コミュニティ政策学会の研究会があり、幹事の谷さんから、「気縁」という問題提起があった。
自治会町内会は、地縁である。NPOは志縁である。谷さんの問題意識は、これら活動の活発化の要素を見ると、「気が合う仲間がいる」ことではないか。町内会のように、もはや地縁という共通点では、結束しにくくなっている時代において、この気縁を基本に、コミュニティ活動を再構築できるのではないかというのが、谷さんの意見だと思う(私の意訳)。
この点は、シビック・プライド本を書いたときに、私も感じていたところなので、これは面白いと思った。
シビック・プライドの意義は、愛着、誇りといった主観的要素をまちづくりの要素ととらえることである。これまでならば、こうした主観的要素は、政策論の対象外とされていたが、そうではないのではないかというのが、シビック・プライド政策論の真髄である。
つまり、こうした主観的要素も社会を構成する資本であり、それをきちんと位置付ける必要があるというのが、この本を書いて気づいた点である。
ただ主観的要素は、そのままでは、まちづくりの要素としては、使えないので、その客観化、あるいは、指標化が必要になる。シビック・プライド本では、ここが一番苦労した点である。
その際のヒントは、ソーシャルキャピタルである。信頼、連携という主観的要素を客観化するために、これまでの蓄積があるが、これをシビック・プライドに使えないかと考えた。今回の「気縁」も同様に、ソーシャルキャピタルの指標が仕えるのではないか。
これらをさらに発展させ、一般化すると、まちづくりの要素のひとつとしての主観的要素をきちんと位置づけ、その内容を体系化を検討したら面白い。一度、簡単にまとめてみよう。