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le drapeau~想いのままに・・・

今日の出来事を交えつつ
大好きな“ベルサイユのばら”への
想いを綴っていきます。
感想あり、二次創作あり…

SS-63~ 満天の星③ ~

2020年08月26日 17時28分34秒 |  SS~満天の星~


~ 満 天 の 星 ③ ~

「何とか無事だったな」
屋敷に帰り着くと、オスカルはバタバタと駆け寄って来た厨房のコック達に、後は任せたと告げ、身をよじりながら先に馬車から降りた。
特大のケーキはシート奥半分に一枚板を渡し、むき出しのまま、置かれた。クリームが解けることもないように、板の下に氷が入ったバケツが備えられた。アンドレは器用に、ケーキがずれないように注意しながら板を押さえ、パリからの小一時間の道のりを耐えた。その板さえ、パティスリーの前に着いた時、御者が後ろのトランクから取り出したのを見て、アンドレは、オスカルの用意周到さに脱帽した。しかもそれは、食物を直接置いても良いように綺麗に加工された、言ってみれば大判のトレイのような物だった。
乾燥が気にならないわけではなかったが、ケーキの上から何かで覆って、形が崩れることを心配し、結局、むき出しのまま持ち帰ることになったとオスカルは説明した。

アンドレは、コック達を手伝い、そっとケーキを板に載せたまま厨房に運ぶ。御者が慌てて蝋燭の束を持ってついて来る。
「本当は正確な大きさまで分かってたんだよな、あいつ」
誰かに聞いてほしいわけではないが、言わずにいられない言葉が小さく声になった。
アンドレと仲の良いコックのアベルが、からかい半分に言う。
「アンドレのおかげで、堂々と有名パティスリーの味が盗めるよ」
アンドレは、友をじろりと睨む。

超特大のケーキを、屋敷中で食べ損なう者はいないだろう。主家の者は勿論、下働きの者達にまで満遍なく行き渡るように切り分けられることになっている、とアベルが満面の笑みでアンドレに伝えた。
「奥様のご配慮だ。元のサイズをご覧になりたいから、切り分けて食卓にお出しする前に、お声かけしなきゃならん」
アンドレはそっと息を吐き出す。
「冗談だったんだ。……まさか、本当にこんなにでっかい物を準備してくれるとは思わなかったんだ」
ちょっと沈んだ声で言うアンドレに、アベルは、
「蝋燭を34本、立てるんだろう?」からかうように「ばあやさんの反応が楽しみだな」
周囲の者達も大笑いした。

分不相応な対応に、身を縮こませてしまったように見える気の毒な従者。その沈んだ様子に、使用人仲間達は口々に「Joyeux anniversaire!」を伝えた。
勿論、周囲のその気持ちは嬉しかった。
オスカルの自分への厚意に対しても、心から喜んだ。だが、とアンドレの気持ちは、浮上しない本当の理由に戻った。
「何もわざわざ今日の今日、受け取りに行かなくても良くないか?」
無意識に声に出してしまい、慌てて口を押えた。だが、フェルゼン伯爵への贈り物を、と言わなかっただけマシだったかもしれないと、自嘲した。

しかし。そうは言いつつ、ひとつ、気になることがあった。ルーセル商会から出て来た時、オスカルは手ぶらだったのだ。その割には、がっかりした素振りも見せず、機嫌は、むしろすこぶる良好だった。
オスカルは確かに、品物を受け取りに行くと言った。先日、ルーセル商会の店主もオスカルが直に取りに行く予定になっていると言っていた。出来上がったからこそ、オスカルもわざわざ店に寄ったのだろうにと、アンドレは思い返した。ルーセル商会ほどの信認の厚い商売人が、約束を違うなどとは考えにくい。万が一にも間に合わないなら連絡があって然るべきだ。
アンドレは、色々考え、考え疲れてしまう。自分が考えても、どうしようもないことなのに、なぜか囚われてしまう。経過を見に行っただけだったのかもしれない、とアンドレは思い直すことにした。

それよりも、と気持ちを切り替えた。仰せつかった宿題をやっつけるのが先だとアンドレは厨房横の酒蔵庫に入り込む。
先ほど、馬車の中で、必死に板を押さえる自分を、涼しげな表情で見つめ、オスカルが言った。
『定番の生クリームと季節のフルーツのケーキと来れば、紅茶はキャンディか? 夕食がすんだら準備してくれ。それと……。』
オスカルは一瞬何かを言いかけて言葉を切った。
『……ああ。それと何か食後酒。ちょっとした祝杯を挙げよう。おまえのお勧めの物を……』
『俺のお勧め?』
『ああ。おまえの腕の見せ所だな』
本当は欲しい銘柄があったにも関わらず、誕生日の俺を立てて、選択権を譲ってくれたに違いないと、アンドレは目の前の酒のラベルを丁寧に見つめた。




部屋の主は、揺り椅子で寛いでいた。
気の長い太陽は、今やっと西の空を真っ赤に染め沈んでしまった。まだかすかに明るい空と、白く真ん丸の輪郭をぼんやりと見せる月が、オスカルの部屋のフランス窓から見えた。
窓枠の所々に吊るされた虫除け用のハーブ類は、ケーキや紅茶の匂いを邪魔する類の物ではないようで、アンドレは安心した。

「遅かったな」
オスカルが立ち上がり、窓辺から応接セットの方へ、ツカツカとやって来る。
「ああ、すまない。奥様にご挨拶申し上げていた」
言いつつも、その指先は既にケーキ皿の準備を始める。その手つきを眺めながら、オスカルが言う。
「母上も大喜びだった。持って帰る前から皆が騒いで楽しみにしているケーキを、ぜひその目で見てみたいとおっしゃっておいでだったからな。わざわざ厨房の中まで見に行かれたと、食事の時に嬉しそうにお話し下さった」
「ああ。アベルが、奥様がご覧になりたいとおっしゃっていたが、さて、どうやってご覧いただこうと悩んでいたんだ。階段上がってお部屋までお持ちするのはどう考えたって無理があるって……」
「それはそうだろう。あれだけの特大ケーキ」
特大というところだけ、微妙に声が大きくなった気がして、アンドレは頭を掻いた。

