
~ 「 愛 し て い る 」 と 言 え る 日 ま で …… ④ ( ア ン ド レ バ ー ジ ョ ン ) ~
いつの頃からだろう。
視線を感じて顔を上げると、ついっと顔を背けるオスカルの、金の髪が揺れる。その瞬間に、何ともたとえようのない甘い香りが漂う。ベルガモットだろう。この、くそ暑い毎日に一服の涼を与えてくれる。勿論、オスカルが色香を考えたりしないことは百も承知だ。
そんなことより、気になるのは視線の方だ。
明らかに俺の方を見ている。それなのに、俺がオスカルの方を見遣ると、慌てたようにそっぽを向く。
多分……。あれだな。この前、オスカルの戻りが遅いのを良いことに、司令官室で着替えたりしたから、本当は何らかの処分を言い渡したいんだろう。
本当は俺だって、雨に濡れて汗や埃の臭いが強調された兵士たちと一緒に、宿舎の更衣室で着替えるつもりだった。
だが、この後、おまえは、ダグー大佐やほかの将校たちと、明日以降の兵士たちの編成を討議しなきゃならない。そう分かっていれば、兵舎まで行き来する時間さえもったいない気がした。
だから、誰もいないことを幸いに、軍服を脱いだ。己の着替えを先に済ませるつもりだった。大急ぎで自分自身の身なりを整えて主をお迎えしたかった。結果、おまえの戻りの時間にかち合ってしまった。
とんだ失態だった。
勢いよく開いた扉。ぎょっとしたような、世界中の嫌悪感を集約した、おまえの顔。
「ぶ、無礼者――っ!!」
はい。無礼この上ない行為であることは、やらかした本人が一番よくわかってます……。
きっと、あれだ。
あの時……いや。あれ以降、おまえは、そして、俺もあまりにも忙しい日々を過ごしてしまった。
だから、おまえは俺を処分するタイミングを逃してしまった。
ここはひとつ。こちらから切り出した方が良いだろう。
俺は、ちょうどキリがついた書類の確認を求めるため、思い切って、重い腰を上げた。
「……オスカル……」
正面に直立不動。どうした、と言いながら書面に集中していたおまえが顔を上げた。そして、一瞬、驚いたような表情を見せる。
ひるんではいけない。
営倉入りだろうと、謹慎処分だろうと、俺は潔く受けよう。
願わくば、おまえの仕事に支障がないよう。それだけは言い添えることにしよう。
「何があった? アンドレ……」
意外そうに繰り返すおまえに、おれはにっこりと嘘くさい笑顔を向けた。
「今週の懲罰の対象兵士の一覧だ。確認して、署名を……」
「確認?」
怪訝そうな隊長殿の顔。俺は、ああ、ちゃんと確認してくれと言い足す。
いつも、この程度の、内輪でどうにでも書き換えられる書類に、いちいちオスカルが目を通すことは、ない。
元々、隊長が口を出す内容ではないのだ。
だが、衛兵隊に赴任してきて以降、書面での通達も何もなく、その場の将校の気まぐれで処分されていく雑兵たちの処遇に憤ったおまえが、将校たちにきちんと報告するようにと命じたのが、事の始まりだ。
それらは、俺の机の上に置かれる。俺は、週ごとにそれを整理し、大きな処分対象や疑義のあるものを口頭で告げる。何と言うか、面はゆいが……隊長の信頼を得ている俺のすることに間違いはないという理由で、処分の妥当性の確認は俺の仕事だ。
だから、重すぎる処分や、あまりにも甘すぎだろうという処分のほかは、オスカルはほぼ確認もしないまま、署名し、決済されている。
不思議なことに、こういうやり方をするようになってから、目に余るほどの不可解な処分がなくなったという事実もある。
そんな経過の上での、今日だ。
確認を求める俺を、オスカルが訝しく思うのも無理はない。
ぺらりと頁を捲ったおまえが、
「処分が決まっていない兵士も……」
言いかけ、正面から俺を見つめる。
「何だ、この処分対象の『アンドレ・グランディエ』とは……」
「この前、司令官室を私用で使った……。まだ、その時の処分を言い渡されていない」
「えっ……」
オスカルは、なぜか、かーっと赤面し、俯いてしまった。
「あ、あ、あ、あれは……」
