『花月』 Bingにて 花月 竹サポ 能を で検索を推奨。
※「:」は、節を表す記号の代用。
【僧の登場】
ワキ:風にまかする浮雲の、
風にまかする浮雲の、
泊りはいづくなるらん
ワキ「これは筑紫(つくし)
彦山(ひこさん)の
麓に住まひする僧にて候、
われ俗にて候ひし時、
子を一人(いちにん)持ちて候ふを、
七歳(しちさい)と申しし春の頃、
いづくともなく失ひて候ふほどに、
これを出離の縁と思ひ、
かやうの姿となりて
諸国を修行つかまつり候
ワキ:生まれぬさきの身を知れば、
生まれぬさきの身を知れば、
憐れむべき親もなし、
親のなければわがために、
心を留(と)むる子もなし、
千里(ちさと)を行くも遠からず、
野に伏し山に泊る身の、
これぞまことの住処(すみか)なる、
これぞまことの住処なる
ワキ「急ぎ候ふほどに、
これははや花の都に着きて候、
まづ承はり及びたる
清水(きよみず)に参り、
花をも眺めばやと思ひ候
※「:」は、節を表す記号の代用。
【僧の登場】
ワキ:風にまかする浮雲の、
風にまかする浮雲の、
泊りはいづくなるらん
ワキ「これは筑紫(つくし)
彦山(ひこさん)の
麓に住まひする僧にて候、
われ俗にて候ひし時、
子を一人(いちにん)持ちて候ふを、
七歳(しちさい)と申しし春の頃、
いづくともなく失ひて候ふほどに、
これを出離の縁と思ひ、
かやうの姿となりて
諸国を修行つかまつり候
ワキ:生まれぬさきの身を知れば、
生まれぬさきの身を知れば、
憐れむべき親もなし、
親のなければわがために、
心を留(と)むる子もなし、
千里(ちさと)を行くも遠からず、
野に伏し山に泊る身の、
これぞまことの住処(すみか)なる、
これぞまことの住処なる
ワキ「急ぎ候ふほどに、
これははや花の都に着きて候、
まづ承はり及びたる
清水(きよみず)に参り、
花をも眺めばやと思ひ候
【僧、門前の者の応対】
ワキ「門前の人のわたり候ふか
アイ「門前の者とお尋ねは、
いかやうなるご用にて候
ワキ「これは都はじめて一見の
ことにて候、
この所においてなににても
あれ面白きことの候はば、
見せてたまはり候へ
アイ「さん候(ぞうろう)、
都は人の集まりにて、
面白きこと数多く
御座候ふなかにも、
花月(かげつ)と申す人の
御座候ふが、
面白き地主(じしゅ)の
曲舞(くせまい)をおん舞ひ
候ふあひだ、
呼び出しおん目にかけ
申さうずるにて候
ワキ「さあらばその花月とやらんを
見せてたまはり候へ
アイ「やがて呼び出さうずるにて
候ふあひだ、
まづかうかう御座候へ
ワキ「心得申し候
アイ「いかに花月へ申し候、
とうとうおん出(に)で候へや
ワキ「門前の人のわたり候ふか
アイ「門前の者とお尋ねは、
いかやうなるご用にて候
ワキ「これは都はじめて一見の
ことにて候、
この所においてなににても
あれ面白きことの候はば、
見せてたまはり候へ
アイ「さん候(ぞうろう)、
都は人の集まりにて、
面白きこと数多く
御座候ふなかにも、
花月(かげつ)と申す人の
御座候ふが、
面白き地主(じしゅ)の
曲舞(くせまい)をおん舞ひ
候ふあひだ、
呼び出しおん目にかけ
申さうずるにて候
ワキ「さあらばその花月とやらんを
見せてたまはり候へ
アイ「やがて呼び出さうずるにて
候ふあひだ、
まづかうかう御座候へ
ワキ「心得申し候
アイ「いかに花月へ申し候、
とうとうおん出(に)で候へや
【花月の登場】
シテ「そもそもこれは花月と
申す者なり、
ある人わが名を尋ねしに、
答へて曰(いわ)く、
月は常住(じょうじう)にして
言ふに及ばず、
さてくわの字はと問へば、
春は花、
夏は瓜(うり)、
秋は菓(このみ)、
冬は火、
因果の果(か)をば
末後(まつご)まで、
一句のために残すと言へば、
人これを聞いて、
地:さては末世(まつせ)の
高祖(こうそ)なりとて、
天下(てんが)に隠れもなき
花月と、
われを申すなり
シテ「そもそもこれは花月と
申す者なり、
ある人わが名を尋ねしに、
答へて曰(いわ)く、