「本当にありがとう、オスカル。忘れられない記念日になったよ」
しみじみとしたアンドレの口調に、オスカルは、
「そう改まって礼を言われると困ってしまうな……」
と、やや面白くなさそうな表情を見せる。
「まあ、暑気払いというにはあまりにも遅すぎるが、実は、おまえだけの為というより屋敷中の皆の為という解釈でいてくれたら良いよ、あれは」
なるほどとアンドレは頷き、目の前に茶器を置く。紅茶は、言われた通りキャンディにした。
「暑気払いにケーキとは、粋だな。今年は残暑が厳しいからな」
言いながら、切り分けたケーキを横に添えた。
そして、悩む。自分の物を用意はして来たものの、今まで同様にここに腰掛けるべきなのかどうか。祝杯を挙げようと言われはしたが、さて、どうしたものかと動きを止めた。すると、その様子を見逃さず、オスカルは、さっさと腰掛けろと目で促した。

無言のまま、オスカルはぐさりと乱暴にケーキにフォーク突き刺す。
行儀の良い所作ではないが、入室した時から、オスカルの、先を急ぐような行動に気づいていたアンドレは、何も言わず対面に腰掛けた。
機嫌が悪くないのは見ていれば分かる。だが、この落ち着きのなさは何だろうとアンドレは気になった。
そして、結論つけた。きっと、今日の日を、型通りに、去年までと同じように祝ってくれているに違いない。しかし、オスカルの内心には、そんな事よりも、もっと重要なことが残されているのだろう。

アンドレはそそくさとケーキを平らげた。せっかくの有名パティスリーの味も、ほんのりと鼻をくすぐる甘いリキュールの匂いと、口に入れた瞬間に、噛まずとも溶けてしまいそうな柔らかいスポンジ生地の他は、何も覚えていないという悲しい結果になりそうだ。
きっと、アベルが、味わった全てを五感に刷り込んでいるだろうから、いつの日にか再現してもらおうと思いながら、最後のひと口を放り込んだ。

「酒は、置いて行こうか?」
気を利かせているわけではない。嫉妬するつもりなどないが、心ここに在らずというのがありありと分かる人と一緒に酒を飲んで、果たして美味しく感じるだろうかと、アンドレは思った。だから、一人で楽しめよというニュアンスを言葉に込めた
おまえのお勧めの物をと言われ、良い気になって持って来た物が虚しいが、祝いの気持ちは十二分にいただいたと心から思えた。
そんなアンドレの心のうちなど知るわけもなく、オスカルが、
「何を選んだんだ?」
と、訊く。

ああ、とアンドレは笑いながら立ち上がり、運んで来たワゴン車からタンブラーや氷、酒の瓶などをテーブルに並べた。皮肉にもイエロージャスパーと似通った色だなと思いながら、
「ウンダーベルクソーダ」
アンドレはそう答え、意外そうに眼を丸めるオスカルに向かって、
「作っても、良いかな?」
遠慮がちに許可を得ようとする。
「この酒が示す“人間愛を感じさせるゴージャスな女性”に、今日の感謝を伝えたかったんだ」
そう言うと、マドラーを戻し、オスカルの前に静かにタンブラーを置いた。氷と氷がぶつかってカランと鳴った。

目の前のオスカルは、ちょっとためらった様子を見せ、人差し指で氷を突いた。アンドレは、行儀が悪いぞと笑う。グラスを掲げ乾杯と言うオスカルにメルシィと微笑み、マドラーを取る為に腰を浮かせたアンドレの視線が、空で止まった。
開け放たれた窓枠に飾られたサンキャッチャーが、月明かりを浴びている。いつの間にやら、月がはっきりとその姿を見せていた。日中なら目を細めてしまいたくなるほどに眩しいだろうサンキャッチャーだが、色とりどりの珠玉は、月明かりにも映える。
アンドレの視線がそれに行っていることに気づき、
「本当ならガラス玉だけとかの、軽い物のほうが良いらしいのだが……」
オスカルが唐突にそう言った。
「ああ、なるほど」
ガラスの他に、明らかに違う光を放つ石が配されていると分かり、アンドレはウンダーベルクソーダを飲み干すと、立ち上がって窓辺に近づいた。

まるで五線譜のように横に広がったサンキャッチャーには、透けて見えるガラス玉の途中に、ランダムに黄色い石が配置されているのが分かった。
その中の石のひとつが、かすかな風で、きらりと光った。
「……イエロージャスパー」
アンドレは呟く。
「よく知っているな?」
いつの間にかオスカルが後ろに立っていた。
こんなにゆっくりオスカルの部屋にいたことが、ここしばらくなかったせいで、部屋の設えの変化にも気づかなかった。アンドレは、たかがひとつの飾りに、オスカルの心の深さが見えたような気がして、悔しさに似た感情を抱いた。

「気に入ったか?」
オスカルが訊く。
「ああ」アンドレはオスカルを振り返ることはせず「とっても綺麗だ」静かに感想を述べた。
「ガラス玉は木槿の色の、白とピンク」
尋ねてもいないのに、オスカルが珍しくそんな風に積極的に説明する。
「イエロージャスパーがあまりにも綺麗だったから、セザールが残りの石でこれを作ってくれた」
秋暑の中で、サンキャッチャーのガラス玉同士がかすかに触れ合う音は涼を感じさせる。
「残った石?」
「ああ。おまえに頼んだだろう? この前、渡したメモ」
「えっ? ああ、緊急招集の日ね」
「あの結果が、巡り巡って、こうなった」
良くわからない説明だが、アンドレは追及せずその音色に耳を傾けていた。

