
磯子の海を一望する丘の上に
横浜プリンスホテルがあります。
磯子の人間は、
地元への愛着の意を込め、
また後に出来た「新横浜プリンス」と区別するため
『磯子プリンス』と言うことが多い。
この磯子プリンスが
6月いっぱいで
50年の歴史に幕を降ろします。
※写真の建物は15年ほど前に
巨匠・村野藤吾を継承する"村野・森建築設計事務所"の
設計によって建て替えられたもの。
この磯子の丘、
いまは普通の住宅地になってしまい、
見渡す海も、埋立地の工場ばかりですが
50年前には
丘のすぐ下が海岸で
海水浴もできるリゾート地だったのです。
美空ひばりの自邸もありました。
※ちょっと前までミッキー吉野氏(元ゴダイゴ)の
スタジオ兼自宅もありました。
※今でも、田中邦衛氏(北の国から)の自邸があります。
富良野じゃないんですよ。
今は
海水浴も出来なければ
横浜の観光名所にも中途半端な距離。
宿泊施設としての需要は少ないようです。
このホテルから
徒歩5分のところに住んでいた子供のころ、
いろんなショーに連れてってもらいました。
サーカスにハワイアンにウルトラマン・・・
小学生のときのスーパーカーブームには
広くてきれいな芝生の庭園に
圧巻、スーパーカー勢ぞろい。
ランボルギーニ・カウンタックや
マセラティ・メラクは
ここで初めて実物を見たんだ。
大人になってからだって、
友人の結婚式にも出たし、
クラス会もしたし。
定期的に催される「陶器市」も楽しみにしてた。
ちょうど4年前のワールドカップでは
決勝を控えたブラジルチームも宿泊。
磯子プリンスホテルは
いろんな思い出のある場所。
無くなるのは淋しい。
横浜プリンスホテル・グランドフィナーレ
地元人の愛着も重ねてますよね。
そして、淋しさも同じ分だけありますね。。。
無くなると聞くまでは
このホテルが思い出のひとつだ、
なんていう認識はなく過ごしてるんですよねぇ・・・
フィナーレ間際のプリンスで行いました。
プリンスホテルの前の坂を駅まで駆け下りた学生時代。いろんな物が少しずつ、少しずつ・・・
終了間際の磯プリは
浜小の同窓会には、ドンピシャでしたね。
浜小の様子にも驚かれたのでは?
(あ、ご実家に帰る機会があれば
浜小の変化は見てますね)