独楽の旅

元気で山野を歩き、心を癒してくれたものは立ちどまって気ままに写し、ブログに載せ、自分で存分に楽しむのが無上の喜びです。

591 - [もう1年が過ぎたのですね 懐かしいです] (2019,07,22)

2019年07月22日 | [海外旅行]
581 - 【 南アフリカゴールデンルート9日間の旅 (阪急) 】
 阪急トラピクス主催の【南アフリカゴールデンルート9日間の旅】に参加してきました[南ア旅行行程図] 半年前の今年の2月、約2週間の日程で同じ阪急社企画の【南......




582 - 【 南アフリカゴールデンルート9日間の旅 (阪急) 】  (2018,07,12~21)

2018年07月21日 | [海外旅行]


 阪急トラピクス主催の【南アフリカゴールデンルート9日間の旅】に参加してきました




[南ア旅行行程図]
 

半年前の今年の2月、約2週間の日程で同じ阪急社企画の【南極紀行16日間】に参加し帰ってきて
まだ間もないのです (Blog577を参照して下さい)

南極は汚れを知らない澄み切った空、
深海まで見通せるきれいな青い海
元気に潮を吹き泳ぎ回る鯨、
そしてのんびり昼寝のオットセイ、やペンギンなど
汚れを無垢の自然界があそこには残っていることを知らされ
充実した気持ちで毎日を過ごし帰ってきました

それから約半年が経過し
今回、予てから熱望していた
南アフリカ、喜望峰、ビクトリアフォールズ、サファリーなどを
訪ねる旅が実現てきたのです

今回も思い残すことのない充実した往復9日間の旅でした
ぎっしり詰まった連日の計画は
快晴・好天に恵まれ、何一つ積み残さずに
初期の計画どおりに進捗して帰って来られました

 主要な訪問地、見学場所は:
   ヨハネスベルグ (南アフリカ)
   リビングストン (南アフリカ)
   ビクトリア滝 (ザンビア、ジンバブエ)
   サンベジ川 (ザンビア)
   チョベ国立公園 (ボツワナ)
   ケープタウン (南アフリカ)
   カースデンボッシュ国立植物園 (ケープタウン)
   ドイカー島 (オットセイの群棲)
   ボルダーズビーチ (ペンギン群生)
   喜望峰 (展望台、岬)
   その他


9日間の旅の行程を終ってこの旅の行程を振り返ってみると
それらをいくらメモに残していてもその前後を詳細に回想できるものではありません
旅から帰り、経過を整理しようと配布されていた旅の [工程表] を参考にして振り返っても中抜けしたり、筋道が前後して整然と纏めることは不可能に近い難しいものです

今回の旅では、旅の終わりに添乗員の三浦さんがその旅の経過を詳しく整理して手渡してくれました
それを下記に転記して旅の整理に利用させてもらいました
お陰でこの旅行記を完結することができました

日々多忙な時程スケジュールで、十分なメモも書き残すこともできず、
不安な気持ちで過ごしていたのですが旅の最後の日に
添乗員さんがその期待する全てをきれいに纏め、
旅の流れを判りやすく整理して参加者全員に手渡してくれたのです。
お陰でこの[旅日記]を [独楽の旅]を最後まで整然と書き残し
、完結することができました
三浦さん有難うございました

全員に手渡してくれた [旅のまとめ] を素直にそのままここに添記し、
筋書きの基幹として利用させて貰います


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 [南ア9日間の旅(阪急)]  2018/07/12 ~ 20
  添乗員 三浦由季子さん

初日(2018/07/12 木 快晴)
 午後13時に小牧の自宅を出発  名鉄高速バスと電車を乗り継いで中部空港(セントレア) へ向かう


[セントレアを発ち、香港を経由 南ア・ヨハネスブルクへ]

 阪急窓口で添乗員の三浦さんにでチェックイン
 両替済ませ、航空会社キャセイパシフィックの窓口で搭乗券、スーツケース預託手続きをして、税関、出国の手続きを済ませ
 16:10 離陸のキャセイパシフィック(CX-0539 B777-300ER)に搭乗、
 定刻に中継地(香港)に向けて離陸 (時差:-1時間)
 旅の同行者は11名と云う
  (計画では23名だったが、ヨハネスベルグへ便の座席入手が困難なためだと云う)
 深夜 23:55 に香港を離陸(CX-0749) ヨハネスベルグへ向かう(ETE:12+40) (時差:-7時間)


2日目(2018/07/13 金 晴)
 今後の日々の経過について添乗員の三浦んが旅行の終りに
   『南アフリカ9日間ゴールデンルート』
 と題して旅の経過をうまく纏めて手渡してくれました
 日々多忙の中のこの努力に対して心から感謝しながらその全てを引用させて頂きます
 有難うございました  以下はその引用文です

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 今回の旅はいかがでしたか」?
 少し振り返ってみましょう  [かおマーク]


 (1~2日目)7月12日(木)~13日(金) 快晴
  中部国際APに11名様 お集り頂き楽しい南アフリカの旅がスタートしました。
  キャセイパシフィッく航空にて香港で乗り換えし、南アフリカ共和国ヨハネスブルグに到着。
  さらにブリテッシュエアウエイズにて ザンビアのリビングストンAPへ。
  長い空の旅大変お疲れさまでした。
  バスで移動し、ザンビア側の出国審査と、ジンバブエ側の入国審査を終え、
  ビクトリアフォールズ大橋(国境)を渡り、リゾート風の素敵なホテルにチェックイン。
  荷物を置いて再出発し、ビクトリアの滝の上流約4~6km地点を約2時間、ザンベジ川
  のサンセットクルーズを楽しみました
   (ザンベジ川はアンゴラ奥地から始まりナミビア、ザンビア、ジンバブエ、
    モザンビークを流れインド洋へと流れ込む約2,750㎞の大河です)
  鳥類のほか、カバ、ワニ、そして象も見えました。


   
       
[ 早速、ザンベジ川クルーズ に ]
                         [ 川岸真近にアフリカ象の群れ ]
      


 [ アフリカの奥地に向かって沈み込む真っ赤な太陽 ]


  サンセットは雲が少しかかって幻想的でしたね。
  ホテルに戻りホテルのレストランでバイキング方式の夕食。
   本日はしっからお休み下さい・
        宿泊ホテル:[ビクトリアフォールズ:ザキングダム](連泊)


 (3日目)7月14日(土) 快晴
  ドライバーガイド:Mrラヴィンさん
  まずはこの地域で一番大きくて古い[バオバブの樹]を観にいきました。
  樹齢は約1500年の大樹です。
   (樹の幹の中に10トンもの水分を貯えているので乾季でも大丈夫なのです)



 樹齢1500年と云われる [バオバブの大樹]

  そして世界3大滝の一つ(世界遺産)ビクトリアの滝の観光スタート。
  昨日、クルーズした[ザンベジ川](アフリカ第4位の長さ約2,750㎞)の中流に位置し
  1855年イギリス(スコットランド)人探検家リビングストンによって発見され、
  当時の英国女王の名が付けられましたが、 現地名は「モシ、オア、トウンヤ」と呼びます。
   (雷鳴の轟く水煙の意です)
  最大の滝幅は 1,700m 、最も深い滝壺は落差108mあります。
  雨期が終わる3月からが水量が多く、迫力があります。
  水量が少し落ち着く5が月から8月が滝の観光シーズンです。
  それでも途中はまるで雨のように降り注ぐ水しぶきでびしょ濡れになりましたね。
  リビングストンの像からスタートし、[デビルズカタラクト] ~ [メインカタラクト]
   ~ [レインボーフォールズ]、柵のない [デンジャラスポイント] を含め合計15か所の展望台を
  観て回りました。


     
[轟音を立てて流れ落ちる滝水]      [水しぶきの激しいビクトリア滝]             

   都合約3kmのお散歩をして回り、やっとバスに帰りました。
   次に村のホテル近くのレストランでご昼食。
   少し、ホテルで休憩しオプションの方は再出発してヘリコプター乗り場へ。
   ビクトリアフォールズとその周辺の絶景を空からご覧頂きました。
   夕食はバスで少し走った処にあるイベントレストラン [BOMA] に。
   アフリカならではの食材と民族ショウ、をお楽しみ頂きました。
   あのタンパク源食材(??)に沢山の方がチャレンジされていましたね。
   ダンスや太鼓で盛り上がり、満天の星をちょっと眺めてからホテルへ。
   南十字星も見られ沢山の星がきれいでしたね。
   遅くまでお疲れさまでした
         宿泊ホテル:[ビクトリアフォールズ:ザキングダム](連泊)


 (4日目)7月15日(日) 快晴
   ドライバーガイド:Mrラヴィン
   ホテルを出発し、[ジンバブエ] とお別れし、[ボツワナ] に入国。
   ホテルに荷物を置いて4WDに乗り換え、[チョベ国立公園]のゲームドライブへ。
   沢山の動物や鳥を見たいですね~ 。
   早速 インパラと象、キリン、イボイノシシ、カバ、クドゥ、が見れました。
   しかも、沢山!! キリンも本当に近くで見る事ができ、驚きでした。
   他にもいろんな種類の鳥も。
   (詳しくはお渡しした別紙をご覧下さい。)
   そして帰りがけにドライバーのMrエイジさんが仲間から貰った情報で急に
   スピードを上げて走り、止まると何とオスのライオンが2頭 !!
   樹の根元で並んでこちらを観ていましたね  そして
   そこにはライオンに襲われておしりを食べられた子象の死骸が横たわっていましたね
   残酷な光景ですがこれが自然界の有り様ですね。
   お腹がいっぱいで眠たそうな2頭の雄ライオンを間近で見る事ができラッキーでしたね。
   大満足してホテルに帰りビュッフェで昼食。 いったんお部屋に入り、次に
   チョベ川のサンセットクルーズに出発。
   Msエミリーさんの運転で貸し切りボートでチョベ国立公園へ。
   乾期は森に水がなくなるので動物たちが水を求めて公園に沢山やってきます。
   プクゥやバファロウ、ワニ、そしてゲームドライブでも象は見ましたが今度は水に入って
   水草を食べたり、泳いでるのも見られましたね。
   鳥類もまた、いろいろ見られました
   雲が全くないサンセットを眺めながらホテルに戻り、少し休憩してレストランで夕食。
   そして、お部屋へ
         宿泊ホテル:[チョベ:クレスタ モワナ サファリロッジ]
 

 (5日目)7月16日(月) 快晴
   ドライバーガイド:Mrラヴィン
   朝早い集合にご協力有難うございました。
   4WDに乗り早朝のゲームドライブに出発。
   昨日見られなかった動物に会えますように。・・・
   見慣れてしまったインパラと象、カバの他、小猿が沢山いる猿の群れやすぐ目の前で
   沢山のホロホロ鳥が見られたり沢山の新しい収穫がありました。
   残念ながら雌ライオンには会えませんでした。
   早朝のゲームドライブを終わりホテルに戻り、朝食をとって再出発。
   ボツワナを出国し、船に荷物と人を乗せて川を渡り、バスに乗り換えて、
   ザンビアに入国し、リビングストン空港からヨハネスブルグに移動し、
   国内線にてケープタウンへ移動。(機内食)

   出迎えてくれたのは帰国日までお世話になるMsスヌーキーさん(ご主人は日本人で小山氏と云う)
   とドライバーのMrヂュランさんでした。
   本日はそのままホテルに入ってお休みいただきました。 お疲れ様でした。
         宿泊ホテル:[ケープタウン:ケープトニアン]


 (6日目)7月17日(月) 快晴
   本日はケープタウンから近場の観光スポットを回ります。
   南アフリカ共和国は金やダイヤモンドを求めてやってきた白人やアジアへの船舶の
   補給基地の建設を目的にオランダ系農民(ボーア人)が大量に入植し、ケープ植民地ができました。
   ナポレオン戦争でフランスにオランダが占領され、ここもフランスの物になるのを恐れたイギリスが
   保護領とし、1814年から正式に植民地となりました。
   奴隷解放を宣言するイギリス人に対して奴隷を労働力としていたボーア人は対立し
   世界最初の人種差別法:アパルトヘイトなど
   第2次大戦後も様々な情勢に左右されながら人種主義法が全廃されたのは1990年以降です。
   反アパルトヘイト運動に身を投じ、国家反逆罪で終身刑で、27年間も獄中生活をし、
   釈放された ネルソン・マンデラ議長が 1994年4月 に大統領に就任し、
   イギリス連邦と国連に復帰し「、現在に至ります。
   日本の約3,3倍の国土と人口は約5,565万人程
   行政府のプレトリア、司法府のブルーム・フォンテン、そして立法府のケープタウンは治安も安定し、
   きれいな町並みと美しい自然とで、人気の観光地としていつも海外からの観光客で賑わっています。
   ケープタウンの象徴的な存在の世界遺産:テーブルマウンテン(岩盤でできた1087mの山で山頂が
   ナイフで横に切ったように平らな平原)に上るローピウエイが人気です。
   上から最高の景色をご覧頂き沢山の植物を観ながら少しの散策。
   日が出てくるとひなたぼっこに現れるハリファックスも近くで見られました。(ビーバーみたいな小動物)
   次に南アフリカの名産となっているワイナリーへ。
   お値打ちでクオリティが高いと評価が上がっているワインを試飲の後、敷地内でご昼食。
   午後はカーステンボッシュ植物園を見学しました
    (世界遺産、世界で6番目に植物の種類が多く、約20,200種類ある南アフリカの
     全植物の内、約9,000種類の植物がここで栽培されています)
   国花のキングプロテアはまだ蕾でしたが、広い敷地をゆっくり散歩して回りました。
   最初はウオータースーパーマケットなど、ショッピングタイム。
   夕食もその中のレストランで頂き、美しい夜景を見ながらホテルへ帰ります。
         宿泊ホテル:[ケープタウン:ケープトニアン](連泊)


 (7日目)7月18日(火) 快晴
   今日はマンデラさんの生誕100周年記念日です (2013年に94歳で死去)
   本日は1日ケープ半島の観光です。
   ハウト湾から船に乗り、ドイカー島にいるオットセイの群れを見学するクルーズです。
   魚の多いハウト湾は人間用の魚もオットセイ用の魚も集まる処でです。
   9,000頭以上が生息しています。
   バスで半島を横断してボルダーズビーチに移動します。
   アフリカペンギンが生息していて、人を怖れないので間近で観察することができます。
   一緒に泳いだらペンギンと一緒に泳げるそうです。  楽しそうですね。



 [何万羽と群をなすきれいなアフリカペンギンたち(あごひげペンギン)]
   (食べる餌の関係か南極のペンギンのように汚れていないのが不思議でした)

   浜辺に造られた木造歩道を行くと沢山のペンギン。  可愛すぎますね。
   そして300グラムのロブスターの昼食を食べ 美味しかったです。
   ケープ半島の先までドライブ。
   自然保護地に入り、
     ”Cape of Good Hope”(喜望峰)
   の処で写真を撮り、更に奥の岬の先端 [ケープポイント] へ。
   ケーブルカーに乗って頂上の展望台へ上りました。
   いつもは海風が強い処だそうですが、今日は全く風がなく
   快晴・無風の好天気でした。
   喜望峰の絶景も展望も最高でした。 


    


        [念願の喜望峰に到着]
         [喜望峰の灯台まで急いで往復してきました 最高です!!] 

   バスでケープタウンに戻り、ウオーターフロントの中のレストランで
   最後の晩餐会  旅のご協力と無事のご帰国を願って乾杯。
   仲良くなられた皆様、話が弾んで楽しいお食事となりました。
   夜の港の雰囲気をバスから眺めながらホテルへ
         宿泊ホテル:[ケープタウン:ケープトニアン](連泊)


 (8~9日目)7月19日(木)~20日(金) 快晴
   早朝の出発ご協力有難うございました。
   ケープタウン空港から国内線でヨハネスブルグ空港に向かい、
   国際線のキャセイパシフィック乗り換え、
   香港で乗り継いで中部国際空港(セントレア)へ向かいます
   15時過ぎに無事セントレア空港に着陸
   自宅宛てに宅配便を発送して帰途の電車に

   その後の名古屋は連日2週間、猛暑日続きでした


「南アの猛獣や野鳥について(写真)」

   南アフリカ紀行では船上や車上から数多くの猛獣や鳥類を真近に又遠方に見ることができました
   その都度添乗員さんはその猛獣や鳥類の名前を教えてくれるのです
   記憶しようとしても自分にはとても無理なことで、旅の途中それとなくお願いしたら
   きちんと整理して旅の終わりにみんなにメモ書きを配ってくれました(感謝です)
   ライオンやキリンなど承知の名前も中には勿論ありますがインターネットの図鑑で調べても
   出てくれないものもありました  然し彼女の自分の仕事への熱意と記憶力には驚きました
   彼女がくれたメモは次のように書いてくれました


<チョベ国立公園などで見られた猛獣や野鳥など>
 [動物]
  既に知っていた動物 ⇒ ライオン、象、キリン、カバ、バッファロー、ワニ、猿、
  知らなかった動物 ⇒ インパラ、クドゥ(インパラを大きくした様な)、
           プクゥ(クドゥを少し濃い茶にした様な)

 [野鳥]
  既に知っていた鳥 ⇒ ホロホロ鳥、シラサギ、カワセミ、
  知らなかった鳥 ⇒ フィッシュイーグル(大型)、マラブーストーク(大型、アフリカハゲコウ)、
      ブラックヘッドヘロン(クロサギの一種)、レッドビルドホルンビル(嘴が白く小型、身体は黒)、
      ブラックスミスラプウイング (チドリ科の鳥、頭てっぺん白で身体は黒、白、グレイ(小型)
        足が細く長い、ティンと鳴く)
      イエロービルストーク (嘴が黄色、中型、身体は薄ピンク)
      スプーンビルストーク (嘴がスプーンみたい、身体は白色、中型)
      エジプシャンギース (茶色でカモみたい)
   ◎ 三浦さんから知らされた情報をインターネットで調べても
     把握できない物もあり彼女の深い憧憬に驚かされました



[オスライオン] 


      
    [川辺にはキリンの夫婦?]         [サンベジ川辺に立つ巨大なカバ] 


      
[イボイノシシ]        [ホロホロ鳥]


                           
[アフリカハゲコウ]        [クドゥ]    


    
[インパラ]    [フィッシュイーグル]



  日本の暑い夏は南極、南アフリカなどは秋で涼しく過ごしやすい
   (先の2月、南米アルゼンチン・ウシュワイアから
    荒れるドレーク海峡を乗り越えたのを思い出します)
  同行者の中に南極を訪ねた者は自分一人で些かな自慢話でした


『 旅の綜合所見 』

 今回の南アフリカ紀行(旅行)で特に期待したことは
  [世界三大瀑布ビクトリアの滝の見学] :
    私には最後に残った一つでした
  [アフリカ大陸の最南端・喜望峰の見学] :
    南米最南端の港町 [ウシャイア] は30年2月南極クルーズ時に訪問済み
  [野生の猛獣たちを真近に見学] :
    自然に生きる野獣をクルーザー車(SUV)から至近での見学は不安を抱いて臨みましたが
    決まり、彼らの生活環境を侵さなければ危険はないと安らかに見学できました
    子象を襲って食べる2頭の雄ライオンを真近に見られたのは想定外の収穫でした
    遊覧船やSUV車から象、カバ、鰐、猿、鹿、ライオンなど自然のままの野獣たちを
     真近に見学することができ忘れられない最高の収穫でした

 旅の進行について
  全行程が好天且つ快適な気温で経過し、航空機、バス、船 などの運航も計画通り安全に進行され事故もなく順調に進行した
  現地で支援してくれた南アの方々も如何にも好感のもてる人が多く楽しい旅でした

 添乗員について
  同行者が11人の小人数で纏まりよく細やかな気配りで楽しい旅行でした
  特に最後に旅の纏めを書き残して手渡して呉れたことは最高です
  動物、鳥類の知識が豊富で名前をマイクで参加者に知らせてくれ有難かったです
  動物、鳥類の名前をメモして全員に配って欲しいとの私のお願いにも快く応じてくれました
  帰国前に貰ったメモ(チョベ国立公園で見れた動物)を元に
  インターネットで調べこの報告にも活用し、大いに役立ちました
  彼女は勉強を積んで豊富な知識を貯え旅の同行者を楽しませてくれました
  お陰で一同は楽しく有意義な旅をさせて貰いました
   △ 私の過去10数回の海外旅行を回想すると丁度3年前の(2015,05)の
     【 ヨーロッパ絶景ハイライト9日間の旅 (阪急) 】
    での添乗員(真野温子さん)が今回の三浦さんと同じように旅行を
    盛り上げてくれたことを懐かしく思い出します   有り難う

 食事について
  いずれの食事も美味 で毎回の食事が楽しみでした
  Wormを炒った(焼く)のは口に入れるのに一寸勇気が要った (証明書入手)

 宿泊施設について
  機内泊2回
  3ホテル利用の6泊日で施設も十分でした

 交通・輸送
  観光地間の輸送や観光クルーズも安全かつせいせいと実施され不安はなかった

 兎に角、期間中の毎日、好天に恵まれ楽しい旅で終わり 充実した内容の旅行でした
 ありがとうございました
 -1
 =[南アフリカ紀行9日間の旅-1 (7/12~7/20)] のスライド1部を観てください


 -2
 =[南ア紀行の9日間の旅-2 (7/12~7/20)] の前部スライド2部を観てください





今後、訪問したい外国は 計画中のエジプトを除いて
 インド、ロシア、ベトナム、アイスランド などです
健康と若さを維持して実現したいものです、



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577 - 【 南極紀行クルーズ16日間の旅 (阪急) 】(2018,02,03 ~ 02,18)

2018年02月02日 | [海外旅行]



  [クルーズ船ル・ボレアル号]
 



     [シップ・データ]
        船 名 :ル・ボレアル
        クラス :ラグジュアリー
        船会社 :ポナン
        船 籍 :フランス
        キャビン数 :132室(全室海側、内125海側ベランダ付
        乗客定員 :264名
        乗務員数 :140名
        就 航 :2010年
        総トン数 :10,994トン
        巡行速度 :16ノット
        全長 /幅 /高さ:142m /18m /--
        デッキ数 :18階(お客様デッキ数 :14デッキ)
        キャビン数 :132室 (全室海側、内125が海側ベランダ付)
        乗客 / 定員 :190名 / 264名
        乗務員数 :140名




[南極紀行行程図]          


https://www.arcgis.com/apps/opsdashboard/index.html#/bda7594740fd40299423467b48e9ecf6

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☆南極紀行初日 (2018年2月3日 土)

[今日の予定と行動]:
  自宅(小牧)→成田→米国ダラス→アルゼンティン へ移動
   *自宅と空港間の往復宅配サービス (KTC QLライナー:0120-133-771)

 09:15:自宅出発 名鉄特急バスで名駅へ
  名駅でA氏と合流
  *新幹線(のぞみ)で品川駅へ
  *品川から[成田エクスプレス(\1,490)]で成田空港へ
   → *復路はバスを利用 (\1,000
  *空港で添乗員(西村見介氏)と初面会
  *参加者総数:165名 (4班に別れブエノスアイレスへ移動)
   ・AA航空0060便:成田発(18:25)~ダラス着(15:15)
   ・米ダラス空港で機体を乗り換え
      ~ブエノスアイレスへ移動(時差:マイナス12時間)

 ☆ 南極紀行で使用される特殊用語を纏めてみました

    [ IAATO] : (南極条約)
    [ ウシュアイア ] : (南米南端の南極窓口の港街)
    [ ドレーク海峡 ] : (南米と南極を挟む海峡)
    [ パルカ ] : (赤色の南極着用の防寒ジャンパー 5万円?)
    [ ソディアック ] : (ゴムボート)]
    [ ボートドリル ] : (船上避難訓練)
    [ オラー ] : 挨拶 (コンニチハ、オハヨウ)

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☆南極紀行2日目 (2月4日 日)

[今日の予定と行動]:
 ブエノスアイレス着:(08:42)
  ブエノスアイレス市内を観光 ( 大統領府、国立美術館 )
  昼食
 ホテル ( メリナ・ブエノスアイレス )へ移動(14:00) →宿泊
   ( 入り口に色鮮やかな馬が展示 )
 夕食:ホテルのビュッフェで

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☆南極紀行3日目 (2月5日 月)

[今日の予定と行動]:
  早朝(05:45)にホテルで弁当を受領して、[ ブエノスアイレス ]の地方空港へ移動
   [ ブエノスアイレス ] (晴れ 30℃) (08:45発)
    ローカル便のラタム航空LA-7964 で[ウシュアイア]へ移動

   [ ウシュアイア ]   (晴れ 10℃) (12:30着)
     ▲ウシュアイアの標点は 西経68.2度/南緯54.8度 で
     南十字座(星)は仰角約 84度前後 に見られる筈ですが今回の旅の
     ウシュアイアでは [南十字座] を視認する機会はありませんでしたが、
     今年の7月での南アフリカ旅行時に夕食からホテルへの帰路に
     快晴の夜空に初めて見る事ができました


  ウシュアイア市内で昼食後 市内見学して[ ウシュアイア港 ]へバスで移動
  港に停泊する [ ル・ボレア号 ] に乗船
  各人は早速 [ クルージングカード ] を貰います
   (このカードは最後の離船までの身分証明書です)

  ◎ [ ウシュアイア ] は[ ブエノスアイレス ] から 3,250km、
   南極からは僅かに1,000㎞足らずに位置し、南極から最も近い"世界最南端の都市"です
   1520年、大西洋側を南下していたマゼランは、断崖の上に幾つもの火を見つけ、
   その火は先住民の松明だったのですが風の強い不毛の大地に燃える火を不思議に思ったマゼランは
   ここを「デイエラ・デル・フェゴ = 火の大地」と名付けました
   19世紀前半宣教師たちがここを訪れ、19世紀後半にはゴールドラッシュが起った処です
   [ ウシュワイア ] はフェゴ島、マゼラン海峡、ビイグル水道と大西洋に囲まれた島で
   九州を一回り大きくしたサイズです


  船長(シルバースさん)と144名の乗組員、そして
  11名の [ エクスペディションチーム ] の皆さんの歓迎を受けて
  ウエルカムドリンク(シャンパン)をグラスで貰って順次乗船  その後
  各人は自室 (私は#312号室) に

  全員(165名)が[避難訓練 ( ボートドリル )] に参加
   クルーズ恒例の [ ボートドリル ] (避難訓練) が乗船して最初に行われ、
   各部屋に準備されていた[救命着の着用・運用手順]などを勉強します
   この訓練が終わるとクルーズ船は南極半島を目指して一路、
   南方へ向かって [ ウシュワイア港 ] を出航します(18:00)、

  訓練が終わると 「ル・ボレアル号」 はドラの音を高らかに響かせて
  [ウシュアイア港]を出航
  一路、南極大陸(半島)に向けての航海が始まります (18:00)
  船の進む前途には最高に荒れ狂う [ドレーク海峡] が待ち受けています

  ◎ 「ポナンクルーズ」 はエコツーリズムを実施するクリーン船と呼ばれる
    新造船で本船 "ル・ボレアル" を2010年より導入しています
    そして [IAATD] の会員として南極の環境保護に努めております



 船内では常時 [クルーズカード] を携行し、身分証明、所在証明、そして
 全ての買い物、飲食(ワイン、ビールなど)に使用されます
   [HANKYU TRAVEL 2018 ANTARTICA]

  ◎南極で使用する赤い防寒着 [パルカ] が各自に支給され(有償購入約5万円)、
    ゴム長靴は各自に貸与され、離船まで個人専用で使用します


 これから2晩、[ドレーク海峡横断](約650km) の航海が続き、
 一路南極半島を目指します

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☆南極紀行4日目 (2月6日 火)

[今日の予定と行動]: (日出 05:43 日没 21:45) 曇り

・終日ドレーク海峡横断クルージングの初日

  ◎ 「ドレーク海峡」:南アメリカ南端のホーン岬と南極大陸(半島)との間の海峡で、
   南極海の一部であり、世界で最も荒れる海峡の一つです。
   また、ギネスブックで世界一幅の広い海峡として認定されており、
   最狭部でも650kmあります
   この名前の由来はイギリス人の捕鯨船船長で探検家のフランシス・ドレークに因んで付けられました
   1578年、ドレーク船長が南太平洋で防風雨に遭い、ホーン岬付近に漂着した後、
   大西洋へ出た事から、この海峡の存在が初めて知られたのです
   それまでは[マゼラン海峡]が大西洋と太平洋を結ぶ唯一の海峡と考えられていたのです。
   [ドレーク海峡]を最初に航海した公的な記録はオランダ人の
   ウイリアム・スポーランが船長を務めた1616年の航海とされています


 午前:ブーツの試着と借用 →南極上陸時に必須のブーツを試着し、乗船中の借用

 午後:南極上陸時に一番外側に着用す新品以外の私物衣類(ズボン、シャツ、帽子など)
    を電気掃除機で外面に付着している微塵を吸引し、除去します。
    南極大陸を汚染する物質の搬入を予防します (南極条約IAATOに基づいて実施)