「……ああ、そうだ。忘れていた」
無言のままのアンドレをどう思ったのか、オスカルは勢い良くズボンのポケットに手を入れた。
「ほら!」
件のラペルピンが、美しい指で摘ままれている。とても、時間と費用を使い、特別に注文した物とは思えない乱暴な扱いだ。
「おまえにやる」
アンドレの右手を取り、無理矢理にその手の平を広げさせると、押しつけるかのようにそこにラペルピンを載せた。
「これをどのタイミングで渡そうかと考えていた。帰り道、ずっと……」
呆然とし過ぎたアンドレは、オスカルの方を見遣る余裕がない。だから、オスカルは逆に真っ赤になった顔を見られずに済み、ホッとした。

アンドレは触ることもできず、じっと眺める。手の平が熱を帯びたようにジンジンとする。
「……これ……」
喉の奥の方が乾いて、声が掠れるのが、自分でも分かった。情けないと、意識していない笑みが、己を嘲る。
これは伯爵の為に用意した物だろう、と言いたかった。だが、同時に、そうだな、渡せなかった時の為の保険要員は必要だなと言った方が、気持ちを楽にしてやれるだろうかと瞬時に色々な言葉が、頭の中を駆け巡った。

“誕生日はまだだろう? 早々に諦めずに渡してみたらどうだ?”
今、オスカルを一番傷つけない言葉は、これかもしれないと思い、息を吸い、もっと優しい言葉はないかと探していたアンドレの額に、突然オスカルの指がパチンと飛んだ。
「痛ってぇ~」
しゃがみこまんばかりに頭を抱えるアンドレに、
「勘違いするな」
隊長殿の恫喝が飛んで来た。
「あっ。やっぱり、保険要員は必要だっ……」
言葉は途切れた。オスカルがそっとアンドレを抱きしめたからだ。

アンドレは心臓が早打ち始めたことを悟った。この状況は、非常に宜しくないという事だけはすぐに分かった。だから、逆に冷静に言えた。
「……何だ? たったあれっぽっちの酒で酔っぱらったのか?」
胸の辺りで、オスカルがゆっくりと首を振る。
くすぐったいとでも言って引き剥がさなければ、勘勘違いしてしまいそうだ。
「イエロージャスパーは誕生石」
「ああ、そうだね」
耳を塞ぎたくなるほどに聞かされた名前だ。
小さな、直径が1センチにも及ばない程度の円形。その石がイエロージャスパーであることは、アンドレにはすぐに分かった。そこには、丁寧に、花模様が彫られている。
「そして花は、木槿。誕生日花だ」

オスカルは、顔を上げると、にっこりと微笑む。
「念の為に言っておくが、いずれも8月26日の……」
「えっ……」
アンドレは素っ頓狂な声を上げ、慌ててオスカルの肩を掴み、胸から離させた。
「……オスカル……」
頭の中のゴチャゴチャが整理できない。
言っている意味が分からないようだなと、オスカルは呆れたように笑った。分かる人がいたら逆に不思議だろうとは間違っても言えないアンドレは、オスカルを見つめたまま頷く。
「あの日、おまえに預けたメモには『彼こそが私のイエロージャスパー』と記した」
「えっ!?」
「本当は半ば不安だったんだ。うまくセザールに伝わらなかったらおジャンだからな」
「えーっと……」
何をどう言ったら良いのだろうとアンドレは躊躇う。
「さすが商売人。私の気持ちを汲み取って、おまえの好みまで上手に聞き出してくれた。むしろ急な招集に感謝したいくらいだな」
「……そういう事だったのか」
まだ、頭の中はグルグル回っている。

そんなアンドレの表情を面白そうに眺めていたオスカルが、またその頭をアンドレの胸に押しつけた。
「こうやって抱きしめられた時に、ちょうど私の視界にこれが入ったら嬉しいななどと、ちょっと思ったんだ」
フンと鼻を鳴らす。
ここで、いや、抱きしめられているのは俺の方だと言ったらどうなるのだろうと、一瞬、アンドレに悪魔が囁いた。
アンドレは、腰に回されている腕を、そっと解いた。オスカルは、先ほどまでの勢いはなく、不安そうにアンドレを見上げる。アンドレはその青い瞳をじっと見つめ、
「つけてくれる?」
ラペルピンを差し出した。
「あ、ああ」
オスカルはそう答え、受け取る。

震える不器用な指先でラペルピンの尖った針を、お仕着せの襟に刺す。チェーンに、隙間から降り注ぐ月明かりが当たり、きらりと光った。
「お、上手だ」
おどけた風に言うアンドレに、身に刺されなくて良かったなとオスカルも笑った。
見つめ合う形になると、テレが先行する。アンドレは無言で俯いてしまったオスカルをそっと抱きしめた。

満月。そして、雲ひとつない空は、星が埋め尽くしていた。
「満天の星だ」
「そうだな」
オスカルは空を見上げる振りをしながら、幼馴染の顔をじっと見つめていた。

《fin》

【あとがき・・・という名の言い訳】

°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖° B o n   a n n i v e r s a i r e !!  A n d r é °˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°


ご訪問ありがとうございます。何だかなぁ~な気分の、おれんぢぺこでございます。
(今回もまた!)少し、時系列を歪ませてしまいました。
原作ですと、1788年8月26日には歴史上の大きな出来事が記されています。ネッケルの大蔵大臣再就任。そして、この後。ジェロちゃんの求婚や何やと、A君には地獄にも相当する辛い日々がやって来るわけですよね。つまり、A君最後のお誕生日は、ろくでもない状
況の中で過ごしたということなのでしょう。
でも。さすがに、お誕生日記念のSSでそれはあんまりですので、ド〇え〇んの道具を借りた気分で、時間の軸をひん曲げ、異なる状況を作り出してしまいました。それを許して下さる、皆様の広いお心に感謝です(人’’▽`)☆☆☆彡

