杜の里から

日々のつれづれあれやこれ

「福島が好き」と言うなら

2012年06月30日 | 雑感
6月24日(日)、この日福島県のローカル新聞「福島民友」・「福島民報」で『福島が好き』という折込チラシが配られ、多くの福島県民が心穏やかではいられなくなるという騒動が起こりました。
その模様はこちらのtogetterで垣間見る事が出来ますが、私としては前回エントリーを挙げた直後にこの様な事態が生じたので、少々ムッとしたというのが正直な気持ちです(故に、敢えて当該チラシへのリンクはいたしません)。
ただその後しばらく時間が経ち、あちこちのブログの反応や本家発行元のブログを読む内に色々考える事もあり、ここで改めて新エントリーとして立ち上げた次第です。


「チラシテロ」とも叫ばれているこのチラシの内容を見てみれば、ここに書かれている事はすでに去年の段階で散々に検討され尽くした極めて古い内容ばかりである事が分かります。ですから、様々な方面から情報を仕入れている福島県民から見れば、「何を今更」と憤るのは目に見えており、事実そうなってしまった訳です。
しかし、発行元に言わせるとそれはすでに織り込み済みで、それよりも不安の声を上げたくても上げられない人がおり、そういう雰囲気が県内に作られている事の問題に目を向けさせる事もまた目的の一つであったと言います。
事実、発行元には(これが本当かどうかは確認するすべはありませんが)電話での激励の言葉が何件かあったとの事ですが、これが事実だとしますと、私はここに深刻な「情報格差」の問題を感じてしまうのです。

ブログ「福島 信夫山ネコの憂うつ」の記事によりますと、このチラシ内容は去年の秋ぐらいに囁かれていた事ばかりで、その後明らかになったWBC(ホールボディカウンター)による放射線測定の検査結果や、甲状腺検査の追検査結果のデータなども全然反映されていません。
それでもこのチラシを指示する人が少なからずいるという事は、福島県内では去年の時点から未だに一歩も前に進めていない人もいるという事を意味します。
そしてそういう人達が集まる掲示板やML(メーリングリスト)などを見ると、彼・彼女らは福島県内の放射線量の正確なデータなどまるで手にしていないのではないかと思えるほどの、極端な不安思想の中に未だに取り残されたままでいる姿を目にするのです。

彼らの発言からは、地元ローカルの新聞やらテレビ番組などは皆放射線安全論ばかりで、それらはまるで信用するには値しないという極端に偏重された考えが形成されている事が分かります。
しかしその根拠とされるのは、大半が県外避難者や反原発派などの、県外からの不安情報ばかりなのです。
しかし実は、これは県外にいるとまるで知り得ない事ですが、福島県内での放射線に関する情報というものは、実は今や国内一とも言えるほどの充実振りであるのです。
まずはここに、県内と県外の「情報格差」というものが存在し、県外からの情報ばかりに頼る人はいつの間にか置いてけぼりにされてしまうという状況が作られてしまっている様に見えます。

福島県内で人々が分断され、不安に思う人はどんどん孤立化していくというのはとても大きな問題ですが、所詮他県にいる私ではそういう人達の思いを共有する事は出来ません。
そしてその人達の心を本当に理解出来るのは、去年まで同じ思いを抱いていた地元福島県の人達だと思うのです。
ですから、当時は不安の只中にいて現在は前向きな気持ちに変わったという人は、それがどんなきっかけで今の気持ちに変わったのか、その過程をぜひ語って欲しいのです。
放射線が不安で不安でたまらなかった頃、何があなたを救ったのか、あなたを前進させるきっかけとなったのは何なのか、それをどんどん語って欲しいし私もぜひ聞きたいと思っています。

また、不安を抱く人達ばかりが集う掲示板ではよく、安心だという人達を批判したりする姿が見受けられますが、そういう人はぜひ、今度は自分自身に対して「なぜ?」という疑問をぶつけてみて下さい。例えば、

 ・周りの人達は「このぐらいなら安心ね。」と言ってるけど、私にはとてもそうは思えない。
  じゃあ、なぜ私は他の人の様に安心とは思えないのだろうか?
 ・食品検査で「ND」が出て皆は安心してるけど、なぜ私は皆の様に「事故前と同じね。」と思う事が出来ないのだろうか?

という具合に、ぜひ自分自身に問いかけてみて欲しいと思います。
そうして自分をじっくりと見直してみることにより、自分が抱いている不安の根源が見つかるかもしれません。
そしてこういう姿を見つけた時などは素直に「良かったね」と、自分も一緒になって喜べる様になってほしいと願うものです。

また、発行元ブログのエントリーの中に、こういう記述があります。

> 「チェルノブイリとは違う」という見解もありますが、福島の事故の実態がまだす
 べて解明されてもいないのに、なぜそんなことが言えるのか、不思議に思います。

これを見るだけでも、不安を訴える人達は未だに「チェルノブイリの罠」に捕われているのが良く分かります。
私は今回の事故をきっかけに、改めてチェルノブイリ原発事故の検証番組やドキュメンタリーなどを見直してみましたが、それを見る度(現地の方には申し訳ないのですが)、「福島はチェルノブイリの様にならなくて本当に良かった」とつくづく思っているのです。
チェルノブイリに比べると福島原発事故は、その事故の規模・放出された放射性物質の量から汚染された範囲に至るまで、桁違いに少ない事が実際の計測からも分かっています。
勿論これは当時の気象条件という偶然による所が大きいもので、もしかしたら福島県全体も、いやそれ以上のもっと広範囲の地域すら、ヘタをするとチェルノブイリ並みに汚染されていたかもしれなかったという事もまた事実です。

震災からちょうど一年を迎えた今年3月11日、テレビ局が一斉に震災特集を組む中いつも見ている「鉄腕ダッシュ」の中でも特番が組まれ、TOKIOの山口君がチェルノブイリを訪れる姿が放送されました(→こちら)。
そして、あの汚染されているチェルノブイリで、まるで汚染されていない作物を作る農家の人達の姿が紹介され、それに私は大きな感銘を受けました。
それは決して絶望の淵にいるばかりではなく、汚染されたこの地でも立派に生きていけるという事を身を持って証明した人々からの、力強い励ましのメッセージでした。
そして私自身もいつの間にか、チェルノブイリと聞くだけである固定化されたイメージを思い浮かべてしまう、「チェルノブイリの罠」にはまっていた事に気付いたのです。

チェルノブイリと一口に言っても、実際は国土のすべてがひどい汚染を受けた訳ではなく、もちろん放射性物質には注意を払いながらも、そこに普通に暮らしている市民の人達も大勢いる訳です。
そしてそういう事に対し外部の私達はいかに無知であったか、また同時に、福島県をフクシマと表してチェルノブイリと同様の見方をするのが、いかに愚かしい事であるのかを改めて感じたのです。

>福島の事故の実態がまだすべて解明されてもいないのに、

確かに原発事故そのものの解明はまだ完全になされているとは私も思っていません。しかし住民が住む周りの環境自体は、細かな精査によって現在はかなり明らかになってきています。
それは実際に計測された数字がすべてを語ってくれている訳ですが、不安に捕われている人はどうやらそれらの数字さえも見ようとはしていない様です。
ここに「情報格差」が生まれます。
積極的に情報を得ようとする者は、安全・危険双方の情報を比較し、どちらの情報に信憑性があるかを自分の目で確かめるものです。
そして先にも述べた様に、福島県ほど放射線情報が充実している所はなく、私がいるお隣の宮城県ですら、放射線情報に関しては全国と同様、極めて薄っぺらなものでしかありません。
しかしそんな恵まれた地元にいながら、不安情報に捕われた人はどこよりも詳しい県内の情報よりも、自分の気持ちを共有してくれる外部の不確かな情報に捕われてしまい、県内にいながらいつの間にか周りから置いてけぼりにされてしまっているのです。これはとても不幸な事です。

ブログのコメント欄のやりとりを見ていますと、双方の立場から意見をぶつけ合っている内自然に敵味方に分かれてしまい、しまいには水掛け論になってしまっている姿が目に付きます。
そうではなく、前向きに歩む決心をした人はその思いをただひたすらに発信してほしいし、その思いを受け止めた私達は改めて、また福島を応援しようという気持ちにさせられるのです。

福島の農に生きる

復興を後押しする力は「希望」であり、これは福島県のみならず、今回の震災で被災したすべての人に当てはまる事でもあります。
もし「福島が好き」と言うのなら、皆が前向きに歩める様な、「希望」に満ちたエールを送ってもらいたい、そう私は望みます。


「不安」からは『絶望』しか生まれないのです。









本当は「諸橋近代美術館」に行ったのでそのレポ挙げようとしてたのですが、おかげでボツになってしもたわ! ↓ 

   


(7月1日追記)
チェルノブイリと福島の原発事故の比較がこちらで検証されています。↓
『warblerの日記』より:「福島の原発事故と、チェルノブイリの原発事故の被ばく量などの比較-福島の現状について」


18 コメント

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Unknown (omizo)
2012-06-30 23:17:44
チエルノブイリは、即発臨界が起こり、炉心内でカーボンへの発火が起こり炉心がむき出しになっていますから、ドライベントと訳が違います。 Cs134と137の割合も2:1と1:1の大きな違いもありますし。 福島1は軽水炉での事故では最大級であるのですが、それでも、よく持ちこたえたと、評価すべきです。 日本の技術はたいしたものです。 

例のチラシは、聞く耳をもたない人には意味がない。をわかって、配布していますから。確信犯ですし。 コアなファンの開拓が目的でしょうね。
 だから、不毛です。
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Re:Unknown (OSATO)
2012-06-30 23:47:57
いらっしゃいませomizoさん。

チェルノブイリの当時の記録映像を見るにつけ、あれほどの損傷の中で必死で収束作業を行った作業員の姿を思い浮かべると、何とも重い気持ちにさせられます。
チェルノブイリ事故はリアルタイムで経験していますが、当時は秘密のベールに囲まれたソ連内で、何かとんでもない事が起きているという未確認情報ばかりが飛び交い、得も言われぬ不安感に襲われた覚えがあります。

今回の原発事故でも、あの水素爆発の映像を見た時にはチェルノブイリの時同様の不安感に襲われましたが、実際あれだけで済んだというのは本当は奇跡だったのかもしれません。

このチラシは第二段も計画されている様ですが、出来ればぜひとも最新の情報を掲載してもらいたいものです。
でもそうすると、すべて安心情報ばかりになってしまうかもしれませんね。
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ありがとうございます (jun9sato)
2012-07-01 15:34:29
出身者ですが、感謝の意を伝えたく。
ありがとうございました。
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何とかしたいけれど (日本)
2012-07-01 22:15:44
いわゆる情報を出す側に信用がないのに誠実さが見えず 受ける側が疑念を抱いてしまう罠から抜け出せない 不安が絶望を呼ぶというよりも不安が不安を増長させ 誰も信用できなくなるという状況があるのではないかと思います そして人間関係も壊れていく それが放射能の別の怖さでもあります
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礼には及びません (OSATO)
2012-07-01 23:45:22
いらっしゃいませjun9satoさん、初めまして。あちらのブログへのコメント、私も拝見しております。

このエントリーは、初め向こうのブログへのコメントとして書き込もうと思っていたのですが、書いている内に長くなってしまい、その後色々自分の中で整理も出来たので、それをまとめて提示した方が良いと思ってここで新たなエントリーとした次第です。

私は今回の震災では支援を受ける立場でした。
仙台市内は津波に襲われた沿岸部と違い、インフラの破壊と物流の停滞以外はそれほど悲惨な状況にはありませんでした。それでも他県からの支援を受けた時には、我ながら驚くほどの感動を味わったものです。
皆が見守って応援してくれている、その思いが被災した人々の心の支えの一端となったのは間違いない事です。
私に出来る事などたかが知れていますが、それでもこうして自分の意を表す事によって勇気付けられる人がいるならば、それは私にとっても喜びであり、これからもささやかながらではありますが、自分なりの支援を行っていきたいと思っております。
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本当に (OSATO)
2012-07-02 00:10:13
いらっしゃいませ日本さん、初めまして。

今回の事故については、そもそも当初から政府が信用を失った事が後々までも影響し、それが科学そのものについてまで不信の目が向けられるという、大いに憂慮すべき状況であると思います。
そして、その科学への信頼性の差が今日の溝を生んでしまったと私は認識しているのですが、放射線という見えない脅威に対抗するのも、実は科学しかないのだと私は思っています。
東大の早野教授も仰ってますが、不安派であろうと楽観派であろうと、原発推進派であろうと反原発派であろうと、計測して出てくる数値は同じなのです。
正しい計測をして正しい値を提示する、それによって出てきた数値はもしかしたら非情な現実を伝えるかもしれないが、それでもまず現状を正しく認識するという事がこの見えない敵に対抗する唯一の手段であるのだと思います。
幸いな事にその数値はますます安全側に傾いている訳ですが、今度はその数値の意味を正しく伝える作業が中々うまく行われていないという所に、今日の問題の芽があると感じています。
私も本当に何とかならないものかと思ってはいますが、現在の様に対立関係にまで発展してしまった状況の中で、その答えを見つけるのは中々容易ではありません。
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Unknown (omizo)
2012-07-02 23:14:02
生理的に嫌だという人は、一定数いるのですから。 それも認める必要もあり。残るのも正しい選択。離れるのも正しい選択という、前提にたってでしょう。 それぞれに、助ける人がいても良いわけです。 その判断づけに、科学を使うか。使わないかも。それぞれでしょう。 数値がこうだからといっても、嫌な人は嫌でしょうし。容認できる人もいる。それぞれの価値観で、行動すれば良いだけなのですが。 その理由付けに、違う価値観を批難しても。お互いを傷つけあうだけですし。 行政は一律のサービスが原則という前提ですから、 行政に求めても難しいという事を理解してでしょう。 だからそれぞれを助ける人がでしょうし。
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その通りですね (OSATO)
2012-07-02 23:58:33
>omizoさん

>それぞれの価値観で、行動すれば良いだけなのですが。その理由付けに、違う価値観を批難しても。お互いを傷つけあうだけですし。 

その通りですね。
気をつけるべきは、自分の価値観を他人に押し付けてはいけないという事でしょうか。

ただ、間違った情報や偏向した情報に対して訂正を求めるのは許されると思います。
それはその人の価値観そのものを歪めてしまうものですから。
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Unknown (Unknown)
2012-07-03 13:54:02
今日は初めまして、素朴な疑問があってそれは福島は安全だよって、放射線そんなに気にすることないよって話なんですが、最も重要なことがぬけてる気がするんですよ。福島原発って、一応収束宣言とかされてますが、どうみても現在進行形でしょ、で危険な訳だと思うのですが、どう思います?。一応、言いますが私はどこの団体や思想にも関係ありません。小さな自分の子供達を守りたい一個人です。
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勿論不安です (OSATO)
2012-07-04 00:35:43
>Unknownさん。
すみません、会話がしづらいので、コメントをする際は捨てハンでも構いませんので、何か適当なハンドルネームをご記入いただければと思います。

>福島原発って、一応収束宣言とかされてますが、どうみても現在進行形でしょ

仰る通りです。福島原発の収束作業は未だ続いたままです。
福島県民のアンケートなどでも「不安を感じる」という人は今でもかなりの数に上りますが、その不安の中身は「放射線」だけではなく、実際は「収束作業」への不安も多いかと思います。
そして今度また何かあった時は、また多くの人が避難する事になるかもしれません。
今はもうこの事は、東電の作業員に運命を預けるしかありませんし、言葉に出さなくとも多くの福島県民はそう思っている事でしょう(そもそも作業員の多くは地元の人達なのです)。

ただここで注意して聞いていただきたいのですが、今回は不幸にも福島県の一部がかなり汚染された訳ですが、条件によっては最悪、中部・関東・東北すべてが汚染されていた可能性もあったのですね。
以下に示すシミュレーションは、左側が放射線の放出拡散、右側がその降下状況を示したものです。↓
http://www.youtube.com/watch?v=ni3HX9_lLtA&hd=1
これを見ると、当日の気象の影響がいかに大きいかが分かります。
そしてこの様な危険は、今は日本全国どこでも同じであり、それがあの原発再稼動問題に発展している訳ですね。

ただ、福島県は今回の事で多くの事を学んだはずです。
放射線の影響のみならず、いざという時の覚悟というものも多分皆抱いている事でしょう。
だからこそ逆に、また何か起こった時に自分達がどう行動すれば良いか、一番知っているのは福島県民であるとも言える訳です。

子供を守るために一番必要な事は「正しい知識」と「正確な情報」であり、またそれらを支援する「バックアップ体制」です。
皮肉な事に、今それが一番充実しているのが福島県なのですね。
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