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求塚

2020-05-22 17:25:54 | 詞章
『求塚』 Bingにて 求塚 竹サポ 能を で検索を推奨。
※「:」は、節を表す記号の代用。
※[]は、ここでの読みがな、その他の補足。

【僧、従僧の登場】
ワキ、ワキヅレ:鄙(ひな)の
  長路(ながじ)の
  旅衣(たびごろも)、
  鄙の長路の旅衣、
  都にいざや急がん
ワキ「これは
  西国方(さいこくがた)より
  出でたる僧にて候、
  われいまだ
  都を見ず候ふほどに、
  ただいま都に上り候
ワキ、ワキヅレ:旅衣、
  八重(やえ)の潮路(しおじ)の
  浦伝(うらづた)ひ、
  八重の汐路の浦伝ひ、
  舟にても行く旅の道、
  海山かけてはるばると、
  明かし暮らして行くほどに、
  名にのみ聞きし津の国の、
  生田(いくた)の里に
  着きにけり、
  生田の里に着きにけり
ワキ「これは聞きおよびたる
  所にて候、
  あの小野を見れば、
  若菜摘む人の
  あまた来たり候、
  かの人々を待ちて、
  所の名所をも
  尋ねばやと思ひ候
ワキヅレ「もっともにて候

【里女、連れの女の登場】
シテ、ツレ:若菜摘む、
  生田の小野の朝風に、
  なほ冴(さ)えかへる
  袂(たもと)かな
ツレ:木(こ)の芽(め)も
  春の淡雪(あわゆき)に
シテ、ツレ:森の下草なほ寒し
シテ:深山(みやま)には
  松の雪だに消えなくに
シテ、ツレ:都は野辺の若菜摘む、
  頃にもいまはなりぬらん、
  思ひやるこそゆかしけれ
シテ:ここはまた、
  もとより所も天(あま)ざかる
シテ、ツレ:鄙人(ひなびと)なれば
  おのづから、
  憂きも命も生田の海の、
  身の限りにて憂き業(わざ)の、
  春としもなき小野に出でて
シテ、ツレ:若菜摘む、
  幾(いく)里人の跡ならん、
  雪間あまたに野はなりぬ
シテ、ツレ:道なしとても
  踏み分けて、
  道なしとても踏み分けて、
  野沢の若菜今日摘まん、
  雪間を待つならば、
  若菜ももしや老いもせん、
  嵐吹く森の木蔭、
  小野の雪もなほ冴えて、
  春としも七草(ななくさ)の、
  生田の若菜摘まうよ、
  生田の若菜摘まうよ

【里女、連れの女。僧の応対】
ワキ「いかにこれなる人に
  尋ね申すべきことの候、
  生田とは
  このあたりを申し候ふか
ツレ:生田と知ろしめしたる上は、
  おん尋ねまでも候ふまじ
シテ:所々のありさまにも、
  などかはご覧じ知らざらん
  「まづは生田の名にし負ふ、
  これに数(かず)ある林をば、
  生田の森とは知ろしめさずや
ツレ:またいま渡りたまへるは、
  名に流れたる生田川
シテ「水の緑も春浅き、
  雪間の若菜摘む野辺に
ツレ:少なき草の原ならば、
  小野とはなどや知ろしめされぬぞ
シテ、ツレ:み吉野志賀の山桜、
  龍田(たつた)初瀬(はつせ)の
  紅葉(もみじ)をば、
  歌人(かじん)の家には
  知るなれば、
  所に住める者なればとて、
  生田の森とも林とも、
  知らぬことをなのたまひそよ
ワキ:げに目前(もくぜん)の所どころ、
  森をはじめて海(うみ)川(かわ)の、
  霞みわたれる小野の景色
  「げにも生田の名にし負へる、
  さて求塚とはいづくぞや
シテ「求塚とは名には聞けども、
  まことはいづくのほどやらん、
  わらはもさらに知らぬなり
ツレ:のうのう旅人、
  よしなきことをなのたまひそ、
  わらはも若菜を摘む暇(いとま)
シテ:おん身も急ぎの旅なるに、
  何(なに)しに休らひたまふらん
シテ、ツレ:されば古き歌にも
地:旅人の、
  道妨げに摘むものは、
  生田の小野の若菜なり、
  よしなや何を問ひたまふ
地:春日野の、
  飛火(とぶひ)の野守(のもり)
  出でてみよ、
  飛火の野守出でてみよ、
  若菜摘まんもほどあらじ、
  そのごとく旅人も、
  急がせたまふ都を、
  いま幾日(いくか)ありてご覧ぜん、
  君がため、
  春の野に出でて若菜摘む、
  衣手(ころもで)寒し消え残る、
  雪ながら摘まうよ、
  淡雪(あわゆき)ながら摘まうよ

