ニセコのダチョウ牧場(第2有島だちょう牧場)

ダチョウの孵化から解体まで行い、命を頂く事、牧場を営む事で得た、学びや気づきを記録しています。

生き物文化誌学会の学会誌に写真と文章を載せて頂きました。

2023年06月02日 | 日記
去年参加させて頂いた生き物文化誌学会の学会誌が最近出ました。

牧場の写真を表紙に使って頂けました。

秋篠宮殿下が理事を務める学会で、国立民族学博物館の教授等、御高名な方々に混じって、私の文章や参加させて頂いたシンポジウムの内容が載っています。



とても興味深い学会であることを皆さんにお伝えしたかったので、私なりの解釈で生きもの文化誌学会のHP上にある説明を要約してみました。

「生きもの文化誌学会では生き物と人の関わりを日常生活、文化、環境など様々な次元で探求しています。

私たち人は生き物を食し、暮らしの中で様々に利用してきました。

森は動物を養い、動物は植物の受精や種子の散布を助けるなど、私たち人間を含む生き物は互いに影響し合い、地球の環境を保っています。

人は人だけでは生きていくことができません。

さらに生き物は神話や伝承、文学や芸術などの人の文化にも深く関わり合い、私たちの精神的な支えにもなります。

この学会で探求する様々な文化には私たちの先祖や世界中の民族が長年にわたって築きあげてきた自然と共生する「智」が込められています。

生き物とともに生きる地球の住人として、生き物と人の関わりをより深く理解し尊重することが地球環境の面からも大切で、この学会ではその豊かな「智」と情報に触れることができます。

なお、この学会は学者や研究者だけでなく、子どもたちをはじめとした生き物とその文化に興味のある人ならだれでも参加することができ、そういった色々な人の関わりの中で一緒に「生きもの文化誌学」を広めていけるよう願っています。」

以上は要約ですから、詳しくお知りになりたい方は「生きもの文化誌学会」のHPをお確かめください。

今号は牧場のお店の他、ニセコ町の図書館「あそぶっく」さんに置かせていただく予定なので、だちょうさんをきっかけに様々な「智」に触れてみてもらえればと思います。

皆さんに今まで色々とお伝えしているように、だちょうさんという生物種だけでも多くの学びがあります。

だちょうさんは、人間が乱獲したことによって、絶滅しかけた歴史があります。

それが今では世界各地で欠かせない家畜となっており、卵殻アートなどの副産物を生かす文化的な面でも人と密接に関わり、影響を与えています。

現在、環境の変化によってだちょうさんの個体数は減少傾向です。

世界の多くの生物たちが同じような状況に陥っていますが、こういった変化が人類の未来に影響を与える事は言うまでもありません。

人類は生物の枠を超えて様々な能力を獲得し、生息域を拡大し、既存の生態系に影響を及ぼし続けてきました。

私は今だからこそ、森羅万象に敬意を持ち、自然と共に在った過去の人類の歴史や文化を学び、現代にかろうじて残る生態系をいかに守り繋げていくかについて知識を深めるべきだなぁと思っています。


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どうしてダチョウを飼っているのか

2023年04月13日 | 日記
「どうしてダチョウを飼っているの?」と良く聞かれます。

最近は「だちょうさんが可愛いからです」と即答したくなります(笑)

どうしてだちょうさんを飼うのかを答えようとするととても長くなってしまうのですが、今回はダチョウという動物を飼うことが持つ意義について書こうと思います。

地球が急激に温暖化していることはご存じかと思いますが、5500万年前にも5-9℃急激に上昇した時期があるそうで、PETMと呼ばれています。

地球の歴史から見たらごく短い数万年の間温暖化が続いたことにより、多くの生物の絶滅や生物の進化などが起こったものと考えられています。

だちょうさんの祖先は鳥類から分化して7900万年といわれていて、その説が正しければ、この急激な気候変動時代も生き延びて現在に至っているようです。

ダチョウという動物は人類が家畜化して改良しはじめてからの歴史が浅く、原始的な能力を色濃く残しており、気候変動に対応できる可能性が高い生物資源として捉えることができます。

例えば、水の要求量が少ない点が評価できます。

温暖化が進行すると乾燥した砂漠のような地域が増えていくと考えられ、水資源の世界的な枯渇から、畜産動物が消費する水の量が問題視されています。

最近騒がれている黄砂被害ですが、これも地球の温暖化がユーラシア大陸内陸部の乾燥、砂漠化を進めていることが原因の一つと考えられております。
アメリカでは乾燥がひどくなっており、動物に食べさせる牧草などを育てることができる土地の減少、牧草価格の上昇が起きています。こうした地球温暖化に伴う土地の砂漠化が現代の畜産を困難にする未来が想定されています。

