ヘルンの趣味日記

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トニオ・クレエゲル

2017年07月19日 | 日記


あまり純文学は読みませんが
学生時代、レポートをかくために、トーマス・マンの「トニオ・クレエゲル」を読んだことがあります。
その中で印象的だったのは、芸術家で詩人(の卵)トニオが俗人の美しいハンスに憧れるところです。

芸術について考えることのなさそうな人がトニオの芸術的衝動をかきたてるらしいです(これであっているかちょっと自信がないです)。

中島敦の「悟浄歎異」という西遊記をもとにした短編小説では
トニオみたいな沙悟浄が悟空に憧れます。
悟空の何も考えないような本能的な戦い方、戦う姿の美しさ。
これらを賞賛します。
トニオがハンスに憧れる気持ちに通じるような気がします。

トニオを読んだときは共感できることはあまりなかったのですが、悟浄の話を読んだときは少しわかると思いました。

私が鳥をみて美しいと思うのと似ているように思います。
都心でも時々野鳥をみかけます。
何も考えないシンプルな美しさ。
飛ぶためにある美しい姿。
努力して身に着けたものではなく、生まれながらの美しさ。
優美な尾。胸のカーブ。
鳥たちはみとれている内に飛び去っていきます。みとれている人間のことなんてまったく気にも留めません。

クレエゲルの気持ちとは違うような感じですが。
彼の気持ちはあんな風になりたいという気持ちと自分は違うという気持ちが入り混じっていたようです。

沙悟浄はトニオと違っていて、悟空を驚嘆の気持ちでながめていて、憧れるけれど自分がそうでないことに複雑な気持ちをもったりしません。
たぶんこちらのほうが自分には近いと思います。
鳥になりたいとか飛びたいとか思わないので。


こうした葛藤の欠如がトニオのような詩人、芸術家と一般人の違いなのかもと思います。
綺麗だなあとのんきにみていることができるのは幸せなのでしょう。



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