昨年末から滞在していた京都を後にして、一昨日久し振りに東京駅に降り立ちました。
ご存じですか、関東と関西とでは、エスカレータに乗るとき立つ側が違うんです。関東では左に、関西では右に立ちます。急ぐ人はそれぞれその反対側を行きます。
関東に住んで左に慣れてしまっているので、関西に行ってもつい無意識的に左側に立とうとして、どうして前の人は反対側にいるんだろうと思って、ハッと気づいて、あわててそーっと右に移動します。慣れ始めた頃にまた東京に戻るので、今度は右に立たなきゃという意識を打ち消しながら左に立つことになります。
幸い京都では関東からの観光客の人が多く、皆さん自由に位置を決めているような… そんなときは左に乗ります。えっ? そんなの乗らずに足で行けって!?
京都滞在中は、必要に応じてプラス運動不足にならぬよう、よく歩きました。あちこちで撮った写真がまだ残っていますので、あと2~3回は載せたいと思っています。
今日はそんな中から伏見桃山あたりの様子です。

伏見は幕末の志士たちが駆け抜けた街ですが、豊臣秀吉の時代にも桃山城が築城され、家臣たちの長屋があちこちにありました。ごく当たり前のように、そういう町名の住所が今もたくさん残っています。
切支丹の史跡もあり、ザビエルが訪れて以来、禁教令が徹底されるまで、たくさんの宣教師や切支丹が活動していました。先日紹介した400年超えの歴史を持つ伏見教会など、キリスト教の歴史という視点からも伏見は興味深い土地です。
上の写真は太秦(うずまさ)の映画村のセットのようですが、伏見みなと(湊)公園です。

秀吉が治水した桃山時代の宇治川を利用する京都と大阪を結んだ三十石船などの港として、伏見湊は栄えていました。

幕末と言えば時代を代表するような、人気の坂本龍馬もこのあたりを闊歩。

龍馬がお龍(りょう)と出会ったエピソードにちなんでか、こんな像も建っています。

この付近から、大手筋に直角に交わるように龍馬通りが続いています。

お土産だけでなく、庶民の日常がそのままあります。お漬け物屋さんも。

そして、何と言っても伏見といえば造り酒屋の酒蔵。あちこちにはこんな風景が。

今でも、湧き出る水を自由に汲めるコーナーが点在する伏見。水の旨さは格別です。
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Fushimi Port Park and Ryoma Street, Kyoto
ご存じですか、関東と関西とでは、エスカレータに乗るとき立つ側が違うんです。関東では左に、関西では右に立ちます。急ぐ人はそれぞれその反対側を行きます。
関東に住んで左に慣れてしまっているので、関西に行ってもつい無意識的に左側に立とうとして、どうして前の人は反対側にいるんだろうと思って、ハッと気づいて、あわててそーっと右に移動します。慣れ始めた頃にまた東京に戻るので、今度は右に立たなきゃという意識を打ち消しながら左に立つことになります。
幸い京都では関東からの観光客の人が多く、皆さん自由に位置を決めているような… そんなときは左に乗ります。えっ? そんなの乗らずに足で行けって!?
京都滞在中は、必要に応じてプラス運動不足にならぬよう、よく歩きました。あちこちで撮った写真がまだ残っていますので、あと2~3回は載せたいと思っています。
今日はそんな中から伏見桃山あたりの様子です。

伏見は幕末の志士たちが駆け抜けた街ですが、豊臣秀吉の時代にも桃山城が築城され、家臣たちの長屋があちこちにありました。ごく当たり前のように、そういう町名の住所が今もたくさん残っています。
切支丹の史跡もあり、ザビエルが訪れて以来、禁教令が徹底されるまで、たくさんの宣教師や切支丹が活動していました。先日紹介した400年超えの歴史を持つ伏見教会など、キリスト教の歴史という視点からも伏見は興味深い土地です。
上の写真は太秦(うずまさ)の映画村のセットのようですが、伏見みなと(湊)公園です。

秀吉が治水した桃山時代の宇治川を利用する京都と大阪を結んだ三十石船などの港として、伏見湊は栄えていました。

幕末と言えば時代を代表するような、人気の坂本龍馬もこのあたりを闊歩。

龍馬がお龍(りょう)と出会ったエピソードにちなんでか、こんな像も建っています。

この付近から、大手筋に直角に交わるように龍馬通りが続いています。

お土産だけでなく、庶民の日常がそのままあります。お漬け物屋さんも。

そして、何と言っても伏見といえば造り酒屋の酒蔵。あちこちにはこんな風景が。

今でも、湧き出る水を自由に汲めるコーナーが点在する伏見。水の旨さは格別です。
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Fushimi Port Park and Ryoma Street, Kyoto