しどろもどろに言い淀み、バンと机を叩くと立ち上がり、クルリと俺に背を向けた。その瞬間にも金髪が揺れ、ベルガモットが俺の鼻腔をくすぐった。
窓辺に寄り、じっと外を見つめ黙り込んでしまった隊長に、俺は言葉をかけて良いかどうかさえ分からず、直立不動を崩せない。
自分から、処分を申し出た俺を、どう思ったのだろう。
おまえはじっとしたまま、窓の外を見つめている。訓練終わりの兵士たちのおしゃべりがだんだんと近づいてくる。
いい加減、何か沙汰を下してもらわなきゃ、この後の予定にも影響してしまう。
そう考えてしまうほど長い沈黙の後、おまえは、無言のまま椅子に座り直すと、ペンを取り、さらさらと何かを書いた。そして、何やら用紙を書き足し、被せるようにして一緒に整えると、
「おまえへの処分も書き加えた。ダグー大佐に回しておいてくれ。最終決裁だ」
そう言い放つ。俺の弁明は受けつけないとでも言うように、後は、残りの書類に目を落とした。
俺は受け取った用紙を大佐の部屋に届けるために、司令官室を辞す。扉を閉める瞬間に、ちらりとおまえを振り返ってみたが、芳香を漂わせた髪が、その表情を隠していた。だが、ほんの一瞬、ほーっと息を吐く様子が見えた。
まさか、職を解かれるほどの重い処分の対象になるとは考えにくいが、もしかしたら、数日はこの部屋にも寄りつけないかもしれない。そうだとすると、色々な段取りも考えておきたい。その時間を与えてもらえるだろうか。その思いだけが何度も巡る。
処分を言い渡される兵士たちは、上官からの言葉を直接その耳で聞く。
俺は、他の兵士たちと違い、隊編成には属していない。司令官であるオスカル直属の従卒だ。だとすると、俺への処分は本来オスカルがその口で伝えても何の不思議もない。しかし、オスカルは言おうとしなかった。それをダグー大佐の口から聞くことになるのだろう。
もしかしたら、この書類を自分で確認しても、俺は、咎められないかもしれない。
そんな邪な考えから、ちょっと書類を持つ指先が緩む。その瞬間、メモくらいの紙片が零れ落ちた。
先ほど、オスカルが足した用紙だ。俺は、それを摘まみ上げて、ぎょっとした。
『私は、ひとりでは何もできない』
「……オスカル……」
そして、一覧表の俺の名前の欄には『処分なし』とあった。
俺がそれを見てほっこりしている頃、オスカルが司令官室で「あーっ! もっと上手な言い方があっただろう」と赤面しながら叫んでいることなど、勿論、この時の俺は知らなかった。まだ……。
《 fin 》
【あとがき・・・と言う名の言い訳】
上記のオスカルさまの叫びは、今のワタクシの心の代弁でございます。
本当に、お誕生日だというのに、お誕生日要素も色気もなぁんにもありません(m´・ω・`)m ゴメン…
でも、それはさておき、
B o n a n n i v e r s a i r e !! A n d r é
三が日の話を書いている頃から、この話の心理状態って、絶対OA両バージョン成立するよなぁ、と思ってはいたのですが、さすがに間に合いませんでした。なので、その時から既に今年のA君バースデイSSのネタは決まっていたのです。が!! 書き始めたら……(いつものことですが 笑)最初と違う方向に行ってしまいました(‘◇’)ゞ
おつき合い、ありがとうございました。
メッセージをくださっている皆様に直接お返事もできないままで申し訳ありません。
Mさま・・・お褒めのお言葉、ありがたく頂戴いたします。
Gさま・・・浸ってくださった余韻の続きと言うにはあまりにもお粗末な話ですが、楽しんでいただけたなら、嬉しいです。
お名前のなかった方・・・迷惑なんてとんでもない。心温まるメッセージありがとうございました。
Hさま・・・いつもいつも温かいコメントありがとうございます。私の方こそ励まされております。ご無理なさいませんように。
暑い上に、ゲリラ雷雨に襲われたり、定まらない気候です。皆さま、どうぞご自愛ください。
またお時間のある時にお立ち寄りくださいませ。
