日本キリスト教団 尾鷲教会ブログ

三重県尾鷲市にある、キリスト教会です。
ホーリネスの群れに属しています。
昭和21年1月26日に復興されました。

尾鷲節の変え歌を披露します。

2011年02月27日 | 行事



去年のクリスマス祝会で、「キリスト生誕祝い歌」が披露されました。

教会員のF兄が変え歌作詞、踊りと歌は、U姉です。

尾鷲港をのぞみながらの披露です。ご覧ください。

元歌「尾鷲節」は、以下です。

本唄
「合唱」 ヤサホーラエー ヤサホーラエー
「独唱」 尾鷲うおいとこ 朝日をうけてヨーイソレ
裏で五丈(ごじょ)の 綱を引くノンノーコ サーイサイ
「合唱」 ヤサホーラエー ヤサホーラエー
中唄
「独唱」 中村山のお灯明(とみょ)あげ 国市(くにいち)の 国市さまの夜ごもり
本唄
ままになるなら あの八鬼山(やきやま)を 鍬でならして 通わせる
起きて沖見りゃ 沖ァ白浪の 殿御やらりょか あの中へ
尾鷲長浜(ながはま) 長六(ちょうろく)のかどで 泣いて別れた こともある
ままになる身が 何故儘(なしよまま)ならぬ 儘になる身を 持ちながら
紀州熊野灘 八百八島(やしま) 佐波留(さばる)ちょいと出りゃ 
神だにみ八幡山越え 汐鼻(しおはな)越えて 逢いに来たもの帰さりょか
誰と別れか 長浜わたり 夜明け烏(がらす)が 啼いてゆく
中唄
あの娘(こ)にもろたてんてん手拭を かんかん川端の 柳のこんこん小枝に 引っかけ置いてきた
お前とならば何処までも 奥山の 猿懸茨(さるかけいばら)の中までも


 
ここで、少し解説です。

お祭りや民謡での囃子(はやし)言葉は、日本語では全く意味がチンプンカンプンだが、
古代ヘブライ語では 例えば、
・「ドッコイショ」とは、「蝦夷の残存者を粉砕せよ」と言う意味である。
・三重県尾鷲節の「ノンノコサイサイ ヤサホーラエ オッショコマオンコノケー」とは、
「仇敵はつぎつぎに 徹底的に撃退せられたり 邪悪なるもの降伏せり 汝の居住地の軋轢は除かれたり」
と言う意味である。
・「ハッケーヨイ、ノコッタ」は、「お前撃つべし やっつけろ お前、相手を撃ち負かしたぞ」と言う意味である。
・他にも、「ヨイショ!」は「神が助けてくださる」、「ワッショイ!」は「神が来た」、「ヤーレン ソーラン」は
「神が答えてくださった。見てください。」、「エッサホイサッサ」のエッサは「持ち上げる」という意味のヘブライ語
なのだそうだ。
・そして、あの「ジャンケンポン」が「ジャン(隠して)、ケン(準備)、ポン(来い)」だというのだから、恐れ入る。


 なお、解説で参考にした書籍は、つぎのとおりです。(年号は初版発行年)
 ユダヤと日本「謎の古代史」 1975年 マーヴィン・トケィヤー
 「天皇家とユダヤ人」 1982年 篠原央憲
 出エジプトから日本への道「大和民族はユダヤ人だった」 1984年 ヨセフ・アイデルバーグ
 「ユダヤの世界支配戦略」PART-2 1987年 山蔭基央
 聖書が明かす原日本人のルーツ「古代ユダヤは日本に封印された」 1992年 宇野正美
 「失われた古代ユダヤ王朝「大和」の謎」 2006年 飛鳥昭雄、三神たける
 「驚くほど似ている日本人とユダヤ人」 2008年 エリ・コーヘン


詩編56篇14節

2011年02月27日 | み言葉の輝き☆

 

 

あなたは死からわたしの魂を救い

 突き落とされようとしたわたしの足を救い

 命の光の中に

 神の御前を歩ませてくださいます。」(詩編56篇14節)

 

 

私達一人一人には、神様から与えられた使命があります。

それは、命の光の中を歩むことです。

神様は何度でも私達を救われます。

神様のなさることに無駄はありません。

たとえ涙をながしても、主の最善を信じて、光の中を歩みましょう。


聖くなること

2011年02月10日 | 牧師の書斎から

 

「僕はもっと聖くなりたいんだ」と本音を語ってくださったK君へ。

もうじき、高校卒業ですね。おめでとう。

 

マザー・テレサの言葉の中に「聖性は」を見つけました。

お読みくださいね。

 

        聖性は

限られた人たちの特権ではありません。

   それは、あなたや私にとっての

     単純な務めなのです。

    私は私の生き方をもって

 聖人にならなくてはならないし

    あなたも同様です。

 

     偉大な聖性は、

人を思いやることから始まります。

    もしあなたが、

  この、人を思いやる術を身につけたら、

      あなたはもっともっと

   イエス様に似ていくことでしょう。

   なぜなら、イエス様の心は柔和で、

      いつも他の人のことを

     思いやっていたのですから。

 

・マザー・テレサ 日々のことば 152pより


コーヒータイム

2011年02月05日 | 牧師の書斎から

 

 

 

「牧師の書斎から」というカテゴリーがあるようです。

仕事が一段落ついて、ホットしたとき、

ご一緒にコーヒーブレイクをいかがですか。

 

 

ゴチャゴチャの机の引き出しを整理していたら、一枚のメモが、

その走り書きに目がとまりました。

 

随分前に書いたのですが、素敵な詩ですよね。

ただ、どなたの詩かわかりません。

どなたかご存じだったら教えてね。

 

 

 

「わかって欲しい」

 

気持ちをそのままあらわす事が 苦手なんだよ昔から

はじめにそれだけ話しておくよ 気付いていたかな君は

それでも僕は僕なりに せい一杯思いをこめて

君に心を伝えたい わかって欲しい

 

並んで歩けば枯れ葉の道に 古い笑顔を想い出す

いつもとちがってこんな時には

素直な気分で 君と話せそうだよ

それでも僕は僕なりに 精一杯胸のうちを

君の心に届けたい わかって欲しい

 

ポツリと私も不器用なのと君に言われてホッとした

似た者同士もわるくはないよ

冷たい風さえ 二人のほほにやさしい

 

二人の気持ちが通じ合う。いいですね。ハレルヤ!

(牧師・鈴木恵子)


詩編34編9節

2011年02月05日 | み言葉の輝き☆

 

 味わい、見よ、主の恵み深さを。いかに幸いなことか、御もとに身を寄せる人は。(詩編34編9節) 

 主イエスはご自身の全存在をかけて、私たちの救いを勝ち取り、永遠の命の道を備えてくださいました。

そして今もなお、一人一人にお声をかけ、招かれております。 

矛盾と不公平の世にあって、私たちには苦難がつきまといます。

しかし、たとえ、臨終の苦しみの中であっても、あなたが共に支え永遠に生きる喜びを与えておられる恵みを実感できます。

いかに幸いなことでしょう。この恵みを繰り返し味わいましょう。