8月16日から一泊二日で、京都復興教会にて、近畿中部地区ホーリネスの群れの聖会がありました。
主講師として、ナザレン教団・小岩教会牧師・ナザレン神学校の校長であられる
坂本誠先生が立てられました。
主題は、『聖なる者になりなさい』
主題聖句は、 創世記17章1節
アブラムが九十九歳になったとき、主はアブラムに現れて言われた。
「わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。」
職場でも、家庭でも、また、教会でも、
人がいれば、かかわりが生まれ、
生きている限り、いろいろな試練や苦悩に私たちは遭遇します。
しかし、全能の神であられる方は、義の右の手で、私を支え、前に押しいだし、ある時は、背負い、常に導いて下さる。
聖であられるかたが、私たちにも、聖となることを求めておられることの確認をしました。
それは、『お前たち、私が高みから見ているから、頑張れよ』というような、高みの見物、ではない。
坂本先生は、講壇の背後の白い壁に、パワーポイントで作成したスライドを大写しにして、
聖句や、ポイント、また、ある時は、イラストさえも、タイミング良く見せて下さり、よくわかりました。
たこやきには、たこが入っているのは当たり前ですが、時々、たこが入っていない偽たこやき、もあります。
『核』を持っているかどうか、時々点検するためにも、このような聖会に行くことは大切と思いました。
キリスト者としての『核』があるとおもいこんでいて、実は、空っぽ、なんていうこともなきにしもあらず、と、苦笑しながら聞いていました。
空ならまだしも、悪霊に占領されていないかどうか…。
二日目の朝には、鈴木恵子先生のお証の時間もありました。(写真は、その時のものです。左端が、講師の坂本先生です)
耐えきれないと思われるような、ご経験の数々がおありになりましたが、 すべて、神様の御計画であって、今がある、と先生はおっしゃいましたが、誠にしかり、しかり、アーメンです。
だました人に対しての憎しみではなくて温かい手を差し伸べて下さる方に対する感謝の思いで満たして下さった、というところが心にとまりました。
日々、いくつかの不安材料に、心を占領されてしまうこともよくあります。
悩み恐れが襲いきたりて、ついに衰えて、萎えてしまうようなことの連続もあります。
しかし、主題聖句にあります主の約束を深く学んだ時、
主の愛に取り囲まれて、そして、人からも愛されていて、
それなのに、感謝の心を置き去りにして、なにをブツブツとつぶやいていたのか
尊大で鈍感であった自分に恥じ入りました。
まずは、気づいた者から、『聖化』を意識し、感謝する日々をおくること。
自分の力ではできなくて、挫折の日々ではありますが、
イエス様の愛の故に、いずれの日にか、聖なる者、とならせていただきたいと、切に願いました。
(文責・古智)