高知で協働のイロハを考えた。最近は、協働を基本から考える機会が少なくなった。それを考えてみる機会なので、喜んで高知へ行った。
一般には、協働は行政と市民が一緒に活動することだと「誤解」されている。このように誤解されているから、ちっとも協働は広がらない。多くの行政の部署でも、実際は、市民と一緒に活動する機会がないから、私たちには、協働は直接関係ないということになる。
しかし、そもそも、なぜ協働が言われるようになったのかから考えると、もう一つの公共、つまり市民が存分に力を発揮することだとわかる。前者は、国語としての協働であるが、私のほうは自治体政策論としての協働である。つまり、市民が幸せに暮らせるまちをつくるにはどうしたらよいかかから考えていくのが、自治体政策論であるが、そう考えると、市民が存分に力を発揮してこそ、幸せに暮らせるまちができるということになる。
行政職員と市民で、この問題を考えたが、いくつか印象的な質疑があった。
新しい公共という考え方はわかるが、現実の市民は、日々の生活に追われ、関心もその範囲にとどまっている。市民が公共の担い手といっても、絵にかいた餅になるのではないか。
私の意見は、焦らず、一つひとつ、一歩ずつ、それを変えていく努力を積み重ねていけばいいのではないか。一人が変わり、あるいは、実際の行動まで変わらなくても、心の中に、「そうすべきだよな」という思いが沈殿するだけだって、いいのではないか。
考えてみると、私が市役所で、最初に市民参加を始めたころ、市民参加といっても全く形式的だった。名前だけ借りるといった市民参加である。しかし、今日では、検討の最初から市民に入ってもらうことが普通になった。20年、30年という時間はかかるが、気がついたら、大きく変わっている。
新しい公共も、10年、20年たてば、もっと広がってくると思う。しかし、一歩を踏み出さなければ、前には進まない。それが焦らずやっていこうというということになる。
そんな意見交換のなかで、市民協働の本を書きたくなった。多くは、国語としての協働、あるいはNPO論から見た協働で、協働が論じられている。そうした協働ではなく、自治論から見た協働をきちんと書くべきなのだろう。そんな後押しをもらった高知行きとなった。
いろいろとお世話になった地域コミュニティ推進課の人たちと楽しい宴会になった。高知の人は乗せ上手なのだろうか。私も昔のことが思い出されて、楽しかった。何よりも、高知は食べ物がうまい。