になっています。
お父さんが楽しみにしていた東京オリンピックは2020年には開催されませんでした。国立競技場で陸上競技が見たいって話していたね。
私は群馬にも一年以上帰っていません。こんなに長く帰省出来ないのは初めての事です。もーたんともお散歩に行きたいです。
お父さん、たまには夢に出て来てもらえませんか?麦焼酎とゆかりを用意しておくので、お願いします。