le drapeau~想いのままに・・・

今日の出来事を交えつつ
大好きな“ベルサイユのばら”への
想いを綴っていきます。
感想あり、二次創作あり…

SS-38 ~ 果たし状への挑戦・番外編(言い訳、あるいはセカンド・ステップ) ~

2018年03月03日 22時59分45秒 | SS~果たし状への挑戦~


~ 言 い 訳 、 あ る い は セ カ ン ド ・ ス テ ッ プ ~



公にはジャルジェ家を継ぐ身となったアンドレ・グランディエ・ド・ジャルジェ。
苗字が2つも並ぶ不自然な出来立てほやほやのフルネームは、むしろ周囲には好評を博した。グランディエの姓を捨てたくないと言い張ったのは、当のアンドレではなくオスカルの方だった。というより、アンドレにとってそういった事へのこだわりは全くなかった。苗字や家柄よりも、オスカルと堂々と一緒にいることができる立場を与えてくれた周囲の人々の厚意に、感謝しかなかった。
だからこそ、姓を継ぐなどというややこしい感情より『バランスとカッコ良さ』をオスカルが表向きの理由にしたのは、アンドレの為の優しさであることは誰もが察した。

大広間で繰り広げられる披露宴の宴は日付が変わってもその盛り上がりは最高潮のままだった。
アンドレは足早に階段を駆け上がった。すると、ちょうどワゴンを押す侍女に出会い、微笑んだ。
いくらアンドレ自身が言い出した事とは言え、一家の主が家族の為に茶を運ぶなどとんでもない、と気を遣う侍女から奪うようにワゴンを受け取った。少しは二人だけの時間を過ごさせてくれよ、などと大袈裟なウィンクを投げ、アンドレがオスカルの私室を訪れた。
何も変わらないんだなとオスカルはワゴンを押して入って来たアンドレに大笑いした。
「主役は早々に退散し、お客人には宴会を楽しんでいただく、との当家令嬢からのご提案。皆様、大変喜んでおいででございます」
馬鹿丁寧に使用人面で腰を折る夫。
ふ~ん、と小ばかにしたようなオスカルの頷きに、思った反応と違ったせいでアンドレはしゅんとなりつつ、
「何だよ?」
次にはふてくされて見せる。抱きついてほしかったんだけどな、と呟く。
「待ちくたびれたぁとか言って、さ……」
「それはないだろう……」
爆笑しながらスカルは、ソファの左側をポンポンと指し座るようアンドレを促した。

既に湯あみも済ませ、普段通りの室内着を纏ったオスカルからは、アンドレが期待した“妙に妖艶な大人の女性の香り”はなく、ややがっかりした。しかし、おそらく自分よりもオスカルの方が数倍も疲れているに違いないと思うと、つい、
「……何か軽い物でも持って来ようか?」
接待ばかりで何も口にできなかったのではないだろうかと心配になり、訊いてしまう。
本当に何も変わらない。
アンドレの全てがオスカル中心に回っている。

バタバタと進んだ婚礼と、それに伴う祝宴。大勢の人達の間を縫い、祝いの盃と言葉をいただきながらも、どこかで夢を見ているようなフワフワと彷徨っている感覚が否めなかった。何百、何千のおめでとうとありがとう、そして乾杯を繰り返した。
しかし、あまりにも突然の段取りに二人は戸惑ったというのが事実だった。
だが、どれもこれも両親を筆頭に周囲の者達には入念に練り上げられた計画。徹底された使用人達の動きは、客人に対する失礼など勿論あるはずもなかった。日頃ジャルジェ家がホスト役となる催しでは、その中心で指揮官よろしくみんなを束ねているアンドレにしてみれば、感嘆は勿論あったものの、少々の焦りを感じたのも事実だった。いよいよ、自分のポジションを誰かに譲る日が来るのかもしれないと不安にも似た気持ちを抱いてしまった。

そんなアンドレの気持ちを知ってか知らずでか定かではないが、オスカルは当面は今の幸せに浸ることにしたようだ。
「夢を見ているようだ……」
オスカルは、アンドレの胸に頭を凭せ掛けながら呟いた。
「それは……。俺が言うべき立場だろう」
ある意味では、そうかもしれない。だが、自分の立場は確実に変わって行くのだ。事実として、ジャルジェ家の跡継ぎとして課せられた任務は、使用人を束ねて行く以上の力量を求められることもあるだろう。
強引に恋人から引き離され、次に会った時には求婚する事を許される立場にあったなど、どんな都合の良いおとぎ話だろうとアンドレは、妻の顔をじっと見つめた。
「本当に、だんな様の馬車の中で気がついた時には、生きている喜びより、これから処刑場に向かうんだという悔しさと情けなさでいっぱいだった」
「怖さは?」
「うん、それがその時には……。まだ……なかった」
「まだ?」
「そう。本当の怖さは……。何が書かれているのか分からない書類に署名を迫られた時、かな」
オスカルはアンドレの顔を見つめ、またも吹き出した。わざと下からアンドレの顔を覗き込み、
「本当に何も分からずに署名したのか?」
「ああ」アンドレはやや逆切れ気味に大きく頷く。「迫られてみろ、目の前で……。しかも、絶望のどん底」

オスカルは身を乗り出すと、テーブルの上の上質の紙をつまんだ。
「子供でもサインをする前に確かめるぞ、普通は……」
そう言い、呆れた表情をする。
「覗き見できるわけないだろう、あの状況で……」
言い訳するアンドレに、オスカルはひらひらと紙を揺らし、
「しかし改めて読むと父上の執念が窺えるなぁ」
しみじみと呟き、文字を目で追った後、箇条書きの中のひとつを声に出して読み上げる。
「……最低でも半年に1度は、一人で10日以上の連続した休暇を取る事……って。この『一人で』ってところがポイントだな」
「ああ」
憮然としたアンドレの声。その様子に満足したようにオスカルは訊く。
「これ……。おまえ、守れるのか?」
「無理だな」
即答する夫にオスカルは大いに満足する。
「一人でって事は、つまり、おまえ抜きでって事だろう? それだったら、俺は休みなく働けって言われる方が楽だ」
「今と変わらないな」
オスカルは肩を竦めた。そして、
「では秘策の薫陶だ」
胸まで張る。
「えっ……」

「休みを取れと言っているだけで、何も『一人でヴァカンスにどこかに出かけろ』などと書いてはいないからな。その時期に私も『一人で』休みを取るかもしれんしな」
ニヤリと笑う妻を抱きしめて、
「この策士が……。それだったら、毎月でも大丈夫だ」
大いに満足する。オスカルも同じように会心の表情を見せる。
「だが……」
次々に疑問は湧いて来る。
「義伯父上は最初からこの企てに乗り気だったと言ったよな」
「ああ、おまけにジャン=クリストフさまは国王陛下のご許可をいただく為にご尽力下さった」
「だったら……何もこんな手の込んだことをしなくても良かっただろうに……」
合点がいかぬと呟くオスカルに、
「……意趣返し……」
「えっ?」
「言っただろう? だんな様は本気でおまえと俺を嵌めたかったらしい」
オスカルは呆然とアンドレを見つめた。
「本気で?」
「……ああ……」
答えながらもアンドレの口元は吹き出す寸前。オスカルも腹を抱えながら、
「……結果、ばあやに怒られるだけだった、と……」
「う~ん。まぁ、だんな様はおばあちゃん対策については本当に何も秘策がないとおっしゃってたからなぁ」
そう言いポリポリと頭を掻くアンドレにオスカルはじっと見入る。

そんなオスカルの熱い視線をわざと無視して言う。
「落としどころが肝心なんだろうな」
「えっ?」
アンドレの言う意味が分からず、オスカルは聞き返した。
「何と言うか……。おばあちゃんも、結局、『大切なオスカルさまのお幸せ』という観点から見ると想い人と添い遂げさせてやりたいと思うのは当然だろう?」
「……そうだな……」
そこに関しては、全く何の疑問も生じない。アンドレは満足げに続けた。
「おまえが俺を選ぶと言ってくれている以上は、だんな様は勿論、おばあちゃんだって真正面から反対だけの為に反対し続けらえるもんじゃないからな」
他人事のように冷静に分析するアンドレに、オスカルは驚きの表情を見せた。
「奥様にしても、ボンドヴィール屋敷の皆様、お姉さま方にしても……。何となく、俺とおまえの揺るがない気持ちを察してくださっていた。……違うか?」
「たぶん……違わない」
「……となると、障害は……?」
「父上……が、もはや味方となると……ばあやだけ、というわけか」
そうそうとアンドレは微笑んだ。
「で、そのおばあちゃんも……」
「……私の……幸せ……?」
「願いは、たったひとつしかない。家柄だとか身分だとかを通り越してでも大切なお嬢様にお幸せになっていただきたい」

言葉は閉じ込められたが、乳母の心の内は、あの時、そこにいた誰もが読み違う事はなかった。オスカルはほーっと息を吐き出し、アンドレの胸に顔をうずめると少しの間黙っていたが、今の感情を表現する為の適切な言葉を見つける事はできなかった。
「心臓がドキドキ鳴ってる」
「当たり前だ」
アンドレの笑いが振動になってオスカルに伝わる。
「おまえは、そんなややこしい事を言う為にここに来たのか?」
天邪鬼さ加減は天下一品。オスカルは今の至福の感情をそんな風に言い換えてみせた。
アンレは黙ってオスカルの金のてっぺんに指を差し込むと何度も梳いた。オスカルはそのリズムに合わせるかのように目を閉じたまま歌うように言った。
「この条項にある『二人を取り巻くすべての人々の恩に報いること』って、簡単なようで難しいな」
「……そうだな。でも、俺達が幸せでいることが何よりの恩返しになると俺は信じている」
「まあ、それはそうなんだけど……。そう言えば! キッシュはどうした?」
「えっ……。ああ、唐突だなぁ」
アンドレはおかしそうに、取ってあるよと言い、明日の朝にでも食べよう、と笑った。
「薪割りの後に?」
「うっ……。そうだった」

オスカルは楽しそうに肩を揺らし、アンドレが運んで来た茶に手を伸ばす。
「そうそう。ジャン=クリストフさまの事で思い出した。実はジャン=クリストフさまは、唯一最初から正攻法を主張して下さったらしい。結果が分かり切っているのに無駄な労力を費やすのも、とおっしゃっていた……」
「それを言ってしまえば身も蓋もないが……」
オスカルは眉間に皺を寄せつつも面白そうに、
「さすが、おまえの“兄上”だ。意見は一致しているようだな」
アンドレは満足げに頷く妻にそっとくちづけすると、
「恐れ多いよ。ジャン=クリストフさまからも『おまえのような弟ができて嬉しい』なんて言っていただいたけれど……」
「それは良かった。あいつは従兄としても、上官としても尊敬できる。また明後日にはカレーに行ってしまうがな」
うんうんと頷く妻に、やや呆れながらそれより、と話題を変える。
「うん、何?」
「俺としては、すぐにおまえが乗り込んで来ると思っていたんだが……」
「まさか父上がおまえを連れて行っているとは、夢にも思わなかった。おまえだけがどこかに軟禁されたか……。あるいは最悪の事も一瞬頭をよぎった」
「……そうか……」
アンドレは身震いした。自分自身の生き死に関わる恐怖と言うより、愛しい人に辛い思いをさせてしまった恐ろしさだ。
「……それは……すまなかったな」
「まあ、おまえは私以上の恐ろしい体験をして来たのだからな……」
そう言い、またも紙をひらひらと揺らす。
「お相子って事か……」

アンドレはニッコリと微笑むと嬉しそうにオスカルの肩を抱き寄せた。オスカルは、その指先をじっと見つめる。
「しかし……。言うならば、私こそおまえがすぐに迎えに来ると信じて疑わなかったぞ」
「えっ……」
意外そうなアンドレの反応に、オスカルは憮然とした表情をする。
「じゃあ何か、おまえ……。あのまま、もしも本当に会えなくなってしまっていても諦めたかもしれなかったのか?」
「そうじゃなくて……」
喧嘩でも売りそうな勢いのオスカルの言いがかりに、アンドレはわざとのんびり答える。
「だんな様に対する怒りが沸点に達した状態でおまえの事だから……。そうだな、例えば奥様に直談判するなりして、俺の居場所を突き止めるとか……何か策を講じるだろうと……」
オスカルは、父上への怒りは最初から最高潮だったよ、と笑った。そして、
「ところがだな……」
オスカルはなぜか腕組みをする。
「母上も今回ばかりは一切お力添えを下さらなかった。逆に軟禁されていたんだ、私も。自分の家にいながら四六時中監視されている状況だったんだ。……考えてみると、そうだよな。私達の婚礼に関し、皆が尽力してくれているなどと、おっしゃりようがない」
アンドレは頷く。
「そうか……。案外、今回の件、一番の役者は奥様かもしれないな」

「ついでに言うとだな……」オスカルは言う。「私は、もっと恐ろしい事に気づいた」
「えっ?」
「私の思考は、おまえがいてこそ完成するらしい」
「……オスカル……」
「何をするにもおまえがさり気なく気を配って助言してくれているからこそ、私は考えをまとめることができるんだ」
「オスカル……」
オスカルのひと言ひと言がアンドレの心に響く。
「ある意味、精神安定剤だな」
オスカルは自己分析した。
「おまえがいてくれれば、それで良い……」
おそらく無意識に事実だけを言っているのであろうオスカルのその言葉が、どれだけアンドレの心を揺さぶっているのかなど、当の本人は全く気づいていない。

フッと綻ぶとアンドレは再びオスカルの頬にくちづけを落とす。そして、大袈裟にひとつ咳払いをすると、
「ところで……Ma femme (我が妻よ)」
「ん……?」
「明日薪割りも勿論重要なんだが……。これ、どうする?」
そう言うとオスカルの手から件の紙を取り上げ、今度はアンドレがオスカルに向かって見せると、その中の一文を指す。
「あ……」
すると、なぜかオスカルは真っ赤になる。
「俺としては早速……。今すぐにでも努力したいんだが……」
「……おまえは……」
尚も赤面したままのオスカルをギュッと抱きしめ、耳元で囁く。
「できるだけ早いうちに、丈夫な男の子が授かるよう日々精進する事!!」
言うが早いか、オスカルを抱き上げた。

≪fin≫

【あとがき・・・という名の言い訳】

ご訪問ありがとうございます。
唐突すぎるにもほどがあると自分を諫めている真っ最中のおれんぢぺこでございます。
思考回路は既に崩壊しております。
ほぼ毎日残業。体も脳味噌もクタクタのはずなのに、妄想スピードは加速するばかり(+_+)。 現実と妄想のアンバランスこそが今の私の精神安定剤になっていると言っても良いほど、心の中で(かなり堂々と)話を進めています。
残る3月(…て、残り日数の方が遥かに長いのですが)を、そして、来る4月を乗り切る体力を蓄える為にも……と思い、書き進めておりました。その結果、何やら凸凹したままではありますが拙作『ファーストステップ』の穴埋め、出来上がりました。……とは言うものの、実は書きたかったシーンを飛ばしてしまったような、これで完成で良かったような、というもやもやした状況のままで《fin》を置いてしまっております。いつの日にかしれっと追加するかもしれませんし、このままかも……。そんな中途半端感マックスの駄文ではございますが、お楽しみいただけましたな、これ以上の喜びはございません。

この時期の気候の不安定さは今年に限った事ではありませんが、皆様、どうぞお体大切にお過ごしください。今年は忙しくって無理かもと思いつつ、お花見計画だけは既に準備万端です。そんな希望を胸に!(笑)この繁忙期を乗り切りたいと思っております。
思い出していただけましたなら……。
またお時間のある時にお立ち寄りくださいませ。


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SS-34 ~ 果たし状への挑戦・番外編(ファースト・ステップ③) ~

2018年02月14日 00時17分07秒 | SS~果たし状への挑戦~


~ 果 た し 状 へ の 挑 戦  ・ 番 外 編 
( フ ァ ー ス ト ・ ス テ ッ プ ③ )~


義兄弟はまたも顔を見合わせる。
「条件……?」
アンドレは背筋を伸ばし、両者を見つめた。
「……はい。私の今後の立ち位置ですが……。このまま……。今までと変わらず一使用人として扱っていただきとう存じます」
そう言うと一旦深呼吸し、
「モーリスを私の従者にとの今回の旅への試しの同行、彼も及第点にほっとしているとは思いますが、あくまでも次期当主はオスカル、と屋敷内にご公言くださいますようお願い申し上げます。オスカルの従者は私。……そして、モーリスには屋敷内の私の業務の補佐役をしてもらえれば……。少しは私もオスカルと一緒の時間を過ごせるかと……」
義理の父2人は黙って聞いている。
「それと……。可能な限り、オスカルにはこのまま軍務を……」
言いかけているアンドレに対し、大きく頭を振る将軍。
「……おまえもつくづく苦労性よのぉ」
その言い分を否定することなく聞いていた。だがアンドレは、
「苦労性とは思いません。このような形で世に認めていただける状況をお与え下さった皆々様にはどのように感謝申し上げれば良いか分かりませんし、このご恩をどうやってお返しして行けば良いやら今は見当もつきませんが……私は……何もいりません。オスカルと一緒にいられる事だけが私の望みです」
きっぱりとそう言い切った。

