ヘルンの趣味日記

好きなもののことを書いていきます。

ロマンティックな化け物

2017年09月29日 | バレエ


バレエには妖精がよく登場します。
シルフィードとかジゼルのウィリーとか。

ラ・シルフィードの妖精は本当に可愛らしいのですが、ジゼルのウィリーはそうでもありません。
ジゼルの第2幕は、迷い込んできた者をとり殺す恐ろしさもあるので、恐ろしいと同時に美しいというのが一般イメージでしょう。
2幕はロマンティックバレエの傑作で間違いなく美しいとは思います。
ただ、ジゼルがおもしろいなーと思うのは、美しさ、恐ろしさに加えて化け物感があることです。

足が問題です。
変な話ですが、日本では幽霊は足がないのですが、ジゼルは足が強調されます。
でもって、「ぴょんぴょん」飛ぶのです。ところどころ。
主役のジゼルも他のウィリーも。

かなり変だと感じます。

そこらへんが、ああ、彼女は人間ではなくなったのだな、と思えるところです。
人間の亡霊ではなく、人間以外の生き物のようです。
群舞でこれをやると、奇妙で化け物の雰囲気がかなり出ます。
全員白装束で、「集団で」ぴょんぴょん跳んで移動するのです。

個人的なイメージですが、妖精は単体だから美しいので、これが10人以上だと美しさ以外が強くなってくる気がします。
美しさ以外とは、つまり化け物感です。
水木しげるのマンガに出てくる妖怪、一反木綿に近い印象のときがあります。

全員白い衣装のウィリーが跳びながら移動していく場面はかなり異様で、迷い込んだ森番をとり殺すところは美しい妖精という感じではありません。
魔法などではなく、物理的につかんで池に投げ込むのです。
幽霊のように恐ろしい形相で取り殺すわけでもなく、事務的にあっさりと投げ込んでしまいます。
怪力なのです。どうも妖精のイメージではありません。

ジゼルは本当に美しいバレエですが、時々、化け物感が顔をだします。
同じく白いバレエの典型、バヤデールの影の王国の場面は本当に美しい幻想的なシーンです。幽玄というのはたぶんこういうのだろうと思います。
ジゼルのウィリーはどうも白い化け物っぽいです。
でもそこがいいのです。

ジゼルで私が面白いと思う要素はたくさんあります。
ウィリーの化け物感もそのうちのひとつです。

ボリショイの衣装は長すぎて足元が少ししかみえないのですが、やはり足首がみえたほうが好きです。

宝塚の街

2017年09月22日 | 旅行


関西に旅行したとき、宝塚市の手塚治虫記念館にいってみました。


そして見終わってから、せっかく近くまで来たから宝塚劇場を見てみようと思いました。

記念館から宝塚駅まで、花の道という遊歩道があって、その途中に宝塚大劇場があります。
そこを歩いてみました。

気を悪くする人がいたら申し訳ないですが、正直なところ、宝塚歌劇の魅力はよくわかりません。

ただ、宝塚歌劇というジャンルはとても興味深いものです。
歌舞伎が女性を締め出して成立しているのに、宝塚演劇は男性を歌劇から締め出しました。

歌舞伎は昔は女性の有名な役者もいたのに男性だけになった。
逆にオペラはかつて女性なしで上演されていたようです。それが今のように男女が演じるようになった。
それを女性だけで上演するというのは、かなり思い切ったことです。
しかも、いわゆる色物として短期間もてはやされたのではなく、その後も続いて日本の重要な演劇ジャンルになっています。
私には魅力がわからないのですが、とにかく日本の誇る演劇であることはたしかです。


