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独楽の旅

元気で山野を歩き、心を癒してくれたものは立ちどまって気ままに写し、ブログに載せ、自分で存分に楽しむのが無上の喜びです。

521-【 中国四川省(九寨溝・黄龍・楽山・成都) 10日間の旅 (阪急) 】

2015年09月02日 | [海外旅行]


[阪急交通の募集広告]
今回の中国・世界遺産見学の訪問は、
平成27年7月11日から約1週間の予定で計画しました  ところが、
台風11号の接近余波で出発日(7/11)の朝になって搭乗予定の飛行機が飛来せず、
突然中止のなりました
1度は諦めましたが余韻が残り、予約をとり直して1ヶ月半後の8月26日出発の旅に変更しました
九寨溝、楽山、黄龍 などの世界遺産見学の訪問に抜かりがないように
準備万端にして出発の日を待ちました



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1日目 (8月26日-水) セントレアから中国成都へ


[中国へ向かう機内の様子]

 セントレアでのチェックインが遅く(11:35) 自宅をゆっくり出発
 中国東方航空機(MU-0530)は添乗員と14名の参加者を乗せて
 定刻 (13:35) にセントレアを離陸
 日本海を飛び越え、上海空港に定刻(時差マイナス1時間の14:45) に着陸 (ATE:2時間10分)
 上海で国内線(MU-5038)に乗り換えて成都に21時に到着、 バスでホテルへ移動 (22時着)

 △ 今夜の宿舎:加州花園酒店主楼(成都)


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[Click!! して下さい]
 =[セントレア]から空路[上海]を経由して[成都]へ向かいます 



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2日目 (8月27日-木) 松潘古城見学


[松潘古城の前に建つ王子夫妻の銅像]

 バスでホテルを早朝に出発(05:20)、成都空港へ向かう
 中国東方航空国内線(MU-5851)で成都を出発し(07:00)、
  [九龍空港](九寨溝) に07:50着陸 (ATE:50分)
  空港に着くと息苦しさを感じる→elv.:3,500m 富士山に近い高さ
 バスで空港を発ち、湿地帯「甘海子」を経由して [松潘古城] に向かう
  途中で昼食  中国で初めての有料トイレ(5元だったかな)を体験
  現地人の売るヤクの串焼きを買って食べる  サッパリして美味だった

 [松潘古城]の見学
  高い石積みの城壁に囲まれた古城で歴史を感じる
  城壁の中は チベット民族色の豊かな店が道の両側に並び、漢字の説明文は判読できます
  城門の内外では三輪キャブが猛スピードで後方から走ってくるので危険です

  古城を発ち、ホテルに向かう途中には両側にチベット仏教の祈祷旗タルチョが賑やかに
  旗めいていました
  夕食は超辛の四川料理には口も胃も閉口でした
  食後の皿には真っ赤な辣油の層が厚く浮いており、現地四川の人には
  美味しい味でも私の胃腸には苦痛でした
  食後、希望者は [チベット民族ショウの観賞] (OP-1 \5,000 約1時間) に行きました

 △ 今夜の宿舎:九寨溝喜来登国際大酒店(九寨溝シェラトンホテル)

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[Click!! して下さい]
 =チベットの史遺跡 [松潘古城の見学] と [チベット民族ショウの観賞] 



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3日目 (8月28日-金) 九寨溝見学


[エメラルド色に輝く九寨溝の長海]

 今日は1日をかけて [九寨溝の見学] に行きます
 ホテルウイルスから九寨溝の入口まで約2kmを歩いて行きました、
 団体の我々は別口から優先で入場し(パスポート提示)、専用バスなので見学はスムーズに進みました
 毎日、1~2万人の見学者で混み合う盛況でしたが地点間の移動が乗り合いではないので助かりました
 左右の分岐点の [諾日朗瀑布] から見学を始め そして左奥の [長海] を訪ね、
 次に右奥の [芳草海] から手前に順次見学して行きました
 場内は多数の乗り合いバスが巡回しており、一般の人は乗車場で並んで待って乗るのです
 専用バスでの移動は効率よく見学でき、たすかりました
 九寨溝は高度が3000m弱なので高山病の息苦しさは感じませんが天気が良く赤外線が強く日焼けしました
 夕食はホテルでのバイキング料理でした  美味しく安心して頂きました

      
        [エメラルド色に輝く九寨溝の池]


 △ 今夜の宿舎:九寨溝喜来登国際大酒店(九寨溝シェラトンホテル)

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[Click!!]
 = 世界遺産 [九寨溝の見学] 



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4日目 (8月29日-土) 黄龍見学


[エメラルドグリーンに輝く黄龍の棚田の池]

 早朝 ホテルを出発 世界遺産 [黄龍の観光] に向かいます
 途中、川主寺の [鉱石店] で宝石などを見物したり買物で楽しみました
 黄龍への途中、今回の旅で一番高い地点 [雪山梁峠(4,007m)] を通って黄龍に向かいます
 [雪山梁峠] ではバスを降りて写真を撮ったりして一休みし黄龍に向かいました
 富士山山頂よりも高いので酸素が薄くふらつきを感じます
 [黄龍]は [九寨溝] と1992年に世界遺産に登録された観光地で、
 白い石灰岩とエメラルドグリーンの大小の池が傾斜した地形に棚田状につながり、
 それに光が当たって色が変化する美しい観光地です

     
        [エメラルドグリーンの透明に輝く黄龍]

 水中の炭酸カルシュームが沈殿し、大型のカルスト堆積地形を形成したものだそうです
 日本には各処に鍾乳洞がありますが、黄龍はオープンスカイの鍾乳棚池と云えます
 入口からロープウエイに乗ると 3,600m まで一気に上れるのですごく楽です
 ロープウエイを下りる整備された板張りの歩道が全行程約6kmに整備されており安心して歩けます
 また、各処にきれいなトイレも配置されており観光地としての気遣いを感じます
 [黄龍] の見学を終えて、往路と同じ経路を通り (雪山梁峠は素通りして) 川主寺に帰ってきました
   (全走行距離:173km)

 △ 今夜の宿舎:川主国際大飯店(川主寺)

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[Click!!]
 =今回の旅の最高地点[雪山梁峠](4,007m)を通って[黄龍観賞]に 



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5日目 (8月30日-日) 成都へ移動・川劇観賞


[金色に輝くチベット民族の舞踊]

 早朝、バスでホテルを発ち [九龍空港] へ
 空港は濃霧で視程が悪く搭乗予定の機体の飛来が遅れ、成都への出発が遅れる
 待合の時間、近くにいた高校生(中国人)と英語と漢字を交え片言、筆談での会話を楽しみました
 昼前にやっと霧が晴れ、搭乗予定機が到着し、遅れて成都へ出発しました
 午後予定のパンダ見学を延期し、午後は成都市内見学を実施しました
 夕食はまたも四川の激辛料理 [火鍋料理] でした
 食後、希望者は [川劇の観賞] (OP-2 \5,000 約1.5時間) に行きました


 △ 今夜の宿舎:加州花園酒店主楼(成都)

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[Click!!]
 =濃霧の発生で予定を変更しての1日でした 



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6日目 (8月31日-月) 楽山大仏見学


[世界最大の楽山大仏さま]

 「石刻楽山大仏について」
 世界遺産の楽山大仏は成都から南方に 約164km 離れた [峨眉山] にあり、
 大河のボートから仏像を拝みます
 大仏は高さが71mの、頭部の直径が10m、足には100人の大人座れるほどの
 巨大な [弥勒菩薩] の石像です
 頭部にはバスで山に上り、大きな左耳の真近から参拝してきました
 当日の夕食は今回最高の激辛料理で 麻婆豆腐発祥の店と伝わる 「陳麻婆豆腐店」 での夕食でした
 勿論、美味しいと食べる人もいましたが私には胃腸も口もそっぽを向きたい激辛で苦痛の連続でした
 明日は帰国する日です  出発前の午前にまだ実現していない 「パンダの見学」 をする予定です

 △ 今夜の宿舎:加州花園酒店主楼(成都)

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[Click!!]
 =世界遺産 [楽山石刻大仏] 見学と[ラテックス寝具店] 訪問 



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7日目 (9月1日-火) パンダ見学後上海経由セントレアへ


[可愛いく寝そべる赤ちゃんパンダ]

 帰国準備をして早めにバスでホテルを発ち、「成都パンダ繁育研究基地」 の見学に出発
 パンダの施設は広い敷地の中の屋内、屋外の部屋で元気に遊んだり、寝そべったり、
 気ままな格好でタケノコを食べている様子を真近で見学しました

      
        [無邪気に遊ぶ姉妹のパンダ]


 10時にパンダの見学を終わり、[成都空港] に向かいました
 全員が搭乗した中国東方航空国内便(MU-0293)は予定通り14時に成都を発ち、上海に向かいました
 16時半に好天の中、搭乗機は上海空港に無事着陸
 上海からは 同じ中国東方航空の国際便(MU-0291) でセントレアに帰国する予定でしたが
 プリフライトの点検でトラブルが見つかったたらしく搭乗手続きがなく待合室待機が続きました
 現地ガイドは成都で別れたので状況判断が難しくなり周りの動向から推測するような状態でした
 今夜上海に一泊する可能性の噂も添乗員から出ていたのですが機体整備がやっと
 終わったらしいのです
 トラブル(内容は不明)が解決したらしく人の動きに従ってランプバスに乗って機体に向かいましたが
 降りないまま暫くしてまた待合室に引き返しました
 状況を係員が説明していたようですが言葉の障害で細部が判らないまま(不安を感じながら)
 待つだけでした
 暫く待っていると人が動きだし、またランプバスに乗って機体の側に連れて行かれました
 今度はトラブル(内容不明)が解決したらしく、バスを下りてステップを上り機内へと列は進みました
 余分に一泊できると云う期待ははずれ、このまま遅い時間の離陸(19時半)になり、
 セントレアには深夜の23時到着になりました (時差プラス1時間)
 滞在中の激辛料理で胃腸をこわして体調不良の帰国でした
 セントレアでのホテル宿泊も考えましたが金山駅からJRで春日井まで行けることが判ったので
 スーツケースを受け取って名鉄の乗り場に急ぎ、ホームで待つ電車に急ぎ飛び乗りました
 春日井駅に着いたら日付が変わって9月2日になっていました
 駅前からタクシーで自宅に向かい、無事に中国旅行が終了しました  ありがとう

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[Click!!]

