親子eighterはじめました。~母はなにわ男子も嗜みはじめました。~

AmBitiousも応援中!真弓のタケ垣にタケ立て掛けたのはタケ立て掛けたかったからタケ立て掛けたのです。

まだ、こんなに涙が出るのです。

2018-05-08 21:52:35 | 母の日記
今日のありえへん∞世界でメガネ男子の章大君が可愛くて仕方がありませんでした。

マルっとすべてが愛おしいです(*'ω'*)




私のGW

前半はボス家のお墓参り、仏像鑑賞、御朱印巡りをして来ました。

阿弥陀様がとてもいい表情をしておられました。

ここからすぐの所にはキングオブ男のロケ地もあったり、章大君の雑誌のロケ地でもあったりしたので、懐かしいなーと思いました。懐かしいと言えば、黒歴史でもある結婚式場も近くでした。忌々しいのでそちらには行きませんでしたけども(;''∀'')

ツルバラ越しの東京タワーも美しく、銀杏の巨木に癒されました







後半のお出かけは、音楽鑑賞と仏像鑑賞と御朱印巡りでした。

まろやかなピアノとクラリネットの音色に聞きほれました。

その後、国立博物館の平成館で大倉集古館所蔵の普賢菩薩騎象像がが展示されていると聞き、じっくりと眺めて参りました。

一木造りの仏像群も壮観で見応えがありました。

背中がくり抜かれている所も見る事が出来ましたが、仏師が彫刻刀を握りひと彫りひと彫りしている姿が思い浮かびました。

通常展示にあった三十三間堂の三体の仏像が興味深かったです。

それぞれ異なる3つの工房で作られた千手観音がお出ましでした。

お顔の表情ひとつとっても、おでこの形や鼻筋、頬の膨らみ方、唇や様子や耳の形など微妙な違いを比べるのは、とても楽しい時間でした。

体つきも前後左右から何度も見比べてしまいました。


上野はヒルナンデスで横山さんがロケに行った上野 東照宮にも行きました。

透塀の中に綺麗な花屋や鳥を見つけました。

印象的だったのは写真にもある「カマキリ」です。

都会でも森林浴が出来そうな楠の巨木。

新緑が眩しいですね(´ω`*)

東京にある仏像で国宝指定されているのは、先の普賢菩薩騎象像と深大寺の銅像釈迦如来倚像です。

こちらは次の機会にお参りに行こうと思っております。




お出かけの時に、まだ関ジャニ∞の曲を聞けません。

ふっとした時に涙が溢れてしまうのです。所かまわずなので困りものです;つД`)


大倉くんのラジオで流れた「無責任ヒーロー」も布団の中で泣きながら聞きました。

昨日はWSでこの局のMVが公開されました。

まだ複雑です。

覚悟が決まっている時期であろうすばるくんの表情が悔しいかな、とても生き生きしていて、歌声も伸びやかで心を打たれます。

それは関ジャムの「エーデルワイス」にも同じことが言えます。


ライブも楽しみだなーという思いと、すばるくんの声の入った、美しい姿がMVで見る事が出来る、そんなベストアルバムを、一体どういった気持ちで受け取ればいいのか、まだまだ上がって下がってを繰り返してしまうのです。




続きでお兄さん達の事を少しだけ。
やってはいけない事をしてしまった。

それを仕方ないよ、と言う事は出来ないです。

国民の兄貴ともいえる活躍をされて来たグループに対しては、親しみを覚え楽しく番組を見て来ましたので、あの会見は見ていてとても辛かったです。

本人の会見もメンバーの会見も。




今回の事を他人事として捉えられないのは、会見や世間で言われているお酒に関しての問題。今日、たまたま見ていた番組で「アルコール依存症」について取り上げていたのですが、その扱い方が酷く雑で、この問題に対して無知なコメンテイターとMCが笑いながら話していたのに違和感と憤りを覚えました。

