将棋雑記

将棋に関する雑感を書き散らしています。

湯村光造作品集19

2023-12-15 00:29:46 | 湯村光造作品集
湯村光造作品集19


表紙の言葉
東京 湯村光造
(入選3回)
 学校を出て国鉄に入社。実務研修期間中とて、京都→神戸→東京と居所が一定しない。しかし、もうぼつぼつ落着く所に落着くことになると思う。
 新鮮味追求居士「桑原君」の後を受けて、本年から詰棋校の高校担任を引受けたのは、もともと好きな道からではあるが、一つには主幹の情熱にひかされたからでもある。
 忙しい身体なので(特急の機関手見習もやりました)好きな創作にも打ち込めないが、それでも創作のことを忘れているわけではない。
 昨年七月号の表紙に拙作を掲載してもらってから半年、再び表紙から皆さんに呼びかけることのできるのは愉快である。
 一九五八年の立春号の巻頭を自作品で飾ることができるとは縁起がいい。
 さて、本作は近作。桑原君ではないが担当新鮮味を追求したつもりだがどんなものであろうか。

 手数は15手以下、そう難手もないから軽く詰めて下さい。


73角、イ17玉、26角、ロ同香、13飛、27玉、37金、28玉、A19飛成、同玉、27金、29玉、28角成13手詰
A47金、39玉、19飛成、29銀、84角成、38玉、48馬、27玉、37馬迄余詰

表紙作品で、原図は47歩がありません。以下当時の結果稿を引用します。解説:鶴田諸兄


イ17玉の処39玉は49金、同玉、59飛、38玉、37角成迄
ロ26同香の処16玉は15飛、27玉、37角成迄
★9手目19飛成の手で47金の手が成立した。47金、39玉、19飛成、29銀、84角成、38玉、48馬、27玉、37馬迄17手
☆これはキズとしては大きくハッキリ余詰であろう。
☆私の経験を以てすれば、初歩の中は入玉図は一般に詰め難い。
 本局も一見してつかまえにくい形をしている。
 盤面五枚、持駒三枚の簡素な形であり、その手筋も比較的新鮮で、まず預ける図式であるが、惜しい哉検討の不足から途中47金という金がソッポへ行く手が成立した。惜しむべし。
 これを消して、本図はまず充分鑑賞に堪える水準作と思うが如何?
東-15角がジャマ駒とは気付かなかった。新鮮、うまい
稲垣-初形、手順、収束共に満点。
石上三年-37金から47金は切れそうで指しにくい(余詰の方の解)
犬塚-19飛成が山。
上田-流石は湯村氏。表紙問題として打ってつけ。
大野-成程うまい、これが新鮮味と云う奴ですかナ。
大沢-型、手順、過度の難解性と三拍子揃った作。
海霧-流行語で云えばエレデ・ラ(エレガント・デラックス)という処か。
久保-形も簡潔、味もあり。
桂馬-容姿端麗にしてバレリーナを思わせる動き。
斉藤-作者の言う新鮮味をじっくり味わいました。
佐々木春-作者の言がそのまま通用する面白い作。
☆と極めて好評をつづけて来たが・・・
篠田-9手目19飛成の処47金が成立・・・
☆というバク弾が投下せられて、一寸参った。
◎作意余詰双方解
篠田義雄、白戸富一
☆従って以下各氏の評も殆んど好評に終始したが、割愛します。
 尚、余詰順のみの解は約10名でした。
◇解答総数 98名
 正解者数 73名 率74%

 入玉作でむつかしかったせいか、解答者は激減した。


 原図は余詰で作品集では47歩を追加しましたが、別の余詰が発生しました。簡単な修正案としては、攻方47歩⇒玉方48歩でどうでしょうか?
 作品自体は15角を消去して13飛と打ちその飛を19に捨てるのは上手い。











湯村光造作品集18

2023-12-10 20:36:14 | 湯村光造作品集
湯村光造作品集18
38飛打、19玉、18飛、29玉、19飛、28玉、33飛成、46香、39龍、27玉、29飛、18玉、28飛迄13手
 今回はアンソロジーの解説を引用します。
①昭和48年9月25日発行:あさぎり:湯村光造解説:
打った飛車が邪魔になり捨てようとして王様と鬼ごっこをする。結局捨駒なしで詰上がる変った味の作と思う。48飛と離して打つと29玉でつかまらない。45香の配置に最も苦心したおぼえがある。第二回塚田賞授賞作。
②昭和58年2月10日発行:近代将棋図式精選:森田正司解説:
 とにかく持駒の飛車を打つしかありませんが、48飛と離すと29玉で困ります。そこで38飛とくっつけると19玉。ここで、すかさず18飛と歩頭に振るのが好手。同歩成なら39飛の両王手を含みにしています。同玉とも取れないのを見越して、さらに19飛と追いかけて28玉と元の位置に戻します。こうしてようやく33飛成のあき王手が実現し、龍と飛による収束となります。

 本作は変化も紛れも殆どなく、易しい入玉型の小品ですが、38に打った飛車が、18・・・19・・・29・・・28と、狭いところで玉と追いかけっこをする趣向的な手順にパズルのような味があり、これが買われて第二回の短編賞作品となりました。