 =午前中愛らしいパンダを見学、[成都]から上海経由で[セントレア]に深夜の帰国 


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 所見:
  [全般]
  1,日本との時差は中国全域でマイナス1時間でヨーロッパや南米と違い度々の調整が不要で楽でした
    東の上海から西の成都に移動しても時差には異常を感じなかったです
  2,全行程、好天に恵まれました  黄龍見学中に1度シャワーが来ましたが15分くらいで
    間もなく晴れ上がりました
  3, ホテルや商店などでは相手の話す言葉が全く理解出来ず、困りました
    下手な英語を駆使しても理解してもらえず意思疎通の不便を感じました

  [経済の動向]
  1, 各地で建設中のマンションなどが工事を中断している風景を多く目にしました
    建設途中のビルには屋上に動かない工事用クレーンが並んでおり人の姿は見えないのです
    バブル崩壊の兆候が感じられました  少しづつ景気は後退し始めている様子でした
  2, 成都や上海などの都市では20階以上のマンションが群を成して建っていました
    それらの棟はその間隔が極めて狭く、林立の状態です
    隣の棟の窓が直ぐ鼻先に在る状態でいつもカーテンを閉めておきたい感じです
    遠くまでの見晴らしを期待して高層マンションを購入するのに
    折角の高層マンションの有りがた味が感じられないだろうと思いました
    狭い日本と違う広大な国土の中国で何故だろうといつまでも疑問でした

  [観光地の施設]
  1, 九寨溝、黄龍、楽山などどこも観光客にとって使いやすく便利な板張りの歩道が整備されていました
    トイレも各処に適宜配置されきれいに清掃・整備されていました
    我が国も富士山などの山ではトイレの整備にこの考え方と方式を参考にするべきと思います

  [略し過ぎの漢字]
  1, 中国で案内、表示は漢字で書かれております
    漢字を使う日本人にはそれらの7割以上がそのまま判読し理解出来る事が多いです 然し
    略された漢字には略字の元の文字が類推できないほどかけ離れた略字が多いのです
    例えば黄龍の「龍」の略字は全く読めません
    これらは[漢字]とは云わずに中国字と呼ぶのが正しいのかもしれませんが略し過ぎだと感じました
    今の中国人は祖先が残してくれた論語や杜甫の韻を踏む漢詩が読めない時が来るのではと不安です

  [抗日思想の教育]
  1, 帰国日の9月1日の2日後、9月3日は中国の「抗日戦勝70年」を祝う記念日として
    ロシア、韓国の大統領など著名人を招いて北京天安門前で華々しく軍事パレードが開催され
    世界に報道去され帰国後日本で観ました
    成都空港待合室で出発機の到着を待つ間、大型のテレビは旧日本軍を相手に闘う抗日戦争を
    モノクロ映画を長々と放映していました
    いつものカラー映像もコマーシャルもなく、笑い声もない戦時中の沈んだ雰囲気でした
    帰国後知ったのですが1日から5日まで一般市民の生活を制限し犠牲にして
    国家行事として遂行したそうです
     (日本ではこの時多くの老若男女が雨の中で安保法案強行採決反対デモに熱中していたのです)
    毛沢東氏や周恩来氏を観習い、中国の過去の歴史を学んで行動して欲しいと思います

  [街の交通事情]
  1, 街を走る交通はバイクが多く勿論総人口が多いので 車、自転車も多いです
    自動車はVW、BMW、ベンツ、そして中国車に混じって日本車(トヨタ、日産、ホンダ)も
    走っていました
    VWの今回の検査偽装は多くの中国人には大ショックだろうと想像します
    トヨタ、本田などの需要が増えると嬉しいです
  2, 老若男女とも中国人は会話の声が叫ぶような甲高い大声で話します  やかましいです
  3, 黄龍の大仏見学時に、柵に寄りかかって見学しながらチベット人男性と隣合わせ、
    英語と身振り手振りで話しかけてみました
    勿論言葉は通じないのに「ニッポン人」 と云う言葉で、
    「オー」と云って笑顔でこちらを観て右手親指を上方に突き上げて
     「日本は最高だ」
    とお褒めの表情をしてくれました  日本人は最高の国民です
    中国国内でのチベット人の立場が想像できる  気分爽快
  4, 四川省で勧められる地元料理、郷土料理はたっぷりの[辣油]で煮込んだ超激辛料理で
    日本人の云う「胃腸にやさしい料理」とはかけ離れた味付けです
    地元人のガイド(32歳の男性 李さん)は
     「四川の最高に美味しい郷土料理に案内します」と紹介してくれましたが
     結果はおなかを壊してしまう結末になってしまいました
  5,観光地、街中のトイレは欧州各国と比べてよく清掃・整備され推測と逆に気持ちよく使えました
    特に黄龍のトイレは適度に配置され整備・清掃が行き届いていました
  6、混雑する各処 (成都の繁華街など) には多くの警官が配置され、
    事故発生を目撃することはなかったです
  7、「小心」とは[注意]、[用心]、[Take Caution] の事です
  8、9/1~9/5 には 東条元首相の似顔 のアイス売ってかじらせる嫌みもやっていました
  9,楽山大仏の山門の額に郭沫若の詩 左に「仏法西来」、右に「大江東去」
  10,旅行中は好天に恵まれ、黄龍で短時間(10分くらい)の降雨があっただけです
  11,好天続きの中、高度の高い処を連日歩いたので赤外線が強く日焼けして
    腕が赤黒くなっていました
  12, 中国は徴兵制はないそうです  軍隊は衣食住付きで鍛え訓練してくれる憧れの的だと云います



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520-[34年前の今日、F-15が日本の空を初飛行]

2015年08月26日 | [回想]
[初飛行のF-15J(同型機)]

34年前の今日、昭和56年8月26日の名古屋空港は朝から不安定な天気で、丁度今朝の尾張地方の天気のように不安定な雲の切れ間から青空が見えたと思ったらシャワーが降りだして、三菱のランプも水溜まりができるような天気でした
今日のために米国セントルイス・マグダネルで学んだ操縦技術を駆使して初飛行の無事完遂を狙って心技体の準備をして今日を待っていました
技術導入で完成した F15]初号機(JQ8803) が日本の空を日本人の操縦で初めて飛だいじな日です
09:30 離陸予定で機体の準備は行われ、防衛庁関係者、テレビなど報道関係者も私の早朝出勤よりも早く来場して準備を進めて待っていました

こんな落ち着きのない空のもとでF15J の初飛行を迎える事になったのです
実施の可否を自分自信の決断できる状況ではなかったのです
天気の変化応じて準備室と機体が待機する第6シェルターを往ったり復ったりして対応させられたたのです
ついには、往復の繰り返しからコックピットで座って天気の回復を待つことになったのです
マグダネルから技術支援に来ていた米人整備員のダン氏がコックピットで座って待機する私に熱いコーヒーを運んでサービスもしてくれました

天気は回復傾向だったのでタイミングをみて実行が決まりました  時間は11時過ぎでした
エンジンをかけて名古屋タワーと交信をして初飛行のタクシーアウトの許可をもらい国産初号機は初飛行に向かって動き出しました

『 NAGOYA Tower  Good Morning
  This is JQ8803
    Requet Taxi For F!5 First Fligt 』

間をおかず名古屋タワーからタクシーアウトの許可が出て ゆっくりとシェルターを滑るように発進しました
ランプには水溜まりが残っており、上空の空も大垣方向に青空も見えていましたがとても初飛行に適した天気では決してなかったのです
こんな天気のもとで初飛行した事は今でも心苦しく残念な気持ちです

滑走路上で念入りなエンジンチェックを終え、左右エンジンのスロットルをアフターバーナー入れ、轟音を残し機体はスムーズに地上を離れて舞い上がりました  雲への接近や、侵入は許されない事なのですがそれを避けることが無理な状況でした

20分余分飛んで早々に降りてきました  空港のサーチレーダーで飛行経路の全てをモニターされ、記録に残されていました
帰投後に私が行ったデブリーフィングは茶番劇的でした


[初飛行の様子を地上から写した写真(我が家に掲示)]

[追記] 昨日は大型で強い台風15号が日本西部を直撃し、今朝まで和歌山、三重では豪雨(大台原では650mm)で警報と避難が続いていました
これから中国の九寨溝、黄龍、楽山、成都などの見学に1週間の予定で独り旅(トラピクス)に出発します


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519- [ホームページとブログ]

2015年08月01日 | [案内]

[Blog] と [ホームページ] の差異についての私見
  [ホームページ] はアーケード街に並ぶ各商店に例えることができます
   平面的な構成です 何時、何処からでも望む目的地に辿りつくことができます 一方、 
  [Blog] は間口が狭く奥行きのある [酒蔵] に似た構造になっています
   このブログも、私でさえ過去の記録を訪ねることは容易ではありません
  ◎ そこで、各ページに順番に番号をつけて編集し直してみました
    これで自分なりに整理が容易になり、行き着き易くなり、少し満足しています
  ◎ 今、500近い項目の中から、自分でも再度訪ねてみたい想い出のある項目、
    訪問者に興味のありそうな項目を選んで取り出してみました
    多くの皆さんが一緒に楽しんで下さることを期待しています

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518- [京都貴船の川床料理(名鉄)]

2015年07月29日 | [バス旅行]
[名鉄交通の募集広告]

最近は連日、日本各地で猛暑日になるような暑い日が続き、熱中症による死者も多数発生し、ここ小牧でも連日熱帯夜が続いております
そんな連日の暑さの中で疲れた身体を癒やし元気を回復するために京都の貴船の川床料理を賞味するために名鉄観光の[バス旅]に参加して涼を楽しんできました

観光バス駐車場を定刻の 07:15に出発、途中MVと小牧駅で客を乗せ、総員41名で[小牧IC] で高速道に乗り、途中[養老SA]と[草津PA(モテナス草津)]でトイレ休憩して[京都東IC]で高速道を下り、南北に整然と走る京都市街の路を北方に向かって走り、途中同志社大学舎や京大病院の前を通って堀川通りを北方の高野山や鞍馬山に向かって走って行きました  暫く走ると観光バスの駐車場に着き、そこからは路が狭くなり、全員が小型バス(定期乗合)に乗り換え貴船川沿いに5分くらい上ると終点のバス停に着きます
そこからは歩いて川沿いに歩いて貴船神社から川床料理の場所まで上ります  中には狭い路を自家用車やタクシーで移動しているグループもいます
その途中、路の左側に貴船神社の山門があり急な石段を上っていくと境内に着きます
木船神社(濁らずキフネと呼びます 地名は濁ってキブネと呼ぶそうです)は出雲大社の関連神社で縁結びの神様で有名で若い女性に人気の神社です


[貴船神社総本社山門]

その左の石段を上ると貴船神社の境内に到着します  振り返ると急な石段です

[上りつめて振り返ると長い急な石段でした]

境内には七夕飾りが賑やかに飾られ多くの参拝客で賑わっていました

[広くない境内の奥に建つ神社の本殿です]


[七夕飾りで賑わう境内]


[境内から下りると貴船川沿いの路に出ます]

石段を下りた路を左の川上の方に行くと路の左側(山側)は小料理屋が軒を連ねて並び、右側は貴船川が流れ川の上にはテント張りの仮設小屋が続いています

[貴船川の流れは水しぶきを上げて速い]

この川面の上に建つ棟続きの小屋が川床料理店です  各小屋は路を挟んだ向かいの店から料理が運ばれてきます

[客の入りを待つ川床店(右源太)の内部です]


[右源太での同行のみなさん]


[路を挟んだ向かいから料理を運んでくれます]

