学生さんに伝えているダチョウ産業のこと。
いつもたくさん話すことがあるので、どうしても伝えきれないのですがとても大切な事なので、ここに書いておきます。
私はこの牧場を祖父が始めたころから、だちょうさんのお肉を食べて育ちました。
昔はと畜することは経済動物だから当然だと思って、何の疑問も持たずにいましたし、牧場の仕事を始めた時も、経営状況を改善するためにたくさんのだちょうさんをと畜して、商談会などで売り込みました。
当時は牧場の経営を改善して、続けていくことしか考えていなかったですし、と畜する自分が少し誇らしかったようにも思います。
けれども、長くだちょうさんと過ごすうちに違う考えが沸いてきたのです。
最初はだちょうさんのことをからかっているお客さんにむっとしたり、だちょうさんに変なことをされる方を見ているとになんだかおもしろくないなぁと感じるところから始まっていたように思います。
どうしてそのような感情が沸くのかを考えていくと、いつの間にか彼らにとても愛着を持っていることが分かったのです。
彼らにも個性や感情があるという当たり前のことに気づきました。
そして、私たちと何ら変わりない尊厳のある存在だと。
そうしていくと、次にどの子をと畜するか考えるのことが苦痛で、商品が売れることも嬉しくなくなっていきました。
ある一羽のだちょうさんのと畜を忘れることができません。
私が牧場にまだ慣れていないとき、彼は私を追い回し、死ぬ思いをさせた一羽でした。
長年付き合う中で、ある種の信頼関係を結びましたが、その彼をと畜すると決め、閉じ込めた檻の中で夜に心細いと鳴く声を聞いた時、胸が張り裂けそうでした。
ここまで少し長くなってしまいましたが、私はこういった経緯から、いかに彼らに苦痛と恐怖を与えないように、と畜するかを追求せずにはいられないのです。
世界中で動物を苦しませずにと畜する方法が考えられ、動物福祉(アニマルウェルフェア)を高めようとしています。現在、世界的にみると日本は遅れていると言われています。
ここではあえて何が優れているとか何が良くないということを論ずることはしません。どうも日本ではどちらかがどちらかを批判するばかりで、現実的にどのようにしたらよいのかの道筋を建設的に議論しておらず、結果的に動物たちにとってはかわいそうな現状が続いていることがとても残念です。
ただ言えることは、今現在、世界的に優れているという方法であっても100年200年未来の人から見たら、なんて野蛮でかわいそうなことをしていたと思われることになるかもしれないということ。そして、私自身が今できる最も良いと思う方法を自己満足と言われようとも追求していこうと考えているということです。
動物福祉とと畜方法にご興味がある方はテンプルグランディンという方の著作などご参考にされるのも良いかと思います。
まず、だちょうさんが生まれたときから人間に馴れてもらうことが大切です。
私はいつもと同じような格好で、馴れ馴れしく接することを心がけています。
私がと畜するときに、できるだけ不安と恐怖を感じさせないためです。
私は辛いのですが、目を背けないようにまっすぐ彼らを見つめ、愛情を注ぐことが使命だと思って、毎日語りかけています。
多くの人に接してもらう経験も大切だと考えています。
次に、いつもラジオを聞かせることが大切です。
日常の突発的な音に反応してけがをするリスクを低減させることと畜する前のいろいろな物音に対して過度の緊張を与えないためです。
また、牧場で卵から育て、と畜することによって移送する際のストレスが少なくなる事も大切です。生まれ育った環境から違う環境になると、動物はストレスを感じますし、個体によっては水が飲めなくなったり、食事が食べられなくなります。
緊張すると体と首がぴょんと伸びて、目がぎょろぎょろと周りを見つめるような状態になりがちです。体もこわばり、過度に痛みを感じやすくなってしまってかわいそうです。
次にと畜方法です。
原始的な方法ですが打額法というスタンニング(気絶法)をします。
脳のある部分をトンカチでたたいて揺らし、脳震盪を起こさせます。打額法は熟練すれば一撃で意識を落とすことが可能で、負荷を減らすことができます。