「相分かった」
レニエは大きく頷く。その言葉にほっとしたアンドレは、さもついでのように訊く。
「あの……。オスカルは今回の事は……」
「ああ、何も知らせておらん。意趣返しだと申したであろう。気の毒だが……あいつにはもう少し落ち込んでおいてもらうぞ。薄情かもしれんが……」
そう言いニヤリと笑う表情がまたまた愛しい恋人と重なり、アンドレはその幻影を取り除く為に瞬きを繰り返した。
「ジャン=クリストフが王后陛下直筆のオスカルへのお言葉を賜っておるらしい。わざわざはるばるコンピエーニュを経由してヴェルサイユに戻る文と言うのもおかしな話ではあるが、これも内密に事を運んだ結果だから致し方ない」
将軍は大いに満足そうに頷いた。横で義兄も微笑み、
「こんなに息子の帰りが待ち遠しいのも久方振り」
そう言いながらぬるくなってしまった茶に口をつけた。
「お取替えいたします」
顔をしかめたコンピエーニュ屋敷の当主に気づきアンドレが立ち上がるが、今度は将軍んから制される
「アンドレ。さすがにそういった雑務はおまえがせずとも……」
言いながらも呼び鈴を鳴らす。
「はぁ……」
そういうところが居心地が悪いんだよなぁ、と口には出さずアンドレは曖昧に微笑む。
「ジャン=クリストフが持ち帰った文をいただいたら、明日にでも屋敷に帰ろう」
将軍はアンドレにわざとらしいウィンクなど寄越しながら、
「オスカルが鬼の形相で押しかけて来んうちに、な。義兄上もそのために長い休暇をこの機会に取ってくださっておるからのぉ。“親子”で、ぜひうちの娘の求婚に出向いてもらいたい」
またも微妙な笑いを浮かべたアンドレに、恐ろしいひと言を発した。
「さて! いよいよ、後はばあやの説得だ」

「……えっ……」
アンドレは絶句する。
「だ……だんな様。あの、先ほど伯爵がジャルジェの屋敷中を巻き込んでとおっしゃった時には、祖母の事は何も……」
のんびりと、侍女が淹れ直した茶を口に運ぼうとしていた伯爵が身を乗り出す。
「儂も初耳じゃぞ、レニエ殿。あのマロン・グラッセの名が全く上がって来んのを不思議に思ってはいたが……。どのように説得したのかぜひとも秘儀を伝授いただこうと……」
「何をおっしゃる、義兄上。ばあやの説得など不可能。難行苦行の極み。こればかりは既成事実を並べ立てるしかございませんでしょう」
将軍は笑った。
「何と言う……。紛うことないジャルジェの娘である我が妻シモーヌも、マロン・グラッセに対すると同様の説得術さえ会得すれば、どうにでも操れると踏んでおったが……」
そこまで落ち込むのかと訝しがるレニエをよそに伯爵はぶつぶつと言い続ける。

そんな義兄弟の掛け合いのような会話は右から左。アンドレは顔面蒼白になる。
だんな様も何と心強い味方になって下さるのかと、アンドレは喜んだはずだった。ジャルジェ家を統括しているさえ噂されている祖母を説得する事にまで成功した、レニエの手の内を見せてもらおうと、こっそりほくそ笑んでいたのに計算違いも甚だしい。
だが呆けてばかりもいられない。かろうじて、言葉を発する。
「あ、あの……だんな様……」
その何とも不安げな言い方でレニエは全てを悟る。
「アンドレ。残念だがなぁ、儂からばあやには何も話さないまま出て来た。……と言うか、だな……。今回の事にばあやは一切関与していない。純粋におまえは儂に同行しただけと思っておるはず……」
だんだんと歯切れ悪くなる将軍に対し、アンドレは屋敷に引き取られて間もない頃のようなどんぐり眼を向けた。

「さあ、ばあや……」
ジャルジェ伯爵夫人は、自らそっと椅子を引きマロン・グラッセを座らせた。
アンドレが当主の用件に同行しコンピエーニュに行ったと聞かされて既に3日。休暇期間だったことが幸いしオスカルの仕事に迷惑を掛けずにすんだと手離しで喜ぶ乳母に、夫人は複雑な表情を浮かべた。
「こんな時くらいしかだんな様のお役に立つことはございませんから……。本当に良うございました」
上機嫌だ。
「あのね……ばあや……」
「何でございましょう、ジョルジェット様。改まってお話とは……」
私室に招かれた時だけ、若い頃の呼び方に戻る。
「実は、だんな様は間もなく……オスカルに結婚話を持って帰って来ます」
単刀直入に夫人は切り出した。あれこれ勿体つけても一筋縄ではいかない相手であることは既に何十年も前から知っている。
「さ、さようでございますか……」

さすがにマロンの表情が曇った。孫息子がオスカルを愛している事はとうの昔に知っている。叶わぬ恋に苦しむ孫を見たくないと思っていた。かつてオスカルにジェローデルとの結婚話が持ち上がった時にも、アンドレの事をかわいそうにと思いはしたが、一方でこれでやっと孫息子も身の丈に合った恋へと方向転換するだろうと、心のどこかで安心したのも事実だった。ところが、自分の知らない所でオスカルの結婚話は立ち消えてしまっていた。
オスカルは昔と同じように軍務に精を出し、アンドレは以前にも増してオスカルのサポートに徹していた。それどころか自分達が関与しない所で、何か目に見えない新たな絆を築いたようだとマロンは安堵した。
二人の関係は、身分などという物を超越した、言葉では表現できない確固たるものだと信じていた。

それが今になって、とばあやは唇を噛んだ。
「それはおめでとうございます。今度こそオスカルさまには……」
心底から喜ぶことはできない。主家に対し罰当たりだと思いながらも、ばあやは言葉を切ってしまった。
「お相手は、どちらの……」
「ばあや!」
マロンの問いに言葉を被せ、ジョルジェットは言う。
「オスカルにはひと言も言っていません。言えば、あの子の事ですから何をしでかすか分からないでしょ?」
少女のように笑う。
事実、愛娘に内緒で進んでいる秘め事。夫人は、注意深くぶっきらぼうを装い、話の先を続けた。
「先ほど、先触れがありました。だんな様は今朝早くに婿殿を連れてあちらを出立したとの事。後1時間もすると着くでしょう。皆には……。あ、オスカル以外には知らせています。婚礼の準備に入ります。ばあや、よろしく頼みましたよ」
余りにも強引な決めつけた言い方に、ジョルジェットらしくないと首を傾げるマロンだが、勿論そんな言葉を直接口に出せるわけもない。
「同じ過ちは繰り返しません。だんな様のおっしゃることは当然です。あの子にはこの家を継ぐ義務があります」
そう言い切られ、マロンは一礼した。

夫人はまずは、とい言いばあやに用件を頼むと自分自身は、もう一人の当事者であるオスカルの部屋へと向かった。
侍女も従えずに自ら部屋へと来る母に驚きつつオスカルは苦笑いを浮かべる。
「……母上……。何用でございます? ご用件ならば私が参りましたものを……」
言いつつ、侍女の目を盗み寝室に持ち込んだトランクを慌てて隠そうとするが、
「そのような大きな物、隠せるわけがないでしょう」
その通りなのでオスカルは、立ち尽くす。
「アンドレを……探しに行きますか?」
「はい。勘当していただいてかまいません」
きっぱりと答える。大きなため息を吐き、止めはしませんと笑う母にオスカルは胸が痛んだ。
「でも……」
夫人は言う。
「もうすぐ、お父様がお戻りになります。せめて、ご挨拶だけは……。筋を通して……」
そんな風に諭されては否とは言えず、オスカルは分かりましたと答えた。
「ちょうど、ばあやにキッシュをおねだりしたところです。後からいただきましょう」
「キッシュを?」
オスカルは訊いた。
「そうです。私が頼みました。あなたも大好物ですからね。しかも、ばあやの焼いた物でなければ駄目なんですからね」
母は、ほーっと溜息を吐き、
「……アンドレにも食べさせたいわ」
オスカルにしてみれば、何もそれを言わなくても良かろうにと思う。
今の今、アンドレを探しに行く話をしたばかりではないか。恨めしいにも程がある、と母を正面から凝視すると、母はそなんな娘の内心などお構いなしにパンと扇子を鳴らし、言い放った。
「オスカル……。申し訳ないけれど、お支度をしてちょうだいね」

それを合図に、バタバタと数人の侍女が部屋に入って来た。
嫌でもアンドレが拉致された朝を思い出す。オスカルはさっと身構え、
「何をする?」
警戒するが、侍女達は答える事もなく、母が見守る中、オスカルが身に着けている衣類を
脱がせにかかった。
「な……! 何をする!? 母上っ!! なぜこのような……」
可能な限り手足をばたつかせるオスカルだが、敵はよほどの周到な準備の下ここにいるようで手際よく着替えさせられてしまう。
「母上、なぜ、このような事をなさいます?」
それでも何とか言葉で問おうとするオスカルの胸に苦悩の象徴であるコルセットが宛がわれ、次々に仕立てられて行く。

「まあ! 本当によく似合っているわ。もう少し濃い色をと思ったけれど……。あなたはきっと、どんなデザインのローブでも着こなすわ」
状況把握を忘れたかのように、本心から嬉しそうに微笑む母をオスカルは憮然として見つめる。
「これは……どういう仕打ちでございましょう?」
軽く結い上げた金の髪には真珠のティアラ。胸元に同じデザインの首飾りを着け、淡い水色のローブを纏ったオスカルは、母に真意を問いただした。
「……おめでとう、オスカル。あなたの婚約者が、たった今、到着しましたよ」
オスカルは発する言葉もなく、母を見つめる。睨んでいたかもしれない。何かを言わなければならない、だが何を言ったら良いのか分からない。目を閉じると大粒の涙が溢れた。助けてくれ、と言う言葉は飲み込まれ、
「……アンドレ……」
口を吐いた言葉は、ただそのひと言だった。

そして言うと同時に、寝室の扉、部屋の内扉、大扉と順番に開け、廊下に飛び出す。何度かローブの裾に足が絡みつんのめりそうになる。
ローブの裾を托し上げたと途端に、履物を身に着けていない自分の足が目に入った。
ふと気づく。ここ数日あんなにも自分を監視していた使用人が、今日は一人もいない。今日に限って、とオスカルは走り出そうとしていた足を止めた。
何かが……、おかしい。
上手く言葉で表現できないが、屋敷全体の異様さを察し、ローブの裾を握りしめていた手を下ろす。

大階段へそっと足を進める。母は、婚約者が到着したと言った、それにしては、なぜエントランスがこんなにも静かなのだろう。無意識のうちに五感に入って来る情報を取捨選している自分に嫌気が差す。
「……アンドレ、なぜ、帰って来ない?」
絶望の中、声に出るのは愛しい恋人の名ばかりだった。

「さあ、ここからは、まずじゃじゃや馬確保だ」
ジャルジェ家の馬車泊りまで帰り着くと、レニエはそう言い“息子”の背を押した。
全て、計画に乗っ取って順調に運んでいる。予めの打ち合わせ通りに、コンピエーニュを出立する際アンドレには、オスカルのローブと揃いのデザインのタクシードが着せられた。
「しかし、まず何よりプロポーズが先だろう。どうする、我が息子よ。断られたら……」
二人の義父は何が楽しいのか、車中でもずっとアンドレをからかった。

アンドレはもうすぐオスカルに会える嬉しさと同時に、焦りを感じていた。何せ祖母は何も知らないのだ。誰が、どのタイミングで事の真相を告げるのだろう。
数え出したら、不安材料は尽きない。アンドレにしてみればオスカルに会える喜びが胸いっぱいに広がっているが、オスカルはこの数日をどうやって過ごしたのだろう、と考えたら辛くなる。心配しているに違いない。
しかし、心配もさることながら、この事の顛末をどう捉えるだろう。父将軍に対し激高する事はまず間違いないだろう。あるいは義伯父に対しても容赦ない攻撃を仕掛けるかもしれない、と頭を抱えた。正面で笑いを噛み締めている貴人2人は、そこまで想定しているだろうか。
「何があっても、知らないぞ……」
オスカルの怒りは沸点に達するであろう。アンドレは勢いよく馬車の扉を開けた。

絶句する。互いが大階段の上と下で全く同じ仕草をした。
同時に互いの名を呼ぶ。
アンドレは、着いたらすぐに結婚式、とは言われていたものの、あまりにも美しい目の前のオスカルに見惚れ、一方、熱い眼差しを向けられた側のオスカルは、予想だにしていなかった人物の登場に呆然と我を失う。
「……アンドレ……」
「オスカル!」
勢いよく階段を駆け上がる。足元のローブの裾にイライラしながらオスカルは、それでも数歩を駆け寄り、アンドレの首根っこにしがみつく。

「アンドレ、アンドレ……」
わざと首を絞めているのではないだろうかと錯覚するほどに回した両手に尚の力を入れるオスカルに、
「く、苦しい……」
やっとの思いでアンドレは息を吐き出すが、
「どれだけ心配したか、分かっているのか、おまえは」
アンドレの苦しさなど意に介せず、とオスカルは更にギューギューとその腕に力を入れる。
いよいよ咽喉仏を押され、アンドレはオスカルの背中に回した手で苦しさを伝える為、トントンと叩く。ようやくハッとなったオスカルは、
「何があった?」
そっと腕を外し、耳元で吐息と共に呟いた。
「だんな様が……」

事の次第を聞かされオスカルは呆然としつつも、あのクソ親父が、と呟くことは忘れなかった。アンドレはやっぱりな、と笑ったがコホンとひとつ咳払いをして、急にその場に跪くと、いきなり言った。
「オスカル。……こんな形で言うのも変だけど……」
自然と顔がにやけてしまう。オスカルはオスカルでアンドレの言わんとすることは当然分かっているが恥ずかしさの方が先に来てしまい、
「何をカッコつけてるんだ」
茶々を淹れる。
「俺と……。結婚してください」
ストレートに言う。オスカルはちょっと目を見開きながらも、
「喜んで……」
さすがにそこは素直に頷いた。

その途端、階下から大歓声が上がる。ふと見下ろすと、父や母は勿論、義伯父、コンピエーニュの屋敷から駆けつけた伯母や従兄、果てはオスカルの姉達、開け放たれた玄関の向こうには衛兵隊の兵士達まで揃っている。このまま一同が屋敷内の礼拝堂に場を移す予定だとアンドレが説明した。
「公然でのプロポーズ。断ってみるのも面白かったかもな」
愉快気に笑うオスカルにアンドレは満面の笑みを浮かべ、頬にくちづけを落とした。

そして、その唇が離れると同時に、
「許されません!!」
天をも劈(つんざ)く雷鳴と間違えそうな声が響いた。
「ばあや……」
「おばあちゃん……」
オスカルとアンドレが同時にその声の主を見遣る。
「こんな馬鹿げたことを神様がお許しになるはずがございません。アンドレ、おまえも恥を知りなさい。皆様、茶番はおしまいでございます」
そう言い、階段に1歩足を掛けるマロン。だが、それよりも早くその横を走り抜けレニエが2階へと着いたかと思ったら、スローモーションのように背後からオスカルの首を左腕で巻き取った。いつの間に着替えたのか礼服姿の内ポケットから家宝の聖剣デュランダル擬きを取り出し、その切っ先をオスカルの喉元に押し当てた。
階下から一斉に上がる慄きの声が2階にも伝わった。
「あなた、何をなさるおつもり?」
ハッキリとしたジョルジェットの声。しかし、マロンとレニエの他に動こうとする者はいなかった。
「ここまでは誰もが想定していただろうが……。この先の事は何も考えが浮かばなかったからな……。許せ……」
誰にともなくレニエは詫びの言葉を言うと、やや息を切らしながら階段を上がって来たばあやに言う。
「ばあや……」

アンドレは声もなく呆然と義父となる人物と恋人を見つめている。オスカルも剣を向けられているにも関わらず微動だにせず、父の言葉の続きを待っている。
「この先は、誰の力も借りん、儂だけの目論見じゃ」
自らに言い聞かせると言う風に聞こえた。アンドレもオスカルも、父がこの先の事を悪いようには運ばないと信じることができた。
「……ばあや……」
レニエの声にマロンは立ち止まった。
「二人の結婚を認めてやってくれ」
剣をアンドレに向けたのであれば、ばあやは反対の狼煙(のろし)を下ろすことがないと分かり切っている。将軍はあえて、ばあやにとっても誰よりも大切なオスカルにその剣先を向ければ、乳母は慌てるであろうと踏んだ。
「なりません、だんな様。家名を汚します。これ以上の温情はなりません」
「もう養子縁組の正式な手続きもすんだ。結婚式が終わればアンドレは我が家の婿だ。認めよ!……さもなくば……。これが恥だと言うなら、まずはこの恥さらしの娘をここで切り捨てよう」

