将棋雑記

将棋に関する雑感を書き散らしています。

旧パラを検証する202

2023-12-04 21:54:29 | 旧パラ検証
旧パラを検証する202
第十七号(昭和26年10月号)4

序文 八段 金子金五郎
(編集 扶桑鋼太郎)
象戯九十九谷集 北村研一著
 「看寿賞」受賞者、北村研一氏の傑作遺作集が、いよいよ紳棋会より出版されることになった。天才北村研一氏の作品に付いては、いまさらクドクドといふまでもなく、現代詰棋界の第一人者として、専門棋士をもしのぐ、名作傑作を続々発表し、棋界の驚嘆の的であった。このたびの急逝は、真に棋界にとり重大な損失で、嘆いても嘆き切れない悲しみであるが、この天才を記念するため、その遺作、遺稿をとりまとめ、限定発行することとなった次第である。
 北村氏は生前、自ら装幀をほどこして『象戯九十九谷集』と題して、自作をまとめて居られたが、今回のこの記念出版にあたって、右の題を書名にすることになった。『象戯九十九谷集』の題名の由来については北村氏が「自序」のなかで書いて居られるが、非常に興味深い一文で、是非ご一読をおすすめする。
 次に、近代的理論将棋の泰斗であり、棋術の解明に常に清新の風を送って居られる金子八段が、故人のため特に「序文」をお書き下さったことは、錦上更に花を添えるものであり、従来の棋書に見られなかった独特のものである。
 これまで、詰将棋の本といえば、単に作品をならべそれに詰手順の解説をほどこしたにすぎなかった。愛棋家として、特に初心者に於いて最も渇望してやまぬものは、「詰将棋はどうやって作られてゆくか・・・」といふことであらうが、従来これに付いて懇切に解説された棋書は、皆無の状態であった。
 本書は特に、北村氏の日記、創作ノートなどより、「詰将棋の作り方」「作図実験室」「イの字詰の作り方」等の詰将棋の作り方に関する事項を集録し、「詰将棋はどうやって作られてゆくか・・・」を明らかにすることにした。
 更に本書の一大特色といふべきは、古典詰書『象戯童翫集』を入手したイキサツのまことに奇なることもさることながら、これまで「図巧」「精妙」を始め各種の古典詰将棋書について、多くの識者によって語られて来たが、『象戯童翫集』について語った人は一人もなく、正しく日本にタッタ一つしかない珍中の珍、稀中の稀ともいふべき謎の一書が、この『象戯童翫集』(百局)なのである本書原本には、詰手順が附されて居らず、かねて北村氏は、本書百番の解明に努力されていたが、ここにそれを公開することになったわけである。
 なほ、巻頭にアート美麗写真により、北村氏の生前を偲ぶ遺品の数々を載せた。
 最後に『象戯九十九谷集』の主要目次を掲げるが、愛棋家必備の好著として御愛読をおすすめする。本書出版の利益金は、北村氏御遺族に贈ることになっている。
 主 要 目 次
 詰将棋雑感、いのちとりの魅力、作品完成まで、将棋徒然草、蓮の花に寄せて、或るマニアの記、K氏の煙り詰、作図実験室、自作長篇解説、名局鑑賞(三代宗看)、象戯童翫集の解説、「槍襖」について、遺作百数十局の解説
◎発売予定 十月上旬(目下印刷中)
◎B6版  上質紙 約一六〇頁(限定版)
◎定価   一五〇円(郵送料十二円)

◎申込先  紳棋会宛(振替名古屋五九四二五)

 

「象戯九十九谷集」は名著で、是非ご一読いただきたい本です。この遺作集の著者は扶桑鋼太郎とありますが、これは故越智信義氏のことです。越智氏は北村氏とは親交が深く、兄弟のような関係だったそうです。越智氏によると、病床の北村氏は看寿賞の賞金は「越智にやってくれ」とご家族の方に言っていたそうです。
 で、私は越智さんに象戯九十九谷集について聞きたかったことがあって、お聞きしました。それは、「象戯九十九谷集」が発行されたのに、何故、書名を変えて何回も本が出たのかということでした。実際「象戯九十九谷集」の発行は昭和26年12月1日に紳棋會から発行されましたが、「詰将棋の指し方」(八千代書院)「詰将棋の考え方」(芳文社):(昭和31年)、「初歩より初段まで詰将棋」(三洋社):(昭和36年)と何回も同じ本を書名を変えて出版したのかということでした。
私「何故、象戯九十九谷集は別の書名で発行されたのですか?」
とお聞きしたら、越智さんは堰を切ったようにお話をされました。
越智「象戯九十九谷集は可也売れたらしい。売上は当然北村さんの遺族に渡っていたと思っていたのだが、北村さんのお姉さんから、売り上げについて問い合わせがあった。どうやら鶴田主幹が売り上げは越智が持って居ると言ったらしい。私は売上は持っていないとお姉さんに言ったところ、恨まれてしまって本当に参った。そこで、お姉さんがご自分で書名を変えて販売した。」
 越智さんは何度も、北村さんの御遺族に恨まれたことに関して嘆いておられ、鶴田主幹を非難して居られました。今は関係者の方はお亡くなりになっておられて、真相は不明ですが越智さんから聞いたことを書いておこうと思いました。特に私としての意見はありませんので、誤解の無いようにお願いいたします。