
播磨の峠xトxジテンシャ
「播磨の峠ものがたり」で紹介されている峠を、自転車と共に越えた記録。
ダイジェスト版③ (No.41-60)
41. 屋津坂峠 / 鳩ヶ峰、鳩胸坂峠 (やつざかとうげ / はとがみね、はとむねざかとうげ)
たつの市御津町室津と揖保川町馬場を繋ぐ峠。

揖保川町、ダイセル工場の側から峠へと登って行く。

屋津坂峠(鳩ヶ峰)

室津への下り(屋津坂)は、ガタガタの道。
42. 両見坂峠 (りょうみざかとうげ)
たつの市龍野町中霞城から北龍野を繋ぐ峠。
峠は西側の的場山(394m)と、東側の鶏籠山(けいろうざん、218m)の鞍部に位置する。戦国時代には、鶏籠山に建てられていた龍野古城(朝霧城)の一部となった。そのため、紅葉谷登り口から峠へ至る遊歩道には、侍屋敷跡や鳥ヶ撓番所跡などが見られる。

龍野城側から、紅葉谷の遊歩道を進む。

コンクリの遊歩道の行き着く先に両見坂峠が有った。
峠には大きな石灯籠。

峠を越えると、普通の登山道になった。
このまま先へと進み、三坂神社へと至る。
43. 二柏野峠 (ふたつがいのとうげ)
たつの市新宮町二柏野と相生市矢野町能下を繋ぐ峠。
現在、たつの・上郡町光都から、相生方面へ行くには、三濃山トンネルを抜ける。
トンネルが出来るまでは、二柏野峠を越えていた。峠はトンネルの東側にあり、まだ現役。
旧二柏野峠は古の峠道。

舗装された現在の峠道。

相生側へ下ってゆくと、磐座神社。
秋にはこの様な黄葉が愉しめる。

旧二柏野峠。
近くには瓦が散乱しており、小祠があったのだろう。

相生側へ降る道では、石垣が確認できた。
44. 相坂峠(あいさかとうげ)
たつの市新宮町鍛冶屋と下莇原を繋ぐ峠。

R179を鍛冶屋側から登る。


峠の前後に地蔵尊がある。

峠を降る途中には、休憩所。
45. 切窓峠(きりまどとうげ)
宍粟市山崎町青木と葛根を繋ぐ峠。

中国自動車道沿いのr53 を東から、長い坂道を登る。

峠を越えた所に広いスペースがあり、石像が・・・・
46. 寺坂峠(てらさかとうげ)
佐用町海内と佐用町上三河を繋ぐ峠。

佐用川沿い、平福の町屋

旧道入口から少し登れば現峠へ。
「一生懸命だと 知恵がでる
中途半端だと 愚痴がでる
いい加減だと 言い訳がでる」
・・・心にぐさりと突き刺さって痛い。

旧峠
47. 塩地峠(しおじとうげ)
宍粟市千種町下河野と山崎町大沢を繋ぐ峠。

千種側、一里塚堂付近の登り口から峠道へ入る。
振り返れば石垣が見える。

緩やかで、落ち葉もふかふかの、気持ちの良い道。
峠に着いた頃には、日が暮れた。

峠を越えて山崎側へ下る途中に、地蔵堂が有った。
「春の日和は 遠いけど 信じていけば きっと来る
耳に聞こえぬ 目に見えぬ 菩薩の御慈悲 胸で聞き
春の訪れ 合わす手で」
・・・私の穢れた心が少しきれいになった気がした。
48. 鳥ヶ乢峠(とりがたわとうげ)
宍粟市波賀町斉木と千草町岩辺を繋ぐ峠。

波賀町側から上って行き、鳥ヶ乢トンネル手前から旧道へと入る。

鳥ヶ乢峠名物、鶏冠のモニュメント。
下には峠名の由来というか、苦しい言い訳が書いて有る。
49. 大乢峠(おおたわとうげ)
宍粟市一宮町千町(せんちょう)と朝来市田路(とうじ)を繋ぐ峠。