今回の話は、なかなか書き進まず……。初めてじゃないかと思うくらい、苦労しました。
それも、全く浮かばないなら、諦めることもできたのでしょう。
照れ隠しに、乱暴に(ここが味噌(‘◇’)ゞ)オスカルさまがアンドレ君に渡す、誕生石を用いた贈り物(できれば身に着ける物)を思い浮かべて、行きついた先が、ラペルピンでした。
そんなわけで、いつものようにきっぱりしたラストシーンは揺るがない! 
でも。そこに辿り着くまでのシチュエーションが、これでもかと言う勢いで、出ては来るのですが、全て“???”な気分に陥ってしまうのです。
そんなわけで、何だかなぁ~でございます。
話自体は、いつものようにこれといった山場もなく、ひたすらだらだらとしてしまいましたが、お楽しみいただけましたなら、嬉しいです。

この夏は、コロナ禍での自粛続きで花火大会も盆踊りもNGだったせいで、9月がそこまで来ていることが不思議な気分です(酷暑だし(;^_^A)
もうしばらく暑い日が続くとの予報も出ています。どうぞ、皆様、お気をつけてお過ごし下さい。
またお時間のある時にお立ち寄り下さいませ。


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SS-63~ 満天の星② ~

2020年08月25日 21時42分30秒 |  SS~満天の星~


~ 満 天 の 星 ② ~


何かひとつ吹っ切れた物があったような気はするものの、オスカルは相変わらず休みの日には自室に籠っていた。
だが、その日は、常とは様子が違った。昼過ぎに宮中からの使徒が来ると、慌ただしくアンドレを呼ぶオスカルの声が屋敷中に響き渡った。
何もそう大声を出さずともと思いながら、それでもアンドレは心の中で小躍りする気持ちを懸命に抑えながら、訪室した。

見ると、オスカルは軍服に着替えていた。手短に使徒が伝えた内容をアンドレに告げる。
「緊急招集?」
「ああ」
どんな時でも職務優先のはずなのに、オスカルの浮かない顔に、何か気になることでもあるのかと、アンドレは訊いた。
「ああ。実は……。おまえも気づいていると思うが、この前からルーセル商会に依頼している物があって、店主のセザールに足を運んでもらっている」
「……らしいね」
自分には何の関係もないことなのに、アンドレは自分が繋いだ短い返事に不機嫌さが出ているような気がして嫌気がさした。

「……決める予定だったのだが……」
オスカルは何かを紙面に書き留めながら呟いた。何を決める予定だったのかが聞き取れなかったが、そこは、自分が聞き直す領域ではないとアンドレは判断した。ただ、本当に残念そうに言うオスカルの様子に、いかにこの日を楽しみに待っていたかが分かり、アンドレは、つい不謹慎にも言ってしまう。
「行かなきゃいけないのか、招集?」
オスカルは憮然として答える。
「腐っても軍人。陸軍総司令官殿直々のお呼び出しとあらば、行かんわけにはいかんだろう」

すると、今度はアンドレの中に別の疑問が浮かんだ。
「供はしなくて良いのか?」
「ああ。近衛と衛兵隊双方の将校以上を全員招集だからな。おまえに同行してもらっても、これと言って頼み事もないだろうし、退屈させてしまう。……父上も遅れてお越しになる」
すっかり一個部隊の隊長の顔をしたオスカルが、机の引き出しをバンッと勢いよく閉め、既に扉の方へ向かっている。
「どうも……ネッケル氏への対応に不満を持つ輩が国民を扇動して、良からぬことを企んでいるのではないかという噂だ」
オスカルは手袋を嵌めながら、後ろを振り向き、
「ああ。本当に申し訳ないと、セザールくれぐれもよろしく伝えてくれ。……ちょうどおまえが休みで助かったよ」
バツの悪そうなオスカルの言い方に、
「しようがないよ。急用なんだから…」
フォローしながらも、何となく鬱々とした気分と、それよりも大きな疎外感を抱きながら、アンドレは笑った。

「おまえは……」オスカルが一瞬足を止め「この後、何も用事はなかったのか?」
急に心配になったようだ。
「ああ。俺はいつだって暇だよ」
そう言って笑って見せるアンドレに向かってオスカルは言った。
「それならば、セザールの話し相手にでもなってやってくれ。できれば、来週を目途に完成品を見たいと伝えてほしい」
アンドレは、怪訝そうに首を傾げ、
「随分急がせるんだな」
言ってしまってから、しまったという表情をする。
フェルゼンの誕生日は9月だ。何もそんなに慌てて納品してもらわなくても良いだろうと言いそうになった。

オスカルは、歩きかけていた足をまた止め、一瞬ためらった様子を見せたが、
「これが……私の希望だと……」
そう言い、紙片をアンドレに預ける。先ほど書いた物のようだ。
「大方はセザールと打ち合わせ済みなので、渡せば分かると思う」
「畏まりました」
ほんの少し微笑みを載せ、アンドレは丁寧に腰を折った。


指定の時間にルーセル商会の店主セザールがやって来た。アンドレも何度か会ったことのある相手なので、店主もオスカル不在の状況を聞きはしたものの、ちょっと安堵の表情を浮かべた。
「これを、主から託っております」
そう言い、アンドレは先ほどオスカルから預かった紙片を渡した。セザールは折り畳まれた紙片を開くと、
「なるほど」
と頷いた。そして、アンドレに向かって言った。
「あなたが私の相手をして下さるとの、オスカルさまからのお言葉でございます」
「ああ、確かにそう聞いております」
アンドレは、即答した。

