寓話ホラー「押入れ」

十年間、部屋に閉じこもり続けた甥の健一が何をしているのか、誰も知らなかった。彼の母親、つまり私の姉である美紀が失踪して以来、健一は家から一歩も出てこない。

あの日からずっと、彼は部屋の奥深くに閉じこもったままだ。

家族の誰もが彼に触れることを避け、彼の存在は徐々に家庭内で忘れられた。

美紀が姿を消した直後、家の中は不穏な空気に包まれた。

腐敗臭が漂い始め、至る所にハエが飛び交っていた。

あの異様な光景と匂いは今でも脳裏に焼きついている。

しかし、あの時は誰もが美紀の行方を探すことに必死で、異臭の原因を突き止める余裕などなかった。

月日は流れ、家の中の腐敗臭は次第に消え、ハエも見なくなった。

美紀の失踪は未解決のままだったが、生活は続いた。

そんな中で、健一だけは変わらず部屋に閉じこもり、誰とも口をきかない。

彼の様子が気になりつつも、私たちは深く干渉することを避けていた。

しかし、私は決心した。このままではいけない。

健一を助けるためには、彼の部屋に何があるのか、確かめる必要があると思った。

意を決して、彼の部屋の扉を開けた。

ドアの隙間からは重たい空気が流れ出し、私は恐る恐る一歩を踏み出した。

部屋は暗く、窓には黒いカーテンが引かれていた。

積もった埃が光を遮り、かすかな明かりだけが部屋を照らしていた。

目の前には健一がいた。

彼はベッドに腰掛け、虚ろな目で天井を見上げていた。

痩せ細った彼の姿に、心が痛んだ。

「健一、大丈夫？」私は声をかけたが、彼からの反応はなかった。

彼の視線は空虚で、何も映していないようだった。

部屋を見渡すと、一つの押入れが目に留まった。

長い間、誰も触れていないことが一目で分かる。

私は、もしかしたらこの中に美紀の手がかりがあるのではないかと思った。

ゆっくりと押入れの扉を開けると、冷たい風が吹き出してきた。

中には古びた段ボール箱が積まれていた。私は一つ一つの箱を開け、調べ始めた。

古い衣類や日用品、何の変哲もないものばかりだった。

しかし、最も奥の箱を開けた瞬間、私は言葉を失った。

そこには、美紀のものと思われる日記が入っていた。

日記には、美紀が感じていた苦悩や孤独が赤裸々に綴られていた。

彼女が失踪する前の数週間、健一との間に深刻な問題があったことが明らかになった。

健一の異常な行動や言動に、美紀は強い恐怖を感じていたようだった。

そして最後のページには、こう書かれていた。

「もし私がいなくなったら、健一の部屋の押入れを調べて。そこに全ての答えがあるから。」

私は恐怖と緊張に包まれながら、健一の押入れの前に立った。

彼の視線は依然として天井に向けられたままだった。

震える手で押入れの扉を開けると、暗闇の中に何かが隠れているのが見えた。

押入れの中には、もう一つの小さな箱があった。

箱を取り出し、開けると、中には古びた鍵が入っていた。

美紀の日記には、その鍵についての記述はなかったが、私は何か重要なものを隠しているのだと直感した。

家中を探し回り、ようやくその鍵が合う扉を見つけた。

それは、家の地下室への扉だった。

普段は使われていないため、鍵がかかっていることも忘れていた。

鍵を差し込み、ゆっくりと扉を開けると、冷たい空気と共に薄暗い階段が現れた。

地下室に足を踏み入れると、異様な光景が広がっていた。

そこには、数々の古い家具や雑貨が散乱していたが、その中央に一つの大きな箱が置かれていた。

箱には厳重に鍵がかかっており、再び美紀の残した鍵が役立った。

鍵を回し、箱を開けると、そこには信じがたいものが入っていた。

美紀の姿だった。

彼女の遺体が、箱の中で朽ち果てていた。恐怖と驚愕が私を襲い、足元がふらついた。

その瞬間、背後から冷たい声が聞こえた。「やっと見つけたんだね」

振り返ると、そこには健一が立っていた。彼の目は異様な輝きを放ち、私をじっと見つめていた。

「なぜ、こんなことを…？」声が震えた。

「母さんは僕を見捨てようとした。だから、僕は母さんをここに閉じ込めたんだ。誰にも見つからないように」

健一の言葉は冷たく、全てが繋がった。

十年前の腐敗臭とハエの原因、そして美紀の失踪の真相。

全ては健一の手によるものだった。彼の心の闇が、家族の平和を破壊していたのだ。

私は恐怖と悲しみで打ちひしがれたが、美紀のために真実を明らかにする決意をした。

警察に通報し、健一は逮捕された。

家族の悲劇は終わりを迎えたが、その影は心に深く刻まれたままだ。

教訓

この物語が教えてくれるのは、家族の間で起こる問題を無視せず、しっかりと向き合うことの重要性です。見過ごされていた小さなサインや異常な行動が、取り返しのつかない悲劇を招くことがあります。人の心の闇を軽視せず、早期に対処することで、家族の絆を守ることができるのです。