ダチョウは他の生物がいなくなった乾季の砂漠において他の草食獣の糞などを食べて生き延び、孵化、育児をする生命力を持っており、必要とする栄養量は効率的な畜産とされているブロイラーより低いです。

そもそも人類が動物を飼育してタンパク質を取らなくても良いのではないかという考えも増えてきていますが、畜産動物は人類が利用できない資源や環境を有効に利用してたんぱく質を生成でき、その他にも有益な点が多く、畜産の形は変わったとしても続いていくと考えられます。

未来に起こりうる食糧問題解決の一つの選択肢としてダチョウの畜産を継続、研究していくことに意味があると思うので、今年もだちょうさんの命を頂いてお肉を販売させていただきます。
だちょうさんを必要以上に苦しませずに美味しいお肉にすることにこだわってきましたが、最近やっと及第点をつけられるくらいになりました。
もし機会があればぜひ召し上がってみてくださいね。


今年は10年前と比べると雪解けが驚くほど早く、今から猛暑で乾燥する夏の可能性が頭をよぎるのですが、それより過酷な環境を生き延びてきただちょうさんにとっては何の問題もなさそうです。

森林と水が豊かな日本にいると想像がしにくいのですが、夏の暑い中、日光を浴びてぴんぴんしているだちょうさんをみて、現在起きている深刻な地球温暖化が進んだ未来を想像するというのも大切なことだと感じています。

ただ最近はそういった意義も忘れて、お客さんにだちょうさんが可愛いという事について語りたくなってしまうのですからだちょうさんは本当に魅力的ですね。


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命を頂く事について

2023年04月05日 | 命を頂く事について
今年もだちょうさんの屠畜をして、お肉を作りました。

私は卵から愛情を持って育て、敬意をもって接し、心も身体も健康に育て、だちょうさんが必要以上に苦しむことなく済むように、その死が無駄なく活かされるよう丁寧に屠畜して、美味しいお肉にすることを目指します。
口で言うのは簡単ですが、毎日の積み重ねが大切で、お肉にするときに答えが出ます。

私は必ず屠畜した日にお肉や心臓を食べ、必要以上に怯えさせずに屠畜が上手く行ったかどうか、血抜きが成功したかどうかを確かめます。

屠畜の状況を振り返り、解体しながら、脂肪付き方や内臓の状態を確かめ、生育がどうであったか確かめます。

生産者としての大切なデータなのですが、それ以外にもこういったお肉と向き合う時間は自分が生きている事、だちょうさんや様々な命に生かされていることを見つめ直す大切な時間です。

雛の頃から大きくなれよと願い、その命を奪うことは残酷で心が痛み、目を逸したくなったり、お肉を作ることや愛情をかけることをやめたくもなりました。しかし、その心の動きから目を逸らさず、自分の愚かで弱い人間性を見つめ、迷い続けながら、それでも限りある時間だとしても愛情を注ぐことは、命を頂いて生き続ける私の責任のように思っています。

私が小屋に行くと毎日だちょうさん達は目をキラキラと輝かせて、私を迎えてくれます。
私がこの子たちから目を背けたくなるような人間にならないように、一緒に笑っていられるよう、生きねばならないと思っています。



今年もたくさんの方が牧場を訪れる季節が近づいてきました。

私に出来ることはほんのわずかですが、少しでもだちょうさん達から教えて貰ったことを皆さんへ伝えられるように頑張らなくてはなりませんね。







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重機を動かすときに思い出すこと

2023年03月12日 | 日記
今年も無事除雪のシーズンが終わりました。
降り続ける雪を除雪する作業をしていると、10数年前に大型や大型特殊の免許を頂いた卒校式のことを思い出します。

卒校式では校長先生から東日本大震災の事を聞かされました。

震災では多くの建物や道路が壊れ、震災がれきの撤去等に重機による作業が長時間必要であった事。

現場に多くの重機は有ったけれども、昼夜動かすにはオペレーターが足りなかった事。

校長先生の涙がにじむ目と少しうわずった熱のこもった声から無念さを感じ、若い君たちに期待しているという言葉に宿る校長先生の使命感に心動かされました。

あのお話が無ければ、重機を扱う事は技術を磨く貴重な機会と思えず、ただの作業になっていたようにと思います。

ぬかるんでいたり、挟所であったりする難しい環境も克服できれば、いつか災害現場でお役に立てるかもしれない。
そんなふうに思えています。

おかげさまで大きな事故無く、除雪シーズンを終えられるのも、あのありがたい授業を受けられたからなのでしょう。

これから大きな震災が起こらず、技術はお役に立たないままで、目がよく見えなくなるくらい年老いる平和な未来を願っているのですが、校長先生の想いはどこかの誰かに伝えたいと思い、書きました。