    「南極について」の勉強会 伊地知亮氏(通訳) (17:00~)

  次第に船の揺れが激しくなり、机上のドリンク類や皿が滑って飛ばされる状態になり
  歩行や食器の運搬が不自由になり、スープなどはテーブルへ持ち運びができず慣れた
  ボーイさんが手伝ってくれ助かりました

  食事を終えて部屋に帰り、デッキに出て見上げる澄み切った夜空は最高にきれいでした
  外気温はプラス5度で南極の夏でそれほど寒くないのです
  早めに床に入って就寝です(22:00)
  幸い、私は今航海中一度の船酔いを経験せず、元気に過ごせました

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☆南極紀行5日目 (2月7日 水)

[今日の予定と行動]:
・終日ドレーク海峡横断クルージング2日目 (日出 07:14 日没 1:36) 曇り 2℃
  船は今日もドレーク海峡を一路南極半島を目指して進んでいます

 今日の勉強会:(09:15 ~)
 * 南極条約(IAATO)について
 * ゾディアック(ゴムボート)への乗下船の仕方について
 * 南極での写真撮影の要点:カメラマンの石川氏
 * 南極海の海鳥について

 今日の午後 15:30 頃、初めて氷山が見えました

  ◎ [南極大陸について]
   面積は約1,387万500平方キロで、日本の約37倍です。
   そして地表面の97%以上が氷と雪に覆われた極寒の世界です。
   地球上の淡水の約90%が南極にあります。
   太古の昔、[南極] は赤道直下にあった [超大陸ゴンドワナ] の一部で
   3億6千万年前、赤道直下にあった南極はおよそ1億年かけて少しづつ南下し、
   その後6,600万年前に南極は現在の位置に独立した大陸になりました
   そして今、航行しているドレーク海峡は
     "ほえる! 狂う! 絶叫する!"
   更に南緯約55度の南極最南端を過ぎると
   南極までの間に大きな陸地は全くなく、荒れた日には風速が毎秒40メートルを超え、
   波の高さはビルの5階くらいの高さの約15mにもなります
    これが 「絶叫する60度!!」 です


 荒れる南極航海で、着用する服や手袋、マフラー、帽子など衣類を
 掃除機で吸引して[除塵] して臨んだのも貴重な思い出の一つです 

  ◎ 南極は世界で唯一国境のない大陸です
   20世紀半ばに南極に進出してきた国の数が増え、
   この領土拡大競争に反対する国々が主体となって
   1958年に南極条約 (IAATO) が締結されました
   おかげで南極は各国が協力して科学的調査が行える
   唯一の [国境のない大陸] になったのです
   [International Association of Antarctica Tour Operators]


 今夜は夕食の前に、船長主催の 「ウエルカムパーティ」が開かれ、
  高級シャンパン 「ブーブリコ」 が会場入口で一人一人に手渡されての歓迎会でした
  全員、フランス料理のコース(フォアグラ、仔牛肉など)の美味しさに舌鼓です

 この頃にはすっかり波も穏やかになり食後は船上で [ピアノコンサート] も開かれました

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☆南極紀行6日目 (2月8日 木)

 ・午前は氷山が美しい [ネコハーバー] の見学です
  ドレーク海峡を通過して [ネコハーバー] 入ります
  美しい氷山が織りなす[ネコハーバー] は南極随一の絶景地です

   ◎ [ネコハーバー] は南極のエレラ海峡を約11km 南方に下がった
    [アンドブオーン湾] の東端にあり、1897年 ベルギー南極探検隊の
    ジェルラシ によって発見され、この湾で操業していた捕鯨母船の
    「ネコ号」 に因んで [ネコハーバー] と名付けられました


   [ルボレア号] は [ネコハーバー] の沖合に投錨して停泊します
   みんなは順次 [ソディアック] に分乗して湾内の観光に出発します
   ここは [ジェンツーペンギン] の営巣地で、見所です

 ・午後も快晴のもと、ソディアックに分乗して [パラダイス湾] の観光クルーズです
   ペンギンやオットセイ、そして突然海面に潮吹きの背中を見せるザトウ鯨の親子が
   間近で見ることがでました  でも
   突然の目前出現ですのでカメラをかまえる暇がなくいつも失敗の連続でした

  沢山のジェーンツーペンギンを身近に見学できました


     
        [パルカで防寒 南極半島に立つ82歳]

 ・登って行った小高い丘の上からの「アンドボウ湾」の眺めは南極らしい素晴らしい景色でした

 ・午後は天国のように美しいと云われる [パラダイス湾] の絶景を見学しました

   ◎ [パラダイス湾] (南緯64度49分、西経62度52分) は地球上で最も美しい湾と
    云われ、その昔、捕鯨船の船員がこの湾を見て[ここは天国だ]と
    叫んだことからこの名前がつけられたと云われています
    ここは島ではなく南極半島の一部で、パラダイス湾の周りには高い山がそびえ立ち
    あちこちに海へ流れ込む氷河があります  また、
    ここにはかって
     ・アルゼンチンの [アルミランテ・ブラウン夏基地] と
     ・チリ空軍の [ビデラ夏基地]
    があったそうです


 ・見学を終わって、船に戻ると、
   フランスの老舗店 「ラ・デュレ」 の銘菓 [マカロン] で舌鼓でした
   私には初めての味わいのご馳走でした

  初めての南極上陸の見学を終わると
  11:30 から Mr.バレンテインさん と Mr.アレックスさん を講師に
    「世界のペンギュイン」
  をテーマに勉強会がありました

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 =[南極紀行前期の旅(2/03~2/8)] のスライドを観てください


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☆南極紀行7日目 (2月9日 金)

[今日の予定と行動]:南極半島2日目

  今日の見学場所は
   * 南極屈指の人気観光場所の[ブレノー島]
   * ブース島の北海岸、[ポートシャルゴー]

  ルメール海峡 ブース島 ピーターマン島 (日の出:05:03 日没:23:00)

  早朝(06:30頃)、船内放送で
   「これからルメール海峡に入ります
    風光明媚な景色をご覧いただけますよー」 

  入り口には岩の山 "ブレノー山" が聳え立っていました

   
     [ まさに最高の芸術作品です ]

  ◎ [ルメール海峡] は南極半島の [グレアム海岸北端] と [ブース島] の間に
   位置し、長さが 11,2km、幅が最低でも 450m 平均水深 400m で
   南極半島西岸で最も風光明媚な海峡です


        
          [ ソディアックで南極の海を探検 ]
   
  波も穏やかで素晴しい天気に恵まれ [ボレアル号] はこの海峡を進んでいきました

  08;30~から [ソデアック] に分乗しての海峡の観光クルージングです
  [ポートシャルコー](ブース島の北岸)をクルージングします
  青空と氷山のコントラスト  なんとも言えない景観でした
  [ポートシャルコー] の連なる氷山は全く見飽きない銀世界です


   


      
        [ 澄み切った南極の海を遊泳する鯨の親子 ]

  ◎ [ポートシャルコー] は氷山のミュージアムです
   沢山の氷山が様々な形で プーカ プーカ と浮かんでいます
   近くの氷塊の上には [カニクイアザラシ] がのんびりと眠っていました
   珍しい [ヒョウアザラシ] も観られました


  午後は[ピーターマン島]に上陸して見学です

   ◎「ピーターマン島」 は海抜200mの円蓋地形の島で、[ルメール海峡] の直下にあり、
    ウイルヘルム群島のボブガード島の南西に位置しています
    この島は1873年~74年のダルマン南極探検隊によって発見され、
    ドイツの地理学者で探検を援助したアウグスト・ピーターマンに因んで名づけられました
    入江のビーチには1955年に建てられたアルゼンチンの避難小屋があり、
    その近くには1982年8月にここで命を落とした3人の英国科学者の
    記念碑(十字架)が見えました


  [ピーターマン島]への上陸はゴツゴツした岩山を海岸沿いに歩いて・・・
  右に行くとペングインの営巣地。 左に行くと展望台・・・がありました

  ここには [ジェンツーペングイン] と [アデリーペングイン] がいました
  ペングインちゃんの落とし物のいやな匂いにも今では少し慣れてきました

  18:30~ いつものように [リキャップ] と [明日の予習会] がありました

  夕食後は ”バラエティショウ”(ダンスにトーク)も開催されました

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☆南極紀行8日目 (2月10日 土)

[今日の予定と行動]:  晴れ (日出 05:05 日没 22:40)

 ・南極半島3日目
   今日の見所は英国が開いている [土産物屋] と [郵便局] がある
   [ポートロックロイ] へ上陸して買い物や日本向け絵葉書を投函する予定でしたが、
   現地の天気が悪く上陸できないため予定は変更され計画は中止になりました

   阪急社に委託した日本向けの絵葉書は次回のクルーズで上陸する時に委ねる

   ことになりました




当日予定の [ポストへの投函]、[日本での配達] は不可能になり、
阪急社に2通を委託して日本へ帰ってきました
委託した2通のハガキは1ケ月後に自宅に配達されてきました

  
       [南極で投函のハガキ-1]



               
                     [南極で投函のハガキ-2]




 ・9時から伊地知さんの
    「極地の氷について」
   の勉強会が4階の劇場で実施されました


   
      [近づいてくる巨大な棚氷]

  勉強会の途中、投錨可能な場所があるとの情報が入り勉強会は中止になり、
  予定していたコースを変更して [クーパービル] に上陸することになりました

   ◎ [クーパービル島] は風が強くて水しぶきのかかる可能性が大きい島です
    この島は南極半島とロンゲ島の間の [エレラ海峡] に浮かぶ小さな岩の島で
    標高250mのドーム型の山が特徴です


 ゾデアックで近づいていくと途中から ペングインの赤い糞 の強い匂いがしました
 ここには沢山の [ジェーンツウペングイン] がいました
 そして今まで観ていない [ウエッデルアザラシ] が1頭が気持ちよさそうに寝ていました

  [海岸には大きなクジラの残骸の骨]
 が2個転がっておりその傍から小さなペングインが2頭ひょっこり顔を出してくれ
 楽しい散歩でした
 山に登っていくと岩場には南極には珍しい緑色の苔が生えていました

 南極の氷には 氷床、棚氷、氷山、海氷、そして 氷問 などいろいろあると云います

 17時からロドリゲス先生の
  「アザラシについて」
 の講義が4階++劇場で実施されました  多くの聴講生(参加者) は
 講義が始まると間もなく心地よさそうに居眠りを始めていました

 18時半からは今日の [リキャップ] と [明日の予定] についての講義がありました

 この頃から [船の横揺れ] が極度にひどくなりました
 その理由は海中の氷塊が多くなり、"横揺れ防止のスタビライザー”を
 作動させると危険なので作動できないためだったそうです
 棚の物が落ちてくるような強い横揺れが続きました

 氷山が織りなす南極随一の絶景 [ネコハーバー] と
 天国のように美しい [パラダイス湾] の見学へ向かいました

  ◎ [ネコハーバー] は南極のエレラ海峡を約11km南に下がった
   [アンドブオーン湾] の東端にあり、1897年ベルギーの
   南極探検隊のジェルラシによって発見されたのです


・見学を終わって母船に戻ると、フランスから運ばれてきた
  『マカロン』(フランスお菓子の老舗 「ラ・デュレ」 の銘菓)
  を1人2個づつご馳走になり、私には初めて味わう美味なお菓子でした

 今日からいよいよ [南極に上陸しての見学] が始まります
 まず、午前は氷山が美しい [ネコハーバー] を見学します

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☆南極紀行9日目 (2月11日 日)

[今日の予定と行動]: 晴れ (日出 05:05 日没 22:40)

・南極半島4日目の見所:

  07時に操舵室から、、
  「アンタークテイック・サンド] には氷が多く
  [ボレアル号] は更に奥へと行くことができません。
  Uターンして [ジョインビル島・ケネスコープ] へ向かいます」
 との放送がありました

 外は氷がプカプカと浮いており、空は快晴の青空です
 氷が太陽に反射してピカピカと光って輝き、なんとも言えない景観でした

  ◎ [ジョインビル島] はジョインビル諸島の中でも最も大きな島で、
   南極半島の北端から南極海峡を隔てた場所にあります
   ここを [アルゼンティン] と [イギリス] と [チリ] が領有権を
   過去に主張していたのです


 09時から順次、下船を開始して [ジョインビル島] 付近をゾデアックで
 クルーズし、[ゲネスコープ] に上陸しました
 氷床がずーっと広がり、遠くには卓上氷河が見えました
 今までとはまた違う景色ですね

 上陸するとまたまた可愛いペングインがおり、ここには
  [アデリーペングイン] と [ジェンツーペングイン] がいっぱいおり、
 子供のペングインたちが海に飛び込もうかどうしようかと
 考えこんでいる様子でした

 お昼のご飯中になんと船長さんは再び [アトランテイックサンド] に
 チャレンジして、氷塊の間をうまく通り抜け、予定していた
  [ブラウン・ブラフ]  に投錨できました
 [ボレアル号] の周りにはペングインが団体になってピョンピョン泳いでいきます

  ◎ [ブラウン・ブラフ] は聳え立つ 745m のさび茶色の崖と氷の帽子が特徴の山で
   タバリン半島の東側にある [ジョナセン島] の西にあります
   ここは氷河・火山の断片が顔を覗かせている場所で、擬灰岩の崖には
   多くの溶岩石が埋め込まれています
   [アデリーペングイン] と [ジェンツーペングイン]、、[ミナミオオセグロカモメ]、
   [マダラフルマカモメ] たちが営巣していました
   そこは、まるで西部劇に出てくるような岩山に見え、
   [南極のグランドキャニオン] でした


 ここ、[南極のグランドキャニオン] がある島 [ブラウンブラフ] に上陸して、
 沢山の [アデリーペングイン] に出逢い、ここから南極の氷河の上を歩いて行きました
 素晴らしい景色でした

  ☆ここ [ブラウンブラフ] への上陸、登山ウオーキング は
   南極大陸最後の上陸作戦になりました  最高の思い出です



   
      [南極にグランドキャニオンが]

・夕食後の "ショウタイム" に 「コンチネント(大陸)」 がありました

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☆南極紀行10日目 (2月12日 月)

[今日の予定と行動]: 曇天 (日出 05:12 日没 21:10)

・南極半島10日目の見所
  ゾウアザラシ などが生息する [ウエッデル湾] を見学します
  グリニッジ島・フォースポイン/デセプション島・デレフォンバイ

 06:45 操舵室から 次の放送があり

  「グリニッジ島近くに錨を下ろすことができました
   今日は南極半島への最後の上陸日です。」

 07:45 最初のグループからソデアックに乗ってグリニッジ島に向かい
  グリニッジ島のフォースポイントに上陸しての登山と行軍です
  島に上陸して、火口などの見学に登って行きます
  この火山の島では一番高い処まで登り、火山灰の山道を長い距離歩きました

  ◎「グリニッジ島のフォースポイント」 は南極半島の北方、
   サウスジェトランド諸島の島です
   長さ20km、最狭部で 8㎞ の瓢箪型の島です
   1820年の捕鯨時代には 18か国 がここに基地を置いていました


  この島には
    [ヒゲペングイン] 、
    [ミナミゾウアザラシ] 、
    [ナンキョクオットセイ] 、
  が営巣しており、初めて見るものばかりでした
  ゾウアザラシは10歳で体重は1トンにもなるそうです

  今日は [全員の集合の記念写真] がデッキ6階後方の
   [プールサイド]
  で実施されました

  13:45頃 デセプション島の [ネプチューンベロー] に入りました

   ◎ [デセプション島のテレホーンベイ] は1909年に修理のため停泊していた
    救難船 「テレフォーン号」 にちなんでつけられました
    島の内側は天然の良港で湾の入り口はとても狭く、
    又、火山の影響で地熱が高く、温泉が湧き出ております
    活火山があり、1970年に噴火して観測基地が被害を受けたようです
    島はほぼ円形で、南極付近では珍しく地表がむき出していました
    19世紀初頭以来、デセプション島は南極の嵐や氷山からの避難所となっていました
    最初はアザラシ狩猟者、1906年にはノルウエーとチリの捕鯨会社が基地として使用
    今でもその面影が見られます


  15時頃から [デセプション島] に上陸です
  いつものようにソディアックに分乗して島に上陸します

  黒々とした島の表面は黒い火山灰で覆われており、
  その上を火口の真上まで歩いていき、覗き込んで見学し、
  更にもっと上方まで登り、そして下りてきました
  最後の海岸に向かっての左急斜面を滑り落ちないように下る時には
  一時霧が深くなり、沖の海岸沿い停泊する [ボラアル号] も
  一時見えなくなったりするような少し危険を感じる状況でした

  全員誰も怪我をすることなく無事に下りて来られました
  帰船のための [ソデアック乗船場] へ向かう途中、
  大きな白い [ウエッデルアザラシ] が1頭横たわっていました
  突然変異で生れたのか珍しいアザラシだそうです
  静かに居眠りをして我々を見過ごしやり過ごしていました

   
      [下山途中で出会った白いアザラシ]

 今日の[南極上陸体験]で全てが計画通りに終わりました
 私は全ての行事に参加し、全ての体験がが貴重な内容でした
 全てを無事に終了できたことは嬉しいことですが、
 終わってしまうとちょっと寂しい気持ちです


 18:45 から4階劇場でいつものように [リキャップ] と [反省会] が行われました

 明日の今頃は [ドレーク海峡] の荒波を乗り越えながら帰国の途上にあります

・時差修正プラス12時間

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 =[南極紀行中期(2/9~2/13)の旅のスライドを観てください


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☆南極紀行11日目 (2月13日 火)

[今日の予定と行動]:ドレーク海峡を終日クルージング初日

 ドレーク海峡は大揺れでした
   日の出 05:44  日没 21:11 3.5ド~5℃  

 昨夜から船はかなり揺れ始めました
 この 魔の [ドレーク海峡] を乗り越えなければて [ウシュアイア]へ着けないのです
 今日も明日も終日の荒れ狂うドレーク海峡の航海が続きます
 船内ではイベントがありました でもこの強い揺れはつらいです

  ◎ 「ドレーク海峡」 は南アメリカ南端のホーン岬と南極大陸(半島)との間の海峡で、
   南極海の一部であり、世界で最も荒れる海峡の一つです
   また、ギネスブックで世界一幅の広い海峡として認定されており、
   最狭部でも650kmあります
   この名前の由来はイギリス人の捕鯨船船長で探検家のフランシス・ドレークに因んで付けられました
   1578年、ドレーク船長が南太平洋で防風雨に遭い、ホーン岬付近に漂着した後、
   大西洋へ出た事から、この海峡の存在が初めて知られたのです
   それまでは[マゼラン海峡]が大西洋と太平洋を結ぶ唯一の海峡と考えられていたのです
   [ドレーク海峡]を最初に航海した公的な記録はオランダ人の
   ウイリアム・スポーランが船長を務めた1616年の航海とされています


 [アホウドリについて] のレクチュアーや映画 「不都合な真実」 の上映がありました


   
      [荒れるドレーク海峡]

 そして夜は [キャプティンのさよならパーティ!!]。
 この船で働いている [スタッフのみなさん] が舞台の上に登場
  『 みなさん本当にありがとうございました 』

 今夜の夕食はデッキ2のレストランに全員が集合して頂きました
 夕食は特別メニューで [バレンタイン] と [サヨナラパーティ] を記念しての夕食でした
 途中、クラシック音楽演奏 や コンサート もありました

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☆南極紀行12日目 (2月14日 水)

[今日の予定と行動]:
 [ドレーク海峡] の横断航海を終わってやっと「ウシュアイア」に到着です
 ウシュアイアの天気は 曇天から晴天へ  6.0℃~11.0℃

 今朝まで [ドレーク海峡での揺れの洗礼] は続きました
 そして、今日はやっと下船する時です  少し寂しい終末です

 この頃になると波は少しづつ穏やかになり、
 昼過ぎにはすっかり快適なクルーズに戻ってきました

 14時から最後の [リキャップ] と [反省会] がありました
 エクスペディションチームの皆さんの楽しい話で
 この2週間のクルーズをまとめ締めくくりをしてくれました
  「本当に有難うございました。」

 その後、阪急スタッフと伊地知さんの3人が [トークショウ] を、
 そして [ビンゴ大会] が催され、そして [アフタヌーン・ティ] が開かれ

 18:30頃、やっと2週間ぶりに [ウシュアイア] 戻ってまし
  『 ただいま。』

 [ル・ボレアル号] での今夜の最後の夕食は
  [バレンタイン記念のメニュー]
 でした  レストランでは サプライズ が沢山ありました

  『 ウエーターさん、ボーイさん、シェフさんの皆さん ありがとう 』

 その後は [バレンタインダンスパーティ] もありました
 エクスペデションチームの皆さん お世話になりました。
 そして、有難うございました
 素晴らしい経験ができました

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☆南極紀行13日目 (2月15日 木)

[今日の予定と行動]:
 07時に [ル・ボレアル号] が [ウシュアイア] へ入港
 そして、船で最後の朝食を食べて 下船です (08:00)

 [ティエラ・デル・フェゴ 国立公園] の観光を済ませてから (約2時間)
 ウシュアイアの [ローカル空港] へ バスで移動
 ローカル空港から [LA-7967便] で
   [ブエノスアイレス国際空港] へ移動 (13:50~17:20)

 ブエノスアイレス市内では、往路と同じホテル
   [メリアブエノスアイレスホテル]
 へ移動して宿泊 (19:00)

 一部の人は [アルゼンティンタンゴのショウ](オプション) の見学へ出かけました

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☆南極紀行14日目 (2月16日 金)

[今日の予定と行動]:
・今日は日本へ帰国する日です
・朝食後ホテルを出発  市内で昼食後
・市内の観光:
   5月広場、メトロポリタン大聖堂、コロン劇場、
   レコレーター墓地、ポカ地区など
・市内観光後 ブエノスアイレス国際空港 へバスで移動
  4班に分かれて空港へ移動し帰国の途へ
  4つの航空便(アメリカン、エアーカナダ、全日空、カタール)で帰国

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☆南極紀行15日目 (2月17日 土)

[今日の予定と行動]:
・ダラス着
・乗り継ぎで空路成田へ (10,334KM)
  B777-200
・時差修正プラス12時間

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 =[南極紀行後期(2/14~2/18)の旅のスライドを観てください


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☆南極紀行最終日 (2月18日 日)

[今日の予定と行動]:

・4班に別れて成田、羽田に向けて帰国
  成田着(15:25)
・通関後解散
・[スーツケース]を受け取り、
  佐川急便で自宅へ発送
・バス(\1,000)で東京駅に(16:40→17:40)
・[新幹線のぞみ]で名古屋へ(18:23→20:04)
・トイレ
・名鉄特急バスで小牧桃花台センターへ(19:20→2-:25)
・自宅帰着

 -0
 =[南極紀行全期(2/3~2/18)] の旅のスライドを観てください


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 [南極紀行の記録DVD]
  紀行全日程が終わり、帰路の船上で全行程を記録したDVDが希望者に配布されました(高価有料)

    
       [南極紀行DVD のケース]

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  [参考動画]:

   「ルボレアルの南極クルーズ」
     [http://www.mercury-travel.com/kojin/report/2017223leboreal/]
   「スモールシップは南極を変えた」
     [https://www.youtube.com/watch?v=6nZ8Eqr98Ws&feature=youtu.be]
   「南極点への旅」
     [https://www.youtube.com/watch?v=MT7E_Tfix2U]
   「南極昭和基地」
     [https://www.youtube.com/watch?v=6WHVFXLdVGQ]
   「南極大陸だ」
     [https://www.youtube.com/watch?v=NfL1Ym-jAQI]
   「南極」
     [https://www.youtube.com/watch?v=OMg7sJ4kGSs]
   「南極探検の旅-2」
     [https://www.youtube.com/watch?v=OMg7sJ4kGSs]
   「アルゼンチン絶景の旅 (ウシュアイア編)」
     [https://www.youtube.com/watch?v=bqM79kBVpVQ]
   「北極点への旅」
     [https://www.youtube.com/watch?v=lSIFtforNk8&t=6s]

    「南極半島遊覧」*(台湾語)
      [https://www.youtube.com/watch?v=REbzg_k1fP0]
    「南極半島遊覧」*(台湾語)
      [https://www.youtube.com/watch?v=REbzg_k1fP0]
    「南極大旅行」*(台湾語)
      [https://www.youtube.com/watch?v=_GAQGouwZmc]


-----------------------
[旅の所見]:

  * 南極半島の自然について

  ・連日好天に恵まれソディアックでの海上見学も一切の障害なく実施された
  ・空も海水も澄み切っており飛び込んで泳いでみたい誘惑が生起した
  ・陸地は多くのペングィンなどが群生し、慣れるまで彼らの沖アミ糞の悪臭に悩まさた
  ・ペングィンやアザラシや数種の鳥類などの保存に努めたい
  ・自然のきれいで無垢な美しさが実感できた:
    澄み切った自然の色:白、黒、青、透明
  ・南極条約に基づいて実施される各作業は印象的でした
    初日実施の着用衣類の微塵吸引作業
    ソディアック乗下船時の長靴の洗浄・消毒
    船外で塵埃の投棄や汚物排便などの徹底禁止
    船外活動時に[おしめ]を着用
  ・南極に一切の生物・異物・汚れを持ち込まない
    現状の無垢で美しい自然を維持し、将来への保存
  ・南極上空のオゾン層の変化は大丈夫なのか:
    文明地に住む我々の関心の高揚・鼓舞と維持
  ・科学の力も活用して南極の生動物(クジラなど)の無計画な増加・減少の予防
  ・

  * 支援してくれた乗組員の皆さんについて

  ・船長以下乗組員の方、エクスペディションチーム、阪神トラピックスの
   方の指導、支援は申し分なく最適だったと感謝します
  ・165名の参加者に対してそれぞれの立場で真面目に対応してくれました
  ・エクスペディションチームの方たちの解説、説明は特に有益
  ・食堂に勤務するボーイさんたちの親切で真面目で親しみあるサービスは顕著
  ・阪急社員(添乗員)の積極的・親切な支援は顕著でした
  ・ソディアックへの安全な乗降法の指導と支援は極めて適切で
   誰にも初体験だったのに1人の失敗者も居なかったのは見事です
  ・パルカ、ゴム長靴の試着、供用はもっと適切な実施を希望
  ・

 * 船内生活について

  ・船内で提供される三食の美味さと接待・待遇
    アルコール類、おかゆ、味噌汁、割りばしなど無料提供され
     申し分ない内容
    部屋の冷蔵庫にウイスキーなど無料で準備
  ・船内は過度に広くないので講堂などへの移動が容易
  ・

 * 総合所見:

   参加料金は日割りで相当高額でしたが振り返ってみると
   今回の南極紀行は最後のチャンスだろうと思われ
   満足できる充実した16日間の研修旅行でした
   支えてくれた皆さんにお礼を申します
   有難うございました


         - 以上 -




569 - 【 北欧3ヵ国8日間の旅 (クラツリ) 】 (2017/07/05~12)

2017年07月05日 | [海外旅行]


[ソグネフィヨルドを行くクルーズ船]


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[7/05] 旅の初日

 旅の初日(7/5)は名古屋から[関西空港]を経てエミュレート航空でドバイへ飛び、ストックホルムへ向かいます
 [関西空港]行のバスは名駅前を15時に発つのでそれにバスに間に合うように
 桃花台センターを12:40発の名鉄高速バスで名駅に向かう(バス代770円)
 スーツケースは宅配に委託したので軽装で出発できる
 14:30係の女性にチェックインしてバスに乗車、
 ほぼ満員の乗客を乗せてバスは名駅前を定刻15時に発車し一路 [関西空港] に向けて走る
 バス内で名古屋から参加のW氏とSさんに初めて逢い、挨拶を交わし、北欧への楽しい旅の第一歩が始まる
 W氏は誰に対しても積極的に気楽に話しかけてくれる好男子でこれから始まる8日間の北欧の旅を楽しいものにしてくれました
 Sさんは気立ての優さしそうな方だ これから始まる数日の旅に期待がもてる
 途中[亀山SA]小休止し、18時過ぎに[関西空港]に到着  海外旅行でこのルート利用で[関西空港]に来たのは今回で2度目だ 

 宅配事務所でスーツケースを受領し、帰り便の分の宅配用紙を貰う
 一昨夜電話をもらった添乗員大原さんにチェックインして、エミュレート航空の窓口で搭乗手続きに進む
 名古屋地区から参加した5名(Sさん、W氏、K氏、S氏と小生)が簡単に自己を紹介し合いこれから8日間を楽しい旅にと約束する
 今回の参加者は男性が14名 女性7名 総勢21名です
 旅のために必要な通貨はノルウエー・クローネだと云われ空港で1万円を両替して準備してきました
   あまり遣う機会がなく最後には帰途の[関西空港]に向かう機中で残った小銭のコインを
   世界の貧しい人にと云われ備えられた封筒にいれて出すような有様でした
   最後に迷った末、知人への土産にと北欧らしいチョコレート菓子を少し買ってきました

