~ 言 い 訳 、 あ る い は セ カ ン ド ・ ス テ ッ プ ~
公にはジャルジェ家を継ぐ身となったアンドレ・グランディエ・ド・ジャルジェ。
苗字が2つも並ぶ不自然な出来立てほやほやのフルネームは、むしろ周囲には好評を博した。グランディエの姓を捨てたくないと言い張ったのは、当のアンドレではなくオスカルの方だった。というより、アンドレにとってそういった事へのこだわりは全くなかった。苗字や家柄よりも、オスカルと堂々と一緒にいることができる立場を与えてくれた周囲の人々の厚意に、感謝しかなかった。
だからこそ、姓を継ぐなどというややこしい感情より『バランスとカッコ良さ』をオスカルが表向きの理由にしたのは、アンドレの為の優しさであることは誰もが察した。
大広間で繰り広げられる披露宴の宴は日付が変わってもその盛り上がりは最高潮のままだった。
アンドレは足早に階段を駆け上がった。すると、ちょうどワゴンを押す侍女に出会い、微笑んだ。
いくらアンドレ自身が言い出した事とは言え、一家の主が家族の為に茶を運ぶなどとんでもない、と気を遣う侍女から奪うようにワゴンを受け取った。少しは二人だけの時間を過ごさせてくれよ、などと大袈裟なウィンクを投げ、アンドレがオスカルの私室を訪れた。
何も変わらないんだなとオスカルはワゴンを押して入って来たアンドレに大笑いした。
「主役は早々に退散し、お客人には宴会を楽しんでいただく、との当家令嬢からのご提案。皆様、大変喜んでおいででございます」
馬鹿丁寧に使用人面で腰を折る夫。
ふ~ん、と小ばかにしたようなオスカルの頷きに、思った反応と違ったせいでアンドレはしゅんとなりつつ、
「何だよ?」
次にはふてくされて見せる。抱きついてほしかったんだけどな、と呟く。
「待ちくたびれたぁとか言って、さ……」
「それはないだろう……」
爆笑しながらスカルは、ソファの左側をポンポンと指し座るようアンドレを促した。
既に湯あみも済ませ、普段通りの室内着を纏ったオスカルからは、アンドレが期待した“妙に妖艶な大人の女性の香り”はなく、ややがっかりした。しかし、おそらく自分よりもオスカルの方が数倍も疲れているに違いないと思うと、つい、
「……何か軽い物でも持って来ようか?」
接待ばかりで何も口にできなかったのではないだろうかと心配になり、訊いてしまう。
本当に何も変わらない。
アンドレの全てがオスカル中心に回っている。
バタバタと進んだ婚礼と、それに伴う祝宴。大勢の人達の間を縫い、祝いの盃と言葉をいただきながらも、どこかで夢を見ているようなフワフワと彷徨っている感覚が否めなかった。何百、何千のおめでとうとありがとう、そして乾杯を繰り返した。
しかし、あまりにも突然の段取りに二人は戸惑ったというのが事実だった。
だが、どれもこれも両親を筆頭に周囲の者達には入念に練り上げられた計画。徹底された使用人達の動きは、客人に対する失礼など勿論あるはずもなかった。日頃ジャルジェ家がホスト役となる催しでは、その中心で指揮官よろしくみんなを束ねているアンドレにしてみれば、感嘆は勿論あったものの、少々の焦りを感じたのも事実だった。いよいよ、自分のポジションを誰かに譲る日が来るのかもしれないと不安にも似た気持ちを抱いてしまった。
そんなアンドレの気持ちを知ってか知らずでか定かではないが、オスカルは当面は今の幸せに浸ることにしたようだ。
「夢を見ているようだ……」
オスカルは、アンドレの胸に頭を凭せ掛けながら呟いた。
「それは……。俺が言うべき立場だろう」
ある意味では、そうかもしれない。だが、自分の立場は確実に変わって行くのだ。事実として、ジャルジェ家の跡継ぎとして課せられた任務は、使用人を束ねて行く以上の力量を求められることもあるだろう。