レニエにしてみれば一世一代の大芝居。しかし、
「おできにはなりませんでしょう、だんな様」
冷静なばあやのひと言は、その稚拙な計画以上に的を射ていた。
「えっ……」
「だんな様にオスカルさまをお切りになる事はおできになりません。その脅しは私には通用しません」
意外な反応ではあったが、真実であればこそ将軍は黙り込む。では、と気を取り直し、
「恐れ多くも国王陛下のご許可もいただいた今、ばあやの一存で取りやめるなどできるわけがなかろう」
言いつつも自然とオスカルを開放する形になる。オスカルは大急ぎでアンドレの胸の中に飛び込む。そうでもしなければ、今度は誰よりも恐ろしい敵である乳母に引き裂かれそうな気がした。

オスカルにチラリと視線を送り、
「だんな様……」
何とか説得しようとするレニエを前にマロン・グラッセは呼び掛けた。だが、続きの言葉は浮かばない。こんなにも温かい当主の思いやりにこれ以上の抵抗をすることが果たして正しい事だろうかと心のどこかで自問自答している自分を知っている。

そんな、言葉なく俯いてしまう乳母の揺れる心にいち早く気づいたのは夫人だった。
「……ばあや……」階段を上がりつつ声を掛ける。「もう宜しいでしょう」
「奥様……」
「たとえ神様でも愛する者同士を引き裂くことはできません。それはばあやも十分に分かっている事でしょう」
オスカルは、アンドレの腕の中では母を見つめた。
「オスカルはアンドレを、アンドレはオスカルを……それぞれが心の底から求め合っている。それだけで十分ではありませんか? 私達は二人の為にちょっとしたお膳立てをした。ただ、それだけです。お家大事と思ってくれるばあやの気持ちは本当に嬉しいわ。でも、この家を守りたいという気持ちがあるなら尚更、この二人の結婚を認めて下さいな。アンドレはその資質を十分に兼ね備えているのですもの」

「ばあや……」
オスカルも口を開いた。
「私はこんなにも大勢の人達の愛をいただいて、こうやって愛しい人と一緒になる準備をしてもらった。だが、ばあやが反対するなら……私は嫁ぐことなどできない。例え、世界中の人が祝ってくれても、一番祝福してほしいばあやが反対するなら、私は……」
言葉は途切れた。
「オスカル……」
アンドレにはオスカルの気持ちが痛いほど分かった。

「ばあや、認めてやってくれ」
将軍がさらに1歩を踏み出して、言う。
ジョルジェットが、オスカルが、アンドレがマロンを見つめた。
「皆様、本当にありがとうございます」
小さな体を更に小さく折りたたみ、ばあやが頭を下げた。
「……どうぞ、どうぞ。この不肖の孫息子を宜しくお願いいたします」
認めると言う言葉を使わない所が、いかにもばあやらしいと、オスカルは微笑んだ。
その満面の笑みを確かめた瞬間、
「アンドレ……」
ばあやはきりりとした表情に戻り、孫息子に向かって言った。
「何としても皆様のご温情を大切に、ご恩に報いるんだよ」
「勿論だよ、おばあちゃん」
即答する孫息子に、じゃあ早速、と頷く。
「明日の朝は、誰よりも先に起きて薪割りだよ!」
「えっ……」

屋敷中に大歓声がこだまする中、アンドレは絶句した。
「よし、私も手伝おう」
オスカルは、アンドレの首根っこにしがみついた。

≪fin≫

【あとがき・・・という名の言い訳】

ご訪問ありがとうございます。おれんぢぺこでございます。
高校生だった頃の私が鉛筆を握りしめ(シャーペンでなく、本当に鉛筆。余談ですが今でも鉛筆派です)大学ノートの片隅に書いた内容は、もっともっと単純な『アンドレは連れ去られるんだけど、実はそれは貴族になる修行の為だった。オスカルさまが、アンドレは殺されたと諦めた頃に白馬に乗った王子様登場』みたいなストーリーでした。
〇十年経っても大筋を覚えている自分の執着心に驚きつつ、不必要な枝葉も加えながら、何とか書き上げました。これこそ、まさに誰もが一度は描いたストーリーの断片だと自負しております。
世間からヴァレンタイン色が消えつつある昨今、拙ブログも今年はヴァレンタイン一辺倒ではない装いで仕上げてみましたが、お楽しみいただけましたなら幸甚に存じます。

今日、帰り路。綺麗に沈み行く夕陽を見ました。ここ最近の悪天候で太陽自体を久しぶりに拝んだような気もして、何の宗教心もないのに思わず太陽に向かって頭を下げておりました。
皆様のお住いの地域のお天気はいかがですか? 急激に暖かくなると雪国では今度は雪崩も懸念されますね。ご注意くださいませ。
大寒波も、これで一段落となるのでしょうか。春が待ち遠しいです。……でも、来月からは新年度に向けて、またまた忙しい毎日に追い立てられそうです。そうなると、妄想も『加速⇔暴走』のエンドレス状態に陥り……( ゚Д゚)ハァ 

インフルエンザもまだまだ終息には至っていない様子。一方で早くも花粉症の人には悩み多き時期になっているようです。
皆様、どうぞいっそうお身体大切にお過ごしください。
またお時間のある時にお立ち寄りくださいませ。



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SS-34 ~ 果たし状への挑戦・巻の四(あの日の風景) ~

2018年02月13日 00時02分45秒 | SS~果たし状への挑戦~

果 た し 状 へ の 挑 戦 ・ 巻 の 四~ あ の 日 の 風 景 ~


【挑戦④】

今回の果たし状はRitsu様からいただきました。この話は原作の中にも日付がはっきりと出て来ている
場面なので、できればビンゴな日にUPしたいなと、果たし状をいただいた段階で思っておりました。
以前、史実のF氏には(女性ではない)お友達っていたのかなぁなどと考えた事も
ありましたのでその答えをRitsu様から示していただいたような気がしております。
Ritsu様、本当にありがとうございました。


――1792年2月13日。

この日も風は冷たかった。時折強風で飛ばされて来る氷粒が頬に当たる痛さにさえ、生きている事実を感じさせられていた。
迷いなどないはずだった。だが、彼は最終的に誰かが背中を押してくれることを望んでいたのかもしれない。気持ちを落ち着かせるために一度大きく深呼吸すると、静かに大扉をノックした。
「……はい……」
疲れをにじませた老人がそっと小さく開けた扉からこちらの様子を伺う。長い黒髪の鬘を被った彼の姿を、すぐには認識できなかったようだが、わざと母国訛りのフランス語で呼びかけられた時に、老人はハッとした。
「……伯爵……。ご無事でいらっしゃいましたか……」
感涙でそれ以上の言葉が出ない老執事の肩をポンポンと叩く。
「あなたも元気そうで安心したよ、シモン・スティーヴ・ラ・モルガンさん」
もう、訛りは必要ない。長年使い慣れた流暢なフランス語に戻し老人のフルネームを口にし労うと、後は無言で入室の承諾を得ようと待った。

「モルガン……。何事だ?」
伯爵と執事の玄関先での声を落とした会話に、奥にいたはずの当主が顔を出した。そしてすぐに、執事の対話の相手が古くからの顔見知りであることを認識した。
だが。いやだからこそ、その驚きは隠すことが出来なかった。
「フェルゼン伯爵……」
絶句する当主に、
「お久しゅうございます、ジャルジェ将軍……」
年長者に対し丁寧に腰を折る姿は、昔と全く変わらない。
「何という命知らずな……!」
それ以上の言葉が出るはずもなかった。あなたの首には懸賞金がかかっているのだと言ったきり、将軍はフェルゼンの顔をまじまじと見つめたが、視線が合いそうになった途端に青い瞳を逸らした。
フェルゼンは、将軍が視線を外した意味を悟り、目を伏せた。彼もまた嫌でも思い出してしまう。同じように強い意志を持つ青い瞳をそこに見つけていた。

静寂の中、パンと暖炉の香木が爆ぜた。
執事が運んで来た茶は、凍てついた心を満たすに十分な温かさだった。美味しい、と無意識に口に出す。フェルゼンはわざとカップの取っ手を向こうに両手で茶器を包み込むと、
「……静かな夜ですね」
しみじみと呟いた。
このカップの持ち方。将軍が思い出さないはずがなかった。やや不貞腐れた時に、末娘がこんな風にカップを包み込んでいた。その横で幼馴染が困ったように微笑んでいた。
フェルゼンも何かを思い出している様子が将軍に伝わって来た。無言で茶に口をつける。かつて、この屋敷でこうやって茶をいただく時には必ず対面には、金の髪を泳がせた親友がいた。フェルゼンは目を伏せ心の中の友に語り掛けていた。彼女のすぐ後ろには腹心であり、親友であり従者……そして、恋人となった黒髪の寡黙な男が穏やかに微笑みながら二人を見つめていた。

使用人の多くを里に帰したと将軍は言った。妻を失い、こうやって昔から仕えてくれる執事とほんの数人の身の回りの世話をしてくれる者に囲まれ、静かに余生を送りたいと自嘲気味に微笑んだ。
そこにいる誰もが、かつてこの屋敷一帯が華やかに賑やいでいた頃を知っている。時間を経て、場所さえも変わってしまったのではないだろうかと錯覚してしまうほど静まり返ったそこに、一番会いたかった親友は、もういない。

しかし、この再会が導き出す互いの中で行き交う想い出に浸る時間は、将軍にもフェルゼンにもそう多くない事は、二人ともが十分に知っていた。
フェルゼンはカップを皿に戻すと、実は、と主題を切り出した。
「……チュイルリー宮へ? 殺されに行くようなものだ」
困惑の表情を隠さない将軍に、フェルゼンは言った。
「私が殺されたら……。あなたが後を継いでください」
俯いた顔を上げ、溢れる涙をぬぐう事もせず、正面の将軍をまっすぐに見据えた。
「私は昔、このフランスに生涯最高の友をひとり持っていました」
言わずにはいられなかった。その凛とした姿は心の奥底に間違いなく存在しているのだから。いくら思想の違いで別々の道を選んだとは言え、フェルゼンは親友の存在そのものをなかったことにすることなどできなかった。
「……不思議なものです。彼女は革命に生き、私はこうして最後の貴族王党派として生きている」
ハラハラと零れ落ちる涙を拭おうともしない。将軍にとっても勿論、袂を分かったとはいえ大切な娘であることを変える事などできなかった。
涙を止める術も知らない娘の親友の肩を、将軍は優しく抱いた。

「……オスカルはアンドレと共に葬られたと聞きました」
やや落ち着きを取り戻し、フェルゼンが言った。モルガンが新しい茶を差し出す。
将軍は静かに、深く頷いた。そして、
「たとえ裏切り者、反逆者と罵られようと……。私は……私は、娘にあの者を付けた事を悔いてはおりません。あのような生き方を強いた私がしてやれた唯一の贖罪だと……」
フェルゼンは、贖罪と言う将軍の言葉に、
「昔、オスカルにそんななりをして淋しくはないのかと聞いた事があります。しかし、きっぱりと否定しました」
将軍は嬉しそうに目を細めた。
「……そうですか。……いつだったか、このような道を与えてしまった私に感謝すると言ってくれたことがありました」

「オスカルは……。アンドレの支えがなければどうなっていたでしょう」
将軍はふと顔を上げ、
「妻は気づいていたようです。いつの頃からか娘の視線の先にあの者がいた、と……」
そっと茶に手を伸ばし、フェルゼが言った。
「……私のアンドレ……」
「え……?」
「パリで馬車が襲われた時、彼女が『私のアンドレがまだあの中にいる』と救けに行こうとしたのです。自分もあちこちに傷を負っていながら……。その言葉を聞いた時に、ジェローデルとの結婚はない、と……。いえ、オスカルはきっと誰とも結婚することはないと確信しました」
懐かしむようにやや俯き加減で言うフェルゼンに、
「楽にしてやりたかった。安全な巣の中に逃がしてやりたいと、そんな一心でした。結婚すれば、きっと幸せが待っていると確信していたのです」
今となってはどうでも良い事ですが、と将軍は笑った。

「生意気を承知で言わせていただくなら……。そのようなお気持ちは、親なら当然の事でしょう」
フェルゼンは一旦茶を口にすると、続けた。
「……でも彼女は広い世界を知ってしまった。自分で考え、行動するよう鍛えられた。籠の中の鳥にはなれない。無理矢理閉じ込めても、心の病気になったかもしれません。楽にはなれても幸せとは違ったのではないかと思います」
オスカルの、そしてアンドレの性格を知り尽くしているからこそ断言できる、その親友の言葉は、父の胸に響いた。
フェルゼンは大きく頷くと、
「あの二人は並んで立っているだけで一幅の絵のようでした」
「フェルゼン伯、本当にありがとう。あの子は……。いや、あの子達は本当に幸せだったと思います。あなたのような良き理解者に巡り合えて……。そして、今度はあなた自身がこんなにも強い信念の元、事をなそうとしている。方向は違ってもオスカルもアンドレもきっとあなたを見守っている事でしょう」
その言葉は、確信に満ちていた。
「ありがとうございます」
「できる事があればどんなことでもやりましょう。陛下のお役に立つためにフランスに残ったのです」
フェルゼンはふと将軍を見つめ、言った。
「……ひとつ……。お願いがございます……」
「……すまなかったね、ロザリー。本当に……。無理を言ってしまった」
「とんでもない事です。思いがけずお会いでき、嬉しゅうございます。だんな様の遣いの方が来られた時には、ちょっと驚きましたが……」
言いつつも周囲の雰囲気に気を配る。ロザリーは尾行がない事を確認すると、街道からの道辻を曲がる。細い畔から教会の裏手、墓地の方へとフェルゼンを導いた。
「将軍は、ここには……?」
ロザリーは静かに首を振り
「この場所さえご存知ありません。口では『謀反人の墓に参ろうなどとは思わん』なんておっしゃっていますが……。本当は、ここにおいでになったら、オスカルさまとアンドレの死を認めてしまうことになると……それを恐れてらっしゃるような気がします」
「ロザリー……」
「私は……。こんな形で皆様のお気持ちを繋ぐことができて……むしろ私の方こそ嬉しいです」
よくぞこんなにも強い娘に成長した、とフェルゼンは感心してロザリーを見つめた。だが、
「ロザリー」
ひとつ、どうしても確認しておかなければならない事があった。
「おまえは……私がおまえを利用しているとは思わないのか?」

驚いたように足を止め、
「思いません」
ロザリーは、躊躇なく答えた。
バスティーユ攻撃の指揮を執った、王室に反旗を翻したオスカル。
「私は、お二人のお墓にお参りしたいとおっしゃるフェルゼン様のお気持ちが、とてもよく分かります」
「そんなおまえを騙してその墓の場所を聞き出して……。挙句にえぐり出し、謀反人を晒しものにしようと……私が考えているとは思わないのか」
「……そうですね。もし本当にそうお思いなら、とっくの昔になさっていたでしょう。どんな手段を使ってでも、ここを探し出していたはずです」
ロザリーは再び足を進める。そして横に並ぶ伯爵に、それに、とロザリーは言葉を足した。
「フェルゼン様にとってオスカルさまやアンドレは、最終的に敵ではあったかもしれないけれど、決して憎むべき相手ではなかったと信じています」

「オスカルが……」
フェルゼンはロザリーを見つめた。その背後でオスカルが微笑んでいるように感じたのはきっと気のせいではない。
「オスカルがおまえのそばに、いつでもいるんだね」
「はい」
きっぱりとロザリーは答えた。
「オスカルさまもアンドレも……奥様もばあやさんも……多くの衛兵隊の皆さんも……。私のそばで私や夫、息子をいつも優しく見守り、導いてくれています」
「そうか……。ご子息にも会いたかったな。……いつか……。そうだな、もう少し大きくなって、長旅にも耐えられるようになったら、スウェーデンにも連れて来てほしいな」
「ええ、必ず」
ロザリーは言いながら、ひとつの小さな墓石の前でさり気なくフェルゼンに道を譲った。

それは本当に小さな墓だった。
しかし、その真上には覆いかぶさるように大きな常緑樹が立っていた。夏には木陰になり、冬には風雪を防ぐだろう。
フェルゼンは持って来た花をそっと手向けた。
「私達は夫婦になったのだから同じ所に……と、オスカルさまは最期におっしゃいました」
「……夫婦、か……」
その言葉に、羨ましそうに目を細めるフェルゼン。そんなフェルゼンの気持ちもロザリーにはよく分かった。フェルゼンにとって最愛の人とはこの世でもあの世でさえ結ばれることはないのだと、ロザリーは言葉を選び、
「アンドレは長い間オスカルさまに片想いしていました。愛しているとさえ言えず、忌々しい身分の差を呪っている、と。…… オスカルさまが他の人に惹かれて行くのを黙って見ていなければならない、と……」
あの日。金の髪を結い上げ、慣れないローブを着て自分の目の前に現れたオスカル。アンドレはそんなオスカルを、どんな気持ちで見送ったのだろう。

静かに跪くと、まるで背中を撫でるかのように、フェルゼンはそっと墓石を擦りながら語り掛けた。
「逃げなかったんだな、君は……。あの日の私のようには……」
ほんの微かに届く木漏れ日が、きらきらとそこだけを照らしていた。
「ただ、オスカルのそばにいたかっただけではないのだな。……親がいるうちはまだ良いだろう。でもオスカルが一人になった時、自分がいてやらなければ、と思っていたのだろうね」
ロザリーは黙って聞いていた。
「世界中を敵に回しても君だけはオスカルの味方をしたのだろう。降り注ぐ火の粉の盾になるつもりだったのだろうね。辛かったろう、アンドレ。恋をしている間……。あんなに近くにいただけに 一度語り明かしたかった」
静かに、静かにフェルゼンの言葉は凛と張りつめた空気の中に消えて行く。
「……君がオスカルのそばにいてくれて良かった。……ありがとう、アンドレ。オスカルの親友として心からそう思う」