奥田路から林道絵本線へ入る。

進むにつれて道の状態が悪化してくる。
この様に路盤がごっそり無くなっている箇所も幾つか有った。
更に、雨は降るわ、ヤマビルは何匹も足を登ってくるわで、最悪な状況。

日は暮れ、ガスって視界は数メートル。
先が見えない崩壊箇所を何度も突破する。

大乢峠の地蔵尊に、無事に辿りついた事を感謝する。
"峠から田路まで60分"との標識があった。
千町へ降れば、雨は上がり月明かりが綺麗だった。
50. 黒原峠 / 藤尾峠(くろはらとうげ / ふじおとうげ)
宍粟市一宮黒原と朝来市佐嚢を繋ぐ分水嶺の峠。
神子畑(みこばた)越しとも呼ばれる。

R429沿いにある、神子畑の選鉱場跡。

林道から地形図で目星をつけて斜面をのぼると、お地蔵様がおわしました。

沢沿いの荒れた道を下って、黒原側のトンネル出口付近へと出る。
51. 冨土野峠(ふどのとうげ)
宍粟市一宮町倉床と養父市大屋町明延を繋ぐ峠。

明延側から上る。
レートクレーム

トンネルを抜けると、冨土野峠の標識。
古い峠道がトンネルの手前から冨土野奥に掛けて残っているらしいが、、、
日も暮れ、雪も積もっているので、コレで良しとしよう。
後日、古道(旧旧道)から登りました。

冨土野集落の奥にある地蔵尊から、沢沿いに峠道が有ります。

登るにつれて道は不明瞭になりますが、狭い沢の一本道なので迷う事は有りません。
ほどなく右上に現道の県道6号線が見えて来ます。

一旦トンネル前を横切り、石垣を登り再び山の中へ入ります。
峠の手前には、トンネルが出来る前の旧道から枝分かれした新しい作業道が、更に上へと伸びていました。峠上部には古道の名残か、僅かに石組みが見られました。
明延側へは植林中の斜面を降り、トンネル前の首なし地蔵尊へ帰りの安全を祈りました。
今の地形を見る限り、明延側へ下る旧道は結構急だったのではないでしょうか。
52. 若杉峠 / 道谷峠(わかすとうげ / どうだにとうげ)
宍粟市波賀町道谷と養父市大屋町若杉を繋ぐ峠。
昭和43年に自衛隊によって拡幅、その後再び改修され現在の二車線舗装路となる。

波賀側のR29から別れてr48へ入ると、峠のお地蔵様だろうか。
今日も無事に帰られますように。

すぐに峠に到着。
養父側へと長い坂を下って行く。

隣の旧峠には"峠開通記念の碑"が有り、裏側を見ると自衛隊の第101、105建設大隊が施工したと有ります。
「いつの日か またたずね来む 山青き 若杉峠に のこす あしあと」
一〇五 隊員
53. 戸倉峠(とくらとうげ)
宍粟市波賀町戸倉と鳥取県八頭郡若桜町落折を繋ぐ国越えの峠。

兵庫県側の旧道から入る。
戸倉隧道。

峠は大きな切り通しとなっている。

峠を越えて明治の峠道へ入る。

意外と路面がしっかりしており通過しやすい。
だだし、路盤や山側が崩れて、担ぎが必要な所が幾つか有る。
ハイキングコースとしても良い道だ。
54. 大通峠(おおどおりとうげ)
宍粟市千草町河内と鳥取県八頭郡若桜町中原を繋ぐ峠。