強引に恋人から引き離され、次に会った時には求婚する事を許される立場にあったなど、どんな都合の良いおとぎ話だろうとアンドレは、妻の顔をじっと見つめた。
「本当に、だんな様の馬車の中で気がついた時には、生きている喜びより、これから処刑場に向かうんだという悔しさと情けなさでいっぱいだった」
「怖さは?」
「うん、それがその時には……。まだ……なかった」
「まだ?」
「そう。本当の怖さは……。何が書かれているのか分からない書類に署名を迫られた時、かな」
オスカルはアンドレの顔を見つめ、またも吹き出した。わざと下からアンドレの顔を覗き込み、
「本当に何も分からずに署名したのか?」
「ああ」アンドレはやや逆切れ気味に大きく頷く。「迫られてみろ、目の前で……。しかも、絶望のどん底」
オスカルは身を乗り出すと、テーブルの上の上質の紙をつまんだ。
「子供でもサインをする前に確かめるぞ、普通は……」
そう言い、呆れた表情をする。
「覗き見できるわけないだろう、あの状況で……」
言い訳するアンドレに、オスカルはひらひらと紙を揺らし、
「しかし改めて読むと父上の執念が窺えるなぁ」
しみじみと呟き、文字を目で追った後、箇条書きの中のひとつを声に出して読み上げる。
「……最低でも半年に1度は、一人で10日以上の連続した休暇を取る事……って。この『一人で』ってところがポイントだな」
「ああ」
憮然としたアンドレの声。その様子に満足したようにオスカルは訊く。
「これ……。おまえ、守れるのか?」
「無理だな」
即答する夫にオスカルは大いに満足する。
「一人でって事は、つまり、おまえ抜きでって事だろう? それだったら、俺は休みなく働けって言われる方が楽だ」
「今と変わらないな」
オスカルは肩を竦めた。そして、
「では秘策の薫陶だ」
胸まで張る。
「えっ……」
「休みを取れと言っているだけで、何も『一人でヴァカンスにどこかに出かけろ』などと書いてはいないからな。その時期に私も『一人で』休みを取るかもしれんしな」
ニヤリと笑う妻を抱きしめて、
「この策士が……。それだったら、毎月でも大丈夫だ」
大いに満足する。オスカルも同じように会心の表情を見せる。
「だが……」
次々に疑問は湧いて来る。
「義伯父上は最初からこの企てに乗り気だったと言ったよな」
「ああ、おまけにジャン=クリストフさまは国王陛下のご許可をいただく為にご尽力下さった」
「だったら……何もこんな手の込んだことをしなくても良かっただろうに……」
合点がいかぬと呟くオスカルに、
「……意趣返し……」
「えっ?」
「言っただろう? だんな様は本気でおまえと俺を嵌めたかったらしい」
オスカルは呆然とアンドレを見つめた。
「本気で?」
「……ああ……」
答えながらもアンドレの口元は吹き出す寸前。オスカルも腹を抱えながら、
「……結果、ばあやに怒られるだけだった、と……」
「う~ん。まぁ、だんな様はおばあちゃん対策については本当に何も秘策がないとおっしゃってたからなぁ」
そう言いポリポリと頭を掻くアンドレにオスカルはじっと見入る。
そんなオスカルの熱い視線をわざと無視して言う。
「落としどころが肝心なんだろうな」
「えっ?」
アンドレの言う意味が分からず、オスカルは聞き返した。
「何と言うか……。おばあちゃんも、結局、『大切なオスカルさまのお幸せ』という観点から見ると想い人と添い遂げさせてやりたいと思うのは当然だろう?」
「……そうだな……」
そこに関しては、全く何の疑問も生じない。アンドレは満足げに続けた。
「おまえが俺を選ぶと言ってくれている以上は、だんな様は勿論、おばあちゃんだって真正面から反対だけの為に反対し続けらえるもんじゃないからな」
他人事のように冷静に分析するアンドレに、オスカルは驚きの表情を見せた。
