
~ 満 天 の 星 ③ ~
「何とか無事だったな」
屋敷に帰り着くと、オスカルはバタバタと駆け寄って来た厨房のコック達に、後は任せたと告げ、身をよじりながら先に馬車から降りた。
特大のケーキはシート奥半分に一枚板を渡し、むき出しのまま、置かれた。クリームが解けることもないように、板の下に氷が入ったバケツが備えられた。アンドレは器用に、ケーキがずれないように注意しながら板を押さえ、パリからの小一時間の道のりを耐えた。その板さえ、パティスリーの前に着いた時、御者が後ろのトランクから取り出したのを見て、アンドレは、オスカルの用意周到さに脱帽した。しかもそれは、食物を直接置いても良いように綺麗に加工された、言ってみれば大判のトレイのような物だった。
乾燥が気にならないわけではなかったが、ケーキの上から何かで覆って、形が崩れることを心配し、結局、むき出しのまま持ち帰ることになったとオスカルは説明した。
アンドレは、コック達を手伝い、そっとケーキを板に載せたまま厨房に運ぶ。御者が慌てて蝋燭の束を持ってついて来る。
「本当は正確な大きさまで分かってたんだよな、あいつ」
誰かに聞いてほしいわけではないが、言わずにいられない言葉が小さく声になった。
アンドレと仲の良いコックのアベルが、からかい半分に言う。
「アンドレのおかげで、堂々と有名パティスリーの味が盗めるよ」
アンドレは、友をじろりと睨む。
超特大のケーキを、屋敷中で食べ損なう者はいないだろう。主家の者は勿論、下働きの者達にまで満遍なく行き渡るように切り分けられることになっている、とアベルが満面の笑みでアンドレに伝えた。
「奥様のご配慮だ。元のサイズをご覧になりたいから、切り分けて食卓にお出しする前に、お声かけしなきゃならん」
アンドレはそっと息を吐き出す。
「冗談だったんだ。……まさか、本当にこんなにでっかい物を準備してくれるとは思わなかったんだ」
ちょっと沈んだ声で言うアンドレに、アベルは、
「蝋燭を34本、立てるんだろう?」からかうように「ばあやさんの反応が楽しみだな」
周囲の者達も大笑いした。
分不相応な対応に、身を縮こませてしまったように見える気の毒な従者。その沈んだ様子に、使用人仲間達は口々に「Joyeux anniversaire!」を伝えた。
勿論、周囲のその気持ちは嬉しかった。
オスカルの自分への厚意に対しても、心から喜んだ。だが、とアンドレの気持ちは、浮上しない本当の理由に戻った。
「何もわざわざ今日の今日、受け取りに行かなくても良くないか?」
無意識に声に出してしまい、慌てて口を押えた。だが、フェルゼン伯爵への贈り物を、と言わなかっただけマシだったかもしれないと、自嘲した。
しかし。そうは言いつつ、ひとつ、気になることがあった。ルーセル商会から出て来た時、オスカルは手ぶらだったのだ。その割には、がっかりした素振りも見せず、機嫌は、むしろすこぶる良好だった。
オスカルは確かに、品物を受け取りに行くと言った。先日、ルーセル商会の店主もオスカルが直に取りに行く予定になっていると言っていた。出来上がったからこそ、オスカルもわざわざ店に寄ったのだろうにと、アンドレは思い返した。ルーセル商会ほどの信認の厚い商売人が、約束を違うなどとは考えにくい。万が一にも間に合わないなら連絡があって然るべきだ。
アンドレは、色々考え、考え疲れてしまう。自分が考えても、どうしようもないことなのに、なぜか囚われてしまう。経過を見に行っただけだったのかもしれない、とアンドレは思い直すことにした。
それよりも、と気持ちを切り替えた。仰せつかった宿題をやっつけるのが先だとアンドレは厨房横の酒蔵庫に入り込む。
先ほど、馬車の中で、必死に板を押さえる自分を、涼しげな表情で見つめ、オスカルが言った。
『定番の生クリームと季節のフルーツのケーキと来れば、紅茶はキャンディか? 夕食がすんだら準備してくれ。それと……。』
オスカルは一瞬何かを言いかけて言葉を切った。