ということで、一度劇場とその周辺をみてみようと思ったのです。
まず、有名な宝塚音楽学校があって、窓から生徒がバレエレッスンをしているのがみえました。

そして、おそらく間違いなく生徒だろうと思われる女性と何回もすれ違いました。
顔が小さくて、宝塚風というか、ちょっと独特な化粧と華やかな服。

彼女たちはトップスターではないでしょうが、アイドルなみかそれ以上に可愛らしくてアイドル性があります。
アイドルをのぞんだら、プロデュースしだいでは大変成功するでしょう。
こういう人がぞろぞろいるんだから、贅沢だなあと感じます。

最初はすごいなあと、見ていましたが、花の道を歩いているうちに、なんとなく、息苦しいというか、胸が苦しくなるような感じになりました。
なにしろ、宝塚歌劇の役者がポーズをとっている銅像があちこちにあります。
植木には「ベルサイユのばら」とかいてあるバラがあるし、どうも落ち着きません。
街のあちこちに宝塚ポスターがあり、圧倒されました。

劇場はお城のようでした。
中に入ってみようかと思いましたが、なんとなく気がひけてしまって周りを眺めただけです。

花の道が終わったときはほっとしました。

そして宝塚駅に入ると、新幹線の停車駅でもないのにかなり大きい豪華な駅です。
いよいよ圧倒されてきてホームで宝塚のテーマソングが流れてきたときには、大げさですがちょっと泣きそうになりました。

阪急電車に乗ってほっとしました。
思ったのは、とにかく宝塚の街はすごいということでした。


阪急電鉄の創始者の小林一三は、自分の美意識で街をひとつつくりあげたのです。

ものすごく人工的な、つくりあげた街です。
こういうのは、あまり続かないことがあるのですが、存続しています。
あちらこちらに宝塚歌劇の関係のものがあります。
宝塚の銘菓までありました。

あとで調べたら、以前はもっといろいろあったそうですが、撤退して、縮小傾向にあるそうです。
それでも圧倒されました。
宝塚という街はなんというか・・「夢の街」という感じでした。
美しいもの、西洋風のものを集めて作り上げた街。
こういう街があったらいいのに・・・という夢を現実にしたような街。
素敵なのですが、なんとなく息苦しくなるようなのは、ものすごく人工的だからなのかもしれません。


小林一三を主人公にしたドラマをみたことがあって、なんとなく知っていましたが
宝塚の街をみて、彼の本当の凄さはドラマでは伝わらない、この街をみなければわからないと感じました。
ドラマ主演の役者より写真でみた本物の方が容姿がいいのです。
普通は逆ですが。
宝塚歌劇の創始者にふさわしい、西洋風な美貌です。
茶人でもあったそうですが、それは宝塚の創始者ということに比べたらたいしたことではないように思います。


自分の美意識で街をひとつ、文化をひとつ創造した経営者はあまりいなさそうです。
小林一三という人はすごいエネルギーをもっていたんだろうと思います。


幻想即興曲

2017年09月12日 | 映画


クラシックはよくわかりませんし、音楽理論にも暗いのですが、映画やバレエで使われていると、聞いてみます。
マーラーはヴィスコンティの「ベニスに死す」で、
ショパンのワルツはバレエ「レ・シルフィード」で、
ショパンの幻想即興曲は木下恵介監督の映画で知りました。