【里女たちの立働き】
地:沢辺なる、
  氷凝(ひこ)りは薄く残れども、
  水の深芹(ふかぜり)、
  かき分けて青緑、
  色ながらいざや摘まうよ、
  色ながらいざや摘まうよ
地:まだ初春(はつはる)の若菜には、
  さのみに種(たね)はいかならん
シテ:春立ちて、
  朝(あした)の原の雪見れば、
  まだ古年(ふるとし)の心地して、
  今年(ことし)生(お)ひは少なし、
  古葉(ふるは)の若菜摘まうよ
地:古葉なれどもさすがまた、
  年(とし)若草(わかくさ)の
  種(たね)なれや、
  心せよ春の野辺
シテ:春の野に、
  春の野に、
  菫(すみれ)摘みにと
  来(こ)し人の、
  若紫の菜や摘みし
地:げにや縁(ゆか)りの
  名を留(と)めて、
  妹背(いもせ)の橋も中絶えし
シテ:佐野の茎(くく)立ち
  若(わか)立(た)ちて
地:緑の色も名にぞ染(そ)む
シテ:長安のなづな
地:辛(から)なづな、
  白み草も有明(ありや)けの、
  雪にまぎれて、
  摘みかぬるまで春寒き、
  小野の朝風、
  また森の下枝(しずえ)松垂れて、
  いづれを春とは白波の、
  川風までも冴えかへり、
  吹かるる袂もなほ寒し、
  摘み残して帰らん、
  若菜摘み残して帰らん

【里女の中入】
ワキ「いかに申すべきことの候、
  若菜摘む女性(にょしょう)は
  みなみな帰りたまふに、
  何(なに)とておん身一人(いちにん)
  残りたまふぞ
シテ「さきにおん尋ね候ふ
  求塚を教(のし)へ申し候はん
ワキ「それこそ望みにて候、
  おん教へ候へ
シテ「こなたへおん入(に)り候へ
シテ「これこそ求塚にて候へ
ワキ「さて求塚とは何と申したる
  謂はれにて候ふぞ、
  くはしくおん物語り候へ
シテ「さらば語って聞かせ
  申し候ふべし
シテ「昔この所に
  菟名日(うない)処女(おとめ)の
  ありしに、
  またその頃
  小竹田男(ささだおとこ)、
  血沼(ちぬ)の丈夫(ますらお)と
  申しし者、
  かの菟名日に心をかけ、
  同じ日の同じ時に、
  わりなき思ひの
  玉章(たまずさ)を贈る、
  かの女(おんな)思ふやう、
  一人(ひとり)になびかば
  一人の恨み深かるべしと、
  左右(そう)なう
  なびくこともなかりしが、
  あの生田川の
  水鳥(みずとり)をさへ、
  二人(ふたり)の矢先に
  もろともに、
  一つの翼に当たりしかば
  :その時わらは思ふやう、
  無残やな
  さしも契りは深緑[みどり]、
  水鳥までもわれゆゑに、
  さこそ命は鴛鴦(おしどり)の、
  番(つが)ひ去りにしあはれさよ
シテ:住み侘びつ、
  わが身捨ててん津の国の、
  生田の川は、
  名のみなりけりと
地:これを最期の言葉にて、
  この川波に沈みしを、
  取り上げてこの塚の、
  土中(どちう)に
  籠(こ)め納めしに、
  二人(ふたり)の男(おとこ)は、
  この塚に求め来たりつつ、
  いつまで生田川、
  流るる水に夕潮(いうしお)の、
  刺し違へて空しくなれば、
  それさへわが科(とが)に、
  なる身を助けたまへとて、
  塚のうちに入りにけり、
  塚のうちにぞ入りにける

(間の段)【里人の物語】
(遊山にきた里人が僧に乞われて
求塚にまつわる物語を語る)

【僧、従僧の待受】
ワキ、ワキヅレ:一夜(ひとよ)臥す、
  牡鹿(おしか)の角(つの)の
  塚の草、
  牡鹿の角の塚の草、
  蔭より見えし
  亡魂(ぼうこん)を、
  弔ふ法(のり)の声立てて
ワキ:南無(なむ)幽霊(いうれい)
  成等(じょうとう)正覚(しょうがく)、
  出離(しゅつり)生死(しょうじ)
  頓証(とんしょう)菩提(ぼだい)

【処女の亡霊の登場】
シテ:おう曠野(こうや)人まれなり、
  わが古墳ならでまた何者ぞ、
  屍(かばね)を争ふ
  猛獣(もうじう)は
  去ってまた残る、
  塚を守る飛魄(ひばく)は
  松風(しょうふう)に飛び、
  電光(でんこう)朝露(ちょうろ)
  なほもって眼(まなこ)にあり
シテ:古墳多くは少年の人、
  生田の名にも似ぬ命
地:去って久しき
  故郷(こきょう)の人の
シテ:御法(みのり)の声はありがたや
地:あら閻浮(えんぶ)恋ひしや
地:されば人、
  一日(いちにち)一夜(いちや)を
  経(ふ)るにだに、
  一日一夜を経るにだに、
  八億(はちおく)四千(しせん)の
  思ひあり、
  いはんやわれらは、
  去りにし跡も久方の、
  天(あま)の帝(みかど)の
  御代(みよ)より、
  いまは後(のち)の堀河の、
  御宇(ぎょう)に逢はばわれも、
  ふたたび世に帰れかし、
  いつまで草の蔭、
  苔の下には埋(うず)もれん、
  さらば埋(うず)もれも
  果てずして、
  苦しみは身を焼く、
  火宅(かたく)の住みかご覧ぜよ、
  火宅の住みかご覧ぜよ

【処女の出現】
ワキ:あらいたはしの
  おんありさまやな、
  一念ひるがへせば、
  無量の罪をも逃るべし、
  種々(しゅじゅ)諸悪趣(しょあくしゅ)
  地獄(じごく)鬼畜生(きちくしょう)、
  生老(しょうろう)病死苦(びょうしく)
  以漸(いぜん)悉令滅(しつりょうめつ)、
  はやはや浮かみたまへ
シテ:ありがたや
  この苦しみの隙(ひま)なきに、
  御法(みのり)の声の耳に触れて、
  大焦熱(だいしょうねつ)の
  煙のうちに、
  晴れ間の少し見ゆるぞや、
  ありがたや

【終曲】
シテ「恐ろしや
  おことは誰(た)そ、
  なに小竹田男(ささだおとこ)の
  亡心(ぼうしん)とや、
  またこなたなるは
  血沼(ちぬ)の丈夫(ますらお)、
  左右(そう)の手を取って、
  来たれ来たれと責むれども、
  三界(さんがい)火宅の
  住みかをば、
  なにと力に出づべきぞ、
  また恐ろしや
  飛魄(ひばく)飛び去り目の前に、
  来たるを見れば
  鴛鴦(おしどり)の、
  鉄鳥(てっちょう)となって
  黒鉄(くろがね)の
  :嘴足(はしあし)剣(つるぎ)の
  ごとくなるが、
  頭(こうべ)をつつき
  髄(ずい)を食ふ、
  こはそも
  わらはがなせる科(とが)かや、
  恨めしや
シテ「のうおん僧、
  この苦しみをば
  何(なに)とか助けたまふべき
ワキ:げに苦しみの時来たると、
  言ひもあへねば塚の上に、
  火焔(かえん)一群(ひとむら)
  飛び覆(おお)ひて
シテ:光は飛魄の鬼となって
ワキ:笞(しもと)を振り上げ
  追っ立つれば
シテ:行かんとすれば前は海
ワキ:後ろは火焔
シテ:左も
ワキ:右も
シテ:水火(すいか)の責めに
  詰められて
ワキ:せん方なくて
シテ:火宅の柱に
地:すがりつき取りつけば、
  柱はすなはち火焔となって、
  火の柱を抱(だ)くぞとよ、
  あら熱(あつ)や堪へがたや、
  五体(ごだい)は熾火(おきび)の、
  黒煙(くろけむり)と
  なりたるぞや
シテ:しこうじて起き上がれば
地:しこうじて起き上がれば、
  獄卒(ごくそつ)は
  笞(しもと)をあてて、
  追っ立つれば漂ひ出でて、
  八大(はつだい)地獄の数々、
  苦しみを尽くしおん前にて、
  懺悔(さんげ)のありさま
  見せ申さん、
  まづ等活(とうかつ)
  黒縄(こくしょう)
  衆合(しゅごう)
  叫喚(きょうかん)、
  大叫喚(だいきょうかん)、
  炎熱(えんねつ)
  酷熱(ごくねつ)
  無間(むけん)の底に、
  足上(そくしょう)頭下(づげ)と
  落つるあひだは、
  三年(みとせ)三月(みつき)の
  苦しみ果てて、
  少し苦患(くげん)の
  隙(ひま)かと思へば、
  鬼も去り火焔も消えて、
  暗闇(くらやみ)となりぬれば、
  いまは火宅に帰らんと、
  ありつる住処(すみか)は
  いづくぞと、
  暗さは暗しあなたを尋ね、
  こなたを求塚いづくやらんと、
  求め求めたどり行けば、
  求め得たりや求塚の、
  草の蔭野(かげ)の露消えて、
  草の蔭野の露消え消(ぎ)えと、
  亡者(もうじゃ)の形は失せにけり、
  亡者の影は失せにけり

※出典『能を読むⅢ』(本書では宝生流を採用)



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