お笑いを審査するって難しいよね。
M-1の後って、絶対あちらこちらで「今年は面白くない」だの「優勝コンビが納得できない」だのっていう議論がなされる。
しょうがないよ。
笑いなんて人の感性で左右されるものなんだから。
初めに見たネタの印象(第一印象)とか言葉とかどんな笑いに触れてて慣れていたかとか。
人のバックグラウンドが凄い左右するもの。
もちろん、そのときの空気だとか体調だとかも影響するし。
ここから下は長いよ。
しかも私が思うM-1という大会について勝手に書いてます。
偉そう見えるでしょうが、御了承を。
あと、別に押し付ける気もないんで、違うなと思ったら、その段階で読まずにスルーして、ネットサーフィンの先へお進みくださいませ。
では参ります。
審査委員長の「好み」発言は正直いいのか?と思ったけどさ。
でも、たぶん彼ら審査員はフィギュアスケートみたいなのと一緒で頭の中で「技術点」と「芸術点」みたいなものを設けて点数つけてるんではないかな。
体操だとかフィギュアスケートも素人には「技術点」、というかその技術においての難しさとかって、いまいちよくわからないような気がする。
スポーツみたいにきちんと何点て決まってたらいいのかもしれないけど。
そこはやっておられた審査委員に任せるしかない。
「芸術点」はどの業界でも難しい。
一時期、シンクロでも色々あったくらいだし。
理系的にこれを数値化するには観客の反応しかない。
その場の空気の和み方、笑いの量、その余韻。
これを客観的に数値化できたらいいんですが、なかなか難しいようで。
今回の大会でちらっと各審査員がつけた点数を見たんですが、結構みんなばらばらな感じ。
各審査員の最高点を見たら、別にノンスタやオードリーに偏っているわけじゃないんですよね。
ってことは、全員が平均的に高い点を出したコンビが色んな面で優れていたという結論が最終的には妥当なんだと思います。
あと、こういうコンテスト系は入試と一緒で傾向と対策が必要。
作戦勝ちという言葉がありますが、これこそまさに傾向と対策。
このためにネタをつくる、練り直す、ときにはスタイルを変えるということも必要なんでしょうね。
今回のノンスタイル、2005年のチュートリアル諸々は過去の自分たちのスタイルを変えて挑んでいる、もしくはM-1のときのネタを傾向に近いものにしています。
まぁ要はM-1初め、お笑い系コンテストは笑いだけではないということですよ。
ホントに自分個人の笑いだけで考えたいなら、好きな芸人の動画だけ集めるなり、DVDを買うなり、ライブに行くなりすればよいのです。
応援はしてもいいとは思いますが、誹謗中傷を公の場ではすべきでないですね。
でも、色んな批評だとかコメントを見て思ったこと。
これだけはいいたい。
一発芸。
ギャグ。
漫才。
これは切り離して考えなきゃ。
コメントなんか見てて、漫才にギャグを求めていることに驚いてしまった。
漫才は二人以上で話すことで面白さや和んだ空気を生む笑いの一種ではないかと私は考えてるんですが。
まぁ、これは今回のM-1とか関係なしにね。
ボケを無視するにせよ、聞き流すにせよ、ツッコミ入れないにせよ、そこに相手がいることを前提にやっていたら、漫才ではないかと私は思います。
そこに二人がいることで笑いを生まなきゃ漫才といわれる意味がないと思う。
そうじゃなきゃR-1でよろしいんですから。