月は常住(じょうじう)にして
言ふに及ばず、
さてくわの字はと問へば、
春は花、
夏は瓜(うり)、
秋は菓(このみ)、
冬は火、
因果の果(か)をば
末後(まつご)まで、
一句のために残すと言へば、
人これを聞いて、
地:さては末世(まつせ)の
高祖(こうそ)なりとて、
天下(てんが)に隠れもなき
花月と、
われを申すなり
【花月の芸】
アイ「なにとて今日も遅く
おん出(に)で候ふぞ
シテ「さん候(ぞうろう)、
いままでは雲居寺(うんごじ)に
候ひしが、
花に心を引く弓の、
春の遊びの友達と、
仲違(たが)はじとて参りたり
アイ「さらばいつものごとく
小歌(こうた)を謡ひて
おん遊び候へ
シテ:来(こ)し方より
地:いまの世までも
絶えせぬものは、
恋といへる曲者(くせもの)、
げに恋は曲者、
曲者かな、
身はさらさらさら、
さらさらさらに、
恋こそ寝られぬ
アイ「なにとて今日も遅く
おん出(に)で候ふぞ
シテ「さん候(ぞうろう)、
いままでは雲居寺(うんごじ)に
候ひしが、
花に心を引く弓の、
春の遊びの友達と、
仲違(たが)はじとて参りたり
アイ「さらばいつものごとく
小歌(こうた)を謡ひて
おん遊び候へ
シテ:来(こ)し方より
地:いまの世までも
絶えせぬものは、
恋といへる曲者(くせもの)、
げに恋は曲者、
曲者かな、
身はさらさらさら、
さらさらさらに、
恋こそ寝られぬ
【花月の立働き】
アイ「あれご覧候へ、
鶯が花を散らし候ふよ
シテ「げにげに鶯が
花を散らし候ふよ、
某(それがし)射て落し候はん
アイ「急いで遊ばし候へ
シテ「鶯の花踏み散らす
細脛(ほそはぎ)を、
大長刀(おおなぎなた)も
あらばこそ、
花月が身に
敵(かたき)のなければ、
太刀(たち)刀(かたな)は持たず、
弓は的(まと)射んがため、
またかかる落花(らっか)
狼藉(ろうぜき)の小鳥をも、
射て落さんがためぞかし、
異国の養由(よういう)は、
百歩(はくぶ)に柳の葉を垂れ、
百(もも)に百矢(ももや)を
射るに外さず、
われはまた、
花の梢の鶯を、
射て落さんと思ふ心は、
その養由にも劣るまじ:あら面白や
地:それは柳これは桜、
それは雁(かり)がね、
これは鶯、
それは養由
これは花月、
名こそ変るとも、
弓に隔てはよもあらじ、
いでもの見せん鶯、
いでもの見せん鶯とて、
履(は)いたる足駄(あしだ)を
踏ん脱いで、
大口(おおくち)の傍(そば)を
高く取り、
狩衣(かりぎぬ)の袖を
うつ肩脱いで、
花の木蔭に狙ひ寄って、
よつ引(び)きひやうと、
射ばやと思へども、
仏の戒めたまふ、
殺生戒(せっしょうかい)をば
破るまじ
アイ「あれご覧候へ、
鶯が花を散らし候ふよ
シテ「げにげに鶯が
花を散らし候ふよ、
某(それがし)射て落し候はん
アイ「急いで遊ばし候へ
シテ「鶯の花踏み散らす
細脛(ほそはぎ)を、
大長刀(おおなぎなた)も
あらばこそ、
花月が身に
敵(かたき)のなければ、
太刀(たち)刀(かたな)は持たず、
弓は的(まと)射んがため、
またかかる落花(らっか)
狼藉(ろうぜき)の小鳥をも、
射て落さんがためぞかし、
異国の養由(よういう)は、
百歩(はくぶ)に柳の葉を垂れ、
百(もも)に百矢(ももや)を
射るに外さず、
われはまた、
花の梢の鶯を、
射て落さんと思ふ心は、
その養由にも劣るまじ:あら面白や
地:それは柳これは桜、
それは雁(かり)がね、
これは鶯、
それは養由
これは花月、
名こそ変るとも、
弓に隔てはよもあらじ、
いでもの見せん鶯、
いでもの見せん鶯とて、
履(は)いたる足駄(あしだ)を
踏ん脱いで、
大口(おおくち)の傍(そば)を
高く取り、
狩衣(かりぎぬ)の袖を
うつ肩脱いで、
花の木蔭に狙ひ寄って、
よつ引(び)きひやうと、
射ばやと思へども、
仏の戒めたまふ、
殺生戒(せっしょうかい)をば
破るまじ
【花月の語り舞】
アイ「言語(ごんご)道断(どうだん)、
面白きことを仰せられ候、
また人のご所望にて候、
当寺の謂(い)はれを曲舞に