フェルゼンは立ち上がった。
もう、迷う事はない。アンドレが後押ししてくれているような気がした。
たった今、その心にアンドレの声が響いた。

『フェルゼン様。アントワネット様のおそばにいてさし上げてください』

折しも聖ヴァランタンの祝日。フェルゼンは大きく深呼吸すると墓前に誓った。
「君がオスカルを守り通したように、私も我が愛する、妻と決めたたった一人の女性を守り抜くと誓うよ」

≪fin≫

【あとがき・・・という名の言い訳】

ご訪問ありがとうございます。おれんぢぺこでございます。
今回は、マーガレット・ロザリー編の記憶も新しい中で、部分的にリンクするようなお話をUPさせていただけました。実は最初にいただいた果たし状がこれでした。そして、先にも書きましたが、このお話は“当日”お披露目できれば、と思い、長いスパンで書き進めてきました。Ritsu様、素敵なお話を本当にありがとうございました。
皆様からいただきました果たし状への挑戦もこれにて終了でございます。改めておお礼申し上げます。ありがとうございました。拙作『ファースト・ステップ』も残り1回分。何とか≪fin≫を置ける目途が立ちました。おつき合いいただければ幸甚に存じます。

この冬は例年以上の寒さで、数年に1回しか積雪のない我が家近辺でさえ(わずか1~2センチでその日のうちに溶けてしまう程度ですが)2回も積もりました。雪国の方からはそんなの降った内に入らないとお叱りを受けるかもしれませんが、来年(というか今年の秋)にはスノータイヤかスタッドレスタイヤを準備しようと固く決心した次第です。
節分も過ぎたのに、この三連休も寒さで身を震わせながら終わりました。今夜から明朝に掛け、また雪だるまマークです。肩も背中もバチバチに張っています。暖房がこんなに効かない冬も珍しいです。幸い、質の悪いインフルエンザには罹らずにすみましたが、まだまだ油断禁物ですね。

皆様もどうぞお体に十分お気をつけて、過ごして下さい。
またお時間のある時にお立ち寄りくださいませ。


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SS-34 ~ 果たし状への挑戦・番外編(ファースト・ステップ②) ~

2018年02月06日 22時33分07秒 | SS~果たし状への挑戦~


~ 果 た し 状 へ の 挑 戦  ・ 番 外 編 
( フ ァ ー ス ト ・ ス テ ッ プ ② )~


優雅な手つきで茶を準備する母に多少の苛立ちを覚えながらも、反抗する術もなくオスカルは促されるままに腰を下ろした。
「……母上……」
「まあ、お待ちなさいオスカル。あとほんの数十秒待てるかどうかでお茶の美味しさも変わって来るのです」
そういうことを言っているのではない、とまさか母に対し大きな声を出すわけにもいかず、オスカルは黙った。

「この淹れ方は、何が何でもあなたに伝授しましょうね」  
言いながら、ことりと置かれた茶器からは甘い香りが漂った。
「取り分けて高級な茶葉を使う必要はないのです」
オスカルは取っ手を握ろうとしていた指先を止め、母を見入った。
今、母が言った事はかねてから恋人がよく言っている。
『さすがに出涸らしっていうわけにはいかないが、茶葉の値段なんてそんなにこだわる必要ないんだ』
アンドレは淹れた紅茶を手放しで褒めるオスカルの金髪を抱きしめて得意気に言った。
『要は気持ちと……待ちの姿勢、だな』

「昨夜は、よく眠れましたか?」
お茶用の小さな丸テーブルを挟んだソファに腰かけ、茶に口をつけた後、母は訊いた。小さく首を振るオスカルに、
「意地悪な事を尋ねましたね」
そう言い、もうひと口茶を啜る。とりつく島などない事はとっくに分かっていたので、同じ仕草を見せながら、オスカルは口を開く。
「父上は、いずこに?」
「お父様は……火急のご用件ができた為、コンピエーニュのお義姉さまの所に。数日ご滞在です」
「火急の?」

昨日の朝、強引に恋人と引き裂かれた。
その後、どう時間を過ごしたかさえ覚えていない。アンドレを奪取する策を練ろうとしたが、考えてみれば自分一人の知恵で何かを効したことなどなかった。いつもアンドレに助けられ守られているということにこんな状況で気づくとは、何とも肩腹痛い。
その上、軟禁状態だ。自室にいれば必ず数人の侍女が侍っている。大扉の外には男衆を常時待機させている。バルコンの下にさえ常駐させている徹底ぶりだ。
父は、いったい何を考えているのだろうとオスカルは首を傾げた。
食事は母と二人で取る。母は何もなかったかのように昔話などをオスカルに聞かせる。加えて、時間ごとにこうやって母の部屋で茶もてなされる。

口に運び掛けていたカップを皿に戻し、
「母上」
凛とした声でオスカルは切り出した。
「何でしょう、オスカル。私はあなたの部下ではないのですから、そんな恐ろしい声を出さないでちょうだい」
「父上がわざわざ伯母上の所に駆けつけるほどのご用件なのに、なぜ母上は私をここに軟禁なさってのんびりとしておいでなのですか」
「あら……」
娘にそっくりの瞳を見開き、
「私にはお仕事の事は分かりませんわ」
「では。ご用件は伯母上ではなく、義伯父上、と……?」
「ジャン=クリストフが正式に爵位を継ぐことになったとお手紙が届いていたから……。そのことに関するご用件ではないかしら……」
「しかし!」
オスカルにとっては従兄にあたるジャン=クリストフはド・ボンドヴィール伯爵家の唯一の男子。跡目を継ぐことは昨日今日決まった事ではあるまいに、とオスカルは食い下がる。
「分かりました。……いいえ、分かりはしませんが、父上はコンピエーニュにいらっしゃる。……では、アンドレはどこに? 母上はご存知なのでしょう?」

それまで、いかにも貴婦人然としていた母の手が止まった。
「あなたは……」
そう言い、オスカルをじっと見つめる。
「なぜアンドレを探しに行かないのですか?」
あまりにも意外な問いにオスカルは逆に問い返した。
「四六時中私を監視し、屋敷の中に監禁していながら、母上こそむごいおっしゃりよう」
「あら、そうかしら……。私はあなたを縛りつけてはいませんよ」
その言葉自体が、既に縛りつけている証拠だとオスカルは反芻したものの、オスカルは不安や心配とは違う今までに味わったことのない感情に支配されていた。


ほんの数日だが時間を遡っても、アンドレに湧き上がる感情は後悔の方が大きかった。
“厳重な処分”だと二人の伯爵が口を揃えた。その結果の、軟禁。頻回に客人が訪れ、その度に客間へと呼び寄せられる。愛想笑いの数分の会談を済ませると、またこの宛がわれた部屋に戻る。モーリスが常に従い監視している。
思えばここに来る途中に将軍から渡された書類こそが大きなヒントになっていたのだ。ド・ボンドヴィール伯爵家の領地と税率の一覧、そして翌日から順にやって来る地主の名と予定時間が詳細に記されていた。名ばかりの会談。初めから組み込まれていた日程。

欲がないとからかわれもした。何らかの処分が下ると思っていた数日前の自分にとって、今置かれているこの環境は、まさに信じがたいものだ。
寝台に体を投げ出すと、そばにいないのにオスカルの香りが鼻をくすぐる。
「オスカル……」
声に出すと、よけい辛く、会いたい気持ちばかりが募る。
「おまえは……どう思う?」
こんな俺を見下したりしないだろうか、と心で問い掛ける。

コンコンと鳴ると同時に扉が開けられた。
「良いか?」
相手は形として入室の許可を取ってはいるが、拒否できるはずもない。
急いで寝台から起き上がり、身嗜みを整える。将軍が、そして伯爵が揃って入って来た。
「モーリス。いかがかな、新しい主人は?」
白々しい問いを従者に投げると、モーリスは苦笑いを浮かべる。

「アンドレ。つい今しがた、ジャン=クリストフが夕刻には戻るとの遣いがあった」
伯爵の上機嫌な表情にアンドレはどう言ったら良いか分からない。
「まさに最短でございましたなぁ、義兄上」
カラカラと笑う将軍に、
「これも国王様大事と、ただひたすら忠実にお仕えして来た報い。ありがたいご配慮」
言いつつ、二人が申し合わせたかのように部屋の中央に位置するマホガニーのテーブルの椅子を引く。それも、4客の対面に腰を掛けるという念の入れようだ。
アンドレもモーリスも主の為に椅子を引く時間を与えられないまま、申し訳なさそうに微笑む。そんな使用人の無礼など意にも介さず老紳士2人は、これまた絶妙のタイミングで同じことを言う。
「座りたまえ……Mon fils(我が息子よ)」

「……だんな様……」
アンドレは、緊張の余り舌が口の中のどこかにくっついてしまったような錯覚に陥りながらジャルジェ将軍の椅子の向こう側に立ち声を掛ける。返事もなくギロリと睨む将軍に対し、それでもひるまずに、
「だんな様、私に対する処分の事でございますが……」
「またその話か? 聞き入れられん。おまえは署名した」
「しかし、だんな様!」
1歩踏み出すアンドレに、モーリスに茶を頼んでいた伯爵が口を挟む。
「アンドレ。いい加減諦めろ。『間違っていた』と言うなら、内容を確かめもせず署名をした自分自身の責任と思え」
あの絶望のどん底で内容の確認も何もあったもんじゃない、何より確かめさせもしなかったではないかと、許されるなら口にしたかったが、アンドレは押し黙る。

伯爵は続けて言う。
「騙されるおまえが悪い」
するとすかさず将軍が、
「義兄上、騙すとはあまり良い表現ではございませんぞ」
「何を! ジャルジェの屋敷中を巻き込んでそなたの猿芝居につき合わされた儂の身にもなってもらわねば……」
「何をおっしゃいますか、義兄上。そもそもこの一計をご案じ下さったのは義兄上ではございませんか」
もはや蚊帳の外に置かれてしまったアンドレは、宮中でもその名を馳せた将軍2人の顔を呆然と見つめる。ちょうど茶を載せたワゴンを引いて戻って来たモーリスも怪訝な表情の三者をぐるりと見渡す。

感情が高ぶっている様子こそないものの、堂々巡りになってしまった言い合いに半ば慣れつつあるアンドレは、モーリスに、後は自分がするから下がって良いよと声を掛け、茶を差し出すタイミングを待った。
「……しかし、レニエ殿。やはり少々強引すぎたのではなかろうか」
「何をおっしゃいますか、義兄上! 私の悔しさも多少はお分かりいただきませんと……」
そして、2人同時に息を吐き出す。
その沈黙を待っていたアンドレが、素知らぬ顔でそれぞれの前に茶を出す。
まるで向かい合わせた鏡のように茶を口に運ぶ仕草、タイミングまで一緒の義兄弟は、カップを皿に戻す。伯爵が息を吐き出し、言う。
「何とかならないかと泣きついてきたのは貴殿であったろう……」
何もそんな終わった話を蒸し返さなくても良かろうものを、とブツブツ言いながらレニエは、アンドレに着席を促す。
アンドレは、黙って腰かけた。

「アンドレ……」
「はい」
「確かに騙し討ちは悪かった。それに関しては謝る。この通りだ」
言いつつ、何の迷いもなく将軍は頭を垂れる。
「いえ、そんな! だんな様、とんでもない事でございます」
「だから、その『だんな様』は止めろ。おまえはもうこのド・ボンドヴィール伯爵家の息子。しかし残念ながら長子ではないから、おまえにこの家の家督を継ぐ権利はない。すぐにジャルジェ家に婿養子に出されてしまうがな……」
そう言うと、ニヤリと口角を上げる。
「ジャン=クリストフが直々に国王陛下からのご許可をいただきに行ってくれた。頼もしい兄を持ったのぉ、おまえも……」
頭を下げ謝ると言いつつも、根源では仕返しに成功したかのように手放しで喜ぶ。
「私は……」
アンドレは、一瞬の隙を逃さずに言った。
「このようなご配慮をいただき、本当に身に余る光栄と思っております。しかしながら、以前にも申しましたが、私の望みは必ずしもオスカルと結婚するという物ではございません。彼女のそばで彼女を精神的に支えて行くことこそが私の本望でございます」
伯爵は満足げにうんうんと頷くが、その正面で将軍が間髪入れずに言う。
「それでは困る」
先ほどまでの平穏な表情が、やや興奮気味に赤くなる。アンドレは俯いていた顔を上げた。
「可愛い我が娘に、正当な跡継ぎと名乗れない赤子を生ませるわけにはいかんっ!!」
アンドレは、呆然とレニエを見つめた。

「レニエ殿、血圧が上がる。そう興奮なさるな」
「義兄上も、そうお思いでしょう。いつの日にかオスカルが懐妊でもしたら、今のアンドレの立場では、生まれてきた子は後継として認められん。それどころか婚姻も出産も神の祝福をいただけないものとなってしまう!……だからこそ、このレニエ、二人の仲を……」
「まあ、義弟よ。落ち着きたまえ。そなたのその気持ちが分かればこそ、儂も一役買おうと……」
「義兄上には感謝申し上げます」
心から、という風に頭を下げるレニエに義兄は問う。
「しかし自分で計画しておきながら何だが……。やはり思えば思うほど、こんな乱暴なやり方でなくとも良かったと……」
「義兄上にはお分かりになりますまい。先にアンドレとの仲を聞いていれば、儂も何もジェローデルとの縁談を無理に進めたりしなかった。あれだけ盛大な舞踏会をした挙句に、フローリアンにはまことに申し訳ない事をしてしまった」
アンドレは、確かにジェローデルには結果として申し訳ない気持ちがないではないが、将軍の中でこんがらがってしまっている時系列による勘違いを正したいとも思った。しかし、この状況で説明しても仕方ないだろうと、やはり口を噤むことにした。
「それ以上に、儂も良い笑い者だった。あの口惜しさと言ったら……」
意趣返しとはなるほど、とアンドレも納得した。

「それだけではございませんぞ!」
レニエの義兄に対する言い分はますます熱を帯びて来た。
「こ、こいつは」
そう言い、自分の方を向かれるとさすがにアンドレもぎょっとする。
「手塩にかけて育て上げた愛しい我が娘をかっさらっていくのですぞ」
これはアンドレが初めて聞く、レニエの本音だった。
「このくらいの仕打ちは受けて当然でしょう」
またもカラカラと豪快に笑う。義兄はまた始まったと肩を竦めアンドレに目配せする。

二人の話を聞きながら、アンドレの中でひとつの決心が生まれていた。
「だんな様……」
「だんな様ではない」
「いえ、だんな様。……このお話、ありがたく頂戴いたします」
初めて口にした諾の言葉に義兄弟はほっとする。
「ただ……。身の程知らずとは承知の上で申し上げます。……厚かましい事とは十分に認識しておりますが……条件がございます……」

≪continuer≫



またもや大寒波到来。皆様、くれぐれもお気をつけてお過ごしくださいませ。
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SS-34 ~ 果たし状への挑戦・番外編(ファースト・ステップ①) ~

2018年01月29日 22時00分30秒 | SS~果たし状への挑戦~


~ 果 た し 状 へ の 挑 戦  ・ 番 外 編 
( フ ァ ー ス ト ・ ス テ ッ プ ① )~


果たし状への挑戦という位置づけもおかしいのですが、いただいた果たし状を拝読している途中、
突然、そう言えば私の『書く』という作業の始まりってどんなだったっけ? と思う瞬間がありました。
そんな自問のまま書き始めたら……ありゃりゃ(‘◇’)ゞ 案外覚えてるものなのねぇ~(笑)
……というわけで。単なる恥の上塗りにしかなりませんが、思い出しつつ、『今』書いたのですが、コンセプト自体は〇〇年前の物です。


 ―― ひと時の逢瀬。
なぜ、とオスカルはその背中にしがみついた。アンドレはそっと自分の腹の前で組まれたオスカルの指先を1本ずつ外しながら言った。
「あとで、また……。待ちに待った休暇だ。今日は、とりあえず休養に費やせ」
「……うん……」
オスカルは、背中からアンドレの肩に手をかけ、小さく頷く。
厚地のカーテン越しでさえ東の空がうっすらと白み始めたのが分かった。もうそれほどの時間はない。急がなければ、そろそろ使用人達がそれぞれの持ち場で自分の仕事を始める頃だ。
朝早い時間にアンドレがオスカルの部屋から出て来たりしたら、命にもかかわる事態の引き金になってしまう。
それでも、淋しさだけは一人で処理できず、オスカルは淡々と衣類を身に着けていくアンドレのクラヴァットを後ろから締め上げるかのように引っ張る。
グエッと妙な声を発しアンドレは立ち上がった。
「今夜、またここで愛を語り合えることを楽しみに……。今日も一日頑張れるよ」

