ドウダンツツジの紅葉、イヌシデの黄葉が美しいです。暖冬と言われている毎年変わらぬ景色を今年も見せてくれます。ハナミズキはそろそろ終わりです。
思い溜めていることが幾つかあって、書こうと思ってもなかなか時間も才能もなく日記に空白ができてしまう。思いつくままに書きだす。
日記というものがそもそも行儀知らずの犬の捨糞のような物だと思っている。たまに犬を連れて近くの道を散歩するが、いわゆるマーキングは出し切って空気しかでないのに格好だけは片足あげてエアマーキング。。その途中に時々大の方をしてまた歩き出すのだが、これが日記を書く行為と同じようなものと考えている。
ようするに溜まってきて、したくなったときにその辺の道端に落として行く。だから特に思い入れはないけど、かといって無関心でもなく、時々後から匂いを嗅いだり、その時の状況を思い出して眺めてみたりしている。
いわゆる『表現』にあたる作品を作る行為もこれと同じようなもの。頼まれもしないでやっているアマの芸術家か超大物さんなどはこういう排泄行為が作品を生みだしていると思う。そうでなければ次から次へ作品などできるわけない。少しは誰かにモチベーションを上げてくれるきっかけはあるにしても、溜まらなければ出る物もない。 人には溜まる人とそうでない人がいるようで、言葉変えれば作る人と、見る人聞く人、神様はそういうふうに分けられた。
「脳は心を生み出す臓器である」 茂木健一郎 最近読んだ本の中で見つけました。

このいくつかの本を読んでみて分かったことは、脳には「手入れ」が必要で、勉強することはもちろん大切だけど、眠っているときもぼーっとしているときも常に脳は何かしら活動していて、意識して脳を働かせることがベストではなく、無意識でもちゃんと働いているということ。だから、「自分が創造的になれるかどうか、どのような世界観を持つか、どのような人格を形成するか、人とどのような形で接するか、何を目標にして生きていくか、人生の危機にあたって、どのように身を処するか。」はすぐに結果結論がでる課題でもないし、常日頃の生き方考え方が非常に大切になってくるということをあらためて考えさせられた。

こんなに大きくなったレモちゃん。最近では遊びで捕食行動を元気にやっているが、ひとつ進歩して、じゃれるだけで終わっていた行為が、口にくわえて運んでくるという行為がプラスされた。くわえた写真はないけどカーテン暖簾類に掻き昇るのは大好きです。

音楽についてー 日本人が歌うボーカルは、なぜ欧米人種の歌声とああこうも違うのか。楽曲演奏だげだと違いに気づかないことが多いけれど、ボーカルが入ると全然ダメとはいかないまでも、もうひとつと感じるのは何故だろう。体躯がでかいからというわけではないような気がする。特に男性が明らかに何か違う。声の質が違う。日本人にもイイ声の人はもちろんいるけど、向こうの人と比べると、勝ち負けで言えば負けている。だから聴くのは洋楽がいい、となってしまう。ボーカルに関して言えば完全に個性が出る分野で、同じ歌でも人が違えば、出てくる味わいも違う。楽器演奏は耳が肥えてないというせいで、違いにそう敏感ではないが、歌がはじまったとたん、こりゃ駄目っていう新人やアマチュアバンドもいる。まあとにかくボーカルは間違いなく個性で、真似することはできない。(モノマネ程度になってしまう。)
それで外人さんと日本人の違いで言うと、女性ボーカルは日本人でも‘OK牧場’の人が多いけれど男性ボーカルでいうと、味わいが格段違う。いわゆる食生活、文化、骨格、が「個性」を生み出していると結論しさえすれば、それで済んでしまうが、いま歌っている多くのJポップが、日本人の声質に合ったボーカルスタイルだろうか、と物知らずなことを思ってしまう。