 搭乗したエミュレート航空 EK317便(39H)は関空を定刻の 23:45 ドバイに向けて飛び立う

 [添乗員の回想記]
  関西空港に21名様の旅の仲間が集合されました
  エミレーツ航空317便でドバイに向け出発しました
  約10時間の空の旅でした


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[7/06] 旅の2日目

 昨深夜、関空を離陸した EK317便 はドバイ空港に 定刻の 04:50 に(日本との時差ー2時間)に着陸

 ドバイで北欧に往く EK157便(33A) に乗り 定刻 (08:15) にドバイを離陸し、北欧スエーデンに向けて飛びあがる
 約6時間30分 のATEの飛行でスエーデンの首都ストックホルム空港に着陸 (日本との時差ー5時間、ドバイとー3時間)
 これから訪ねる北欧3か国は私とって初めて訪ねる土地であり、初めて体験できることで興味津々です
 ストックホルム空港に到着すると、先ず、スーツケースをバスのトランクに積み込み、空港からストックホルム市内の観光に直向です

 毎年、ノーベル賞の受賞祝賀晩餐会が開かれる市庁舎を訪ね、内部をくまなく見学させてもらいました
 私にとって再度訪ねることがないだろうこの場所は忘れてはならない良い想い出になりました

 その後、ストックホルムの旧市街 ガムラスタンを見学して市内の観光を終え
 今夜宿泊の [スカンディック・ヤルバ・クッロックホテル] (609号室) に帰り今夜の宿泊です


 [添乗員の回想記]
  ドバイに到着し、ストックホルムに出発しました
  北欧の北の都と言われるストックホルムでノーベル賞での晩餐会が開かれる市庁舎の内部を見学し、
  旧市街 [ガムラスタン] で王宮、国会議事堂、ノーベル博物館を見学して来ました


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 =[北欧3ヵ国の旅 1日目、2日目のスライド(1)]を観てください



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[7/07] 旅の3日目

 ホテルで朝食を済ませて、ストックホルム駅に向かい、高速鉄道(SJ2000の2等車)でノールウエーの首都オスロに向かいました
 約7時間の汽車の旅です  昼食は持ち込まれた日本食の割り子弁当を車中で頂きました
 箸の備えがなく車中の食堂で手配してもらったようで割り箸が配られ日本にいるのと同じ雰囲気で昼食を頂きました

 午後16:10 目的地の [オスロ駅] に到着
 国立美術館を訪ね、絵画 「ムンクの叫び」 その他の名画を身近に鑑賞させてもらいました
 無知で教養のない私には周囲で云われているその素晴らしさや真価を知りうることは全く不可能でした
 でも貴重な経験と教養の些かな積み重ねには役立てたことだと思い感謝しています

 次に訪ねたのは [フログネル公園] です
 背高くそそりたつ石塔に迎えられて入った公園は向こう先まで広く、
 数え切れない数多くの大人から子供までの人物が織りなす石像が
 所狭しといっぱいに配置されているのです
 案内人の話では約660個の石像がどれも実物人間大の石像なのです
 そしてそれぞれ喜怒哀楽の感情を表現しており、どの像も訪ねる観客に向かって
君の人生の過去・未来の何かを示唆し、反省させるような表情に見えるのです
 ここで有名な石像は
  「おこりんぼう」
 と云う少年のダダをこねてる無邪気な石像です  自分のアルバムを観るようでした
 他の像と比べると小さな石像でした 
 やんちゃを云っていた子供の頃の自分がそこに帰ってきたように居り、過去を振り返り反省させられました

 どの石像も実に素晴らしいのです  ムンクさんの絵より私にも判りやすい美術品で疲れなく拝見できました
 その後、[大聖堂] を参観し [王宮] 前を通過しながら見学してきました
 オスロのホテル(トーン オスロフィヨルド)に着いたのは予定通り遅くなり、ホテルで夕食を食べた後明日の朝も早いので早々に就寝しました

 [添乗員の回想記]
  [ストックホルム] 発の [SJ-2000](スゥエーデン鉄道) で
  ノルウエーの [オスロ] まで約7時間の鉄道の旅を楽しみました
  [オスロ]で [ムンクの叫び] 、市庁舎、大聖堂、王宮、フログネル公園を見学しました


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[7/08] 旅の4日目

 ホテルで[朝食]を済ますと、バスでノールウエーの [ヤイロ] に向かいます
 ヤイロまで 約4時間 かかります  

 ヤイロで [ベルゲン鉄道(2等車)] に乗車して標高867Mの [ミュールダール] に登っていきました
 途中、堅い岩肌を裂いて流れ落ちる滝が各処で車窓から見られ熱心にカメラに収めていました

 登っていく途中、大きく水しぶきを立てて落下する [ショースの滝] の前では(丁度観光客がカメラを構え易いように整備された)
 乗客はホームに降りて水しぶきを浴びながら目の前に広がる景観をみんなが競ってカメラに収めてきました
 ここへ来る直前に強い雨が降って垂直の滝を流れ落ちる水量は一層増大しており予期される以上の最高の景観でした

 その後、[世界遺産ネーロイフィヨルド] が一望できる [ソグネフィヨルドのクルーズ] を楽しみました
 僅か約2時間半の短いクルーズでしたが天気もよく楽しい船上の旅でした

 クルーズ船は [グドヴァンゲン] に到着後バスで今夜宿泊の [リンドストロームホテル] に移動
 ホテルに向かうバスで配られたサンドウイッチを昼食に食べてきました


 [添乗員の回想記]
  [オスロ]を出発し、バスで[ヤイロ]に行きました
  [ベルゲン鉄道]に乗り、約1時間で標高867mの[ミュールダール]に行きました
  その後、[フロム鉄道] に乗って、[ショーズの滝]ではフォームに下りて見学・写真撮影し、
  [ソグネフィヨルド] でのクルーズ船からの眺めは本当に素晴らしいの一言でした


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[7/09] 旅の5日目

 ホテルで朝食をすませ [フィヨルド](大古に氷河によって形成された峡湾) が眼下に見下ろせる
 絶景の場所 [ステーガスタイン展望台] に向かいました


眼下のフィヨルドを見学

 展望台まで
   標高差:125m、 歩行:約1時間、 歩程:約3km、
 を歩いて登りました  ハイキングです
 約1時間、眼下のフィヨルドを見学したり、写真撮影で過ごし
 フィヨルドの見学を終わり、バスで約3時間かけて オスロ に帰りました
 今夜はオスロの  [クオリティホテル33]  に宿泊です

 [添乗員の回想記]
  [ステーガスタイン展望台] はベルゲン在住のカナダ人建築家ににより造られ、
  スキージャンプ台の様でした
  [スベッタベルグ]のハイキングでは雄大な[フィヨルド]のパノラマに感動しました
  ボルグンドにあるスターブ教会はノルウエー建築の独特な美しい教会でした


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[7/10] 旅の6日目
 起きて外をみると雨降りの天気  日中は大きく崩れることはなく経過してくれました

 今日の午後は、オスロからコペンハーゲンに向かって巡航するクルーズに出発するまで、午前中は自由行動になっており、
 添乗員が市内観光に引率してくれることになり、全員が彼女についていき、
 地下鉄に乗り継いだりして幸運にも一人の迷子もでずに、オスロ市内の観光や買い物をエンジョイしました
 もっぱら写真撮影で凄し、揃って昼前にはホテルに無事に帰ってこられました
 12時、ホテルをチェックアウトしスーツケース携行でバスに乗り、オスロ港に向かいました
 8日間の北欧見学の旅もいよいよ終盤です
 [オスロ港] から大型客船(DFDSシーウエイズ) に乗船して [ストックホルム]まで一夜のクルーズで出発します
 小生は客室5400号がアサインされ、ゆっくりと船旅を楽しみました
 乗船時に預けたスーツケースは下船まで手にできず、途中で必要な物があっても(充電器など)我慢するしかなかったのです
 船内での食事も楽しみでした
 また、旅を終わって帰ってからの再会の計画など皆で話し合い情報交換したりして過ごしました

 [添乗員の回想記]
  午前中、[オスロ市内]を散策し、自由行動を楽しみました
  昼食後、[DFDSシーウエィズ]に乗船しました
  ワンナイトクルーズを楽しみました
  船からの景色は一生の想い出になりました


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 =[北欧3ヵ国の旅 5日目、6日目のスライド(3)] を観てください



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[7/11] 旅の7日目

 クルーズ船は午前コペンハーゲンの港に入港
 船内で朝食を済ましていたので港に着くとバスに乗って帰途の空港に向かう途中、市内見学(ストロイエ通り)で最後の一時を過ごしました
 土産物の購入や現地のお金を使い果たすための買い物をして時間を過ごし、空港に向かいました

 空港では出国手続きを順次済まし、コペンハーゲン空港(15:35発)からエミュレート航空 EK152便で中継地ドバイへ向かいます
 ドバイには現地時間の [23:55] (日本時間の02:55) に着陸

 [添乗員の回想記]
  コペンハーゲン港に到着し、その後、市内中心部にある[ストロイエ通り]の散策をしました
  コペンハーゲンを出発し、エミュレーツ航空152便でドバイ空港に出発しました
  楽しかった思い出を胸に・・・


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[7/12] 旅の8日目(帰国日)

 ドバイ空港で日本へ帰国する最後の乗り継ぎ機エミュレート航空 EK316便(46D)に搭乗してドバイを03:30離陸した
 日本とドバイの時差はプラス2時間なので、日本時間の05:30離陸予定です
 ドバイの離陸は約30分の遅れが生じ、その分[関西空港]到着も遅れる可能性が大です

 [関西空港]には予想通り18時を過ぎて接地でした 
 名古屋向けのバスの出発予定時間は19時です  名駅到着予定時間は22:30です
 そして名駅から桃花台行き高速バスの最終便の発車が 22:50 です
 いずれにしても分刻みの厳しい乗り継ぎです
 [関西空港]でのスーツケース受け取りの具合などに大きく左右され、名古屋まで帰ってきても自宅に辿り着けないでは淋しい限りです
 全てが分刻みで神がかりの乗り継ぎです

 [関西空港]に着いてスーツケース受け取りの [ラッゲッジクレーム] で二つの取っ手が両方とも折損しており、
 その場での事故証明を取得する時間がなく、急いで宅配便委託を済ませ、添乗員さんの破損状況の目視確認をしてもらい、
 急いで名駅行きバスにとび乗り、無事名駅まで連れて帰ってもらいました  
 名駅からの乗り継ぎバス(22:50発)にも間に合い、零時を過ぎて待つ人のいない無灯火の自宅に帰り着きました

 その後、添乗員さんに現認書を書いてもらい、修理手続きに進み、北欧8日間の旅は無事に終えることができました
 旅の記録を [独楽の旅] にまとめて上稿する予定です

 [添乗員の回想記]
  ドバイを出発し、関西空港に到着しました
  皆様、大変お疲れ様でした
  この度ご参加下さいまして有難うございました


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 =[北欧3ヵ国の旅 7日目、8日目のスライド(4)] を観てください


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全日程終了し、6/12夕刻(18時過ぎ)帰着
 ☆12日 関空でのラッゲジクレームでやっと出てきたスーツケースをみるとこの旅で初めて遣ったスーツケースの両方の取っ手が折損・破損されて
 普通の方法では運搬不能な状態になって発見 カートに載せて宅配事務所まで移動
 そこで同行の添乗員に報告  現場で写真を撮り宅配委託して名駅往きバスに急ぎ、
 やっと帰りのバスの発車に間に合い、自宅へ向かいました

 日本を立つ前日は島根県浜田市などで集中豪雨があり、離日した7月5日には福岡、大分でまたも豪雨があり30人以上の死者がでる大災害が発生したのです
 そして、今日、日本に着いてに帰宅途中には バスのフントガラスに打ち付ける雨音がやかましいような豪雨にも遭ったのです 
 自宅に着く頃には小止みになり、手ぶらの帰宅だったので何の差し障りもなくエレベーターで29階まで上って
 静まりかえった廊下から玄関をあけ旅支度を解いたのです

 先ず、無事の帰宅を仏壇に手を合わせて報告しと感謝して早々に床に就きました


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『 所 見 』
 旅行社、添乗員へのお願い:
 * 海外旅行に参加する人は何もかも初めての経験や体験を期待しております
   事前の座席指定の取得も体験してみたいものです。
   事前に取得してもらうことは余計なお世話です。
 * [e-チケット]は事前に各人宛に郵送またはWeb伝送で必ず通知して下さい
   留守宅用に残して行くべき大切な情報源で、本人の行動計画の基本を知るための必須な資料です
   旅行中に発生する航空事故などのニュースは留守家族に余計な不安・心配を与えます
   事前に配布される予定表に記載の航空機便名は飽くまで不確かな予定です
   頼れる情報は[e-チケット]のみです
 * 海外旅行では参加者全員がその地を初めて訪ね見聞するのです
  バスや電車でこれから訪ねる地域が地図上で北に向かうのか東に行くのか判らずに行くより
  方角くらい事前に理解して進むと興味は倍加します
  添乗員は何度目かの訪問であり数倍の体験者です
  お客さんが理解し難いであろう事を推測して進んで解説して欲しいと思います
  手書きの略図を描いてバスの中に張り出して[当日の行程略図]を示し説明して欲しいです
 * 添乗員は自慢をしないで下さい  本人の宣伝とお客の評価は真逆の結果が数多です
  自慢される方の多くはお客からすると評価は逆で貴女だけの自己主張が多いのです
  自慢(自己主張)する前に添乗員同士で切磋琢磨し実力向上に努めて下さい
 * バスの運転手(現地人)の至近に座る添乗員が後ろの参加者にも判るような大声で運転走行中の運転手に話しかけていました
  これは事故防止上からも極めて危険なことです
  会社での[添乗員教育]に本件の情報を取り入れて改善に努めて下さい
 * バスの運転手(現地人)の至近に座る添乗員が安全運転への配慮もなく絶えず運転手に話しかけ雑談し続け、
  後方の参加者にも判るような大声での絶えない会話は一考して欲しい事です
 * 添乗員は参加したお客さんがあっての仕事です
  今回の添乗員さんはその認識が欠如しており不穏当な発言・態度が多々ありました
  例えば、
   「もっと近くに寄りなさい」
   「大きい声を出させなさんな」
   「同じことを2度は言いませんよ」
   「後ろで言ってることはみな聞こえているんです」
  また、現地の説明者を車内面前で大声の叱責する場面もあり、
  「参加者の皆さん(お客さん)は神様です」の立場を忘れないで欲しいです

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 その他
 * これまで参加した海外旅行の中で今度の旅は強く印象に残ったり、想い出深い場面が少なかったと思います
  訪ねた北欧3か国が国境のないEUだったために、いつ隣の国に入ったのか、また出たのかが判らないまま
  旅が終わってしまったように思われます
  旅は連続ですが印象や想い出は節目節目で区切られて自分の脳裏に整理されて活きてくるのです
  この点を配慮して添乗員は旅の進捗を考えて下さると有難いです
 * 北欧の数多い美しい峡谷の湖や大きな湾が何万年何十万年もの太古に氷河によって生まれたものだと教えられ自然の威力に驚きました
 * 旅の途中、添乗員の掌握を離れて行方が一時不明になる事態が生じたが両者に心の連携を欠いていた結果ではないかと考えられる
 * 私事ですが容量の大きいスーツケースに買い替えての初めての旅でしたが帰路の空輸中に2個ある取っ手が破損し修理不能の判定でした
  添乗員に現認書を書いてもらいその買い替えの補填の一部に充当できました
 * 大きな事故もなく無事に旅を終えて帰国できたことは最高です

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568 - 【 台湾ハイライト4日間の旅 (クラツリ) 】(2017/05/11~14)

2017年05月14日 | [海外旅行]


[夜の九フン街]

出発に先だって5月8日にクラツリ事務所(丸栄裏のビル)で事前説明会が催されたので出席しました
(男性はK氏と小生の2人と女性2人の計4人参加)、
台湾旅行の添乗員金谷真由美さんとの顔合せ後、宅配発送についての確認
帰路、[NHK名古屋ビル]で [4Kビジョン] を見学したいと立ち寄ってみたが当日は休館日で目的を果たせず
折角の機会なのでオアシス21の [スターバックス] で久しぶりに名古屋中心の魅力を味わってこられた

1日目(5月11日 木)   [今日の歩き:4,900歩]
  桃花台センター発 10:40 → 11:47 名駅バスセンター着
  名駅発(名鉄)   12:01 → 12:37 セントレア着

出発前日の10日にスーツケースを宅配便(福島運輸)で発送していたので身軽に自宅を出発できた
途中の乗り換えの移動が軽快で老齢にはこれに限ると感謝し次回からの旅も利用したいと思う
帰路は旅の疲れもあり、荷物も増えると思うのでこの効果は有難い
セントレアでの[受け取り]、帰着時の[預け入れ]も便利な場所にあり容易です
 (今回の料金はクーポンを使用して往復が¥3,740)
[両替店]奥隣りの[宅配便事務所]でスーツケースを受け取り(10:30)、
[キンツリ]の窓口で添乗員(金谷さん)と面接 2度目なので親しく「宜しくお願い致します」と挨拶
所要の書類を受け取り、4日間の短い旅の始まりです

[キャセイパシフィック航空]の窓口でスーツケースを預け、座席指定のカウンターで向かいます
今回は添乗員が事前に座席指定を済ませてくれていたのですが、自分の希望座席に変更したいので指定の窓口に赴き
[アイ ライク アイル アンド フォワード イフポッシブル] と通路側で、できるだけ前の方の座席に変更して欲しいと
下手な英語を駆使してお願いし、16:10発の CX531便の座席 [42G] を入手できました  希望に叶い大満足です

参加者14人(男性4人、女性10人)は金谷さんのチェックインと出国手続きを経て搭乗口#18番に向かいます
途中、無税の商店街を通りって行きます  食品の店で旅のつまみを買って搭乗ゲート18番に向かいました
搭乗ゲート18番は出て直ぐ左に曲がって直近でした  参加者14人は搭乗時間まで近くで待機します

飛行中は キャビンアテンダント(以前はスチュワーデスと呼称)のチーフの女性と(英語で)話す機会ができ、
親切に相談にのってくれ、親しく話せるようになって水割りを特別にご馳走になり、最後に会社へのアンケート記入を頼まれて、
そのお礼に会社のボールペンとトランプを手渡ししてくれたのです
貰ったそのキャシーのカードは着陸後でK氏にプレゼント


台湾地図(すぐ東は日本の離島)

台北直行のキャセィ航空(CX0531便 B777 42G席)の台北着陸予定は 19:00 ETE:3+10 (時差:マイナス1時間)です
 [台湾国際桃園空港]には 定刻の 19:00 に着陸
 いよいよ待望の台湾への入国です

着陸後、空港での入国手続きを済まし、ターミナル前で観光バスの到着を待ち、
現地で4日間同行して説明してくれる [趙さん] との初対面です  
彼女 (ちょっとおばちゃんでしたが) は今夜から帰国する日まで4日間ずぅーっと同行して 熱心に詳しい説明をしてくれました
空港からは今夜泊まるホテルに直行せず、 先ず観光バス が向かった先は

台北で大賑わいする市場、夜の『士林夜市』でした
市場に着いたのは既にもう20時を過ぎた遅い時間でした


[賑わう夜の士林夜市]


バスの中で 趙さんが

   「目の前で作ってくれたもの以外は食べてはいけません おなかをこわします。」

との厳しい注意をしてくれたのです  不衛生この上ないというのです
機内食を食べてからもう相当な時間が経っており、みんな空腹を感じていたのです
集合時間を決められて解散し、各人は自由行動で市場の中に散っていき、
賑やかな好みの場所で台湾らしい自分好みの料理で空腹を満たし、台湾市場の雰囲気を満喫したのです
私も同行者の4人と物色しながら後について行き、牡蠣などを具材にした[お好み焼き]らしい料理の路店に入り、
目の前で出してくれた材料を鉄板の上で焼いて食べたのです  美味しかったです
勿論、旅が終わるまで腹を痛めることもなく無事に経過しました
市場見学や好みの夕食を終わって、観光バスに再乗車し、今夜から3連泊予定のホテル(中源大飯店・ニューコンチネンタルホテル)に向かいました
勿論外は真っ暗な時間ですが台北らしい賑わいを車窓から見ながらホテルに向かいました


各自、荷物を受け取りアサインされた部屋(私は307号室で女性は6階でした)に投宿しました
添乗員さんが部屋の設備などに不都合はないかと気遣ってくれました
TVはch26,28でNHKがきれいに受信できなんの不自由も感じない夜の時間でした
部屋のアメニティも日本のホテル並みで違和感なく満足できました

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 =[台湾ハイライト4日間の旅] のスライドを観てください



2日目(5月12日 金)  [今日の歩き:6,600歩]
06:30のモーニングコールで起床、ホテル1階のレストランでビュヒュエ方式の朝食(美味しい食事でした)を食べ
08:00フロントに集合し、観光バスで台湾2日目の観光に出発です
今日は午前中に『故宮博物院』と『忠烈祠』の見学・参拝です


[故宮博物院孫文像]

[故宮博物院] は台北にある世界一名高い博物館で、約7万点の中国美術工芸品などの貴重なコレクションを中心に展示されております
そのうち約6万点は大陸から撤退する時に輸送船や軍艦で移送された歴史的貴重品で、その後に約1万点が加えられ、
今は世界一の博物館になったのです


[台北忠烈祠]

[忠烈祠] には中華民国誕生の[辛亥革命]や[抗日戦争]、[中共との戦い] などで国家の為に戦って戦死した約33万人の兵士の霊が祀られているところです
台北のみでなく台湾各地に[忠烈祠]はあり、全ての国民から丁重に祀られております
今回訪ねた台北の[忠烈祠]では毎日1時間毎に交代する衛兵の交代式を目の前で見学することができました
興奮しました  陸・海・空の美形の青年兵士たちにより編成され、衛兵交代の儀式は観光的にも見ものでした

   次の [忠烈祠衛士交代式] (動画)を観て下さい
          ★- [忠烈祠衛士交代式]


昼過ぎになり、空腹になって中華料理の名店「鼎泰豊」に赴きました
多くの先客が並ぶ混雑でしたがやっと順番がきて席につき、小籠包など本場の中華料理をフーフーしながら熱いまま味わいました
よい思い出になりました  次に「行天宮」を訪れました


[行天宮]

三国志の将軍[関羽]を祭る道教のお寺で台北で最も人気の高いお寺だそうです
当日も多くの参詣者が参拝に訪れており難しい参拝手順に従って平伏しての参拝を続けておりました
私も教わった手順を周りの人の参拝を見よう見まねでやってみましたが上手くできずに途中で諦めました


3日目(5月13日 土)  [今日の歩き:5,600歩]
今日は台湾の列車(特急)で東海岸の花蓮に向かいます(新城駅まで約2時間40分)
バスで[太魯閣渓谷]の観光に行きます


[太魯閣渓谷]

ここは代理石の山を切り開いて造った山岳縦貫道でした
この付近は石材産業が盛んで健康に良いとの歌い文句で販売している腕輪など多く皆さん興味を抱いて財布を開いていたようです


4日目(5月14日 日)
今日は帰国の日です


[帰国便案内表示(台北)]

空港へ向かう途中、免税店に立ち寄り空港で搭乗手続きを済ませて出国を待ちます
往復ともキャセイパシフィックで、JALカードの提携です
台北空港で往復のマイレッジ預入ができました

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『所見』
 添乗員にお願い:
 * [e-チケット]は事前に各人宛に通知して下さい  留守宅用に必須です
 * 海外旅行では参加者は全員が初めての訪ねる地域です
  地方の略図を描いてバスの中に張り出して展示し当日の[行程略図]を示し説明して下さい
  北に進んでるのか、東東なのか不明だと興味半減です
 * 添乗員の格差が大です  各社各員で切磋琢磨して下さい
 * 自分を自慢される方はお客からすると多くの方が自己満足のみです

 その他
 * 台湾には世界遺産に指定された物ものは皆無だそうです
  中国と台湾の関係に起因するもので国連機構で承認されないのだそうです
  実価値は世界遺産指定相当の遺産は数多くあります
 * 中国と比べて騒々しくなく国民が落ち着いた気風です
 * 旧軍時代に残した施設などの多くが今も残されているのだろうかと懐かしい気持ちになれる
 * 親日感情が肌に感じられる事が多く、安心して観光できる国です
 * 故宮博物院は[リュック]の持ち込みは禁止されているが、
  カメラ撮影(フラッシュ禁止)も全て許さている

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547-【 スペイン10日間の旅 (トラピクス) 】

2016年10月25日 | [海外旅行]



[サクラダファミリア大聖堂]
 (煌めきのスペインハイライト10日間:阪急)


スペイン10日間の旅を終えて10月24日の夕方、セントレアに帰ってきました
期間中いろいろな事がありましたが人身事故もなく、今回は外国負けする事もなく帰国できました
先ず、旅の募集計画で予定された行動を記述し、
旅の終わりに添乗員(高橋ましこさん)が書き残してくれた日々の旅日記と
自分が記して残したメモを参考に日々の観光行動を回想し、旅の経過の概略を記述します
続いて旅行日毎の映像をスライドで回想します

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スペインへの移動の旅 (15日 土~16日 日 晴れ) :

「行動予定」
 10/15 夕方、参加者19名はキャシーパシフィック機(以後CP機)で
 香港経由でマドリッドへ出発
 10/24 予定の全日程を終えCP機で香港経由セントレアへ

参加者19名がセントレア(中部国際空港)に集合
10日間のスペインへの旅が今から始まります
セントレアと香港の両空港ではビジネスクラスラウンジで軽食と休憩で過します
香港空港ではマドリード行きの便への乗り継ぎの待ち時間に何者かに掏られてしまい、、
ビジネスラウンジで旅に携行してきたウオークマン(NW-505)を充電中、盗られたのです
この旅はウオークマンのない淋しい旅から始まってしまったのです
キャセイパシフィック航空 (CX-0539便 B7-200) で香港に到着
 (日本と香港の時差:マイナス1時間、飛行時間約4時間10分)
香港からマドリッドまでは同じキャャセイパシフィック航空(CPと略す) (CX-0315 B7-300) に乗り換えて飛行
 (香港と日本との時差:マイナス8時間、飛行時間約13時間55分)
-0
スペインへの往復空の旅(香港経由日本マドリッド間往路)のスライドで観て下さい   

13時間のフライトはウオークマンの紛失で飛行中に退屈し余計な疲労感を感じる旅になりました   


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スペインの旅 1日目 (16日 月) :

「行動予定」
 マドリッド到着後 [サラゴザ] へ移動
 [アラゴン王国] の
  市街見学
  ピラール聖母教会観光
 見学後バルセロナのホテルへ(宿泊)


「添乗員の日記などから」
09時 ホテルに着くと各自は荷物をホテルに残して、
待機していた観光バスに乗り替え、早速
[サラゴザ](アラゴン王国の古都) に向いました
好天の元、気持ちの良い早朝のマドリッドのドライブでした
 (約310km、約4時間30分)
先ず、レストランでスペイン風のオムレツの昼食に食べ、
世界で初めて聖母マリアに捧げられたと云われる 「ピラール聖母教会」 を観光しました
幸運にも今日はこの地方で盛大に行われる花祭り 「ピラール祭り」 の最終日に出会えました
献花で盛り上げられたの豪華な花の塔は1年に一回、この時期にしか見られないのだそうです

スペイン 10日間の旅は好天のもと賑やかな花祭りの見物から始まりました
見学を終わって[バルセロナ]のホテルまでバスで移動しました
 (約310㎞、約4時間30分)
ホテルに帰り、パスタと白身魚の夕食を頂いて、スペイン初日の夜の床に就きました
今日は名古屋から香港、マドリッド、サラゴザ往復 と長距離・長時間の移動と観光の忙しく長い1日でした

  宿泊:機内泊 と バルセロナのホテル [バルセロナゲート] 


[16日の中日新聞記事]:
 天皇陛下 6年前に譲位意向
 拉致被害者松本さん平壌で入院か
 江戸の「コンビニ」
 ボート2会場 問題点は
 ルヴァン杯 浦和が優勝
 浜岡協力金 40億円超す
 カープ 日本S進出

-1
スペインの旅初日(サラゴザ市内の観光)の様子をスライドで観て下さい   


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スペインの2日目 (17日 月) :

「17日の行動予定」
 バルセロナ市内の観光]
 世界遺産[サクラダファミリア] の見学
 カサ・ミラの見学
 大聖堂の見学
 世界遺産[サンパウ病院] の見学
 カサパトリョの見学

  *ペエリアで昼食後
 東海岸のタラゴナへ車で移動(約100㎞/1,5時間)

 世界遺産[タラゴナの遺跡群]を見学
  [ラスファレラス水道橋] の見学

 バレンシアへ車で移動(約259㎞/3,8時間)
 バレンシア市内を車窓見学してホテルへ移動(約12㎞/20分)
  宿泊

「添乗員の日記などから」
 ボンディア!!
 ガイドのトモコさんと共にバルセロナ市内の観光に行きました
 バルセロナ市民から”ラ・セウ”と呼ばれている 「カテラルド」 を観光し、
 写真の撮影、スペインで1番の人気スポット、「サグラダ・ファミリア」へ!! 
 完成まで何年掛かるか判らないと云われていましたが、
 ガウディ没後100年の2026年(今年から10年後)に完成を予定、
 既に世界遺産に登録されております
 「サンパウ病院」を訪問し写真撮影
 昼食は名物レストランにてシーフード [ミックスペエリア]を美味しく頂きました
 「ラスファレラス水道橋」 を観光し写真撮影
 悪魔の橋とも云われる程あっと云う間にこの施設は完成したそうです
 そして、[バレンシアの街] を車窓から観光
 今日はエルサレムのパラドールに宿泊です
 ホテルで優雅に楽しい食事を頂きました

  宿泊:エルサレレールのホテル [パラドール・エルサレ-ル] 


[17日の中日新聞記事]:
 新潟知事に再稼働反対派
 乳児液体ミルク解禁へ
 北朝鮮ムスダン発射失敗(直後空中爆発)
 視覚障碍者また悲劇
 弘前シードル楽しんで
 日本OPゴルフ 松山V
 阿蘇 祖父引継ぎ農業の道
 大谷が国内最高の165キロ

-2
スペインの旅2日目(サグラダ・ファミリアの観光)の様子をスライドで観て下さい   


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スペインの3日目 (18日 火) :

「18日の行動予定」
 ホテルを出発 ムルシアへ車で移動 (約237km 約3時間30分)

 昼食後 グラナダへ車で移動 (約278km 約4時間)

 夕刻:グラナダのホテルに到着後

 ホテルに到着ごグラナダ市街を徒歩で見学 (約2時間)
 世界遺産を見学
  * アルハンブラ宮殿の見学 (約1時間)
  * ヘネラリー庭園の見学 (約45分)

 ホテルで夕食後
  * フラメンコショを見学 (ミニバス往復約45分)

 ホテル到着(深夜 23:30頃) ⇒就寝

「添乗員の日記などから」
 ブエノス ディアス! 
 スペイン第7位の都市 ムルシアまでバスで移動
 昼食はメルルーサのフライを頂く
 食後、バスは [グラナダ] まで移動 (278km 約4時間)
 ホテルに荷物を置いて、ガイドのベルナルトさんと共に [グラナダ] 市内の観光へ
 「アルハンブラ宮殿」 への入場・観光です
 そして一年を通じて250種類ほどの草花が観られる [ヘネラリーフェ離宮の庭園] を散策・観光
 観光後ホテルに帰り、バイキングの夕食
 食後、「フラメンコショウ」 の見学に出かけました
 洞窟フラメンコを目の前で踊る洞窟フラメンコの迫力は際立ち一見する価値があります
 小型バスに乗って深夜のグラナダの細い道を駆け抜けてホテル到着・就寝(深夜の24時)
 今日は長く疲れの大きい1日でした   足も頭脳もクタクタ ヘトヘトに

  宿泊:グラナダのホテル [アリサレス] 


[18日の中日新聞記事]:
 生前退位 8論点提示(有識者初会合)
 名古屋城天守閣 本当に閉鎖?
 展示鳥は「譲渡禁止」
 [iPS細胞]で大量卵子
 支援の連鎖が力くれた
 介護報酬詐取疑い逮捕

-3
スペインの旅3日目(アルハンブラ宮殿の観光)の様子をスライドで観て下さい   


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スペインの3日目 (19日 水 晴れ) :

「19日の行動予定」
 白い村 フリヒリアナ村ネルハ村ミハス村 を見学
 白い村 ネルハ村 を見学
 白い村 ミハス村 を見学

「添乗員の日記などから」
 ボンディア
 1982年スペインで最も美しい村に選ばれたアンダルシアの3つの白い村を散策・観光しました
 [フリヒリアナ村](ホテルから約106km 約1時間45分) から
  [ネルハ村](約9km 約15分)、[ミハス村](約93km 約1時間30分) の3つの白い村を散策観光してきました
 昼食は見晴らしの良い高台のレストランで食べ、食後、スーパーマケットにも買い物を兼ねて訪ねました
 村のおじいちゃんも風土に合ってのんびりしたスタイルでした
 「コスタ・デル・ソル(太陽海岸)」 の名前に相応しい[ネルハ村]に。 
 海の色とのコントラストが素敵でした。
 好天の青空を背景にした美しい景色 白い建物に青い空 どこを写真に収めても素晴らしい絵になります
 そして3つ目の小さなかわいい白い村 「ミハス村」 に今夜は宿泊します

  宿泊:ミハスのホテル [TRHミハス] 


[19日の中日新聞記事]:
 松坂屋 日タイ交流80年
 三菱重工が大型客船 撤退
 広島・黒田 今期で引退
 一票の格差 合憲2件目
 三菱重工がMRJで[クラスター]設立へ
 IOC交え費用協議へ:五輪会場月内に結論
 政府 北方領土帰属こだわらず

-4
スペインの旅4日目(3つの白い村を観光)の様子をスライドで観て下さい   


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スペインの4日目 (20日) :

「20日の行動予定」
 フスカル散策
 ロンダ市内散策
 闘牛博物館

「添乗員の日記などから」
 08時にバスでホテルを出発し、
 バスは山間部を走り抜けて [フスカル] へ向かいます
 美しいガイドのマリアさんと一緒に87km先(約1.5時間)の [フスカルの村] へ向かい、
 散策観光しました。 街中の至る処に[スマーフ]だらけでの村です  
 人口は僅か220人で、スーパーも病院もないこじんまりとした可愛い村でした
 この村から約24㎞の [ロンダ] へ移動して [タホ渓谷] の断崖絶壁の町 [ホセガイド] を観光 
 そして、闘牛の町へ
 闘牛の第一人者 [ペドロ・ロメーロ]は、8歳で闘牛を始め、6,000頭の牛と闘い、
 一度もケガをすることなく72歳まで現役で過した闘牛士だったそうです
 彼はまさに闘牛士になるために生まれてきた人で、
 ここの[闘牛博物館]では彼を中心に展示してあり、興味深く見学できました

 昼食はスペイン名物の 「ガスパッチョと烏賊墨ライス」 でした
 美味しかったです
 今日は朝、着いてからのびっしり詰まった観光スケジュールで疲労の1日になりました
 そして 「セビリア」 へ移動 (約128㎞ 約2時間)
 ガイド(ホワンセさん)と一緒に先ずはスペインで一番美しい広場と云われている 「スペイン広場」 からスタートです
 大きなカテドラルに立派な [ヒラルダの塔]を見学してホテルへ
 明日も楽しい1日でありたいものです

  宿泊:コルドバのホテル [マシア・アルファロス] 


[20日の中日新聞記事]:
 高浜原発審査で過労自殺
 原発費用 総額30兆円:国民負担増
 自殺中2写真一転受賞へ
 リニア認可2年 課題は?
 コラボ線香 いとおかし
 「ワンダーコアに欠陥」

-5
スペインの旅5日目(フスカルの村、闘牛の町を観光)の様子をスライドで観て下さい   


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スペインの5日目 (21日) :

「21日の行動予定」
 コルトバ歴史地区の観光
  * 花の小径
  * ローマ橋
  * メスキータ
 昼食後コンスエグラへ移動 (約281㎞ 約4時間15分)
  * ラ・マンチャ地方の風車群を見学
 見学後マドリッドへ移動 (約131㎞ 約2時間)
 途中のレストランで夕食後ホテルへ移動 (到着予定 20:30)

「添乗員の日記などから」
 ガイドのアンジャラさんと共に09時にバスで
 [コルトバ] の歴史地区の観光へ向かいました
 観光名所として有名な [緑の花の小径] へ向かいました
  (残念ながらこの時期は名前に相応しい[花の小径]に花は見られず、
  「ここがその小路なのか」
 と疑うくらい全く花は見られない状態でした
 これは却って旅の懐かしい想い出になってしまいました
 続いて[ユダヤ人街]を通り抜けながら民家、商店を見学していきました
 [ローマ橋] も素晴らしい遺跡でした パティオがなんと素敵なんでしょう!!
 イスラム部分が大きな面積を占める中にある
 カトリック部分メスキータの中へ!!  
 8世紀から10世紀にかけて拡張された854本の柱の森
 昼食後、バスで [コンスエグラ] へ移動
  (約281㎞ 約4時間15分)
 ラマンチャの高台に建つ5台余りの風車群の見学です
 ドンキホーテ作品の舞台を忍ばせる風景で、
 バスを降りて風車の足元まで歩いて小高い山頂まで登り、
 見学者に解放されていた風車の一つに入って内部を見学させてもらいました
 風力で回転する風車で駆動する杵と臼でトウモロコシの粒を潰して粉にする
 仕組みをまじかで見学させてもらいました
 風景に溶け込んだドンキホーテ色豊かな見学体験でした
 見学を終わってバスで マドリッド に向かいます
  (約131㎞ 約2時間)
 夕食は中華料理店で中華の食事でした

   宿泊:マドリッドのホテル [ミゲルアンヘルバイブルーベイ] 


[21日の中日新聞記事]:
 トヨタ 電池自社開発
 米大統領選 最後の討論会も中小合戦
 伊調選手に「国民栄誉賞」
 平尾誠二さん死去(53)
 三菱自 益子社長が留任
 電通3年前にも過労死

-6
スペインの旅6日目(コルトバ の歴史地区、緑の花の小径、ラマンチャの風車など)の   
様子をスライドで観て下さい   


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スペインの6日目 (22日) :

「22日の行動予定」
 マドリッド市内の観光
  ブラド美術館
  マヨール広場
  王宮
  ゴヤの礼拝場
  グランピア
  土産店でショッピング
 昼食後午後は自由行動 (一部の人はOP-2の行事に参加)

「添乗員の日記などから」
 今日はスペインの滞在最後の日です
 雨の中をマドリッド市内をの観光して回りました
  [ゴヤの礼拝堂]、
  [スペイン広場の王宮]、
  [プラド美術館]、
  [マヨール広場]、
  [グランピア]
 を見学して回りました
 歴代スペイン王家のコレクションを集めた 「プラド美術館」 の見学では
 ガイドの赤池さんの深い知識を駆使しての丁寧な解説・説明で
 充実した時間を過ごすことができました

 見学を終って、味の良い生ハムと白身魚の料理を食べさせて
 くれると云うレストランで昼食を頂きました

 今日は[旅の最終日]です
 生憎く朝から強い雨に悩された1日でした
 昼食から夕方までの自由行動はマドリッド市内の地図を頼りに
 街の中を歩いて散策する計画でしたが降り続く生憎の強い雨の中
 知らない土地で車で混雑する中を傘を差しての散策は危険ですので
 早々と散策をするのを諦め、タクシーを探して乗り込み
 今夜も宿泊予定のホテルに向かいました (11ユーロ)

   宿泊:マドリッドのホテル [ミゲルアンヘルバイブルーベイ] 


[22日の中日新聞記事]:
 鳥取中部で震度6弱(M6,6 揺れ瞬間「熊本」並み)
 人工知能で保育支援(名古屋)
 架橋贈収賄4人起訴
 無年金者救済法成立へ
 自動運転に地方熱視線
 将棋ソフト問題を調査

-7
スペインの旅7日目(プラド美術館などマドリッド市内の観光)の様子をスライドで観て下さい   


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帰路の旅 (23日~24日) :

「帰国日の行動予定」
 23日09時にホテルを発ち、マドリッド空港へ 
 出発時間(12:30)までラウンジで待機
 23日12時30分 マドリッド発のCP機(CX0320)で香港に向かう
 24日07時05分 香港に到着
  (飛行時間約12時間35分 マドリッドと香港の時差:プラス8時間)
 24日10時10分 香港発のCP機(CX0536)でセントレア(名古屋)に向かう
  (飛行時間約3時間50分 香港と日本の時差:プラス1時間)
 24日15時00分 セントレアに到着
  空港で所要の手続きを済まして解散し、名鉄と高速バスで自宅に向かう

「添乗員の日記などから」
 スペイン10日間の旅は昨日以外は好天に恵まれ全ての計画を終了し、今日は帰国の途に就きます
 スペインには現在世界遺産が44件あり、世界で3位だそうです (今回の旅ではそのうち5か所を見学)

 09時にバスで宿泊ホテルを出発、空港へ向かう
 セキュリティ検査時に列の前後にいた中国婦人の荷物にクレイムがあり手間取る間に
 自分の帽子、上着とPPを入れた3つ目の籠の行方が何時の間にか行方不明になり、
 添乗員も一緒になってレーダー門の周囲を観て回るが見つからず、
 ポリスに状況を申告して調べて貰う
 PPがないと帰国できないので意気消沈の状況に
 約1時間して(この間トイレに)検査場に戻ってきて係官に尋ねると
  「これか?」
 と云って不明の3品入りのパンを出してくる
 何と不思議な出来事だったのだろうか
 この近隣国では全ての人が信用できない事を改めて認識させられる出来事だった
 荷物の個数を減らし、注視の目を離さないことが緊要と知りました
 幸い再発見でき無事に帰国できた事を感謝し努力してくれた添乗員に感謝したい
 無事、出国手続きを終えて予定通りにマドリッド空港から
 CP航空(CX-0320 B7-300)で香港に向かい到着
  (時差+2時間、飛行時間約12時間35分)
 香港からは同じCP航空(CX-0356 B7-300)に乗り継いでセントレアに向かい、
 15:00無事に到着しました
  (時差+1時間、飛行時間約3時間50分)
 スーツケースを受け取り、16:30発の名鉄電車で名駅に向かい、
 名駅から特急バスで桃花台に向かい自宅に19時帰着できました
 いろいろありましたが無事に自宅に帰って来られた事に感謝します 


[23日の中日新聞記事]:
 補助犬 なお入店拒否も
 田部井淳子さん死去(77腹膜がん)
 遭難13日ぶり救助
 岐阜市議、自社に政活費
 税逃れ市民が監視を
 オプジーボの効果判別
 害虫で松茸SOS

[24日の中日新聞記事]:
 衆院2補選 自民系勝利
 安保法新任務を明言
 平幹二郎さん死去(82)
 AT&Tが8,9兆円買収
 オプジーボの効果判別
 害虫で松茸SOS

-0
スペインへの往復空の旅(香港経由して日本への復路)のスライドで観て下さい   


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[総合所見]

⇒ スペインとジブラルタル海峡を挟んだ隣国モロッコの類似点・相違点

1スペインにはアンダルシア地方に小さな白い村が3つ
  ('16,10,19訪問のフリヒリアナ村、ネルハ村、ミハス村)
 あります
 一方、南の隣国のモロッコにはシャウエンのメディナ・青い街 ('16,03,18訪問)があります
 その生い立ちなどの詳細を私は知り得ませんが両者の大きな違いは白色か、
 青色かの差で、街の構造などよく似ておりそこに住む住民達が各自で
 ペイント缶と刷毛を手に自宅の外壁を塗り直して
 新鮮な色に改善しているのです
 世界の人々に知られ、世界各地から訪れる観光客も増え、
 その効果を有効に利用しているのです

2 スペインの白い街もモロッコの青い街もキリスト教徒とイスラム教徒が混在して
 生活する中では宗教的対立も起こります
 侵入してきた異教徒など外部の者が侵入したら容易に脱出する事ができないように
 迷路造りになっているのだそうです
 歩いてみて双方の街には多くの点で共通している事に驚かされました

3 もう一つの両国の類似点は王宮の造りです
 愛妾をはべらす部屋の配置や造りも実によく似ております
 比較するとモロッコの方に豪華さなど資金の投入額などで
 軍配が上がるのではないかと思いました

4 現在のスペインに至るまでにはローマやアメリカなどとの
 長い闘争の歴史があり現在に至っているのです
 日本と違って昔、世界史の受験勉強で悩まされたように難しい込み入った
 長い闘争(侵略・占領)の歴史があったのです


⇒ 旅の途中での盗難に注意

1 海外旅行では常時要注意
 5月の地中海クルーズでは携行した買ったばかりのカメラを一瞬目を離した隙に
 船内で盗まれました('16,05,16)
 そして今回は香港で、ウオークマンの置き引きに遭遇しました
 不運の一言では済まされません
 外国に出かけたら自分の物は肌身離さない事が基本でしょうが
 周囲の人は皆善人に見えるのですが
 日本の人は(特に私には)直ぐに隣の人は悪人ではなく気を許してしまうのです
 信じて気を許してはいけないのです
 戦後の日本で 「他人をみたら泥棒と思え」 と云われた一時期がありました

2 先日('16,07,18) 日帰りバス旅行で静岡県の久能山東照宮を参拝した時、
 境内の売店でソフトクリ-ムを買って食べたのです
 バスに帰って財布の紛失に気づいたのですが戻ってくる可能性はないと
 諦めて帰宅しました  すると
 翌日午前、東照宮社務所から電話があり、財布が届いているとの朗報です
 「さすがに日本だ。」 と日本国民の正直に感心し満足し誇りに感じました

3 今回のスペイン旅行から帰るとき、マドリードの空港での税関検査で
 パスポートとカードを入れた携帯袋の行方が不明になり
 言葉の通じる添乗員も一緒になって探してくれたり、警官に聞いてくれたり
 したのですが彼ら誰も知らないと云って本気で対応してくれないのです
 1時間以上粘っていると
  『若しかしたらこれじゃあないか?』
 と探し求めていたパスポート、帽子、コート、現金入りの財布などを
 入れたケースを持ち出してきたのです
 どう見ても何処かに隠していたとしか思えない様子だったのです
 添乗員も私もそれまでの彼らの対応を見ていて納得できない不思議さを
 感じ抗議を始めたのですが自分の大切な物が手元に無事に戻ってきたので
 それ以上に抗議はやめて早々にラウンジに急いだのです
 これからは警官でも信用してしまうのは危ない事である事を
 肝に銘ずべきと認識したのです


⇒ 撮影した写真について

1 今回の旅行でピンボケの写真が多く困りました
 地中海クルーズで新品の写真機が盗まれ新たに購入したCanonIXY180を
 携行したのですがピンボケになる写真が多かったのです

2 6月に付知峡を訪ねて写した写真にも同じ現象が出ていました
 前に持っていた古いタイプのIXY900では起きなかった現象です
 更新の機器にこんな現象が出るのは個体異常だと思い修理に出そうと考えていた矢先、
 キャノンからAF機能不良で無償修理のリコール連絡があり早速11月19日に
 修理に出し発送し24日に終わって帰ってきました

3 今後の写真は正常に撮影できるだろうと期待しています


⇒ トラピクスについて

1 スペインツアーの募集広告について
 その広告パンフには 「人気添乗員同行」 の特記があったので、できたらこの日に
 私も参加したいと申し込みました  処が
 参加してみると特にそのような事は全く感じられず問題点の多い添乗員さんでした

2 添乗員が毎日配るメモ紙(A5)の記述について
 本来は 往復の時差修正についての記述があるべきなのに全く記述がなかったのです
 メモ紙には毎日自分の氏名を大書したり携帯番号を記述して
 初めて見学する参加者に必要な見学の経路や要点などを説明して欲しかったです

3 添乗員には何度目かの訪問なのでその体験を元にして親切な判り易い解説が欲しいです
 基本となる[テンププレート]を作っておけばその都度微修正と加筆で適応は可能な筈です
 工夫して欲しい事です

4 外食する時はその場所は事前に設定されている筈なので
 レストランの 名称・住所・電話番号等 の記載が欲しいです
 お客さんの立場で知恵を働かせて頂けませんか

5 観光地での引率案内について
 単独でどんどん前に歩いていき(後方確認が少ない) 
 添乗員の位置を見失わないようにシグナル旗を注意し続ける事に熱中させられ
 見学は疎かになってしまいます  自分の経験を活かして欲しいと思います

6 高い料金を払って参加していお客さんに対し少しの不満があってもそれは自分の足らざる
 故と考え、自分の感情を表情に丸出しにしないで少しの我慢は必要です
 生起した結果の原因は貴女にも少しはある筈だと考えるべきと思います

7 一般的に言えることは、旅の途中で添乗員としての自分を吹聴自慢するの方の評価は
 私らの評価は逆に平均以下であったは云えます

8 社内の研修会などで技能向上を図って下さい



▲********************(12/07:完)**▲



541- 【 モロッコへの10日間の旅 (阪急) 】

2016年03月16日 | [海外旅行]



[阪急の募集広告]

幻想的でエキゾチックな国 [モロッコ] への 10日間の旅 を予定通り終わって
3月25日(金)深夜、名古屋に無事帰ってきました
大阪トラピックスが企画した今回の旅行は2つのグループ(1班20名、2班17名)で構成され、
全行程を相前後して行動をし、10日間の旅を仲良く過ごしてきました


日々の予定と行動の概要は次の通りです
簡単な所見と写真のスライドを付けて紹介します


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 出発移動日 (3月16日 水) 好天




[搭乗予定のエミュレート航空 B-777]


  今朝はいつもの [ウオーキング] を止めて忘れ物がないように朝から旅の最終準備を済ませ
   [桃花台センター](12:45発) から名駅行き特急バスに乗って出発しました (13:55着)
  エミュレート航空連結の [関西空港] 往き直通バスへの乗車手続きを終えて高速バス(EK7031)に
  乗車約20人の乗客を乗せて 定刻(15:00) に名駅西口を [関西空港] に向けて出発しました
  乗客は [関西空港] でエミュレート航空便に搭乗する人だけが乗っており、
  同行の8名の仲間も乗ってる筈ですが勿論誰がそうなのか
  判らないままバスは出発しました
  途中 [亀山SA] で1回小休止して予定の18時過ぎに
  関空第一ターミナル前に到着しました

  関空での集合時に(21:05)、添乗員(片岡さん)と会い [e-チケット] などを貰い
  搭乗手続に向かい、エミュレート航空でモロッコに向かいました

   エミレーツ航空(EK0317)  関西空港  23:35 出発  (機内泊)


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 2日目 (3月17日 木)  好天




[ハッサン2世モスク]


    ドバイ空港  05:50 着陸  (飛行時間 約11時間15分)
                      (日本との時差は ー5時間)

    ドバイでは約2時間の乗り継ぎ時間でカサブランカ行き航空機(EK0751)に搭乗

   エミレーツ航空(EK0751)
    ドバイ空港     07:45 離陸
    カサブランカ空港  12:30 着陸 (飛行時間 約8時間45分)
                         (ドバイとの時差は -4時間)
                         (日本との時差は  -9時間)

    ▲ドバイ空港でシャトルバスによる移動時に空港案内人の判断ミスで5名の行方が
     一時不明になり添乗員が慌てる事態が生じたが暫くして
     全員が集まり、カサブランカ行き便に無事搭乗

    ▲カサブランカ空港到着前、機体が乱気流中の飛行になり、シートベルトサインが
     中々消えずトイレに行けない時間が続いたが、朝食と昼食の2回の機内食を済ませ
     全員が昼過ぎ、サブランカ空港に無事に到着した

    ▲モロッコにはカサブランカの他にマラケシュなどに9つの飛行場があるが
     それらは主に近距離飛行に運用され、遠方の国への長距離飛行には
     カサブランカ空港が主用されているらしい

   カサブランカ空港でモロッコ通貨(デルハイム DH)に両替
    (モロッコで使用予定額を円からDHに交換)
    (ドル札を携行すると便利とのこと)

   カサブランカ到着後 [入国手続き]、[スーツケースの受領] などを済ませ

   1班(20名)、2班(17名) は2台の観光バスに分乗して先ずカサブランカ市内の見学へ(約1時間)
      ⇒ [ハッサン2世のモスク] の見学 ・・・ (下車観光)
        [国連広場] の見学         ・・・ (下車観光)
   その後、約90km北東の [ラバト] に向かう  約1時間半後の
   明るい日差しのもと海岸沿いの高速道をドライブして 宿泊予定のホテル(ベレーレ) に
   17:30頃到着  部屋に荷物を置いて早速ホテルでの夕食  そして 宿泊
    [ラバト] はモロッコの首都で大西洋に面した人口約65万人の大きな街で、
    ラバト とは [城壁都市] を意味するそうです

  [所見]:
   * モロッコは1999年即位のムハンマド6世国王統治の立憲君主王国です
   * 先ず、空の色が濃い青なのに驚きました
    往時に試験飛行で通常以上の高高度に上ったときコックピットから見た
    濃紺の青い空とすごく似ているのです
    風上の西方が大西洋の広大な海で空気を汚す国がないことと
    空気が乾燥していて水蒸気分がないので透き通って見えるためだそうです

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 =[ モロッコの旅 2日目 ]
 =[初日のカサブランカ市内見学のスライドです] 



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 3日目(3月18日 金) 好天




[シャウエンのメディナ・青い街]


   07:45 観光バスでホテルを出発、
       世界遺産 をラバト市内の見学] 
       * ハッサン2世の塔(ハッサンの塔)  ・・・ (入場観光)
       * モハメッド5世霊廟           ・・・ (入場観光)

     見学後 約250km北東の [シャウエン] へ
      シャウエン到着予定時刻  13:30 頃
      ケバブ料理(説明が欲しい)で昼食?  美味しかった記憶がないまま

    昼食後 「青い街 シャウエン」 の [メディナ] を見学

     [メディナとは]
      現在のモロッコの町に残る昔ながらの古い町並み旧市街は、
      7世紀に侵入してきたイスラム(アラブ人)によって建てられた。彼らはその地を
      イスラムの預言者(ムハンマド)の地、メディナとした。
      旧市街を今でもメディナと呼ぶのは、モロッコ独特である。
      メディナは、外敵からの進入を防ぐために周りを頑丈な石の外壁で囲まれている。
      また、一歩メディナの中に入ると細い、狭い道がまるで迷路のように複雑に通っている。
      この迷路のように複雑な狭い道もまた、もし外敵が進入しても容易に目的の場所へ
      たどり着けないようにするためである。
      メディナの中心部には、マドラサと呼ばれるイスラムの神学校、モスク、
      キャラバンサライ(隊商宿)、ハンマンム(公衆浴場)がある。
      モロッコでは現在でも地方では自宅にお風呂が無く、
      ハンマンムと呼ばれる公衆浴場へ行って体を洗う人達も多い。
      モロッコでは、市場(マーケット)のことをスークと呼ぶ。
      メディナにはスークもあり、スークはその売られている商品の内容により
      衣料品のスーク、野菜・肉等食品のスーク、金・銀のスーク、香辛料のスークなど
      しっかり区画分けされている。
      このような商店、人々の居住空間(住宅)がメディナにはぎっしりとつまっている。
      メディナの中を歩くと人々の喧騒と鼻をつくに強烈な臭いがする。
      そしてロバがその背いっぱいに荷物を背負わされて行き交う。
      はじめてメディに入ると目的地までたどりつくことは容易ではない。
      しかし、迷いながらメディナの中を歩くと本当のモロッコに出会えるような・・・


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 =[ モロッコの旅 3日目 ]
 =[世界遺産フェズの観光 (ハッサン2世の塔、モハメッド5世の霊廟)] 



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 4日目(3月19日 土) 好天




[フェズの街の皮なめし工場]


   09:00 ホテルを出発 世界遺産のフェズの街の観光に  (約7時間)
    * カラウインモスク          ・・・ (下車観光)
    * ブ・イナニア・メドレセ       ・・・ (入場観光)
    * 皮なめし場             ・・・ (下車観光)
    * ザウイア・ムーレイイドリス廟  ・・・ (下車観光)
    * ブージュルード門         ・・・ (下車観光)
    * 陶器工房(約30分)           (ショッピング)
    * 南の砦からフェズ旧市街を一望 ・・・ (下車観光)
   モロッコ一般家庭を訪ねて 「ミントティ」を頂きました

   12:30頃 リアドレストランで昼食
      (リアドとは 個人の邸宅を改修してレストラン営業するもので、フェズにはリアドが多い)

   リアドでの昼食後ホテルに帰り、夕食はホテルで早い時間に(ホテルは昨夜と同じホテルで連泊)

   夕食後、近くのスーパーを訪ねて見学とショッピング

    * 訪ねたスーパーは日本でも見られないような高級感を感じる店で、
     例えば棚に並ぶヨーグルトでも品数が非常に多様で驚きました
     王国の一端を伺わせるように庶民生活の中に歴然とした大きな格差に
     あるように感じられました
     買い物中の婦人の身なりも上等な人たちと見受けました

    * 皮なめし工場は見るからに不衛生的でしたが、国王の忠告で
     観光上の改善が行われるとのことです

    * モロッコには至る処で風に舞うビニール袋を見かけました
     これも国王の指示で改善が実施されつつあるそうです

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 =[ モロッコの旅 4日目 ] 
 =[世界遺産フェズの観光 (カラウインモスク、ブ・イナニアメドレセ、
皮なめし工場、ザウィア・ムーレイイドリス廟、ブージュルード門、
陶器工場、ハッサン2世の塔、モハメッド5世の霊廟)]



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 5日目(3月20日 日) 好天




[特徴あるモロッコ地形のズイズ渓谷]


   08:00 バスでホテルを出発 エルフードへ
    途中、65km先の イフレン(15分) と ズイズ渓谷(約20分) に立ち寄って見学
    約135km先の [ミデルト] 昼食は:美味しい鱒料理

    約210km先の [エルフード] へ

       [エルフード] で5台の 4輪駆動車 に分乗して [メルズーガ] に移動し
       明日のサワラ砂漠歩きに備えます
       * 各人のスーツケースはばすのトランクに

      19:00頃 ホテル(オーベルジュ・トンブクツ)到着
        夕食はホテルで

      夕食後砂漠の星空をエンジョイします

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 =[ モロッコの旅 5日目 ] 
 =[イフレン、ズイス渓谷に立ち寄り 鱒料理を賞味し
  4駆に分乗して砂漠への入口[メルズーガ]へ移動] 



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 6日目(3月21日 月) 好天




[サワラ砂漠の黎明]


   04:00 5台の4輪駆動車に分乗して メルズーガのホテルを出発
   既に砂漠の端の暗闇の中で 11頭の駱駝が御者の持つ手綱につながれて大人しく待っていました

   いつでも出発できる態勢です
   今朝の日の出時間は 6時26分 だと教えてくれました
   駱駝乗りを予約していた人は全員無事に騎乗しました
   駱駝の隊列は御者のたずな従って縦列になって南の方角に歩きだしました
   駱駝に乗らない者は隊列の近くを一緒になって砂漠の大平原に向かって歩き始めました

   * 砂漠歩きについての感想
    私にとって初めての砂漠歩きだったので所見を記します
    天候、砂漠の状態など申し分のない好条件だったのですが
    その時に感じたことを記します

    砂の上を歩くのは普通に歩けば無理なく歩けます
    傾斜の大きい場所では低地にむかって滑り始めると
     滑りを止められないのではないかと怖くなろました
     駱駝はいつも勾配の頂点、頂部に脚をついて歩いていました
     本能でしょうか さすがです
    今回の砂漠歩きはそれほど困難を感じなかったが距離が短いからか
     何キロも、何時間も歩くのだったら論外です

    初めての砂漠歩きの体験は兎に角楽しい想い出になりました

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 =[ モロッコの旅 6日目 ] 
 =[サワラ砂漠を自分の足で確りと歩いてきました 
そして午後はバスで[ワルザザード]への移動] 



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 7日目(3月22日 火) 好天




[世界遺産 アイト・ベン・ハッドウ]


   08:00 バスでホテルを出発して [世界遺産 アイト・ベン・ハッドウ] の観光に行きました
   以前は橋がなく川の浅瀬を歩いて渡河していたそうです立派な橋ができて
   容易に村に近づくことができます
   それでも赤土を固めた構造物で険しい坂道を登っていくのは骨が折れました
   全員が頂上まで上っていきました
   帰り道の途中で普通の家庭にお邪魔してそこでの生活の一端を垣間見せてもらいました
   親切な人たちでした
   帰りの下りの頂上近くで川の眺めや、先ほど渡ってきた橋もきれいに極近くのような眺めでした

   他の観光グループが歩いて浅瀬を渡っているのも下り道の途中で遠望できました
   空気がきれいで見透しがよいので気持ちよく見えます

   今日の宿泊は [マラケシュ市街] の[モガドールバレスアグダルホテル]に泊まります
   モロッコ最後の明日の晩も同じホテルに連泊です

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 =[ モロッコの旅 7日目 ] 
 =[世界遺産 [アイト・ベン・ハッドウ] の集落を訪ね、
アルガンオイル店も見学] 



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 8日目(3月23日 水) 好天




[世界遺産 バヒア宮殿の美しい天上]


   09:00 バスに分乗して世界遺産の [マラケシュの旧市街] の見学に出かけました

    バヒア宮殿                ・・・(入場観光)
    メナラ庭園                ・・・(入場観光)
    サラディーン廟(サアド朝の墳墓群) ・・・(入場観光)
    クトゥビア・モスク             ・・・(下車観光)

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 =[ モロッコの旅 8日目 ] 



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 9日目(3月24日木) ⇒ 10日目 好天


  昨日で モロッコ10日間の旅は主要な行事は終わりました
  今日は 07:30 マラケシュのホテルをバスで発ち高速道を走って
  約240km北方の [カサブランカ空港] に向かいます

  空港で13:55発 のエミュレート航空ドバイ行き(EK-0752便)に搭乗し日本への帰途につきます

   ①、カサブランカ(エミュレート航空 EK-0752) → ドバイ空港(飛行時間 約7時間25分)
     (13:55 離陸)                       (01:30 着陸)
                            (ドバイとの時差は -4時間)

   ②、ドバイ空港 (エミュレート航空 EK-0316) → 関西空港(飛行時間 約9時間50分)
     (03:00 離陸)                       (16:50 着陸)
                             (日本との時差は -5時間)

   ③、関西空港  (高速バス EK 7032) → 名古屋駅  (走行時間 約3時間30分)
     (19:00 発車)                      (22:30 到着)

   ④、名古屋駅 (名鉄桃花台東行高速) → 桃花台センター (走行時間 約1時間10分)
     (22:10 発車)                     (23:20 到着)

   帰宅後、早々に片付けを終えて床に就きました

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 =[ モロッコの旅 全日程 ] 



******************************

 [旅の所見]  :旅で感じたことを取り上げて[所見]とします


[モロッコ旅行経路の概要図]


[サワラ砂漠 (メルズーカ)]:
今回の旅で一番の印象に残ると思うものは何と云ってもメルズーカでのサワラ砂漠を歩いたことです
ひとこぶラクダの行列に後ろについて(片道1000mくらいは歩いたのでしょうか、
或いはそれ以上もあったのでしょうか
(全くわかりません)サワラ砂漠の中を皆で一緒に歩いて高台までのぼり、
そのはるか彼方遠くから登ってきた乾ききって
見えた太陽を自分で観られたことです
 これまで幾度も耳にしたり、学校でも学んだことのある [サワラ砂漠] ですが、
自分のこの目で直に観て、手にとり、自分の足でのしのしと踏みしめながら
歩いて来られたことです
拾数頭のひとこぶラクダの隊列の後について彼らの足跡を踏みしめながら一緒に歩いて、
太陽が登るらしい東の空に向かって何処までも波打って続く
砂の波をゆっくりと歩いていきました
仲間の乗ったラクダは素直に行列を組んで歩き、その後には
砂漠を歩きたいと希望した約30名がラクダの後をついて歩いて行きました
砂漠を歩くのは参加者の誰にも初めての体験だったことでしょう
私も今後2度と体験できないだろう
この体験を貴重なこととして本物のサワラ砂漠を自分の足で歩けいている
今のこの機会を存分に体験したいと大きな希望を秘めて後をついて歩いていきました
砂漠の砂を手に取るように真近に見られるのも勿論これが初めてです
そして私にはもう2度と訪れることのないだろうこの今の貴重な体験は
自分には最後になるだろうと思いました

 勾配がきつい場所の砂丘では低地に向かって足が滑り始めるとずるずると滑り出し、
ブレーキが効かなくなりに平衡も失って低地に向かって滑り落ちて行きそうになってしまうのです
ゆっくりと滑り落ちて止められない有様は 「蟻地獄」 の恐しさを感じさせられた体験でした
ここはモロッコの南方の端の方で、地図上では広大なサワラ砂漠の北の端に位置する処だと
想像しながら歩いてきました
砂は一様に微細で、その砂には暗闇の中でも目につくウズラの卵大の黒い塊が散らばっているのです
ラクダの糞が乾燥して散らばったいるのだと教えられ頷ける現物でした
それらはカリカリに乾いており、汚い感じは全くなく、途中踏んでも気にせず踏みしめて歩き、
その上に腰を下ろして休んだりもしました
 途中、女性の一人が暗闇の中、やさしく澄んだ声で 「月の砂漠」 を歌い始めてくれたのです
その場の雰囲気にぴったりでした
他の数人が声を併せて一緒に歌い、異国の星空に向かって流れていきました
王子様に続いてラクダに乗って砂漠を行くお姫様の歌に自分はその王子様なのだろうかと想像しながら
その場の気分に陶酔してしまう雰囲気でした
そんなことが日本から遠く離れ地球の裏側の砂漠で起っていたのです
人生に素晴らしいひとときでした

[モロッコの地層、地形について]:
モロッコで一番高い山は
アフリカ北西部のアトラス山脈西部にある [ツブカル山](4,167m) です
民家は巨岩が今にも落ちてきそうな危険な崖の下に建てられているが、
住民たちは平気で生活しているのです
地震が起きない土地で安心できるのでしょうが地震国日本人にはとても
安住できる土地とは思えない感じです
地層は遥か昔は海底にあって隆起した地層であることは素人の自分でも想像できます
地中から[アンモナイト]が掘り出されることからも判ります
また、そんな岩石地層の上での生活は生産性が乏しいことは想像できます

また、各地でロバや羊などの放牧を車窓から見たのですがそこには餌となる
草らしい物が見当たらない荒地で何かを食べているらしいように見えるだけの
可哀そうな環境でした
そんな旅の途中で見られた緑のオアシスは原住民や牧畜にもすばらしい存在でしょう

[空がきれい 青黒い]:
かって試験飛行で2万メートルを超える高度まで上昇した時に観た空の色と
同じ色だったことを思い出しました
モロッコは地理的に風上にあたる西方は巨大な大西洋があり空気清浄の働きをして何処かの国のように
西方に(黄砂)や(pm2.5)を吹き上げる国土がない事も原因であり、また空気が乾燥し水蒸気の含有が少ないので
見透しが良く、かった見た超高空の空の色に似ているのが頷けます
こんな所で観る夜空は格別です  出来たら将来、衛星に乗って宇宙空間から地球の空を見たら
どんな色なのだろうかと疑問に思います

[モロッコ人には相当の生活格差?]:
モロッコ内陸部の[フェズ]でスーパーを訪ねて見学する機会がありました
店の一部を巡って驚いたのは商品棚に並ぶ品物が一般的に高級品が多く、品数も多く、
多種多様だったことです
私の大好きなヨーグルトが棚に陳列してあるのを観て驚いたのです
何をかと云うと自宅近くのスーパーと比較してその種類と数が一見しただけで
5倍近くはあるのでないかと思わせるくらい賑やかに配列展示してあったのです
そこで買い物をしている人を見ると自分らとは少し生活レベルが違う家の人らしい印象でした
そのスーパーに入って買い物をする人は必ずや限られた範囲の人たちだろうと想像される状況でした
短い時間の見学で勝手な私見は云えませんが、そこには大きな生活格差の存在を感じました

若く穏健なムハンマド6世を国王に頂くモロッコでは各家庭にも国王やその家族の写真を
掲示して敬愛の念を表わしている様子です
皮のなめし工場の悪臭や衛生化対策に、そして国内各地に飛散しているビニール袋対策なども
国王の意見が素直に受け入れられ、改善対策をすることは微笑ましい国柄だと思います

[車窓から観たカサブランカ市内の現状]:
市内の各道路の両端、公共施設らしい建物の
敷地には乗用車がぎっしりと駐車されているのが目につきました
ガイドの話では駐車場が少なく現在、市内中心部に地下駐車場の建設を急いでいるが
(現に工事中の側を通過)解決は難しいと云っていました

住民が居住する建物には無数のパラボラアンテナが林立している(八木アンテナは見当たらない)
地中海を挟んだ周囲の近隣諸国からの衛星映像を受信し活用しているのだろうかと想像する

[迷路の旧市街(フェズと]:
モロッコには一度足を踏み入れて入り込んだら、
抜け出せない入り組んだ迷路の街のメディナ(旧市街)がある
その中で大きなメディナが[フェズ]だと云う
私には絶対に抜け出ることができない細い途の迷路として続く旧市街を訪ねて歩きました
そこに建つ家は殆どが二階家で狭い入り口の奥には住人の姿も垣間見れました
現地のガイドさんと体験豊富な添乗員さんの後ろ姿を見失わないように付いて行くのが
精一杯で、ゆっくりの見学して歩く余裕は全くなく、二人の姿を見失わないように急いで
付いて行くことに夢中でした
GPSのついた[スマホ]を携行していれば迷路でも迷うことはなかったと後で知りました

[猫があちこちに寝そべっている国モロッコ]:
モロッコは街の何処に行っても猫に
出遭うのです  迷路となっている路地のあの狭い道の端にも、混みあう曲がり角にも、
足元を見ないで歩く観光客に踏まれそうになっても、相手が避けてくれると思っているのか
安心した様子で平然としているのです
猫はイスラム教と何か関係がありそうですが兎に角街中には多くの猫が飼われているのです

[日本とドバイ、そして ドバイとモロッコ の距離と時間]:
日本とドバイとカサブランカの飛行距離の関係は
直感的に後者は前者の三分の一位かなと考えて旅に出たのですが大違いで
7~8割位の関係だったことを帰国後知りました
モロッコは地中海の南の端を、アフリカの北の端をドバイから西に向かって
直線的に飛ぶコースなので直感的に短いと思われたのですが間違いでした
その差に大きな違いはなく、地図を観なおしてその認識を新たにし、
上空を飛び越えて行ったアフリカ大陸の大きさを実感しました

[添乗員にお礼と改善の要望]:
旅の期間中2つのグループが全く同じ行動をするので参加者の混同や迷いが
生じ易い環境だったと思いますが、
経験したことのないモロッコの迷路でも一人の不明者も出さずに旅を終えられたことは
彼女らの心遣いに依るものと思います
現地通訳のタキさんや支援者のハッサンさん、運転手らを上手く動かしていたと感心しました
彼女の長い経歴のなせる業だろうと思います  頑張ってください
旅の終わりに近づくと旅の行程を振り返り思い返すことが難しくなり、帰宅後の整理は至難のことです
同じコースを重ねて訪ねている添乗員には容易なことでも初めて訪ねる者には記憶に残りませんん
 同じ阪急さん企画の欧州旅行に添乗された若いMさんの積極的な活動は参加者を最後に喜ばせて
くれました  下記を参考にして頂ければ幸いです  それは、小生のブログ
 516-【ヨーロッパ絶景ハイライト9日間の旅 (阪急)】
の末尾 (所見 ⑬項) に詳細を記述して残しております

[阪急旅行社(トラピクス)への要望]:
(1)、今回の旅は参加者全員が単独限定の参加(夫婦やグループでの参加不可)だったので
  [独楽の旅] を楽しむ私には好都合で、多数の希望者て再募集した好評の企画だったのです
 今後もこのような企画を盛り込んで下さい
(2)、モロッコ見学の中で割愛できる部分を削ってでもモロッコとスペインとの間に跨る
  ジブラルタル海峡の見学を少しの時間でも組み込んで欲しいです
  折角近くまで行ったのですからぜひとも
(3)、また、往復とも素通りしたドバイ空港で半日くらい時間を組んで[バスによる市内見学]を
  組み入れて頂くと旅が充実します
(4)、[e-チケット]が全人に手渡されたのは関空で添乗員からです
 通常、他社では数日前に郵送または電送で各人に送られます  留守家族にも必須な情報です
 名古屋支社ではプライバシイの漏洩云々と云っていましたが愚見です
(4)、旅の中で、説明にインフォメーションを活用している社は阪急のみです
 大変効率的でよい対策と思いますが電池の消耗に慎重で殆ど使用されないままでした また
 終わった後の器材の回収についてですが
  * 本体とストラップ、イアホーーンの全てを回収する添乗員
  * 本体とイヤホーンを回収して(再使用)ストラップを使用者に渡す添乗員
  * 本体とストラップを回収して(再使用)イヤホーンを使用者に渡す添乗員
  * 本体のみを回収して(再使用)ストラップとイヤホーンは使用者に渡す添乗員
 の4様の添乗員に会いました
 不思議に思うなは会社からそのように云われた(指示された)との事です
 イヤホンの回収、再使用は衛生上頷けないことです  統一した対応を望みます

☆、[最後に同行のK氏に深甚の謝意]:
 極めて恥ずかしいことですが
[関西空港]出発時、これから期待のモロッコ旅に出発と云う時に
搭乗口から機内に足を一歩踏み入れた瞬間に躓いて[デジカメ]を床に落としてしまい
機能不良になってしまったのです
楽しかるべきモロッコ旅行の10日間は手ぶらで歩くだけのさみしい旅になりました
旅の期間中1枚の写真も撮れずに楽しむ他人様の様子をただ眺めて過ごした10日間でした
窮しているときに私に支援の手を差し延べてくれたのが同行のK氏でした
お陰で本当に助かりました  
帰宅後多くの写真を提供して下さり、今日上稿することができたのです
重々の謝意を申し上げます  有難うございました。

           -- 以上 --


********************(4/24:完)**



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☆★:カリブ海へのクルーズ

  [クルーズプラネットの募集案内]:
   [http://www.cruiseplanet.co.jp/special/special_msc_cuba.html]

  [MSCクルーズ船オペラ号船内写真]:
   [http://www.msccruises.jp/jp_jp/Ships/MSC-Opera.aspx]

  [MSCクルーズ船オペラ号概要]:
   [http://www.msccruises.jp/jp_jp/Ships/MSC-Opera.aspx]

  [MSCクルーズ船オペラ号航海図]:
  
 ------------

521-【 中国四川省(九寨溝・黄龍・楽山・成都) 10日間の旅 (阪急) 】

2015年09月02日 | [海外旅行]


[阪急交通の募集広告]
今回の中国・世界遺産見学の訪問は、
平成27年7月11日から約1週間の予定で計画しました  ところが、
台風11号の接近余波で出発日(7/11)の朝になって搭乗予定の飛行機が飛来せず、
突然中止のなりました
1度は諦めましたが余韻が残り、予約をとり直して1ヶ月半後の8月26日出発の旅に変更しました
九寨溝、楽山、黄龍 などの世界遺産見学の訪問に抜かりがないように
準備万端にして出発の日を待ちました



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1日目 (8月26日-水) セントレアから中国成都へ


[中国へ向かう機内の様子]

 セントレアでのチェックインが遅く(11:35) 自宅をゆっくり出発
 中国東方航空機(MU-0530)は添乗員と14名の参加者を乗せて
 定刻 (13:35) にセントレアを離陸
 日本海を飛び越え、上海空港に定刻(時差マイナス1時間の14:45) に着陸 (ATE:2時間10分)
 上海で国内線(MU-5038)に乗り換えて成都に21時に到着、 バスでホテルへ移動 (22時着)

 △ 今夜の宿舎:加州花園酒店主楼(成都)


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[Click!! して下さい]
 =[セントレア]から空路[上海]を経由して[成都]へ向かいます 



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2日目 (8月27日-木) 松潘古城見学


[松潘古城の前に建つ王子夫妻の銅像]

 バスでホテルを早朝に出発(05:20)、成都空港へ向かう
 中国東方航空国内線(MU-5851)で成都を出発し(07:00)、
  [九龍空港](九寨溝) に07:50着陸 (ATE:50分)
  空港に着くと息苦しさを感じる→elv.:3,500m 富士山に近い高さ
 バスで空港を発ち、湿地帯「甘海子」を経由して [松潘古城] に向かう
  途中で昼食  中国で初めての有料トイレ(5元だったかな)を体験
  現地人の売るヤクの串焼きを買って食べる  サッパリして美味だった

 [松潘古城]の見学
  高い石積みの城壁に囲まれた古城で歴史を感じる
  城壁の中は チベット民族色の豊かな店が道の両側に並び、漢字の説明文は判読できます
  城門の内外では三輪キャブが猛スピードで後方から走ってくるので危険です

  古城を発ち、ホテルに向かう途中には両側にチベット仏教の祈祷旗タルチョが賑やかに
  旗めいていました
  夕食は超辛の四川料理には口も胃も閉口でした
  食後の皿には真っ赤な辣油の層が厚く浮いており、現地四川の人には
  美味しい味でも私の胃腸には苦痛でした
  食後、希望者は [チベット民族ショウの観賞] (OP-1 \5,000 約1時間) に行きました

 △ 今夜の宿舎:九寨溝喜来登国際大酒店(九寨溝シェラトンホテル)

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[Click!! して下さい]
 =チベットの史遺跡 [松潘古城の見学] と [チベット民族ショウの観賞] 



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3日目 (8月28日-金) 九寨溝見学


[エメラルド色に輝く九寨溝の長海]

 今日は1日をかけて [九寨溝の見学] に行きます
 ホテルウイルスから九寨溝の入口まで約2kmを歩いて行きました、
 団体の我々は別口から優先で入場し(パスポート提示)、専用バスなので見学はスムーズに進みました
 毎日、1~2万人の見学者で混み合う盛況でしたが地点間の移動が乗り合いではないので助かりました
 左右の分岐点の [諾日朗瀑布] から見学を始め そして左奥の [長海] を訪ね、
 次に右奥の [芳草海] から手前に順次見学して行きました
 場内は多数の乗り合いバスが巡回しており、一般の人は乗車場で並んで待って乗るのです
 専用バスでの移動は効率よく見学でき、たすかりました
 九寨溝は高度が3000m弱なので高山病の息苦しさは感じませんが天気が良く赤外線が強く日焼けしました
 夕食はホテルでのバイキング料理でした  美味しく安心して頂きました

      
        [エメラルド色に輝く九寨溝の池]


 △ 今夜の宿舎:九寨溝喜来登国際大酒店(九寨溝シェラトンホテル)

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[Click!!]
 = 世界遺産 [九寨溝の見学] 



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4日目 (8月29日-土) 黄龍見学


[エメラルドグリーンに輝く黄龍の棚田の池]

 早朝 ホテルを出発 世界遺産 [黄龍の観光] に向かいます
 途中、川主寺の [鉱石店] で宝石などを見物したり買物で楽しみました
 黄龍への途中、今回の旅で一番高い地点 [雪山梁峠(4,007m)] を通って黄龍に向かいます
 [雪山梁峠] ではバスを降りて写真を撮ったりして一休みし黄龍に向かいました
 富士山山頂よりも高いので酸素が薄くふらつきを感じます
 [黄龍]は [九寨溝] と1992年に世界遺産に登録された観光地で、
 白い石灰岩とエメラルドグリーンの大小の池が傾斜した地形に棚田状につながり、
 それに光が当たって色が変化する美しい観光地です

     
        [エメラルドグリーンの透明に輝く黄龍]

 水中の炭酸カルシュームが沈殿し、大型のカルスト堆積地形を形成したものだそうです
 日本には各処に鍾乳洞がありますが、黄龍はオープンスカイの鍾乳棚池と云えます
 入口からロープウエイに乗ると 3,600m まで一気に上れるのですごく楽です
 ロープウエイを下りる整備された板張りの歩道が全行程約6kmに整備されており安心して歩けます
 また、各処にきれいなトイレも配置されており観光地としての気遣いを感じます
 [黄龍] の見学を終えて、往路と同じ経路を通り (雪山梁峠は素通りして) 川主寺に帰ってきました
   (全走行距離:173km)

 △ 今夜の宿舎:川主国際大飯店(川主寺)

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[Click!!]
 =今回の旅の最高地点[雪山梁峠](4,007m)を通って[黄龍観賞]に 



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5日目 (8月30日-日) 成都へ移動・川劇観賞


[金色に輝くチベット民族の舞踊]

 早朝、バスでホテルを発ち [九龍空港] へ
 空港は濃霧で視程が悪く搭乗予定の機体の飛来が遅れ、成都への出発が遅れる
 待合の時間、近くにいた高校生(中国人)と英語と漢字を交え片言、筆談での会話を楽しみました
 昼前にやっと霧が晴れ、搭乗予定機が到着し、遅れて成都へ出発しました
 午後予定のパンダ見学を延期し、午後は成都市内見学を実施しました
 夕食はまたも四川の激辛料理 [火鍋料理] でした
 食後、希望者は [川劇の観賞] (OP-2 \5,000 約1.5時間) に行きました


 △ 今夜の宿舎:加州花園酒店主楼(成都)

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 =濃霧の発生で予定を変更しての1日でした 



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6日目 (8月31日-月) 楽山大仏見学


[世界最大の楽山大仏さま]

 「石刻楽山大仏について」
 世界遺産の楽山大仏は成都から南方に 約164km 離れた [峨眉山] にあり、
 大河のボートから仏像を拝みます
 大仏は高さが71mの、頭部の直径が10m、足には100人の大人座れるほどの
 巨大な [弥勒菩薩] の石像です
 頭部にはバスで山に上り、大きな左耳の真近から参拝してきました
 当日の夕食は今回最高の激辛料理で 麻婆豆腐発祥の店と伝わる 「陳麻婆豆腐店」 での夕食でした
 勿論、美味しいと食べる人もいましたが私には胃腸も口もそっぽを向きたい激辛で苦痛の連続でした
 明日は帰国する日です  出発前の午前にまだ実現していない 「パンダの見学」 をする予定です

 △ 今夜の宿舎:加州花園酒店主楼(成都)

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 =世界遺産 [楽山石刻大仏] 見学と[ラテックス寝具店] 訪問 



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7日目 (9月1日-火) パンダ見学後上海経由セントレアへ


[可愛いく寝そべる赤ちゃんパンダ]

 帰国準備をして早めにバスでホテルを発ち、「成都パンダ繁育研究基地」 の見学に出発
 パンダの施設は広い敷地の中の屋内、屋外の部屋で元気に遊んだり、寝そべったり、
 気ままな格好でタケノコを食べている様子を真近で見学しました

      
        [無邪気に遊ぶ姉妹のパンダ]


 10時にパンダの見学を終わり、[成都空港] に向かいました
 全員が搭乗した中国東方航空国内便(MU-0293)は予定通り14時に成都を発ち、上海に向かいました
 16時半に好天の中、搭乗機は上海空港に無事着陸
 上海からは 同じ中国東方航空の国際便(MU-0291) でセントレアに帰国する予定でしたが
 プリフライトの点検でトラブルが見つかったたらしく搭乗手続きがなく待合室待機が続きました
 現地ガイドは成都で別れたので状況判断が難しくなり周りの動向から推測するような状態でした
 今夜上海に一泊する可能性の噂も添乗員から出ていたのですが機体整備がやっと
 終わったらしいのです
 トラブル(内容は不明)が解決したらしく人の動きに従ってランプバスに乗って機体に向かいましたが
 降りないまま暫くしてまた待合室に引き返しました
 状況を係員が説明していたようですが言葉の障害で細部が判らないまま(不安を感じながら)
 待つだけでした
 暫く待っていると人が動きだし、またランプバスに乗って機体の側に連れて行かれました
 今度はトラブル(内容不明)が解決したらしく、バスを下りてステップを上り機内へと列は進みました
 余分に一泊できると云う期待ははずれ、このまま遅い時間の離陸(19時半)になり、
 セントレアには深夜の23時到着になりました (時差プラス1時間)
 滞在中の激辛料理で胃腸をこわして体調不良の帰国でした
 セントレアでのホテル宿泊も考えましたが金山駅からJRで春日井まで行けることが判ったので
 スーツケースを受け取って名鉄の乗り場に急ぎ、ホームで待つ電車に急ぎ飛び乗りました
 春日井駅に着いたら日付が変わって9月2日になっていました
 駅前からタクシーで自宅に向かい、無事に中国旅行が終了しました  ありがとう

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[Click!!]

 =午前中愛らしいパンダを見学、[成都]から上海経由で[セントレア]に深夜の帰国 


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 所見:
  [全般]
  1,日本との時差は中国全域でマイナス1時間でヨーロッパや南米と違い度々の調整が不要で楽でした
    東の上海から西の成都に移動しても時差には異常を感じなかったです
  2,全行程、好天に恵まれました  黄龍見学中に1度シャワーが来ましたが15分くらいで
    間もなく晴れ上がりました
  3, ホテルや商店などでは相手の話す言葉が全く理解出来ず、困りました
    下手な英語を駆使しても理解してもらえず意思疎通の不便を感じました

  [経済の動向]
  1, 各地で建設中のマンションなどが工事を中断している風景を多く目にしました
    建設途中のビルには屋上に動かない工事用クレーンが並んでおり人の姿は見えないのです
    バブル崩壊の兆候が感じられました  少しづつ景気は後退し始めている様子でした
  2, 成都や上海などの都市では20階以上のマンションが群を成して建っていました
    それらの棟はその間隔が極めて狭く、林立の状態です
    隣の棟の窓が直ぐ鼻先に在る状態でいつもカーテンを閉めておきたい感じです
    遠くまでの見晴らしを期待して高層マンションを購入するのに
    折角の高層マンションの有りがた味が感じられないだろうと思いました
    狭い日本と違う広大な国土の中国で何故だろうといつまでも疑問でした

  [観光地の施設]
  1, 九寨溝、黄龍、楽山などどこも観光客にとって使いやすく便利な板張りの歩道が整備されていました
    トイレも各処に適宜配置されきれいに清掃・整備されていました
    我が国も富士山などの山ではトイレの整備にこの考え方と方式を参考にするべきと思います

  [略し過ぎの漢字]
  1, 中国で案内、表示は漢字で書かれております
    漢字を使う日本人にはそれらの7割以上がそのまま判読し理解出来る事が多いです 然し
    略された漢字には略字の元の文字が類推できないほどかけ離れた略字が多いのです
    例えば黄龍の「龍」の略字は全く読めません
    これらは[漢字]とは云わずに中国字と呼ぶのが正しいのかもしれませんが略し過ぎだと感じました
    今の中国人は祖先が残してくれた論語や杜甫の韻を踏む漢詩が読めない時が来るのではと不安です

  [抗日思想の教育]
  1, 帰国日の9月1日の2日後、9月3日は中国の「抗日戦勝70年」を祝う記念日として
    ロシア、韓国の大統領など著名人を招いて北京天安門前で華々しく軍事パレードが開催され
    世界に報道去され帰国後日本で観ました
    成都空港待合室で出発機の到着を待つ間、大型のテレビは旧日本軍を相手に闘う抗日戦争を
    モノクロ映画を長々と放映していました
    いつものカラー映像もコマーシャルもなく、笑い声もない戦時中の沈んだ雰囲気でした
    帰国後知ったのですが1日から5日まで一般市民の生活を制限し犠牲にして
    国家行事として遂行したそうです
     (日本ではこの時多くの老若男女が雨の中で安保法案強行採決反対デモに熱中していたのです)
    毛沢東氏や周恩来氏を観習い、中国の過去の歴史を学んで行動して欲しいと思います

  [街の交通事情]
  1, 街を走る交通はバイクが多く勿論総人口が多いので 車、自転車も多いです
    自動車はVW、BMW、ベンツ、そして中国車に混じって日本車(トヨタ、日産、ホンダ)も
    走っていました
    VWの今回の検査偽装は多くの中国人には大ショックだろうと想像します
    トヨタ、本田などの需要が増えると嬉しいです
  2, 老若男女とも中国人は会話の声が叫ぶような甲高い大声で話します  やかましいです
  3, 黄龍の大仏見学時に、柵に寄りかかって見学しながらチベット人男性と隣合わせ、
    英語と身振り手振りで話しかけてみました
    勿論言葉は通じないのに「ニッポン人」 と云う言葉で、
    「オー」と云って笑顔でこちらを観て右手親指を上方に突き上げて
     「日本は最高だ」
    とお褒めの表情をしてくれました  日本人は最高の国民です
    中国国内でのチベット人の立場が想像できる  気分爽快
  4, 四川省で勧められる地元料理、郷土料理はたっぷりの[辣油]で煮込んだ超激辛料理で
    日本人の云う「胃腸にやさしい料理」とはかけ離れた味付けです
    地元人のガイド(32歳の男性 李さん)は
     「四川の最高に美味しい郷土料理に案内します」と紹介してくれましたが
     結果はおなかを壊してしまう結末になってしまいました
  5,観光地、街中のトイレは欧州各国と比べてよく清掃・整備され推測と逆に気持ちよく使えました
    特に黄龍のトイレは適度に配置され整備・清掃が行き届いていました
  6、混雑する各処 (成都の繁華街など) には多くの警官が配置され、
    事故発生を目撃することはなかったです
  7、「小心」とは[注意]、[用心]、[Take Caution] の事です
  8、9/1~9/5 には 東条元首相の似顔 のアイス売ってかじらせる嫌みもやっていました
  9,楽山大仏の山門の額に郭沫若の詩 左に「仏法西来」、右に「大江東去」
  10,旅行中は好天に恵まれ、黄龍で短時間(10分くらい)の降雨があっただけです
  11,好天続きの中、高度の高い処を連日歩いたので赤外線が強く日焼けして
    腕が赤黒くなっていました
  12, 中国は徴兵制はないそうです  軍隊は衣食住付きで鍛え訓練してくれる憧れの的だと云います



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516- 【 ヨーロッパ絶景ハイライト9日間の旅 (阪急) 】

2015年05月11日 | [海外旅行]




[天空にそそり立つマッターホルーン(4,478m)]

阪急トラピクスが企画した 「ヨーロッパ9日間の旅ツアー」 に参加して、H27年5月11日の午前 セントレアを12人の仲間 (男性6人、女性6人) と 若い女性の添乗員 の総勢13名の小さなグループが大韓航空機に乗って日本を飛び立ち、ヨーロッパに向かいました
この旅は私にとって初めての欧州行きの旅で、気分は浮きうきしています  欧州主要国のドイツ、フランス、スイス、イギリスの4カ国を訪ねる旅です  途中、通過したリヒテンシュタイン皇国 (首都のファドーツ) ではパスポートに記念のスタンプを押して貰いました

旅行の全行程、天候に恵まれ、計画されたスケジュールを滞りなく忙しく観て回り、9日間の日程を計画通りに全て終えて、5月19日深夜、セントレアに帰ってきました
添乗員の真野温子さんが旅の最後の日に [9日間の全行程の概要] を纏めたメモを全員に配布してくれました
分刻みの多忙な日程の中でこんな作業までしてくれていたのです  そのお陰で旅の全容を想い出し私なりに回想でき、旅を振り返ることができました  貰った記録をそのまま各日の最初に転記し、それを元に忘れかけていた旅の全行程を少しづつ想い出しながら整理してみました
彼女の優しい心遣いと気配りに感謝し、深くお礼を申しあげます  これまで参加した南米10日間の旅も、カナダの旅でもこんな心のこもったサービスを頂いたことはありません  有り難うございました。

彼女から配られたメモを [赤色] で引用し、その後に 私自身の旅の記録を纏めました


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旅の初日 (2015/05/11 月)

 [添乗員真野さんの旅日記]:
  「セントレア → ソール → フランクフルト
  みなさまはじめまして!
  セントレアにご集合頂き、大韓航空機 KE752便 で出発です。 
  韓国ソウル (Inchoen空港) で乗り継いだら、KE905 でフランクフルト です」
  (泊:フランクフルトのホテル  ホリディイン エクスプレス フランクフルトエアーポート)


初日セントレアでの集合時間が早かったので (07:25)、 前日は小牧から金山に出て、ホテル (名鉄イン名古屋金山ホテル) に宿泊し、当日早朝名鉄電車でセントレアに向かいました
受付で添乗員の真野温子さんと初めて逢ってチェックインを済ませ、往復の eチケット を貰い、両替所に向かいました
用意してきた両替リストに沿って、独と仏で使うユーロ、スイスで使うスイスフラン、イギリスのポンドの3つの通貨に交換しました
特別なお土産の予定がないので食事で飲むビール代などを勘案して円から交換して貰いました
両替所の女性も私を不慣れな老人と見抜いて親切に案内してくれました
渡されたそれぞれ世界の大国の通貨紙幣は新札ばかりでしたが、そのお粗末な出来映えに先ず驚きました
小学館の月刊誌に付いてくるおもちゃの紙幣だと思われもので、自宅のプリンターで偽造出来るのではないかと思わせるもので、日本紙幣の出来映えに誇りさえ抱きました  外国からの観光客は紙幣の大きさや立派さに驚き、大きさに合う財布の購入が早速必要になるのではと要らぬ心配もしてしまいました


[独・フランクフルトへ飛ぶ乗機の位置]

カウンターでスーツケースを預けて日本出国の手続きを済ませ 09:25 の搭乗を待ちました
総勢12名の参加者は添乗員の真野さんの案内で大韓航空機に無事に乗り込み、中継地のソール(Incheon空港)に向けて離陸しました (KE0752便 約2時間の飛行で11:25 Incheonに到着)
ソールで次の便 (KE0905) に乗り換え、13:05 離陸してドイツのフランクフルトに向かいました  大圏コースを西へ向かって飛ぶ航跡を座席の案内画面で追いながら、途中2回の食事をビールを貰って飲みながら楽しく旅を続けました  機内乗務員(昔のスチュワーデス) に下手な英語を駆使してみたが一切通じず、勿論日本語もダメでした  一つハングル語だけで仕事を続けていました (帰りの便では英語も日本語も通じました) どの方も抜群のスタイルで素敵な方揃いで乗客は楽しい飛行でした
このルートは途中、モスクワを左下方に見る飛行コースだったので若しかしたら モスクワの街 が目視できるのではと期待していましたが好天でも目視できる距離ではなかったようです
飛行するルートは私にとって初めて飛ぶコースです  夢膨らむ気持ちで浮きうきしながら、モニター画面の地図と見比べながら自分が操縦席で実際に操縦させてもらっている気持ちで画面を注視しながら、機の飛行を追っていきました  長い機上の時間が楽しくて疲れることもなく経過して行きました  日本との時差はマイナス7時間で長い夜が続きましたが退屈しない機上の夜でした
ドイツの北の端フランクフルトに定刻の 17時半頃 到着、迎えのバスでホテルに向かいました  今夜の夕食は機内食で終わったことになり、ホテル到着は午後7時を過ぎていたので、そのまま添乗員の指示で荷物を携行して部屋に入り欧州での初めての夜を迎えました  この時間、既に7時過ぎでしたが外はまだ昼間に近い明るさでした  緯度が高いせいでしょうか

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[Click!!]
 =セントレアからソール経由西回りでフランクフルトへ飛びました 



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2日目 (2015/05/12 火)

 [添乗員真野さんの旅日記]:
  「ローテンブルグ → ディンケルビュール → ネルトリンゲン
  グーデンモルゲン(お早うございます)
  今日はロマンチック街道の観光です。
  まずはローテンブルグ。
  仕掛け時計にギリギリセーフ!
  聖ヤコブ教会や市庁舎、可愛らしい街並みでしたね。
  そして次はディンケルビュール。
  ドイッチェハウスで白アスパラガスなどお召し上がり頂きました。
  そしてネルトリンンゲンへ。
  隕石落下の街は今や落ちついた静かな街でした。
  そしてフュッセンへ向かいます。」
  (泊:フュッセンのホテル  ユーロパーク インターナショナルホテル)



[独・ローデンブルグ・マルクト広場の建物]

朝、ホテルを専用バスで出発 (180km/約2.5時間)
ローデンブルグに到着して市街を約1時間歩いて散策しました  マルクト広場、聖ヤコブ教会、市庁舎など歴史的遺物の見学です
その後ロマンティック街道をバスで通って ディンケルビュール に向かいました (約53km/45分)  途中、車窓から見るロマンティック街道は花いっぱいの可愛らしく美しい街並みでした
そして、ドイツ最古と云われる 木組みの家 (ドイッチェハウス)で昼食に頂いた4本の ホワイトアスパラ は口に入れるととろけてしまう品質で殊の外美味しさで最高でした  これは5月だけ食べられる企画で幸運でした
その後、街中を散策し、そして専用バスで 約33km を走って (約30分)、隕石落下の跡地に生まれたと云うこの街、ネルトリンゲン に向かいました
ネルトリンゲルの街を見学してから再度、専用バスに乗り、約196kmの道程を 約3時間 かけて走り、ドイツ南部の都市 フュッセン に向かい、今夜の宿泊場所の ユーロパーク インターナショナルホテル に入りました

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[Click!!]
 =初日の旅はドイツの古い歴史の街を観て回りました 



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3日目 (2015/05/13 水)

 [添乗員真野さんの旅日記]:
  「ヴイース教会 → ノイシュバンシュタイン城 → ファドーツ
  まずはヴイース巡礼教会へ。
  ロココ調の曲線を活かした美しい教会でした。
  フッセンへ戻り、ノイシュバンシュタイン城の見学です。
  山の上のお城には徒歩や馬車で登りました。
  白鳥城とも呼ばれる美しいお城は如何でしたか?
  お城の側での昼食後 バスで リヒテンシュタインの首都 ファドーツ へ向かいます。
  途中オーストリアを少し走り、スイスに入り、リヒテンシュタインへ。
  小さなファドーツの街では記念にパスポートにスタンプももらいました。
  チュウーリッヒに向かいます。」
  (泊:チューリッヒのホテル  アレグラ)



[独・ノイシュバンシュタイン城]

訪ねたヴイース教会では牧師さんに下手な片言英語で話しかけてお願いし、みんなに美しい絵ハガキを1枚づつ貰ってきました
約20分 専用バスで走り、ノイシュバンシュタイン城(白鳥城) の見学に行きました

私は独り、お城までの登坂路を歩きたいと希望し、添乗員に詳しく道順を聞いて出発しました  途中3組を追い越してお城の下の休息所まで歩き、台湾から来たと云う男性と全く通じないままの会話で時間を過ごしていました
12人の乗った馬車がそろそろ着く頃だと待っていると暫くして、みんなも馬車に乗れずに少し遅れて歩いて登ってきました
馬車に乗る予定でいたら順番取りで中国人のツアーグループともめて、結局みんなも歩いて登ることになったのだそうです
歩きがきらいな人には大汗をかく苦労の登山だったろうと思います

このお城は趣味で築城されたお城だそうで白く美しい城で、すばらしい景観でくまなく観て回ることができました
昼食後、専用バスに乗って 約3時間40分 (163km) 走り ヒテンシュタイン皇国の首都 ファドーツ に向かいました
切手の販売を産業とする国で、街の中には切手をデザインしたタイルが地面に貼られ切手王国らしさを感じました  私も記念にパスポートにスタンプを押して貰いました (3フラン)
また、専用バスに乗り、チュウリッヒのホテルに向かいました (120km/2,3時間)

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[Click!!]
 =ドイツの歴史を刻む美しいヴイース教会と白鳥城を観てきました



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4日目 (2015/05/14 木)


[スイス登山地図]


 [添乗員真野さんの旅日記]:
  「ツエルマット
  いよいよスイスの観光です。  午前中はほぼバス移動。
  エメラルドグリーンの湖がいくつも見えました。
  レマン湖沿いのション城を見おろしながら テーシュ駅へ。
  電車で10分。  ツエルマットに到着です。
  今日は快晴。  マッターホルンの写真を撮って昼食。
  フリータイムの後はゴルナーグラード展望台へ。
  雪をかぶった山々が美しかったですね。  下山後ホテルへ。
  マッターホルンビューのお部屋宿泊です。」
   (泊:ツエルマットのホテル  アンバッサダー)



[スイス・マッターホルン]

今回のツアー最大の行事 マッターホルンの近くまで登ってゴルナーグラード展望台から真近での見学です
  この上ない好天に恵まれ、雲も風もなく兎に角、素晴らしい見学が実現できました  最高でした
  昭和23年夏に戦後も続けていた疎開先の石州井原の叔母の家から両親の待つ宇部に帰り、
  転校した神原中学校の英語の教科書に出ていたマッターホルンの記事を朗読しながら
  自分の後頭部をさすりながら 「Overhunging」 の語句の解説をしてくれた英語担当の
  村上先生の姿と教科書に載っていたマッターホルンの写真を思い浮かべ、
  雪の粉を振りかけた姿で前に険しくそそり立つオーバーハングしたマッターホルンの実の姿が
  重なってこの私を奮い立たせてくれ少年のように大声で叫びたい気持ちにしてくれました
  「マッターホルンよありがとう」
  素晴らしかったです  最高でした  今回の旅の全てです

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[Click!!]
 =あこがれのマッターホルーンの偉容を間近に観られました



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5日目 (2015/05/15 金)

 [添乗員真野さんの旅日記]:
  「シャモニー
  急に寒くなりました。  マッターホルンも霧と雪雲の中です。 
  電車でツエルマットからテーシュに戻り、専用バスで出発!  フランス シャモニーへ。
  昼食後ロープウエイを二つ乗り継ぎ エギーユ・ドゥ・ミディ展望台へ。
  真っ白な世界、吹雪でした。  ドイツの暑さから一転の寒さでした。
  そしてバスはジュネーブへ。  フランスの新幹線 TGVに乗りパリに向かいます。」
  (泊:パリ隣接地区のホテル  アリアンスホテルボルトドサントゥアン)



[仏・新幹線TGV]

今日はヨーロッパアルプスの最高峰モンブラン(4,810m)をエギーユ・ドゥ・ミディ展望台から観望する計画でしたが残念でした
昨日と打って変わり、朝から雨が降り風が吹き荒れてロープウエイを乗り継いで展望台までは登りましたが濃霧と風雨の中で何も視界には入って来ませんでした  帰る時は上のロープウエイが下に向かって発車した直後、車体が左右に大きく揺れて進むことができないインシデントが発生し、暫くそのままで様子をみていましたが揺れが少なくなってから出発点まで引き返し、揺れを整えてから再び下山を始めると云う不具合が発生し、一瞬みんなが肝を冷やす事態にも遭遇しました  やっと二つのロープウエイを乗り継いで無事に下山できました
12人は無事に何事もなく専用バスに乗ってスイス西南端のジュネーブに向かいました (約81km/約1.4時間)
ジュネーブからフランスの新幹線TGV(2等車)でパリに向かいました (約3.4時間) ホテル到着22:00

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[Click!!]
 =モンブランの偉容は風雪の向こうで見られませんでした



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6日目 (2015/05/16 土)

 [添乗員真野さんの旅日記]:
  「パリ
  本日は1日、自由行動日。
  現地ツアーでもモンサンミッシェルに行かれた方やご自身で地下鉄を使い、
  ルーブル美術館やエッフェル塔、シャンゼリゼ通りなどお楽しみ頂いたり、
  それぞれお過ごし頂きました
  (連泊:5日目のホテルと同じ)



[仏・凱旋門]

今日は各自、自分の計画で自由行動して下さいと全日解放されたのです  
夫婦など家族連れの方はそれで楽しく過ごせますが私などは大いに困ることが多いのです
今日のために事前の準備を万端にして来られていた下辻氏(71)にくっついて歩き、パリの街を見学する事にしました
もう一人、単身参加の男性、浅井氏(62)は仕事で各地を旅し、旅慣れておられるらしいのです  
この2人に引率される形でパリの街の見学に出発しました  
2人の案内について地下鉄にも乗り、凱旋門にも螺旋階段を頂上まで歩いて登りました  途中疲れて休む人(中間)もいましたが私も疲れできて目が回るような気持ちになりました
エッフェル塔ではすぐ近くから真上に眺め、真下から天井を仰ぎ見たり、各処から写真に撮ったり、遠のいて全景を写したりして楽しんできました  
兎に角、今日は快晴の好天に恵まれた暑く最高の行楽日でした  シャンゼリゼ通りもその気になりきって歩いて来ました
地下鉄(メトロ)では1日通し券を各人が購入してそれをこれ以上ないほど活して利用してきました  
駅構内を行ったり来たりして行きたい処へのホームを探して迷い歩いたり、一度はトイレを探し歩いていると何時の間にか構外に出ていて先程歩いた同じ処に帰ってきていたりしている事が起きて大笑いする事も起き楽しい想い出つくりでした
3人が1日通し券を買っていたのと時間の制約がなく好天の中で軽い失敗を楽しめる心の余裕があったからだと思います  
こんな気楽な気持ちで失敗を楽しみのネタにして1日を過ごせたのです  
パリの街を思いっきり楽しんで過ごしてきました
私にとってはS氏とA氏2人の助けのお陰と感謝しております
一通りの観光を済ませ、ホテルに帰る途中、ホテルの近くで夕食を食べて行こうとそれらしい店に入りました  
迷いながら入った食堂で壁の写真を見て3人で同じ物を注文  出て来た食べ物はポテトのフライが主体でそれと味のないパンもどきの主食  
3人で苦労しながら食べたが半分も食べられない食事だったのです  
店のお兄ちゃんがパンもどきを紙に包んでくれ、持って帰れと勧めてくれたのでホテルに持ち帰り空腹になってから食べてみたのですがやはり喉を通し難い食品でした  
彼らにはこれが普通に食べられる食事のようです
夜、寝る前に明日の準備してると支払いの時に財布をテーブルに残して来たようで私の手許に無くなったいたのです
明日からはいぎりす・ロンドンなのでフランが使えるのは今日までだったのです  使い切りたいと思っていたので失ったことにそれほど思い残すことなく諦めることができました
いろんな出来事がありましたが自由行動の1日を同行の皆さんに迷惑をかけることもなく楽しく有意義に過ごせて一安心でした

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[Click!!]
 =パリの中心部を歩いて存分に楽しんできました



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7日目 (2015/05/17 日)

 [添乗員真野さんの旅日記]:
  「パリ → ロンドン
  ボンジュール!  今日はそろってパリ観光です
  陽気なドライバー・アサンさんと先ずは凱旋門でフォトタイム。
  地下道を通りすぐ側まで行きました。
  そしてシャンゼリゼ通りを走り、コンコルド広場でもフォトタイム。
  更にオペラ座やルーブル美術館、ノートルダム寺院を車窓からご覧頂き、エッフェル塔でフォトタイム。
  その後はいよいよセーヌ川クルーズです。
  お天気も良くセーヌ川からの眺めは如何でしたか?
  昼食の後はユーロスターに乗ってロンドンです。
  バッキンガム宮殿をご覧頂き、ビッグベンやタワーブリッジなどロンドン市内をドライブしました。
  夕食はコベントガーデンでフィッシュチップスでした。
  (泊:ロンドンのホテル  アロフトロンドンエクセル)



[英・バッキンガム宮殿正門]

今日はゆっくりとした朝で、9時に専用バスに搭乗してホテルを出発  
午前中はパリ市内の観光です  天気も最高です
観光バスに乗って市内を遊覧して回りました
所々で運転手(アサンさん)がバスを停めてくれ、地下道を通ったり、横断歩道を渡ったりして 凱旋門を見学し、
シャンゼリゼ通りを走り、コンコルド広場や、エッフェル塔などを見学し、写真も撮りあって楽しい時間を過ごしました
オペラ座やルーブリ美術館、ノートルダム寺院も通過するバスの車窓から観てきました
そして、セーヌ川クルーズ (世界遺産) の時間に合わせて遊覧船の波止場にバスは着きました  
セーヌ川の川岸には多くの遊覧船が係留されており、私たちも事前に購入していた時間に合わせて乗船場から船に乗り込み、約1時間の遊覧を楽しみました  
下を通り過ぎる橋はそれぞれに形態が異なり見物でした  
またセーヌ川を跨ぐ橋の数個の欄干には隙間がないほどに錠前が掛けられており、それらは恋人同志の過去の約束を今も示しているのだそうです  
彼らがいつまでも幸せを持ち続けて欲しいと祈って通り過ぎました

 追記:Web情報(BigNews) http://www.yomiuri.co.jp/world/20150602-OYT1T50160.html
  愛の重さに耐えかね…パリの南京錠70万個撤去 (2015年06月03日 00時05分)
   1日、パリで、ポンデザール橋から撤去される南京錠(本間圭一撮影)
  【パリ=本間圭一】パリ市は1日、セーヌ川のポンデザール橋の欄干に恋人たちが
   「愛の証し」としてかけた
   大量の南京錠の撤去に踏み切った。 欄干が重さに耐えかね、崩れ始めたためという。 
   2人の名を書いた南京錠を欄干にかけ、鍵を川に投げ込めば、2人は永遠に結ばれる。
   そんな言い伝えが映画や小説から広がり、2008年頃から増え始めたという。
   最近は日本人の名前が書かれたものも目立つ。
   ただ、70万個を超す南京錠の重さは約45トンに達し、危険が指摘されていた。


観光クルーズを終わり満腹気分になって昼食を食べにレストランに移動です
パリ最後の食事を済ますとイギリス・ロンドンへの最後の旅路でパリからロンドンに移動します
パリの駅からユーロスターに乗って海峡の下を潜ってロンドンに渡ります  
もうフランスに来ることはありません  ちょっと淋しい気分です
約2.5時間乗車すると列車はロンドンの駅に到着しました  
ロンドンの夕暮れは午後7時になってもまだ明るいのです
ロンドンに着いて早速バッキンガム宮殿の見学に行きました  
TVなどで見慣れた風景ですがじかにこの目で見る歴史的宮殿の偉容は素晴らしいもので感激でした  
ホテルへ向かうドライブではタワーブリッジ゙やエリザベスタワー(旧称ビッグベン)を車窓から眺めることができました
ホテルに向かう途中、市内のレストランで夕食を食べロンドン郊外のホテルに向かいました  
この辺りはロンドンオリンピックの時に開発された地域と云う事でホテルも新しくてきれいでした

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[Click!!]
 =パリ・セーヌ川を遊覧、ロンドンへ移動、観光の多忙な1日でした



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8日目と9日目 (2015/05/18月~19火)

 [添乗員真野さんの旅日記]:
  「ロンドン見学 → ソール → セントレア → 解散自宅へ
  Hello!  ここからは今後の予定です。
  ロンドンの自由行動の方と オプション参加 (ウインザー城観光) の方との2組に別れて行動します。
  その後 ヒースロー空港より KE908便でソールまで。
  更にKE751便でセントレアに向かいます。
  皆様 9日間、ご協力頂きまして有り難うございました。
  これからも楽しい旅をお続け下さい。 (^^)/~~~
  (泊:機中泊です)



[英・ウインザー城]

今日は9日間ヨーロッパ絶景の旅の最終日です  
先が無いと思うとちょっとセンチな気持ちになります  
帰国仕様に荷物を整理してホテルレストランでバイキング様式の朝食をいただいた後チェックアウトを済ませ、
フロントにスーツケースを一時預けしてウインザー城の見学(OP-2 \16,000)に出発です  
今日は生憎の雨で傘持参の出発です  参加者8名は観光バスに乗りウインザー城れることをに向かって出発 (08:30)
途中、雨が降り続き、通勤ラッシュに巻き込まれて予定していた時間より遅れ、ロンドンの西約40kmにある [ウインザー城] には約2時間遅れての到着になりました
途中、真野さんはウインザー城で待っている日本語の案内人に到着が遅れることを連絡しておりました

この城は週末、女王がこの城で過ごされる事があるそうで今もそうして現用されているお城だそうです
このお城は約26エーカーの広大な敷地の中に約45,000ヘーベの床面積を持つ石造り古い歴史のあるお城との事です
そして、今も現用されているお城としては世界で最も古いものだと云うことです
城内では写真撮影は禁止されておりました

見学を終えて城郭の近くのレストラン[HARTF & GARTER]で昼食を頂きました
食事を済ますと観光バスに乗って今朝出たロンドンのホテルに再度帰りました  
渋滞などで予定より少し到着が遅れたが空港へ向かう予定時間には間に合って到着できました
別の自由行動でロンドン見学に行った4人とホテルで合流し、各人預けたスーツケースを受け取り、
13人揃ってホテルをバスで発ち、ヒースロー空港に向かいました  
いよいよ旅を終わり帰国の途につきます

ヒースロー空港で大韓航空機 KE908便に搭乗し、19:35 空港を定刻に飛び立ち、韓国首都ソール(Incheon空港)に向かって大圏航程を飛んでいきました (約10.8時間)  
ソールにも定刻14:25に到着しました

ソールで、約4時間半の乗り継ぎ時間を仲間の3人と雑談しながら過ごし、KE0751便 に搭乗して定刻の 19:05に Incheon空港を飛び立ち 名古屋セントレアに 向かいました  
空港ではラッゲッジクレームで預けたスーツケースを受け取ると旅の終了を体感します
添乗員の真野さんにお礼を云って順次解散です

同行のKさんのスーツケースのコロが油きれで大きな異音を出していたので放っておけず、彼女が準備していた小袋入りのオリ-ブオイルを4個のローラー部に塗布して応急の処置をしたら異音が消えたのでこれで帰宅まで大丈夫だよと彼女に云って家路に送り、別れました
多分、自宅まで無事に帰り着けたことと思います

私は出発前にWeb予約した [コンフォートホテルセントレア] (0569-38-7211) へ長い通路(廊下)を独り歩いて行きました
通路終点のエレベーターで1階に下りるとホテルのフロントがあり、投宿の手続きを終わりました

部屋に落ちついて最初に感じたのは10日ぶりに接するウオッシュレットトイレでした  日本では当たり前のものが贅沢の象徴なのです
10日間一度も目にしなかったウオッシュレットに座ってみて日本の生活レベルと文化の高さ、贅沢さに感謝しながら、久し振りの日本の夜を過ごしました

翌朝はゆっくりと朝食を食べて名鉄とJRを乗り継いで自宅に帰りました

帰途のコースが東回りの長い飛行だったので時差の蓄積が後々まで残った結果なのか、
それとも自分が老齢になっていた結果なのか旅の疲れが消えるまで永い時間を要したことを付記します

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[Click!!]
 =ウインザー城を見学後、13人揃ってヒースロー空港から帰国の途に

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 =ヨーロッパ絶景ハイライト9日間の旅(欧州9日間の旅の総集編) のスライドを観て下さい。


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所見:
 ①、車窓から眺めた田園風景に興味津々となりました
   囲りには必ず近くに山がある日本と違い、ドイツでは近くに高い山は見当たらず、
   浅いうねりを以て広がる広大な土地は青々とした牧草地で機械で刈り取られた牧草が
   2mくらいの円筒形にしてビニールで包んだ塊が散在していました
   発酵を待って家畜の喜ぶ餌にする風景が広く続いていました
   北海道の風景を拡大した感じです
   国土の狭隘な日本にに比べて広く富んだ国土をもつドイツやフランスの底力に
   逆うことは無駄な事だと実感させられました

 ②、[トイレ] について
   ドイツ、フランス、スイス、イギリス 全ての国でトイレ使用にお金を要求することに
   驚きました  街中にはそのトイレも少なく、見つけて入るのに一苦労しました
   1フランや1ポンドの使用料を支払わなければ使わせて貰えないのです 
   なんと不自由な社会であることかとおもいました
   日本では[コンビニ]などは 『きれいに使って頂き有り難うございます』と標示さえあります

 ③、フランスの新幹線TGVの車両、座席は終戦後の日本の汽車を連想させるレベルで
   それでも苦言を言わず、満足しているのが英仏人なのです
   彼らは実質を重んじて満足している国民なのだろうか  日本人なら誰かが文句を云うでしょう
   日本人の思考基準が間違ってるのでしょうか
   大陸性と島国性気質の差異に起因するのでしょうか

 ④、食事について
   トラピクスが自信を持って勧める(高額を取ってるのだから)レストランで食べた昼食は
   お決まりの3ステップ (スープなどの前菜、肉などの主菜、ケーキなどのデザート)で
   何時もこれで終わりです
   一言で云えば高額な粗食だったと云えます
   泊まったホテルで食べたバイキングが一番の美食で豪華でした
   日本の食文化が世界遺産に指定された訳が頷けます

 ⑤、通貨 (紙幣とコイン) について
   3つの貨幣に両替して少ない機会ですが使用してきました
   円との交換レートは大凡
    ユーロフラン:ドイツとフランス →約135円
    スイスフラン:スイス       →約132円
    イギリスポンド:          →約190円
   でした
   日本の紙幣は紙の質が良く他国のものと比較することはできません
   我が国の紙幣の原材料はミツマタで昔は国内で生産されるものでしたが
   現在は主としてネパールウランバートルから輸入されておるそうです
   先日の大地震で来年からの輸入・供給が危ぶまれます
   欧州の紙幣は再生紙ではないかと思われるような紙質で小さく、
   小学館雑誌の付録にもついて来そうな代物です

 ⑥、喫煙について
   同行者13名の中には喫煙する人はいなかったのですが
   車窓からの眺めた様子で、イギリスでは男女の喫煙者が多く見られたことです
   歩行しながら喫煙する人が多く、決まった喫煙所も見当たらず、
   歩きながらの喫煙者も多く、路上にはポイ捨ての吸い殻が多く散乱していました
   その投棄された吸い殻をデッキブラシで掃除している人も各処に散見でした

 ⑦ イギリスは自転車走行が極めて多い
   車と一緒に車道を走行しているので見ていて非常に危険だと思う
   自転車を車両と同一に運用走行しているのを今後歩道と車道の間に自転車道を併設し
   三者を独立走行させて安全を図ろうと自転車道の増設の工事が各処で行われています
   そのための渋滞が発生していました
   工事が終わると事故も減り、渋滞も減り、安全な走行ができるようになるだろうと
   期待できます

 ⑧、日本は外国と比べて贅沢すぎる
   全ての面において我が国日本は超贅沢で優雅な生活を送っています
   それでもまだ苦言や文句の多い日常だと実感しました

   また、イギリス、フランス の街中には建造物に素晴らしい彫刻が散見されます
   歴史の国、芸術の国と云えばそうですが、その中に黄金色の装飾が多いと感じました
   日本では名古屋城や大阪城にも見られますが一般には高い場所にある建造物に
   見られることが多いですが英仏では人の目線にその多くがあるように感じました

 ⑨、訪ねたパリとロンドンには街中に素晴らしい彫刻品が建築物が多く金色で装飾された
   国家に尽くした英雄などの銅像が街中に多数ありました
   日本でも戦争末期の金属強制供出までは似たような状態で市民の心の拠り所でした
   今回の旅で羨ましく感じた事はこの事と国土の広さです

 ⑩、ロンドンでは観光客の行動が地元に迷惑を及ぼさない為か(規則として)
   車で駅に到着した時、飛行場を発つ時、街中にバスを駐める時など
   現地に駐在する英語堪能な日本人が必ず事前に来て同行し案内するシステム

 ⑪ ゴルナーグラード展望台(3,089m)からマッターホルン(4,478m)を見学した時
   1人に高山病の症状が発生した
   3,000mを超える高所では酸素が希薄になり、酸素分圧が減り誰にも異常が起きて
   高山病即ち低酸素症(ハイポクシア)、過呼吸(ハイパーベンチレーション)などの
   症状が生ずる事があり、間違うとチョーク
   今回の旅でも異常な症状がでた人もいたが人は慣れるのです
   マラソン選手が事前に高地訓練をするのはそれに慣れる為の訓練です
   予防策として
    ⅰ、走るなど激しい行動を避け、深い呼吸をしながらゆっくり行動する
    ⅱ、呼吸は肺の空気を吐き切るように最後までゆっくりと吐ききる
    ⅲ、吸気は意識しなくても吐いた後に自然に吸い込まれる空気で十分です
    ⅳ、最初から意識してゆっくりと深い呼吸をする
      緊張して呼吸が激しくなるとハイパーベンチレーション症状になる
      (酸素過多の状況は身体に酸素が吸収されず、返って高山病になる)
    ⅴ、健康状態が万全でない時は低酸素症になりやすい
    ⅵ、低酸素症発生時の自覚症状は人によって異なるので絵自分で体験し自覚しておく
 
   ・前日は睡眠を十分とる。
   ・食べすぎない。
   ・水分を多めに取る。
   ・飴をなめる。
   ・飲酒を控える。
   ・風呂よりシャワーを使う。
   ・身体を事前に高所に慣らす。
   ・動作はゆっくりで急がない。 走らない。
   ・深呼吸する。呼吸を止めない。
   ・頭痛が起こったら早めに鎮痛剤をのむ。
   ・頭痛や吐き気が悪化してきたら下山する。
   ・自覚症状は各人で違うので自分の症状を認識する。
   ・ベント、チョークの発症に警戒する。  などなど

 ⑫、全行程を通じて痛感した事は「ニッポンはすごい国だ」と云うことです。
   敗戦で壊滅を体験したわれわれ戦後の日本人は本来の姿から別世界に投げ出され
   数々の混乱を経験して今日に至り、今も隣国との摩擦が悲しくも現存しております
   今回、初めてヨーロッパ4ヶ国の生活を一寸だけ体験し垣間みたのですが
   多くの点、否全ての点において「ニッポンはすごい国だ」と云う事を実感し、
   誇りをもってこれから活きていけると固い自信を抱いて帰ってきました
   大金を持って日本に来て [バクガイ] していく観光客が増えていると聞きます
   世界をリードし、俺たちが一番だと自負する欧米人が普通・平均なのでしょうが
   それに比べて我がニッポンは数枚も上座に座っているのではと実感しました
   ニッポンの先人がこつこつと積み上げ残してくれた努力の賜だと感謝しました
   来月には初めて中国を訪ね、自然観光の予定ですが何を感じるかが楽しみです

 ⑬、最後に添乗員の真野さんの綿密な準備と心温かい気配りに最大のお礼を申します
   今回のように多くの観光地を巡ると参加者には訪問地が前後したり国別が判らなくなり
   帰ってからの整理に困ってしまい記述のなかに虚の記述が混入することしばしばです。
   いくらメモを残していても結びつかなくなること多々です
   何度も同じコースを添乗員として同行される方は今回の真野さんのように最後に纏めを
   整理して渡して下さると旅の効果は数倍上昇します
   前もって 「自分なりのテンププレート」 を作製しておいて今回の旅行程で必要な処だけを
   修正すれば済むような工夫をおしてお客へのサービスに気遣いして下さると
   最高にうれしいことです  真野さん有難うございました。

  - 以上 -


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485- 【 南米大陸周遊10日間の旅 (トラピックス)】

2014年05月19日 | [海外旅行]



[トラピクスの募集広告]

日本とブラジルは地球のほぼ反対側に在り、私にとって初めて経験する長旅です
成田からトロントを経由して往復し、南米大陸のアンデス側(西側)の世界遺産を見て回ります
南米では6日間をかけて次の世界遺産を訪ねます
 * 3大瀑布の一つ、イグアスの滝(世界遺産)をアルゼンチン側とブラジル側から見学(2日間)
 * 15,16世紀南米で栄えたインカ帝国の遺跡(世界遺産のクスコ市街とマチュピチュ村)を訪問(2日間)
 * アルゼンチンのリマ市街歴史地区(世界遺産)の遊歩見学(1日間)
 : ナスカとフマナの地上絵(世界遺産)をセスナ機で空から見学(1日間)
5/19にセントレアを発ち、5/28にまたセントレアに帰着するまでの10日間の行程の概要は次の通りでした



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[旅の初日]  (5/20) 日本(05/19) ⇒ ブラジル・サンパウロ
  自宅 ⇒ セントレア へ移動
   (J5/19 10:45)桃花台センター発のバスで春日井駅に向かい、JR中央線、名鉄電車でセントレアに到着(12:36)

  セントレア ⇒ 成田 へ移動
   14:40(5/19)セントレア発の全日空便(ANa340-21F)で成田IAに向かう
   セントレアから作野氏(三重県)と同行だったが成田での集合までお互いに知らないまま

  成田(17:50) ⇒ カナダ・トロント(16:40)へ移動
   成田で阪急交通添乗員(川上さん)の点呼
   17:50(5/19) エアーカナダ(AC0002便)でトロントに向けて 成田を出発
      *(日付変更線通過)
    全行程天候もよく揺れのないフライトで、計画通り夕方の16:40(5/19)トロントに着陸
    (飛行時間:11時間50分 時差:-13時間  日本時間:5/20 05:40)
    機内で2回の食事サービス (缶ビールを飲んで気持ちよく眠りながらトロントへ到着)
    トロント滞在6時間は市内観光($140)のオプションが用意されていたが参加せず空港と市内の観光で過ごす


[6時間の待ち時間は長かったです
空港待合室で同行者3人と過ごす]

  トロント(23:30) ⇒ ブラジル・サンパウロ(10:45) へ移動
   出発は深夜の 23:30 エアカナダAC-0090便でトロント(カナダ)を発ちサンパウロ(ブラジル)に向かう
   好天の中を快適に飛行して、計画通り 10:45(5/20) サンパウロ空港に着陸
   全行程 5,218mile を10時間15分で飛行 (時差:+01時間 日本との時差:-12時間)
   2回の機内食サービス (日本の食文化は世界に誇れる遺産だと舌が教えてくれる)  機内泊


[トリニダード・トバコ上空を飛行中の機内映像
=トロント~サンパウロの行程は5,218マイル]

 所見:
  * やっと日本の裏側に到着 簡単には行ったり来たり出来ないなと実感する
  * 初めて訪問したブラジルは温暖で違和感を感じない快適さでした


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[旅の2日目]  (5/20:火) サンパウロ発(15:45) ⇒アルゼンチン・イグアス(17:40着)へ移動
  サンパウロをゴル航空(G3-1382便)で出発し、イグアス空港に 17:40 到着  飛行時間約1時間55分

  イグアス空港 から専用バスでイグアス市内の宿舎 [ホテル・カリマ] へ移動 (約10km) (19:30到着)

  所見:
   * 今日も昨日に続き移動の1日でした

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 =南米の旅第1報(日本から南米までの往路空の旅)のスライドで観て下さい。



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[旅の3日目]  (05/21) [イグアスの滝(世界遺産)]をアルゼンチン側からを見学 (約1時間30分)
  参考資料: [http://www.geocities.jp/yguazuargentina/yguazu-argentina-002.html] [借用]


[トロッコ列車に乗ってイグアスの滝を見学に]

  滝は大小併せて275個もあるそうです  その総称をイグアスの滝と称しアルゼンチン側とブラジル側から見学できます
  トロッコ列車を下りて滝へ向かう遊歩道を歩いて滝を上方から、ある場所では下方から水しぶきを浴びながら見学します
  さすがに世界三大瀑布の一つだと感動しました


[遊歩道からイグアスの滝を真近に見学]

  流れ込む濁流の湖面から湧き上がる水しぶきと水霧は将に壮観そのものです

  ☆ [オプション企画-2] に参加
   救命具を装着してスピードボートに乗り、イグアスの滝の中に突入のツアー (120$)


[カラ元気の大歓声を上げて飛沫の中に突入し
高速のままUターンして引き返す]

  クルーズ中は激しい水しぶきの中に突入するので雨合羽などで
  びしょ濡れの対策をしていても肌まで濡れてしまうことがあります
  約20分でスピードクルーズは終わり船は船着き場に向って帰ります
  途中、岸辺には数頭のカピバラ(大ネズミ)が昼寝しながら我々を眺めていました
  ここイグアスの滝はブラジルとアルゼンチンとパラグアイの3ヶ国が合い接する場所で
  南米の自然そのものが真近にあり、今回の旅行の目玉です


[イグアス河の岸辺にはカピバラの自然の生息を発見]

船着場からトロッコ列車と遊歩道を経由して [悪魔の喉笛] に向かいます


[飛沫が真近まで飛んでくる悪魔の喉笛の景観]


  見学を終え、遊歩道とトロッコ列車で引き返し今夜の宿舎 [ホテル・カリマ] に向かいました
  17:30頃ホテルに到着し、楽しい充実した1日でした (今日のバス走行距離は約60km)

  所見:
   * アルゼンチン側から見るイグアスのは冒険的で、印象に残る旅でした
   * イグアスはアルゼンチンとブラジル、パラグアイの3ヶ国が接する国境線です

-2
 =南米の旅第2報 [初日の見学:イグアスの滝(アルゼンチン)] のスライドで観て下さい。



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[旅の4日目]  (05/22) ブラジル側から[イグアスの滝] を見学
  参考資料: [http://www.geocities.jp/yguazubrpy/yguazu-004.html] [借用]

  朝食後 専用バスでホテルを出発し[イグアスの滝] の見学に出発しました
  会場に到着後ゲートを入り、板敷きの遊歩道を進んで [イグアスの滝] を
  ブラジル側から滝を見学する旅に行きます
  ブラジル側展望台から観る [イグアスの滝] の迫力は一層盛り上がります


[小雨の降る中を前の人について
湖面上に板を張られた遊歩道を進むと
眼の前にイグアスの瀑布が展開します]

  遊歩道の下には小ぶりな鰐も動かずじいっとしていました
  また1mちかいナマズも真下にじっとしているのが見えました


[眼前に広がる巨大な瀑布の景観も
ブラジル側から観られる滝の一部です]

       [参考Youtube]
   http://www.youtube.com/watch?v=yFL62lo8mkw  イグアスの滝
   http://www.youtube.com/watch?v=d3TUE_2CAKY  ナイヤガラの滝
   http://www.youtube.com/watch?v=4o5RWtTvQnw  カナディアンロッキー


  レストラン[シュラスコ]で昼食  その後専用バスで パラグアイ・アスンシオン へ移動


[ブラジルから国境を越えてパラグアイ・アスンシオンへ
向かいます →右端に身障者マーク]

 19:30頃 アスンシオンの宿舎 [ホテル・チャコ] に到着・宿泊 (今日のバス走行距離 約390km)

  所見:イグアスの滝の水はナイヤガラと違って茶色に濁っており
     植物には好ましい栄養分が豊富に含まれているようにみえます
     南米の広大平原を年月かけて流れてきたんだなと感じます

-3
 =南米の旅第3報 [2日目の見学:イグアスの滝(ブラジル)] のスライドで観て下さい。



-------------------
[旅の5日目]  (5/23:金) 15世紀南米アンデスで栄えた [インカ帝国遺跡](世界遺産)を見学

  02:30 [ホテル・チャコ] を専用バスで出発、アスンシオン空港へ向かう (朝食は辨当)

  06:00 アビアンカ航空 AV-0906便でアスンシオンを発ち、ペルー・リマへ向かう
    →08:50 リマ到着 時差:-1時間 飛行時間:約3時間50分  
     リマのレストランで昼食

  11:15 アビアンカ航空 AV-0807便でリマを発ち、ペルー・クスコ(約3,400m)へ向かう
    →12:35 クスコ到着  飛行時間 約1時間20分
    専用バスでクスコ市街に移動

    [クスコ市街のインカ帝国遺跡](世界遺産)を見学 (1時間30分)
     * アルマス広場
     * カルドラル(大聖堂)
     * 十二角石


[クスコの大聖堂]



[インカ・ロカ通りには紙も通さないほど精密に組まれた石垣があり
その中に十二角石があります (NoTouchです)]

 見学を終わり、専用バスでウルバンパの [ホテル・ラ・アシエンダ・デルパジェ] に18:00到着

  所見:
   * 高校の世界史で習ったインカ帝国遺跡を見学してそのレベルの高さに驚きました
   * リマから標高3,400mのクスコ(約10,000feet)に来ると
    酸素濃度が地上の約1/4になり、市街の見学でも
    低酸素症(Hypoxia)を感じ、注意して歩かないと躓いたりします

-4
 =南米の旅第4報 [3日目の見学:クスコのインカ帝国世界遺産] のスライドで観て下さい。



-------------------
[旅の6日目]  (5/24:土) ペルー・マチュ・ピチュ [世界遺産歴史保護区] を見学 (約3時間)
  参考資料: [借用]

  05:00頃 専用バスで宿泊のウルバンパの[ホテル]を出発 (朝食:弁当)
       高原列車の駅へ

  06:40 高原列車でオリャンタイタンポを発ち、 [マチュ・ピチュ村] へ向かう →08:01 到着


[出発準備を終えて待機するマチュ・ピチュ村往きの高原列車
(オリャンタイタンポ駅にて)]



[マチュ・ピチュ村世界遺産の全景]



[史跡内部の建物に近寄って観る]



[石で組みたてられた14世紀の家屋]

  約3時間をかけて [マチュ・ピチュ村(2,430m)] を見学して回り、
  帰路も同じ高原列車に乗って 14:30 マチュ・ピチュ村を出発
  16:00 にオリャンタイタンポに到着しました

  駅から専用バスでウルバンパのホテル(ラ・アシェンダ・デルパジェ)へ向かい
  17:00 ホテルに到着  今夜はこのホテルに宿泊です (走行距離約80km)

  所見:
   * 『マチュ・ピチュ』 とはケチュア語で [老いた峰] という意味だそうです
   * [マチュ・ピチュ村] の遺跡は険しい山頂に在り、
    僅か5平方kmの狭い山頂に集中して建てられています
    神殿、居住、倉庫、水道など全ての施設が石で精巧に造られています
   * 山頂に残るインカ帝国史跡の見学が好天の元でできた事は幸運でした

-5
 =南米の旅第5報 [4日目の見学:マチュピチュのインカ帝国世界遺産] のスライドで観て下さい



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[旅の7日目] (5/25:日) リマ市街の [世界遺産歴史地区] を見学 (約2時間)
  05:30 朝食の後 専用バスで [ホテル] を出発 [クスコ]空港(10,800ft)へ (朝食:弁当)

  13:05 アビアンカ航空 AV-0806 で 空路リマへ →14:30 リマに到着
    飛行時間 約1時間25分

  専用バスでリマ市内の [世界遺産リマ歴史地区] を観光 約2時間
   * サンフランシスコ教会
   * 大統領府
   * アルマス広場
   * バルケ・デル・アモール


[リマ市街中心部-1]



[リマ市街中心部-2]

  17:50 ホテル・エルタンポに到着
  18:30 ホテルで夕食
  宿泊(ホテル・エルタンポ)・

  所見:
   * 初めて訪れたペルーの首都リマの市街中心部はスペイン植民地時代の
    古い遺跡が多く残り重厚さを感じました
    世界遺産として何時までも大切に保存して欲しいと思います

-6
 =南米の旅第6報 [5日目の見学:ペルーの世界遺産リマ歴史地区] のスライドで観て下さい。



-------------------
[旅の8日目]  (5/26:月) ナスカの地上絵(ペルー)をセスナで見学
  早朝 ホテルでの朝食を食べ、専用バスで出発し 一路ペルーの [イカの飛行場] へ


[このセスナ機に乗って地上絵を空から見学]



[地上絵が残るナスカの乾燥した砂丘の盆地地帯です]



[私が写せたのはこれだけです
地上絵ハチドリの一部で貴重です]

  地上絵には
    ハチドリ コンドル サギ 巨人 クモ ペリカン 犬 手 サル
  などあります

  セスナ機は私ら6人を後ろの客席に乗せてイカの飛行場を離陸し、
  20分位で地上絵のある地域に到着
  眼下の地上は砂漠に似た灰色の荒涼とした乾燥地帯で太陽が強く照りつけていました
  機長の機内マイクで地上絵に近づいたことを知らせてくれますが小窓からは見つけ難く
  やっと視認できてもバンクを変えられカメラの視界に載ってくれないのです
  やっと見つけて全景をカメラに入れることは私には不可能でした
  小窓から絵を見つけカメラの視野を調整しもう少し良い構図はないかと期待する内に
  セスナは通過して仕舞うし旋回するセスナのバンク角が変化し、負荷のGもかかって
  希望通りの地上絵を納めることは至難のことでした
  本の資料ではなく自分の実写で納められた写真は貴重な土産です
  セスナの小窓からの視界は最高で申し分ない条件でした
  飛行時間は約1時間くらいでした

  見学を終わり、専用バスでリマ空港へ向かって出発、 途中、レストランで夕食
  リマ空港に深夜の 22:45 に到着
  日付が替わって次の日の 02:00 にリマを発ち、トロントへ向かいました

  所見:
   * 今日のバス走行距離:310km

-7
 =南米の旅第7報 [見学6日目:セスナからナスカの地上絵を見学] のスライドで観て下さい。



-------------------
[旅の9日目]  (5/27:火) ペルー・リマから空路トロントへ移動

  02:00 エアーカナダ機(AC-0081)で深夜リマを発ち、空路トロントへ向かう
    飛行時間 約8時間 時差:+1時間 機内食:2回

  11:00 トロント到着

  14:05(カナダ時間) エアーカナダ機(AC-0001)でトロントを発ち、
    成田へ向かって空路帰国の途へ 飛行中に日付変更線を越える


-------------------
[旅の10日目]  (5/28:水) トロントから成田へ帰国

  トロントを カナダ時間の14:05 に出発したエアーカナダ機(AC-0001)は
  日付変更線を超え成田へ向かって帰国の途へ
    飛行時間 約12時間50分 時差:+13間 機内食:2回


[成田に向かって飛行するカナダ機の飛行情報]

  15:55 成田空港到着

  17:55 ANA機(NH339)で成田空港を出発し、セントレアに向かう

  19:05 セントレア到着

  空港線(名鉄)、JR、を利用して帰宅

 総合所見:
  * エジプト側からイグアスの滝を見学した4日目のみ雨が降っただけで
   悪天による観光への支障がなかったのは幸運で実に楽しい海外旅行でした

  * 初めて訪ねた南米での気候は季節が良かった時期でしょうが
   日本と大差ない温暖な気候で旅行期間中過ごし易すかったことは
   幸運でした

  * 一番心配していた負傷や疾病・事故が自分だけでなくグループのみんなにも
   発生しなかった事は一番の幸運でした

  * 今回の南米旅行ではメモ・記録を取らなかった(気力と余裕なし)ので
   帰国後の整理には記憶が失せてブログなどに文字にして残すのに苦労しました
   今後は簡単なメモだけでも残しておくべきことを痛感しました  - 以上 -


-8
 =南米の旅第8報(南米から日本までの復路空の旅) のスライドを観て下さい。

 
*********************************

-0
 =南米の旅総集編(南米10日間の旅の全編) のスライドを観て下さい。


**********************




447-【カナダハイライト8日間 (阪急)】

2013年07月26日 | [海外旅行]

 [ 阪急トラピクスの募集広告 ] 

[カナダ旅の初日:07/26]  日本から空路でカナダへ移動
  自宅    08:19発 ⇒ 春日井 08:45着
  春日井   09:25発 ⇒ 名古屋 10:00着
  名古屋   10:20発 (のぞみ120号7号車 4-E) ⇒ 品川 11:56着 (4名同行)
  品 川   12:20発 (成田エクスプレス25号) ⇒ 成田第1 13:27着
  成田空港 (参加者:24名)
  成田集合:14:20
  集合場所:成田 第一旅客ターミナル4階
       南ウイング Kカウンタ-  18~20番(阪急交通受付)
  成田空港出発:16:20
    AC-0002便 成田発トロント行
    飛行時間:約11時間 55分
      日本とトロントの時差:-11 時間
      大圏コースを飛行:約6,390マイル
    機内での食事 1回のランチ と 2回の軽食
  トロント空港到着:15:15
  専用バスでホテルへ移動
   18:30頃ホテル到着 (バス走行距離:約150km)
   ホテルで夕食 (サーモン料理)
  スカイラインインで宿泊
 [今日の感想]
旅の支度と心の準備の為にカナダの天気情報を下記サイトから取得
     http://www.arukikata.co.jp/weather/CA/

出発当日、自宅から春日井駅までタクシー利用を予定し朝電話すると
「遅れが予想される」との返事
時間に余裕があったので名鉄バス利用に変更して春日井駅に急ぐ
上の土岐で事故があり列車が遅れてホームは列車を待つ人ひとで混雑
40分遅れて初めての車両が満員で到着
スーツケースと共にどうにか閉まるドアの内側に乗り込み勝川に向かう
途中の千種駅まで異常な混雑に押されながらもどうにか名古屋駅に到着し
旅行社(トラピクス)から送られた10:20発の [のぞみ120号] に乗り込み品川駅に向かう
品川で成田EXP25号に乗りつぎ成田空港に向かう
今日は好天で乗り換えのある旅には最高
成田で添乗員(西村香里さん)にチェック
彼女からのアドバイスでANAのマイレッジカード入会手続 (521-965-0753)
搭乗手続きを済ませて搭乗口に向かう
搭乗機は 成田発の カナダ航空のAC-002便(Tokyo → Toronto-T1 B-777) で、
16:40に日本(成田)を発ち初めて訪問するカナダ(トロント)に向かう
トロントは網走とほぼ同じ北緯44度くらいなのに暑さを感じるくらいの気温
日本からの全行程は約6,500マイルで白夜に近い明るい中を飛行する大圏コースを飛行

今回参加した 「カナダハイライト8日間の旅」 には全国から24名が成田に集まって参加し、
そのうち5人(女性2人,男性3人)が独り参加で他は夫婦または家族のグループ

トラピクス社では同じコースの企画が5月から9月にかけて33回計画されており、
今回参加の企画は(おひとり様参加大歓迎出発日)の但し書きがついていたのを
見落とさずに予定表と見比べて早速申込みました
カナダ航空の機内ではアテンダントを通じて日本語が使える環境で、
食事は軽食2回を含めて都合3回出され楽しい旅でした
日本とトロントの時差はー11時間でトロント到着は同じ日(7/26)の15:15でした
空港からナイヤガラのホテル(スカイラインイン)まで専用バスで走り 18:45 にホテルに到着
ホテルでカナディアンビール小瓶が消費税(15%)込みで 6.75(約600円)カナダドル でした
ちょっと高値です
ホテルでの初日の夜は寝つきが悪く浅い睡眠でした

[旅の2日目:07/27] ナイヤガラの滝を見学


[ナイヤガラの滝全景 左がアメリカ滝、右がカナダ滝]

  06:30 ホテル(スカイラインイン)で朝食
  09:00 徒歩でホテルを出発し、ナイヤガラの滝の見学に (約2時間)
     世界3大瀑布(イグアス、ヴィクトリア)の一つ [ナイヤガラの滝]を見学に
   遊覧船 「霧の乙女号」 に乗船して水上から水しぶきを浴びながら見学
   専用バスで → [テーブルロック] 見学
     (インクライン運休のため 専用バスで丘の上に上る)
         → [OKギフトショップ] (巨泉氏がオーナー)

  13:00 昼食 (滝の見えるレストラン)
      食事を終わってからホテルへ歩いて帰る ⇒午後はホテルで自由行動

  ◎オプションツアー①に参加 (参加者:9名) (18:30 ~ 22:00頃)
      『ロブスターテール&ステーキの夕食と
        ナイヤガラの滝イルミネーションツアー』(\12,000)
  宿泊ホテル スカイラインイン
 [今日の感想]
ナイヤガラの滝は北海道北部の名寄と近い北緯約43度に位置するのですが
大陸気候で好天のなか爽やかな観光でした
ナイヤガラの滝がアメリカ滝とカナダ滝の2つがあることは知っていたが両者がこんなにも隣接してあり、
然も一ヶ所から同時にそれも宿泊するホテルから歩いて見学に来られるほどの処に在るものとは
想像していなかったのです
米大陸の巨大な規模からして2つは離れて存在し一方の滝から他の滝を観に行くには長い旅をして
可能なものだろうと勝手に想像していたのですが自分の無知で勝手な推測であったのです
ブルーのビニール雨ガッパを着けての観光船 「霧の乙女号」 から滝壺に近づいての見学は天空から
轟音とともに落ちてくる強烈な水しぶきは濡れることを厭わず勇壮な雰囲気の中の見学は印象深いものでした
幸いにも好天の中での水しぶきなので最高の歓声でした
夜18:30から参加したオプションツア:「ロブスターテール&ステーキの夕食とナイヤガラの
滝イルミネーションツアー」 では国境係官にパスポートを提示して加米国境をまたぐ橋(レインボーブリッジ)を
国境まで歩いて渡り、5色のイルミネーションに投光された約500m上流にある夜の滝を橋の上から見学してきました
帰りにはまたパスポートを見せて国境を越えてカナダに入国するのです

[旅の3日目:07/28] トロント(ナイヤガラ) から カルガリー(バンフ) へ空路移動
  05:00 専用バスで ホテル(スカイラインイン) を出発 トロント市街へ向かう
      途中トロント市街のレストランで朝食
      カナダ土産物店(特産品の革製品を売る店)で買い物をしてから
    ナイヤガラ空港へ向かう
  10:00 ナイヤガラ空港出発 (国内線 AC-0119)
  12:12 カルガリー・バンフ空港 到着  飛行時間 約4時間15
      トロントとカルガリーの時差:-2時間
      日本 と カルガリーの時差:-13時間

  宿泊ホテル バンフ・インで昼食 (パスタ)

  午 後 専用バスで 世界遺産 「カナディアンロッキー」 の見学
      現地ガイド:関口紗由利さん
        約2時間の観光
         ○ナチュナル・ブリッジ
         ○エメラルドレイク
         △スパイラルトンネル
         △フィールド駅
         △キッキング・ホース・バス

  夕刻 専用バスでホテルバンフ・インへ案内
     専用バスの本日の走行距離:約485km

  19:00頃 ホテル到着後夕食 (アルバータビーフ) 
 [今日の感想]
バンフ、カルガリー、バンクーバーは北緯約49度から52度に位置し ロシア領になった
サハリン中部とほぼ同じ緯度ですが一切寒さを感じない旅でした
バンフ国立公園(世界遺産)にあるカナディアンロッキーの規模の雄大さと、過去から現在までの
奥深い自然の営みを目前に観ることができカナダ国土の広大さに驚嘆しました
国民の全てに自然保護の信念が浸透しており順守すべき規則とその罰則に恭順な国民性に賛同しました
心配された路面凍結にも一切遭遇せず暑いくらいの気候の中で氷河を目前にできたことは素晴らしい体験でした
ガイドの関口紗由利さんは大学を卒業してから渡加し、観光案内の資格を取得して
今の仕事に従事しているそうですが、広い分野に亘り詳しく理解して説明してくれ、大変有意義な[観光旅行]でした
観光バスを運転したドライバーは秋葉幸広さんと云い、日本から移住しての仕事だと云っていました

[旅の4日目:07/29] カナディアンロッキーの観光
  05:00 起床 (バンフインホテル)
  06:30 ホテルで朝食
  09:00 昨夜は2つのホテルに別れて宿泊
      [バンフ・スプリングホテル] と [バンフ・インホテル] で参加者を専用バスに載せる
      2日目のカナディアンロッキー観光へ出発  (今日の行程 約390km・約8時間)

      購入した観光ビデオから当日見学した場所は次の名所でした
       バンフ・トレイン・ステーション
       アニマルオーバーパス
       キャッスルマウンティン
       レイクルイーズ(英国女王の娘さんの名前から採用)
       ミエッテ・フォーメーション
       ハ-バート・レイク
       クローフッド氷河 (カラスの手に似てるから)
       ボウレイク (バンフで3番目に大きな湖)
       ボウ峠 (2,069m)
       ペイト湖 (湖の色が変化)
       ミスタヤ谷
       北サスカチュワン川
       ウオターフォール・レイク (水鳥湖)
       マーチソン山
       ウイルソン山
       ザ・クロッシング
       墓場の平地
       すすり泣きの壁
       ビッグベント
       シーラス山
       ビッグヒル
       コロンビア大氷原
       ドーム氷河
       アサバスカ山
       アイスフィールド・センター
       雪上車に乗ってアサバスカ氷原に立って氷河を見学
       モーレン湖 (ブルーの美しい湖)

     「ロッキーの宝石」と讃えられる
      ○レイクルイーズ
      ○ボウレイク
     は雪上車に乗って観光 (約1時間)
      △バーミリオンレイク
      △キャッスルマウンティン
      △クロウフット氷河
      ○ベントレイク  →★(代替)サプライズコーナー
      ○モレーンレイク →★(代替)ボウ滝
     昼食 (レストラン)
  夕刻 「OKギフトショップ」で買い物 (30分)
  ホテル近くのレストランで日本食の夕食
  夕食後 レストランから宿泊ホテル(バンフインホテル)へ歩いて帰る (20:30頃)
 [今日の感想]
強い陽射しの中でのロッキー山脈は氷河が溶け出して流れ出る砕石混じりの水流で削りとられて
出来た岩の穴など永年を経て造られた自然の作品は暫く見とれてその場を去るのが惜しまれる気持ちでした
車窓から望む山肌は何万年、何億年かかって隆起した地層であることを明快に示してくれ
地層の断面は素晴らしい雄大さで何時までも見とれる有様でした
昨日と今日のカナディアンロッキーの見学は現地在住の大西育美さんが常時同行しながらビデオ撮影をしてくれました
希望者には日本円 \12,000 で販売してくれたので記念に買って帰りました

[旅の5日目:07/30] カルガリー(バンフ) から空路で バンクーバー へ移動
  06:30 ホテル (バンフイン) で朝食
  08:30 ホテルを出発  カルガリー空港へ (バス走行:160km)
  12:10 カルガリー空港出発 (国内線 AC-0213)
  12:40 バンクーバー空港着 (飛行時間 約1時間30分)
      カルガリとバンクーバーの時差:- 1時間
      日本 と バンクーバーの時差:-14時間
  午 後  バンクーバー市内の観光
   昼食(サンドイッチ)
     バンクーバー市内の観光 (専用バスで 約3時間)
      * スタンレーパーク :トーテムポールが立ち並ぶ
      * クイーンエリザベス公園
      * ギャスタウン :バンクーバー発祥の地と云われる地区
      * ロブソンストリート
      * グランビルアイランド :おしゃれな店が立ち並ぶ(約30分)
     市内の観光後 宿泊ホテル (バンクーバー・クオリティホテル・ダウンタウン) へ
  18:30  夕食 (中華料理店)
 [今日の感想]
バンクーバー市内の各地を専用バスで走り、車窓から見学したり、公園などでは下車して散策しながら見学
国土が広いので当然とも云えるが、整然ときれいに整備・手入がされており多くの人が有意義に活用していた
現地の人との会話も楽しめ有意義な時間でした  

トイレを聞くのには ”washroom”を使うのが適切だと云うことを知り勉強になりました
カナダ人は話しかけるといやな振りをしないで楽しく会話してくれた老後を楽しそうに過ごしている人が多く、
周囲の環境や設備も整っており、老夫婦が片方の人を車椅子に乗せて押して
街中や公園を散歩している姿を日本より多く見られた

[旅の6日目:07/31] 2つのオプションツアーに参加 (バンクーバー)
           (参加しない人は1日自由行動)
  06:30  朝食 (ホテル)
   ◎オプションツアー (2回目 10名参加) (07:30 ~ 19:30頃)
      『ビクトリア観光』+昼食 (\22,000)

   ◎オプションツアー (3回目 6名参加) (20:00 ~ 23:30頃)
      『日本食の夕食とバンクーバー夜景観賞ツアー 』 (\12,000)
  宿泊ホテル:(バンクーバー・クオリティホテル・ダウンタウン)

 [今日の感想]
今日はツアーに計画されたスケジュールはなく別途計画されたオプショナルツアー2つに参加した
日中のビクトリア観光のツアーはバンクーバー島へ大型のフェリーで渡って
四国と同じくらいの広さと云う島内を車で巡り、色とりどりのきれいな花が咲き誇る [ブッチャーガーデン] を見学した
ブッチャーガーデンの園内では美味しいサンドウイッチのランチを食べ、カナダで初めて美味しさを味わった
ビクトリアの街と市場を散策してそこの雰囲気を味わってきました
市場で売ってたサクランボを買って同行者にも分けて食べましたがよく熟しており印象に残る美味しい味でした

フェリーは片道が約1.5時間かかり外洋ではないので波静かで穏やかな航海で、
天気もよくカナダバンクーバーの雰囲気を味わえました
船には往復とも多くの中国人団体の行儀の悪さが目につく乗船でした
ブッチャーガーデンの昼食で出されたパン類の食事は食べきれない量があり、
帰りには持ち帰らせてくれるシスエムで帰りのフェリー船内で美味しく喫食しました

ビクトリア島の観光は計画通りに進み、予定時刻の 19:30 丁度にホテルに帰着しましたが 
20:00 から次のオプションツアーが計画されており、市内観光に案内してくれる車がホテル前に待機しており、
部屋に帰ってゆっくりする暇もなく急いで車に飛び乗って夜のバンクーバー街の見学に出発して行きました
当日はバンクーバーの海岸で花火大会も催されており、ドライバの好意と配慮で眼下に打ち上げ花火が
観られる小高い丘に車を停めてくれてを見学できました

夕食は日本料理の寿司屋で久しぶりの日本食をカナディアンビールを伴にお寿司を味わいました

[旅の7日目:08/01] カナダから日本へ空路帰国
  06:30 ホテル(バンクーバー・クオリティホテル・ダウンタウン) で朝食
  09:00 ホテル出発 バンクーバー空港へ (専用バス 走行距離:14km)
  12:40 バンクーバー空港出発 AC-0003 12:05
      日本帰国の途へ
     ( 飛行時間 約:9時間45分 バンクーバーと日本の時差:+14時間 )
    機内食(ランチ と 軽食)

 [今日の感想]
今日はカナダでの予定を全て終えて帰国の途に就く日です
7/26に成田を離陸してカナダのトロントに着陸した時には時差がマイナス11時間になっており
同じ日付の日が1日半続いたことになったのです
同行のみなさんは添乗員やスチュワーデスさんの指示で自分の時計の針を日本時間から
11時間遅らせてカナダ・トロント時間に設定し直しましたがへそ曲がりの私は調整しないまま帰国まで過ごしました
だから成田を発ってから今日が何日目なのかなど日にちの経過が判らなくなってしまいました
だから旅の記録に残した時刻は旅行社から貰った事前のスケジュールを元に記録したものです
バンクーバーを現地の昼過ぎに離陸したのですからETEが10時間弱なので

[旅の8日目:08/02]  日本へ帰着
  14:25  成田空港到着  ⇒通関手続き 
   (バンクーバーと日本の時差:+14時間) 
  成田第1発 15:14 (成田エクスプレス38号 4号車 3-A ) 
  品川着   16:20
  品川発   16:37 (のぞみ49号) 
  名古屋着  18:11  
  名古屋発   18:30
  春日井着   18:55

  春日井からタクシを利用して8日ぶり20時過ぎに帰宅し
  阪急交通主催の [カナダハイライト8日間] の旅を無事にかつ有意義に全てを終わりました
 [今日の感想]
自分にとって初めてのカナダ旅行は珍しく感じることが多く有意義だった
気楽に話しかけられるように会話力を向上させたい
パスポートを使って行く次の国外旅行は何処で何時になるのか心待ちにして日々を元気を送りたい


【総合所見】
今回初めてカナダを訪問しました
それは僅か6日間の滞在で、ナイヤガラの滝、バンフからカナディアンロッキーの山々、
バンクーバーの街並みの3ヶ所を見て回る急いだ旅でしたが
いくつかの印象深いものが残りました
これらはカナダに対する私の初印象です
以下箇条書きに記しておきます

・ 国土について
 カナダの面積は日本の27倍近い広大な広さだそうですが、人口は日本の3割くらいだそうです
羨ましい限りです

・ ナイヤガラの滝について
 意外だったと云ううべきか、自分が無知だったことを恥じずに公表すべきことですが
これほど巨大さで世界一の滝がこれほどまでに街中に在り、繁華街に隣接して在るとは先ず自分の目を疑いました
 百聞は一見に如かずとはこのことです
  ナイヤガラの滝に付いての [Youtube画像] を参考に使わせて頂きます  観て下さい
    「ナイヤガラの滝」
     http://www.youtube.com/watch?v=Q1FUkFD0ZIg

・ 交通・道路について
高速道路が縦横に走っており、日本と比べて道路標識(路面塗装など)のムダが大いに省かれている感じでした
路面に書かれた白線も日本のより細い線で描かれており塗料の節約にもなるだろうと思われます
高速道の路面も日本のように鏡のように過分に整備された道路には出逢いませんでした
交通信号も少なく、譲り合い交通が徹底している感じでした
街中の横断信号は手押しが多く、信号自体も一昔前の日本のそれを思わせるレベルに近いと思いました

 ・ ガソリンについて
  ガソリンの値段はガソリンスタンドで売られている値段表示をみると日本と同じリッター売りで、
150カナダドルくらいの日本と同じくらい高い値段で売られていました
  走る車も燃費の少ない日本の小型車が多く走っていました

 ・ タクシについて
  訪問した3つの街を走るタクシーはその多くがトヨタのプリウスで、経済性と信頼性を買われたのでしょう

 ・ 喫煙について
  カナダでは全土で屋根のある場所では公、民を問わず禁止されており、喫煙場所に指定された場所もありませんでした
  道路では自由に喫煙しており、歩きながら吸ってる人も多かったようです
  吸い殻が各所に散乱しており、アルバイトかバランティアの若い人が箒と散り取りをもって
散乱する吸い殻を掃き集めて掃除している人をマーケット内など人通りの多い場所で見られました
  落とさない対策は皆無に思いました
  タバコの値段は日本円に換算して1,000円くらいの高値で日本の倍以上の値段で売られていました
  日本は見習ってほしい一つでしょう
  若い女性の喫煙者が多いのにも驚きました

 ・ クレジットカードについて
  日本から持参したクレジットカード(VISA)がどこでも自由に利用でき支払いが可能でした
  カナダから帰国する前に残ったカナダドルを遣ってしまいたい時に支払いをして
不足分をカードで支払うことを嫌がらずに受け入れてくれるし、
  どんな商店でもカードでの支払いが可能だと云うことでカード利用が日本より普及しておりました
  日本はもっと見習うべき点だと感じました

 ・ 消費税について
  カナダでは連邦の課す消費税(8%)と各州がそれとは別に課す州の消費税(0%~8%)の合計が
  課税されるので州によって 8% ~ 15% と課税される消費税に開きがあります
  日本では来年2014年の4月から8%に、再来年の10月から10%への引き上げの計画がありますが
  どうなるか未だ確定しておりません

 ・ 食卓のドレッシングについて
  レストランで野菜サラダが食卓に出され、卓上を探してもそれにかけるドレッシングが見当たらないのです
  卓上にはトマトケチャップが1本準備されていただけです
  全員がそれをかけて食事を済ませました
  米国ではどんなレストランに行ってもサラダにかける希望のドレッシングの種類を尋ねられ
  私は慣れるまでいつも返答に戸惑った体験があります
  日本は世界で最高の美味、贅沢な食事王国です

 ・ 山火事について
  カナディアンロッキー見学でガイドの関口紗由利さんの話では一種の松の木のマツカサは異常に硬く
  43℃以上にならないと種子の殻が破れず芽吹きをしないそうです
  だからその松の種子が芽吹くためには自然に発生する山火事が必要なのだそうです
  山火事が発生して焼けてしまうと一面の古い樹木は焼失し、新しい種子が芽吹き
  自然はいっぴいの太陽光を受けて再生され若返るのだそうです
  自然界に発生する山火事は古くなった森林を新しいものに
  再生させる必要な営みなのだと教えてくれました  納得です

 ・ [トイレ] について
  カナダの空港や色んな公的施設での男女のトイレの表示が判りにくいのです (カナダに限らず世界に共通する事です)
  日本ではトイレの所在の表示は
    「男性はブルーでズボンで右側に、女性は赤い女性のスカート姿の立ち姿で左側」
  に印刷したマークが全国どこでも共通した標示になっています
  このマークは1964年のオリンピックの時に制定され馴染みになったと聴きます
  遠くからでも視認しやすく間違ったことは少ないです
  素晴らしいマークです
  ところがカナダでは両者が黒色で表示され、スカート姿とズボン姿の違いのみで男女が左右一定ではないのです
  だから時に急いだ時などトイレを間違って飛び込む失敗をしでかすこともありますし遠方からの視認発見が容易ではありません
  帰国して改めて日本の表示の統一性と明瞭な表示に感謝と賛辞を贈りたい気持ちです
  また男性小便器はその多くが カナダでも 「TOTO」 の製品でした

 ・ タッツーについて
  街中を歩いている10代、20代の若い女性にタッツーをした人が多いのに驚いで帰ってきました
  親から授かった大切な体に二度と消すことが出来ない刺青をして悦に入ることが許されるのだろうかと不思議でした
  帰国して名古屋でも早速タッツーをしてしまった若いじょせいを見つけて世界の悪い流行なのだろうかと淋しい思いです

 ・ 8日間のカナダ旅行について (参考:総経費\463,000+α)
  初めてのカナダ訪問の旅が楽しく有意義にかつ無事に終えて帰国できたのは
  添乗員の西村香里さんの成田出発から成田帰着までの全行程を行き届いた気配りとご支援のお蔭だと感謝しています ありがとう
  また、全行程が好天に恵まれたことも参加者一同にとって幸運でした


▲**********************▲

424- 【 カンボジア・アンコールワット探訪 3泊5日の旅 (クラツリ) 】

2013年03月04日 | [海外旅行]



 [世界遺産アンコール遺跡探訪の案内パンフ] 

十数年ぶりにパスポートを取得して早や3ヶ月が経ち、今回やっと国外へのひとり旅に行ってきました
東南アジア・カンボジア王国を訪ね、アンコール遺跡を見学する5日間の旅でした (\159,940)
カンボジアは1年が雨季と乾季に大別され、この時季(3月)は乾季にあたり観光に適した時期です
滞在した5日間も連日、日射しの強い快晴の日が続き空気も乾燥していて蒸し暑い苦しさはなく過ごし易い暑さでした
雨傘を携行しましたが使わないまま、観光も半袖シャツで十分な気候でした
ただバスやレストラン、特に就寝中のホテルの低温にはしばしば悩まされました
また、カンボジアには山らしい山がないことを初めて知りました
見渡す限りの平原で、地図を見ても国境を接するタイ、ラオス、ベトナムまで山はないのではないかとも思われます
7日に見学したトンレサップ湖の近くに盛り土をしたような200mにも満たないような低い小山を一つ見つけたくらいです
ジャングルの中から発見されたと云う アンコール・ワット や アンコール・トム の周囲も原生林を想像するような深いジャングルではなく
富士山麓の青木ヶ原を想像した方が近いのではないかと想像します

一時期ポルポトの支配下で治安が乱れ、遺跡が荒らされたようですが、今は日本を始め多くの国の支援で復旧の途上にあるようです
国家自体も国王の元に平和な日々の暮らしを送っているようです
車窓から観る住民の生活の様子は、米国など進駐軍からのララ物資などで生き延びてきた戦後の日本のことを彷彿とさせられ
カンボジアの民も自力で頑張って強い国に発展し、これらの遺跡を守り継いで欲しいと念じた次第です
今の日本の青年たちは世界に出ても身長や体格で引けをとることは少なくなってきましたが今のカンボジヤ市民の背丈は総じて小柄ですがきっと50年、100年後には彼等もきっと20cm以上は大きくなって世界に伍して引けをとらない国民になり、国力と共に発展していると予想し期待しました
カンボジアのどの人を見ても誰一人の例外もなく悳から善な人であるように見受けられる優しい国民で成り立つ素敵な仏教国家であると確信して帰ってきました
クラブツーリズムが主催する 「JALチャーター直行便で行く アジアの至宝 世界遺産アンコール遺跡探訪5日間」 を利用して今回独り旅の行程は大略次のような経過でした

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初日:2013/3/4 (月)   [セントレアからカンボジアへ]
 自宅近くの桃花台センター駅を 12:45 発春日井駅行名鉄バスでJR中央線春日井駅へ
 春日井駅からJRと名鉄をに乗り継いで 中部空港駅に向う 15:15空港駅に到着
 16:00 の集合時間には名古屋以外からの参加者も集まって一緒になり、総勢120余名が搭乗券を貰ったりして出国までの手続きを済ませました
 カンボジア行きの日航のチャーター便 (JAL8839) には大阪から応募した参加者もセントレアに来て同じ日航機に搭乗して出発するのです
 我々は[セントレア]から近いので助かります
 日航機は総員127名の参加者と添乗員などを乗せて18:20にセントレアを離陸し目的地のシェムリアップ空港(SiemRiap)に向って深夜の飛行を続けました
 目的地空港の SiemRiap空港 には6時間後の 00:20 に到着しました (ATE:6:00)
 日本との時差がマイナス2時間あり、現地時間の3月4日の 22:30 で、途中機体の揺れもなく静かな旅行でした
 窓際の席ではなかったので機外を眺めることはできませんでしたが機内のディスプレイに飛行中の諸元が表示されましたのでそれを追って退屈もなく搭乗していました  お蔭でカンボジアの初日は寝不足の1日になりました
 空港に着いて入国の手続きを済ませ先の人について外に出てみると約束通り私たち22名のグループは B号車(オレンジマーク)に搭乗し、ホテルまで運んでくれました
 今夜からカンボジア滞在中は今夜案内してくれた現地人の Mr.S.Sopheak(44) が専属で担当してくれます
 幼少時にお寺で修業した時の話など自己紹介しながら特徴のある日本語を上手に操って説明しながら滞在中3泊するパシフィックホテルの玄関まで案内してくれました
 368号室にアサインされ、愛知県の大野氏(75)と同宿することになりました
 初日の夜はエアコンの調節がうまくいかず部屋が空冷になり過ぎて寒くて眠られず
 大野氏と相談してエアコンの電源を切り、窓を半分開放して寝ることにしました
 冷え過ぎは直ったものの今度は暑さと湿気で汗びっしょりになり、蚊の鳴く音で浅い眠りのまま朝を迎えることになりました


[セントレアを発ちSiemRiapに向かうB737の機内映像]

-1
 = [カンボジア世界遺産観光の旅-日本出発] のスライドで観て下さい。


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2日目:2013/3/5 (火)   [アンコールトムと夕日の見学]
 昨夜はエアコンの調節を大野氏といろいろ試みたが結局成功しないまま
 エアコンスイッチを切り、窓を半分開けて電気を消して寝ようとしたのですが
 吹き出す汗と蚊の鳴く音が気になり仲々寝付けないまま朝が来てしまいました
 眠い朝でした 05:00に起床
 06:00 G階(地上階で1階のこと)にてバイキング方式の朝食
 今日のスケジュールは
 * 世界遺産「アンコール・トム」見学
   南大門、
   バイヨン寺院、
   バフーオン、
   象のテラス、
   ライ王のテラス
 * 飲茶の昼食
   食後、宿泊のパシフィックホテルで小休憩
-2
 = [カンボジア世界遺産観光の旅-2日目午前] のスライドで観て下さい。


 * 「アンコール遺跡群の観光」 見学
   王の沐浴の為の池/スラスラン、
   像の砦/パンテアィクディ、
   小アンコールワット/トマノン、
   緑砂岩を使った寺院/タ・ケウ
   木の根が絡みつく神秘の遺跡/タ・プロム寺院

 = [カンボジア世界遺産観光の旅-その1]のスライドで観て下さい。


 * 「プレループ遺跡の夕日」を見学:遺跡に登って遠く地平線に沈みゆく太陽を見学
 * アンコールクッキーのお店で買い物
 * 夕食:「カンボジヤ創作料理の夕食」
 * 20:00 パシフィックホテルに帰り、シャワー後就寝


[アンコールトム遺跡の威容]


[絡みつく巨木の根で遺跡は今日も崩れる]


[像の砦/パンテアィクディ]

-3
 = [カンボジア世界遺産観光の旅-2日目午後] のスライドで観て下さい。



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3日目:2013/3/6 (水)   [アンコールワットの日の出とベンメリア遺跡の見学]
 * 04:30 モーニングコールで起床
 * ④ アンコールワット遺跡から昇る日の出を鑑賞
   05:30バスでホテルを出発、アンコールワット遺跡からの日の出を見学
   日の出後ホテルへ帰り、 朝食:G階でバイキングの朝食
-4
 = [カンボジア世界遺産観光の旅-その4] のスライドで観て下さい。


 * ⑤ ジャングルの中に佇む神秘的なベンメリア遺跡観光
-5
 = [カンボジア世界遺産観光の旅-3日目午前] のスライドで観て下さい。


 * 和食の昼食
 * [ラテックス寝具店](天然ゴム生産会社)の見学とショッピング
 * ⑥ [アンコールワット遺跡の観光]
  (世界遺産)(東洋の奇跡)(神秘的な輝きの壮大な大伽藍)
-6
 = [カンボジア世界遺産観光の旅-3日目午後] のスライドで観て下さい。


 * ホテルへ帰り小休憩
 * 「クラブツーリズム貸切パーティ」 (90分)
   アンコール・パレス&リゾートホテルプールサイドにて開催
 * 宿舎のパシフィックホテルに帰り就寝


[アンコールワットをシルエットに昇るカンボジアの太陽]


[湖面に映るアンコールワット遺跡]



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4日目:2013/3/7 (木)   [トンレサップ湖のクルーズ]
 * 06:00 起床
   今日は最高に蒸し暑く、汗で帽子に塩をふく
 * G階で何時も通りのバイキングの朝食
 * ⑦ [トンレサップ湖のクルーズを体験](水上生活村の見学)
-7
 = [カンボジア世界遺産観光の旅-4日目午前] のスライドで観て下さい。


 * 宿舎のパシフィックホテルに帰り、「クメール料理の昼食」
 * ⑧ 世界遺産のアンコール遺跡群観光 ⑧
   女性的な魅力のあふれる紅色の寺(パンテアイスレイ)を観光
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 = [カンボジア世界遺産観光の旅-4日目午後] のスライドで観て下さい。


 * 民芸品店で買い物
 * 宿舎のパシフィックホテルに帰り、出発時間の 18:00 まで小休憩
 * 空港途中のレストランで 「タイスキ料理」 の夕食
 * ⑨ 賑やかなナイトマーケットの散策と見学 ⑨
 * バスで「シェムリアップ(SiemReap)空港」へ移動
  専属ガイドの Mr.S,Sopheak と 2人の運転手に
   22名から使い残しのドル札を集めてお礼のチップとして手渡す


[トンレサップ湖のクルーズ(悪臭?)]


[紅色の寺 パンテアイスレイ]


[シェムリアップのナイトマーケット散策]



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5日目:2013/3/8 (金)  [深夜のカンボジアから夜明けの日本へ]
 出国までの時間、空港無税店で買い物 ウイスキー1本を購入
 出国手続きを終えて 00:25(日本時間 02:25)離陸予定のセントレア行き日航チャーター便(JAL8830)に搭乗
 定刻に シェムリアップ(SiemReap)空港 を離陸 帰国の途へ
 06:55 定刻に セントレア に着陸 (ATE:4:00)
  ターミナルで入国と税関手続きを終わり、スーツケースからカーデガンを出して着用
 中部空港駅から名鉄とJRを乗り継いで春日井駅に帰着 (09:05)
 名鉄バスで帰宅 (09:40)
 * [manaca] の利用で乗り継ぎが便利になった
 帰宅後 旅装束の洗濯 旅の後始末と部屋の掃除をして食堂[味波]で昼食
 [野口ノ郷]でストレッチで体をほぐし、腕立て伏せを少し(100回) やってから入浴とローラー
  旅の疲れでローラー中につい居眠りしてしまう 帰宅後本式に昼寝(1.5時間)をしてすっきりする
 ビールを飲んで就寝 (20:30)


[カンボジア・SiemRiap空港を発ちセントレアに向かうB737の機内映像]

-9
 = [カンボジア世界遺産観光の旅から帰国の途は] のスライドで観て下さい。

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-0
 =カンボジア世界遺産観光5日間の旅総集編 (カンボジア5日間の旅) のスライドを観て下さい。



 [所見]
  往復5日間のカンボジア旅行でしたが思ったほど暑くはなく最後の日を除いて気になるほどの蒸し暑さはなく快適な旅行でした
  遺跡の見学には五体が健康で、一定以上の体力が要求される行程でしたが
  途中、1回も雨に逢う事がなく順調に見学できたことは幸いでした
  傘を差しての見学は危険も多くなり行程を変更したり、見学を辞退したりしなければならないことが生じるだろうと思いましたが
  誰一人の落伍者もなく、事故に遭う方もなく無事に全工程を終えて全員がセンbトレアまで帰って来れたことは幸いです

  今回のアンコール遺跡の見学旅行で
   旅の服装や持参必需品、不用品、
   気をつけるべきいくつかの点
  などが確認できたので次回からの参考にしたいと思います

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