始めから分かっていたはずだ。こうなる前から覚悟はできていた。一度お互いの温もりを知ってしまったら、別れがいっそう辛くなると知っていたはずだ。それなのに、夜を共に過ごす事を選んでしまった。そうせずにはいられなかった。
「……気をつけて……」
アンドレがこの部屋を出たら、二人は主従の関係に戻る。
「うん。もうひと休みしておけよ」
顔を見たら、見せたら、恋人としての時間を断ち切ることができなくなってしまいそうだったから。いつものように背を向けたままアンドレを送り出す。それは二人が最初に決めた約束事だった。

やがて、大扉を開くキーっという音が響いた。そして、アンドレは一度だけ振り返った後廊下に出ると、細心の注意を払いその大扉を閉める。
オスカルには、アンドレの一挙手一投足全てのタイミングが、まるでそばで見ているかのように伝わって来る。
どんなにアンドレが注意深く扉を閉めても、最後の締まり切ってしまう瞬間の無機質な音を聞きたくないばかりにオスカルは耳を塞ごうとした。

だが、その瞬間。
いつもとは明らかに違うガタンと鳴るけたたましい音に混ざって、苦しそうに自分を呼ぶ、断末魔とも言えるようなアンドレの声にオスカルは寝台から飛び降りた。
大急ぎで素裸に厚地のガウンだけを羽織り、寝室の扉を勢いよく開ける。

「……父上……」
開け放された廊下からの大扉、そして部屋の居間へと続く内扉を背に父が抜き身の剣を持ち、立っている。聖剣デュランダル(※)を模したと言われるその家宝をなぜ父が今握り締めているのか想像したくなかったが、アンドレの身に危険が迫った事だけは、はっきりとオスカルにも分かった。

先ほどの自分を呼ぶアンドレの声。
オスカルは、呆然と立ったままもう一度父上と呟いたが、次の瞬間、父将軍の目配せと同時に数人の侍女が部屋へと入って来た。
あっという間にオスカルを取り囲む。見知った顔ぶれの侍女達がまるで初めて会ったかのように会釈をすると無言の威圧と共に、その目の動きだけでオスカルを寝室へと促す。
「……父上……」
この場で力に任せた行動に出ようにも多勢に無勢。軍人であるオスカルに、その状況に勝ち目などない事を解く者の存在など必要なかった。
それでもオスカルは、これだけは、と縋った。
「ひとつだけお答えください。アンドレは、どこに?」

絶望に苛まれながらも、こんな時でも冷静に事実を分析しようとする自分の性が悲しかった。
父は、ちらりと部屋の外をしゃくり、
「……許しがたい裏切り。即刻成敗」
大きく見開いた青い瞳からは、悲しみと怒りがこみ上げる。不思議と涙は出て来なかった。泣いている猶予などないと思ったのかもしれない。制止する侍女を払いのけ、
「では! では、私も一緒に……。いいえ。どうぞ、私をその剣で今度こそ……」
父の元へと跪く。
「元よりなかったこの命。アンドレにこそ救われた命でございます。どうぞどうぞ、私をお切りください、父上」
「どいつもこいつも、裏切りおって……」
オスカルの懇願には目もくれず、父は捨て台詞を残し、部屋を出て行った。

大扉の締まる音。廊下を行き交う使用人達の声。
いつもと変わらぬ朝のようで、全くいつもとは違う騒がしさがオスカルの耳にも響いた。
「……オスカルさま、身を清めましょう」
オスカル付きの侍女の中でも、年季の入った者達が淡々と事を促す。
寝室の奥の部屋では、バスタブに湯が張られ、既に入浴の準備ができていた。
「……私を……どうするつもりだ? 私は穢れてなどいない」
中年に差し掛かった侍女数人などオスカルの手にかかれば赤子の手を捻るより簡単に片づけることができる、とふと思ったが、ガウン1枚の今の姿ではここを飛び出した所で行き先などない。

逆らわぬ方が得策だとオスカルは判断した。
機はいつでも訪れるはずだと、こんなにも冷静でいられる自分が滑稽ではあったが、オスカルは、先ほどの父が手にしていた剣が血塗られていなかったことを思い出し、深呼吸した。
父はまだアンドレに直接手を下してはいない。
それさえ分かれば、後は計画を練りさえすれば、物事はいつでも反転する。
そうは思いつつも、心の片隅でしかし、と不安になる。いったいどのくらいの時間が残されているのだろう。果たして、アンドレは今どこに監禁されているのだろう。救い出す手立てをひとりで導きだすことができるだろうかと不安に駆られた。



いきなり羽交い絞めにされ、鳩尾に拳を喰らったことまでは覚えている。
振動で催す強烈な吐き気に、アンドレは飛び起きた。
「気がついたか……」
のんびりとした、聞き慣れた声。
将軍の馬車の中にいた。進行方向窓際に腰かける主。その横に自分は腰かけた体勢で扉に頭を預け寝入っていた。ここに運ばれた記憶など全くない。
正面に帯同しているのは主の従者の中で一番若いモーリスだ。御者に、馬車を止めるようにと小窓から声を掛けている。

街道脇の大木の横に馬車が止まると同時にアンドレは扉を開け、飛び降りた。
数度の嘔吐を繰り返していると、背中に大きな掌の温かさが伝わって来た。
「乱暴な真似をしてしまった……」
胃のむかつきはまだあったが、既に吐く物もなくなってしまった。
「……いえ……」
条件反射のように主の言葉に答えたが、まだ命がある自分の今の状況が不思議だった。
もしかしたら、自分はもうこの世には存在しておらず、未練が見せている幻想かもしれないと思った瞬間、突如、今度は強烈な苛立ちが襲って来た。
この仕打ちは何だ。いっそ、ひと突きで殺されていた方が良かったと腹立たしかった。不貞を犯した使用人を真綿で首を絞めるかのようにいたぶるのか。
その上、自分をどこに連れて行こうとしているのだろう。打ち捨てる者を、なぜ主自らが連行するのだろう。

従者が差し出す水筒を受け取り、水で口を漱ぐ。その様子を眺めながら将軍は問う。
「その水に毒が入っていると疑う必要はないのか」
「……はい……」
立ち上がり、口元を乱暴に拳で拭う。
「これに毒を入れるくらいなら、もっと早くに私ごとき葬り去っておいででしょう」
「……なるほど」
将軍は頷くと、従者の名を呼ぶ。モーリスは、馬車の荷物入れから厚地の敷物を出し、木陰に敷いた。
「少し、休め」
「だんな様……」
全く予想できなかった将軍の言葉に、アンドレは戸惑う。しかし、これだけは確認せずにいられなかった。
「だんな様。オスカルは……」
「……裏切りは許されん」
つまり、それ以上何を聞いても答えは返って来ないということだ。
将軍は言い放つと、先に敷物に腰を下ろした。
そうなるとそこに突っ立っておくわけにもいかずアンドレがそのそばに寄ると、再び休むよう言われる。仕方なく少しの間隔を保って腰を下ろす。

「おまえは今からコンピエーニュの姉上の所に行く」
「えっ……」
コンピエーニュなら、休憩せずとも半日もあれば着く距離だ。ましてや雲ひとつない晴天。道中で難儀するとも思えない。のんびり休憩する必要がどこにあるのだろう。
アンドレの疑問を察したようで将軍は、
「おまえの、体を休めよと言っておるのだ」
ますます意味が分からない。
裏切り者を主自身が連行する。しかも行先は主にとっては親戚宅。
処分する使用人に対し、この好待遇はいったい何だろうと、押し黙ってしまった。
そんなアンドレにチラリと視線を送り、
「姉上もさぞやお喜びだろう。……いつ以来だ?」
将軍は何事もない会話を続ける。
「はあ……」
アンドレは何とか思い出し作業をして、
「前回お伺い致しましたのは……オスカルが衛兵隊に移った年だったでしょうか」
「そうか……それは良かった」
問うていながらアンドレの返事にはさほど関心なさげに頷き、将軍はごろりと身を敷物に投げ出した。
「……1週間……。いや、5日。何なら3日で良かろうかのぉ」
独り言のようだった。
自分に対する命の猶予だろうか、とアンドレは青空を見上げた。
「……オスカル……」
小声で呟く。
意識せずとも、当然の如く思考はそちらに行く。もう1度会いたかった。

このまま、自分がこの場から逃げ出すとは思わないのだろうか、とアンドレは無警戒に寝息を立て始めた将軍の顔を見つめた。その寝顔が不思議なくらい恋人と重なる。こんなにも似ているのか、と思わず笑みが零れた。
疑われていない事に対する傲慢。だが、それは同時に言いようのない感情をもたらした。
父を知らずに育った自分にとって、今、目の前で寛ぐ初老の人は父親のような存在だ。勿論そんなことは思ったとしても決して口に出すことはできない。だが、この世で最も大切な、愛する恋人にとっても勿論大事なはずのこの人とも、もう会えなくなるのだろうかと、唇を噛んだ。
自分に対し罰を与えようとしている人物に対し、なぜこんなにも穏やかな感情を持つ事ができるのだろうとアンドレは不思議なくらいに落ち着いていられた。

小一時間ほどの休憩の後、再び馬車は進む。小高い丘を越えると、目的の地はすぐそこだ。
御者が馬に鞭を充てる音が響く。
「少しは休めたか?」
「いえ……」
何を悠長なことを、というのが答えるアンドレの本音だ。愛する人と引き裂かれ、将軍自らが裏切り者の使用人を処分するという事態そのものが異様だ。
そんなアンドレの不信感を察知したかのように、将軍はモーリスに言葉を掛ける。あれを、と言う言葉ひとつでモーリスはかしこまりましたと言いつつ鞄から綴られた書類を差し出した。すると将軍はそれをそのまま隣に座らせたアンドレに渡し、
「気分が悪くないなら、目を通しておけ」
と言う。不承不承受け取ったアンドレは心ここにあらずと言う状態ながら、言いつけ通り頁を捲る。しかし、なぜ将軍が今こんな書類を自分に見せるのか皆目見当もつかず、形ばかりの作業も10ページほどで止めてしまった。
そんなアンドレの様子にチラリと視線を送り、将軍はニヤリと笑う。同時に馬車は、将軍にとっては姉の嫁ぎ先、オスカルにとって伯母に当たるド・ボンドヴィール伯爵家の車寄せに到着した。

モーリスが扉を開ける。アンドレは自分のすることがない事に気づき、先に降りると、優雅に腰を折り将軍の降車を待つ。
エントランスでは、年老いた伯爵夫妻が迎えてくれた。
「良く来てくれました、レニエ」
くちづけを受けながら弟を歓待する伯爵夫人ののんびりとした雰囲気は、いつ会っても変わらないと思いながら、アンドレはまた迷う。将軍が自分の従者を連れていている以上、自分の立ち位置はどう確保すれば良いのだろう。しかし、次には、自分の命が絶たれる場所になるであろう屋敷の、そびえたつ塔と、その下にある礼拝堂を思い出し、深呼吸した。

先になって歩く将軍と伯爵夫妻の会話は聞き取れない。しかし、頻回に出て来るオスカルという名に混ざって時折自分の名前も話題の中に上がって来ている事が分かった。
先導の執事が応接室の大扉を開ける。
将軍が、夫人が、順に入って行く。アンドレは鞄を抱えたモーリスよりやや後ろからついて行っていたが、当然、そこで足が止まった。自分はどこで待機すれば良いのだろう。迷っている間に扉が閉まり、何も指示されないまま、アンドレだけが廊下に残された。

数分の後、今度は数人の客人が招き入れられ、それと入れ替わりに茶を運んだ侍女が出て来る。
慌ただしく扉の開閉が繰り返された。そして、
「……お入りください」
妙に丁寧に執事から声を掛けられ、アンドレは躊躇いながらも室内へと足を踏み込む。
「こちらへ……」
将軍ではなく、将軍にとっては義兄に当たるド・ボンドヴィール伯爵が自分の横を差し座るよう促す。アンドレは不安になり、将軍に助けを求めるが反応なく、仕方なく伯爵の方へと進む。
「アンドレ、掛けなさい」
席の並びから言うなら、伯爵、将軍に次ぐ位置に座るよう言われ、はい分かりましたとすんなり座れるわけもない。夫人よりも上座を示しているのに、当の夫人はむしろ涼しい顔をしている。客人は下座、モーリスに至っては壁際に立ったままだ。尚も躊躇うアンドレの様子に、
「ですから、申し上げましたでしょう、義兄上。この者には欲などという物が全くございません」
将軍が言いながら茶器を手に取る。伯爵は、全く昔から変わらん、と豪快に笑う。釣られて笑いながら将軍は、
「アンドレ、許可する。そこに腰かけろ」
そうまで言われれば、今度は腰かけないわけにもいかない。
「……失礼致します……」
アンドレは、そっと腰を下ろした。

着座を確認すると伯爵が目配せし、客人が立ち上がる。そして、恭しく1枚の紙をアンドレの前に置く。上の方はインクの滲みを防ぐ為か薄い紙が被せられている。
「アンドレ、そこにサインをしろ」
何の説明もなく、将軍が言う。
「えっ?」
驚くアンドレに、
「おまえとの雇用契約は破棄する。そのための書類だ」
かい摘むという表現にさえならない、言いたい事だけを一方的に告げ、半ば強引にサインを促す。

アンドレは上部を隠すかのように置かれた薄紙の下に隠れた部分が気にならないと言えば嘘だったが、少なくとも自分を殺すつもりがない将軍の様子に安堵と新たな不安を抱きながらも言われるままに署名した。

≪continuer≫

※ デュランダル (Durandal):中世フランスの叙事詩『ローランの歌』に登場する、
英雄ローランが持つ聖剣。不滅という意味を持つと言われている。

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SS-34 ~ 果たし状への挑戦・巻の参(帰り道) ~

2018年01月18日 11時05分28秒 | SS~果たし状への挑戦~


~ 果 た し 状 へ の 挑 戦  ・ 巻 の 参( 帰 り 道 )~


【挑戦③】
nasan様からいただきました果たし状への挑戦です。
この話はいただいたメールが、少しの場面設定の他はまさに『会話』だったので、なかなか難儀致しました。
……と言いつつ、楽しいんですよね、苦しむ作業(M要素や、ましてセルフSの素質はないと思うんですが……)。
なぜこの言葉のやり取りがOAの間で成り立ったんだろうと想像を巡らしてみました。
nasan様、ありがとうございました。


車輪の揺れに身を任せ、斜向かいの位置で座る帰り路。
わざとらしく大きなため息をついたオスカルは、不機嫌に胸の前で組んでいた腕を解くと、そのまま右手をまっすぐに伸ばし、アンドレの左の頬を撫でた。 その金の髪を軽く左右に振りながら、
「……無茶をする……」
「ん……」
「私が、あんな連中に負けるとでも思っていたのか?」
「いや、そうは思ってないが……」
「おまえの方が危なかったんだぞ」
語気を強めながらも、駄々っ子に言い聞かせる母親のようだとオスカルは自分の言動を笑う。
「……分かっている」
憮然とした表情のアンドレに、本当に分かっているとは思えないな、と言いオスカルは更に諭す。

「いいか? もう2度と下町の事件処理にはついて来るな」
「でも。アランもいなかったし……」
アンドレは、目を軽く閉じ、オスカルの指の感触を感じていた。が、その愛しい指が離れて行くのを察し、慌ててその手で追いかけ握りしめる。
その動きを拒む必要などなく、オスカルは小さく呟いた。
「なぜ……?」
蒸し返してもどうしようもないと分かっていたが、言わずに済ませるわけにはいかないと思った。
「また、生死の境を彷徨ってみたいのか?」
言葉は乱暴だが、心の奥底の優しさはダイレクトにアンドレへと伝わった。
アンドレはたったひとつの瞳を大きく見開き、
「それはごめんだが……。他の連中ではおまえを守るには腕が心配だ。……まぁ、……と言っても、俺もこのザマだからしようがないけどな」
少年の頃のような天真爛漫な笑顔を恋人に向けた。

「こちら側は死角になるだろう」
アンドレの左側で手を上下に振りながら、オスカルは再度大きな息を吐き出した後、そう言った。
アンドレの隻眼についてオスカルが自分から触れる事はとても珍しい事で、アンドレはそれだけでも、オスカルが本気で自分の心配をしてくれていると分かり嬉しかった。
「分かっている、これからは気を配るよ」
軽く答えるアンドレに、またおまえは、とオスカルは言葉を吐き出す。
「大した傷じゃなかったから、そんな呑気に笑っていられるが……」
己が手を包みこむ愛する男の大きな手に、今度は左手を優しく触れさせる。そうすると、当たり前のようにアンドレが左掌で、オスカルの手を覆った。

「おまえも、無茶をしているだろう……。一緒だ、オスカル」
オスカルは、はっとした。
無茶をしている……? そんなつもりは、オスカルの中には全くない。それなのにアンドレの目から見れば無茶をしているように見えるのか、としばし動きを止めた。
「言いたくはないが、この際だから……」
意を決した、とアンドレは言葉を繋ぐ。
「だいたい、そんな事件処理にまでおまえがいちいち出ていくことはないんだ」
無茶をしているとは、そういうことかとオスカルは黙って耳を傾ける。
「隊員達からの報告だけで、何が足りない?」
「えっ……」
「昔ならいざ知らず、おまえに対する絶対的な信頼は揺るがない。……おまえは?」
アンドレの問いの意味が分からずオスカルは首を傾げる。

