ヘルンの趣味日記

好きなもののことを書いていきます。

アルジャーノンに花束を

2017年03月29日 | SF



SF小説ですが、SFファン以外にも人気があるようです。

実験によって高い知能を獲得した主人公の人生が彼の一人称によって語られます。
実験によって知的レベルがあがるというアイデアは、アシモフもテッド・チャンもやっていますが、一番成功したのがこれです。
これほど印象的にできあがったものは他にないのではないでしょうか。


この作品は長編と中編があります。
まず長編を読んで、中編も読んで両方いいなと思いました。

発表は中編、長編の順のようです。

有名なのは長編の方です。

この小説は、なにが面白いかというと、書き手の知的レベルが上がるにしたがって文体が変わることです。

日本語で読 んで、これは英文の原作を読まなければ、と思いました。

こう考える人は多いようです。

ところが、私はだめでした。英語は得意でなかったのが大きな原因ですが。

つまり、英文表現で子供っぽい表現と難解な表現の区別がよくわからないのです。これがこの小説のキモなので、これがわからないと意味がありません。

日本語なら、これは小学生で習う漢字、高校で習う漢字というのがわかります。単語も同じです。

ところが英語でこの単語や文体は子供のレベル、一般の大人のレベル、高度な知性のある大人のレベルという違いが、わかりません。
もっと頑張って読んだらどうだったか。でも、根気がないし、英語が好きでもなかったので。

翻訳と原文を照合しながら読ん だらわかったかもしれません。

時間と余裕があるときにもう一度読んでみようか、と思っています。

原文に挫折した結果、あらためて英文のエッセンスを日本文に置き換えた翻訳者のセンスに脱帽です。
うまいなあと。

そしてタイトルがとどめです。

原題 "Flowers for Algernon"

邦題「アルジャーノンに花束を」

今なら、英語をそのままカタカナにした
「フラワーズ・フォー・アルジャーノン」が一番ありそうです。
ひねりもなにもありませんが。

動詞を省略したこのタイトルはSF翻訳の大傑作でしょう。
ちょっと感傷的だなと思うのですが。

このタイトルでなかったら、日本人にこれほど愛されたか、わかりません。

ラ・バヤデール

2017年03月24日 | バレエ


このバレエは、舞台でみたことはなくて、パリ・オペラ座と英国ロイヤルバレエの公演を映像でみました。

初めてテレビでみたとき、昔のハリウッド映画のようだと思いました。
古代ローマ時代を舞台にした大作で十戒とかキング・オブ・キングスとか。
必ずといっていいほど、最初のシーンに露出度の高い感じの女性の踊りがあります。扇情的でオリエンタルな踊り。
内容が堅いので、ちょっとサービスシーンも入れてという感じですか。
テレビでみて、子供心にも必要ないし下品だなあと思いました。
大人になってからは、興業的に必要だと判断があったのかなと思ったのですが。

バヤデールも、そういうタイプで、それに加えて、勘違い したような東洋趣味とか色々変でした。
舞姫ニキヤはベリーダンサーのよう。
何かの神殿かと思ったら仏教の寺院だったり

このバレエはヒロイン役が二人です。
ストーリーとしては、寺院の舞姫ニキヤがヒロインですが、踊りとしては恋敵ガザムッティも同格なのです。
二つの役のどちらもトップダンサーがつとめます。
そしてソリストの見せ場が多い。
その結果、大変華やかな舞台になるという効果があります。
ソリストの出番がかなり多いので、バレエ団の人材がわかるみたいです。
ヌレエフが最後の演出として、新人を抜擢したそうです。すばらしいダンサーがどっさりいます。

オペラ座のヌレエフ版のものをテレビで見たのが最初です。
イザベル・ゲランがニキヤで した。
ニキヤの見せ場である花篭の踊りはハリウッドのお色気シーンな感じですが、ゲランが踊ると、裏切られた舞姫が辛いのを我慢して踊っているのが伝わってきます。
最初、ちょっと下品な振り付け、と思ったんですが・・なにしろ、籠を頭の上において、腰をふりながら踊るので。
俗っぽい、品がない。もうちょっといい振り付けはなかったのか、と思いました。
それでも、よくみると、ニキヤの失恋の悲しみと恋敵の前で踊る辛さが出ていました。
これは下品になるかどうか、ダンサーの演技と個性にかかってくると思いました。

