
~ ト ッ プ ☆ シ ー ク レ ッ ト ・・・ !?
( 真夏のC a l e n d r i e r d e l' A v e n t2019 ) ~
( 真夏のC a l e n d r i e r d e l' A v e n t2019 ) ~
むき出しのスマートフォンの画面を見つめ、アンドレが大きな溜め息をついた。その、一瞬浮かんだ表情を見逃さず、
「だから、手帳型のケースにしろと言っただろう? もしくは、裏返しにしておくんだな」
何の説明も受けていないのに、オスカルは茶を啜りながら、平坦な口調でそう言った。
「ああ、そうしたいのはやまやまだ。おまえが困らなければ、な。この業務用のスマホに私的な用事で連絡してくる人なんかいないだろうし……」
そして、ちきしょう、またやられた、と、乱暴な言葉を投げた。
アンドレは、勤務中は私物のスマホの電源を絶対に入れない。それはマナーや常識と言ってしまえばそれまでだが、アンドレにはそんな社会通念など関係ない。実は、今以上に煩わしいことに巻き込まれたくないという深層心理が働いての事だと、周囲の者達は察知している。
その代わり、一日が終わって帰宅準備をする頃、仕事用の通信機器は完全にシャットダウンされ、この執務室に置き去りにされる。
私的なスマホの番号を知らせている仕事仲間は限られている。仕事の用件が私的なスマホに入って来るのは、よっぽどの時だ。まさか、明日の展示会用の風船が納品されないなどという主幹レベルで解決できるような困りごとの連絡が来るなどあり得ない。
よって、未だかつて、私用のスマホに仕事上のトラブルが連絡されたことはない。
そんな風にオンとオフを切り替えつつ日々を過ごす、社長付筆頭秘書の最近の悩みの種は、数か月おきかに訪れる、この、メッセージ攻撃だ。
しかし、それさえも、涼しい顔で上司は「えっ? 私は全く困らないぞ」などと言ってのける。
「……そうか。分かった……」
一瞬ムッとした。そう答えると、アンドレはピカピカとしつこくグラデーションに光り続けるメッセージをタップした。
《 ハ、ヤ、ク、キ、テ 》
《 イ、マ、ス、グ、キ、テ 》
よくもこんなスピードで次々に文字入力ができるものだと感心しているうちにも、メッセージは増えて行く。
《 ハ、ヤ、ク、シ、ナ、イ、ト コ、コ、カ、ラ ト、ビ、オ、リ、ル 》
《 マ、ッ、テ、イ、マ、ス 》
マナーモードのバイブレーションも、1秒も待たずにヴィンヴィンと振動し続ければ、立派な騒音だとオスカルが思ったままを口にすると、アンドレの眉間に皺が寄った。
「泣き落としならぬ、泣き脅しだな。いつもの事だが……」
溜め息交じりに言うオスカルに対し、
「手帳型のケースだろうと裏返して置いておこうと、こうも派手に鳴り続けていたら、役に立たない度合いは同じだな……」
事実を、自分の言葉で伝えることは、忘れない。
更に増え続けるメッセージ。
アンドレは懲りずにそのひとつひとつを律義に読み上げる。
オスカルは、うんざりだなと笑い、
「いっそ、ケータイの番号を変えるか!?」
冗談とも本気とも判断できない微笑みをアンドレに向ける。
「《オ、ソ、イ サ、ミ、シ、イ》」わざとメッセージを読み上げ半ば投げやりに言う。「何なりとお好きなようになさってくださいませ」
「な、何だ……」
「それこそ、おまえが困るだけだ。このスマホの中に入っている膨大な数の取引先に番号を変えた旨の知らせをして……。そうなると、場合によっては出向かなければならないお相手も……」
喉の渇きを覚え、ひと息吐いた後、まだまだ光り続けるスマホを再び手に取ろうとする社長付筆頭秘書に、
「もう良いよ。分かったから……」
オスカルは未練たっぷりに茶を飲み干すとそう言い、ようやく立ち上がった。
「……全く、営業妨害も甚だしい」
「そりゃあ、クレーマーなんだから、そんなもんでしょ」
妙に悟ったアンドレの言い草に、ぎろりと切れ長の
それでも、嬉々としてドアを開けようとするアンドレの名を呼び、振り向かせる。その圧が求めている事を間違わずに、アンドレはオスカルの腰をぐっと引き寄せ、
「すぐに支度する」
短いくちづけを交わすと、あっという間に扉の向こうへと消えて行った。