だが、心の中では少しの疚(やま)しさを抱えている自分に気づく。
オスカルが、想い人の為に作り上げさせる物の、最終段階を見届けることができる状況は、果たして自分にとって吉凶のどちらなのだろうと思った。
オスカルには及ばないが、フェルゼンの人となりは知っているつもりだ。
振られても尚、寄せ続けるオスカルの想いが、せめて友情として受け入れてもらえるようにと願った。フェルゼンの、心の負担にならない物に仕上げてもらえるように、うまくアドバイスしようと、そっと決意した。

「こちらでございます」
言いながら、店主は金や銀の荒削りの装飾品を並べ始めた。
「石もデザインも、これから打ち合わせの最終段階に入る予定ではございますが、本日は、先日からのお話の中から、私が候補と成り得ると判断した物をお持ちした次第でございます。オスカルさまが、お気に入られますと、幸いではございますが……」
アンドレの心の機微など知らず、セザールは淡々と広げて見せた。
ネクタイピン、揃いのカフス。懐中時計、ラペルピン。ひとつの品に大概2~3種類のデザインが揃えられていた。
ペンダントトップや指輪に至っては、アンドレには、もう何やら意味さえも分からなくなってしまった。

「これは?」
ふと目に留まった細いシンプルなチェーンを指さし、アンドレは尋ねた。
「ああ」
店主は、興味を持った風のアンドレに嬉しそうに答える。
「眼鏡用のストラップでございます」
なるほどとアンドレは頷き、
「眼鏡を掛けたところなんか想像できないな」
つい笑ってしまった。そして、同時に、それは候補に上がることはないだろうと確信した。

「もしも…」セザールは慎重に言葉を選ぶかのように「あなた様でしたら、何をお望みでございますか」
「俺?」
「はい。これらの中でしたら、今現在身に着けてみたいとお思いの物はなんでございましょう」
「あー」
アンドレは言い淀んだ。
「そんな急に言われてもなぁ」
本当に困った様子に、セザールは黙ったまま、見守った。

アンドレは、店主が並べた装飾品の数々を見つめながら答えた。
「まあ、もし、俺が選ぶとしたら……。あくまでも贈る側としてのチョイスですけど……」
そう言い訳のようにつけ足すと、
「お心の負担はない方が良い」
うんと大きく頷き、1本のラペルピンを指さした。本体の金色が、そこにある他の金よりもくすんで、緑がかっているように映った。その深さを、アンドレは気に入った。
「ほぉ~」
セザールは、ちょっと驚いた風に頭を掻いた。
「ああ、申し訳ないです。ちょっと、もしも俺がもらっても、これだったら使いたいかなと、逆の立場で考えてしまって……」
捨ててしまうくらいなら俺が使ってやるよと言って、2度目の失恋に泣き崩れるオスカルの肩を抱く、どうしようもない妄想を浮かべた。
そんなさもしい真意など、相手に勿論伝わるはずはない。そう思うと安心でき、アンドレは笑った。

仮に伯爵が受け取ったとして、懐中時計やカフスは、嫌でも視界に入る。ネクタイピンもカフスと揃いだと目に着く。ラペルピンならば伯爵はたくさん持っているだろう。何よりもたとえ身に着けたとしても、わざわざ目線を下げなければ、それは目に入って来ることはない。
瞬時にそれだけの分析をして、アンドレは、判断した。
勿論、オスカルがどう考えるかは別の話だ。
店主はアンドレの方を見つめ、嬉しそうににっこりと微笑んだ。それは、商売人が愛想を振り撒く笑顔とはちょっと違い、本当に心の底から喜んでいるようにも見えた。セザールは、
「さすが、お目が高い」
大きく頷いた。
「実はオスカルさまも、その金を加工前から殊の外気に入っておいでです」
感情は含まずに言った。
「そう? それは……良かった」
その選択の中に、隠された感情があるなど知る由もなく、満足そうに店主が笑う表情に、アンドレはほんのちょっとの罪悪感を覚えた。

そう長い時間を要せず、店主は持ち込んだ見本を大事にトランクにしまい始めた。
「本日は最終的なデザインの決定を仰せつかってございましたが、ここに……」
そう言い、セザールは先ほど受け取った紙片を大事にトランクの内ポケットに入れた。
「お受け取りは、オスカルさまがご自身でお見えになるご予定でございます。委細打ち合わせ済みでございますので変更等ございましたなら、何なりとお申しつけ下さいませ」
そう言うと満足顔を壊さないまま、セザールは帰って行った。アンドレは、
「よろしくお願いします」
と深々と頭を下げ、見送った。
なるほど、今年の伯爵の誕生日の贈り物はラペルピンらしい。伯爵は贈られたそれを、舞踏会の正装で使うだろう。
そして、おそらくトップに載るのはイエロージャスパー。ラペルピンを胸に刺した伯爵の姿を想像し、アンドレは歯軋りした。


オスカルは、忙しい日々を送っていた。時にはアンドレも同行するが相変わらず別行動が多い。
しかし、兵士達の訓練に参加することもなく、朝から執務室で書類整理に没頭していたその日は珍しく、
「今日は早く帰ろう」
と自ら、机の上を片付け始めた。アンドレは戸惑う。帰ろうと言う言葉にさえ、どう反応したら良いのやらと動きを止めてしまう。オスカルは怪訝そうに従者を振り返って言う。
「まさか、自分の誕生日を忘れたわけではあるまい。 “めちゃくちゃでっかいケーキに、年の数だけの蝋燭”。ちゃんと準備したぞ。このままパリまで取りに行く」
そう言いオスカルが告げたパティスリーは、ジャルジェ家がマカロンや記念日用のケーキ類を注文する、パリの中でも五指に入ると言われる店だった。
「……オスカル……」
嘘だろうとアンドレは頭を抱えた。
「パリはネッケル氏の大蔵大臣再任で沸いているぞ。危険ではないか?」
「いや、だからこそ、市民も寛大だろう」