「奥様にしても、ボンドヴィール屋敷の皆様、お姉さま方にしても……。何となく、俺とおまえの揺るがない気持ちを察してくださっていた。……違うか?」
「たぶん……違わない」
「……となると、障害は……?」
「父上……が、もはや味方となると……ばあやだけ、というわけか」
そうそうとアンドレは微笑んだ。
「で、そのおばあちゃんも……」
「……私の……幸せ……?」
「願いは、たったひとつしかない。家柄だとか身分だとかを通り越してでも大切なお嬢様にお幸せになっていただきたい」
言葉は閉じ込められたが、乳母の心の内は、あの時、そこにいた誰もが読み違う事はなかった。オスカルはほーっと息を吐き出し、アンドレの胸に顔をうずめると少しの間黙っていたが、今の感情を表現する為の適切な言葉を見つける事はできなかった。
「心臓がドキドキ鳴ってる」
「当たり前だ」
アンドレの笑いが振動になってオスカルに伝わる。
「おまえは、そんなややこしい事を言う為にここに来たのか?」
天邪鬼さ加減は天下一品。オスカルは今の至福の感情をそんな風に言い換えてみせた。
アンレは黙ってオスカルの金のてっぺんに指を差し込むと何度も梳いた。オスカルはそのリズムに合わせるかのように目を閉じたまま歌うように言った。
「この条項にある『二人を取り巻くすべての人々の恩に報いること』って、簡単なようで難しいな」
「……そうだな。でも、俺達が幸せでいることが何よりの恩返しになると俺は信じている」
「まあ、それはそうなんだけど……。そう言えば! キッシュはどうした?」
「えっ……。ああ、唐突だなぁ」
アンドレはおかしそうに、取ってあるよと言い、明日の朝にでも食べよう、と笑った。
「薪割りの後に?」
「うっ……。そうだった」
オスカルは楽しそうに肩を揺らし、アンドレが運んで来た茶に手を伸ばす。
「そうそう。ジャン=クリストフさまの事で思い出した。実はジャン=クリストフさまは、唯一最初から正攻法を主張して下さったらしい。結果が分かり切っているのに無駄な労力を費やすのも、とおっしゃっていた……」
「それを言ってしまえば身も蓋もないが……」
オスカルは眉間に皺を寄せつつも面白そうに、
「さすが、おまえの“兄上”だ。意見は一致しているようだな」
アンドレは満足げに頷く妻にそっとくちづけすると、
「恐れ多いよ。ジャン=クリストフさまからも『おまえのような弟ができて嬉しい』なんて言っていただいたけれど……」
「それは良かった。あいつは従兄としても、上官としても尊敬できる。また明後日にはカレーに行ってしまうがな」
うんうんと頷く妻に、やや呆れながらそれより、と話題を変える。
「うん、何?」
「俺としては、すぐにおまえが乗り込んで来ると思っていたんだが……」
「まさか父上がおまえを連れて行っているとは、夢にも思わなかった。おまえだけがどこかに軟禁されたか……。あるいは最悪の事も一瞬頭をよぎった」
「……そうか……」
アンドレは身震いした。自分自身の生き死に関わる恐怖と言うより、愛しい人に辛い思いをさせてしまった恐ろしさだ。
「……それは……すまなかったな」
「まあ、おまえは私以上の恐ろしい体験をして来たのだからな……」
そう言い、またも紙をひらひらと揺らす。
「お相子って事か……」
アンドレはニッコリと微笑むと嬉しそうにオスカルの肩を抱き寄せた。オスカルは、その指先をじっと見つめる。
「しかし……。言うならば、私こそおまえがすぐに迎えに来ると信じて疑わなかったぞ」
「えっ……」
意外そうなアンドレの反応に、オスカルは憮然とした表情をする。
「じゃあ何か、おまえ……。あのまま、もしも本当に会えなくなってしまっていても諦めたかもしれなかったのか?」
「そうじゃなくて……」