「あ、いや……。支度するって、そんな大袈裟な……。何も夜中にパリまで行くわけじゃなし……」
取り残されたオスカルは独り言ちる。
しかし、くちづけの余韻に浸る時間はない。この後の予定もいっぱいだ。さっと歩き出す。社長室を出るとすぐ右斜め前にある階段室の扉を開け、2段抜かしで階段を駆け上がる。エレベーターを待っているよりは、よっぽど速いことは知っている。
『関係者以外立ち入り禁止⛔』と書かれた扉は社屋中に何百とあるだろう。その中でも、屋上入り口のセキュリティーの厳重さは、特に入念なはずだ。
ひと足先に着いていたアンドレが、セキュリティーボックスを開け、4桁のコードを入れる。
オスカルは、その指の動きをぼーっと眺めながら、
「関係者以外という場合、関係者は含まれるのか、含まれないのか……。いつも迷うのだが……」
「また、どうでも良いことを……」
アンドレは呆れながら息を吐き出す。明らかな現実逃避な発言だと見破られているようだと、オスカルはちょっと肩を竦めて見せた。
「だって……。おまえは思ったことはないのか? 10以下と言った場合、10は入るか入らないか?」
カチンとなったロックの解除音に、アンドレは鉄のドアノブに手をかける。
「……入る……」
今後の宇宙平和を担保する為、常日頃からご下問には懇切丁寧に答えることに気を配っている秘書は、即答した。
「……だろう? では、『関係者以外立ち入り禁止』と言った場合、関係者は立ち入れるのか、入れないのか? この扉の内側……外側か? どっちでも良いが……。入れなくとも良いと、おまえも本当は思っているんだろう」
以心伝心。思わずご名答と言いそうになり、アンドレは慌てて口に手を当てた。
「そもそも『関係者以外立ち入り禁止』と言った場合、中に入れるのは誰なんだ?」
「あ~、もう!」
首がちぎれても拾ってやらないぞと言うオスカルの非常な言葉を無視し、アンドレは頭を振りながら派手に髪をわしゃわしゃする。
鉄柵を張り巡らした屋上にはその柵に沿って、内側に大振りのコニファーが植えられている。その高さは、外柵の背の、中ほどまでに達する物もある。そして、その内側に小ぶり
の太陽光用ソーラー板が、二重になって設置されている。さらにその内側に残された、小さな空中庭園には、ダグー率いる緑化営繕部門の者達の手で季節の花が管理され、咲き乱れる。
今、百日紅の濃いピンクとひまわりの黄色がバランスよく配置された木陰のベンチに、彼女は微笑み腰掛けていた。
「……やっぱり来て下さったのですね」
芝居臭い言い方。目にはいっぱいの涙を溜め、
「シャルロットは信じておりました。オスカルさまは、きっとシャルロットをお救い下さると……」
オスカルは、軽く首を振る。ネズミどころか、アリが入ることさえ不可能なはずのトップシークレットのセキュリティーを、なぜ彼女はいつもいつも、こうも簡単に破ることが出来るのだ、という初歩の疑問は後から解決するとして、まずは、目の前の現実に対処する。
「ここには、飛び降りれるような、むき出しの場所はありません。ましてや、この柵を越えることはできないよう、私がこの場所の安全策を高じさせました、貴女の為に……」
「私の為?」
「そうです。貴女がお母様と喧嘩する度に弊社のホームページに事実無根の、あらぬことを書き込み、クレーマーと化すのは周知の事です。ホームページだけでは飽き足らず、貴女自身のSNSにも、ね……」
「だって……」
「そして、挙句、私の秘書用スマートフォンに信じられないくらい膨大な量のメッセージを送りつけて来る。勿論、今日も私が階下の執務室にいることをご存知の上で……」
「だって……」
「こうやって、毎回、ここに来ては飛び降りる振りをして、私が来るのをお待ちになっていらっしゃる」
「だって……」
「今日は……」言いつつも既にアンドレが開いているタブレット画面に目を遣る。「なるほど。《デパ地下の試食用のローストビーフが薄かった》と。《あれでは味が分からない》」
そうしているうちにも、アンドレは、オスカルが先ほど言ったシャルロットのSNSのページを開く。と、同時に、
「ンげぇΣ(‼❍ฺω❍ฺ‼)」