 初手38飛と直打する導入から、その飛車を押し売りするのは面白い。簡素な図からの好手順。巧い。



旧パラを検証する202

2023-12-04 21:54:29 | 旧パラ検証
旧パラを検証する202
第十七号(昭和26年10月号)4

序文 八段 金子金五郎
(編集 扶桑鋼太郎)
象戯九十九谷集 北村研一著
 「看寿賞」受賞者、北村研一氏の傑作遺作集が、いよいよ紳棋会より出版されることになった。天才北村研一氏の作品に付いては、いまさらクドクドといふまでもなく、現代詰棋界の第一人者として、専門棋士をもしのぐ、名作傑作を続々発表し、棋界の驚嘆の的であった。このたびの急逝は、真に棋界にとり重大な損失で、嘆いても嘆き切れない悲しみであるが、この天才を記念するため、その遺作、遺稿をとりまとめ、限定発行することとなった次第である。
 北村氏は生前、自ら装幀をほどこして『象戯九十九谷集』と題して、自作をまとめて居られたが、今回のこの記念出版にあたって、右の題を書名にすることになった。『象戯九十九谷集』の題名の由来については北村氏が「自序」のなかで書いて居られるが、非常に興味深い一文で、是非ご一読をおすすめする。
 次に、近代的理論将棋の泰斗であり、棋術の解明に常に清新の風を送って居られる金子八段が、故人のため特に「序文」をお書き下さったことは、錦上更に花を添えるものであり、従来の棋書に見られなかった独特のものである。
 これまで、詰将棋の本といえば、単に作品をならべそれに詰手順の解説をほどこしたにすぎなかった。愛棋家として、特に初心者に於いて最も渇望してやまぬものは、「詰将棋はどうやって作られてゆくか・・・」といふことであらうが、従来これに付いて懇切に解説された棋書は、皆無の状態であった。
 本書は特に、北村氏の日記、創作ノートなどより、「詰将棋の作り方」「作図実験室」「イの字詰の作り方」等の詰将棋の作り方に関する事項を集録し、「詰将棋はどうやって作られてゆくか・・・」を明らかにすることにした。
 更に本書の一大特色といふべきは、古典詰書『象戯童翫集』を入手したイキサツのまことに奇なることもさることながら、これまで「図巧」「精妙」を始め各種の古典詰将棋書について、多くの識者によって語られて来たが、『象戯童翫集』について語った人は一人もなく、正しく日本にタッタ一つしかない珍中の珍、稀中の稀ともいふべき謎の一書が、この『象戯童翫集』(百局)なのである本書原本には、詰手順が附されて居らず、かねて北村氏は、本書百番の解明に努力されていたが、ここにそれを公開することになったわけである。
 なほ、巻頭にアート美麗写真により、北村氏の生前を偲ぶ遺品の数々を載せた。
 最後に『象戯九十九谷集』の主要目次を掲げるが、愛棋家必備の好著として御愛読をおすすめする。本書出版の利益金は、北村氏御遺族に贈ることになっている。
 主 要 目 次
 詰将棋雑感、いのちとりの魅力、作品完成まで、将棋徒然草、蓮の花に寄せて、或るマニアの記、K氏の煙り詰、作図実験室、自作長篇解説、名局鑑賞(三代宗看)、象戯童翫集の解説、「槍襖」について、遺作百数十局の解説
◎発売予定 十月上旬(目下印刷中)
◎B6版  上質紙 約一六〇頁(限定版)
◎定価   一五〇円(郵送料十二円)

◎申込先  紳棋会宛(振替名古屋五九四二五)

 

「象戯九十九谷集」は名著で、是非ご一読いただきたい本です。この遺作集の著者は扶桑鋼太郎とありますが、これは故越智信義氏のことです。越智氏は北村氏とは親交が深く、兄弟のような関係だったそうです。越智氏によると、病床の北村氏は看寿賞の賞金は「越智にやってくれ」とご家族の方に言っていたそうです。
 で、私は越智さんに象戯九十九谷集について聞きたかったことがあって、お聞きしました。それは、「象戯九十九谷集」が発行されたのに、何故、書名を変えて何回も本が出たのかということでした。実際「象戯九十九谷集」の発行は昭和26年12月1日に紳棋會から発行されましたが、「詰将棋の指し方」(八千代書院)「詰将棋の考え方」(芳文社):(昭和31年)、「初歩より初段まで詰将棋」(三洋社):(昭和36年)と何回も同じ本を書名を変えて出版したのかということでした。
私「何故、象戯九十九谷集は別の書名で発行されたのですか?」
とお聞きしたら、越智さんは堰を切ったようにお話をされました。
越智「象戯九十九谷集は可也売れたらしい。売上は当然北村さんの遺族に渡っていたと思っていたのだが、北村さんのお姉さんから、売り上げについて問い合わせがあった。どうやら鶴田主幹が売り上げは越智が持って居ると言ったらしい。私は売上は持っていないとお姉さんに言ったところ、恨まれてしまって本当に参った。そこで、お姉さんがご自分で書名を変えて販売した。」
 越智さんは何度も、北村さんの御遺族に恨まれたことに関して嘆いておられ、鶴田主幹を非難して居られました。今は関係者の方はお亡くなりになっておられて、真相は不明ですが越智さんから聞いたことを書いておこうと思いました。特に私としての意見はありませんので、誤解の無いようにお願いいたします。