未来を拾いに

aikoのことしか頭にないひとのブログ

初代ファミスタ全国大会 後編

2023-12-11 22:18:27 | 雑記

…続いてきました。
こちらは「初代ファミスタ全国大会」に参加してきました!の後編になります。

今回書きたかったいちばんはこの後編の内容です。

「初代ファミスタ全国大会」はそのような感じで盛大に閉幕。
「後編」では、ファミスタ開発者の岸本さんにいろんな話を聞いたので、そのあたりの話をしようとおもいます。


岸本さんとパチリ。
30分の講演と、そのあとで直接お話させていただきました。
もう37年も前の話になるので、記憶もさだかならずのところも多々ありつつも、貴重な、おもしろい、そしてとても「いい話」をたくさん伺うことができました。

その前に岸本さんってどういう人なの?っていうところを簡単に。

岸本 好弘(きしもと よしひろ、1959年1月22日 - )は、兵庫県姫路市生まれのゲームクリエイター。
1982年にナムコ入社。最初に手がけた作品は『パックランド』。
1986年に『プロ野球ファミリースタジアム』(ファミスタ)を発売し、ミリオンセラーに。その後、『ファミスタシリーズ』のほか、『Jリーグサッカー プライムゴール』などを手がけ、2001年3月退社・・

―wikipediaより抜粋

それから「ファミスタとはどんなゲームか?」というのは「前編」に詳しく書いたのでそっちをみてね!

 

30分間の講演。

まず冒頭、「ファミスタはプロ野球をモチーフにした対戦アクション型ゲームである」といっておられました。

…そういうコンセプトで開発したと。
「プロ野球シミュレーションゲームではなく」あくまでプロ野球をモチーフにした「対戦アクションゲームである」ということです。
対戦アクションゲームなので、対戦アクションゲームとしておもしろくなるように作っているっていうことです。
「何が違うのか?」とおもうと思いますが、これがどういうことかはここから先の話を聞くとなるほどそういうことか・・っておもうとおもう!

あ、ちなみに「…」のあとは岸本さんの発言ではなく、筆者の閑話休題余談です。この先も全部そのつもりで読んでください。


かつて自身のファミスタ開発秘話が紹介されたテレビ番組の切り取り動画と雑誌記事をスライドで紹介

当時の野球ゲームは任天堂の「ベースボール」しかなく、「もっとおもしろい野球ゲームがあったらいいのに」みたいな思いをもっていたところ、上司から「お前がつくれ」って言われて・・っていうのが最初のきっかけ。
それで当時の川崎球場に通って、実際に試合を見ながら、手にファミコンのコントローラを持った想像をして景色をみて、ファミスタの原型となる画面レイアウトのイメージを作っていった。

「かけひき」をまず大事に考えた、そのために、ピッチャーとバッターの距離を長くとって・・
走者はすっぱり画面を切って、このへんにピッチャーバッターの名前、成績、ストライクカウントを表示・・

という、メイン画面となる「あの景色」を決めた。
「テレビアングルではない」というのがひとつのこだわりで、「野球は球場でみると楽しいよ!」というメッセージ(を込めている)

…18.44mの間のピッチャーとバッターの駆け引き(左右のコース、緩急、フォークと、バッターのスイングのあの対決)感を、対戦アクションゲームのメインの中心部分として考えた、
ということと理解しました。
ファミスタのちょっとあとに、「燃えろプロ野球」が出たが、「あれはテレビの野球中継そのもの画面」ともおっしゃってました。
そういえば、別の記事でみたものですが、後年「実況パワフルプロ野球」などで実況音声が取り入れられる時代がきたとき、あれは「テレビでみた野球」と例えたうえで、ファミスタは「球場で見た野球」であると。
つまり、ファミスタは、「テレビじゃなくて球場でみた野球」であることを大切なコンセプトとして考えておられた、っていうところで1点ぶれないピン止めがあったことになります。


講演つづく。

それで、[当時のナムコのビルの写真]とかがスライドに出て、ここで開発した。
開発体制、企画・開発プログラミング・グラフィックデザインを岸本さん、あとディレクター的なかたと、もうひとりグラフィック担当のかたの3名

…っていうんですね。当時のファミコンゲーム開発の現場の模様の一端がうかがわれますねー。「ほぼひとりで全部つくった」というのが驚きです。

で、日記風な記事になって。「何月何日、××」みたいな。

当初、ゲームのタイトルは「ファミリースタジアム」ではなくて、「ファインプレイ」という名前にしたかった。
が、「ファインプレイ」という名前は当時もう他のゲームで使われていてダメになって。
ナムコのほうで「ファミリー」シリーズにしたい、という意向もあって、「プロ野球ファミリースタジアム」に決まった。