信じられないほど甲高いアンドレの叫びに、オスカルはちらりと視線を送る。
シャルロットのウキウキ感がそのまま、ハートビーム♡になって飛んで来る。
そのシャルロットの視線を遮るかのように、アンドレが、オスカルの顔前にタブレットを突き出す。
「……これは……。ほぉ~」
明らかに唇の端をひきつらせながら、オスカルは努めて冷静な感嘆の言葉を唇に載せ、先を続けようとする。
嬉しそうに、目の中に星を飛ばしていたシャルロットが言う。
「どうですか? 私のページのトップ画。これ、先ほど替えましたのよ。オスカルさまが母を言い負かしているところって私、大好きなんですの」
ピキピキとオスカルのこめかみがひきつる様に、火に油を注ぐようで悪いのだが、と断ってからアンドレが言う。
「おまえ、見ていなかっただろうが、前々回くらいのトップ画が『お母様を睨むオスカルさま』だったんだぞ」
「睨む……?」
小声で説明を加えるアンドレに、これまた小声で返しながらもきょとんとするオスカル。
「言っただろう、シャルロット嬢の『記憶』の中では、おまえはヴェルサイユ宮に使える士官で、お母君は高級女官だか何だかで、王妃のお気に入りの座を、おまえと争ったんだと……」
「ああ、前世の記憶とか言う、あれか……。それで、宝石部門統括部長のデザインを大いに気に入っているというのも胡散臭いと、おまえは思っているんだな?
「何せ、その名がアントワネット! 本当にそのデザインを気に入っているのか、機嫌を取って引き抜きたいだけなのか疑わしい。……しかし、今現在うちにとって大得意様であることに違いはないからな……とは言え、こうも易々と子供にケータイ番号を教えるとは……」
まあ、良い、そのことは、とオスカルは遮りつつも、気になることの確認は忘れない。
「しかし、この図は、何だ?」
シャルロットが嬉しそうに反応する。
「お母様に『更年期障害か』って言い放つオスカルさま、ですわ」
「……えっ?……」
「そこに至るウヨキョクセツがあるんですの。お母様は、あらゆる手段を使って、オスカルさまを陥れようとしたんですもの。そのくらい言われて当然です」
悪怯れた様子など全くなく、むしろ胸を張るシャルロットに軽いめまいを覚える。ウヨキョクセツって言葉の意味、分からずに使っているだろうと言いたかった。
その気配を察し、アンドレが慌てる。
「落ち着け、オスカル。おまえの方が血圧が上がるぞ」
「落ち着け!? 私は落ち着いている! ああ、冷静この上ないよ!」
アンドレは、いちおう助言はしたぞとオスカルに微笑み、ぱたりとタブレットを閉じ、
「シャルロット嬢。このようにオスカルは参りました。後は、何がお望みですか?」
ついっと1歩前に出ると、そう言った。
「ああ、それと念の為申し添えておきますが、貴女様が弊社のホームページのお声欄に書き込まれた《デパ地下の試食用のローストビーフ》ですが、ご指摘の日時にご試食の提供は致しておりません」
「だ、だから、何よ……」
トーンダウンしたシャルロットに、今度はオスカルがとどめを刺す。アンドレの冷静さに、オスカルも我を取り戻したようだ。
「今回のご縁談は、どのようなものでございましたか? お母様が貴女の為に選りすぐったお相手、さぞ素敵な殿方だったでしょう?」
無言のまま、シャルロットは不愉快そうに首を横に振った。
「お母様は家の安泰しか考えていません。でも、シャルロットは、まだまだ学びたいことがたくさんあって、結婚なんてもっと大人になってからで、良いのです。それに……」
そう言うと、一瞬だけ躊躇する様子を見せたが、
「私は、オスカルさまが大好きです。その辺の殿方など、みぃんな雑魚にしか見えません。……そうだ! オスカルさま、私と結婚してください」
「えっ???」
あまりにも突然のプロポーズに、オスカルは呆然とする。
「えっ、あ、いや……。いくらこの国の法律が同性婚を認めているとは言え、貴女はまだ結婚年齢に達していないし……」
「じゃあ、私が18歳になるまで待ってくださいな」
「あ、いや……。そういう問題ではなく……」
しどろもどろのオスカルを遮って、アンドレが言う。
「シャルロット嬢。オスカルは貴女と結婚はできません」
