近頃夕闇が迫るのが随分早くなってきて、いよいよ本格的な秋の訪れとなりました。
我が家のトマト達も下の方が徐々に枯れてきて、ついに今シーズンの終わりに近づいてまいりました。
でも上の方を見てみると、朝夕の冷え込みにも負けずまだ新たな実が付いています。
(西側)
(東側)
ナス達はとうの昔に全滅、しかし同じ様に植えたトマトはまだこの通り、本当にトマトは生命力が強いのだなと感心してしまいます。
このトマトの生命力を実感させる農法で「ハイポニカ」というものがあります。
これは植物学者の野澤重雄という人が研究し、一株のトマトの幹に一万個以上の実を付けさせるのに成功させたもので、この姿は1985年の「つくば万博」でも発表されました(詳しくはこちら)。
中の写真を見てみると、その樹木の様に実った姿には圧倒されます。
野澤さんの言葉を借りますと、
「生命の持つ機能をよく働かせれば幾らでも植物が成長する」
との事で、このハイポニカ農法は根の成長を邪魔する「土」を使用せず、植物が育つための最も良い環境を〔人工的〕に生み出した結果、このような巨木にまで成長する事が出来た訳です(原理についてはこちら)。
ただし、当の野澤さんはこれを単なる実験成果とは捉えておらず、そこには「生命の原理」と言う深いテーマを内包していました。
それは彼の講演の中によく表れています。
曰く、
「我々の幸福とか将来の世界を左右する根本の機能を自然自体が持っているのです。それが
生命の本質であり、我々の想像を越えた大きな力が世界のあらゆるところに働いているのです。」
とか、
「植物に向かって心の中で「好きなだけ大きくなっていいよ」と思うんです。私の場合は、それが
植物に伝わって現象となって現れる。それを素直な気持ちで聞いて、やろうと思った人には出来
るのです。」
とか、そしてついに、
「心の状態によって、その心のままの結果が現れると考えられます。心が生命の現れ方、現象の
現れ方を決めてしまうのです。これが生命力であり、生命の働きなのです。」
という具合に、一農法から「心」のあり方まで考察するようになっていきます。
そしてその事からかどうなのか、この「ハイポニカ農法」からは様々な人達が「人生訓」などを導き出したりしてもいます。
例えば企業家の方、経営コンサルタントの方、子育て、教育関連、などと実に様々です。
ここでの共通のキーワードが「潜在能力」というものです。
確かにこのトマトの木を見ると、その能力が発揮出来る環境さえ与えてやれば、人もまたその潜在能力を発揮出来ると単純に思いがちになります。
しかしよく考えてみますと、このハイポニカというものは、その環境は〔すべて〕人間がコントロールしてなければならないのです。
養分を含んだ溶液(これも人が調合します)を常に循環し、生育温度も常に最良のものとなるよう温室の温度をコントロールし、そして枝が伸びるために周りに支柱を張り巡らせたりと、つまり放っておくのではなく、常に人の管理下に置いておかなければこれはうまくいかないのです。
私から言わせれば、人がその潜在能力を発揮するためには、そうなるようにすべてコントロールしなければならない、という具合になってしまいます。
何か、すべて管理されるのが良いかのようなイメージが湧いてきて何ともいやな感じです。
人間と植物は違います。
野澤さんも長年研究をしていたその結果として「生命」という大きなテーマに行き着いたものと思われますが、あらゆる生命現象を単純に一つの「生命」という単語で括ってしまう事には疑問を感じます。
「生命」のあり方は多種多様なのです。
またこの「ハイポニカ」は、「波動」でお馴染みの江本勝の著書にもたびたび登場してきます。
「水は答えを知っている②」でも、
(p.73)
私も以前、ハイポニカ農法の開発者であった故野澤重雄先生の実験農場を訪ねて、ハイポニカ
農法で育ったトマトの木を見学したことがありましたが、その姿はまさに圧巻でした。
人間も同じです。運動でも勉強でも、育ち盛りのお子さんが好きなことをしているときには、励
ましてあげてください。そしてうまくできたらほめてあげることです。
と、他の人と同様な教えを述べていて、ここまではもっともだとつい頷いてしまうのですが、その後彼は、
(p.74)
どんな言葉をかけたら、他人の能力をいきいきと伸ばすことができるのか、そのことを端的に教え
てくれるのが、水の結晶です。
などと続けていくのです。
「生命」という深遠なテーマをあまりに深く考えてしまうとこのようなおかしな理論に誘導されていく恐れもありますので、ここは注意も必要でしょうね。
また、よくこのハイポニカが将来の農業問題解決の切り札などと持ち上げられたりもしますが、「商品」として流通させるほどの農業に代われるかというと、実際にやっている方の話を見てみますと結構手間暇がかかるようで、これが広まるにはそれ相応の規模の「工場」とでもしなければ中々難しいのかなと思われます。
それでも家庭菜園レベルの趣味の一環としてやる分には中々面白そうで、自分で自作してチャレンジしている方も結構いるようです。
さて我が家の菜園で一番の成長株は、プランター植えのミニトマトです。
ミニトマトという名前に惑わされ、まさかこんなに大きくなってしまうとは夢にも思いませんでした。
(クリックで拡大)
一応ベランダから紐を垂らしてそこに結び付けているのですが、上の方の実を採るには脚立を立てなければならないほどです。
何も分からなかったため、プランターには園芸土ではなくすべて「堆肥」を投入しており、それが功を奏しているのかなと思います。それにしても凄い。
もう完全に時期はずれになっているのですが、どこまでもつのかこのまま育ててみようと思います。
以前コメントをいただいたさつきさんは、一つの株から200個以上の実を収穫しており、それをご自身のブログの中で紹介しています。
ハイポニカについても自分と同様な感想をお持ちのようで、今回の記事を書くにあたり大いに参考にさせていただきました。
来年は自分もこの方法を真似てみて、放任主義でどこまで育つのかぜひとも試してみたいと思います。
我が家のトマト達も下の方が徐々に枯れてきて、ついに今シーズンの終わりに近づいてまいりました。
でも上の方を見てみると、朝夕の冷え込みにも負けずまだ新たな実が付いています。
(西側)
(東側)
ナス達はとうの昔に全滅、しかし同じ様に植えたトマトはまだこの通り、本当にトマトは生命力が強いのだなと感心してしまいます。
このトマトの生命力を実感させる農法で「ハイポニカ」というものがあります。
これは植物学者の野澤重雄という人が研究し、一株のトマトの幹に一万個以上の実を付けさせるのに成功させたもので、この姿は1985年の「つくば万博」でも発表されました(詳しくはこちら)。
中の写真を見てみると、その樹木の様に実った姿には圧倒されます。
野澤さんの言葉を借りますと、
「生命の持つ機能をよく働かせれば幾らでも植物が成長する」
との事で、このハイポニカ農法は根の成長を邪魔する「土」を使用せず、植物が育つための最も良い環境を〔人工的〕に生み出した結果、このような巨木にまで成長する事が出来た訳です(原理についてはこちら)。
ただし、当の野澤さんはこれを単なる実験成果とは捉えておらず、そこには「生命の原理」と言う深いテーマを内包していました。
それは彼の講演の中によく表れています。
曰く、
「我々の幸福とか将来の世界を左右する根本の機能を自然自体が持っているのです。それが
生命の本質であり、我々の想像を越えた大きな力が世界のあらゆるところに働いているのです。」
とか、
「植物に向かって心の中で「好きなだけ大きくなっていいよ」と思うんです。私の場合は、それが
植物に伝わって現象となって現れる。それを素直な気持ちで聞いて、やろうと思った人には出来
るのです。」
とか、そしてついに、
「心の状態によって、その心のままの結果が現れると考えられます。心が生命の現れ方、現象の
現れ方を決めてしまうのです。これが生命力であり、生命の働きなのです。」
という具合に、一農法から「心」のあり方まで考察するようになっていきます。
そしてその事からかどうなのか、この「ハイポニカ農法」からは様々な人達が「人生訓」などを導き出したりしてもいます。
例えば企業家の方、経営コンサルタントの方、子育て、教育関連、などと実に様々です。
ここでの共通のキーワードが「潜在能力」というものです。
確かにこのトマトの木を見ると、その能力が発揮出来る環境さえ与えてやれば、人もまたその潜在能力を発揮出来ると単純に思いがちになります。
しかしよく考えてみますと、このハイポニカというものは、その環境は〔すべて〕人間がコントロールしてなければならないのです。
養分を含んだ溶液(これも人が調合します)を常に循環し、生育温度も常に最良のものとなるよう温室の温度をコントロールし、そして枝が伸びるために周りに支柱を張り巡らせたりと、つまり放っておくのではなく、常に人の管理下に置いておかなければこれはうまくいかないのです。
私から言わせれば、人がその潜在能力を発揮するためには、そうなるようにすべてコントロールしなければならない、という具合になってしまいます。
何か、すべて管理されるのが良いかのようなイメージが湧いてきて何ともいやな感じです。
人間と植物は違います。
野澤さんも長年研究をしていたその結果として「生命」という大きなテーマに行き着いたものと思われますが、あらゆる生命現象を単純に一つの「生命」という単語で括ってしまう事には疑問を感じます。
「生命」のあり方は多種多様なのです。
またこの「ハイポニカ」は、「波動」でお馴染みの江本勝の著書にもたびたび登場してきます。
「水は答えを知っている②」でも、
(p.73)
私も以前、ハイポニカ農法の開発者であった故野澤重雄先生の実験農場を訪ねて、ハイポニカ
農法で育ったトマトの木を見学したことがありましたが、その姿はまさに圧巻でした。
人間も同じです。運動でも勉強でも、育ち盛りのお子さんが好きなことをしているときには、励
ましてあげてください。そしてうまくできたらほめてあげることです。
と、他の人と同様な教えを述べていて、ここまではもっともだとつい頷いてしまうのですが、その後彼は、
(p.74)
どんな言葉をかけたら、他人の能力をいきいきと伸ばすことができるのか、そのことを端的に教え
てくれるのが、水の結晶です。
などと続けていくのです。
「生命」という深遠なテーマをあまりに深く考えてしまうとこのようなおかしな理論に誘導されていく恐れもありますので、ここは注意も必要でしょうね。
また、よくこのハイポニカが将来の農業問題解決の切り札などと持ち上げられたりもしますが、「商品」として流通させるほどの農業に代われるかというと、実際にやっている方の話を見てみますと結構手間暇がかかるようで、これが広まるにはそれ相応の規模の「工場」とでもしなければ中々難しいのかなと思われます。
それでも家庭菜園レベルの趣味の一環としてやる分には中々面白そうで、自分で自作してチャレンジしている方も結構いるようです。
さて我が家の菜園で一番の成長株は、プランター植えのミニトマトです。
ミニトマトという名前に惑わされ、まさかこんなに大きくなってしまうとは夢にも思いませんでした。
(クリックで拡大)
一応ベランダから紐を垂らしてそこに結び付けているのですが、上の方の実を採るには脚立を立てなければならないほどです。
何も分からなかったため、プランターには園芸土ではなくすべて「堆肥」を投入しており、それが功を奏しているのかなと思います。それにしても凄い。
もう完全に時期はずれになっているのですが、どこまでもつのかこのまま育ててみようと思います。
以前コメントをいただいたさつきさんは、一つの株から200個以上の実を収穫しており、それをご自身のブログの中で紹介しています。
ハイポニカについても自分と同様な感想をお持ちのようで、今回の記事を書くにあたり大いに参考にさせていただきました。
来年は自分もこの方法を真似てみて、放任主義でどこまで育つのかぜひとも試してみたいと思います。
プランターでこれだけ育てば立派だと思います。
私のところはとっくに20kgを超えたのですが、まだぐっさりと実を付けていて、最後をどう看取るかは悩みのタネです。一応、新芽や花はぜんぶ摘んでしまったので、10月上旬で見切りをつけようと思っています。
ハイポニカ崇拝が水伝と結びつくのは見過ごせませんね。表面的な親和性と内面の動機のようなものは別の筈で、これは江本の側が利用しようとしたのでしょう。
その後1000個までも収穫したんですね、凄いです。
さつきさんの農法は来年ぜひともチャレンジさせていただきますね。
ハイポニカについても、これはこれで面白そうだと思っています。
純粋に、一つの農業手法として見るのが一番良いのでしょうね。
実は、ハイポニカを最初に知ったのは船井幸雄の著書の中でという事は秘密です(^^;)。