『……ああ。それと何か食後酒。ちょっとした祝杯を挙げよう。おまえのお勧めの物を……』
『俺のお勧め?』
『ああ。おまえの腕の見せ所だな』
本当は欲しい銘柄があったにも関わらず、誕生日の俺を立てて、選択権を譲ってくれたに違いないと、アンドレは目の前の酒のラベルを丁寧に見つめた。

部屋の主は、揺り椅子で寛いでいた。
気の長い太陽は、今やっと西の空を真っ赤に染め沈んでしまった。まだかすかに明るい空と、白く真ん丸の輪郭をぼんやりと見せる月が、オスカルの部屋のフランス窓から見えた。
窓枠の所々に吊るされた虫除け用のハーブ類は、ケーキや紅茶の匂いを邪魔する類の物ではないようで、アンドレは安心した。
「遅かったな」
オスカルが立ち上がり、窓辺から応接セットの方へ、ツカツカとやって来る。
「ああ、すまない。奥様にご挨拶申し上げていた」
言いつつも、その指先は既にケーキ皿の準備を始める。その手つきを眺めながら、オスカルが言う。
「母上も大喜びだった。持って帰る前から皆が騒いで楽しみにしているケーキを、ぜひその目で見てみたいとおっしゃっておいでだったからな。わざわざ厨房の中まで見に行かれたと、食事の時に嬉しそうにお話し下さった」
「ああ。アベルが、奥様がご覧になりたいとおっしゃっていたが、さて、どうやってご覧いただこうと悩んでいたんだ。階段上がってお部屋までお持ちするのはどう考えたって無理があるって……」
「それはそうだろう。あれだけの特大ケーキ」
特大というところだけ、微妙に声が大きくなった気がして、アンドレは頭を掻いた。
「本当にありがとう、オスカル。忘れられない記念日になったよ」
しみじみとしたアンドレの口調に、オスカルは、
「そう改まって礼を言われると困ってしまうな……」
と、やや面白くなさそうな表情を見せる。
「まあ、暑気払いというにはあまりにも遅すぎるが、実は、おまえだけの為というより屋敷中の皆の為という解釈でいてくれたら良いよ、あれは」
なるほどとアンドレは頷き、目の前に茶器を置く。紅茶は、言われた通りキャンディにした。
「暑気払いにケーキとは、粋だな。今年は残暑が厳しいからな」
言いながら、切り分けたケーキを横に添えた。
そして、悩む。自分の物を用意はして来たものの、今まで同様にここに腰掛けるべきなのかどうか。祝杯を挙げようと言われはしたが、さて、どうしたものかと動きを止めた。すると、その様子を見逃さず、オスカルは、さっさと腰掛けろと目で促した。
無言のまま、オスカルはぐさりと乱暴にケーキにフォーク突き刺す。
行儀の良い所作ではないが、入室した時から、オスカルの、先を急ぐような行動に気づいていたアンドレは、何も言わず対面に腰掛けた。
機嫌が悪くないのは見ていれば分かる。だが、この落ち着きのなさは何だろうとアンドレは気になった。
そして、結論つけた。きっと、今日の日を、型通りに、去年までと同じように祝ってくれているに違いない。しかし、オスカルの内心には、そんな事よりも、もっと重要なことが残されているのだろう。
アンドレはそそくさとケーキを平らげた。せっかくの有名パティスリーの味も、ほんのりと鼻をくすぐる甘いリキュールの匂いと、口に入れた瞬間に、噛まずとも溶けてしまいそうな柔らかいスポンジ生地の他は、何も覚えていないという悲しい結果になりそうだ。
きっと、アベルが、味わった全てを五感に刷り込んでいるだろうから、いつの日にか再現してもらおうと思いながら、最後のひと口を放り込んだ。
「酒は、置いて行こうか?」
気を利かせているわけではない。嫉妬するつもりなどないが、心ここに在らずというのがありありと分かる人と一緒に酒を飲んで、果たして美味しく感じるだろうかと、アンドレは思った。だから、一人で楽しめよというニュアンスを言葉に込めた
おまえのお勧めの物をと言われ、良い気になって持って来た物が虚しいが、祝いの気持ちは十二分にいただいたと心から思えた。
そんなアンドレの心のうちなど知るわけもなく、オスカルが、
「何を選んだんだ?」
と、訊く。
