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織内将男の日 光 讃 歌 

世界遺産の二社一寺などの歴史、文化を育んだ、日光の自然や地域を訪ねます。

東北紀行(72)金山 「金山の宿場」

2011年04月15日 10時26分37秒 | 出羽・庄内の道






東北紀行(72)金山 「金山の宿場」 ,




金山の旧家
大正初期に建てられた金山型住宅の原型とされる「カネカ邸」、店内では和洋装品を営んでいる。 又、弥生の時期になると最上地方独特の「雛祭り展示会」が開かれ、旧家・カネカ邸の客間には江戸中期の雛人形の各種段飾りや五人囃子(京雛)などが展示されるという。




泥湯温泉から一旦雄勝町(湯沢市)に戻り、国道13号線、通称、羽州街道を南下する。
奥羽本線と並行しながら雄勝トンネルを抜けると山形県に入り、最初の町が金山町である。 
自然豊かで風光な町であるが、特に金山地区は古い建物が多く目立つ町並みである。


一般に、街道沿いの国境の峠の麓には概ね宿場が置かれていた。 
この地域も江戸時代には羽前(山形)と羽後(秋田)の国境で、羽州街道に沿って金山宿が置かれ宿場町として栄えたという。

金山宿から先は、秋田県まで金山峠(森合峠)~主寝坂峠~雄勝峠と厳しい峠が続くため、参勤交代をする秋田や津軽の諸大名が必ず泊まる宿場で、そのための本陣や脇本陣が置かれていたらしい。


因みに、「本陣」(ほんじん)というのは元々は戦場において大将の位置を示す本営のことを言ったが、やがて武将の宿泊する場所を指すようになった。
宿場大名や旗本、幕府役人、更には勅使(天皇の詔勅を伝達するために派遣される特使)、宮様、門跡(もんぜき:皇子・貴族などの住する特定の寺の称やその寺の住職のこと)などが使用した宿舎がそうである。

本陣に勤める者は宿役人の問屋や村役人の名主を兼ねている者が多く、そこの主人は苗字帯刀を許され、門や玄関、上段の間等を設けることが特権のようになっていた。 従って、原則として一般の者を泊めることができなかった。
しかし、大名もそう度々泊まるわけではなく、江戸時代も後期になると経営難に陥る所も少なくなく、他の仕事を兼業している場合もあったという。

又、脇本陣(わきほんじん)というのは本陣の予備的施設で、大きな藩で本陣だけで泊まりきれない場合や宿場で藩同士が鉢合わせになった場合の格式の低い方の藩の宿として利用されるなど、本陣に差し支えが生じた場合に利用された。 
それ以外の時は一般旅客の宿泊にも供した。 
規模は本陣よりも小さいが、諸式はすべて本陣に準じ、上段の間などもあり、本陣と同じく宿場の有力者が勤めた。



金山町は、明治期の村制施行、大正末期の町制施行以来、町域の変更がなく、更に、昭和の大合併・平成の大合併と幾度もあった合併の流れにも加わらず、しかも、そのことを町の誇りとするなど独自色の強い町でもある。

次回、「真室川



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東北紀行(66)湯沢 「小野小町」

2011年04月07日 11時11分51秒 | 出羽・庄内の道
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 東北紀行(66)湯沢 「小野小町」  ,


横手、湯沢と出羽の国・秋田有数の都市ながら、周囲は穏やかな山並みに囲まれて、如何にも内陸の都市という感じである。 
特に湯沢市は、すぐ横を県最大の雄物川の清流が流れ、きれいな水と豊かな自然の中で、街は清楚に佇んでいる。

雄物川は、江戸期まで日本海へ連なる水運が盛んだったらしく、上り舟には海産物などを、下り舟には米や農産物を主な積み荷とした。 
内陸は米所でもあり、所謂、御物(年貢米)を運んだことから「御物川」転じて「雄物川」となったという。


湯沢は、名前の名が示すとおり山間には多くの温泉があり、その名が付いたともいわれる。
小安峡温泉・秋の宮温泉郷、大湯、新湯、泥湯など、出湯の宝庫でもある。
小生は、これから山あいの秘湯、迫力の大噴湯を誇る泥湯、川原毛地獄へ向かうのである。


湯沢市街の南、須川から左、県道51から目的地へ向かうのであるが、所々に「小野小町の里」と名札が立っている。 
そう、ここ雄勝町(湯沢市雄勝町)は秋田美人の元祖・小野小町に所縁のある町らしい。
当地区には小野という地名もあり、小野塚(小野良実の墓)や小野小町の伝承、伝説の史跡が密集しているという。

小野小町は平安前期の女流歌人で、絶世の美人といわれ、全国に数々の伝説が作られている。
ご存知、「あきたこまち」や秋田新幹線の「こまち」の由来にもなっている。


小野小町は、平安時代前期9世紀頃の女流歌人、六歌仙・三十六歌仙の一人である。

『 花の色は  うつりにけりな  いたづらに
          わが身世にふる  ながめせしまに
 』
(桜の花の色はすっかりあせてしまったことよ。長雨がふっていた間に。わたしの美しかった姿かたちもおとろえてしまった。むなしく世をすごし、もの思いにふけっていた間に)


その小野小町は小野良実の娘とされる。 
京都の貴族・出羽郡司小野氏は、この小野地区に館を構え、周辺は小野千軒と言われる程に大きく発展したと言われている。 
その後、在地豪族の娘・大町子との間に小町をもうけ、13歳の時に都へ連れて帰り氏族の一人として教育をした。