「みんなのことは信用できないか?」
「そんなことはない!」
即答するオスカルに安堵したように笑い、アンドレはよいしょと中腰になるとオスカルの隣に座った。そして、肩を抱き寄せると、
「本当は……」
さっきまでの神妙な表情とは明らかに何かが違う。
「留守番を言いつけられて、司令官室で書類整理をしながらひとりで待つのはちょっと淋しかったりもするんだなぁ」
そう言われると、オスカルの頬も緩む。
「一人でいると、また何かやらかしてはいないか、とか余計な心配もしてしまう」
「やらかす?」
ぎろりと睨むと冗談だよと微笑みが返って来た。そして、
「でも、本当に……」
アンドレは言った。笑うなよと前置きしつつ、
「俺はいつでも一緒にいたいってのが本音かな」
「……アンドレ……」
さらりと言ってしまう恋人にオスカルは、
「それとこれとは話が別だ」
何やら良いように言いくるめられそうな雰囲気にハッとなり、急いでそんな風に嬉しさを誤魔化した。

「だいたい、話の本筋がずれてしまっている」
「そうかなぁ」
のんびりと答えるアンドレのわざとらしさに、
「いつも無茶ばかりをする……。わ、私の愛しい恋人に対する訓告だ」
せいいっぱい平静を装いながらも、オスカルは顔が真っ赤になって行くのが自分でも分かった。
「もう2度と今日みたいな無茶な事をするな」
はいはいとアンドレは笑う。聞いていないことは明らかだ。オスカルは、再度鋭い視線を送る。
「もう瀕死の状態のおまえを抱えて帰るのは金輪際お断りだ」
アンドレはややばつが悪そうな顔をする。しかし、
「でも……・おまえが無茶をする限り、堂々巡りかな、事も会話も……」

オスカルはまた深く息を吐き出し、
「言わなければ分からないか?」
呆れたように、ぼそりと呟いたが、アンドレは即座に返す。
「言われても、たぶん分からない。おまえのそばにいることが俺の務めだ」
アンドレは呆然と自分を見つめる恋人の瞳をぐっと覗き込み、言う。
「おまえのそばじゃないと、生きていけない。……影だからな……」
それは自嘲でも何でもない。
「おまえと一緒にいる為だったら、どんなことでもする」
きっぱりと断言するアンドレの黒曜石の瞳が、オスカルを見つめる。

本当は、オスカルのすべてを抱きしめたかった 。もっともっと奥深い部分で繋がりたかった。だが、そんな邪(よこしま)な自分本位な感情より、守り続けたい気持ちの方が勝っていた。
オスカルは、肩を竦めて笑った。
「困った従者だ。……いっそ、どこかに閉じ込めてしまおうか」
「お望みどおりに。おまえが一緒ならどこへでも行くぞ」
世界中に宣言できる。
「愛しているのはおまえだけだ。……おまえを守るのは俺だけだ」
通い慣れた屋敷までの通りが、そんな魔法のひと言で、いつもと違った景色に見えた。

≪fin≫
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SS-34 ~ 果たし状への挑戦・巻の弐(傷痕②) ~

2017年12月17日 01時38分16秒 | SS~果たし状への挑戦~


~ 果 た し 状 へ の 挑 戦  ・ 巻 の 弐 ( 傷 痕 ② )~


一緒に出仕し一緒に屋敷に帰る。何事もなかったかのように過ぎていく日々。
ノエルも近い。帰りの馬車の中、休暇には何をしようと、オスカルは去年までと同じように無意識に口にした。
「暖かい所で……」
言いかけて、ハッとする。何やら誘っているような気がするのは考えすぎだろうか。慌てて窓の外を見遣るオスカルに、アンドレは優しく、
「連日の激務でおまえも疲れているだろう? 今年くらい領地でのんびりして来れば良い」
「えっ?」

オスカルは斜向かいに腰かけるアンドレを見つめる。
語る話題は尽きる事はないのに、あの日以来、何となく気まずい。ぎこちない距離。不自然に開けられた間隔。想いを通じ合わせて間もない為、それまでは何でもなかった、その空間さえ不安材料になってしまう。
最低限のスキンシップ。おはようとおやすみの抱きしめられないままのくちづけ。
しかし、そんな心の片隅で落ち着かない自分がいる事もオスカルは知っていた。

「……ゆっくりして来れば良いって……おまえは……?」
一緒に行かないのか、と声にせずに問う。俺は、とアンドレは笑った。
「俺は屋敷の中の仕事も山盛りで残ってるからな。休みってのは、まぁ……言ってみれば、おばあちゃん孝行かな」
「……アンドレ……」
その先を言い出せない自分を見つけた。

おまえに抱かれたい……。 その胸の中で眠りたい……。
己の全てをさらけ出し、おまえに任せたい……。

心の中で叫ぶ、もう一人の自分。
屋敷に戻れば、その気持ちは否が応にも強くなる。部屋の中のあらゆる物が自分に語りかけて来るような錯覚にさえ陥る。
全ての物がアンドレとの時間の共有を知っている。アンドレと一緒に座るソファが、一緒に見つめる蝋燭の灯りが、一緒に楽しむ本が、蘊蓄(うんちく)を語り合うヴァンが、グラスが……。全てが、その気の向くままに従えと言っているようだ。

鏡の中の自分を見つめ、ふと思う。
果たして、自分は本当に彼にふさわしい女なのだろうか、と。彼はいつの日にか受け入れてくれるだろうか、と迷っているのも事実だった。
想いを通じ合わせた恋人達が、どこかで越えなければならない一線だろう。おそらくアンドレが、いつの日にかオスカルをその胸に抱いて眠りたいと思っているだろうと、そんな想像も簡単にできた。
オスカルから言い出さなければ、アンドレがそれを強いて来る事はない事も、知っていた。
それでも、もう一人の自分、その思いにブレーキを掛ける自分がいる。

アンドレに抱かれるという事は、この背中の傷痕も見せるという事なのだ。
あれほどに悔やんでいる彼に、この傷を見せるという事は残酷なのではないか。そして何よりも、背中に太刀傷のある女を喜んで抱く男など、どこにいるだろう。

巡らせる思いにまとまりなどない。
侍女に促されるまま無意識に湯に浸かっても、そんな事ばかりを考えてしまう。

侍女は気づいていた。
以前は、一日の疲れを癒す為、そして汗を流す為だけに義務的に、何も纏わないまま湯に浸かっていたオスカルが、ここ最近浴着を使うようになった。それは、アンドレとの微妙な距離が以前よりも近くなったと使用人達の多くが認識するようになった頃から。
以前はおざなりだった、説明する香料の内容にもきちんと耳を傾けるようになった。単に疲れをいやす為だけでなく、気持ちに添ったバスソルトを自分から希望する事さえ見られるようになった。

今日、サラはラベンダーの茶を濃く煮出し直接湯船に入れておいた。
疲れを癒す目的は勿論だが、何よりもオスカルにふさわしいと思っていた。同じラベンダーを使って作ったポプリを寝室にも置いた。

「サラ……」
オスカルは侍女の名を呼ぶ。湯船に浸かっている間はなるべく一人にしておこうと、衝立の向こうに控えていた侍女が静かに近づく。
「今日のラベンダーはいつもより柔らかい気がするが……」
オスカルの、そんなひと言にサラは深く頷いた。
「今日のラベンダーは奥様がお育てになった物をいただいております」
「母上が?」
「はい」
言いつつ侍女は、幾枚か浮かんだポプリを掬い上げオスカルの手に載せる。
「夏の収穫には私もご一緒させていただきました。奥様は、『清潔』という花言葉を持つこの花は本当にオスカルさまにふさわしいとおっしゃって……。このラベンダーが少しでもオスカルさまの癒しになればとのお気持ちで、ひとつひとつ丁寧に摘んでいらっしゃいました」
「そうか……」
先日のアンドレの話と重なった。

『とりわけ、おまえの事を思って、その時その時のお気持ちに合わせて育てる花をお選びになる』

周囲の誰もが自分の為にとあれやこれやと気配りをしてくれている事に、今更ながら気づかされる。
そして、その比重を一番大きく占めているのがアンドレであることは、言わずもがなだ。
元より優しい人が、恋人同士になってからは尚更、オスカルを大きく包み込んでくれている。

オスカルはしばらくの間、黙ってラベンダーを掬っては落とし、という動作を繰り返していたが、
「少し、湯を足してくれるか?」
珍しくそんなことを頼むオスカルの頬は、既に真っ赤に火照っている。
かしこまりましたとサラが答えると、衝立の向こうで聞いていた格下の侍女が静々と準備する。

「……オスカルさま……」
顔色を伺いながらサラは声を掛ける。無言のまま自分の方を向くオスカルに、
「湯を足すのも良うございますが、そろそろお上がりになりませんと、湯あたりいたします」
「うん……。そうだね」
厚地のリネンを暖炉の前で温め終わった若い侍女が、そっと衝立越しにそれを差し出すのは冬場の習慣。直接オスカルのそばでその世話を焼くのはばあやと、数人のベテランの侍女と決まっている。極端に自分の裸を人前に晒すことを嫌がるオスカルに対し、そして自分の為だけにそこに人数を取らせてしまう事も憂う麗人に対し、いつの頃からか取り決められた配慮だった。
2~3人の若い侍女がいつでも要求に従えるよう衝立の向こうで待機している事もオスカルは知っていた。だが、オスカルが湯船を出ようとしない気配に何かを察したサラは若い侍女達を下がらせた。

「サラ……」
オスカルは、サラの見事な気配りに感心しながら、
「ご主人が亡くなった時、おまえはいくつだった?」
唐突な問いに一瞬面食らったが、侍女は少し思い出し作業をしてから、
「ちょうど……、今のオスカルさまの年。もう10年以上も経ちますわ」
「そうか……」

そう言ったきり、オスカルは黙った。そして、そっと湯船の中で立ち上がる。
サラは、背中からその浴衣を取ると、リネンで覆った。
オスカルは、そこを出る。リネンが肩から滑り落ちないようにしっかりと掴んだまま、ふんわりと柔らかい足拭きに乗り、正面の姿見に自分の全身を映す。
サラは、日頃全く自分の姿形に頓着しないオスカルのそんな様子に、目を細めた。
「ご主人を亡くした後、後悔する事はなかった?」
またしても、脈絡のない問い。
「そうですね」
サラは別のリネンでオスカルを拭こうとしていた手を止め、
「もっと沢山の愛しているを伝えておけばよかった、とか……。他愛のない事ですが、それは何かにつけ、思います」
「……そう……」

オスカルが上の空のような気がしてサラは、
「さあ、お召し物を……。風邪でも引いてしまったら私どもがばあやさんから大目玉です」
「大目玉? サラほどのベテランでも、まだ誰かに怒られる?」
「この屋敷で、ばあやさんに勝てる者はおりません」
「確かに……」
双方が真顔で言う。
「オスカルさまも、アンドレも……。使用人は勿論、だんな様もばあやさんには勝てませんでしょ?」
言いつつ、リネンを軽く引っ張る。

鏡に映る裸体。そのとたん、見えてしまった肩口の傷痕。
「あ……」
首をやや左に捻ったまま、オスカルの動きが止まった。
この傷を負った直後は武人にとって太刀傷のひとつやふたつあって当たり前、むしろ勲章だと言い放っていた。
その言葉も強がりや嘘ではなかった。あの頃は本当にそう思っていた。いつの日か、誰かを愛し、その人の胸で眠るなど想定していなかった。

オスカルは振り返ると、独り言ぽく、
「こんな傷痕を見たら……どう思われるだろうか」
躊躇いがちに言う。
「オスカルさま。……私ごときが、差し出がましい事ではございますが……」
サラはそう前置きしつつもきっぱりと、
「オスカさまの事を本当に大切に想って下さる方なら、その傷ごと慈しんで下さるはずです」
言いながらも、手はオスカルの体を優しく拭き上げ行く。そして、ついでのように言う。
「ラベンダーには、他にも花言葉がございます。ご存知ですか?」
「いや……」

「『あなたを待っています』」
「えっ?」
サラの言葉にオスカルはドキリとする。
「恋をした内気な少女ラベンダーは告白をしようとひたすら少年を待ち続け……。1輪の花になってしまったというお話が、この花の元と言う説がございます」
「そんな……」
悲しいことはないな、とオスカルは思った。

「花になってしまうほどに待つなど……私には無理だな」
オスカルの呟きを耳にしながら手際よく後始末を終えた侍女は一礼し、
「お茶の準備をして参ります。カモミールで宜しいですか」
オスカルは、ありがとうサラと微笑み、
「そのお茶、アンドレに運んで来るよう頼んでくれないか?」
そう言うと、そっとラベンダーのポプリを胸に抱いた。

≪fin≫

【あとがき・・・という名の言い訳】

ご訪問ありがとうございます。おれんぢぺこでございます。
果たし状・巻の弐、完了でございます。
先にも書きましたが、今回Ritsu様からこの果たし状をいただいた時に、昔書きかけで止めてしまっていた文章を思い出しました。構成等々Ritsu様のお気持ちから逸れてしまっているのでは?と、気にはなっておりますが、いかがでしょうか。
巻の壱でも思った事。元より書き手に『生みの苦しみ』を味わうほどの力量はございませんが、この果たし状への挑戦は、苦しいと言いつつ実はとても楽しい作業でもあり、書いては消し……または、消しては書き……。あーでもない、こーでもない、と大きな声で独り言をぶつぶつ繰り返しながら(家人から白い目で見られながら)ものすごく楽しんでおります。
Ritsu様、本当にありがとうございました。

またまた、寒波到来とのニュース。我が家近辺でも雪華が舞っております。
〇年ぶりに大寒波だとか言っておりますが、皆様、どうぞお気をつけてお過ごしください。
明日は、今年最後の宴会(^^♪
またお時間のある時にお立ち寄りくださいませ。


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SS-34 ~ 果たし状への挑戦・巻の弐(傷痕①) ~

2017年12月15日 10時57分48秒 | SS~果たし状への挑戦~


~ 果 た し 状 へ の 挑 戦  ・ 巻 の 弐 ( 傷 痕 ① )~
    

【挑戦②】
今回は、Ritsu様からいただいた果たし状へ挑んでおります。
実は、似たような構成の話をもうずいぶん前に書きかけたまま、蔵の底にしまっていました。理由は……。
この発想ってどうなんだろう、と私の中でちょっと不安が増したからです。
でも、Ritsu様が同じようなお気持ちを抱いておられた事が分かり、
自信を持つ事ができましたので、お知恵をお借りしてみました。


―― 得体の知れないもの。
鏡の中の自分に向かい合った時、オスカルは今までに感じた事のない感情に支配された自分を見つけた。
「湯あみは……」
脱ぎ捨てられた軍服をトルソーに掛けながら問いかける侍女の言葉を乱暴に遮る。
「後で良い」
この気持ちをどう表現したらよいかも分からない不器用な自分自身に苛立ちさえ覚えてしまう。呆然とする侍女に、
「ああ、すまない。ちょっと疲れているんだ。用事があったら、また呼ぶから……」
見え透いた嘘をつき、侍女を下がらせる。
義務だけでブラシを髪に当てると、そのままそれを鏡台に放り投げ、立ち上がった。

中庭に面したバルコンに出る。
ひんやりとした初冬の空気が、泡立つ心を静めて行く。所々に立つ常夜灯代わりの松明が、時折ふわりと揺れる他は風もなく、寒さはさほど感じなかった。
片隅の松明が照らす向こう、越冬用を目的としただけの小さな温室の中に、庭師がノエルの為にと準備を始めたというポインセチアの赤が見えた。寒くなる前に納屋に運ばなければ傷めてしまうと嘆いていた老使用人の為に、母が自分の趣味用に置いた温室を譲ったようだとアンドレから聞いた。

『母上は何を育ててらした?』
その方面にさほど興味のないオスカルがお義理程度に聞いたのはひと月ほど前だっただろうか。
『おまえなぁ……』
あの時、恋人が見せた呆れ顔は覚えている。肝心の答えは何だっただろう。

そんなことを思い返していると、部屋の入口の扉がコンコンと叩かれ、アンドレが入って来た。
「何かあったのか?」
言いつつもオスカルを室内に誘(いざな)おうとする。一方のオスカルはいきなりの問いかけに驚き、逆に動きを止めてしまい、その場に立ち尽くす。
「何かって……?」
アンドレの質問の意味が分からずに聞き返すと、
「サラが気にしていた」
つい先ほど下がらせた年上の侍女の名を出す。若干心当たりのあるオスカルは、
「……あ、いや……」
「降りて来てすぐに『オスカルさま、お疲れのご様子よ。湯あみも後でするって言われて、下がって良いっておっしゃって……』だって」
アンドレはそう言うとニヤリと意味ありげに口角を上げ、
「サラを急いで下がらせなきゃならないくらい、俺を待ってた?」
「そっ、そんな事、あるわけないだろうっ!!」