テレビ放映を録画して、何度も何度もみた大好きな映画です。
原節子が主演する「お嬢さん乾杯!」です。

木下恵介の映画はあまり見たことがありませんでしたが、この映画をテレビでみて、驚きました。

なんというか、すごく笑えるんですが、洒落ている。
時代のせいか、かなり変ですが、それも含めてなんとなく楽しい、クスクス笑える映画です。

以下、かなり詳しく結末まで書きますので結末を知りたくない方は読まない方がいいです。
ラストがわかっても面白い映画ですが。


ストーリーは
舞台は、第二次大戦後まもなくの日本。
自動車修理工場を経営する、成金の主人公。
彼が華族のお嬢さんとお見合いをします。
家柄だけでなく、大変な美女で一目ぼれします。
彼は本当に好きになりますが、お嬢さんの側は複雑で、没落華族のため、借金返済のため仕方なくです。
彼はそれを聞いてがっかりしますが、気を取り直します。
きっかけはお金でも本当に好きになってもらえばいい、と。
お嬢さんは家のためとわりきっていますが、結婚するからには彼に誠実でいようと努力します。
そこらへんで意思の疎通がはかれないというか、すれ違います。
彼の努力は本当に好きになってもらうための努力ですが、お嬢さんは好きになるように努力しています。
それは似ているけど違います。
好きになるのは努力してできるものではなく気持ちの問題ですから。
お嬢さんは教養があるのにちょっと意味不明なところがあります。
一方、主人公はお嬢さんの心をつかむために、あれこれと努力します。
ピアノをプレゼントして、お嬢さんはそのピアノでこの曲をひきます。
何という曲かわからず(私もわかりませんでした)素直に聞くと「ショパンの幻想即興曲ですの」といわれます。
すると、早速レコードを買って、いきつけのバーでそれをききます。お嬢さんの美しい姿を思い浮かべて幸せになりながら。
お互いに納得しての交際ですが、どうもうまくいくようでいきません。
彼と彼女の生い立ちとか教養の違いが障害になります。
結構相性がよくて、同じ境遇なら幼馴染として問題なく結婚したかもしれない二人なのですが・・

お嬢さんが友人の出演しているバレエに主人公を誘います。
バレエなんてみたこともないけれど、美しさに感動して涙ぐみます。
彼は教養がないけれど感性が豊かなのです。
逆に彼はお嬢さんをボクシング観戦に誘います。
初め、しぶしぶ付き合っていたお嬢さんがだんだん面白くなって、試合に夢中になりかけます。でも、そんな自分に恥ずかしくなって途中でやめてしまいます。
お嬢さんは彼のことがだんだん好きになっているのですが、自分の教養とか育ちとかが邪魔してしまいます。
明るくて優しくて頼もしい、ただの成金ではなく、人柄にも魅力のある人なのですが、やっぱり粗野なところがあって、お嬢さんは彼を好きだとなかなか認められません。
あれこれあって、主人公はとうとうあきらめます。住む世界が違うのだから、と。
借金をすべて肩代わりして、もう心配ないという手紙を残して姿を消します。
そのとき、お嬢さんは初めて自分は本当に彼を好きなのだとわかります。
そして彼の後を追っていくところで終わります。


原節子がとてもとてもはまり役です。
彼女は小津映画で、輝くように美しいのにそれを隠すようにぱっとしない役柄を演じます。
この映画は華族のお嬢さん(というか、お姫様に近いかもしれません)という、魅力を存分にまき散らすことのできる役で、のびのびしていて、さらにコメディエンヌとしての才能も発揮しています。
意外ですが、喜劇が似合うのです。
天然系美女という感じで。
一生懸命主人公を好きになろうと努力するのも、実はすでに魅かれているのに、見当違いな努力をしているのも、役者としては不器用らしかった彼女にうまくあっています。
木下監督は上手い人だと思います。
また、この時期は彼女の経歴の中でも一番美しい時期で、そのときにはまり役を演じたのはラッキーでした。


音楽も素晴らしくて、この幻想即興曲のほかにテーマになる曲を弟の木下忠治が作曲していてこれがとても効果的です。

古めかしくて時代遅れな雰囲気と、カメラが部屋の一か所を静かに映し続けるような、妙に洒落た演出が混在して面白い映画になっています。

音楽も少々安っぽい歌が流れる映画のなかにショパンを上手くはめこんでいます。
曲調が変わるところではドラマの流れが変わったりして、上手さをみせます。
ショパンのこの曲はあまり好きではないのですが、映画を想起させるので特別な曲です。