いい具合に運ばれてくる料理を涼しい中で12時前から始まった食事は約1時間半かけて13時過ぎに終わりました  テーブルには番号札が置いてあり、帰る時ビールなどの支払いに使います  各人は14時集合でバス停まで歩いて自由に帰ります  外はやはり酷暑でした  バス停までの帰りは貴船川の流れを観て涼んだり、貴船神社に参拝して時間を過ごしてバス停に集いそこを定刻に出発して途中、市内の「鶴屋吉信菓子舗」に立ち寄りお土産を買ってきました  14時、観光バスは全員を乗せて帰途に着きました  途中[草津PA]と[養老SA]で小休止し順調に急いでいると[一宮JCT] 近くで事故が発生し渋滞が起きていると連絡が入り帰着が遅れそうだと心配していましたが30分くらいの遅れで無事に小牧に帰着できました

所見:

(1) 初めて体験した[貴船川の川床料理]を心ゆくまで楽しんできました
  今日も35℃ちかい暑い日でしたが
   鞍馬に近い山間を流れる貴船川沿いのここは涼しく
   川床は特に自然な涼しさを満喫できました

  川床料理の小屋に案内され、
   波立つ川面の上にこしらえられた小屋の中は
   涼し過ぎるくらいでした

  最初は 「温かい料理が食べたい。」 と云う気分になるくらいでした

  京都盆地の酷暑を凌ぐ方法として、宮人たちが考え出した理にかなった方法だからこそ
   今にも続いている文化だと感心しました

  エアコンよりずっと気持ちよく、
   縁側にゴザを敷いて昼寝した頃を懐かしく想い出しました


(2) 料理店 [右源太] から配られた団扇には 大和仮名 で歌が読れていましたが
    残念ながら私にはその文字が読めなかったのです

    帰宅して調べてみるとその内容は下記の内容で学生時代を回想しました

    『 物思へば 沢の蛍も 我が身より あくがれ 出づる たまかとぞ見る (和泉式部) 』

   [訳]  物思いをしていると、沢を飛び交っている蛍の火も、自分の身から離れ、
       さまよい出た魂ではないかと見えたことだ。

   [鑑賞] ことばがきによると、男に忘れられたころ、貴船神社を参詣し川に飛ぶ蛍を見て詠んだとある。
       当時は、ひどく思い悩むと魂が身体から遊離すると言われていた
       恋の悩みを神に訴えかけた歌です


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517- [ティーツリー観賞 (竹尾ハーブ)]

2015年06月10日 | [日記]
 [中日新聞(近郷版)に掲載された紹介記事(6月6日)] 

今年も[竹尾ハーブガーデン]の庭のティーツリーに真っ白い花が咲いたと云う記事です
一昨年も新聞記事を見て自宅を訪ね、奥さんの話を聴きながら観賞させて貰ったのです
訪問が遅れ、残念ながらはなの色は薄茶色に色あせてしまっていましたがブログにUPさせて貰ったのを想いだし(2013/6/13)
今年は遅くならないうちに見に行きたいと考えていたのですがまた今日まで遅れてしまいました
今朝、電話してお願いし見させて貰いに訪ねました
奥さんが申し訳なさそうに色あせて仕舞ったと開口一番に云われるのです
母屋前の大木は一面白いような花で覆われていました
残念ながら今年も訪問が遅れてしまったのです


[はなのいろ うつりにけりや いたずらに わがみよにふる ながめせしまに]

勿体ないことでした  「娘十八 番茶も 出花」 「来年は お年頃を やり過ごさないように 必ず訪問します」

奥さんにお茶と茶菓のお接待を頂き、手帳に記帳させてもらって帰ってきました
裏庭ではご主人と近所のお嬢さんがお花の手入れをしておられました


[裏庭に咲いてたきれいなお花さん]


[裏庭でもう一つ競って咲いてたお花さん]

来年こそはこれぞと云うような汚れヶのない真っ白い「ティーツリー」を観に再訪します

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516- 【 ヨーロッパ絶景ハイライト9日間の旅 (阪急) 】

2015年05月11日 | [海外旅行]




[天空にそそり立つマッターホルーン(4,478m)]

阪急トラピクスが企画した 「ヨーロッパ9日間の旅ツアー」 に参加して、H27年5月11日の午前 セントレアを12人の仲間 (男性6人、女性6人) と 若い女性の添乗員 の総勢13名の小さなグループが大韓航空機に乗って日本を飛び立ち、ヨーロッパに向かいました
この旅は私にとって初めての欧州行きの旅で、気分は浮きうきしています  欧州主要国のドイツ、フランス、スイス、イギリスの4カ国を訪ねる旅です  途中、通過したリヒテンシュタイン皇国 (首都のファドーツ) ではパスポートに記念のスタンプを押して貰いました

旅行の全行程、天候に恵まれ、計画されたスケジュールを滞りなく忙しく観て回り、9日間の日程を計画通りに全て終えて、5月19日深夜、セントレアに帰ってきました
添乗員の真野温子さんが旅の最後の日に [9日間の全行程の概要] を纏めたメモを全員に配布してくれました
分刻みの多忙な日程の中でこんな作業までしてくれていたのです  そのお陰で旅の全容を想い出し私なりに回想でき、旅を振り返ることができました  貰った記録をそのまま各日の最初に転記し、それを元に忘れかけていた旅の全行程を少しづつ想い出しながら整理してみました
彼女の優しい心遣いと気配りに感謝し、深くお礼を申しあげます  これまで参加した南米10日間の旅も、カナダの旅でもこんな心のこもったサービスを頂いたことはありません  有り難うございました。

彼女から配られたメモを [赤色] で引用し、その後に 私自身の旅の記録を纏めました


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旅の初日 (2015/05/11 月)

 [添乗員真野さんの旅日記]:
  「セントレア → ソール → フランクフルト
  みなさまはじめまして!
  セントレアにご集合頂き、大韓航空機 KE752便 で出発です。 
  韓国ソウル (Inchoen空港) で乗り継いだら、KE905 でフランクフルト です」
  (泊:フランクフルトのホテル  ホリディイン エクスプレス フランクフルトエアーポート)


初日セントレアでの集合時間が早かったので (07:25)、 前日は小牧から金山に出て、ホテル (名鉄イン名古屋金山ホテル) に宿泊し、当日早朝名鉄電車でセントレアに向かいました
受付で添乗員の真野温子さんと初めて逢ってチェックインを済ませ、往復の eチケット を貰い、両替所に向かいました
用意してきた両替リストに沿って、独と仏で使うユーロ、スイスで使うスイスフラン、イギリスのポンドの3つの通貨に交換しました
特別なお土産の予定がないので食事で飲むビール代などを勘案して円から交換して貰いました
両替所の女性も私を不慣れな老人と見抜いて親切に案内してくれました
渡されたそれぞれ世界の大国の通貨紙幣は新札ばかりでしたが、そのお粗末な出来映えに先ず驚きました
小学館の月刊誌に付いてくるおもちゃの紙幣だと思われもので、自宅のプリンターで偽造出来るのではないかと思わせるもので、日本紙幣の出来映えに誇りさえ抱きました  外国からの観光客は紙幣の大きさや立派さに驚き、大きさに合う財布の購入が早速必要になるのではと要らぬ心配もしてしまいました


[独・フランクフルトへ飛ぶ乗機の位置]

カウンターでスーツケースを預けて日本出国の手続きを済ませ 09:25 の搭乗を待ちました
総勢12名の参加者は添乗員の真野さんの案内で大韓航空機に無事に乗り込み、中継地のソール(Incheon空港)に向けて離陸しました (KE0752便 約2時間の飛行で11:25 Incheonに到着)
ソールで次の便 (KE0905) に乗り換え、13:05 離陸してドイツのフランクフルトに向かいました  大圏コースを西へ向かって飛ぶ航跡を座席の案内画面で追いながら、途中2回の食事をビールを貰って飲みながら楽しく旅を続けました  機内乗務員(昔のスチュワーデス) に下手な英語を駆使してみたが一切通じず、勿論日本語もダメでした  一つハングル語だけで仕事を続けていました (帰りの便では英語も日本語も通じました) どの方も抜群のスタイルで素敵な方揃いで乗客は楽しい飛行でした
このルートは途中、モスクワを左下方に見る飛行コースだったので若しかしたら モスクワの街 が目視できるのではと期待していましたが好天でも目視できる距離ではなかったようです
飛行するルートは私にとって初めて飛ぶコースです  夢膨らむ気持ちで浮きうきしながら、モニター画面の地図と見比べながら自分が操縦席で実際に操縦させてもらっている気持ちで画面を注視しながら、機の飛行を追っていきました  長い機上の時間が楽しくて疲れることもなく経過して行きました  日本との時差はマイナス7時間で長い夜が続きましたが退屈しない機上の夜でした
ドイツの北の端フランクフルトに定刻の 17時半頃 到着、迎えのバスでホテルに向かいました  今夜の夕食は機内食で終わったことになり、ホテル到着は午後7時を過ぎていたので、そのまま添乗員の指示で荷物を携行して部屋に入り欧州での初めての夜を迎えました  この時間、既に7時過ぎでしたが外はまだ昼間に近い明るさでした  緯度が高いせいでしょうか

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 =セントレアからソール経由西回りでフランクフルトへ飛びました 



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2日目 (2015/05/12 火)

 [添乗員真野さんの旅日記]:
  「ローテンブルグ → ディンケルビュール → ネルトリンゲン
  グーデンモルゲン(お早うございます)
  今日はロマンチック街道の観光です。
  まずはローテンブルグ。
  仕掛け時計にギリギリセーフ!
  聖ヤコブ教会や市庁舎、可愛らしい街並みでしたね。
  そして次はディンケルビュール。
  ドイッチェハウスで白アスパラガスなどお召し上がり頂きました。
  そしてネルトリンンゲンへ。
  隕石落下の街は今や落ちついた静かな街でした。
  そしてフュッセンへ向かいます。」
  (泊:フュッセンのホテル  ユーロパーク インターナショナルホテル)



[独・ローデンブルグ・マルクト広場の建物]

朝、ホテルを専用バスで出発 (180km/約2.5時間)
ローデンブルグに到着して市街を約1時間歩いて散策しました  マルクト広場、聖ヤコブ教会、市庁舎など歴史的遺物の見学です
その後ロマンティック街道をバスで通って ディンケルビュール に向かいました (約53km/45分)  途中、車窓から見るロマンティック街道は花いっぱいの可愛らしく美しい街並みでした
そして、ドイツ最古と云われる 木組みの家 (ドイッチェハウス)で昼食に頂いた4本の ホワイトアスパラ は口に入れるととろけてしまう品質で殊の外美味しさで最高でした  これは5月だけ食べられる企画で幸運でした
その後、街中を散策し、そして専用バスで 約33km を走って (約30分)、隕石落下の跡地に生まれたと云うこの街、ネルトリンゲン に向かいました
ネルトリンゲルの街を見学してから再度、専用バスに乗り、約196kmの道程を 約3時間 かけて走り、ドイツ南部の都市 フュッセン に向かい、今夜の宿泊場所の ユーロパーク インターナショナルホテル に入りました

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[Click!!]
 =初日の旅はドイツの古い歴史の街を観て回りました 



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3日目 (2015/05/13 水)