ほんの一瞬の沈黙の後、オスカルははっとした表情になる。
待っていたのは事実だ。待ちわびていたと言っても良いかもしれないと俯く。
その顔を見ただけで心臓が早鳴る。それなのに、口を突いて出て来るのは、からかうような幼い頃と変わらない天邪鬼な言葉。
「オスカル……」そっとアンドレが近づく。「こら、本気で拒絶されたのかと傷ついてしまうだろう? 顔を上げて……」
言いながら、既にその大きな右の掌はオスカルの頬を包んでいた。左の手はオスカルの腰に置かれているが力を込めてはいない。
オスカルは、両の手で自分の頬に当てられたアンドレの指先を外すと、そのまま頭頂部をアンドレの胸に押し当てた。

しばらく黙ってそうしていたが、
「アンドレ……」
言うと同時に顔を上げる。
「母上はあの温室で何を育てていらっしゃると言っていたかな?」
「えっ……」
今度はアンドレがあまりの驚きに言葉を失う。
甘い囁きなどどこかに吹っ飛び、気を取り直し、
「言ったからな! 俺は間違いなくおまえの耳に入れた」
そこまで力説する必要があるのかと疑いたくなるほどの勢いで、捲し立てた。言われている側のオスカルにしてみれば、何をそんなに怒っているのだろうと首を傾げてしまう。
「俺は……!」
「うん?」
「俺は本当に感動したんだ」
「何が?」
「大半のヴェルサイユに住まう貴族は、子育ては使用人に任せて、愛人や趣味や……。中には家に寄り着かないお方もいる中で、奥様は堅実にお暮らしだ」
「うん。それは知ってる」
事実として否定する要素は全くないが、オスカルにしてみれば母が温室で育てている物について尋ねたはずなのに、なぜ貴族社会の習わしの事をアンドレがこれほどに言うのか、さっぱり分からずきょとんとした顔になる。

「コリウス」
「えっ?」
「コリウスだよ、奥様がそこの温室に置いていらっしゃるのは。……花言葉がすごいぞ」
アンドレは幾分胸を反らそうとして、胸板に載ったオスカルの頭の重さでちょっとバランスを崩し手すりに背中を預ける形になる。危ないと小さく呟いた後、
「『善良な家風』『かなわぬ恋』『恋の望み』『絶望の恋』。そして1年中きれいな葉っぱをつけることから『健康』」
「そんなに?」
「ああ、色によって違ったりするらしいが、そこらへんは俺も聞き齧りだから、詳しい事は今度マルク爺さんに聞いておくよ」
庭師の名を出し、アンドレは金のてっぺんをポンポンと叩いた。
「奥様はお嬢様方……とりわけ、おまえの事を思って、その時その時のお気持ちに合わせて育てる花をお選びになる」
「……そうか……」
「この前、マルク爺がポインセチアの鉢を置かせていただくようになったっていう話をした時にも、この話、したよな、確か……」
アンドレは責めているわけではないが、と言いながら、今度は金髪をぐるりと囲った。

「もしかして……」
「うん?」
アンドレの不安げな声にオスカルは顔を上げようとするが、身動きが取れない。
「こうやって俺があれこれ喋り続けてると体を休める事が出来ないから、実はちょっと困っている、とか……?」
遠慮がちに、アンドレは訊いた。
「違う!」
思いもよらないアンドレの言葉に、オスカルはそれを即座に否定したが、その先を口にすることを躊躇った。

今までに感じた事のない感情。得体の知れないものに支配された自分。
心の奥底がざわざわと疼く。痛みとは違う、未だかつて感じた事のない苛立ちと切なさ。
いつの頃からかアンドレの顔を見ると、落ち着かない心の内側がある。
想いを通じ合わせて、こうやって優しい腕の中で安息の時間を過ごす。それだけで幸せであることに違いはないのに、何かが足りないと思っている自分を見つけてしまった。

おまえに抱かれたい……。 その胸の中で眠りたい……。

心の中で叫ぶもう一人の自分がいる。
冗談にしてしまっているが、アンドレがそれを求めている事も、勿論気づいている。
十分すぎるほどに与えられるやさしさ。決して無理強いをすることはない。オスカルの決心がつくまで待ち続けている、優しい恋人。

オスカルは無言のままアンドレの顔を見入った。その視線を感じ、にっこりと微笑むと、アンドレは軽くその唇をオスカルの唇に当て、
「明日も早いから、いい加減休まなきゃ……。サラに湯あみの準備を頼んでくるよ」
そう言うと、腰に回されたオスカルの腕をそっと外す。
「ん……」
ずっと。できれば朝まで一緒にいたいと思いながら、今の自分には恋人を引き留める事こそが罪になると諦める。

手を取り合ってバルコンから室内に入ろうとした時に、風で枝葉が揺れ始めた。
「明日くらいには……」
雪が舞うかもしれないとアンドレが口にした。
何かを気に掛けているオスカルを、これ以上傷つけまいとしているアンドレの様子が、オスカル自身にも良く分かった。

もう一度愛しい人の顔を覗き込もうとアンドレの方に視線を送った瞬間、入り込んで来た風が、ふわりとその黒髪を揺らした。
流された髪のせいで露になったアンドレの、永遠に開かない左の瞳。
オスカルは目を見開く。
一瞬で、オスカルの表情が変わった理由をアンドレは感じ取り、いっそう急いで髪を整えようとする。が、オスカルの震える指先が恋人の手首を掴む方が早かった。抵抗もせずアンドレは、オスカルの動きに従って顔面の手を下ろす。
オスカルはそっとその指先で、アンドレの瞼に今でもはっきりと残る傷に触れた。

オスカルは無言で、愛おしむようにその瞼を優しく撫でる。
アンドレは、少しの間、黙ってそうさせていたが、やがて、
「これは……」
そう言うと、恋人の手をギュッと握り、
「俺がヘマしてしまった後だ」
「違う! これは……! これは私の罪だ」
そう言うオスカルをアンドレは強く抱きしめた。
「オスカル……」
「……アンドレ……」
苦渋が含まれるアンドレの呼びかけにオスカルは戸惑う。
「そんなことはない。……そんなことはない。罪だなどと……。そう言うなら、むしろ……」
言いながらアンドレが大きな手の平で包んだ、オスカルの左の肩口。

オスカルは、はっとする。
先ほどの母の温室に関する話が蘇った。きっと、アンドレも同じような気持ちでずっと自分のそばにいてくれたに違いない、と。自分の叶わぬ恋を感じながらも、どうか愛する人が末永く健康でいられますように、と。
そう願っていながら、オスカルが背中に太刀傷を負った日の事を悔やみ続けるのだろう。
「アンドレ……」
オスカルは、声に出すことができなかった。

どれもこれも、私の無鉄砲さが招いてしまった傷なのに……。

その叫びは、アンドレの優しいくちづけで封じられた。
無言で息ができないほどに抱きしめた後、アンドレは、ひとつ大きく息を吸い、腕の力を抜いた。
「アンドレ……」
不安そうに自分を見上げるオスカルの瞳が、とても儚げに映る。
本当は本能に従い、抱きしめた腕を離さずにその勢いのままに、壊すほどの激しさをオスカルにぶつけたかった。
オスカルもそれを望んでいるような気がした。
だが、できなかった。もう二度とオスカルを傷つけるようなことがあってはならないとアンドレは自分を戒めた。
「オスカル……。サラに湯あみの準備を頼むよ。何も考えずにのんびり湯に浸かって、今日はもうおやすみ……」
そう言い残すと、そっと部屋を後にした。

≪continuer≫

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SS-34 ~ 果たし状への挑戦・巻の壱(KOI―GOKORO・・・おまけ/翌朝の事) ~

2017年11月28日 00時19分31秒 | SS~果たし状への挑戦~


 ~ 果 た し 状 へ の 挑 戦  ・ 巻 の 壱 
( K O I ― G  O K O R O ・・・お ま け/ 翌 朝 の 事 ) ~

「いて……」
寝返りを打った瞬間に腰に激痛が走った。
「うっ……。やばい……」
起き上がる時にはゆっくりゆっくり細心の注意を払うべし。何度か繰り返すうちに自分にとっての最適な角度も見つかるはずだ。立ち上がってしまうと、何とかなる事も経験済みだ。それは今回の負傷で得た知識だった。やっと治りかけた痛みがぶり返した程度のものだと解釈すれば、萎えそうな気持ちも立て直せる気がした。
もそもそと時間をかけて上体を起こし、寝台の縁にそっと腰かける。
「……馬鹿な事、してしまったよなぁ」
呟いてしまってから、その言葉に後悔する。
でも、何だかそうしたかったんだ、と自分自身に言い訳する。

階下からクロワッサンの甘いバターの香りが昇って来た。
予め伝えはしたものの、やはり逗留する当日の、しかも夕方になっての連絡に管理人夫婦も準備が大変だったに違いない。降りて行って朝食の準備の手伝いをしようと思い、アンドレは室内履きを履こうとして、気づく。
屈めない。
「これは……」
本格的に、悔いが巡る。だが、相変わらず表情は柔らかい。

自分が言ったとは言え、完治していない腰痛持ちが、なぜオスカルを抱いて帰って来たりしたのだろう。
かつて、パリの街からヴェルサイユの屋敷まで同じことをした時には、幾分酒が入ってはいたものの健康体だった。そして、何よりも若かった。
マティニョン通りのフェルゼン邸からジャルジェ家のパリの別宅に戻るだけの事だ。以前に比べればはるかに近い距離だから大丈夫だと高を括ってしまった。今回は腰を傷めた後だったのに……と、こめかみに痛みが走ったが、やはり出てくる言葉は同じだった。
「そうしたかったんだ……」
アンドレは自分の言葉に頷く。
「……あんな言葉を聞いてしまった後じゃ、な……」
センチメンタルなのかもしれないと自嘲する。

『アンドレ……。愛している……』

目覚めてしまえば、全て夢だったと思える。
いずれにせよ、“元凶”であるところのオスカルは、あの酔っ払い方だったのだから何も覚えていないだろう。
それならば尚更、早く厨房に降りて行って二日酔いに効くグレープフルーツを絞ってやろうと思う。ミルク粥もあった方が良いかもしれないと、あれこれ考える。

とりあえずは、履物に足先を突っ込む。そして、慎重に腰を折ると踵部分の革をそっと引っ張る。無意識に眉間に皺が寄る。
今日は隊に休暇届を出しておいて正解だった、と思った。やらなければならない事がいくつかある。

カフェの匂いも漂い始めた。知らないうちに鼻腔が広がる。
「ああ、そうだった……」
場合によってはオスカルが起き出さないうちに別宅を出てヴェルサイユに戻ろうかとも思っていたが、忘れないうちに昨日オスカルが飲んだというカフェ・オ・レの代金も支払いに行こうと、行程をひとつ足した。
きっとオスカルは思いもしないだろうな、とアンドレは、なぜだか嬉しかった。
見知った顔のオスカルが金も払わずにカフェ・オ・レを注文しても品物はちゃんと眼前に置かれる。その代金はアンドレがその場にいる時には勿論アンドレが払うが、オスカルひとりで行って、相手も当然オスカルにその対価を要求する事はなかっただろう。
貴族とは、そういうものだ。
カフェ・オ・レ1杯の支払いをわざわざツケにして為替を切る必要もない、とゆっくり立ち上がりやすい腰の位置を定めると同時に、アンドレの脳内は着々と正常モードに切り替わって行く。

再度、勢いをつけようとした時、厨房に降りて手伝ってくれとでも言わんばかりに扉が鳴った。
「……はい……。忙しいんだろう? 今、降りて行くよ」
未だ立ち上がれない態勢で扉の方に大きな声で答える。それさえも腰に響いて、むしろ笑えた。
昨夜帰って来て、管理人夫妻に手伝ってもらってオスカルを主寝室に運んだ。何とか軍服だけは脱がせたもののオスカルは熟睡したままだった
アンドレもそのまま隣の部屋の寝台に潜り込んだ。常ならば階下の使い慣れた部屋に行くのだが、とてももう一度階段を下りる勇気はなかった。腰に負担をかける余計な動きを避けたいというのが本音だったが、お仕着せだけ脱ぎ捨てると、シャツは前を開(はだ)けただけで脱ぐことさえ面倒くさかった。

扉の外にまだ人がいる気配を感じ、アンドレは呼び掛けた。
「ごめん、ジュリーかな? ちょっと手伝ってもらえないだろうか?」
身なりもきちんと整えなければならない。シャツの後ろを回してもらった方が着替えも早いと思い、そこにいるであろう管理人の妻の名を呼んだ。

立ち上がる為に、よっと声を掛け、寝台の縁を両逆手で掴んだ瞬間、ガチャリと開く扉の音がした。
「ジュリーではないが……」
遠慮がちに、オスカルが入って来た。
「えっ……」
アンドレは、固まってしまった。力を入れたはずの手が寝台の縁からするりと落ちる。だが、何とか平静を装い、
「あ……。びっくりした。……オスカル……。おはよう。ずいぶんと早起きじゃないか?」

『アンドレ……。愛している……』

昨夜の、オスカルの声が耳の奥に蘇った。
何事もなかった、と心の中で自分が自分に言い聞かせている。
「……おはよう……」
そっぽ向いて答えるオスカルに、慌ててシャツの前を手で閉じた。こんなに焦る必要はないのにと深呼吸をしたものの、はしたない格好を見せるわけにはいかない。ましてやオスカルは嫁ぐ日が近いはずだと、アンドレは自分に言い訳した。
そんなアンドレの様子に安堵とも悄然とも取れる表情で曖昧に微笑み、ひと呼吸置くとオスカルはアンドレの正面に立った。
「……何を、手伝えば良い?」
「あ、いや……。何でもない。……と言うか、おまえには、ちょっと……」

地獄に仏……と思い、逆だな、天の園で悪魔に遭遇した気分だと、アンドレは開襟を合わせる指先に一層の力を込めた。しかし、悪魔とは何だ、と訂正を加える事を忘れてはならないだろう。
「あの……先に降りておいてくれないかな? とびっきり美味いミルク粥を作ってやる。俺、身嗜みを整えるから……」
「ジュリーに何を手伝ってもらいたかったんだ?」
「いや……。だから……。大丈夫だから……」
距離が近すぎる。言いつつも、無意識に身を逸らす。だが、それが逆効果になってしまう。
「うっ……」
堪えきれずに声を出してしまった。

「腰か……?」
オスカルは、歪めたアンドレの顔を覗き込む。
「やっと治りかけていたのに……」
オスカルの紺碧に、悲し気に涙が溢れた。
「えっ? オスカル……」
アンドレは面食らう。オスカルは確かに心優しく感受性も豊かだが、相棒が再び腰を傷めたというだけの事で、こんなにも情緒不安定になるだろうか。
すると今度は、もしかすると、と新たな疑問が生じる。
まさか昨夜の泥酔状態で、アンドレに抱きかかえられて帰って来た事を覚えているとは思えない。

ましてや…………。
封印してしまおうと決めたことがアンドレの頭の中で次々に巡り、嫌でもズキンと響く。
何かを期待してみたくなるから、思ってもいない事を想像してしまうのだと、今度は少し冷静に分析できるまでに気持ちを落ち着かせることができた。

そんなアンドレを見つめ、オスカルは意外な言葉を呟く。
「……私のせいだな……」
「え……」
「私がまたおまえに無理をさせてしまった。いつもなら下の部屋を使うおまえがここにいると聞いたから、おかしいと思ったんだが……」
「あぁ、いや……。何か下まで降りるのが面倒くさかったんだ」
白々しいと自分でも思いながら嘘を吐くアンドレを嘲るかのように、
「いや。フェルゼンのせいだ。あいつがおまえを呼んだりするから、またおまえに無茶をさせてしまった」
言いつつ、オスカルはやっとアンドレの正面から離れた。発言そのものの意図する所は分からないままだが、アンドレはほっと息を吐く。至近距離で心配されたら逆に心拍数が上がってしまう。オスカルはそんなアンドレの内心など気づかない。

オスカルは、窓の方へと向かう。ちょうどアンドレの後方になる。
ブラウスの上から厚地のガウンを羽織っただけのオスカルからは、とても二日酔いの様子は見えない。
アンドレは、今、実際問題として立ち上がることが難儀である上に、心理的にも身動きする事が出来ず、寝台の端に腰かけたまま黙って視線だけでオスカルを追ったものの、振り返る事は出来ず、その姿はやがて視界から消えた。

オスカルはしばらく黙って外を眺めていたが、やがて静かに、
「『オスカル……星が綺麗だ。今夜はこのままおまえを抱いて歩くぞ』」
遠い昔、夢の中で聞いた言葉を言った。
「えっ……」
驚くアンドレに、更にオスカルは続けた。
「あの時は、何が何だか分からなかった……」
「あの時……?」
おうむ返しに呟くアンドレに対して頷く。だが、背中越しでは頷いただけでは分からないなと思い直し、オスカルはくるりと振り返る。そして、元の位置—―アンドレの正面に立つ。
「あの頃から、きっと……おまえは既に私を愛してくれていたんだな……」
あの頃、というのがいつの事なのかはすぐに分かったが、アンドレは答えることができなかった。いや、答えて良いかどうか迷った。
つい先日激しい形で愛を告白し、玉砕した。ましてや、今、目の前にいる女性は間もなく人妻になる。