作りておん謡ひ候ふよしを
聞こし召して、
一節(ひとふし)おん謡ひ候へとの
ご所望にて候
シテ「易きこと謡うて聞かせ
申さうずるにて候
シテ:さればにや大慈(だいじ)
大悲(だいひ)の春の花
地:十悪(じうあく)の里に
香(こうば)しく、
三十(さんじう)三身(さじん)の
秋の月、
五濁(ごじょく)の水に影清し
地:そもそもこの寺は、
坂の上の田村丸(たむらまる)、
大同(だいどう)二年の春の頃、
草創(そうそう)ありしこのかた、
いまも音羽山(おとわやま)、
嶺の下枝(しずえ)の
滴(しただ)りに、
濁るともなき清水の、
流れを誰(たれ)か汲まざらん、
ある時この滝の水、
五色(ごしき)に見えて
落ちければ、
それを怪しめ山に入り、
その水上(みなかみ)を尋ぬるに、
こんじゅ山(せん)の
岩の洞(ほら)の、
水の流れに埋(うず)もれて、
名は青柳(あおやぎ)の
朽木(くちき)あり、
その木より光さし、
異香(いきょう)四方(よも)に
薫(くん)ずれば
シテ:さては疑ふ所なく
地:楊柳(ようりう)観音の、
おん所変(しょへん)にて
ましますかと、
みな人手を合はせ、
なほもその奇特(きどく)を
知らせて賜(た)べと申せば、
朽木の柳は緑をなし、
桜にあらぬ老木(おいき)まで、
みな白妙(しろたえ)に
花咲きけり、
さてこそ千手(せんじゅ)の
誓ひには、
枯れたる木にも花咲くと、
いまの世までも申すなり
アイ「言語(ごんご)道断(どうだん)、
面白きことを仰せられ候、
また人のご所望にて候、
当寺の謂(い)はれを曲舞に
作りておん謡ひ候ふよしを
聞こし召して、
一節(ひとふし)おん謡ひ候へとの
ご所望にて候
シテ「易きこと謡うて聞かせ
申さうずるにて候
シテ:さればにや大慈(だいじ)
大悲(だいひ)の春の花
地:十悪(じうあく)の里に
香(こうば)しく、
三十(さんじう)三身(さじん)の
秋の月、
五濁(ごじょく)の水に影清し
地:そもそもこの寺は、
坂の上の田村丸(たむらまる)、
大同(だいどう)二年の春の頃、
草創(そうそう)ありしこのかた、
いまも音羽山(おとわやま)、
嶺の下枝(しずえ)の
滴(しただ)りに、
濁るともなき清水の、
流れを誰(たれ)か汲まざらん、
ある時この滝の水、
五色(ごしき)に見えて
落ちければ、
それを怪しめ山に入り、
その水上(みなかみ)を尋ぬるに、
こんじゅ山(せん)の
岩の洞(ほら)の、
水の流れに埋(うず)もれて、
名は青柳(あおやぎ)の
朽木(くちき)あり、
その木より光さし、
異香(いきょう)四方(よも)に
薫(くん)ずれば
シテ:さては疑ふ所なく
地:楊柳(ようりう)観音の、
おん所変(しょへん)にて
ましますかと、
みな人手を合はせ、
なほもその奇特(きどく)を
知らせて賜(た)べと申せば、
朽木の柳は緑をなし、
桜にあらぬ老木(おいき)まで、
みな白妙(しろたえ)に
花咲きけり、
さてこそ千手(せんじゅ)の
誓ひには、
枯れたる木にも花咲くと、
いまの世までも申すなり
【花月の舞】
ワキ「あら不思議や、
これなる花月を
よくよく見候へば、
某(それがし)が俗にて失ひし
子にて候ふはいかに、
名乗って逢はばやと思ひ候
ワキ「いかに花月に
申すべきことの候
シテ「なにごとにて候ふぞ
ワキ「おん身はいづくの人にて
わたり候ふぞ
シテ「これは筑紫の者にて候
ワキ「さてなにゆゑかやうに
諸国をおん廻り候ふぞ
シテ「われ七つの歳(とし)
彦山に登り候ひしが、
天狗に取られて
かやうに諸国を廻(めぐ)り候
ワキ「さては疑ふ所もなし、
これこそ父の左衛門(さえもん)よ、
見忘れてあるか
アイ「のうのうおん僧は
なにごとを仰せられ候ふぞ
ワキ「さん候(ぞうろう)、
この花月は某が
俗(ぞく)にて失ひし
子にて候ふほどに、
さてかやうに申し候
アイ「げにとおん申し候へば、
瓜を二つに割ったるやうにて候、
この上はいつものごとく
八撥(やつばち)を
おん打ち候ひて、
うち連れ立って故郷へ
おん帰り候へ
ワキ「あら不思議や、