ああ、とアンドレは笑いながら立ち上がり、運んで来たワゴン車からタンブラーや氷、酒の瓶などをテーブルに並べた。皮肉にもイエロージャスパーと似通った色だなと思いながら、
「ウンダーベルクソーダ」
アンドレはそう答え、意外そうに眼を丸めるオスカルに向かって、
「作っても、良いかな?」
遠慮がちに許可を得ようとする。
「この酒が示す“人間愛を感じさせるゴージャスな女性”に、今日の感謝を伝えたかったんだ」
そう言うと、マドラーを戻し、オスカルの前に静かにタンブラーを置いた。氷と氷がぶつかってカランと鳴った。
目の前のオスカルは、ちょっとためらった様子を見せ、人差し指で氷を突いた。アンドレは、行儀が悪いぞと笑う。グラスを掲げ乾杯と言うオスカルにメルシィと微笑み、マドラーを取る為に腰を浮かせたアンドレの視線が、空で止まった。
開け放たれた窓枠に飾られたサンキャッチャーが、月明かりを浴びている。いつの間にやら、月がはっきりとその姿を見せていた。日中なら目を細めてしまいたくなるほどに眩しいだろうサンキャッチャーだが、色とりどりの珠玉は、月明かりにも映える。
アンドレの視線がそれに行っていることに気づき、
「本当ならガラス玉だけとかの、軽い物のほうが良いらしいのだが……」
オスカルが唐突にそう言った。
「ああ、なるほど」
ガラスの他に、明らかに違う光を放つ石が配されていると分かり、アンドレはウンダーベルクソーダを飲み干すと、立ち上がって窓辺に近づいた。
まるで五線譜のように横に広がったサンキャッチャーには、透けて見えるガラス玉の途中に、ランダムに黄色い石が配置されているのが分かった。
その中の石のひとつが、かすかな風で、きらりと光った。
「……イエロージャスパー」
アンドレは呟く。
「よく知っているな?」
いつの間にかオスカルが後ろに立っていた。
こんなにゆっくりオスカルの部屋にいたことが、ここしばらくなかったせいで、部屋の設えの変化にも気づかなかった。アンドレは、たかがひとつの飾りに、オスカルの心の深さが見えたような気がして、悔しさに似た感情を抱いた。
「気に入ったか?」
オスカルが訊く。
「ああ」アンドレはオスカルを振り返ることはせず「とっても綺麗だ」静かに感想を述べた。
「ガラス玉は木槿の色の、白とピンク」
尋ねてもいないのに、オスカルが珍しくそんな風に積極的に説明する。
「イエロージャスパーがあまりにも綺麗だったから、セザールが残りの石でこれを作ってくれた」
秋暑の中で、サンキャッチャーのガラス玉同士がかすかに触れ合う音は涼を感じさせる。
「残った石?」
「ああ。おまえに頼んだだろう? この前、渡したメモ」
「えっ? ああ、緊急招集の日ね」
「あの結果が、巡り巡って、こうなった」
良くわからない説明だが、アンドレは追及せずその音色に耳を傾けていた。
「……ああ、そうだ。忘れていた」
無言のままのアンドレをどう思ったのか、オスカルは勢い良くズボンのポケットに手を入れた。
「ほら!」
件のラペルピンが、美しい指で摘ままれている。とても、時間と費用を使い、特別に注文した物とは思えない乱暴な扱いだ。
「おまえにやる」
アンドレの右手を取り、無理矢理にその手の平を広げさせると、押しつけるかのようにそこにラペルピンを載せた。
「これをどのタイミングで渡そうかと考えていた。帰り道、ずっと……」
呆然とし過ぎたアンドレは、オスカルの方を見遣る余裕がない。だから、オスカルは逆に真っ赤になった顔を見られずに済み、ホッとした。
アンドレは触ることもできず、じっと眺める。手の平が熱を帯びたようにジンジンとする。
「……これ……」
喉の奥の方が乾いて、声が掠れるのが、自分でも分かった。情けないと、意識していない笑みが、己を嘲る。
これは伯爵の為に用意した物だろう、と言いたかった。だが、同時に、そうだな、渡せなかった時の為の保険要員は必要だなと言った方が、気持ちを楽にしてやれるだろうかと瞬時に色々な言葉が、頭の中を駆け巡った。
“誕生日はまだだろう? 早々に諦めずに渡してみたらどうだ?”