千種側の旧道から登る。

林道大通中江線と合流すればすぐに峠。
願主 中江 善兵衛妻と刻まれた地蔵尊がある。

中江の一本杉。
ウラスギと言う日本海側に生える杉で、今は無き中江集落の目印。

更に小通峠を越えれば、吉川の集落へと繋がる。
55. 江浪峠(えなみとうげ)
千草町西河内と鳥取県若桜町吉川を繋ぐ峠。

吉川側から入る。
最初の頃は、道幅は十分。

峠に近づいてくると、明確だった道が登山道の様になってくる。
渡渉を繰り返す。

見通しが良くなり、地形が平らになった。
特に迷うことはなく、峠へ着いた。
そのまま千種へと下る。

降る途中、峰越峠分岐の手前に有った放置車両。
56. 志引峠 (しびきとうげ)
兵庫県宍粟市千種と岡山県美作市を繋ぐ国境の峠。

岡山側からR429を延々と登る。
峠手前で見つけた地蔵尊。

志引峠

しこたま溜め込んだ位置エネルギ-を開放して、千種側へ降る。

峠へ登るついでに、日名倉山山頂へ行くのも良し。
57. さっこり峠
兵庫県佐用町と岡山県美作市を繋ぐ峠。

佐用からR373を北上して、岡山との県境にある。
58. 釜坂峠/加茂坂 (かまさかとうげ/かもさか)
佐用郡佐用町東中山と岡山県美作市宮本を繋ぐ峠。
平福宿を経由して、因幡街道が通っていた。

美作から峠道へと入る。
途中には、宮本武蔵ゆかりの武蔵神社がある。


釜坂峠と地蔵尊
「この地蔵尊は長く当地にあって此の釜坂峠を南北に越える因幡街道を通行するにあたって道祖神となり広く信仰されて来た。」云々とある。
59. 杉坂峠
佐用郡佐用町皆田と岡山県美作市田原を繋ぐ峠。

中国自動車道沿いをr365で西へ進んで行くと、、、


杉坂峠に到着。
「中世の頃交通の要所として関所が設けられ、後醍醐天皇が隠岐に流されたときも、この関所を越えられたと伝えられています。」と、作東町観光協会。
60. 万能峠/万ノ乢 (まんのうとうげ/まんのたわ)
佐用郡佐用町西大畠と岡山県美作市土居を繋ぐ国境の峠。

R179を岡山方向へ進んで行く。
いくつかのカーブで高度を稼いでいくと、県境へ。


姫新線に沿った旧道(出雲街道)を通って万ノ乢へ。
岡山側は下草も無く、良く整備された峠道。
//参照//
播磨の峠ものがたり
須磨岡 輯 (著)
「播磨の峠ものがたり」で紹介されている峠を、自転車と共に越えた記録。
ダイジェスト版③ (No.41-60)
41. 屋津坂峠 / 鳩ヶ峰、鳩胸坂峠 (やつざかとうげ / はとがみね、はとむねざかとうげ)
たつの市御津町室津と揖保川町馬場を繋ぐ峠。

揖保川町、ダイセル工場の側から峠へと登って行く。

屋津坂峠(鳩ヶ峰)

室津への下り(屋津坂)は、ガタガタの道。
42. 両見坂峠 (りょうみざかとうげ)
たつの市龍野町中霞城から北龍野を繋ぐ峠。
峠は西側の的場山(394m)と、東側の鶏籠山(けいろうざん、218m)の鞍部に位置する。戦国時代には、鶏籠山に建てられていた龍野古城(朝霧城)の一部となった。そのため、紅葉谷登り口から峠へ至る遊歩道には、侍屋敷跡や鳥ヶ撓番所跡などが見られる。

龍野城側から、紅葉谷の遊歩道を進む。

コンクリの遊歩道の行き着く先に両見坂峠が有った。
峠には大きな石灯籠。

峠を越えると、普通の登山道になった。
このまま先へと進み、三坂神社へと至る。
43. 二柏野峠 (ふたつがいのとうげ)
たつの市新宮町二柏野と相生市矢野町能下を繋ぐ峠。
現在、たつの・上郡町光都から、相生方面へ行くには、三濃山トンネルを抜ける。
トンネルが出来るまでは、二柏野峠を越えていた。峠はトンネルの東側にあり、まだ現役。
旧二柏野峠は古の峠道。

