オレンジ コンクリ

常に在野であれ by.光の帝国 -常野物語-

一人で自分と反省会

2007年10月31日 00時19分20秒 | よさこい -大学時代編-
やっとこさ、祭り疲れが取れたんではせ参上しました。
佐世保は良かった。
非常に楽しかった・・・てか、なぜかよく泣いたなぁ。
お前が泣いてどうすんだって自分で感じつつも。
良き時を過ごしたものです、ほんと。
今の我がチームのオリジナル曲は踊れば踊るほど、聞けば聞くほど、深い味を醸し出す曲な気がする。
意味深い煽りに、歌詞。
自分のチームのものだから、我ながらというべきか、踊りや振りも含め、いい曲に仕上がっていってるなぁって思った今回のお祭りでした。

それにしても同じ学生チームさんの演舞を見て、マジ泣きしている自分に驚いた。
あぁ、ほんとにいいもの見たら、涙出てくるもんなんだなぁて。
色んなチームさんの演舞を見て、上手いとか凄いとかっていう感情を抱いたことは多々あれど、心から感動して、知らぬ間に泣いてしまったチームに出会ったのは初めて。
正直、悔しいという感情も強いけど、それより何よりよさこいというものが真の意味での感動を呼べるものだと知って、なんだか嬉しかった。
勝ち負けなんかじゃない、感動を与えられるかどうか、よいものに出会ったものだ。

それにしても、楽しいや嬉しいと思うのと同時に色んな課題が浮き彫りになるのが祭りというもの。
踊りうんぬんかんぬんでなく、チームとしての礼儀や行動の中で、あぁまた失敗したとか気付かなんだとか。
もちろん自分の礼儀や行動が全くなっていないことも多かった。
それに加え、学年が上がるにつれて増えてくるのが「言ってあげれんかった」ということ。
いろんなことに気付いたとしても、なぜか言葉を飲み込むことが多い。
気付くだろう、わかるだろう、と思うからというのも多いけど、それ以前に気付いて、わかって、考えてという私の願いもある。
人に頼るということを覚えた人間は考えを発展させない、考えなくなってしまう。
パブロフの犬のように言われたらする、言われなければできなくなってしまう。
だから、私としては、ほっておきたいというのが本音。
でも、それじゃダメらしい。
言わなきゃ気付かないこともある。
人に言われて初めて見える風景もあるということ。
それと、私ごときが口を出していいものかというよくわからない恐れが存在していることも事実。
これ、凄く悔しいことだから、関わっている人には悪いかもしれないけど、あえて具体的に記述。
今回の祭りの帰り、宇部の人たちが先に降り、その後山口に帰還という手はずを組んでいた。
そのとき、祭り中の二日間お世話をしてくれた貸し切りバスの運転手さんに先に降りてしまう宇部の人だけで挨拶をしようとまとめ役に言ったのだけど、そこは山口の人たちに任せることになっていると言われ、納得してしまった。
そこで強く、やった方がいいと言えなかった自分に未熟さを感じたし、祭り後にそこを他の人から指摘され、さらにへこんでしまった。
一時期、サークルに対し、いろいろ苦言を呈したことでサークルをかき混ぜたのではないかというトラウマ的なものを未だに引きずっている。
難しいなぁ、なんか。
なんていうか、もう嫌なんだろうな、あぁいう立場に立つのも、あぁいう目で見られるのも。
怖がってるんだろうね、やっぱ。
少し歳をとって、受身に入ってしまったな。
疲れてしまってるな。

まぁ、でも楽しいお祭りでした。
ほんと。
お泊りしたし。
中高と修学旅行というものがなかったから、凄く懐かしく、そして新鮮な気持ちになれた。
ファイナルで踊れたし、みんなで泣けたし、先輩や後輩とも話せたし、三年生と飲めたし。
それにこうやって反省を書けたし。
結果としては満足。
佐世保という地に人に祭りに、ありがとう。

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