「なぜ!?」
「オスカルは、私と結婚するからです」
アンドレはシャルロットを見つめ、きっぱりと、そう言い切った。
大きな瞳をさらに見開く令嬢を尻目に、アンドレは、オスカルにウィンクを投げて寄越す。が、瞬きさえ忘れ、アンドレを見つめるオスカルの瞳とかち合ってしまう。
シャルロットは、沈黙を自ら取っ払い、
「そうですか……。では、仕方ないですね」
意外なほどあっさりとそう言うと、
「アンドレさん。私のような幼き者がこのようなことを申し上げるのは僭越ですが……。ひとつ、助言しても宜しいですか?」
本心はそうは思っていないだろうと、噛みつきたくなるほどに、遜(へりくだ)ったシャルロットの態度に、アンドレは身構える。
「セキュリティーコード、あからさま過ぎますわよ、いつも」
「えっ……」
アンドレは絶句する。
「こんな暑い所にいつまでもいたら、干からびてしまいますわ。先に行ってロザリーお姉さまに美味しいレモネードでも奢っていただきましょ」
シャルロットは言いたいことだけを言い残すと、さっさと社屋内へと消えて行った。
「あからさまって……」
アンドレにとっては、あまりにもショックな、しかし、オスカルにとっては何のこっちゃなひと言だった。
「セキュリティーコード、何だったんだ?」
「えっ……」
呆然としたままのアンドレに、オスカルが訊く。
「えっ? ああ。今は1225……」
「なるほど。確かに分かりやすいな」
言いつつも、なぜか顔がにやける。しかし、気になって質問を足す。
「以前のは?」
「ああ……。1789とか0714、とか……ポンッと頭に浮かんだ数字で、周期的に変えているんだが、なぜかシャルロットには破られてしまう」
「ふーん。だが、1789も0714も、“私達”に直接関係のある数字ではないだろう? 百貨店にとっては創業記念日でもある、大事な革命記念日にまつわるものだが……」
「いや、それが……あるらしいんだ。“私達”ではなく、“私”……つまり、おまえに……」
「“らしい”って何だ?」
「分からん。分からんとしか言えないけど……。この前、破らえた時にシャルロット嬢に訊いたら『アンドレさんの潜在意識の中にオスカルさまと結びつける数字があるのです』とか言って……シャルロットお得意の『前世の記憶』とかかな……。良くは分からん」
そうかと、オスカルは曖昧に笑った。そして、
「そんな事より……。動議だ」
「はっ?」
何やらいつの間にか顔つきまでもが仕事モードに変わったオスカルに動議を発動され、アンドレは戸惑う。
「な、何……?」
何の会議をしていたっけと本気で悩んでしまうほど、オスカルは真剣な眼差しでこちらを見ている。
「先ほどの『オスカルは、私と結婚するからです』について、異議がある」
「えっ……。動議ってその事?……で、異議って……? えっ? まさか、撤回しなきゃなんないとか……?」
「場合によっては、そういう事もあり得る。まずは、補足説明だな。プロポーズはシャルロットの方が先だった。何しろ、私はおまえからプロポーズされた覚えはない」
自慢げに言い放つオスカルに、
「……オスカル……」
アンドレは、この世の終焉を迎えているかような情けない声を出す。
「この期に及んで、それはないだろう? ちゃんと指輪も誂えて、プロポーズしたぞ、おまえの誕生日に……」
「昔のこと過ぎて、記憶があやふやだ」
「忙しいばかりで、何でこんなに時間が経ってしまったのか分からないけど……一生、守り通すことだけは誓える」
「簡単に破らえてしまうセキュリティーコードしか浮かばないくせに?」
減らず口だけは、負けない。
「あっ!!」
雰囲気に任せて抱きしめようとしたが、寸前で、アンドレはオスカルの肩を両の手でがっしりと掴んだ。
「良いコードを思いついた。絶対に誰からも破られない」
「えっ?」
「0712」
「今日……?」
「……そうとも言う。だけど、今日は、特別な日だ。俺の確かな前世の記憶によれば、……今日は……俺達が……」
「ん?」
「初めて結ばれた日(/////)キャッ……」
「えっ……? えっ……」
ひとり悦に入ったアンドレは、赤面しつつも呆けた眼差しを向けるオスカルをギュッと抱き寄せた。
《fin》