喧嘩でも売りそうな勢いのオスカルの言いがかりに、アンドレはわざとのんびり答える。
「だんな様に対する怒りが沸点に達した状態でおまえの事だから……。そうだな、例えば奥様に直談判するなりして、俺の居場所を突き止めるとか……何か策を講じるだろうと……」
オスカルは、父上への怒りは最初から最高潮だったよ、と笑った。そして、
「ところがだな……」
オスカルはなぜか腕組みをする。
「母上も今回ばかりは一切お力添えを下さらなかった。逆に軟禁されていたんだ、私も。自分の家にいながら四六時中監視されている状況だったんだ。……考えてみると、そうだよな。私達の婚礼に関し、皆が尽力してくれているなどと、おっしゃりようがない」
アンドレは頷く。
「そうか……。案外、今回の件、一番の役者は奥様かもしれないな」
「ついでに言うとだな……」オスカルは言う。「私は、もっと恐ろしい事に気づいた」
「えっ?」
「私の思考は、おまえがいてこそ完成するらしい」
「……オスカル……」
「何をするにもおまえがさり気なく気を配って助言してくれているからこそ、私は考えをまとめることができるんだ」
「オスカル……」
オスカルのひと言ひと言がアンドレの心に響く。
「ある意味、精神安定剤だな」
オスカルは自己分析した。
「おまえがいてくれれば、それで良い……」
おそらく無意識に事実だけを言っているのであろうオスカルのその言葉が、どれだけアンドレの心を揺さぶっているのかなど、当の本人は全く気づいていない。
フッと綻ぶとアンドレは再びオスカルの頬にくちづけを落とす。そして、大袈裟にひとつ咳払いをすると、
「ところで……Ma femme (我が妻よ)」
「ん……?」
「明日薪割りも勿論重要なんだが……。これ、どうする?」
そう言うとオスカルの手から件の紙を取り上げ、今度はアンドレがオスカルに向かって見せると、その中の一文を指す。
「あ……」
すると、なぜかオスカルは真っ赤になる。
「俺としては早速……。今すぐにでも努力したいんだが……」
「……おまえは……」
尚も赤面したままのオスカルをギュッと抱きしめ、耳元で囁く。
「できるだけ早いうちに、丈夫な男の子が授かるよう日々精進する事!!」
言うが早いか、オスカルを抱き上げた。
≪fin≫
【あとがき・・・という名の言い訳】
ご訪問ありがとうございます。
唐突すぎるにもほどがあると自分を諫めている真っ最中のおれんぢぺこでございます。
思考回路は既に崩壊しております。
ほぼ毎日残業。体も脳味噌もクタクタのはずなのに、妄想スピードは加速するばかり(+_+)。 現実と妄想のアンバランスこそが今の私の精神安定剤になっていると言っても良いほど、心の中で(かなり堂々と)話を進めています。
残る3月(…て、残り日数の方が遥かに長いのですが)を、そして、来る4月を乗り切る体力を蓄える為にも……と思い、書き進めておりました。その結果、何やら凸凹したままではありますが拙作『ファーストステップ』の穴埋め、出来上がりました。……とは言うものの、実は書きたかったシーンを飛ばしてしまったような、これで完成で良かったような、というもやもやした状況のままで《fin》を置いてしまっております。いつの日にかしれっと追加するかもしれませんし、このままかも……。そんな中途半端感マックスの駄文ではございますが、お楽しみいただけましたな、これ以上の喜びはございません。
この時期の気候の不安定さは今年に限った事ではありませんが、皆様、どうぞお体大切にお過ごしください。今年は忙しくって無理かもと思いつつ、お花見計画だけは既に準備万端です。そんな希望を胸に!(笑)この繁忙期を乗り切りたいと思っております。
思い出していただけましたなら……。
またお時間のある時にお立ち寄りくださいませ。