今日の仕事帰り、ふと空を見上げると、そこには鮮やかに光る星々があった。
雲一つない晴れ渡った夜空に、金星・木星・火星がくっきりと光り輝いていた。
5惑星が一度に見られる8年ぶりの天体ショーが始まっていたのを思い出した。
反対側の南の空を眺めると、お馴染みのオリオン座のベルトもはっきり見てとれた。
ああそう言えば、あの日もこの三ツ星が出ていたなぁ、と思い出す。
あの日、ろうそくだけの灯りで寒さに震えながら、冷蔵庫に残っていた最後のうどんで、
これもまた、もう空になりかけていた最後のカセットコンロで鍋焼きうどんを作り、
ラジオのニュースを聞きながら、妻と二人してそれを啜ったのだった。
食事後雪が止んでいるのに気付き、こんな機会はないとして、近所の原っぱに出かけた。
空を見上げると、普段では絶対に見る事の出来ない、満天の星空がそこにあった。
そして僕は、この星空は絶対に忘れてはならないと、強く自分に言い聞かせていた。
今日このブログに巡り合い、その訳が分かった。
『山田ババでございます。』
【3月11日は命日であって、集会に利用する日ではない 】
ああそうか。
あの日見た星々は、
この日天に召された人達の、
魂の光だったのだ。
溢れ出る涙を、僕はこらえる事が出来なかった。
雲一つない晴れ渡った夜空に、金星・木星・火星がくっきりと光り輝いていた。
5惑星が一度に見られる8年ぶりの天体ショーが始まっていたのを思い出した。
反対側の南の空を眺めると、お馴染みのオリオン座のベルトもはっきり見てとれた。
ああそう言えば、あの日もこの三ツ星が出ていたなぁ、と思い出す。
あの日、ろうそくだけの灯りで寒さに震えながら、冷蔵庫に残っていた最後のうどんで、
これもまた、もう空になりかけていた最後のカセットコンロで鍋焼きうどんを作り、
ラジオのニュースを聞きながら、妻と二人してそれを啜ったのだった。
食事後雪が止んでいるのに気付き、こんな機会はないとして、近所の原っぱに出かけた。
空を見上げると、普段では絶対に見る事の出来ない、満天の星空がそこにあった。
そして僕は、この星空は絶対に忘れてはならないと、強く自分に言い聞かせていた。
今日このブログに巡り合い、その訳が分かった。
『山田ババでございます。』
【3月11日は命日であって、集会に利用する日ではない 】
ああそうか。
あの日見た星々は、
この日天に召された人達の、
魂の光だったのだ。
溢れ出る涙を、僕はこらえる事が出来なかった。
ひまわり先生の所で、お名前をお見かけしたように覚えております。
この度は、貴方(なんとお呼びしたら宜しいのでしょうか)のブログで取り上げて戴きまして大変恐縮しております。
何か文章を書こうと考えたのですが、言葉が思い浮かばず、言葉では足らず、どう書いて良いのか考えあぐねた結果、ネットから沢山の画像を拾い集めて添付した次第です。
本記事を拝読しました、最後のうどんで無くなりかけていたカセットコンロで鍋焼きうどんを作り、ご夫婦で戴き、そして空を見上げると満点の星空があった・・・山田ババ、目頭がまた熱くなりました。
あの日の午後、テレビから流れてきた映像に愕然として、その日の夕方から陸路で自衛隊・警察・医療団がすぐに東北に向かいました。
道が通れないとのことで、秋田の方から迂回して、それでも行けるかどうかわからないと言われていました。一晩中警報が鳴り、悲鳴や寒さに震える姿やガソリンが無く、栃木県でもトイレットペーパーが無いのにストレスで下痢になり屋根も半壊して電気が来ないと連絡も入り・・。何が出来るわけではないけれど、何となく、ガソリンを使わないようにしよう、トイレットペーパーも使わないように気を付けよう、カセットボンベも東北で必要かもしれない・・などと思いながら、節電してみたりしました。寒かっただろうな・・これからどうなるうんだろうと呆然としただろうな・・・トイレやお風呂はどうなるんだろう、風邪ひいたら薬はあるのかな・・・いろんなことを思いました。現地に行くチャンスが持てず、直接何もお手伝い出来ませんでした。
もし自分が同じ立場だったらどうするだろう、どう考えるだろう、何が困るだろう、そんなふうにいつも考えています。
私のブログでは、日本以外の国での(仕掛けられた内戦状態による)一般市民の惨状についても触れています。自分に何かが出来るほど、力も何もありません。しかし、そういう人々の声を素直に聞こう、いつも忘れないようにしよう、ネットととは言え、このつながりを断ち切らないようにしよう・・・そんなふうに考えています。
今日のBGMはコチラです、奥様とご一緒にどうぞ^^↓http://www.youtube.com/watch?v=-VUeSVjN1cM
見上げてごらん夜の星を~坂本九
山田さんについてはひまわりさんの所で知りまして、以来ブログの方はちょくちょく寄らせてもらっておりました。
あの日からじき一年、何かあっという間に過ぎてしまったという感じがしますが、震災当日の事は昨日の事の様によく覚えています。
でもこれは多分僕だけではないでしょう。
自分が被災者となるというのは初めての体験でしたが、当日は不思議とこの状況を客観的に捉える自分がおりました。
これも、まず何とかして「伝える」という事を念頭に置いていたからだと思います。
でも当日はライフラインどころか通信手段までダメになり、入ってくる情報もラジオのみ、まさに「情報弱者」という言葉がそのまま当てはまる状況となり、後はただ、何とかその日を生き延びるというサバイバルモードに切り替わった次第です。
3日目の夜に電気が復旧し、すぐテレビを付けたらちょうどNHK特集が始まり、そこで初めて津波の映像に接し、改めて被害の深刻さを実感したと言う訳です。
あの日の夜は仙台以北では雪が降っており、逆に福島県では停電にはならなかったとの事なので、あの星空を見る事が出来たのは極めて限られた範囲でした。
そしてそれを見ている時は、周りの状況はまるで分かっていなかったのです。
当日の事などをエントリーに挙げてありますので、ご覧になっていただければと思います。↓
http://blog.goo.ne.jp/osato512/e/87f3be49fe4e4f3204440bf98dfe6cbf
http://blog.goo.ne.jp/osato512/e/ede10c9ef4179a41279cd7ff6bac7a20
中で紹介した河北新報社のドラマが放送されます。こちらもぜひ。↓
http://www.tv-tokyo.co.jp/ashita/
新聞社のドラマ・・・、なんだか、阪神淡路大震災を思い出しました。
津波の被害は無かったのですけど、直下型の明朝の地震でしたので、あっという間でした。
震災後の神戸は、綺麗なマンションが立ち並び、美しいルミナリエが冬に輝いています。
東北も、瓦礫の処理が早く進む事を願います。
おお、ご覧になりましたか!
地元仙台ではテレ東の番組枠がないので今日は放送されていません。
今週3月10日(土)午後1時にTBC(東北放送)で放映されますので、それを楽しみにしております。
遅まきながらようやく原作本を買いましたので、それまでしっかり読みこんで予習しておきたいと思います。↓
http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784163744704
文藝春秋社というのも、何か因縁を感じるなぁ…(^^;)。