これなる花月を
よくよく見候へば、
某(それがし)が俗にて失ひし
子にて候ふはいかに、
名乗って逢はばやと思ひ候
ワキ「いかに花月に
申すべきことの候
シテ「なにごとにて候ふぞ
ワキ「おん身はいづくの人にて
わたり候ふぞ
シテ「これは筑紫の者にて候
ワキ「さてなにゆゑかやうに
諸国をおん廻り候ふぞ
シテ「われ七つの歳(とし)
彦山に登り候ひしが、
天狗に取られて
かやうに諸国を廻(めぐ)り候
ワキ「さては疑ふ所もなし、
これこそ父の左衛門(さえもん)よ、
見忘れてあるか
アイ「のうのうおん僧は
なにごとを仰せられ候ふぞ
ワキ「さん候(ぞうろう)、
この花月は某が
俗(ぞく)にて失ひし
子にて候ふほどに、
さてかやうに申し候
アイ「げにとおん申し候へば、
瓜を二つに割ったるやうにて候、
この上はいつものごとく
八撥(やつばち)を
おん打ち候ひて、
うち連れ立って故郷へ
おん帰り候へ
《物着》
シテ「さてもわれ筑紫彦山に登り
:七つの歳天狗に
地:取られて行きし山々を、
思ひやるこそ悲しけれ
:七つの歳天狗に
地:取られて行きし山々を、
思ひやるこそ悲しけれ
《鞨鼓》
【終曲】
地:取られて行きし山々を、
思ひやるこそ悲しけれ、
まづ筑紫には彦の山、
深き思ひを四王寺(しおうじ)、
讃岐(さぬき)には松山、
降り積む雪の白峰(しろみね)、
さて伯耆(ほうき)には
大山(だいせん)、
さて伯耆には大山、
丹後(たんご)丹波(たんば)の
境(さかい)なる、
鬼が城(じょう)と聞きしは、
天狗よりも恐ろしや、
さて京近き山々、
さて京近き山々、
愛宕(あたご)の山の太郎坊、
比良(ひら)野の峰の次郎坊、
名高(たか)き比叡(ひえ)の
大嶽(おおだけ)に、
少し心の澄みしこそ、
月の横川(よかわ)の
流れなれ、
日ごろはよそにのみ、
見てや止(や)みなんと
眺めしに、
葛城(かずらき)や、
高間(たかま)の山、
山上(さんじょう)大峰(おおみね)
釈迦(しゃか)の嶽(だけ)、
富士の高嶺(たかね)に
上がりつつ、
雲に起き臥す時もあり、
かやうに狂ひ廻りて、
心乱るるこの簓(ささら)、
さらさらさらさらと、
擦(す)っては謡ひ、
舞うては数へ、
山々嶺々、
里々を、
廻り廻りてあの僧に、
逢ひたてまつる嬉しさよ、
いまよりこの簓、
さっと捨ててさ
候(そうら)はば、
あれなるおん僧に、
連れ参らせて仏道(ぶつどう)、
連れ参らせて仏道の、
修行に出づるぞ
嬉しかりける、
出づるぞ嬉しかりける
地:取られて行きし山々を、
思ひやるこそ悲しけれ、
まづ筑紫には彦の山、
深き思ひを四王寺(しおうじ)、
讃岐(さぬき)には松山、
降り積む雪の白峰(しろみね)、
さて伯耆(ほうき)には
大山(だいせん)、
さて伯耆には大山、
丹後(たんご)丹波(たんば)の
境(さかい)なる、
鬼が城(じょう)と聞きしは、
天狗よりも恐ろしや、
さて京近き山々、
さて京近き山々、
愛宕(あたご)の山の太郎坊、
比良(ひら)野の峰の次郎坊、
名高(たか)き比叡(ひえ)の
大嶽(おおだけ)に、
少し心の澄みしこそ、
月の横川(よかわ)の
流れなれ、
日ごろはよそにのみ、
見てや止(や)みなんと
眺めしに、
葛城(かずらき)や、
高間(たかま)の山、
山上(さんじょう)大峰(おおみね)
釈迦(しゃか)の嶽(だけ)、
富士の高嶺(たかね)に
上がりつつ、
雲に起き臥す時もあり、
かやうに狂ひ廻りて、
心乱るるこの簓(ささら)、
さらさらさらさらと、
擦(す)っては謡ひ、
舞うては数へ、
山々嶺々、
里々を、
廻り廻りてあの僧に、
逢ひたてまつる嬉しさよ、
いまよりこの簓、
さっと捨ててさ
候(そうら)はば、
あれなるおん僧に、
連れ参らせて仏道(ぶつどう)、
連れ参らせて仏道の、
修行に出づるぞ
嬉しかりける、
出づるぞ嬉しかりける
※出典『能楽名作選 上』(本書は観世流を採用)
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