15歳ころ歌才をうたわれ、仁明天皇近くに更衣として仕え、正六位に叙せられ30歳ごろ後宮を退いた。40歳ほどで故郷に帰り、90歳を超えて一生を終わったという。

容姿の端麗さは宮中一と云われ、今ではエジプトのクレオパトラや中国の楊貴妃と共に世界三大美人と呼ばれている。 
その為か多くの伝承や伝説など全国各地で見られ、実在の人物ではあるが、小町の一生は謎に包まれているともいう。

次回、「泥湯温泉



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東北紀行(65)横手 「横手と後三年の役」

2011年04月06日 10時59分14秒 | 出羽・庄内の道
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 東北紀行(65)横手 「横手と後三年の役」  ,


国の名勝でもある桧木内川の桜並木を右に見ながら、角館を後にした。
これより秋田自動車道、湯沢横手道路などを経由して湯沢の南部より子安峡方面を目指す。

因みに、両高速道とも高速道路無料化の対象になっていて、有料であった高速道路の料金無料で走れ、これは民主党がマニフェストのひとつとして掲げる政策でもある。  


先ずは横手に向かった。
横手は冬場、雪のカマクラで有名であるが、雪の殆ど降らない小生の住む神奈川県厚木市とは、この雪が取り持つ縁なのかどうかは定かでないが、友好都市の関係を結んでいるのである。


ところで、「B-1グランプリ」大会というのをご存知だと思うが、2010年に厚木で開催された。(優勝は山梨県甲府市「甲府鳥もつ煮」という品目) この時、46件もの出展参加者があり、44万人の人手があったという。
 
前年(2009年)には当地・横手市で開催されいて、ご当地「横手やきそば」がグランプリを得ている。 

因みに、その前年の2008年に開かれた福岡県留米市の大会では、厚木の「厚木シロコロ・ホルモン」というのが優勝しているのである。 
友好都市同士で連続のグランプリを獲得しているが、何かしら奇縁を感じるのである。

B-1グランプリとは、「B級ご当地グルメでまちおこし団体連絡協議会」(通称:愛Bリーグ)が主催する「B級ご当地グルメ」の日本一を決める大会であり、正式名称は「B級ご当地グルメの祭典 B-1グランプリ」と称している。
地元の食材をつかい、昔から親しまれてきた一品料理を調理し、来場客が出展料理を食べ比べる。 
そして、どの料理が気に入ったかを投票によって選び、グランプリが決定するという趣向である。



横手は先に岩手・中央部の戦乱の項でも記したが、平安後期前九年、後三年の役で活躍した清原氏(出羽清原氏)の根城だったところである。

横手の中心部から北に約10km、奥羽本線には「後三年駅」というのも在り、後三年神社、後三年記念館、後三年平和公園など、そして「金沢」という地名もある。
そう、この地には「金沢柵」という巨大な城構えがあって、かって出羽・清原氏の根拠地でもあった。


金沢柵は前九年の役頃までは清原氏の居城で、後三年の役においては清原家衡、武衡が「沼の柵」から移って籠城したため源義家がこれを包囲して兵糧攻めにし、陥落した古城址である。
四周が断崖絶壁の岩山で天然の要害をなし、数多くの塹壕をつくり堅固な柵で、本丸、二の丸、北の丸、西の丸などには、当時の陣営の堀っ建ての柱穴址がたくさん残っているという。

柵跡には現在八幡神社があり、後三年の役終了後、源義家が藤原清衡に命じて出羽鎮護のため、石清水八幡宮の神霊を勧請して創建したものという。 
本殿内は創建当時のもので、社務所は宝物殿を兼ねたもので幾多の社宝や貴重な文化財が保存せれている。



前九年の役」で俘囚の長・豪族安倍氏に勝利した清原氏は、武則が朝廷から鎮守府将軍に任じされ、安倍氏の旧領奥六郡(律令制下に置かれた胆沢郡、江刺郡、和賀郡、紫波郡、稗貫郡、岩手郡の六郡の総称。
現在の岩手県奥州市から岩手県盛岡市にかけての地域に当たる)を併せ領する大族となる。 
しかしその後、清原氏は同族同士での家督相続、御家争いの内紛を起こす。 

清原真衡と吉彦秀武(きみこひでたけ)、清原家衡、清原清衡(藤原清衡)との争いで始まるが、前九年の役にも参戦した陸奥守源義家が介入し、清原真衡が死去したことで一旦は、清原清衡と清原家衡で分け合って跡を継ぐことになる。

しかし、清原清衡と清原家衡の間で再び争いが起こり、家衡は出羽国・「金沢柵の戦い」では籠城をして戦ったものの、結果、清原清衡に義家軍が応援したことで勝利し、直系の清原氏惣領家は滅亡する。


この一連の内紛を後三年の役(1083年から1087年)といい、勝利した清衡は奥州の覇権を握り、摂関家に届け出て実父・藤原経清(陸奥国亘理郡:現在の宮城県)の姓藤原を名乗ることになる。 

藤原清衡は、後に磐井郡平泉に居を移し、政治文化の中心都市の建設に着手して、1108年には中尊寺造営を開始して壮大な中世都市平泉の原型をつくり、奥州藤原氏四代100年の栄華の基礎を築くことになるのである。

次回、湯沢 「小野小町



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