オペラ座ヌレエフ版は華やかで美しいのですが、ロイヤルのマカロワ版はかなり変です。
ナタリヤ・マカロワは変にクラシックをリアルにつくりたがります。
古典バレエのストーリーはもともと変なので、マイナーチェンジくらいではかえって半端だと思います。
マカロワ版では、ニキヤとガザムッティは女の戦いという感じで、それは死後まで続いて、なんか疲れます。
死んだニキヤが幽霊となってガザムッティの邪魔をするとか、やり過ぎ感があります。
さらに寺院崩壊という理不尽。
勧善懲悪らしいですが、無関係の人たちをどっさり巻き込んでの正義はないと思います。

私は、ヌレエフ版の、ジゼルの終幕のようなやりきれなさを残したバヤデールが好きです。
ジゼルと同じく、犠牲となるヒロインを中心に物語が進行するほうが演出的にはいいと思います。
ヒロインの悲運、不誠実な恋人への誠実。
オペラ座のものは、それが前半のクラ イマックスの花篭の踊りに集中します。
そうした要素がストーリーの単調なところを補うので、マカロワのリアリズムより説得力があると感じます。

このバレエはオペラ座とロイヤルの2本を映像でみただけなので、もっと見るとまた感想も違うかもしれません。

生のバレエを見た人は、バヤデールを結構絶賛するんですね。
生でないと伝わらない要素があるかもしれません。

映像ではなんとなく、視た後に、むなしくなります。
変な東洋趣味を真剣に演じられたという感じで。
勘違い系のオペレッタ「ミカド」は、けっこう面白く見ることができます。
勘違いも含めて面白いのです。

でもバヤデールのように、気合の入った勘違いというのはなんだか疲れます。

恐怖省

2017年03月17日 | 映画


フリッツ・ラングのハリウッド時代の映画です。
原作はグレアム・グリーンです。

ヒッチコックの映画みたいな感じですが
ラングっぽいところはやっぱり光と影です。
それと、ぞっとするような怪奇な演出があること。
この2つはドイツを離れても彼についてきた側面かなと思います。

グレアム・グリーンの原作を読んで、やっとわかった部分があります。
小説の方が面白いかも。

主人公の性格の描写が小説のほうがすぐれています。

映画はヒッチコックのような、まきこまれた人の冒険を中心に陰謀があばかれ、かなり無理やりにハッピーエンドにするような形です。

あまり面白くないのですが、
追手が主人公からもらったケーキを解体して情報を手に入れようとする場面とか、怪奇風なシーンがあります。
ここはすごい。
敵の向かい側にすわった主人公がかなりひいているというか、静かに怖がっているのがわかりました。

この演出が一番印象的でした。
上映会でみたのですが、このシーンは他の観客も息をのんでみていました。

誰が黒幕、誰が敵なのかわからなくなって、結構ばたばたとして意外なストーリーでした。
でもラストの安易さが原作と比べると何だかなあという感じです。

よく考えると、ラングの作品のラストは結構、微妙でした。

メトロポリスは論外で、ニーベルンゲンも原作を安易にかえたな、と思うし、見た作品では最高のラストは「M」だと思います。

やっぱりドイツ時代の作品が好きです。

フリッツ・ラングのメトロポリス

2017年03月10日 | 映画

この映画は、フィルムが大幅にカットされて、そのフィルムが散逸してしまって、ストーリーはよくわからない感じです。
かなり復元された最新版があるようですが、それはまだみていません。
以前、どうしてもスクリーンでみたくて、色々さがして一度上映会で見ました。
一部復元して音楽と色彩をつけたバージョンをテレビで見たこともあります。
色はつけない方がいいと思います。ラングの独特の光と影はモノクロで一番映えるので。

ストーリーがシンプルで、リズミカルな映像。
サイレント映画ですがミュージカルみたいな印象でした。
光と影の使い方はラングはいつも絵画的です。
ラングはとても好きなのです が、絵画的だということのせいかな?
と思います。
ラングの作品の映像は構図を考えて一枚の絵になっていると思います。
ただし、ドイツ時代だけで、ハリウッド時代作品はちょっと違うようです。
そのかわり、アクションとかサスペンスの演出は目をひくんですが。
画家が演出家になったみたいです。

メトロポリスをどうしても見たかったのは、ドイツ映画のことをかいた本で、とても面白いエピソードが紹介されていたからです。

ヒロイン役のブリギッテ・ヘルムが監督のフリッツ・ラングに見出されたときのエピソードです。
学生だったヘルムは映画に興味はなかったのに、勝手に母親が写真をラングに送ってしまってカメラ・テストを受けて学校を退学になったそうです。
エ ピソードはどこまで本当かわかりませんが、ヘルムは医師を目指していて、映画界には興味がなかったそうです。