舗装された現在の峠道。

相生側へ下ってゆくと、磐座神社。
秋にはこの様な黄葉が愉しめる。

旧二柏野峠。
近くには瓦が散乱しており、小祠があったのだろう。

相生側へ降る道では、石垣が確認できた。
44. 相坂峠(あいさかとうげ)
たつの市新宮町鍛冶屋と下莇原を繋ぐ峠。

R179を鍛冶屋側から登る。


峠の前後に地蔵尊がある。

峠を降る途中には、休憩所。
45. 切窓峠(きりまどとうげ)
宍粟市山崎町青木と葛根を繋ぐ峠。

中国自動車道沿いのr53 を東から、長い坂道を登る。

峠を越えた所に広いスペースがあり、石像が・・・・
46. 寺坂峠(てらさかとうげ)
佐用町海内と佐用町上三河を繋ぐ峠。

佐用川沿い、平福の町屋

旧道入口から少し登れば現峠へ。
「一生懸命だと 知恵がでる
中途半端だと 愚痴がでる
いい加減だと 言い訳がでる」
・・・心にぐさりと突き刺さって痛い。

旧峠
47. 塩地峠(しおじとうげ)
宍粟市千種町下河野と山崎町大沢を繋ぐ峠。

千種側、一里塚堂付近の登り口から峠道へ入る。
振り返れば石垣が見える。

緩やかで、落ち葉もふかふかの、気持ちの良い道。
峠に着いた頃には、日が暮れた。

峠を越えて山崎側へ下る途中に、地蔵堂が有った。
「春の日和は 遠いけど 信じていけば きっと来る
耳に聞こえぬ 目に見えぬ 菩薩の御慈悲 胸で聞き
春の訪れ 合わす手で」
・・・私の穢れた心が少しきれいになった気がした。
48. 鳥ヶ乢峠(とりがたわとうげ)
宍粟市波賀町斉木と千草町岩辺を繋ぐ峠。

波賀町側から上って行き、鳥ヶ乢トンネル手前から旧道へと入る。

鳥ヶ乢峠名物、鶏冠のモニュメント。
下には峠名の由来というか、苦しい言い訳が書いて有る。
49. 大乢峠(おおたわとうげ)
宍粟市一宮町千町(せんちょう)と朝来市田路(とうじ)を繋ぐ峠。

奥田路から林道絵本線へ入る。

進むにつれて道の状態が悪化してくる。
この様に路盤がごっそり無くなっている箇所も幾つか有った。
更に、雨は降るわ、ヤマビルは何匹も足を登ってくるわで、最悪な状況。

日は暮れ、ガスって視界は数メートル。
先が見えない崩壊箇所を何度も突破する。

大乢峠の地蔵尊に、無事に辿りついた事を感謝する。
"峠から田路まで60分"との標識があった。
千町へ降れば、雨は上がり月明かりが綺麗だった。
50. 黒原峠 / 藤尾峠(くろはらとうげ / ふじおとうげ)
宍粟市一宮黒原と朝来市佐嚢を繋ぐ分水嶺の峠。
神子畑(みこばた)越しとも呼ばれる。

R429沿いにある、神子畑の選鉱場跡。

林道から地形図で目星をつけて斜面をのぼると、お地蔵様がおわしました。

沢沿いの荒れた道を下って、黒原側のトンネル出口付近へと出る。
51. 冨土野峠(ふどのとうげ)
宍粟市一宮町倉床と養父市大屋町明延を繋ぐ峠。

明延側から上る。
レートクレーム

トンネルを抜けると、冨土野峠の標識。
古い峠道がトンネルの手前から冨土野奥に掛けて残っているらしいが、、、
日も暮れ、雪も積もっているので、コレで良しとしよう。
後日、古道(旧旧道)から登りました。

冨土野集落の奥にある地蔵尊から、沢沿いに峠道が有ります。

登るにつれて道は不明瞭になりますが、狭い沢の一本道なので迷う事は有りません。
ほどなく右上に現道の県道6号線が見えて来ます。

一旦トンネル前を横切り、石垣を登り再び山の中へ入ります。
峠の手前には、トンネルが出来る前の旧道から枝分かれした新しい作業道が、更に上へと伸びていました。峠上部には古道の名残か、僅かに石組みが見られました。
明延側へは植林中の斜面を降り、トンネル前の首なし地蔵尊へ帰りの安全を祈りました。
今の地形を見る限り、明延側へ下る旧道は結構急だったのではないでしょうか。
52. 若杉峠 / 道谷峠(わかすとうげ / どうだにとうげ)
宍粟市波賀町道谷と養父市大屋町若杉を繋ぐ峠。
昭和43年に自衛隊によって拡幅、その後再び改修され現在の二車線舗装路となる。