少し前に書いた事がありますが、実家のばあ様が抱えていたのもお酒に関しての問題でした。

お酒の問題を抱えた人間を家族として持った経験者です。

とてつもなく大変でした。

嫌な思いしかしませんでした。

暴言も甚だしく傷つく事しかありませんでした。


私が中学生の頃、ばあ様はキッチンドリンカーでした。料理をしながら隠れて飲んでいました。お酒を飲むと極端に怒りっぽくなるので、すぐに分かりました。

高校生の頃も変わらず隠れて飲んでいるのは分かっていましたが、飲まない日もあったので家族の認識は「酒乱」でした。

大学進学で実家を離れて以降は帰省の度に「酒乱」を目の当たりにしていました。嫌だな、お酒を辞めてくれないかなと思い続けて10年位経過した事になります。

キッチンドリンカーだったばあ様の症状が進んだのは、会社を辞めて家にいる時間が長くなった事と親族を病気で亡くした事が原因です。二つの大きな事が時期を同じくして起こったのがお酒に対するブレーキを無くしました。会社に行かなくてもいいし、悲しくて仕方が無いと朝から飲むようになったのです。

それ以降、数年を掛けて少しづつ酒量が増えて行きました。

私がばあ様の明らかな異変に気付き、単なる酒乱ではないなと感じた当時、ばあ様は連続飲酒という段階に入っており、アルコールが切れる状態が無いという生活をしていました。

私としては、お酒の問題を抱えて来たばあ様にはイヤな事しかされていないので、正直もうどうでもいいとさえ思っていました。でも、それではじい様と弟が気の毒だなと、じい様の気持ちを思うと泣けて来たので行動を起こしました。

息子の大学進学が決まって直ぐの頃から毎月必ず実家へ帰り、炊事洗濯などの家事をこなして、何とか母に専門病院へ行ってもらえないかと策を練っていました。

二日酔いどころの話ではなく「三年酔い」でした。そんな状況でも本人は「お酒は飲んでいない!」と言います。

今となっては笑い話になるのですが・・・

お酒の入ったコップを片づける際に、我慢できずに私が嫌みを言った事がありました。その嫌みに対してばあ様は


「もーたんが飲んだんだよ!!」

と怒鳴りました。

これが事実ならスゴイです、もーたん。

キッチンへ行きお酒のパックを出してコップに入れる、それをリビングへ運んで出窓に置いて飲む。

動画サイトにUPしたら物凄い再生回数になりそうです。



ばあ様を専門病院へ連れて行くのに2年掛かりました。

最終的には温泉に行くと嘘をついて連れて行きました。

診察室に入り先生が質問しました。

「今日はお酒は飲んでるの?」

「飲んでません」

専門病院の診察室でも嘘をつくのです。

こういう病気なんです。

「飲んでないの?でもお酒の匂いがするよ~」

「あ・・・少しだけ飲みました」

先生は続けました。

「ここはね、ご本人の意思が無いと入院も出来ないし、お薬も出せないのね。お母さんがどうするかを決めるのね。お酒はどうする?飲む?それとも止めたい?」

「本当は止めたいです」

ばあ様は言葉にならない位に泣きながら答えました。入院だけは断じてしたくないけれど、お薬での治療は受けたいと言ったばあ様。

ようやくスタートラインに到達出来たのだと私は少しだけ安堵したのを覚えています。

ばあ様は投薬治療をしながら3カ月に一度の通院をしていました。途中で一度お酒を飲んでしまい、薬の副作用で死にかけました。その時はとても怖かったらしく、二度とお酒は口にしないと言っていました。

断酒を二年継続した頃にようやく経過観察となり薬の治療は休んでいます。

その後はアルコールは口にしていませんが、時々ノンアルコールは飲んでいるのです。つまりはお酒への欲求は完全には消えていないのです。


ばあ様はお酒を飲まない心身ともに健康な体を取り戻す為に、長い時間が掛かりました。

絶望しか見えなかった時期もありましたが、根気強く諦めずに向き合う事で光が見えてくると思います。

頑張って欲しいと心から願います。