メトロポリスは色々な映画に影響を与えていると思います。

ジェームズ・ホエール監督の「フランケンシュタイン」をみたとき、あちこち影響されていると思いました。

モンスター誕生のシーンはラングのロボット誕生のシーンみたいです。

ほかに印象に残ったのは、女性一人と彼女を好きになる男性二人。
一人は文系、一人は理系。
この構図です。
メトロポリスでは主人公の母親をめぐる父親と科学者の争いがあります。
メアリ・シェリーの書いたフランケンシュタインの小説では、この構図ではなかったと思うので、やっぱりメトロポリスの影響ではないかなと思い ます。

これは「ゴジラ」第一作にも引き継がれています。
ゴジラを倒す新兵器を発明した芹沢博士と友人の新聞記者。博士の婚約者が新聞記者と恋愛している。
メトロポリスと同じです。
同じように博士が失恋して発明品は破壊されます。
フランケンシュタインはモンスターが殺されますが博士と恋人の扱いは違っています。というか、原作とも違いますが。


ラングは日本に興味があったのかな?
悪徳のヨシワラ・ハウスというかなり妙な描写があります。

変な日本趣味とか、摩天楼は、ディックの小説をリドリー・スコットが映画化した「ブレードランナー」にも影響しているみたいです。
映像的にちょっと似ているシーンがあります。
摩天楼は、ラン グが描きたかったシーンだそうですが、あまり印象に残りませんでした。

メトロポリスはSF映画の部分が注目されすぎて、物語についてはそれほど評価がないようです。
長すぎたので公開時ですでにカットされたそうで、ストーリーの良さが削られたのではないかと思います。

あれだけサスペンスの上手い監督なので、SF要素以外でもはっとするような演出があった可能性があります。


この映画でロボットの悪女と善良なマリアの二役をつとめたブリギッテ・ヘルムは、すっかり悪役が気に入って、その後、そうした役を好んでやったようです。
エーヴェルスのアルラウネの映画化作品も彼女がヒロインだそうです。みてみたいです。

メトロポリスはSF要素と怪奇趣味、それに群衆のシー ンにはミュージカルのようなリズム感があります。

ストーリーがちょっと・・・ですが、ヘルムの悪女と聖女の二役をもっと前面においていたらどうだったかなと思います。


色々つめこんでしまった感じですが、それらの要素が後続の映画に影響したのかもしれません。

オペラとCG

2017年03月08日 | 映画


CGはアクションもので使いすぎると残念な感じです。簡単にすごいことができてしまうので。
中国映画「ラヴァーズ」をみてそう思いました。
ファンタジーには向いていますが。

CG使ってほしいな、と思うのはワーグナーのオペラです。ワーグナーだけでなく、オペラ全般ですが、とくにワーグナーの指輪は大がかりですからCGを使って映画を作ってほしい。

レイ・ブラッドベリが恐竜をみるためにニーベルングの指輪をがまんしてみたそうです。
あんな長いものを。

ジークフリートと竜の戦いの場面らしいです。

よほど好きなんだろうなあと感心します。竜といってもかなり残念なものが、のそのそとワンシーン現れただけだったそう ですが、彼は大変満足だったようです。

それならCGで作ったらいいのに・・と思いつきました。

ニーベルングの指輪はストーリーがいまひとつよくわからないのですが、映像的に魅力的なシーンがあります。
竜との戦闘、炎の壁とか、神剣ノートゥングとか、CGで作ったらどうだろうというシーンがあります。

フリッツ・ラングがニーベルンゲンの歌を映画化したときのことです。
ジークフリートが竜の血をあびるとき、裸体になるシーンで役者が嫌だといってもめたそうです。代役で切り抜けたそうですが、CGで解決します。

もちろん、オペラですから本物の歌手で。面倒なところだけCGで。
オペラ映画こそCG使ったらどうでしょうね。
大がかりなワーグナーのオペラの映像化はこれ でやったらいいのに、と思います。

竜はあまり気合をいれすぎず、あくまでもジークフリートに倒される存在で。
ノートゥングはとにかく美しく。
そんなものをつくってくれないかな。

ラングの映画は、相当お金がかかっていそうでした。
メトロポリスで映画会社の経営を悪化させたといわれますが、その前にニーベルンゲン二部作ですでにかなり悪化させたのじゃないかと思います。

CGならもっと簡単につくることができそうです。
ウィキペディアで検索したら、指輪は赤字でも上演するとありました。
やっぱりお金かかるんですね。
舞台でCGはダメといわれそうですが、映画ならいいんじゃないでしょうか。

ワーグナーのファンはすごく怒るかもしれませんが。


私はジークフリートの剣を最高の迫力と美しさで映像化したものが見たいです。