 [添乗員真野さんの旅日記]:
  「ヴイース教会 → ノイシュバンシュタイン城 → ファドーツ
  まずはヴイース巡礼教会へ。
  ロココ調の曲線を活かした美しい教会でした。
  フッセンへ戻り、ノイシュバンシュタイン城の見学です。
  山の上のお城には徒歩や馬車で登りました。
  白鳥城とも呼ばれる美しいお城は如何でしたか?
  お城の側での昼食後 バスで リヒテンシュタインの首都 ファドーツ へ向かいます。
  途中オーストリアを少し走り、スイスに入り、リヒテンシュタインへ。
  小さなファドーツの街では記念にパスポートにスタンプももらいました。
  チュウーリッヒに向かいます。」
  (泊:チューリッヒのホテル  アレグラ)



[独・ノイシュバンシュタイン城]

訪ねたヴイース教会では牧師さんに下手な片言英語で話しかけてお願いし、みんなに美しい絵ハガキを1枚づつ貰ってきました
約20分 専用バスで走り、ノイシュバンシュタイン城(白鳥城) の見学に行きました

私は独り、お城までの登坂路を歩きたいと希望し、添乗員に詳しく道順を聞いて出発しました  途中3組を追い越してお城の下の休息所まで歩き、台湾から来たと云う男性と全く通じないままの会話で時間を過ごしていました
12人の乗った馬車がそろそろ着く頃だと待っていると暫くして、みんなも馬車に乗れずに少し遅れて歩いて登ってきました
馬車に乗る予定でいたら順番取りで中国人のツアーグループともめて、結局みんなも歩いて登ることになったのだそうです
歩きがきらいな人には大汗をかく苦労の登山だったろうと思います

このお城は趣味で築城されたお城だそうで白く美しい城で、すばらしい景観でくまなく観て回ることができました
昼食後、専用バスに乗って 約3時間40分 (163km) 走り ヒテンシュタイン皇国の首都 ファドーツ に向かいました
切手の販売を産業とする国で、街の中には切手をデザインしたタイルが地面に貼られ切手王国らしさを感じました  私も記念にパスポートにスタンプを押して貰いました (3フラン)
また、専用バスに乗り、チュウリッヒのホテルに向かいました (120km/2,3時間)

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 =ドイツの歴史を刻む美しいヴイース教会と白鳥城を観てきました



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4日目 (2015/05/14 木)


[スイス登山地図]


 [添乗員真野さんの旅日記]:
  「ツエルマット
  いよいよスイスの観光です。  午前中はほぼバス移動。
  エメラルドグリーンの湖がいくつも見えました。
  レマン湖沿いのション城を見おろしながら テーシュ駅へ。
  電車で10分。  ツエルマットに到着です。
  今日は快晴。  マッターホルンの写真を撮って昼食。
  フリータイムの後はゴルナーグラード展望台へ。
  雪をかぶった山々が美しかったですね。  下山後ホテルへ。
  マッターホルンビューのお部屋宿泊です。」
   (泊:ツエルマットのホテル  アンバッサダー)



[スイス・マッターホルン]

今回のツアー最大の行事 マッターホルンの近くまで登ってゴルナーグラード展望台から真近での見学です
  この上ない好天に恵まれ、雲も風もなく兎に角、素晴らしい見学が実現できました  最高でした
  昭和23年夏に戦後も続けていた疎開先の石州井原の叔母の家から両親の待つ宇部に帰り、
  転校した神原中学校の英語の教科書に出ていたマッターホルンの記事を朗読しながら
  自分の後頭部をさすりながら 「Overhunging」 の語句の解説をしてくれた英語担当の
  村上先生の姿と教科書に載っていたマッターホルンの写真を思い浮かべ、
  雪の粉を振りかけた姿で前に険しくそそり立つオーバーハングしたマッターホルンの実の姿が
  重なってこの私を奮い立たせてくれ少年のように大声で叫びたい気持ちにしてくれました
  「マッターホルンよありがとう」
  素晴らしかったです  最高でした  今回の旅の全てです

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[Click!!]
 =あこがれのマッターホルーンの偉容を間近に観られました



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5日目 (2015/05/15 金)

 [添乗員真野さんの旅日記]:
  「シャモニー
  急に寒くなりました。  マッターホルンも霧と雪雲の中です。 
  電車でツエルマットからテーシュに戻り、専用バスで出発!  フランス シャモニーへ。
  昼食後ロープウエイを二つ乗り継ぎ エギーユ・ドゥ・ミディ展望台へ。
  真っ白な世界、吹雪でした。  ドイツの暑さから一転の寒さでした。
  そしてバスはジュネーブへ。  フランスの新幹線 TGVに乗りパリに向かいます。」
  (泊:パリ隣接地区のホテル  アリアンスホテルボルトドサントゥアン)



[仏・新幹線TGV]

今日はヨーロッパアルプスの最高峰モンブラン(4,810m)をエギーユ・ドゥ・ミディ展望台から観望する計画でしたが残念でした
昨日と打って変わり、朝から雨が降り風が吹き荒れてロープウエイを乗り継いで展望台までは登りましたが濃霧と風雨の中で何も視界には入って来ませんでした  帰る時は上のロープウエイが下に向かって発車した直後、車体が左右に大きく揺れて進むことができないインシデントが発生し、暫くそのままで様子をみていましたが揺れが少なくなってから出発点まで引き返し、揺れを整えてから再び下山を始めると云う不具合が発生し、一瞬みんなが肝を冷やす事態にも遭遇しました  やっと二つのロープウエイを乗り継いで無事に下山できました
12人は無事に何事もなく専用バスに乗ってスイス西南端のジュネーブに向かいました (約81km/約1.4時間)
ジュネーブからフランスの新幹線TGV(2等車)でパリに向かいました (約3.4時間) ホテル到着22:00

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 =モンブランの偉容は風雪の向こうで見られませんでした



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6日目 (2015/05/16 土)

 [添乗員真野さんの旅日記]:
  「パリ
  本日は1日、自由行動日。
  現地ツアーでもモンサンミッシェルに行かれた方やご自身で地下鉄を使い、
  ルーブル美術館やエッフェル塔、シャンゼリゼ通りなどお楽しみ頂いたり、
  それぞれお過ごし頂きました
  (連泊:5日目のホテルと同じ)



[仏・凱旋門]

今日は各自、自分の計画で自由行動して下さいと全日解放されたのです  
夫婦など家族連れの方はそれで楽しく過ごせますが私などは大いに困ることが多いのです
今日のために事前の準備を万端にして来られていた下辻氏(71)にくっついて歩き、パリの街を見学する事にしました
もう一人、単身参加の男性、浅井氏(62)は仕事で各地を旅し、旅慣れておられるらしいのです  
この2人に引率される形でパリの街の見学に出発しました  
2人の案内について地下鉄にも乗り、凱旋門にも螺旋階段を頂上まで歩いて登りました  途中疲れて休む人(中間)もいましたが私も疲れできて目が回るような気持ちになりました
エッフェル塔ではすぐ近くから真上に眺め、真下から天井を仰ぎ見たり、各処から写真に撮ったり、遠のいて全景を写したりして楽しんできました  
兎に角、今日は快晴の好天に恵まれた暑く最高の行楽日でした  シャンゼリゼ通りもその気になりきって歩いて来ました
地下鉄(メトロ)では1日通し券を各人が購入してそれをこれ以上ないほど活して利用してきました  
駅構内を行ったり来たりして行きたい処へのホームを探して迷い歩いたり、一度はトイレを探し歩いていると何時の間にか構外に出ていて先程歩いた同じ処に帰ってきていたりしている事が起きて大笑いする事も起き楽しい想い出つくりでした
3人が1日通し券を買っていたのと時間の制約がなく好天の中で軽い失敗を楽しめる心の余裕があったからだと思います  
こんな気楽な気持ちで失敗を楽しみのネタにして1日を過ごせたのです  
パリの街を思いっきり楽しんで過ごしてきました
私にとってはS氏とA氏2人の助けのお陰と感謝しております
一通りの観光を済ませ、ホテルに帰る途中、ホテルの近くで夕食を食べて行こうとそれらしい店に入りました  
迷いながら入った食堂で壁の写真を見て3人で同じ物を注文  出て来た食べ物はポテトのフライが主体でそれと味のないパンもどきの主食  
3人で苦労しながら食べたが半分も食べられない食事だったのです  
店のお兄ちゃんがパンもどきを紙に包んでくれ、持って帰れと勧めてくれたのでホテルに持ち帰り空腹になってから食べてみたのですがやはり喉を通し難い食品でした  
彼らにはこれが普通に食べられる食事のようです
夜、寝る前に明日の準備してると支払いの時に財布をテーブルに残して来たようで私の手許に無くなったいたのです
明日からはいぎりす・ロンドンなのでフランが使えるのは今日までだったのです  使い切りたいと思っていたので失ったことにそれほど思い残すことなく諦めることができました
いろんな出来事がありましたが自由行動の1日を同行の皆さんに迷惑をかけることもなく楽しく有意義に過ごせて一安心でした

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[Click!!]
 =パリの中心部を歩いて存分に楽しんできました



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7日目 (2015/05/17 日)

 [添乗員真野さんの旅日記]:
  「パリ → ロンドン
  ボンジュール!  今日はそろってパリ観光です
  陽気なドライバー・アサンさんと先ずは凱旋門でフォトタイム。
  地下道を通りすぐ側まで行きました。
  そしてシャンゼリゼ通りを走り、コンコルド広場でもフォトタイム。
  更にオペラ座やルーブル美術館、ノートルダム寺院を車窓からご覧頂き、エッフェル塔でフォトタイム。
  その後はいよいよセーヌ川クルーズです。
  お天気も良くセーヌ川からの眺めは如何でしたか?
  昼食の後はユーロスターに乗ってロンドンです。
  バッキンガム宮殿をご覧頂き、ビッグベンやタワーブリッジなどロンドン市内をドライブしました。
  夕食はコベントガーデンでフィッシュチップスでした。
  (泊:ロンドンのホテル  アロフトロンドンエクセル)



[英・バッキンガム宮殿正門]

今日はゆっくりとした朝で、9時に専用バスに搭乗してホテルを出発  
午前中はパリ市内の観光です  天気も最高です
観光バスに乗って市内を遊覧して回りました
所々で運転手(アサンさん)がバスを停めてくれ、地下道を通ったり、横断歩道を渡ったりして 凱旋門を見学し、
シャンゼリゼ通りを走り、コンコルド広場や、エッフェル塔などを見学し、写真も撮りあって楽しい時間を過ごしました
オペラ座やルーブリ美術館、ノートルダム寺院も通過するバスの車窓から観てきました
そして、セーヌ川クルーズ (世界遺産) の時間に合わせて遊覧船の波止場にバスは着きました  
セーヌ川の川岸には多くの遊覧船が係留されており、私たちも事前に購入していた時間に合わせて乗船場から船に乗り込み、約1時間の遊覧を楽しみました  
下を通り過ぎる橋はそれぞれに形態が異なり見物でした  
またセーヌ川を跨ぐ橋の数個の欄干には隙間がないほどに錠前が掛けられており、それらは恋人同志の過去の約束を今も示しているのだそうです  
彼らがいつまでも幸せを持ち続けて欲しいと祈って通り過ぎました

