ヘルンの趣味日記

好きなもののことを書いていきます。

ブログのお勧め

2018年06月21日 | ブログについて


このブログを本格的に始めて2年になります。
最近は少し停滞していますが結構続いています。

今回は今までの記事を読み返して
これを読んでほしいなあと思うものの紹介です。


映画では色々あってエイゼンシュテインとかラングも思い入れがありますが
木下恵介のコメディについて書いた「幻想即興曲」は好きな映画について上手く紹介できたかなと思います。

読んだ小説の紹介はすべて日記のジャンルにしています。
中島敦の短編について書いた「孔子と弟子」は自分でも気に入っています。

次に、宗教観とか中島敦と三浦綾子の小説についての「不信心な立場」。
勝手なことを書き散らしているのはいつもなのですが、
宗教という重大なテーマについて好きなことを好きに書けたと思う記事です。

旅行については「宝塚の街」が一番気合が入った記事です。
創始者の偉大さに感銘を受けて宝塚歌劇を全く見ないで書いてしまいました。
宝塚歌劇を馬鹿にしているわけではまったくないのですが
(人に話したら馬鹿にしているのではと疑われました)
これを読んで、もしもそういう印象を受けた人がいらしたら心からお詫びしなければいけません。

SFは上手くかけているものはありません。
SFファンには見られたくないものだらけですが
P.K.ディックの映画化についての記事は映画ジャンルならまあまあかなと思います。

バレエの記事は全部読んでほしいなと思っています。
今までみたどの舞台も映像も感想を誰かに聞いてほしいものです。
でも詳しい人にとっては生半可な知識で何をいっているのだと思われそうですし、
逆に関心のない人にはつまらないはずです。
動画や写真をリンクしていませんから。

あまり知識のない人間がブログを書くのはなかなか大変です。
下記は興味がわいたら読んで頂きたいものです。



幻想即興曲 孔子と弟子 不信心な立場 宝塚の街 ディックの映画化




チャイコフスキーのバレエ曲

2018年06月18日 | バレエ

チャイコフスキーの音楽はバレエで好きになりました。
彼のバレエ曲以外はあまり聞かないし、聞いてもよくわかりません。
でもバレエ音楽は素敵です。

黒鳥のグランパドドゥで2人が手をつなぎ登場する場面。冒頭の美しい音色。
若い恋人たちの喜びという感じです。2幕の悲哀とはがらっと変わっています。
眠りの森の1幕のワルツとかくるみ割りの花のワルツとか。
チャイコフスキーの弦楽器の音色はとくにすばらしくて一瞬バレエがどうでもよくなるくらいです。
バランシンのチャイコフスキー・パドドゥの音楽も素晴らしい。
心が浮き立つのです。

さすがにバランシンのバレエでは音楽がいいからバレエはどうでもよくなるということはありません。
曲よりわずかにダンスの動きがはやいみたいです。
だからダンスの印象が曲に負けないのかもしれません。

チャイコフスキーのメロディを聞くとあー、バレエ見たいなあと思います。











徳川の平和

2018年06月15日 | 日記



以前、知人と飲んでいて、姫路城の話題になったことがあります。

とても美しいということで意見が一致したのですが、
美しいということ以外に守りの固め方がすごすぎる。
江戸とは離れているのにここまで難攻不落にしなくても。
私はそこが不思議だといいました。

すると
「島津対策。
熊本城、姫路城、箱根の山。
これが江戸幕府を攻めるまでの砦になっていた。
航路は造船規模を厳しく統制していた。」
と説明されました。

なるほどと感心しました。
日本歴史にあまり詳しくないですが
藩主は年頭に
「今年は徳川を倒すか」
ときかれて
「いやまだはやい」
とか答えるのが慣例になっていたとかいう話を思い出しました。

そうか、島津だったのか。

しかし、そこまで徹底的に幕府を守ろうとしたことにちょっと驚きました。

徳川家康はすごいなと。

自分のつくった幕府を守りたい、長続きさせたいというのは当然ですが、
やはり戦乱を再び起こさせたくないという意志が強かったのではないでしょうか。

そのために要塞だけではなく色々なシステムをつくり、身分制度もそうでしょう。
マイナス面はありますが、平和のためにはかなりの犠牲も仕方がないと考えたのでしょう。

それは正しかったのかどうか、議論はあると思いますが家康が望んだ平和は300年近く続いたのです。


平和と引き換えた色々なマイナスで今も残っているもののひとつは外交能力でしょう。

日本は外交が下手なのは300年近くの鎖国の影響もありそうです。

明治維新で強化するチャンスでしたが、
せっかく身分に関わらず人材登用ができたときに身分を持ち込んでしまったみたいです。

ヨーロッパでは、貴族が外交を担当することが多かったせいでしょうが、それは伝統をうけついでいるからです。
外交の伝統が弱い国でそれをしたら、力がつかないままになってしまいます。

明治時代は教育や軍事など色々な分野を国家的に強化したはずですが
外交分野で失敗してそれが今でも改善されていないのかもしれません。