陰陽師 新井健一郎 御祓い・祈願・供養・悪因解消

安部清明系陰陽師として日々のこと、日々思うことを綴ってまいります。

陰陽師新井健一郎のblog

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神仏の矛盾点

2017年07月07日 | 陰陽師新井健一郎の日々

私の修行時代に、ある霊能者との戦いの時の話になる。その頃は私の中で神仏を100パーセント信じていた時代でもあった。

その時の対戦相手を見てみると、こちらの使益している神仏と同じ神仏を相手も使っている。それでの対戦になりこうなると勝敗は、自分の能力と相手の能力の差でしかない。

そこに、聖とか邪とかの存在等は無い。存在するものは力の差のみでした。

一度だけその訳を訪ねた事が有る。その答えは神仏を必要とする者には協力するとの返答だった貴方も相手も必要としているでしょう。ということだった。

それと、仏は印を組み真言を唱え呼び出した者の言う事を聞くと言う。そこにも聖や邪など存在しない。呼び出され捕縛され強制使益されている仏もいた。

今思えば、仏は人間に対して上から目線で色々言ってはいたものの、自分たちの矛盾は改善しないの?と内心思っていたこともあった。また、菩薩が如来になる為には全ての人を救わなければならないそうだ。数千年前から仏の存在はあるが、ここで、世の中の実相を見てみましょう。仏の世界には菩薩、如来、数多く存在するが出来るものならとっくの昔に達成されているはずですね?

また、この様な事も有った。神道(神々の通り道)が悪魔により入口付近が浸食されつつあった。神道に一列に並び守っていたが、とてもくい止められずにいた事だ。暫く観察していたが、どうにもならない様子だった。見るに見かねて私が元に戻した事もある。

その時、私は思った法力もこの程度なのか。法力は真理そのものであるが、真理の全てでは無い。いつか神が私に言ったことがある神は全知全能ではない。この事は私にとって衝撃的だった。現在は神仏では計り知れない時代に突入している。平和とは、力の上に成り立つものなのかも知れない?


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