勿論、自分の言った言葉自体は覚えている。いや、冗談めかしていたものの、あんなことを言った以上は、ケーキの準備をしてくれるだろうとは思っていた。だがアンドレの想像したそれは、例えば屋敷の厨房のデザート係の者に焼かせるという程度の物だった。
それをわざわざパリの有名パティスリーに注文するとは、と嬉しさを通り越し、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「可能な限り大きな、としか頼まなかったからな……」
オスカルは馬車のシートに深く腰掛け、窓枠に肘を乗せていた。

「可能なって、どのくらい?」
「よくわからんが、型にも限界があると言われた」
そりゃそうだろうと、アンドレも苦笑いになる。
「苦肉の策として、と提案されたのが……。特大のホールケーキを中心に、周りを同じ大きさのケーキで囲んだら、とか言っていたからな。ひまわりのような形を想像してみろと言われた。まあ、その辺のことは、任せておけば間違いないだろうから、それで頼むと言っておいた」
「特大って……?」
不安げに訊くアンドレに、オスカルは笑った。
「店にある一番大きな型が直径30センチらしいからな。あとは算数のお勉強だな。おまえ、得意だろう?」
「いや、得意って……」
何と答えたら良いのやらと考えあぐねていたら、ガタンと馬車が止まる音がした。

「おっ!」
オスカルが嬉しそうに腰を浮かせた。話に夢中になり、馬車が今どこを通っているのかさえ確認していなかったアンドレは慌てた。菓子の匂いが漂って来ない事を訝しく思いながらも立ち上がろうとしたアンドレを制し、
「ああ、良い。出来がった物を取って来るだけだ」
そう言い、オスカルは自ら扉を開け、馬車を飛び降りた。
『de Russel』ルーセル商会の看板の文字の一部分が目に入った。
残されたアンドレは、なるほどと大きく頷き、おとなしく座り直した。ケーキの話につい浮かれてしっていたが、ルーセル商会の真正面で馬車を止め、一人で店内に消えて行ったオスカルの嬉しそうな背中から、アンドレは目を逸らした。

≪continuer≫


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SS-63~ 満天の星① ~

2020年08月24日 20時32分10秒 |  SS~満天の星~

~ 満 天 の 星 ① ~


【 またまた苦しい最初の言い訳です💦=開き直り 】
いつものように、全く進展のない、だらだらした話を書いていたら、一日分にしては果てしなく長くなって
しまい、二日に分けようとしたら、それでも疲れてしまうわ、という判断に至りました。
でも! いつものようにラストに行きつくまでの最終段階、何の山場もないまま只今執筆中(‘◇’)ゞ。
でも! でも!! 今日のうちに①をUPしなきゃ、ラストが誕生日を過ぎてしまうという事に気づきました。
・・・これで、三日で収まらない、四日目に突入しちゃう、もしくはやっぱり間に合いませんでした( ´艸`)
・・・なんて事態に陥ったら、大笑いですね(爆)
そんなこんなで、大騒ぎ中ですが、よろしかったら、おつき合い下さいませ



ここ数年、ジャルジェ家に出入りを許されている宝石商は3軒。
そのうちのひとつ、先代の頃から主に当主の、つまり男物の装飾品を受注して来たパリの老舗・ルーセル商会の出入りが、このところ頻回だと侍女達の間で噂になり始めた。
「ねぇ、アンドレはどう思う?」
遅い昼食を一緒に取りながら、洗濯係のニコルが話を振って来た。

次期当主であるオスカルが希望してフランス衛兵隊へ移ってから別行動が多くなった主従は、今日も、休息日だというのに、それぞれが屋敷内で思い思いの時間を過ごしていた。
勿論、休息日の本来の目的を全うしようと思えば、このあり方が正しいという事は誰もが知っているが、一緒にいないことを周囲に不自然に感じさせるほど、二人はいつも行動を共にして来た。

ニコルの問いに、アンドレは曖昧に微笑んだ。
アラン・ド・ソワソンの反抗的な態度が気にならないと言えば嘘になるが、何とか衛兵隊でのオスカルの仕事も軌道に乗った。だからこそ、こうやって、ゆっくり休みも取れているのだと、アンドレは冷製ポタージュを飲み干し、ゆっくりと立ち上がった。
「で? ルーセル商会がどうしたって?」
殆ど聞き流していたアンドレは、自分が使った食器類を持ち、そのまま去っても良いものを律義に足を止め、聞き直した。

「だから」
ニコルは、口の中の堅いパンを慌ててカフェ・オ・レで流し込み、
「ちょっと座ってよ、アンドレ」
言いながらテーブルに身を乗り出すようにして、反対側の同僚の腕を思いきり引っ張る。
「オスカルさま、何だか気になるお方がおいでなんじゃない?」
アンドレは、ドキリと心臓が鳴った気がした。胃が痛む。
ローブで参加した舞踏会。そして、失恋。
それに追い打ちをかけるかのように己の仕出かした愚行。
それらを思い出したアンドレの、苦虫を嚙み潰したような表情に何を思ったのか、ニコルは笑って言う。
「まぁ、あんたも色々大変だろうけど……」
同僚は、何をどう解釈してそう言うのだろうと聞いてみたい気にもなったが、アンドレは黙ったまま続きを聞く態勢になった。

「オスカルさまがご自分から店の者をお呼びになるなんて珍しいでしょ」
ニコルが言わずとも、それは事実なので、アンドレも軽く頷いた。すると、我が意を得たとでも思ったのか、気を良くして、ニコルは続きを喋り出した。
「私、この前、たまたま……」言いにくそうに、いったん言葉を切り「立ち聞きじゃないのよ」話の途中で断りを入れて、身を乗り出す。
アンドレは、こういう時、なぜ侍女達はみんな同じ表情をするのだろうと思いながら、そのくらいわかってるよと笑って見せた。
「ん~。もうひと月くらい前になるんだけど……。ばあやさんから、オスカルさまの寝室のカーテンの洗濯を言いつかってたから、お部屋にお伺いしたの」

