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Aiの文章生成でブログを書いてみた。
それ以外もあるよ。

命日

2024-03-14 15:59:00 | つれづれ
過去に自分が書いた短編小説を投稿していたら、そういえば今日は姉の命日だったと言うことを思い出した。
当時はとにかくめんどくさくて、なんてことをしてくれたんだと思っていた。
姉が住んでいる地域の役所に行き、姉が生まれた地域の役所に行き、警察に行き、火葬場に行きとにかくめんどくさかった。
薄情かと思われるかもしれないが、身内とは言え10年も合わせていなければ、それはもう赤の他人と言って良いのではないだろうか。
それでも回り回って結局は、自分が動かないといけないのだから、家族と言うのはそういうものなのかもしれない。

介護職で働いてるが、職場の入居者様に対するような接し方は、家族に対しては無理と言うものである。
これは介護職の人ならばあるあるだと思うかもしれないが、身内に対して仕事のように笑顔で優しく声かけなどできるものでもない。
姉が心を病んでいったのは、幼い時に母親から受けた虐待であると言う事は理解できるのだけど、それとこれとは、私の人生に関わってくるのは違うと思ってしまうのである。
だからこそ介護施設のような福祉制度と言うものは必要だと心から思う。
1日中助けてと叫び続ける人や、大声で怒鳴り噛み付き殴りかかってくれるような人を仕事では優しく声をかけ、笑顔で対応している。
おむつの中に手を突っ込み、便まみれになって泣いている人に大丈夫だよと言って、体をきれいにすることに何の抵抗もないけれど、身内となってくると、それが生活の中の自分の睡眠時間や自由になるはずだった。時間を費やしてくると、心の余裕というものがなくなってくるのである。転倒の危険性があるのに、夜中に何度も何度もトイレに行く家族がいると、身内の精神的負担はかなり大きいということは想像できるだろう。
だからこそ、仕事として介護をする人たちが必要なのであると自分は思う。

姉は確かに同情できる部分も多々あると自分では思う。
ただ、自分の人生をどうにかするのは自分であると言うことを放棄したと私は思っている。
助かりたければ、誰かに助けを求めるべきであったし、現状を変えるべく自分を助けるべきだった。
それは姉の問題である。
姉の残していった問題は、姉が残していった甥子をどうするんだと言う気持ちがある。
今年で30になるのだけど、小学五年生から登校拒否で中学は1度も登校せずに卒業した。
どうすんの?

他にも、私の弟は金に汚く親に散々無心して絶縁され、糖尿病で失明寸前、心不全に腎不全、働けなくて生活保護なんだけど、何かあった時はまた自分が動かなければならないのは確定済みなんだけど、どうしてくれるんだ。

もう知らん。



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