 追記:Web情報(BigNews) http://www.yomiuri.co.jp/world/20150602-OYT1T50160.html
  愛の重さに耐えかね…パリの南京錠70万個撤去 (2015年06月03日 00時05分)
   1日、パリで、ポンデザール橋から撤去される南京錠(本間圭一撮影)
  【パリ=本間圭一】パリ市は1日、セーヌ川のポンデザール橋の欄干に恋人たちが
   「愛の証し」としてかけた
   大量の南京錠の撤去に踏み切った。 欄干が重さに耐えかね、崩れ始めたためという。 
   2人の名を書いた南京錠を欄干にかけ、鍵を川に投げ込めば、2人は永遠に結ばれる。
   そんな言い伝えが映画や小説から広がり、2008年頃から増え始めたという。
   最近は日本人の名前が書かれたものも目立つ。
   ただ、70万個を超す南京錠の重さは約45トンに達し、危険が指摘されていた。


観光クルーズを終わり満腹気分になって昼食を食べにレストランに移動です
パリ最後の食事を済ますとイギリス・ロンドンへの最後の旅路でパリからロンドンに移動します
パリの駅からユーロスターに乗って海峡の下を潜ってロンドンに渡ります  
もうフランスに来ることはありません  ちょっと淋しい気分です
約2.5時間乗車すると列車はロンドンの駅に到着しました  
ロンドンの夕暮れは午後7時になってもまだ明るいのです
ロンドンに着いて早速バッキンガム宮殿の見学に行きました  
TVなどで見慣れた風景ですがじかにこの目で見る歴史的宮殿の偉容は素晴らしいもので感激でした  
ホテルへ向かうドライブではタワーブリッジ゙やエリザベスタワー(旧称ビッグベン)を車窓から眺めることができました
ホテルに向かう途中、市内のレストランで夕食を食べロンドン郊外のホテルに向かいました  
この辺りはロンドンオリンピックの時に開発された地域と云う事でホテルも新しくてきれいでした

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[Click!!]
 =パリ・セーヌ川を遊覧、ロンドンへ移動、観光の多忙な1日でした



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8日目と9日目 (2015/05/18月~19火)

 [添乗員真野さんの旅日記]:
  「ロンドン見学 → ソール → セントレア → 解散自宅へ
  Hello!  ここからは今後の予定です。
  ロンドンの自由行動の方と オプション参加 (ウインザー城観光) の方との2組に別れて行動します。
  その後 ヒースロー空港より KE908便でソールまで。
  更にKE751便でセントレアに向かいます。
  皆様 9日間、ご協力頂きまして有り難うございました。
  これからも楽しい旅をお続け下さい。 (^^)/~~~
  (泊:機中泊です)



[英・ウインザー城]

今日は9日間ヨーロッパ絶景の旅の最終日です  
先が無いと思うとちょっとセンチな気持ちになります  
帰国仕様に荷物を整理してホテルレストランでバイキング様式の朝食をいただいた後チェックアウトを済ませ、
フロントにスーツケースを一時預けしてウインザー城の見学(OP-2 \16,000)に出発です  
今日は生憎の雨で傘持参の出発です  参加者8名は観光バスに乗りウインザー城れることをに向かって出発 (08:30)
途中、雨が降り続き、通勤ラッシュに巻き込まれて予定していた時間より遅れ、ロンドンの西約40kmにある [ウインザー城] には約2時間遅れての到着になりました
途中、真野さんはウインザー城で待っている日本語の案内人に到着が遅れることを連絡しておりました

この城は週末、女王がこの城で過ごされる事があるそうで今もそうして現用されているお城だそうです
このお城は約26エーカーの広大な敷地の中に約45,000ヘーベの床面積を持つ石造り古い歴史のあるお城との事です
そして、今も現用されているお城としては世界で最も古いものだと云うことです
城内では写真撮影は禁止されておりました

見学を終えて城郭の近くのレストラン[HARTF & GARTER]で昼食を頂きました
食事を済ますと観光バスに乗って今朝出たロンドンのホテルに再度帰りました  
渋滞などで予定より少し到着が遅れたが空港へ向かう予定時間には間に合って到着できました
別の自由行動でロンドン見学に行った4人とホテルで合流し、各人預けたスーツケースを受け取り、
13人揃ってホテルをバスで発ち、ヒースロー空港に向かいました  
いよいよ旅を終わり帰国の途につきます

ヒースロー空港で大韓航空機 KE908便に搭乗し、19:35 空港を定刻に飛び立ち、韓国首都ソール(Incheon空港)に向かって大圏航程を飛んでいきました (約10.8時間)  
ソールにも定刻14:25に到着しました

ソールで、約4時間半の乗り継ぎ時間を仲間の3人と雑談しながら過ごし、KE0751便 に搭乗して定刻の 19:05に Incheon空港を飛び立ち 名古屋セントレアに 向かいました  
空港ではラッゲッジクレームで預けたスーツケースを受け取ると旅の終了を体感します
添乗員の真野さんにお礼を云って順次解散です

同行のKさんのスーツケースのコロが油きれで大きな異音を出していたので放っておけず、彼女が準備していた小袋入りのオリ-ブオイルを4個のローラー部に塗布して応急の処置をしたら異音が消えたのでこれで帰宅まで大丈夫だよと彼女に云って家路に送り、別れました
多分、自宅まで無事に帰り着けたことと思います

私は出発前にWeb予約した [コンフォートホテルセントレア] (0569-38-7211) へ長い通路(廊下)を独り歩いて行きました
通路終点のエレベーターで1階に下りるとホテルのフロントがあり、投宿の手続きを終わりました

部屋に落ちついて最初に感じたのは10日ぶりに接するウオッシュレットトイレでした  日本では当たり前のものが贅沢の象徴なのです
10日間一度も目にしなかったウオッシュレットに座ってみて日本の生活レベルと文化の高さ、贅沢さに感謝しながら、久し振りの日本の夜を過ごしました

翌朝はゆっくりと朝食を食べて名鉄とJRを乗り継いで自宅に帰りました

帰途のコースが東回りの長い飛行だったので時差の蓄積が後々まで残った結果なのか、
それとも自分が老齢になっていた結果なのか旅の疲れが消えるまで永い時間を要したことを付記します

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[Click!!]
 =ウインザー城を見学後、13人揃ってヒースロー空港から帰国の途に

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 =ヨーロッパ絶景ハイライト9日間の旅(欧州9日間の旅の総集編) のスライドを観て下さい。


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所見:
 ①、車窓から眺めた田園風景に興味津々となりました
   囲りには必ず近くに山がある日本と違い、ドイツでは近くに高い山は見当たらず、
   浅いうねりを以て広がる広大な土地は青々とした牧草地で機械で刈り取られた牧草が
   2mくらいの円筒形にしてビニールで包んだ塊が散在していました
   発酵を待って家畜の喜ぶ餌にする風景が広く続いていました
   北海道の風景を拡大した感じです
   国土の狭隘な日本にに比べて広く富んだ国土をもつドイツやフランスの底力に
   逆うことは無駄な事だと実感させられました

 ②、[トイレ] について
   ドイツ、フランス、スイス、イギリス 全ての国でトイレ使用にお金を要求することに
   驚きました  街中にはそのトイレも少なく、見つけて入るのに一苦労しました
   1フランや1ポンドの使用料を支払わなければ使わせて貰えないのです 
   なんと不自由な社会であることかとおもいました
   日本では[コンビニ]などは 『きれいに使って頂き有り難うございます』と標示さえあります

 ③、フランスの新幹線TGVの車両、座席は終戦後の日本の汽車を連想させるレベルで
   それでも苦言を言わず、満足しているのが英仏人なのです
   彼らは実質を重んじて満足している国民なのだろうか  日本人なら誰かが文句を云うでしょう
   日本人の思考基準が間違ってるのでしょうか
   大陸性と島国性気質の差異に起因するのでしょうか

 ④、食事について
   トラピクスが自信を持って勧める(高額を取ってるのだから)レストランで食べた昼食は
   お決まりの3ステップ (スープなどの前菜、肉などの主菜、ケーキなどのデザート)で
   何時もこれで終わりです
   一言で云えば高額な粗食だったと云えます
   泊まったホテルで食べたバイキングが一番の美食で豪華でした
   日本の食文化が世界遺産に指定された訳が頷けます

 ⑤、通貨 (紙幣とコイン) について
   3つの貨幣に両替して少ない機会ですが使用してきました
   円との交換レートは大凡
    ユーロフラン:ドイツとフランス →約135円
    スイスフラン:スイス       →約132円
    イギリスポンド:          →約190円
   でした
   日本の紙幣は紙の質が良く他国のものと比較することはできません
   我が国の紙幣の原材料はミツマタで昔は国内で生産されるものでしたが
   現在は主としてネパールウランバートルから輸入されておるそうです
   先日の大地震で来年からの輸入・供給が危ぶまれます
   欧州の紙幣は再生紙ではないかと思われるような紙質で小さく、
   小学館雑誌の付録にもついて来そうな代物です

 ⑥、喫煙について
   同行者13名の中には喫煙する人はいなかったのですが
   車窓からの眺めた様子で、イギリスでは男女の喫煙者が多く見られたことです
   歩行しながら喫煙する人が多く、決まった喫煙所も見当たらず、
   歩きながらの喫煙者も多く、路上にはポイ捨ての吸い殻が多く散乱していました
   その投棄された吸い殻をデッキブラシで掃除している人も各処に散見でした

 ⑦ イギリスは自転車走行が極めて多い
   車と一緒に車道を走行しているので見ていて非常に危険だと思う
   自転車を車両と同一に運用走行しているのを今後歩道と車道の間に自転車道を併設し
   三者を独立走行させて安全を図ろうと自転車道の増設の工事が各処で行われています
   そのための渋滞が発生していました
   工事が終わると事故も減り、渋滞も減り、安全な走行ができるようになるだろうと
   期待できます

 ⑧、日本は外国と比べて贅沢すぎる
   全ての面において我が国日本は超贅沢で優雅な生活を送っています
   それでもまだ苦言や文句の多い日常だと実感しました

   また、イギリス、フランス の街中には建造物に素晴らしい彫刻が散見されます
   歴史の国、芸術の国と云えばそうですが、その中に黄金色の装飾が多いと感じました
   日本では名古屋城や大阪城にも見られますが一般には高い場所にある建造物に
   見られることが多いですが英仏では人の目線にその多くがあるように感じました

 ⑨、訪ねたパリとロンドンには街中に素晴らしい彫刻品が建築物が多く金色で装飾された
   国家に尽くした英雄などの銅像が街中に多数ありました
   日本でも戦争末期の金属強制供出までは似たような状態で市民の心の拠り所でした
   今回の旅で羨ましく感じた事はこの事と国土の広さです

 ⑩、ロンドンでは観光客の行動が地元に迷惑を及ぼさない為か(規則として)
   車で駅に到着した時、飛行場を発つ時、街中にバスを駐める時など
   現地に駐在する英語堪能な日本人が必ず事前に来て同行し案内するシステム

 ⑪ ゴルナーグラード展望台(3,089m)からマッターホルン(4,478m)を見学した時
   1人に高山病の症状が発生した
   3,000mを超える高所では酸素が希薄になり、酸素分圧が減り誰にも異常が起きて
   高山病即ち低酸素症(ハイポクシア)、過呼吸(ハイパーベンチレーション)などの
   症状が生ずる事があり、間違うとチョーク
   今回の旅でも異常な症状がでた人もいたが人は慣れるのです
   マラソン選手が事前に高地訓練をするのはそれに慣れる為の訓練です
   予防策として
    ⅰ、走るなど激しい行動を避け、深い呼吸をしながらゆっくり行動する
    ⅱ、呼吸は肺の空気を吐き切るように最後までゆっくりと吐ききる
    ⅲ、吸気は意識しなくても吐いた後に自然に吸い込まれる空気で十分です
    ⅳ、最初から意識してゆっくりと深い呼吸をする
      緊張して呼吸が激しくなるとハイパーベンチレーション症状になる
      (酸素過多の状況は身体に酸素が吸収されず、返って高山病になる)
    ⅴ、健康状態が万全でない時は低酸素症になりやすい
    ⅵ、低酸素症発生時の自覚症状は人によって異なるので絵自分で体験し自覚しておく
 
   ・前日は睡眠を十分とる。
   ・食べすぎない。
   ・水分を多めに取る。
   ・飴をなめる。
   ・飲酒を控える。
   ・風呂よりシャワーを使う。
   ・身体を事前に高所に慣らす。
   ・動作はゆっくりで急がない。 走らない。
   ・深呼吸する。呼吸を止めない。
   ・頭痛が起こったら早めに鎮痛剤をのむ。
   ・頭痛や吐き気が悪化してきたら下山する。
   ・自覚症状は各人で違うので自分の症状を認識する。
   ・ベント、チョークの発症に警戒する。  などなど

 ⑫、全行程を通じて痛感した事は「ニッポンはすごい国だ」と云うことです。
   敗戦で壊滅を体験したわれわれ戦後の日本人は本来の姿から別世界に投げ出され
   数々の混乱を経験して今日に至り、今も隣国との摩擦が悲しくも現存しております
   今回、初めてヨーロッパ4ヶ国の生活を一寸だけ体験し垣間みたのですが
   多くの点、否全ての点において「ニッポンはすごい国だ」と云う事を実感し、
   誇りをもってこれから活きていけると固い自信を抱いて帰ってきました
   大金を持って日本に来て [バクガイ] していく観光客が増えていると聞きます
   世界をリードし、俺たちが一番だと自負する欧米人が普通・平均なのでしょうが
   それに比べて我がニッポンは数枚も上座に座っているのではと実感しました
   ニッポンの先人がこつこつと積み上げ残してくれた努力の賜だと感謝しました
   来月には初めて中国を訪ね、自然観光の予定ですが何を感じるかが楽しみです

 ⑬、最後に添乗員の真野さんの綿密な準備と心温かい気配りに最大のお礼を申します
   今回のように多くの観光地を巡ると参加者には訪問地が前後したり国別が判らなくなり
   帰ってからの整理に困ってしまい記述のなかに虚の記述が混入することしばしばです。
   いくらメモを残していても結びつかなくなること多々です
   何度も同じコースを添乗員として同行される方は今回の真野さんのように最後に纏めを
   整理して渡して下さると旅の効果は数倍上昇します
   前もって 「自分なりのテンププレート」 を作製しておいて今回の旅行程で必要な処だけを
   修正すれば済むような工夫をおしてお客へのサービスに気遣いして下さると
   最高にうれしいことです  真野さん有難うございました。

  - 以上 -


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515- 『世界遺産熊野三山巡りと南紀勝浦温泉(1泊2日)(名鉄)』

2015年05月06日 | [国内旅行]
[新聞折込広告]

連休明け平成27年5月6日から勝浦温泉の「ホテル浦島」に1泊して、熊野本宮大社、熊野那智大社、熊野速玉大社の熊野三山と花窟神社、那智の滝、鬼ヶ城を参拝見学してきました、
好天に恵まれ泊った [ホテル浦島] は自前の連絡船で港を往復して玄関に横着けしてくれます
ホテルは本館となぎさ館が繋がって海に面して建ち、七つの浴場をはしごして愉しめます

鬼ヶ城と那智の滝は訪ねた事がありますが熊野三山の参拝は初めてです
熊野古道は世界遺産に登録されてからウオーキングで7度歩きましたが三山には早く訪ねたいと望んでいてやっと今回そのチャンスに恵まれたのです
三山はいずれも「八咫烏」が祀られております
八咫烏は神武天皇が東方征伐時に大和に向かう時、道案内をしたのだとか

当日は好天に恵まれ47名の参加者を乗せたバスは定刻(07:30)に名鉄車庫を出発
伊勢道、紀勢道を経由し大泊海岸に寄り [鬼ヶ城] を見学して(11:35~12:40)昼食

次に [熊野速玉大社] に向かいました  途中、熊野川に架かる橋の欄干が三重と和歌山で大きさに差異があると説明していました(添乗員)
攝社である [神倉神社] には538段の急な石段を登ります  きついです

次に [熊野那智大社] と [青岸渡寺] を訪ねました  途中、道の左を流れる那智川は先の台風12号(H11)の水害で大きな被害を受け、今も復旧工事を続けていました  参拝する範囲が広く気ままに訪ねていると観光バスへの帰路がはっきりしなくなり慌てるような状態になりました
[那智の滝] は10m位あったと云う滝壺は上から流れ落ちた大小の岩石で埋まり壺ではなく山となったままで見る影もない姿でした
元通りに復旧することはそこに在る鳥居などの配置からみて不可能だろうと私には思われました

初日の見学を終え、宿泊の [ホテル浦島] に連絡船に乗って渡りました  約8分です
食後にスタンプ用紙をもって仲間と一緒に温泉巡りです  大きな洞窟の中の [忘帰洞] は人気風呂です

2日目(5/7)は05時に先ず風呂に  朝食(バイキング)を食べ、玄関前から連絡船に乗り、各自で観光桟橋に集まり
観光バスに乗って最初に [蒲鉾工場] を訪ねました  敦賀の [小牧] に似た工場でした

工場を出て約1時間で [熊野本宮大社] に到着です  主神は [スサノオノミコト] です
全国に3000社ある熊野神社の総本山です
熊野古道の中辺路を経て伏拝王子から最初に辿り着くのがこの大社だったのです
表から158段の石段がありその両側には幟がはためき厳かな気持ちになります
広い前庭の四角ななった区画の殿内っは広く大きく厳かな社殿です
拝殿は向かって左から [相殿](第二殿西御前、第三殿中御前)、御本殿(第一殿証誠殿)、(第四殿若宮) と並んでいます

参拝を終えたら熊野川の [瀞峡めぐりの里 熊野川] でナベ料理の昼食を頂きました  外国では決して味わえない美食でした

食事を終えると観光バスで [花窟神社] を訪ねました  国道42号線沿いにありイザナミノミコトの御陵です
背後の岩は巨大でその頂きから何本もの縄が張られており、道沿いの便利な場所にあり参拝者も多かったです

今日の計画を全て終えて帰途につき、18:40 無事に帰着しました  途中14時半頃から雨が降り始めましたが支障なく幸運な1日の旅でした


[Click!!]
 =熊野三山参拝の[バス旅]のスライドを観てください


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514- 『屋久島で3日間 (縄文杉トレッキングと白谷雲水峡)(阪急)』

2015年04月26日 | [国内旅行]


[トラピックス旅雑誌から]

2泊3日の今回の旅の主な目的は法隆寺、姫路城、白神山地と共に1993年、日本で最初に世界遺産に登録された屋久島を訪ね、今も約7,000年の生命を繋いで生き続けている [縄文杉] を自分の元気な内に訪ねてこの目で観てみたいと予てからの願っていたのです
それが今回やっと実現できたのです

先ずセントレアからAN機で鹿児島に飛びました
参加者は多いのかなと予想していたのですが行ってみると最初の6名がその内1名が直前にキャンセルして総勢5名の小グループになったのだと知りました
そのうち4名(1組の夫婦と男女各1人)が鈴木さんと云い、私だけが別姓だったのです
セントレアでのチェックイン時間が 07:10 と早かったので前の日は金山まで出て名鉄ホテルに泊まって来ました

機は鹿児島空港に9時半に到着
空港で待機する添乗員(直島氏)と合流し、専用バスに乗ってOP計画(\3,500)に参加してで鹿児島市内の観光に出発しました


[薩摩島津家の家紋]

先ず、市内の [照國神社] 近くの [城山公園展望台] から鹿児島市内を遠望しその後、薩摩の島津家所縁の [仙厳園] を訪ね、昼食を食べ園内の施設を観光して回りました  初日の今日は好天に恵まれ少し汗をかきながらの観光でした

夕方(16:00) 鹿児島港からジェットホイール船で屋久島に向かいました
この便は途中、種子島に寄ってから屋久島の安房港に向かいました (18:30着)
鹿児島県では毎回の食事に [トビウオの唐揚げ] が最高のご馳走だと出され、頭からボリボリと食べなさいと云われたのです
初めての味わいでした

明日は今度の旅の主目的の [縄文杉トレッキング] の日です
ぐっすり眠って体調を万全にしたいと少し緊張気味の夜でした
朝の天気は最高で今日中は雨の心配は無さそうです
屋久島のことですから何時降るか判らないので雨具はしっかりリュックに詰めて出発しました
毎朝の 約9kmのウオーキング (約1,7時間)を続けてきたので、少なくとも往復約20km、高低差700m 程度のトレッキングには軽い気持ちで出発しました
「ひとつきに三十五にち雨が降る。」
と云われる屋久島で、これ以上の天気は望めないような最高の空模様です
天気にも恵まれ、100パーセントの自信をもって安心して出発しました

処が勢い勇んで歩き始め、往路の最後、頂上近くになる頃から身体がなんとなく不安定になり、身体がよなヨナとして安定しない感じでした
崩れ落ちそうな気分で、安定性を失った状態になってしまったのです


[縄文杉の前で]

杉に近くで持参の弁当を食べて、帰りにはガイドの三橋氏(48) から 「荷物を持ってやる」 と云わせるような状態になってしまったのです
でも、男の意地をだして 大丈夫だ と最後まで断り、ふらつきながらもどうにか終点に帰りつけたのですが、他の人とは途中から別行動になり、後ろからガイドさんのモニターを受けながら遅れてどうにか帰って来れたのです
彼の助けがなかったらゴールに到着できたかどうか不安です
こんなことになってしまった原因を後から推測すると、昨夜、寝る前に熟睡を願って持参していた睡眠導入剤を少量でも服用したのが原因だろうと考えられます
朝の出発から何か頭がスッキリしないものがあったことは事実です
不用意に薬の服用は慎むべき事を銘記しました

縄文杉見学トレッキングの時間経過は大凡次の通りでした

◎登山開始 05:45 (0,0km 0.0時間)

◎小杉谷小中学校跡地 (06:50) (約2,6km 0.6時間)

◎楠川分岐  (--:--) (約4,4km -,-時間)

◎三代杉   (--:--) (約5,4km 1.5時間)

◎歩道入口       (8,1km)

二王杉  (08:15)"; (約 8,4km 2.5時間)

翁 杉  (08:20)  (約 8,7km 2.6時間)

◎ウイルソン株 (09:20) (約8,7km 3.6時間)

◎大王杉   (10:25)"; (約9,8km 4.7時間)

◎夫婦杉  10:30   (約9,9km 4.8時間)

縄文杉 11:05   (約10,6km 5.4時間)

ゴールまで他の方を50分くらい待たせることになったと思い申し分けなく感じています

次の日 4月28日 は午前中 [白谷雲水峡] を散策・見学でした


[弥生杉の勇姿]

朝から雨が降り続く悪天でしたが屋久島を出発するまでの時間を計画に沿って、約60kmを専用バスで [白谷雲水峡] 入口まで行き、濡れて滑りやすい苔むす岩の上や小道を歩いて、 [弥生杉] も真近で観てきました
今日のトレッキングは短い時間の散策で早く終わりました

昼食を食べて午後は [安房港] から [ホイール船] で鹿児島港に直行しました (約2時間)
ジェットホイール船は航行中 シートベルトの着用を厳しく云われ、船外に出ることは危険で航行中の船の様子を見ることはできなかったのです
興味津々だったのですが残念です

飛行機が鹿児島を発つのは夜遅いのでそれまでの時間を利用して霧島市にある麹を使っていろんな事をしているという 「バレル・バレープラハ&GEN」 を訪ねました
其処の土産にソーセージとかしわの揚げ物を買ってきました

全ての計画を終わり、20:45 発のANA360便 で鹿児島を発ちセントレアに向かいました
機は予定通り無事に帰着し、予定の2泊3日の鹿児島旅行を終わって帰ってきました


[Click!!]
 =[屋久島縄文杉トレッキングの旅] のスライドを観てください


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513- [無憂樹の花]

2015年04月01日 | [日記]
[中日新聞記事切抜き] }

今朝の朝刊に上掲の記事が載っていました
愛知県犬山(今井)の光陽寺で無憂樹と云う樹にオレンジ色の花が咲いたという記事です
[無憂樹]と云う樹はお釈迦さまが生れた処にあったと云う樹で、悟りを開いた所にあったと云う[菩提樹]、亡くなった所にあったと云う[沙羅双樹]と合わせて「仏教三大聖樹」と云われています  熱帯に生育するマメ科の常緑樹で日本で花を咲かせるのは難しく開花までの手入れに苦労されたそうです
お釈迦様の誕生日を祝う4月8日の 「花祭り」 の直前に咲いたのです
今日は朝から雨降りで濃霧の1日でしたが昼過ぎから小降りになり光陽寺さんに電話で訪問の了解をとり出かけました
訪ねて挨拶すると奥様が快く応対して下さいました


[直径10cmくらいのオレンジ色の大輪]


[樹高約1mの常緑の無憂樹]

境内にはツブラジイと云う名の大樹と桃色に咲いた紅梅がありました


[光陽寺境内に聳えるツブラジイと云う大樹]


[光陽寺境内を彩るピンクの紅梅]

光陽寺からの帰り路、途中で見つけた白く咲く雪柳、黄色に咲く菜の花、そして中央自動車道の側に咲く満開の桜花をカメラに納めてきました


[真っ白に咲く雪柳]


[真っ黄に咲いた菜の花]


[中央道脇に咲く満開の桜花]


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512- [諏訪湖観光と諏訪秋宮参拝(名鉄)] 

2015年03月26日 | [バス旅行]
[名鉄春の旅広告]

今日の[バス旅]は出発時間が特別早かった(06:50)のです
間に合うようにいつも通りのウオーキングを終えて、06:20に自宅を出発することができました
今日の[バス旅]の主眼は十数年ぶりの諏訪湖、諏訪神社です

観光バス(#1288)は定刻(06:50)に春日井車庫を出発、途中、小牧駅、MVで参加者を拾い総勢25名を乗せて、小牧ICから高速道に入り(07:40)、途中[屏風山PA](08:15)、[小黒川PA](09:45)で小休止をとり、諏訪を目指して北に走りました
[小黒川PA]には初めて訪れました
中央アルプスの山中で周りの山は真っ白でした
今日は高気圧の真ん中になり四方八方の見晴らしが良く、雪で真っ白い御嶽山も遠くにきれいに見え山頂からは今も白い噴煙が西風に流されているのが遠望できました
明日は9月27日の噴火から半年目を迎えます


[アルプスの山に囲まれた小黒川PA]

[岡谷JCT] を左方に向かい[岡谷IC]に向かいました
好天で視程も良いので今日は富士山が目視できるのではと云っていましたが結局は見えず仕舞いでした
[岡谷IC]で高速道を下りて(10:20) 先ず最初に [諏訪大社下社秋宮] を参拝し、続いて門前町を各人に手渡された3枚のシール(120円/枚)を使っての食べ歩きが企画されておりました
当日は朝が早く空腹で昼食も遅くなる予定なので、そのシールで私は焼き煎餅、コロッケ、餡パンを食べ歩きました (10:30~11:30)


[下社秋宮本殿 しめ縄の重さは約1トンあるそうです]

全員を乗せ秋宮前を出発したバスは湖岸を走り、間欠泉センターの前を通り、湖畔に造られた「ワカサギ釣り堀センター」に入りました
準備された釣り具にウジ虫を餌にみんなが真剣に挑みましたが残念ながら成果は全員がゼロで退屈する1時間でした(11:50~12:50)


[ワカサギ釣りに約1時間熱中するも成果ゼロでした]

みんな腹ペコになって昼食場に急ぎました
今日の昼食は「野沢菜館」で準備された10種のネタを手巻き寿司の食べ放題の昼食でした(13:00~14:00)


[昼食は諏訪野沢菜館で手巻き寿司]

次に「なとりさんちたまごや工房」を訪ね、卵の販売や卵をふんだんに使った美味のプリンやケーキの販売をしており、多くの女性はお土産に買い求めていました(14:05~14:20)

次は「丸井伊藤商店」の味噌蔵を見学に訪ねました
ここには御柱祭りに使われた用具などが展示されその奥には「貧乏神神社」なる神社があり面白く紹介していました(14:30~15:05)


[味噌蔵の奥に祀られた貧乏神]

次は 「おぎのや諏訪」 を訪ねて「蕎麦の食べ放題」でしたが満腹でそこそこの食べ方で終わりました(15:20~15:55)

諏訪での全ての行事が終わり [岡野IC] から長野自動車道に乗り(16:05)、帰途に付きました
途中 [恵那峡SA](17:25) で小休止し、[小牧IC] に向かって走りました (18:25)
MV、小牧駅を経由して出発地の春日井車庫に無事予定時刻(19:30)に帰着しました

 所見:
  * 天候は最高で視界もよく遠くの山並みもきれいに見ることができました
  * 今朝もいつも通りの早朝ウオーキング(約9km)をして来ましたので帰路のバスでは1時間熟睡していました
  * 諏訪神社、諏訪湖は久し振りの旅で懐かしく楽しめました
  * 諏訪湖でのワカサギ釣り成果がボウズだったのは残念です
  * 諏訪湖の水質が汚れて気持ちが悪い感じでした
  * 兎に角四囲の見晴らしがよくアルプスの山々がきれいに遠望できた事は最高でした


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511- [南木曾温泉でゆったり(名鉄)]

2015年03月17日 | [バス旅行]
 [新聞折込広告(名鉄)] 

快晴の好天の中、バスは定刻(08:05)に春日井車庫を出発、MVと小牧駅を経由して参加者総勢25名を乗せて
[小牧IC]から高速道に乗り、途中 [屏風山PA](09:20)で小休し、中央道を軽快に北に進みました
澄み切った空気を通して見る雪の残る恵那山や御嶽山の景観は印象に残る美しさで、過去の登山時のことを想い出しました
どちらも4度の登山歴がありますが噴火した御嶽山にはもう登る機会は来ないだろうと思います
[恵那山トンネル]を通り、[飯田IC](10:20)で高速道を下り
今日の最初の訪問は [お菓子の城飯田城] でした
ここは4日前の14日に訪ねてばかりです
当日は土曜日の土曜日で工場は休んでいました
今日は平日で通常に営業していました


[お菓子の城・飯田城]


[懸命にお菓子造りする人たち(ガラス越しに見学)]

お菓子の城の見学、試食、買い物を終えるとR-153 と R-256 を経由し、今日の主目的の「南木曾温泉」に向かいました
今日訪ねる温泉ホテルの 「木曽路館」 は Webで調べたら今月末(2015年3月31日)で営業を終えて、バイオマス工場に改築・移行する計画だと知りました
御嶽山の噴火後遺症が残っているのではと不安な想像も起きました
到着して、まず昼食を頂きました
豚肉とキノコの味噌鍋料理でした
量もしっかりあり、その上2枚付いていたざる蕎麦が食べ放題だと云われ余分に1枚貰って頂きました
ビールを1本注文し前の席の女性との会話も弾みました
食事を終わって期待の入浴に向かいました
「木曾路館」 の風呂は湯量が豊富で、湯の質はなめらかで、美人湯と云われているそうです  ゆっくり入浴してきました  私たちが最後のツアー客かもしれません
3時間ゆっくり過ごして、帰路はR-19を経由し、途中 [レストラン木曽路元起] で小休止し、[中津川IC] で中央道に乗り(16:10)、
[内津峠PA](16:50) で小休止し、 [小牧IC] で高速道を下り(17:10) 春日井車庫に無事に17:50 帰着しました

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510- [イチゴの季節です(とうてつ)]

2015年03月14日 | [バス旅行]
[東鉄の募集広告]

とうてつの[バス旅]参加は久し振りです  今日は「いちご狩り」と「ミステリ」の語句に惹かれての参加しました
心配された天気も快適な気候で寒さも和らいだ楽しい1日になりました

観光バス(29名、#946)は定刻の 07:30 に小牧車庫を出発し、春日井ICから高速道に乗りジャンクションを経て中央道に乗りました
神坂PAで小休止 (栗まんじゅう1個\310)して、恵那山トンネルを抜け (下り8,489m、上り8,649m) 長野県に入ります


[トンネルを抜けると雪景色に一変]

今日のミステリ旅の目的地はりんごの産地飯田地方だったのです

最初に 「大洲七椙神社」(おおしまななすぎじんじゃ)を訪ね、参拝しました(09:25)  私には初めての参拝です
境内には樹齢 1,000年にもなる巨木が7本あります  この椙の木はこれまで一度も雷が落ちたことがなく今も成長しており、病気にかかった事もないそうです  「落ちない、病まない」 と云う事で受験生だけでなく一般の人にも人気のある 「パワースポット」 になっております  見事な杉の巨木でした
神社に着くと背広に着替えた神主さんが神社の歴史・沿革についてブリーフィングして下さりり、粗知識を得ての参拝だったので興味と有り難味が倍加しての参拝でした  神木から湧き出るフィットンチットが充満した落ち着いた境内でした


[一の鳥居を潜ると二の鳥居、三の鳥居と続きその奥が拝殿です]


[二の鳥居の左上にしめ縄を巻かれた霊験新たかな二の杉]


[二の鳥居の右下にある五の杉の巨木]

神社の参拝を終わり、次はジュース工場の見学に訪ね、8種類の果実ジュースの試飲と買い物でした (10:00~10:30)
私は桃といちじくと大ブドウのグラッセを買って来ました
その次に味噌製造工場 「稲垣来三郎匠」 を訪ね、味噌樽の前で説明を聞き、味噌汁と甘酒の試飲と買い物をしてきました
ここは私には二度目の訪問でした


[味噌蔵の稲垣来三郎匠商店です]

次は食事処の「山都飯田」に向かい、鍋物の料理を頂き、フリーサービスのコーヒーを頂いてきました (11:45~12:45)
飯田方面への[バス旅]ではこの店で食事する事が多いです


[鍋物の昼食は美味しかったです]

食事を済ませ、次に訪ねたのは 「お菓子の城飯田城」 でした
赤飯饅頭、野沢菜饅頭の試食と販売をしており、ここも2回目訪問でした

次に今回の中心行事のいちご狩りに向かいました(14:10~14:50)
今日のいちご園は練乳も摘む場所も制限されず自由に指定され時間も制限の無い食べ放題の提供でした
これまで参加したいちご狩りには無かったサービスでした
添乗員も参加者みんなが驚いて喜んでいました いちごハウスの主人にそれぞれにお礼を云ってきました

最後に 「そばの城」 (15:00~16:10) を訪ね、鯛焼き2個を焼く体験させてくれました
指導員が教えてくれた手順で全員が上手く出来上がり土産にして持ち帰りました
焼き上げている途中、椀子そばをご馳走になりました

これで今日の全行事が終わり [飯田山本]IC (16:10) から自動車道に乗って帰途に着きました
途中、[内津PA] で小休止し、 [小牧IC] (17:25)で高速道を下り、MVと小牧駅を経由して出発地の [小牧車庫](18:40)に無事に帰着しました

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509- [今朝の濃尾平野は大雪でした]

2015年03月11日 | [日記]
[名古屋ドーム方面一面の雪景色]

北海道には台風並みの968mbまで発達した低気圧が居座り、濃尾平野でも昨日の午後から伊吹越えの冷たい北西の強い風に乗って雪が舞いだし、昨年末(12/18)以来の積雪になりました
名古屋では 2cm、一宮では 17cm の積雪でした
小牧でも4cmくらい積もったようです
何時ものように早朝のウオーキングに出かけようと目覚ましで起き出して29階のバルコニから外を見ると街灯に照らされて一面真っ白な雪景色でした
ウオーキングは諦めて、書斎の暖房を入れ、パソコンも起動して早速日頃の生活に入りました
17年前だったら通勤する車のスリップを気遣うのですが、今はそれが無いのが定年老人の気楽さと僅かですが無念な感じです
 追記 :今日は東日本大震災から4年の記念日です

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508- [富士見台高原(薗原)(名鉄)]

2015年02月21日 | [バス旅行]
[名鉄冬の特別企画広告]

今日の[バス旅]の主目的はロープウエイで富士見台(1,739m)に登り、南アルプスの眺望を楽しみたいと思っていますが適度な風が吹いて靄が吹き飛ばされ視程が良いことが条件です
私は平成16年10月に神坂峠から恵那山に登山しました
その起点となる[神坂峠]は今回の薗原ICから観光バスとロープウエイで登ったスキー場 「ヘブンスそのはら」 は僅か2kmくらいの近くです
そんな背景で一度訪ねてみたかった場所です

観光バス(#835)は春日井車庫を定刻(08:10)に出発
MVで数人の客を乗せて[小牧IC](08:55)から高速道に乗り、小牧JCTから中央道を北上し[中津川IC](09:35)で高速道を下りると間もなく最初の訪問地 「ちこり村」(09:45~10:15) に到着しました
芋から焼酎を醸成する行程をガラス越しに見学し、試飲(33度)もできました
33度の焼酎を試飲し美味しかったです


[ちこり村]

ちこり村を後にして次の訪問地 [恵那峡展望台](10:35~11:05) に到着
風もなく穏やかな好天の中で眼下の木曽川を進む遊覧船の波面がきれいでした
水が濃く濁っていたの残念でしたが何より小春日和の好天が幸いでした


[木曽川を跨ぐ恵那峡大橋(全長193m)]

[恵那峡] の見学を終えて、次は昼食(11:15~12:25) です
観光バスは行き慣れた [山菜園] に到着です
今日は牛肉、豚肉、恵那鶏肉のしゃぶしゃぶと 焼き肉の食べ放題でした
適度に美味しく満腹までいただきました
食べ終えると何時ものように隣家の木工店で耳かきを景品に貰ってきました

次は今日のメインである 「ロープウエイに乗って富士見台」 への観光です
[恵那IC](12:30) から中央道に乗り [薗原IC](12:55) で下りて富士見台高原ロープウエイに向かいました
駐車場には名古屋、尾張小牧、豊田ナンバーなどの自家用車で満杯に混み合っていました


[ロープウエイ乗車口駅(h=795m)]


[車中から下方の乗車口駅を望む]


[車中から左下方に薗原ICが見える]

ロープウエイは全長 2,550m 、片道約15分を要し、その間十分な展望が楽しめました


[ロープウエイ山頂駅(h=1,400m)]

一面雪景色の中で踏みしめた雪(積雪1,6m)は久し振りに味わう懐かしい感触でした


[山頂駅を下りるとそこは ヘブンスそのはらスキー場 です]

次に [水引き美術館](15:00~15:30) を訪ね、女性の作業展示を見学して施設内を観てまわり買い物で過ごしました


[水引きで造られた大きな竜]

今日、最後の訪問は漬け物屋の 「伊那路」 です
この店から野沢菜の漬けもの(80g)をお土産に貰いました


[漬け物屋の伊那路]

今日計画されていた行事を全て終わり、[飯田山本IC](15:55)から高速道に乗り、途中 [内津PA](16:50) で小休止し、[小牧IC] に向かって急ぎました
春日井車庫に予定より早く17:45に到着  18:05 自宅に帰宅
後片付け後はシャワーを使い軽食で日本酒を軽く飲んで就寝(20:30)です

 所見:
  * 天候に恵まれ、休日にも拘わらず途中の渋滞もなく快適な日帰りの [バス旅] でした
   次の日(22日)は大雨の悪天でした
  * 今朝もいつも通りに早朝ウオーキング(約9km)を歩いて来ました 途中少し眠かったです
  * ちこり村、山菜園、水引き美術館、伊那路 の訪問は初めてではなく何度目かでした
  * 富士見台から富士山が見えなかったのは少し残念です


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507- [家康生誕四百年(浜松城、可睡斎)(東鉄)]

2015年02月11日 | [バス旅行]
[東鉄冬の旅広告]

今年が徳川家康生誕四百年にあたるそうで家康に所縁の深い「浜松城」の見学と「可睡斎」の参拝を主目的に参加しました
浜松は昭和35年当時3空尉で戦闘機F86Fの操縦訓練のため約半年間勤務しており、懐かしい土地です
久し振りに浜松城を訪ねてみました
また「可睡斎」 は初めての参拝です
10万坪の境内に建つ曽洞宗のお寺で、家康に招かれた11代住職仙麟等膳(せんりんとうぜん)和尚が
その席で居眠りを始めたのですが家康は
 「和尚我を見ること 愛児の如し 故に安心して眠る
 われその親密の情を喜ぶ
 和尚眠るべし」
と云って許し、以来和尚は「可睡和尚」と称し、寺も後になって「可睡齋」と改称されたそうです
定刻の 08:20 に23名の参加者を乗せたバスは(#968 黒田さん)小牧車庫を出発
春日井ICから東名高速道を浜松西IC(10:00)に向かって走りました
穏やかな天気で観光バスは快適に走り、途中浜名湖SAで小休止をとりました
今日は建国記念の日の祝日で観光らしい自家用車も多く観られました
 △添乗員の話を一つ付記します
  →現在日本には1年間に15日の祝日があり、
   来年からは8月11日を「山の日」に定められ16日に増えそうです
浜松西ICを下り(10:00) 懐かしい空自滑走路の側を観光バスは走り、
本田自動車を近くに見て浜松城公園に向かいました
独身学生時代に過ごした浜松の夜が懐かしいです
浜松城には360本の桜が植えられており季節には素晴らしい景観だそうです
石垣の構築に特徴があり崩れない構造が施されていると
ボランティアガイドの方が説明していました
  日本には国宝のお城が4つあります
   :姫路城、彦根城、犬山城、松本城の4つです


[浜松城]


[城門の前に立つ若き時代の家康像]

浜松城の見学を終えてバスに乗り浜松IC(11:50) から焼津IC(12:30) に向かって東名を走り、
[石原水産マリンステーション](12:30~13:40)でお寿司の食べ放題の昼食を頂きました
  好みのトリガイ、穴子、ツブ貝、たこ、数の子、ホタテ、まぐろ など
  20貫ちかく頂き、満腹でした

次はお茶の工場 「花宮園製茶工場」 を訪ね製造工程の話を聞きお茶のご馳走になりました
再びバスに乗って焼津IC(14:10) から袋井IC(14:45) まで東名高速道を走り
[可睡斎](15:00~15:55) に向かいました


[秋葉総本山可睡斎]

修行僧(41歳)の方が付き添ってお寺の各所を順路に従って説明しながら案内して下さりお寺の親切を痛感しました


[本殿]


[釈迦涅槃図]

現存する古い時代のトイレ(男女共用、便器は陶器に改装、参拝者も利用可能)
昔は男子用は木製で造られていたでしょう

  植村花菜の「トイレの神様(烏芻沙摩明王)」を連想します


[本堂内に現存する広く大きな東司(便所)]

また、お寺では家庭から納められたおひな様を引き取り、年1回(1/1~3/15)全てのおひな様を飾って展示しています


[32段に1200体余のおひな様が飾られている]

また [可睡斎] はぼたん寺としても有名で、ひな祭りに合わせて開花させたボタンが各処に飾られていました


[満開のボタンはそれは見事でした]

  次に 「袋井観光センター」(16:00~16:50) を訪ねました
  袋井はクラウンメロンの産地として有名です
  1/8切れのメロンを頂き買い物、試食をしてきました


[メロン産地の袋井観光センター]

これで予定の行事を全て終わり、バスは再び [袋井IC]から高速道に乗り、途中 [上郷SA](17:30) で小休止して春日井に向かいました
渋滞もなく予定通りに春日井車庫に18:00に帰着しました
帰宅してシャワーを使い、後始末をして軽い夕食で日本酒を飲んで就寝(20:30)です
 所見:
  * 天候に恵まれ、休日にも拘わらず渋滞もなく快適な日帰りの [バス旅] でした
  * 今日も平常通りの早朝ウオーキングを03:45から約9kmを歩いて来ましたので途中少し眠かったです
  * 65年前命懸けで飛行訓練に励んだ浜松基地の横を通り過ぎ、懐かしさいっぱいでした
  * [可睡斎] の見学・参拝は有意義な内容でした
  * 訪ねた浜松、焼津は小牧より暖かく梅花が盛りに満開でした
  * 長男の供養が少しでき感謝しています

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