オスカルは、自分が部屋にいない時に、使用人が出入りする事を、気にする性質ではない。むしろ、掃除やシーツ交換などは、出仕した後にしておいてほしいと、乳母を通じて知らされている侍女達は、日中、己の仕事のタイミングを見ながら用を行うのが通例だ。
「それで、私ね。本当はもっと早くしたかったんだけど、ちょっと遅くなってからお部屋にお伺いしたの」
まさか部屋の主が在室しているなど思いもせず、ほぼノックと同時に大扉を開けると居間の応接セットの向こう側にオスカルが軍服姿のまま座って腕を組んでいた、とニコルは説明した。

「ああ、そう言えば、その頃だったかな。来客があるからとか言ってオスカルだけが先に帰った日があったな」
「そうそう。たいてい、そういう時ってアンドレが先に下で私達の耳に入れてくれるじゃない?」
「あの日は、俺、夜勤だったからな……」
「そうなのよ!」
大きく頷く同僚に、アンドレは不思議そうに訊く。
「何が……?」
「アンドレ、知らないでしょ? オスカルさまね、その頃からよく、あんたが夜勤の時、早く帰ってお見えになるのよ。で、だいたい、ルーセル商会の誰かが来てるの」

「……帰ってたんだね」
アンドレは、侍女が心配するくらい厳しい表情でそう呟いた。ニコルはニコルでその言葉の意味が分からず、
「どういう意味?」
ストレートに訊く。
「うん。ここ最近、俺が夜勤の時、オスカルが早く兵舎を出るのは、もちろん知っていたよ。王后陛下に呼ばれたとか何とか言ってたから、特段不思議にも思わなかったんだけど……。そうか。帰ってたのか」
アンドレは、もう一度同じ言葉を繰り返す。しかし、今のニコルの話には関係がないことだと笑うと、その続きを待つことにした。

「それでね! そのカーテンを洗おうと思ってお部屋に伺った時なんだけど。何せ、来客中のお部屋に伺ったりしちゃったもんだから、私も大慌てで引き揚げようとしたら、オスカルさまが『構わないから、言いつけられている物を持ってお行き』っておっしゃって下さったのよ。カーテン取り外してとかしてたら、ちょっと時間かかるじゃない? だから、私、正直にそう申し上げたの。それでもオスカルさま、大丈夫だって笑って下さったのよ」
「へぇー」
アンドレは、他に反応のしようがないとでも言うような相槌を打つ。
「で。私、失礼して寝室のカーテンを外しにかかったの。でも。どうしても、壁一枚隔てたお部屋で、オスカルさまがお話しになってらっしゃると思うと、落ち着かなく……。急がなきゃと思いながら、逆に焦っちゃって……」
「よくわかるよ」
アンドレは、そう言った。するとニコルはちょっと嬉しそうに微笑む。
「えっ? アンドレでもそんな事あるの?」

ニコルは話しているうちに興奮して来たようで声も大きくなる。
「オスカルさまが何かおっしゃって、ルーセル商会の人がガサゴソ何かを開く音がしたんだけど……『それでしたら、宝石はイエロージャスパーが宜しいかと思います』って答えたの。そしたらオスカルさまが『実物を見てみたい』っておっしゃって……。それで、次の時に見本をご覧になる約束ができてたのよ」

アンドレは、侍女の輝いた瞳が何を意味するのかを考えてみた。
「最初はご自分の何かをご注文なさるのかと思ってたけど、イエロージャスパーって聞いて、誕生石のお話なんじゃないかなって思ったの」
ニコルはちょっと自慢気に胸を張った。
「イエロージャスパーは、乙女座の誕生石なのよ。オスカルさまはそれを使って何かアクセサリーを注文なさるおつもりなのよ。誰かの為に」
侍女にとって、それは、もはや確信のようだった。
「ふーん。そうなんだね」
またもどう答えたら良いのやらと思いつつ、アンドレの言葉からは覇気が抜け落ちる。
「近々お誕生日の殿方に、何か贈り物をなさるおつもりに違いないわ」
なるほど、この侍女の言わんとするところはそれかとアンドレはやっと分かった。だから、アンドレは不愛想に言う。
「俺は探らないよ」
「えっ!?」
「そんな、オスカルを欺くようなことはできない」
「えっ? だって、アンドレだって気にならない? オスカルさまがお気持ちを寄せる方よ」

アンドレは今度こそ迷わずにそこを去る為に立ち上がった。
「オスカルが誰にどう想いを寄せようと、それはオスカルの中で起こることであって、俺達使用人には関係ないよね」
言い返すことができない正論に侍女は一瞬怯んだが、
「でも……。もしかしたら、次のご当主様になる方かもしれないじゃない?」
アンドレは、ハッとして息を飲み込む。
「……そうだとしても……。それを知ったところで、どうするつもりだい?」
声が上ずったりしていないだろうかと不安になる。
ニコルはちょっと言い淀む。
「どうって……。別に……」
侍女達の間でどういう話になっているのだろうかと気にはなったが、所詮噂は噂として、早晩収束して行くことだろう。
「そう言えば、アンドレも乙女座よね。ねぇ、プレゼント、何が欲しい?」
機嫌取りなのが明らかなニコルの言葉に、アンドレは無言を貫いた。ニコルが、尚も何か言おうとする気配はあったが、そのまま、後の事には聞く耳持たぬ態度で、アンドレは使用人食堂を後にした。

ニコルが言ったことは、興味本位に違いない。しかし、とグングンと進んでいた足を止める。
いつの間にか裏庭の端、菜園の辺りまで来てしまっていた。
セージやローズマリーの香りが届く。
百日紅のピンクの花が咲き誇っている。そして、キュウリやトマトが実った畑を囲むように白い木槿、濃いピンクや紫、黄色、オレンジ、色とりどりのブーゲンビリアも満開を迎えていた。
それらの花は、表の庭園にも咲いているのに、この、人目につかない場所で咲き誇る花々は何やら違って見えた。