主人公とヒロインのドラマの要所で効果的にこの音楽が使われて、ヒロインが後悔するシーンにうまく同調します。

映画で音楽を単なるBGMとしてではなく、映画のパーツとして効果的に使っている監督がいます。

木下恵介もそうした一人のようです。

荊軻

2017年09月08日 | 日記

地下鉄で中吊り広告をみていたら
「将軍暗殺を命がけで阻止する侍」みたいな宣伝文句のはいった時代劇マンガの広告を目にしました。
ふと思ったのですが、日本では権力者の暗殺を阻止するのがかっこいいヒーローなんだなと。当たり前ですが。

ただ、中国は違うようです。

荊軻は始皇帝を暗殺しようとして失敗した刺客です。
まだ始皇帝が中国を統一する前ですが。
彼の作った歌はやたらに有名ですし、かなり英雄的な扱いみたいです。

荊軻は暗殺に失敗しています。
これが成功しておかげで明るい世の中がきました、というのなら礼賛されるのもわかるんですがそうではない。

「風蕭々として・・・」という歌が素晴らしかったからでしょうか。
成功しても失敗しても帰還することはないとつづきます。
荊軻の覚悟に涙する場面です。

ただ、刺客というのはそういうものじゃないでしょうか。身もふたもないですが。
さらに、他人事のようにその場の人々が涙しているのがわかりません。
失敗したら、始皇帝はこの国もこの場所も攻撃してくるでしょう。
静かな川のほとりも静かではいられなくなります。
失敗の場合を考えたらこんなに雅びな雰囲気ではないはずです。
荊軻ひとりでなく、見送る側全員も一緒に死を覚悟するケースだと思います。
なんか緊張感にかける見送りです。
自分は安全だが荊軻が不憫みたいな感じです。
バックアップが悪くて失敗したのかもと思いました。

その失敗ですがこれもかなりおかしいなと思います。
普通失敗するのは武器を取り上げられた場合とか、多勢に無勢の場合でしょう。
ところが荊軻は武器をもっていて、始皇帝の部下は規則で禁止されていたため、壇上にのぼって、助けることができませんでした。

刺客と襲われる側の一対一です。
武器は荊軻は匕首、始皇帝は刀。
たしかに不利なものですが、始皇帝はあせって刀を抜けないでいました。
つまり武器がない状態です。

これで負けるとはわけがわかりません。
アシスタントが無能だったとかいわれますが、ここまでくるためにアシスタントが必要なので、一対一にもちこんだらプロの荊軻は楽に勝つはずです。
なんで勝てなかったのだろう。
始皇帝も強かったかもしれませんが、プロとアマチュアです。

勝てる、という気負いに負けたのかもしれません。
あるいは始皇帝を殺したくないという気持ちがあったかもしれません。
法治主義をとり成果があったようです。

荊軻の暗殺失敗は、ちょっと腑に落ちないことが多い事件です。

暗殺が失敗し、始皇帝が生き続けたので歴史を変えることはなかったけれど、
荊軻のエピソードは情緒と余韻のある話で、それで長く伝えられたのかなと思います。


風蕭々として・・・。


寒々とした川の様子が目に浮かぶようです。
想起させる情景が素晴らしい歌だと感じます。


ブログのリンク

2017年09月06日 | ブログについて

ブログについては、原則リンクをはらないことにしていました。

でも、1年続けて、記事が増えました。
過去の記事につづけてかくこともあります。
そのときに、前の記事を参照してもらえたらいいのですが、かなり面倒です。

ということで、過去記事の話題をだしたときに、リンクをはってみようと思います。
これまでの記事はそのままですが
これから書くことではできるだけリンクを張ってみようと思います。

自分でも気合がはいっていたり、とても紹介したいことの記事は読んでほしいと思っています。

リンクをはらなかった理由は外部のリンクなど、切れてしまっていることがあるのです。
そのとき、なんとも残念になります。
自分の記事なら大丈夫です。
(ブログの引っ越しをしたときに大変になるかもしれませんが)

あとはちょっと見た目が悪いことです。


だから、これは読んでほしいなという箇所に絞ってリンクしてみようと思います。