だいたいできたところで社内でテストプレイ。
社内でヘタなひとでも対戦で盛り上がれているのをみて、「これはおもしろいゲームができたのかな?」と手ごたえを感じた。
で、あまりに盛り上がってうるさいので社内フロアで「ファミスタ禁止令」が出るほどだった。
「ホイールズ」(筆者註:大洋ホエールズがモチーフの架空球団)の「スーパーカートリオ」(筆者註:1番やしき、2番かとう、3番ゆたかの俊足トリオ)が、
開発当初はもっと速くて、「これはずるい!」ってなったので、調整して遅くしたりした。(当初は「ぴの」くらい速かった)

そういうエピソードがありつつ、発売が12月10日、ぎりぎりまでデータの調整とかして、11月には最終的に完成して、「生産」が約1か月。

「1986年は清原がルーキーで西武に入団した年なんです。それで清原も最初は7番とかだったんだけど、(現実とリンクして)だんだん上がっていって、最終的に4番になった」


おかげさまでファミスタは大ヒット。
岸本さんは、ナムコで初めて「社長賞」的なもので表彰されました。
で、ある日ナムコの社長に呼ばれて社長室にいったら、ぽんっと100万円の現金をもらったっていう「秘話」も。
当時の上司も通さずですよと、それで社長室からフロアに戻って、今社長室いったら100万円もらいました、っていって上司と同僚の共同で開発してきた人たちと30万円ずつわけあって・・ってやったって。

「ファミスタ開発者」とか「ファミスタの父」とか言われるけど、これは自分が作ったのではなくて、野球の神様が天から降りてきて自分(=岸本さん)に乗り移って、その神様が作ったと思ってます、と。

…この「神様が自分に乗り移ってファミスタは神様がつくった」的な表現は、何度も繰り返し強調してました。
あれですねドラゴンボールでピッコロの分身の神様がただのおっさんに乗り移って天下一武道会に出場してたでしょ。
ああいう感じですよ、ということをいってるんだとおもいます。

いやあ謙虚ですよ。そしてやっぱりそういうところも含めて「偉大」なゲーム開発者だとおもいました。


そのあと質問コーナー。
岸本さんは「といっても37年前の話なので覚えてないことも多いですが!」とも。
いろいろ興味深い質問、聞きたかった質問も多く出たので、覚えてる限りに書き残しておく!

◆1986年当時は現役引退していなかったはずの「おう」と「やすだ」をなぜいれたのか?
これは、最初にいったとおり、ファミスタは「プロ野球をモチーフにした対戦アクションゲーム」なので。
実際のプロ野球ではなくあくまで「アクションゲーム」なので。
「おう」は対戦アクションゲームとしてみたときに、入れたらおもしろいかな?盛り上がるかな?と思っていれた。
同じく「やすだ」も。「がんばれ!タブチくん!」に登場していたので。
(岸本さんはいしいひさいち氏のファンで、タブチくん!もよく読んでいたそうです)

…「プロ野球シミュレーションゲームではない」っていうのがポイント、答えはそこにあった!

◆「かわとう」の裏パラメータ伝説はほんとうなのか
「かわとう」は表示の成績(.248 5本)の割にはよく打つので、裏で能力を盛っているのではないか?といううわさがあるがほんとうか、というような質問。
これについては、「そう?そうことはしてないとおもうけど・・ただ、代打の1打席目はホームラン力が10か20か上乗せされる、というのは作ってあるのでそういうことではないか」
「これは当時とてもよく言われたことなのですが、「たつのり」は満塁だと必ず内野ゴロを打つんだけど!というのは、ほんとうにそんなウラ設定は入れてません」ともいってたw
そりゃそうだろうw
そんな気は確かにするけどw

◆「やまだ」が打席に入ると不自然な打球が飛ぶのはなぜか
「やまだ」など右打ちのアンダースローの投手がバッターで打球を打つと、引っ張ったタイミングなのに右(一塁方向)に飛ぶ、っていう現象があるんです。
これについて。
「バグは、おもしろいから敢えて残したバグと、ほんとうに見逃したバグの両方がある。その現象は、見逃したバグですすみません。アンダースローは打席だと左バッターになってしまっているのでああなります。」
「あと、ひとりだけ左右が違うのがいたはず」(※これは初代ファミスタのことではないかも。記憶さだかならずなので)
「逆に、おもしろいから敢えて残したバグは、バントの構えなのにスイングしたら飛ぶ(=いわゆる「ハットリ君打法」のこと)とか、下ボタンを押して送球したら2塁送球になるとか」