「伯爵の誕生日も近いな」
思わず言葉が漏れる。
己の誕生日が過ぎ、9月に入ると直に、オスカルの想い人フェルゼン伯爵の誕生日が来ることをアンドレは知っている。
アンドレは、オスカルが欠かさず用意してくれていた、去年の誕生日までの贈り物を思い出した。
毎年、祖母からは分不相応だと言われた。だが、オスカルからの贈り物は、決して高価過ぎる物ではなかった。祖母にしてみれば、何をもらったとしても、何某かの意見を述べるだろうことには違いないのだが、オスカルらしい心遣いが伝わって来る品だった。

聞いたことはないが、フェルゼンにも何かを贈っていただろう。
誕生日会と称して招かれ、伯爵と二人朝まで飲み明かすことも何年か続いた。
「おまえも一緒にと言われているが」
と誘うオスカルに、大袈裟に首を振って、
「ウワバミの二人に挟まれたら、命がいくつあっても足りないよ」
などと、最もらしい言い訳をして断ってみたが、そうすると、オスカルが、やや嬉しそうな顔になることも、勿論知っていた。
ここ数年は、さすがに互いが忙しく誕生日会なども催されなくなったようだ。

しかし、ニコルが言ったように、乙女座の誕生石を使って男物のアクセサリーを発注するのだとしたら、オスカルはフェルゼンへの未練を断ち切れずにいるのだろうかと、不安や切なさ、色々な、混ざり合った感情を、自分はこの先どうコントロールすべきなのだろと唇を噛んだ。

まるで表で咲く花と裏庭で咲く花だと、たった今感じた思いは、つまり、こういう事なのだと、アンドレは、何かを上手に咀嚼できた気がした。
自分自身が壊してしまったオスカルとの絆。
形のある贈り物が欲しいわけではない。ただ、友が祝ってくれるはずもない誕生日が、そこまで来ていることを、アンドレは悟るしかなかった。



その日――。夜勤の為、夕方になってアンドレが兵舎に着くと、オスカルは、執務室で何やら書類の束と格闘していた。入室したアンドレの顔を見ると、もうそんな時間かと呟き、それでも一心不乱にペンを走らせていたが、ふと顔を上げ、アンドレの顔をじっと見つめると、突然、口を開いた。
「アンドレ。何か、欲しい物はないか?」
それは、アンドレには意外過ぎる問いだった。

「欲しい物?」
「ああ。もうすぐ誕生日だろう。今年は、ほら。色々あってバタバタしているから、もし、おまえが欲しい物があったら、それを準備した方が良いかなと思ったんだ」
執務机の向こうで、なぜか腕組みをして笑うオスカルの眩しさに、アンドレは思わず目を細めた。

覚えていてくれたのだと、何よりも喜びが、心を満たした。
オスカルは、自分の誕生日など気にも留めないと勝手に思い込んでいた。今年は友が祝ってくれるはずもない誕生日を過ごすのだと思っていた。
だから、忘れないでいてくれるだけで十分だった。
「そんな……」
俺なんかに気を遣わなくても、と言おうとして、息を呑んだ。卑屈になっているつもりはないが、そういった己を卑下する言い方を、オスカルが一番嫌うことも知っている。
「……ありがとう。じゃあ……」
そう言うと、アンドレはオスカルの執務机の上の書類をトントンと束ね、考えておくよと、無表情に答えた。

「そうか……」
オスカルの表情が一瞬沈む。だが、気を取り直したように、
「では、私はこれで引き揚げる」
「あ、ああ」
あまりの切り替えの早さに驚く。アンドレは、隠さない本音を静かに告げた。
「聞いてくれて嬉しいよ」
もう一度ありがとうを添えると、せいいっぱいの笑みを載せ、
「じゃあさ。めちゃくちゃでっかいケーキに、年の数だけ蝋燭を立ててもらおうかな」
オスカルの親切を無碍にしているような気がして、その場の雰囲気を壊したくないばっかりに、笑いながらそう言った。切り替えの早さなら、負けるつもりはない。

「ほぉ」
扉を開けかけていたオスカルは手を止め、振り返った。
「分かった。それも準備しよう」
「えっ? あ。いや……」
「おまえが責任持って、全て食べてしまえるのならな」
「えっ?」
ヤバいと思った時には、既に遅かったという事は、今までにも、その身を持って経験して来たはずだ。
性懲りもなく、やってしまったようだとアンドレは顔をひきつらせた。

オスカルが、誕生日を気にかけてくれているという、たったそれだけの事実が、ただ嬉しくて、調子に乗ってしまったのかもしれない。
フェルゼンと自分のポジションを比べる必要などないことは、弁えている。
ただ、欲しい物がないかと訊かれ即答できなかったことが申し訳なく、ほんのちょっとオスカルの気持ちを楽にしたいと思ってしまっただけだ。

パタンとしまった扉の向こうからオスカルの高笑いが聞こえて来た。
アンドレは、息を吐き出した。だが、ほんの少し、今の軽快なやり取りのおかげで昔のような安易な幼馴染の位置を取り戻せたような気分になった。
もしかしたら、オスカルもこういったタイミングを図ってくれていたのではないだろうかと自惚れに似た感情がどこからともなく沸き上がって来た。

イエロージャスパーで作られる物は想い人への贈り物なのだろう。
嫉妬しないと言えば、勿論、嘘だ。だが、おそらくオスカルは自分には特大のケーキを準備してくれるに違いない。
アンドレは決意する。言った手前、引き下がることはできないだろうから、誕生日までに万全な体調を整えておこう、と意味もなくガッツポーズをした。
そして、もしも、オスカルがフェルゼンにプレゼントを渡せなかった時に、どうやって慰めるかも考えておかねばならないと思った。

≪continuer≫

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