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寒いニセコでだちょうさんが大丈夫な理由

2022年11月28日 | だちょうさん
アフリカの砂漠で現存しているだちょうさん。



あまりにも気候の違う、ニセコのような寒いところで飼われているだちょうさんが大丈夫なのか心配になりますよね。

私は雛がある程度大きくなったら暖房を使わずに育てています。

なんとなくかわいそうに感じますよね。

しかし、実は起源までさかのぼると寒いニセコでも大丈夫な理由が分かります。

だちょうさんの祖先は恐竜から進化した小さな鳥でした。

この鳥が恐竜の絶滅して天敵が減った地上で繁殖し、飛べなくなった鳥の一部がだちょうさんの祖先といわれています。

そのだちょうさんの祖先がいたところがどこだと思いますか。

きっと皆さんは何となくだちょうさんが現存しているアフリカ大陸かと思いますよね。

人類はアフリカ大陸から拡大していったといわれていますし、何となく生物共通の起源と感じやすいのかもしれませんね。

実は最近の研究によるとユーラシア大陸からアフリカ大陸に渡った可能性があるといわれています。

数万年前のだちょうさんの化石が中国各地やロシアから出土していることや化石の分析など、ご興味ある方は是非調べてみてください。

ちなみに、他の鳥からだちょうさんの仲間の形に分化が起こったといわれているのが7900万年も昔で、10万年単位で温暖化と寒冷化を繰り返す地球の歴史の中で、だちょうさんは地球が今よりも寒かった時代に寒い地域でも生息していたようなのです。
ユーラシア大陸が地続きだった2000万年前くらいにアフリカ大陸に移動したと考えられ、数十万年前に生まれたといわれる人類にとっては大先輩ですね。

もう一つだちょうさんが寒さに強いといえる理由は体の大きさです。

皆さんはベルクマンの法則というものをご存じでしょうか。

これは体の大きな恒温動物ほど寒い地域にいるというものです。
日本ではツキノワグマとヒグマの関係や二ホンジカとエゾシカの関係が分かりやすいですね。

体の表面積と体積の関係で、体積が大きくなるほど表面積の割合が小さくなり、体の中に熱をため込めるというものです。

この法則に照らし合わせると、鳥類で一番大きいだちょうさんがアフリカの暑いところにいるのは不思議ですよね。

しかし、先ほど書いただちょうさんの起源から考えると面白いと思います。

ひょろっと長い首や脚は熱をため込むのに適していないように見えますが、寒いときはうずくまり脚は収納できますし、首は細いので表面積が少ないです。

長くなりましたが、だちょうさんの起源とベルクマンの法則から、だちょうさんが寒いニセコでも大丈夫なのだと納得してもらえればと思います。

ちなみに寒さに強い理由の一つに腸の長さに伴う消化吸収能力の高さも関係していると個人的に考えています。

鳥類では圧倒的な長さであることに加えて、虫や小動物のような動物性タンパク質から植物のセルロースまで消化できる豊かな腸内細菌叢を持ち、エミュー等の走鳥類の中でも群を抜いて、長い時間をかけて無駄なく吸収消化する過程で、発酵熱も発生させて、体を温めてエネルギー効率を高めているようです。

私の考えでは、だちょうさんは他の生物の進化に伴ってロシアや東アジアなどの生息域を失っていきましたが、むしろ進化した他の生物が生き延びられなくなった、乾燥して食物がない過酷な環境でも生きられるから生き延びているのだと思います。

外敵を察知する能力、時速60キロの速度で走り続けることができる鳥由来の心肺能力と地上で進化した脚力、長い腸の中の豊かな腸内細菌叢を活かして他の草食獣の糞や他の生物が食べられないようなものを消化吸収する能力、けがを化膿させずに治す免疫力、脂肪から水分を体内で作る能力など、様々な環境、時代を越えて古代から受け継いだ形質を活かしていると思います。

地球温暖化が気候危機ともいわれるようになり、現代の社会の継続性が危惧される今日において、今よりも過酷な環境を生き延びてきただちょうさんを見ていると、地球が住みにくくなったと思っているのは我々のような歴史の浅い生物たちだけで、古代から生き延びてきた生物たちは持ち前の生命力を活かして、次の大量絶滅を耐える準備をしているように思えるのですから不思議です。

そうならないように私たち人類ができることとしては、地球の歴史に比べると短い年月の中で”不自然な社会”を築いてきている事を学び、もう少し長く大きな視野で物事を捉えて、自然と寄り添う事が大切だと感じます。

そうはいっても現代人は圧倒的な情報や知識の量に溺れてしまい、物事の本質を捉えられないことが増えているようです。

だからこそ私は意識して、時に立ち止まり、自然や過去から物事を学んできたことを少しでも伝え、これからの社会がより良くなったり、生きやすくなったりできるようにしたいと思います。





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