…解説:
「ハットリ君」は、バッターがスイングするときに6枚の絵で表現されてるのだが、その「2」の状態で構えておいてからスイングすると、
「1→2」がない分より早くスイングできるため、ギリギリまでボールを見れてタイミングを遅らせられるっていう、有名なファミスタプレー技術のひとつ。
「下ボタン送球」は、二塁に盗塁されたときに下ボタンを押して送球すると、「捕手からホームに送球した」ことになり結果的に2塁送球になる。
本塁送球であり2塁送球ではないため、2塁に向かう走者はスライディングをしない、ゆえにアウトにとりやすい、というバグを利用したプレー。

◆なんでパ・リーグは連合チーム(レイルウェイズとフーズフーズ)にしたのか
ファミスタは10球団あるのですが、セ・リーグ6球団、L(西武)、R(阪急+近鉄+南海)、F(日本ハム+ロッテ)、N(ナムコキャラのチーム)
の10チームなんですね。なんでセ・リーグは6球団ちゃんとあるのに、パ・リーグは連合チームなのか?

って、往年の南海ホークスのユニを着たひとが質問してたw


この日岸本さんに聴いた話の中でこれはいい話だ、感動した!っていうのが私のなかで2つあったのですが、この質問への回答がその1ですいわく

ファミスタはプロ野球をモチーフにした対戦アクションゲームなので」

当時のプロ野球はセ・リーグしかなかった。それも巨人と阪神しかなかった。
テレビでは巨人と阪神しかなくて、当時の日本人の7割はパ・リーグっていうチームがあることを知らなかったとおもう。
オールスターや日本シリーズになって初めて、どこかからチームが出てくる、というものだった。
けど、(ファミスタをつくるために)川崎球場に毎日いってたなかで、パ・リーグにはこんなにすごい選手もいるのに、お客はまったくいなかった。
落合は、毎日新聞やテレビでニュースとして出てるほどのすごい選手なのに、球場で落合を見るひとは誰もいない。

これもよく言われたことなんだけど、当時のファミコンは「容量が少ないから入れられなかった」っていうんだけど、そうではない。
データというのは微々たるもので、入れようと思えば当時でも12球団をつくることはできた。
できたけど敢えてやらずに、近鉄+阪急+南海の連合チーム「レイルウェイズ」、日本ハム+ロッテの連合チーム「フーズフーズ」をつくった。

なぜかというと、南海とかロッテとかをつくったところで、「それを使う人はいないだろう」と思ったから。
使われなければ(遊ばれなければ)作っても意味がない。
逆に、連合チームにしたら、すごい選手ばかりが集まるので当然レイルウェイズやフーズフーズは強い。
強ければ使われる。
例えばヘタな人は強いレイルウェイズやフーズフーズを使うという遊び方もできる。
あくまで「アクションゲーム」なので、「使ってて楽しい」ことがだいじ。
使われれば、「こんな打つ選手もいるんだ!」ということにつながって、ほんもののパ・リーグも観ようってなるかもしれない・・

という思いが込められている。
「レイルウェイズ」「フーズフーズ」というチーム名もすばらしいと思いませんか。
このチーム名も自分(=岸本さん)が考えたのではなく、空から神様が降ってきて神様が考えたものがふっと浮かんだんだとおもっている。

「まつなか」っていう選手がレイルウェイズにいたけど、ある日野球を観にいったら「松永」っていう選手がほんとうにいてホームランを打った!
それで好きになりました、っていう話をしてくれたひとがいて、その話を聞けたときはとてもうれしかった。
今はパ・リーグの人気がすごいけど、当時パ・リーグを盛り上げた何割かはファミスタのおかげもあったと自負をしています(冗談ぽく)


…ですよ!「容量が少ないから入れたいけど無理だった」って思われてるとおもうけどそうではないだよ!
「プロ野球をモチーフにした対戦アクションゲームなので」アクションゲームとしてそのほうがおもしろいと思ったから敢えて連合チームにしたっていうんですよ。
まぁ確かに実際スパローズやドラサンズを使う人はあまりいなかったし、レイルウェイズやフーズフーズはいまでもみんな使っているよ!