『アンドレ……。愛している……』

何をどう言ったら良いか、と逡巡するアンドレの脳裏に、またしても寝言のようなオスカルの言葉が蘇った。
空耳だった気がする。それとも願望が生んだ幻聴だったのかもしれない。
ちょっと良い夢を見ることができた、と得をした気分だった。
結婚前には、特に女性は感情が定まらないと聞いた事がある。オスカルがそういった一般的な女性の部類に属するとは、冷静に考えてみると愉快だった。しかし、襲撃事件以降のオスカルの感情の揺れ幅も、昨日フェルゼンと飲み明かした事で落ち着くだろう。

隣家の背高の風見鶏の尾に反射した朝陽がちょうど窓から差し込んで、オスカルの金髪を照らす。
いつまでもここでこうしていても埒が明かないと思い直し、アンドレは改めて寝台の縁を掴んだ。
「オスカル……」
呼び掛けはしたものの、言うべき適切な言葉が見つからなかった。
結局、シャツを直さないままだ。オスカが窓辺に寄っている間に、見つからない角度でさり気なく交差させたまま裾だけを乱暴に突っ込んだ、ぐしゃぐしゃした胴回りが不安定だ。
仕方ない。まずは何よりここを離れようと黙ったまま平静を装って、思いっきり痛みを無視して立ち上がる。
足元に集中するあまり俯き加減だった顔を上げた途端、オスカルの瞳が自分を捉えている事に気づいた。アンドレは視線を合わせないまま取ってつけたように、
「先に……降りるよ」
そう言い、1歩を踏み出そうとした、その時、
「アンドレ……。おまえを愛している……」

「……え……」
あまりに突然の何の前振りもない告白にアンドレは頭が真っ白になった。
呆然と立ち尽くす。思考が停止してしまっている事だけは分かった。
「あの日……。おまえに抱きかかえられてヴェルサイユまで帰った時には気づかなかったけど……。いや、単なる友情だと思って自惚れていたけれど……。この前馬車を襲撃されて命の危険にさらされた時に、自分にとって何が大切なのか、何が失ってはいけない物なのか分かった気がした。それで、それを確かめたくてフェルゼンに話を聞いてもらおうと思ったんだが……。分かったんだ……」
アンドレは無言で聞いていた。
「おまえを愛している……」
「……オスカル……」
オスカルはトンと1歩前へと進む。
アンドレは、そっとその愛しい身体を包み込もうとほんの少し上体をオスカルの方に寄せようとして、唸り声を上げる。

「えっ……」
当然、抱擁してもらえるものと思っていたオスカルは不信感いっぱいの表情を浮かべるが、
「……そんなに……」
深呼吸しているアンドレの蒼白した表情に、目を見開き狼狽える。
「アンドレ……。何だって無茶ばかりするんだ」
自分の仕出かしたことは棚に上げて、非難する。アンドレは少しでも動いたら腰を抜かしかねない状況ながら抗議の声だけは忘れない。
「おまえが、あまりにも気持ちよさそうに寝てたから……」
抱いて帰る羽目に至ったオスカルの昨夜の状況を、愚痴る。
「だからと言って、何も腰の痛みを我慢してまで無茶をすることなかっただろう!」
ほんの数分前に愛を語った唇が、もう減らず口を叩く。

「そうしたかったんだ……」
「えっ……」
「おまえの安心しきった寝顔を見ていたら、俺がこの安らぎを永遠に守って行かねばと思った。そしたら、ものすごく頑張れそうな気がしたんだ。だから……」
テレもありやや不愛想に、
「何だか、抱いて歩きたい気分だった。こんなに腰に来るとは思わなかったが……」
言いつつ、ぎこちなく両腕を広げる。
オスカルは、そっとそっと体重を預けないように気をつけながら、その胸に顔をうずめ、呟いた。
「そうか……。見通しが良いとはこのことだな」
「え?」
「椅子……」
「椅子?」
「ああ。執務室の椅子……。こうなることが分かっていて、クッションを良い物に変えたんじゃないのか?」

オスカルが素直さに欠けるのは今に始まった事ではない、とアンドレは声を立てて笑う。そして、いてっと言いながら、更に笑う。
頭のてっぺんにその声が響き、オスカルはとても幸せな気分になる。なので、要所を押さえることにした。
「だが。おまえはしばらく休養だ。これじゃヴェルサイユに帰る事さえままならないだろう?」
「おまえもつき合ってくれるのか?」
「そうだなぁ……」
オスカルは、一瞬考える素振りを見せてから、言う。
「それは無理だな」
「えっ……」
「私は、今日、まだ、おまえからの愛の言葉を聞いていないからな……」
そう言うと、嬉しそうにアンドレの首根っこにしがみついた。
アンドレの絶叫が、屋敷中に響き渡った。

≪fin≫

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SS-34 ~ 果たし状への挑戦・巻の壱(KOI―GOKORO③) ~

2017年11月23日 23時03分19秒 | SS~果たし状への挑戦~


~ 果 た し 状 へ の 挑 戦 ・ 巻 の 壱 
( K O I ― G O K O R O ③ )~



上機嫌のフェルゼンが揺り椅子にもたれたままウトウトし始めた頃、コンコンと小さく扉が鳴った。
「……失礼します……」
老執事が遠慮がちに顔を覗かせる。
「お待たせ致しました、ハンスさま。ようやく従者殿をつかまえましたぞ」
スースーと寝息を立てるオスカルに遠慮をして小声で言う。
「時間がかかったな……」
「連帯本部からは引き上げた後でございました」
「屋敷に行ったのか?」
「いえ。お申しつけの通り、パリの別宅に向かう途中で……ちょうど留守部隊から戻る途中の従者殿に出会いました」
「驚いただろうな、アンドレも……」
「私の顔は覚えていてくれましたので、話は早かったのですが……」
説明の言葉を切る執事の様子に少々不安が過(よぎ)る。フェルゼンは首を傾げ、
「連れて来れなかったのか?」
「あ、いえ。『ご迷惑をおかけしております。さっそく迎えの馬車を向かわせます』と言い出しましたので、ハンス様からの伝言をそのまま、『貴殿に直接迎えに来てほしいと申している』と伝えました」
「それで?」
「はあ、それが……。何やら珍しくも歯切れ悪く『むしろ邪魔にしかならないので……』云々申されまして……」
三者の想いが複雑に絡まっていた事実を、この老人は知らないのだという事をフェルゼンは思い出し、大きく頷いた。
「アンドレらしい。……で。今、どこに?」
「はぁ。それが……」

立ち上がると、足元がぐらりと揺れる。
「じい」
フェルゼンはおかし気に笑った。
「何でございましょう、ハンスさま」
「地球が回っているというのは、どうやら本当らしいぞ。こんなにグルグルしている」
呆れる老人を横目で見ながらも、オスカルの眠りを妨げないよう居間をそっと出ると、逸(はや)る心を静めるように深呼吸をしつつ、覚束ない足取りで玄関エントランスへと向かった。

「何をしてるんだ、こんな寒い所で!?」
酔いも吹っ飛んでしまいそうな寒さが背中を通った。フェルゼン自身の登場に慌てて姿勢を正し、丁寧に頭を下げるアンドレの姿が映った。
「伯爵、この度は……」
先日、暴徒の中から救出してもらった礼を言おうとしたが、フェルゼンはそんなことはもう忘れたかのように、アンドレの言葉を遮った。
「アンドレ、どうして部屋の中に入らない?」
遠慮して、暖のないエントランスの片隅に、オスカルの外套を持って立っている。
「あ、いえ……」
使用人としては玄関の内側に入り込むことさえいかがなものかと迷ったとは言い出せない。

「じい。なぜ中に案内しない?」
わざと話を執事に向けると、
「あ、いえ……」
老執事より先にアンドレ自身が否定した。
「執事さんからは中で待つようにと再三言っていただきました」
「おまえが遠慮した、と……?」
「はい。何より……せっかくのお寛ぎのひと時にお邪魔してしまいましたので……」
先ほど執事が説明した歯切れの悪さとはこの事かとフェルゼンはクスリと笑った。
行き届いた—― 今となっては行き届き過ぎるとさえ感じる、アンドレのけじめがフェルゼンには腹立たしいほどだった。
かつてオスカルの想い人だったフェルゼン。そのフェルゼンと至福の時間を過ごしているであろうオスカルへの配慮。そして、知己との歓談の時間を楽しんでいるフェルゼンへの思いやり。
そんな様々を瞬時に図り、アンドレは二人だけの時間に割って入る事を避けたに違いない。

「アンドレ……」
とりあえずと言う風にエントランス右横の控室にアンドレを招き入れ、居間ほど暖かくはない部屋で、フェルゼンはつき従って入って来た執事に上着と茶を要求する。
扉が静かに閉まるのを見届けると、
「さあ、座ってくれ」
言いつつ、自分は首座に腰を下ろす。
「君は私の友人だからな。今更遠慮など許されないよ」
幾分酔いが回っているものの、フェルゼンの言う事に嘘偽りはなかった。そうなると着席しないのも却って礼を欠くことになると思い、アンドレは黙って座った。

程なく侍女がワゴンを押して入って来る。フェルゼンにガウンを着せ掛けようとするが、制される。自分でするよと言っている。茶器を置き終えると侍女はそそくさと下がって行った。
日頃茶を用意する側のアンドレは侍女に丁寧に礼を言ったものの、腰が浮くとはこういう状態だろうと思った。
アンドレに茶を促し、自分自身もそれに手をつけるとフェルゼンは、
「そう言えば、アンドレ……」
たった今思い出したとでも言いたそうな表情で、
「オスカルの求婚者殿は、今日もヴェルサイユの屋敷を訪ねたのだろうか?」
アンドレはカップの取っ手を握る指先に一瞬力を込め、
「間に合ったかどうかはわかりませんが……」
呼吸を整え、言葉を続けた。
「私が本部を出る前に、あちら様には一応今日は主は帰宅しない旨の言伝は送りました」
「……なぜ……?」
「は? なぜ……とは……」
戸惑いをそのまま口にするアンドレにフェルゼンは、
「ジェローデルが待つのは勝手。君が気を遣う事ではないだろう」
ああ、そういう意味かとアンドレは小さく頷く。しかし、それは違うと否定する。
「私はジャルジェ家の次期当主に仕える者です。主のお客人に対し無礼となるような事はできません」

きっぱりと言い切るアンドレからフェルゼンは視線を外さなかった。アンドレも不敬を承知でフェルゼンの瞳に見入った。
「顔つきが変わったね」
唐突にフェルゼンが言った。
「えっ?」
「今のおまえの表情は勝ちを得た男の顔だ。……そんな輩を久々に拝んだ気がするよ」
言いつつ、紅茶のカップを優雅に口に運ぶ。
どうも理解に苦しむとアンドレは思った。酔った上での屁理屈とは思えなかった。だが、言っている言葉の意味がしっくりと伝わって来ない、と戸惑った。

しかし、それよりもオスカルを迎えに来るようにと言っておきながら、肝心のオスカルはどこにいるのだろうと、アンドレは再度フェルゼンを見つめた。歓談の最中、わざわざ自分の相手をする為に抜け出して来たのかと思うと、嫉妬を通り越し、ややうんざりもして来る。

茶を飲み干すとフェルゼンは、アンドレの言いたいことを察したかのように立ち上がった。
「さあ、オスカルを連れて帰ってくれ」
そう言い、自ら先に立ちアンドレを居間に案内する。だが、入り口の前で一旦立ち止まり、小声で言う。
「ジャルジェ家の眠り姫は、大胆にもお休み中だ」
フェルゼンは、重厚な観音開きをそっと開ける。

オスカルはまだ態勢を変えずにテーブルに頬をつけたままスースーと寝息を立てていた。両手が行儀良く大腿部に載せられているのが不思議だった。かなり胸部を抑えつけた姿勢で苦しくはないのだろうかとアンドレは思った。だが、この場で顔を覗き込むことも憚られた。
寝息は尚も規則正しかった。よほど疲れていたのだろうと、アンドレはちょっと眼尻が下がるのを止めることができない。安心しきっている様子が分かる。
「何やら深刻な顔でカフェの片隅で冷めきったカフェ・オ・レボウルを眺めていたからね。つい飲みに誘ってしまった」
言い訳のように、この状況に至った経緯をフェルゼンは説明した。
「だが、結局肝心の話は聞かずに終わってしまったかな……。聞いたことになるのか……」
そう言い、思わせぶりにアンドレにウィンクを寄越す。
アンドレは何のことかさっぱり分からぬまま、ぞんざいに扱う事も出来ぬ相手の笑みを曖昧に受け取る。

このまま平穏な寝顔を見ていたいとアンドレは思った。
隊の事、求婚者の事、不穏なパリの事。そして罪を犯してしまったアンドレの事……。様々な心の枷をオスカルは今は忘れていると、その眠りが教えていた。
ためらいつつも小さな声で呼び掛ける。
「……オスカル……」
「……う……ん……。アンドレ……」
「さぁ、帰ろう、オスカル……」
眠りを妨げたくないと思いながらも、いい加減フェルゼン邸を辞さなければ失礼だろうと考えを変える。
オスカルが起きても構わないと判断したフェルゼンは、やや大きめの声で言う。
「馬車を準備させよう」
「恐れ入ります」
アンドレがフェルゼンに頭を下げた瞬間。

「アンドレ……」
また、オスカルが呟いた。アンドレは本格的にオスカルを起こしにかかる。
「いい加減にしろ、オスカル。帰るぞ」
「アンドレ……。愛している……」

「えっ……」

アンドレは硬直する。そして、慌てて言う。
「い、いい加減にしろ、オスカル! ほら、起きろ! 俺は酔っ払いの守はうんざりなんだ。起きろ起きろ!!」
先ほどまでのためらいが嘘のように、ガタガタとオスカルの肩を乱暴に揺する。涼し気に見つめていたフェルゼンが、それを急いで止める。当のオスカルは一旦上体を起こし、大きくひとつ欠伸をすると、またパタンとうっ伏した。
「こら、アンドレ。優しく起こせ」
「いえ、伯爵。申し訳ありません。本当にこの酔っ払いが……」
明らかに挙動不審になってしまったアンドレに反し、ヴェルサイユ屈指の遊び人は悠長に構えている。
「何もそんな慌てて引き揚げなくとも良かろう」
赤面しながらおたおたした様子のアンドレも見ものだと、フェルゼンは思った。
アンドレは、再度ユサユサとオスカルの肩を揺する。が、何やら力が入らない自分の指先を意識した。心のバクバクで、考えがまとまらない。

「何度目かな、今日……」
ぼそりとフェルゼンが呟いた。アンドレは動きを止め振り向く。
「えっ……」
今日は、どうもフェルゼンの言う言葉の意味が分からないことが続く。
「……『愛している』……」
「え……。あ、いや。あの、きっと……オスカルにとって私は……」
アンドレは、どう説明しようかと忙しく思考を巡らせた結果、
「私はオスカルから……家族……。そう。家族のように扱ってもらっておりますので……。だとすると、愛しているというのもある意味、当然の言葉で……」

フェルゼンは、そうだろうかと首を傾げ、
「オスカルはきっと……」
そう言うと、オスカルの肩からずれかけたブランケットを掛け直し、
「今日、私に一番言いたかったのはそれだったんだ。『聞いてほしい事がある』と言っていた。君への膨らむ想い。……どう処理したらよいか分からない……。何と命名したら良いか分からない、溢れる想い。……ここに来てからずっと君の事ばかりを言っていた」
「私の……?」
「ああ」
フェルゼンはニヤリと笑った。
「どうだ? 何なら向こうにおまえ達の寝室を準備しようか?」
この人は、とフェルゼンを見つめるアンドレの表情はあきれた物になっていたに違いない。
「腰が完治していない君にとってはしんどいかもしれんが……。何せ、執務室の椅子は腰痛にも優しいクッションだそうじゃないか」

まだ酔いが残っているのか素面なのか、カラカラと笑うフェルゼンに、
「伯爵……」
「ん?」
「せっかくご厚意をいただきましたが……。馬車は……いりません」
「えっ? 泊って行く気になったかい?」
意外そうなフェルゼンに、
「いえ。星が綺麗でしたので……」
アンドレは静かに言った。
「このまま、オスカルを抱いて歩きます」

≪fin≫

【あとがき・・・という名の言い訳】

ご訪問ありがとうございます。おれんぢぺこでございます。
果たし状・巻の壱、完了でございます。
nasan様からこの元になるメールをいただいた時にB‘zの『恋心(KOI=GOKORO)』という曲がポンッと頭に浮かんできました。それが、まずタイトルのヒントです。内容的にも、相談よね。相談と言ったら(なぜか)カフェよね……と妄想暴走族はエンジン全開。書き進めていくうちに確固たるラストシーンも出来上がりました。……ですが。想像以上に妄想が膨らんで(って、変な表現ですが。笑)予定より長くなってしまいました。
お楽しみいただけましたら、嬉しいです。
nasan様、本当にありがとうございました。

今、外では強い雨が降り始めました。今週末はまたまた寒くなるとの天気予報。どうぞ皆様、お身体、ご自愛ください。
またお時間のある時にお立ち寄りくださいませ。

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