出来る限り集中し、負担を減らすことを意識します。
なお、炭酸ガスを使う方法が最も良いと考えられていますが、ガス室を作ることが必要で、実行できていません。
スタンガン(電気失神)は、筋肉が収縮して血が滞ってしまうと考えられるため行いません。
と畜の際は、いつもと変わらない呼吸ができるように心がけています。
動物は言葉を使わない分、様々な身体言語を読み取ります。
私の目の動き、動作や呼吸がおかしいとただならぬ気配を察知して、いたずらに興奮してしまいます。ですからいつも以上に気持ちを穏やかに、平静を保ちながらと畜に臨みます。
言うは易し行うは難しで、数日前から解体の準備をしながら、心の準備を整えることにしています。
の掃除や檻の準備、包丁研ぎなどのルーティンはとても大切です。
失神した後は首が下になるように吊り上げます。
呼吸を保てるよう、頸動脈だけを切ること。
心臓から血液が全て出るように、気道や食道を傷つけて呼吸困難になって窒息死しないように注意します。
苦しいこと、残酷なことに変わりはないのですが、それでも私は出来るだけ苦しまないようにこだわらずにはいられません。
首に刃を入れるとき、ああもう治らない傷を与えてしまうのだなといつも思います。手の中で徐々に力を失っていくだちょうさん達を見つめながら、悲しいような虚しいような、とてつもない空虚感を味わいます。
物質になってしまっただちょうさん達に手を合わせ、その命を大切に頂くこと、生きることを誓います。
この後はスピードと清潔な処理が大切です。内臓の熱や匂いがお肉の価値を下げるため、早く内臓を抜かなくてはならないのですが内臓を傷つけてしまうとお肉が汚染されてしまいます。頂いた命を無駄には出来ないので繊細かつスピーディーに処理しなくてはなりません。
衛生的で、血抜きをしっかり施した心臓やレバー、砂肝は大変美味しく食べられますし、誰かに美味しく食べていただく為にできる限りのことをします。
しっかりと準備を整えて、満足できる血抜きができ、素早く衛生的に処理できたお肉は本当に美味しいです。
逆にこういった準備や処理がしっかりできないと、とても後悔が残ると畜となってしまうので、在庫が無くなるからと急いでと畜しなければならないような販売方法はもうしません。
ダチョウのお肉というパッケージでウインナーやフランクフルトを道の駅などに卸し、とてもご好評いただいて、作れば売れる人気商品でした。けれども、と畜をやめてウインナーの生産も休止し、一時期はだちょうさんの雛も増やしませんでした。
忙しさなどから精神的にも肉体的にも疲弊し、しっかりとだちょうさんのお世話をできなかったことから、だちょうさんをお肉にする意味を見失ったからです。
ただ、一羽のだちょうさんや地球環境の変化に向き合う人々の姿が私の考えを変えました。
G20と51番というブログの記事にそのだちょうさんのことが詳しく書いているので、気になる方はそちらも是非読んでください。
私はと畜してお肉を食べてもらうことは、皆さんに物質的な充足感を得てもらうだけではなく、どのような想いでと畜しているのかを知ってもらって、精神的にも何かを得てもらいたいと思っています。
だちょうさんのお肉が買いたいという方は本当に多いのですが、こういった想いでやっているのでほとんど量は作れず、お売りすることもできません。
環境について啓発する観点からだちょうさんのお肉を販売することも大切だと考えていますが、まずはしっかりと自分の満足できるように足元をならさなくては、また元の木阿弥になってしまいます。
今年は本当に細々とですが、牧場のカフェでだちょうさんのウインナーを使ったホットドックを販売しようと思っています。この場所で、牧場のだちょうさん達を見ながら、色々な想いが詰まったウインナーを食べてもらうことができれば良いなと思っています。
今年学びに来てくれる子どもたちにも、大切に食べてもらいたいですし、ここでしか学べない大切なことを全力で伝えたいと思います。
鳥は飛ばねばならぬ、人は生きねばならぬ
坂村真民
だちょうさんは飛ばないですが、必死に生きていて、彼らの生きたいという命をこの手で頂いてきたということを皆さんに伝えながら、これからも命を頂きながら生きねばならないのだと思っています。