いまのひとは知らないし、信じられないとおもうけど、ほんとうに当時のパ・リーグ、特に川崎球場とかはお客がいなかったんだよ。
流しそうめんしてたり、七輪でさんま焼いてたり、外野席でキャッチボールしてたりね、それほどガラガラだったんだよ・・

パ・リーグを盛り上げたいっていうのが理由だったんだよ!なんかこの話はほんとうに聴けて良かったとおもいます。


◆上を押したらゴロになりやすく、下を押したらフライになりやすい、はほんとうなのか
上ボタンを押しながらスイングするとダウンスイングとなり、ゴロ打球が飛びやすくなる、
下ボタンを押しながらスイングするとアッパースイングとなり、フライ打球が飛びやすくなる、
といううわさがあるが本当か、という質問

「それは取扱説明書にも書いてありませんでしたか?それはそうなるように作られています」


◆バットの先っぽだとホームランになりやすい気がするけどどうか?
バットの芯に当たるとホームランになりやすいが、バットの先っぽに当たってもホームランになりやすいといううわさがあったが、そういうのはあるか?
っていう質問

…この回答も興味深かった。いわく

「バットのスイートスポットに当たると100%の打球になり、そこからずれていくにつれて、先っぽでも根本でも、だんだん凡打になるようなグラフになっている。
が、打率の高い選手は、その傾きが緩やかになる(=つまり打率の高い選手はバットの芯を外れてもいい打球になる)ようになっている」

…んだそうです!
だから、打率もホームランも高い「ばあす」「おちあい」は、バットの根本でも先っぽでもホームランになるのが納得。
ホームランは多いが打率は低い「あきやま」とか「たつのり」は、芯を食ったらホームランだけど外すと凡打ってなるのも納得。
ゲームの作り方の中身の話として聴いても面白い話が聴けた!
同じような意味で、盗塁のバランスをどうしたかの話をこの後に聴けたのですがそれもおもしろかったです(後述予定)


質問コーナーはこんな感じだったかな?
このあと、「ファミスタの思い出」を聴きたい!我こそはというひとは是非話して!っていう時間があって。
写真を一緒に撮れますコーナー、サイン会があって、講演はいったんお開き。


そのあとで個人的に岸本さんに突撃して、訊きたかったことをいくつか訊いてみました。

一つ目は、これはどうしても訊きたかった私の長年の疑問です。

◆「つだ」の球速が134キロなのはなぜか?
記憶でも記録でも残っている映像でも、1986年シーズンの津田なのにカーズの「つだ」が弱すぎるんですよ・・
特にストレートが134キロ(実際ゲームでも140キロでない)なのはありえない。何かの間違いではないか?
っていうのが小学生の当時からの長年の疑問で、ずーっと抱えたままでした。
きっと開発者が巨人ファンなんだよ!いないはずの「おう」もいるし!っていうのが当時の小学生界隈のうわさ話になってたくらいです。

これの答えは聞いたんだけどあんまりすっきり納得いく感じではなかったなぁ

「あれ?そう?データは当時のシーズンの数字を忠実に入れてるはず。12月10日リリースで、11月まで、ギリギリまでデータの調整はしたから反映されてるはず」
「つだが弱いのは、敢えてそうした、ではない」

とのことでした。

まぁ、確かに「つだ」以外は
「かく」の162キロとか「えがわ」のカーブとかもそうで、誇張も多少はあるけど、だいたいリアル1986年の選手のイメージには近いんです。
カープも「きたへふ」「おおの」「かわくち」は概ねそんなもんって気はする。ただ「つだ」だけはおかしい!

この年の津田はストッパー復活の年、防御率も4点台ってことはないし、6敗はしてるけど22セーブでカムバック賞をもらって、胴上げ投手だし日本シリーズでも抑えだった
(工藤にサヨナラタイムリー打たれたけど)くらいには普通に活躍してたのですが・・
でもまぁ確かに終盤調子を落としたというのもあり・・今おもいだす記憶の津田のイメージと当時の津田は違うかもしれませんが・・
でもでもバースを高めストレートで三振に切って「津田はクレイジーだ」と言わしめたあのピッチングも1986年だしね、やっぱりデータ入れ間違いとしか思えないんだよー

なのですが、まぁ納得しようw


◆盗塁のバランスの話
講演のほうで「バットの芯と打率データとの関連」の話をしてておもしろかったのですが、もうひとつおもしろかったのがこの盗塁のバランスの話。
「盗塁は走れば100%成功するでも、走っても全然成功しない、のどちらでもおもしろくない。ギリギリのバランスを調整するのがいちばん苦労した」
「盗塁をスタートすると、ピッチャーが投げてキャッチャーが捕る、その瞬間に画面が切り替わって、その切り替わったときにランナーが1塁と2塁のあいだのどこの場所にいるか、
というのを走力と投球の時間から計算して、『この場所にいる』というところに表示させている」