今、オスカルを一番傷つけない言葉は、これかもしれないと思い、息を吸い、もっと優しい言葉はないかと探していたアンドレの額に、突然オスカルの指がパチンと飛んだ。
「痛ってぇ~」
しゃがみこまんばかりに頭を抱えるアンドレに、
「勘違いするな」
隊長殿の恫喝が飛んで来た。
「あっ。やっぱり、保険要員は必要だっ……」
言葉は途切れた。オスカルがそっとアンドレを抱きしめたからだ。
アンドレは心臓が早打ち始めたことを悟った。この状況は、非常に宜しくないという事だけはすぐに分かった。だから、逆に冷静に言えた。
「……何だ? たったあれっぽっちの酒で酔っぱらったのか?」
胸の辺りで、オスカルがゆっくりと首を振る。
くすぐったいとでも言って引き剥がさなければ、勘勘違いしてしまいそうだ。
「イエロージャスパーは誕生石」
「ああ、そうだね」
耳を塞ぎたくなるほどに聞かされた名前だ。
小さな、直径が1センチにも及ばない程度の円形。その石がイエロージャスパーであることは、アンドレにはすぐに分かった。そこには、丁寧に、花模様が彫られている。
「そして花は、木槿。誕生日花だ」
オスカルは、顔を上げると、にっこりと微笑む。
「念の為に言っておくが、いずれも8月26日の……」
「えっ……」
アンドレは素っ頓狂な声を上げ、慌ててオスカルの肩を掴み、胸から離させた。
「……オスカル……」
頭の中のゴチャゴチャが整理できない。
言っている意味が分からないようだなと、オスカルは呆れたように笑った。分かる人がいたら逆に不思議だろうとは間違っても言えないアンドレは、オスカルを見つめたまま頷く。
「あの日、おまえに預けたメモには『彼こそが私のイエロージャスパー』と記した」
「えっ!?」
「本当は半ば不安だったんだ。うまくセザールに伝わらなかったらおジャンだからな」
「えーっと……」
何をどう言ったら良いのだろうとアンドレは躊躇う。
「さすが商売人。私の気持ちを汲み取って、おまえの好みまで上手に聞き出してくれた。むしろ急な招集に感謝したいくらいだな」
「……そういう事だったのか」
まだ、頭の中はグルグル回っている。
そんなアンドレの表情を面白そうに眺めていたオスカルが、またその頭をアンドレの胸に押しつけた。
「こうやって抱きしめられた時に、ちょうど私の視界にこれが入ったら嬉しいななどと、ちょっと思ったんだ」
フンと鼻を鳴らす。
ここで、いや、抱きしめられているのは俺の方だと言ったらどうなるのだろうと、一瞬、アンドレに悪魔が囁いた。
アンドレは、腰に回されている腕を、そっと解いた。オスカルは、先ほどまでの勢いはなく、不安そうにアンドレを見上げる。アンドレはその青い瞳をじっと見つめ、
「つけてくれる?」
ラペルピンを差し出した。
「あ、ああ」
オスカルはそう答え、受け取る。
震える不器用な指先でラペルピンの尖った針を、お仕着せの襟に刺す。チェーンに、隙間から降り注ぐ月明かりが当たり、きらりと光った。
「お、上手だ」
おどけた風に言うアンドレに、身に刺されなくて良かったなとオスカルも笑った。
見つめ合う形になると、テレが先行する。アンドレは無言で俯いてしまったオスカルをそっと抱きしめた。
満月。そして、雲ひとつない空は、星が埋め尽くしていた。
「満天の星だ」
「そうだな」
オスカルは空を見上げる振りをしながら、幼馴染の顔をじっと見つめていた。
《fin》
【あとがき・・・という名の言い訳】
°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖° B o n a n n i v e r s a i r e !! A n d r é °˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
ご訪問ありがとうございます。何だかなぁ~な気分の、おれんぢぺこでございます。
(今回もまた!)少し、時系列を歪ませてしまいました。
原作ですと、1788年8月26日には歴史上の大きな出来事が記されています。ネッケルの大蔵大臣再就任。そして、この後。ジェロちゃんの求婚や何やと、A君には地獄にも相当する辛い日々がやって来るわけですよね。つまり、A君最後のお誕生日は、ろくでもない状
況の中で過ごしたということなのでしょう。
でも。さすがに、お誕生日記念のSSでそれはあんまりですので、ド〇え〇んの道具を借りた気分で、時間の軸をひん曲げ、異なる状況を作り出してしまいました。それを許して下さる、皆様の広いお心に感謝です(人’’▽`)☆☆☆彡
今回の話は、なかなか書き進まず……。初めてじゃないかと思うくらい、苦労しました。
それも、全く浮かばないなら、諦めることもできたのでしょう。
照れ隠しに、乱暴に(ここが味噌(‘◇’)ゞ)オスカルさまがアンドレ君に渡す、誕生石を用いた贈り物(できれば身に着ける物)を思い浮かべて、行きついた先が、ラペルピンでした。
そんなわけで、いつものようにきっぱりしたラストシーンは揺るがない!
でも。そこに辿り着くまでのシチュエーションが、これでもかと言う勢いで、出ては来るのですが、全て“???”な気分に陥ってしまうのです。
そんなわけで、何だかなぁ~でございます。
話自体は、いつものようにこれといった山場もなく、ひたすらだらだらとしてしまいましたが、お楽しみいただけましたなら、嬉しいです。
この夏は、コロナ禍での自粛続きで花火大会も盆踊りもNGだったせいで、9月がそこまで来ていることが不思議な気分です(酷暑だし(;^_^A)
もうしばらく暑い日が続くとの予報も出ています。どうぞ、皆様、お気をつけてお過ごし下さい。
またお時間のある時にお立ち寄り下さいませ。
