四諦とは「苦・集・滅・道」です。
「苦」とは、「人生は苦しみである」という真理を見抜くことです。
なぜ人生は苦しみなのでしょうか。その根拠をたどれば、
「この世は仮の世界、仮の世なのだ」ということに行き着きます。
仮の世であるこの世を、完全な世界、永遠に続く世界のように思って生きているところに、
人間の苦しみが生まれる原因があるのです。
「この世は仮の世であり、実在の世界ではないのだ」という目で見れば、
みなさんが、この世で「幸福だ」「楽しい」「こうなったらよい」などと思っていることは、
ほとんど逆であり、実際には苦しみの種をつくっていることのほうが多いのです。
世界の真相を知らない人には、苦しみに見えないかもしれませんが、
世界の真相を知った人から見れば、苦しみの世界であることが多いわけです。
「そういう目で見なさい」ということです。
次に、「集」とは、苦しみの原因を探究することです。
そして、
「こういう苦しみは、なくさなければいけない。
苦しみから解放された世界に還らなければいけない」
と決意することが「滅」の心です。
そのための道が「道」です。
これは、伝統的には「中道に入る」ということであり、
その中道の内容が実は八正道なのです。
八正道について、「正しさの基準が分からない」と言う人もいますが、
実は中道の「中」が正しさなのです。
「中」とは何かというと、
物事について両極端を考え、どちらも間違っているとして
、そのあいだを取っていくことです。
「両極端を否定しながら、その中なる道を探していくなかに、真実の生き方があるのだ」
という考えです。
●八正道の心● より
「苦」とは、「人生は苦しみである」という真理を見抜くことです。
なぜ人生は苦しみなのでしょうか。その根拠をたどれば、
「この世は仮の世界、仮の世なのだ」ということに行き着きます。
仮の世であるこの世を、完全な世界、永遠に続く世界のように思って生きているところに、
人間の苦しみが生まれる原因があるのです。
「この世は仮の世であり、実在の世界ではないのだ」という目で見れば、
みなさんが、この世で「幸福だ」「楽しい」「こうなったらよい」などと思っていることは、
ほとんど逆であり、実際には苦しみの種をつくっていることのほうが多いのです。
世界の真相を知らない人には、苦しみに見えないかもしれませんが、
世界の真相を知った人から見れば、苦しみの世界であることが多いわけです。
「そういう目で見なさい」ということです。
次に、「集」とは、苦しみの原因を探究することです。
そして、
「こういう苦しみは、なくさなければいけない。
苦しみから解放された世界に還らなければいけない」
と決意することが「滅」の心です。
そのための道が「道」です。
これは、伝統的には「中道に入る」ということであり、
その中道の内容が実は八正道なのです。
八正道について、「正しさの基準が分からない」と言う人もいますが、
実は中道の「中」が正しさなのです。
「中」とは何かというと、
物事について両極端を考え、どちらも間違っているとして
、そのあいだを取っていくことです。
「両極端を否定しながら、その中なる道を探していくなかに、真実の生き方があるのだ」
という考えです。
●八正道の心● より
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