…この盗塁の話もうなった。そういう発想でプログラミングされているのかっていうのに感心しましたよ。
確かにファミスタの盗塁のバランスは絶妙で、達人同士の試合では、リーグ屈指の走者が最高のスタートを切っても、完璧なスローイング操作をされると刺される、っていうタイミングなのね。
1986年くらいのプロ野球では高橋慶彦が70個とか福本豊とかが盗塁しまくりな時代だったけど、今はクイックとかキャッチャーのスローイングの速度(捕ってから投げるまでの速さ)とかそもそも強肩とかで盗塁阻止能力もあがって、盗塁がだんだん成功しにくくなってる時代だとおもいますが、今のバランスのほうにより近いデザインとうか調整になっているかも知れません。

バランスの話はもうひとつ、外野手の肩の話。どれくらいの強さの返球をしたらホームベースでどれくらいのタイミングになるか・・っていう話で、「試合開始前の練習のときから見に行ってみた」ともいってました。
そのへんのバランス調整は野球ゲームの根幹ですもんねぇ。ファミスタはそこらへんもよくできていますよ。


◆COMが弱すぎてつまらないんだけど?
さっき「この話が聴けてめっちゃよかった!感動した!」っていう話が2つあると書きました。1つめがレイルウェイズの話。もうひとつがこれです。

「これはすごくいわれたんだけどCOMがヘタすぎる。相手にならなくて詰まらないって」
「もっとCOMを強くつくろうとおもえばぜんぜんできるんだけど敢えてヘタにつくっている」

なんでかわかる?っていうんですよ。その答えがほんとうによかった。

ファミコンはせっかくコントローラが2つあるんだから、COMを相手にやるんじゃなくて、ふたり対戦でやってよ!楽しいよ!、っていうメッセージ

…っていうことなんだって。おもわず「その話はほんとうにいい話だからもっと言ったほうがいいです!」っていってしまった
「ファミスタはプロ野球をモチーフにした対戦アクションゲームである」原点はこれなんですよ!

「当時ふたりでできるゲームはたいていがかわりばんこにやるかたちだった。ふたり同時画面でできるゲームもあったけど・・」

…確かにこの当時、2人でわーきゃーいいながら対戦アクションできるゲームはなかったですよ。ゼロではなかったけど、ここまでよくできた対戦アクションはなかったですねぇ。
そこがファミスタの画期的なところで、多くのユーザーに支持されたし、いまなお衰えない人気があって、こんな全国大会ができてしまったりするっていうね。
ファミスタを通じてひととひとが交流できてつながれるっていう遊び方、それこそが狙いでつくったゲームなんよ!

 


あとは覚えてるのは、

◆プログラムはアセンブラでひとりでかいている
当時「デバッグ」とかいう開発手法はそういう発想がなかった。社内のテストプレイしてくれたひとたちのおかげでここまでできた。
プロ野球のデータも、当時は新聞・テレビ・雑誌と、現地で実際に観戦するしかなかった。それを少ない人数でかき集めた。
今はそういうデータもお金を出してデータ会社から購入しているとおもう。

◆ファミスタ88からは名前がもじってる裏事情
…初代ファミスタは4文字ではあるけど実名じゃないですか。これが88から「ほぴの」とか「くわわ」とかってもじった名前になるのね、それはやっぱり圧力があったのか?
ってきいてみたら、やっぱりあったんだって。

「巨人球団から、(もじられた変な名前は具体的に)『このように変えろ』っていってきた」って言ってました。

当時、ファミスタより先に「ベストプレープロ野球」が出てて、そっちは選手名とかがもじってはあったけど出てたので、「それはアリなんだ」(ほんとうはダメだったんだけど)
だったらやっちゃえ、ということでファミスタも選手名を出そうってなったそうです。

 

◆プロ野球シミュレーションではない!
ファミスタシリーズも新しくなると130試合できるようになった。
そうするとうまいひとがやればホームラン300本打てるよ!とかなったりするが、
「それでいい。そういうのが楽しいんじゃないかっておもう。ファミスタはプロ野球シミュレーションゲームではなくアクションゲームなので」っていうこともいってた。


…そんなところでしょうか。忘れてて書いてないこともあるかも知れないし、一言一句たがえずにかけてるわけではないけど、こういうニュアンスの話を聞けました、っていうのを忘れないうちに、可能な限り思い出して書きました。
いろいろお話をきけて、ファミスタについてこんな考えてつくっている、っていうのの原理みたいなのが少しだけど垣間見ることができた気がしました。

 

いまなおこうしてたくさんのひとに愛されているファミスタ、ほんとうにすばらしいゲームなので、これからも遊んでいけたらいいなぁとおもいますねー
長くなってしまったけど、すごく良い話を聞けたし、すごく楽しい大会でした!

ここまで読んでくださった皆さんありがとうございました。


では、また。