ここにもあった匠の技
後2日、後輩のS君を誘い工芸繊維大学に行ってきた。
資料館は思っていた以上賑わって皆さんの関心を集めていると思うと
なんだか目頭が熱くなってくる、明治後半から機械捺染が京都に導入され
昭和初期からローラー捺染の全盛期を迎え、スクリーン、ロータリーが
開発されるまでは機械捺染といえばローラー捺染であつた。
大量生産時代に入り、ローラーは安価なイメージにがあリ需要が無くなりつつ
あったがどっこいローラナセンは生きているのです。
会場に置かれていたビデオから大田重染工を知り、帰りに工場を訪ねる、
会社の社長さんに匠の技 機械捺染を見て、どうしても機会が稼動している
所を見たくなり尋ねたと話すと、快く工場を案内してくださった。
捺染機が2台あり1台は65インチ捺染機、機長さんは大同マルタの同僚で
あったT,Hさんで35年ぶりの再会であった。
月産30万メータ近く生産しい、主にニットが多く2台の機械音が私の耳に
心地よく聞こえてくる。
後2日、後輩のS君を誘い工芸繊維大学に行ってきた。
資料館は思っていた以上賑わって皆さんの関心を集めていると思うと
なんだか目頭が熱くなってくる、明治後半から機械捺染が京都に導入され
昭和初期からローラー捺染の全盛期を迎え、スクリーン、ロータリーが
開発されるまでは機械捺染といえばローラー捺染であつた。
大量生産時代に入り、ローラーは安価なイメージにがあリ需要が無くなりつつ
あったがどっこいローラナセンは生きているのです。
会場に置かれていたビデオから大田重染工を知り、帰りに工場を訪ねる、
会社の社長さんに匠の技 機械捺染を見て、どうしても機会が稼動している
所を見たくなり尋ねたと話すと、快く工場を案内してくださった。
捺染機が2台あり1台は65インチ捺染機、機長さんは大同マルタの同僚で
あったT,Hさんで35年ぶりの再会であった。
月産30万メータ近く生産しい、主にニットが多く2台の機械音が私の耳に
心地よく聞こえてくる。
着尺の着物を見ながら昔の人は偉いな~と話していました。
自分が勤めていた染色会社が日の目を見るなんて初めてじゃないかなぁ。
捺染一筋だったものなあ。
太田重染工を見学するところはなかなか偉いね。
先輩捺染士のT.H.さんの元気な顔を見たかった。
大同マルタ染工が無くなっても技術は生きているのだな。
オカチンさん3回も見学ご苦労様でした。
帰りには製品のお土産まで頂き後輩のS君と感激です、捺染機の音はわたしにとっては心地よい♪でした。