波賀側のR29から別れてr48へ入ると、峠のお地蔵様だろうか。
今日も無事に帰られますように。

すぐに峠に到着。
養父側へと長い坂を下って行く。

隣の旧峠には"峠開通記念の碑"が有り、裏側を見ると自衛隊の第101、105建設大隊が施工したと有ります。
「いつの日か またたずね来む 山青き 若杉峠に のこす あしあと」
一〇五 隊員
53. 戸倉峠(とくらとうげ)
宍粟市波賀町戸倉と鳥取県八頭郡若桜町落折を繋ぐ国越えの峠。

兵庫県側の旧道から入る。
戸倉隧道。

峠は大きな切り通しとなっている。

峠を越えて明治の峠道へ入る。

意外と路面がしっかりしており通過しやすい。
だだし、路盤や山側が崩れて、担ぎが必要な所が幾つか有る。
ハイキングコースとしても良い道だ。
54. 大通峠(おおどおりとうげ)
宍粟市千草町河内と鳥取県八頭郡若桜町中原を繋ぐ峠。


千種側の旧道から登る。

林道大通中江線と合流すればすぐに峠。
願主 中江 善兵衛妻と刻まれた地蔵尊がある。

中江の一本杉。
ウラスギと言う日本海側に生える杉で、今は無き中江集落の目印。

更に小通峠を越えれば、吉川の集落へと繋がる。
55. 江浪峠(えなみとうげ)
千草町西河内と鳥取県若桜町吉川を繋ぐ峠。

吉川側から入る。
最初の頃は、道幅は十分。

峠に近づいてくると、明確だった道が登山道の様になってくる。
渡渉を繰り返す。

見通しが良くなり、地形が平らになった。
特に迷うことはなく、峠へ着いた。
そのまま千種へと下る。

降る途中、峰越峠分岐の手前に有った放置車両。
56. 志引峠 (しびきとうげ)
兵庫県宍粟市千種と岡山県美作市を繋ぐ国境の峠。

岡山側からR429を延々と登る。
峠手前で見つけた地蔵尊。

志引峠

しこたま溜め込んだ位置エネルギ-を開放して、千種側へ降る。

峠へ登るついでに、日名倉山山頂へ行くのも良し。
57. さっこり峠
兵庫県佐用町と岡山県美作市を繋ぐ峠。

佐用からR373を北上して、岡山との県境にある。
58. 釜坂峠/加茂坂 (かまさかとうげ/かもさか)
佐用郡佐用町東中山と岡山県美作市宮本を繋ぐ峠。
平福宿を経由して、因幡街道が通っていた。

美作から峠道へと入る。
途中には、宮本武蔵ゆかりの武蔵神社がある。


釜坂峠と地蔵尊
「この地蔵尊は長く当地にあって此の釜坂峠を南北に越える因幡街道を通行するにあたって道祖神となり広く信仰されて来た。」云々とある。
59. 杉坂峠
佐用郡佐用町皆田と岡山県美作市田原を繋ぐ峠。

中国自動車道沿いをr365で西へ進んで行くと、、、


杉坂峠に到着。
「中世の頃交通の要所として関所が設けられ、後醍醐天皇が隠岐に流されたときも、この関所を越えられたと伝えられています。」と、作東町観光協会。
60. 万能峠/万ノ乢 (まんのうとうげ/まんのたわ)
佐用郡佐用町西大畠と岡山県美作市土居を繋ぐ国境の峠。

R179を岡山方向へ進んで行く。
いくつかのカーブで高度を稼いでいくと、県境へ。


姫新線に沿った旧道(出雲街道)を通って万ノ乢へ。
岡山側は下草も無く、良く整備された峠道。
//参照//
播磨の峠ものがたり
須磨岡 輯 (著)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます