チャーリーの青空トーク

60を過ぎた頑固ジジイが、ライフワークの「姓名判断」と「幸福に生きるには」を勝手に語るブログ。

今年の夏はいろいろありました。まだまだコレで終わりじゃない予感・・・

2015-08-21 15:54:20 | 地震・ツナミ・自然災害


チャーリーは北マリアナ諸島 サイパン島に住んでいます。 

かれこれ15年になりますがこれほど次から次にいろんな事が起きた夏は初
めてです。おかげで、2か月もブログ放置してしまいました。コレ良い訳じ
ゃなく、ホントにまともにネットが繋がらなかったのです。 

7月の初旬いきなり海底ケーブルが破損して4日間島内の一切のコミュニュ
ーション手段が絶たれてしまいました。さらに携帯電話が復旧するまでに
3日、インターネットが通常に戻るまでに約20日間を要しました。

その間、電話会社が暫定的に携帯とインターネットの信号を回復させてく
れましたが、所詮は一時凌ぎでまともな通信ができませんでした。

海底ケーブルの破損個所は海岸線から近いところでしたが、台湾からの修
復作業船の到着を待ってからの修復になりましたので、半月以上の日数を
要したようです。 

最先端技術を利用した情報交換の手段を失うと何にもできなくなることが
解りました。銀行の業務、ATM、クレジットカード、をはじめ様々なと
ころで支障が発生。オンライン化されているモノすべてがダウンです。 

それって、今現在の生活のほとんど全てですよね? 個人の生活も、仕事
も何もかもです。 

その間通常に使えた通信方法はいわゆる普通の有線電話のみ。ですからFAX
の送受信はなんとか可能でした。つまり、1990年代にタイムスリップしたよ
うな感じ。 

観光で成り立っている島の経済にとっては大打撃でしたが、困ったといって
も誰かが傷ついたわけでもないし、普段効率を追い求め便利になっていた事
が20年ほど昔の状態に戻っただけ。 


まぁネットでの情報のやりとりが出来なかったのは厄介でしたが、考えてみ
ればそんなモノ無くてもなんとか生きてはいけるんですよね。 

と、思った束の間・・・大変な事態に陥りました。

海底ケーブルが復旧して10日ほどたった8月2日スーパー台風13号がサイパン
を直撃。 コレには正直言って恐怖を感じました。7月28日には台風13号が
北マリアナ・サイパン付近を通過することが予想され州政府も台風情報を流
していました。 8月1日午後には風が強くなり始めて台風が確実に接近して
いるのがハッキリわかりました。 

翌、2日午前中から午後の早い時間帯は前日とはそれほど変化が無かったの
ですが、気象情報の予想進路やサテライト気象画像は中心がどんどんサイパ
ンに近づいてくる事を示していました。夜に入りさらに風が強くなり、午後
10時を廻った時はもうこれは尋常な状況ではないと・・・

外では凄まじい音と共に横殴りの強い雨。 11時30分ごろには家の隙間と
いう隙間から雨水が風と共に吹き込み家族全員で必死に防水作業に取り掛
かりました。ドアの隙間には、ビニールのごみ袋を畳んで隙間と同じ厚さ
にしそれを物差しを使って隙間に押し込みました。とにかく、風の入り込
む隙間という隙間をを塞さがないと、どんどん水が入り込んでしまうのです。


床はあっという間に水浸し。ほんのの15分か20分くらいの出来事です。
の浸入を防いだ後は窓ガラスにはガムテープを何本も張り万が一割れて
も出来るだけ破片が飛び散らないようにしました。が、考えてみたらあの
凄まじい暴風雨うの中でもし窓ガラスが割れていたらたぶんガムテープご
ときではガラスの窓の破片を防ぎ切れ中なかったのではと・・・もし何か
モノが窓ガラスに当たって割れていたら・・・と想像したら今更ながらに
ゾっとします。 


外では凄まじい風の音とともに物が落ちて壊れる音や風で樹木が揺れる音。

そのうちに急激に耳に違和感を覚えて・・・そう、飛行機に乗った時や新
幹線でトンネルに入った時に感じる気圧が急に変わった時の感覚。それだ
け中心に近かったのでしょうか? 

もっとも激しかった暴風域の中に居た時間は午後11時から午前3時まで
の4時間くらいでしょうか? 

朝を迎え外が明るくなって来た時もまだ風は相当強い状態でした。昼近くな
ってようやく落ち着いてきた時は、我が家の被害が床上浸水した程度でホン
トに胸をなでおろしホッとしました。

午後3時ごろになって、今夜の食事の買い出しに行かなくてはと車で出るこ
とにしました。家から外に出ると周囲は様子が一変していました。 あたり
の木という木の枝がことごとく折れて飛んでしまっています。 辺りの樹木
が丸坊主。 フェンスは倒れるは、エアコンの室外機が吹っ飛んでいる。

中には接続の管をちぎって飛ばされているのもある。 通常の道が倒木と冠
水によって通れず迂回し幹線道路に出る。辺りはまったく様子が変わってし
まっている。 

普段見慣れた景色とあまりに違うので改めて台風の凄まじい脅威を見せつけ
られた感じでした。幹線道路沿いは数えきれないほどの電柱が倒れ荒れ果て
た様子。またモンキーポットやフレームツリー、杉といった巨木も倒れている。

屋根が飛ばされ無くなってしまっている家。家の形を留めていないほど破壊さ
れてしまった家屋。 倒れた電柱が駐車中の車を押し潰している40フィートの
巨大なコンテナが転がっている。垂れ下がった電線が道路を塞ぐ。 


看板、道路標識、フェンス、街灯、水タンク etc ・・・目にするモノすべて
が破壊されたような感じさえしました。

これほどの災害がこの身に降りかかったのは初めての体験でした。まさに自然
の脅威。 改めて自然には逆らえない事を思い知らされました。  

今回の台風被害で死亡者が発生しなかったのは幸いでした。 

現在のライフラインの状況は上水道と電気が完全に止まっています。 電話は2
週間以上経った今でも一部不通のところがあります。 

ガソリン・軽油の供給は一時入手制限が引かれましたがげんざいは制限なく入
手えきます。銀行は営業時間を短縮しています。 生活物資についてはほぼ問
題ないようですが、問題は街のスーパー、小売店・販売店に電気が供給されて
いない関係で、生鮮食品の流通が十分ではないようです。

ちなみに、台風通過後の8月6日ガソリンを手に入れるのに6時間並びました。
洗濯をするだけでコインランドリーの順番待ちで6時間。さらに洗濯の時間
に3時間かかったといった普段では考えられないことを体験しました。

電気と水、コミュニケーション手段が無くなるとどういう事になるのか?

この台風13号で北マリアナサイパン島では緊急事態宣言が発動され、FEMA
アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁の管理下で海軍やアメリカ赤十字、その
他多くの団体企業の支援を受けて復興が始まっています。

台風の翌日の8月4日には海軍のヘリが上空を飛んでいた事を覚えています。
たぶん状況を偵察しに来たのでしょう、その後アメリカ海軍支援の揚陸艦が
佐世保から到着したのが8月8日。今は順調に復興が進んでいます。


驚いた事に、被災後大きな混乱が無いのです。市民は我慢強く順番の待ちの
列に並び、水やガソリンを分け合っています。水と電気の確保が難しいコイ
ンランドリーは今でも長い順番待ちの列が出来ています。一部のモノは手に
入りにくくなっています。 道路の信号機はほとんど機能していません。
そんな不自由な生活の中、様々な国々から来ている人々によって成り立っ
ているこの島の社会では、秩序が守られている事にある意味驚きです。
人種間のケンカや争い事が有ったとは聞いてません。これからもそんな事は
起きないと願いたいです。

思うに、ここサイパンは政治形態はアメリカ合衆国に組み込まれていますが
実際に住んでいる人々は圧倒的にアジアの人々占めています。ですから農耕
社会から発生したモノを分かち合い、助け合い、愛し合うアジア文化が生活
に浸透しているんですね。狩猟社会から発生した、競争し奪い合う欧米社会
ではこうはいかないかもしれませんネ。

この災害を経て、また一層サイパンが好きになった気がします。
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